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旦那様の求婚~Je veux t'epouser~  作者: 桜ありま
第一章 本編【完】
3/21

第三話 旦那様の秘密と解決法




 それから数ヶ月は、新しいお屋敷での仕事に慣れるまでアリメアは必死だった。

 いくら小さいとは言え、一人で管理しなくてはならないのだから当たり前だ。


 お屋敷の引き渡し日が来る迄に、家事全般オールワークスの仕事を仕込まれる。

 やはり不器用なアリメアにとって、昔から慣れ親しんだ仕事以外の新しい作業は、覚えるのも効率もかなり悪い。


 引き受けた時から覚悟していたので、それはわかりきってることだった。

 旦那様から教えてもらった覚書の取り方で、とったメモはかなりの分厚さになってゆく。


 特に、アリメアにとっては料理は壊滅的に無理な状態だ。


 料理以前の温め直す事、竈門に火を入れる事すら今はまだ難しい。

 本邸での仕事は役割分担がきちんとされていたせいで、他者の役割を手伝うということはあまりなく専門外で。特に厨房には料理人コックや、台所女中キッチンメイド以外は立ち入るべからずだったので尚更だ。子供の頃からお屋敷に勤めていたので、きちんと賄いが出ていた為に、自分で作る機会がなかったのだ。


 執事のオルティスさまと考えた結果。

 本邸の料理長から食事を預かって、こちらで温め直す、ということで決着がついた。慣れるまでは、温め直す必要のない料理がメインでという、アリメアに配慮した形で。


 坊っちゃまは一日のスケジュールを立てて、それをきちんと守るからこそできる方法だ。


 アリメアは坊ちゃまのスケジュールに合わせて屋敷から持ってきた食事を給仕、お茶を入れる事以外は、屋敷の掃除をし、少しある庭の手入れをしていた。夕方暗くなる前には、旦那さまが帰宅しなくても施錠して帰る。

 アリメアでは出来ない仕事……新しい家具の搬入などの力仕事は、執事のオルティスにさまに連絡して、本宅の使用人に手伝ってもらう事があったが、そんなことはめったにない事だった。


 そうやって、アリメアがこのお屋敷を本邸と変わらずに、居心地の良い場所として整えようと努力していた間。


 このお屋敷の主でもある旦那さまは仕事が忙しく、殆ど帰ってくることもなかった。


 主人がいないお屋敷でも、アリメアはいつ帰ってきても良いように働いていた。

 働く日々が長くなればなるほど、メイドが一人でも……家が狭くてもよい理由がアリメアにも十分に分かってくる。


 本邸は旦那様たちの居住空間も一般的よりもかなりの広さだったこともあるが、それよりも取引相手のお客様をもてなす為に、開くパーティーなどの#広間__スペース__#が大部分を占めている。来賓が泊まる部屋もかなりの数があった。

 本邸が広大だったのは、家と言うよりは、社交場だったからと、言った方が正しいのかもしれない。


 それに比べて、坊ちゃまはあまり人付き合いがない。


 社交用のスペースは居間しかなく、来客用の部屋も簡易に1つだけ。小さいお屋敷とは言え部屋数は一般のお宅よりあるが、旦那さまが基本的に使う部屋以外は家具も入れずに、がらんとしていてまさに空き部屋だ。

 この屋敷を訪れる人間も少なくて、騎士団しごと関係の人間以外は、アリメアでも顔を覚えられるぐらいの人間しか訪れない。

 その中でも、よく訪れるのは本邸時代にもよく遊びに来ていた、騎士同期のクーベルチュラー男爵さまだった。どうやら入団試験の日に、知り合ったようでそれからの付き合いのようだった。

 旦那さまはただの友人だと言っているが、小さい頃から旦那さまを見ているアリメアから見ると、親友と言っても差し支えないほど旦那さまと仲が良い。


 男爵という身分がありながらも、メイドであるアリメアにも優しく接してくれる好青年だった。お優しい旦那さまの友人なのだから、似た物同士なのも自然なことなのだろう。

 男爵さまはにんじん色の髪に、春の緑の瞳をした優しげな外見通り。こちらも暖かくなるような雰囲気の人柄で、人見知りなアリメアでも話しかけやすい。

 アリメアは小さい頃に父親から怒鳴られていた事もあり、男性は苦手だった。旦那さま以外に気を許しているのは、執事のオルティスさまぐらいだったのですぐに慣れるのは珍しいことだ。

