第四話 求婚の回答
――――結婚してください。
好きな人にそう言われたからには、すぐに頷けばいいことだ。
旦那さまがアリメアをからかう為に、こんな冗談を言うはずもなく。
理屈でなく冗談ではない事は伝わった。
でも……。
初めて体験した『プロポーズ』という衝撃の時間に気を取られて、混乱していたアリメアだったが。今、一人になって、やっと落ち着いて考える時間ができると、どうやら旦那さまはアリメアの事を『好き』で結婚しようと言った口ぶりではなかった。
それは「私」と結婚してください。
と言った。旦那さまの口調からも、微妙に読み取れて……。
確かにお見合いの釣書などでは、生涯添い遂げる相手なんて簡単に決められないだろう。
しかも、一度に大量にもちこまれたのだ。
それにうんざりするのは仕方ない。
アリメアと長い間付き合って、生涯一緒に居てもいい相手だと思われたのは嬉しい事だった。
でも、本当に好きでもない人間と結婚しようと思うほど、それぐらい旦那さまは縁談の話に追い詰められていたのかと思うと正直複雑で。
「いいえ」と断ったとしても。
「あぁ、またお見合いに悩まないといけませんね」なんて、あっさり言われそうな雰囲気だった。
ーーもしかして旦那さまは、結婚には本当に興味がないのかもしれない。
今までは全く旦那さまに女性の影を見た事はなかった。
だから、アリメアは身分違いで一笑に付される淡い気持ちを。王子様に憧れるような気持ちで、今まで長い間抱き続ける事が出来たのだ。
一生一緒に居られると、自分を選んでくれた事は恋愛を差し引いても、とても破格の好意で光栄なことだ。
そう思っても。
長年付き合ってきた旦那さまの意外な一面。
そしてプロポーズに、思考がまとまらない。
旦那さまの事を考えるなら、『いつか会う、本当に好きになる相手』の為にアリメアと結婚するのは間違っている。
でも、アリメアは旦那さまの事は好きで…………。
本当にどうしたらいいんだろう。
そうアリメアは、途方にくれるのだった。
長時間途方にくれていたアリメアが正気に戻ったのは、旦那さまが鳴らした召使い呼び出しのベルの音だった。
騎士団の急な仕事で旦那さまは出かけると言うので、慌てて玄関でお見送りをする事になった。
書斎でのプロポーズなんて何もなかったように、これから数日は留守にする事と、留守の間の用事を言い付けられる。その間アリメアは、あれはもしかして自分の都合のいい夢だったのではないかと思うほどだった。
しかし、扉が閉まる直前に、旦那さまが思い出したように。
「お返事まっていますよ」
にこやかに言って、外に繋いでいた馬に乗って去っていくのを見送れば、現実の事で。アリメアは正直に今の自分の心境のままの、困った顔しか返せない。
旦那さまの姿が見えなくなるまで玄関先で見送ってから、視界から消えると、アリメアは全ての緊張が解けた気がした。
旦那さまと、同じ屋敷にいる。
それだけでどうやら緊張していたようだ。
考え事をする時は、鍋磨きをすればスッキリする。いつもの悩み解消法を試してみても、輝きを取り戻した鍋の山が出きるばかりだ。そして全ての鍋を磨き終わった頃、今度は来客を告げるベルが鳴った。
来客は、旦那さまのご友人のクーベルチュラー男爵だ。
手に持っているのは、お土産のお茶菓子で、アリメアはいつものように渡される。
お約束がなくても、旦那さまの所に遊びに来るので特に不審にも思わず、玄関に通した。
旦那さまが不在と言う事を告げると、「あれ、おかしいな……」と少し納得がいかないような顔をしてから、アリメアの心許無げな顔を見て「ああ、そういえば」となにか思い当たったようだった。
せっかく訪ねてこられたのだから、お茶でもお出ししなければ……。
特にその後の予定はないという男爵さまを、アリメアはいつものように客間へ通す。男爵さまは、主人不在でもお通しして良いと、旦那さまから特別に申し付けられていた。それも、このお屋敷に旦那さまが引っ越してきてから、不在時に初めて訪れた男爵さまを家に入れる事が判断できなかった事があったので、旦那さまに尋ねた結果だった。覚書の来客の個別対応にも書かれていなくても、それを許されているのは、旦那さまのご家族以外には男爵さましかいない。
「アリメアさんのお茶は美味しくて、いつも楽しみの一つです」
「……そういっていただけると、嬉しいです」
客間のソファの定位置に深々とすわり、にこやかに浮かべるその笑顔は、旦那さまとは違う。
旦那さまはくゆりと笑うのに対して、目の前の男爵さまは爽快に笑う。
こんな時でもやはり旦那さまの事を思い出して、アリメアはどきりとした。
「んー」
「?」
快活な印象を受ける男爵さまだが、貴族生まれの所為か、行儀作法はとても良い。
ティーカップに口を付ける姿はいつも優雅な動作のはず……が、アリメアの眼に見えて乱れる。
「いや、あの……さ。
こういう事を言っていいかどうか分からないんだけど」
「はい。なんでしょうか?」
もしや、お茶が不味かったのだろうか?
アリメアはお茶を入れた動作を思い返す。
「んー。もしかして」
ティーカップをソーサーに音も立てずに置き直して、男爵さまはいいにくそうに眼を伏せた。しばらくして、アリメアの方をおそるおそると言った感じで、見てから口を開く。
「アイツと何かあったのかなぁ……と思ってね」
「!?」
「あぁ、いやっ!!
僕の考えすぎって事も。
はぁー、ごめんちょっと気になってすごく余計な事を言ってしまった」
アリメアは我知らず、顔が真っ赤になる。
どうしてそんな事を男爵さまがいきなり言ってくるのか、全く分からない。分からないままに、変わらず言いにくそうにしている男爵さまの次の言葉を待つ。
男爵さまは常々。旦那さまがいる時に遊びに来た折に、アリメアを見ていて、アリメアの旦那さまに向ける、その気持ちに気がついてしまっていた。
そして最近の旦那さまへ届けられる、大量のお見合い話を知って、アリメアの事が心配になっていたと一通り語った。
そう語る男爵さまを見て、自分はそんなに分かりやすいのかと、アリメアは顔が真っ赤になる。
……もしかして、旦那さまにもこの気持ちがばれていたのだろうか。
いや、そんなはずは……。
アリメアは思い直した。
この気持ちが旦那さまにばれていたとするなら、あのプロポーズの時に何か言ったはずだもの……と。
「もし何かあったのなら、僕でよければ出来る事あったらするから、一応貴族だし。こう見えても顔は広いから……もし、この家に居づらくなったとしたのなら、新しい仕事紹介できると思うし、だからっ!」
何もいえないアリメア、それなのに。
男爵さまも、こういう話は苦手なようなのに色々と親身な言葉を、力いっぱい男爵さまはアリメアに掛け続けてくれた。
そして、去り際に言った一言。
「だから、自分の感情に素直になって、答えはだして欲しいな」
アリメアは男爵さまが帰った後も、その言葉を思い返す。
私の一番の気持ち……。
それは、旦那さまが幸せでいてくれること。
そう考えた時、アリメアの気持ちは決まったのだった。
宣言通り、旦那さまは数日してから何事もなくお屋敷へと帰ってきた。
アリメアは覚悟を決めて、日が落ちる事も構わずに、夕食の準備をした後にプロポーズの返事を告げた。
答えは勿論「いいえ」だ。