 逆に男爵さまは誰にでも好かれるお方らしく、ご友人が多いことがその口ぶりからも窺い知れた。


 アリメアのお茶を楽しみにしていると言って、お礼としてお茶菓子のお土産をよく持ってくる。

 流石、顔の広い男爵さまは色んなお店や名物を知っていていただくお菓子はどれも美味しい。

 そのお菓子に合う、お茶を準備するのもアリメアにとっては楽しいことだった。

 お菓子ではなく、男爵さまの領地の特産品であるカギュザーツ牛を持ってくる時は、旦那さまは、必ず晩餐に出すように指示する。

 かなりの頻度で持ってくるので「馬鹿の一つ覚えですか?」と苦笑しながら受け取っているが、それでアリメアは旦那さまの大好物なんだと窺い知れた。


 

 多少の言い間違えはあるが、「坊ちゃま」を「旦那さま」と呼ぶ事に慣れてきて。

 そして、その間違いが完璧になくなった頃。


 旦那さまの久しぶりのお休みの時を見計らって、執事のオルティスさまがいつになく真剣な顔をして大量の書類を持ってきたのである。

 はじめはアリメアも実家の方の事業の事で何かあったのだろうか、と気を揉みながらも自分にはその場に同席して聞く権利がないので、やきもきしていたのだが。オルティスさまが帰った後は特に旦那さまの様子が変わった事はなかった。

 それでもアリメアは心配で旦那さまにそれとな尋ねてみたけれど、アリメアの心配をお見通しな旦那さま曰く「別に、貴女には何でもないんですよ」と……誤魔化されたような気がした。

 でもだからと言って、アリメアには旦那さまを問いただす事もできずに、更に数ヶ月たった頃……掃除の為に入った書斎で偶然知ってしまったのだ。


 確かに、アリメアには関係ない事だった。



 執事のオルティスさまが持ってきたのは、旦那さまのお見合い話だったのだから。



 それを知って、アリメアは旦那さまを仕事以外では避けてしまうようになった。突然現実を突きつけられてしまったみたいで……。

 はじめから無理な恋だとは分かっていたのに、そばにいられるだけでいいと言っていたはずなのに。

 なんて自分は贅沢なんだろう。


 自分が情けなくてショックで、旦那さまの顔が見れない。


 そんな日々を過すうちに、オルティスさまが帰った直後にお茶を入れるように旦那さまから頼まれた。それは初めての事で、もしや旦那さまのお相手が決まったから発表があるのかと、嫌な想像がはびこってしまう。

 それでもお茶は最高の状態にして、ワゴンを押して旦那さまの部屋へと急ぐ……でも、いつものいい香りにもアリメアの心は動かされない。

 控えめにノックをして「失礼します」と室内に入ると、書斎の主はいつものように机に座っていた。しかし、今日はオルティスさまが持ってきた書類を隠す事もなく机の上に広げている。

 どんなに書類を散らかすほど忙しくても、旦那さまはソーサーが置けるほどのスペースを空けるのが癖だった。そこに、アリメアはお茶を置く。


「ん、気になりますか?」


 ぎこちなくカップを置く手に、旦那さまはお見合い書類を見ながらも気がついたようで、声を掛けてきた。

 間髪いれずに反射的に「はい」と答えてしまって、自分の隠している気持ちを告げてしまったようでアリメアは恥ずかしくなってしまう。

 しかし、そんなアリメアの心境に旦那さまが気づく訳はないのだが、旦那さまのいつもの柔らか表情が僅かに硬い。


「本当にこの前から……面倒くさい事ですね」


 そう呟く旦那さまの独り言に、アリメアは驚いた。


「? 面倒くさい……ですか?」

「……ええ、実に。意外ですか?」


 言葉がアリメアに聞こえていたとは思わなかったらしい。

 旦那さまは少しばつが悪そうに目を細めてそういうと、カップを取って一口含む。目が和らいだ。


「はい、少し意外です」


 アリメアは旦那さまと長い付き合いだ。アリメアから見てどちらかと言うと、旦那さまは一般の人なら"めんどくさい"と思うことを進んでやるタイプだった、今の今までは。アリメアの中では難しい問題を片付けたり、進んで学ぶ姿しか思い浮かばないし、そんな時でも愚痴をこぼす事はめったに無い。


「流石に私も結婚する気は欠片もない、知らない女性達の書類を、殆ど毎週押し付けられるのは頭痛以外の何者でもありませんよ?」

「そ、そうなのですか」


 言葉はいつもの柔らかさに戻っていた。

 が、一人称が苛立ちのためか『自分』から『私』になっている。


 旦那さまの自称は『自分』と独特だ。

 旦那さまの父親譲りの方言で、自分と使わないと落ち着かないらしいが、上流階級ジェントリとして公的な場所では『私』と直すようにしているのです、とアリメアは聞いていた。

 なので、私的なこの時間に「私」と使うのは、何かを強調する言い難い事がある時の旦那さまの無意識の癖だ。本人は気がついていないらしい。

 どうやら旦那さまはこの縁談の山に乗り気ではなかったらしい。それどころか、優しい旦那さまでさえ、何度もお見合いを押し付けられて心底うんざりしているようだったというのが、やんわりと笑い話のように語った言葉に現れている。

 そんな事は今まで全然匂わせなかった旦那さまの今見せた僅かな態度に、本当にうんざりしているんだと感じ取れて、不謹慎にもアリメアはホッとしてしまう。

 お茶のおかわりを命じられるまで、アリメアはいつものように側で待機する。あまり使用人の手を借りない……呼ぶ暇があったら自分でやった方が早いという旦那さまも、お茶だけはアリメアの手を借りる。

 初めて旦那さまにあったあの日からお茶を煎れるのは、お仕えする長い間に最も腕を磨いた事で、いつの間にか旦那さまの家の使用人で一番巧いと褒められる程になっていた。


 今まで長い間旦那さまにお仕えしてきて、何度もあったこの時間。


 室内にくゆる、紅茶の香りを感じながら……気が抜けたアリメアはポツリと呟いてしまう。



「でも、いつか誰かと……旦那さまはご結婚されるんですよね」

「……そうですね」

「ご結婚されてもずっとずっとお仕えさせていただきたいです」


 一つの家に一生仕える使用人は珍しくもないけれど、それは紛れもなくアリメアにとっては精一杯の告白だった。伝わるはずのない……思い。


「一生側にいてくれるんですか?」


 いつの間にか、旦那さまが書類から目を離してアリメアを見ていた。

 忠誠心を試しているのだろうか、瞳の奥底から本心を覗き込まれるような真剣さだった。


「も、もちろんですっ!!」

 力説するが、その言葉とは裏腹にアリメアは恥ずかしくなって、目をそらしてしまう。

 衣擦れの音がすると、旦那さまが席を立って近づいてくる気配がする。


「でしたら」

「……」

「私も、貴女とだったら旧知の仲で貴女がどういう人間なのか知り尽くしてます」

「!!」


 うつむいて居たはずのアリメアに旦那さまの顔が見えた。

 自分よりはるかに背が高いはずの旦那さまの顔がアリメアに見えるという事は、旦那さまが屈んででいると言う事で。

 旦那様に膝を折らせていると言う事は、本当ならあわてて正さなければならないのに……アリメアには全く動けなかった。




「私と結婚しませんか?」




 そして、益々固まった。

 思考が停止する、世界がぐるりと変わったような感覚に引きずられる。


「あ、あの……」


 聞き間違いだろうか? と思って、アリメアは十分過ぎる時間をかけてやっと口を開く事が出来た。


「貴女が理解できるまで、何度でも言いますが」

「い、いいいえっ!! だい、大丈夫ですっ!!」


 そんな状態はやはりお見通しのようで、さっきの発言が聞き間違えじゃなかったと旦那さまに念を押される。

 全くの予想が出来なかった事態に、嬉しい気持ちよりもどうしてこうなったのかアリメアには理解できない。とりあえず、冷静になる為に一つ深呼吸すると、やっと旦那さまに不似合いな格好をさせている事に改めて気がつき、慌てる。


「だ、旦那さまっ! お立ち下さいっ……!」


 旦那さまは私のパニックにどうやら従ってくれたらしい、私から離れると


「貴女と結婚すればこれでお見合いに悩まされる事もなくとても私にいい事なんですが」


 そう言って、旦那さまはデスクの椅子に深々と腰掛けると、お見合い書類を拾い上げた。




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