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旦那様の求婚~Je veux t'epouser~  作者: 桜ありま
第三章 婚約者編【完】
14/21

番外編2-5 幸せの隠れ場所《5》


「アリメア……」



 二度目のその呼び声に、段々と意識がはっきりしてくる。

 考えすぎていたアリメアは頭が付いて行かず。


「だ、旦那さ……ま?」

「よかった、まだ居てくれたのですね……こんな暗いところで何をしているのですか?」


 段々と旦那様が暗い室内で近づいてくると、はっきり見えた旦那様のお顔は厳しいと言うよりは、悲しさで強張っている。どうしてそんなお顔を? と、尋ねかけて……はっと我に返ると、旦那様が手にあの手紙を持っていることにアリメアは気が付いた。

 アリメアはすっかり忘れていた。

 それは旦那様の書斎に置いた、一方的な別れの手紙。

 そして、アリメアは出て行こうとする姿のままで。

 痛感する。

 もしあのまま出て行ったら、旦那様にこんな悲しい顔をさせたままだったのだ。


「あ、その……えっと」


 誤解を解こうと、でも何から言っていいのかわからなくて、アリメアがあわてていると、旦那様は手紙をゆっくりと机の上に置いた。

 その机はお屋敷から持ってきた机で、この机の上でいつも坊ちゃまだった頃の旦那様に手紙を書いていた――思い出の机。


「こんな事を書かせるために、自分は貴女に読み書きを教えたのではありませんよ」

「ご、ごめんなさ……い」

「謝ってほしいわけじゃありませんよ」

「ごめんな……違っ……!」


 反射的に謝りかけて、アリメアはそれをこらえた。

 旦那様の声はあくまで優しいけれど、少し固い。

 言いたいことがまとまら無くて、さらに泣くのを堪えるだけで精一杯で何も言えないアリメアは無言になってしまう。その沈黙を旦那様は勘違いしたのか、ため息を一つしたあとこう言った。


「私が嫌になりましたか?」

「まさかっ……」

「では、何故ですか?」

「それは……私が、悪いんです。私が旦那様に相応しくないから……だから……離れた方が旦那様の為だと勝手に思って。それで……」


 アリメアのその言葉を聞いた途端、旦那様の表情が哀しそうに崩れた。普段の優しげな表情からはうかがう事の出来ない、やりきれない顔。こんな身勝手な言い分にも旦那様は怒ったりはしないとわかっていたけれど。怒られるよりも悲しませる方が胸が痛かった。詰られたほうがどれだけ気持ちが楽だったか。

 その表情で自分がどれだけ、旦那様に酷い仕打ちをしたのかがわかる。

 想像していたよりも、実際の旦那様のやるせない顔はアリメアの心を強く揺さぶる。

 アリメアは先程まで考えていた自分の気持ちを話そうとしたが、もう逃げ出す気持ちは無かったとはいえど、自分が逃げ出そうとしたことは事実で。それがどれだけ許されない旦那様への裏切り行為だったのか実感する。

 そして、「こらえなきゃ」と思っても涙がつぎから次へと溢れてくる。


「それで……あ、その。えっと……」


 うまく言葉に出来ない。

 旦那様はアリメアに手を延ばした。アリメアは緊張の為ビクリと震える。

そのまま手はゆっくりと優しく……でも逃がさないというほどしっかりと、旦那様は彼女を抱きしめた。すっぽりと旦那様に包まれた途端アリメアは緊張が解けて、旦那様に遠慮がちにしがみつく。


「駄目なんです、私、私っ……」


 いくらお傍に居るのがふさわしくないと理性は警告して、考えても、考えても。

 それでも一緒に居たいという結論に達してしまう。

 本当に――頑張れるのだろうか。

 私は頑張ってもいいのだろうか?


「そんなに、やはり自分と結婚するのは……無理な事でしょうか?」


 アリメアは話せない代わりに、旦那様の腕の中で、かすかに首を横に振る。

 旦那様はどうしたらいいかわからないようで、今度は長い溜息をついてから、言った。


「言い方を変えましょう。一体どうすれば貴女は安心して自分と結婚してくれますか? 教えていただけませんか?」


 腕の中から恐る恐る見上げると、旦那様の瞳は真剣だった。腕に少し力が入った。いや、力じゃなく、指先が震えている。

 答えを、尋ねながら。でもそれを聞くまでは離さないと。いつもならゆっくりと待ってくれる旦那様が、初めてアリメアの逃げ道を塞いで、答えを急かす。でもそのらしくない行動は、アリメアの心を戸惑わせたけれど嫌にはならない。むしろそれだけ引き止められて、申し訳なくも、思われてると嬉しく感じて、さらにアリメアの心は動揺して泣いてしまった。でも何か、旦那様に答えを言わなければならないと、震える喉から必死で言葉を絞り出す。


「……おっ……は、はなし……て、下さいっ……」

「…………っ」


 旦那様が息を飲む音がする。


「自分にはもう貴女を妻に望む機会はないのですか?貴女を放したく……ないんですよ」

「わ、私もっ。お傍を離れたくは、ない、です、けど……だからっ」

「待てというのなら自分ならいくらでも待てます。だから知らないところで居なくなるのだけは……やめてくれませんか?」

「私……逃げませんから……だから……はなし…あっ!」

「放しませんよ」


 旦那様の腕の拘束がわずかに動いて更にきつくなり、アリメアは自分のとぎれとぎれの言い方が誤解を招いたと気が付いた。

 見上げて、視線を合わせてゆっくりと、落ち着いて、はっきりと話す。


「これからは、ちゃんと……お話、してくださいっ!」


 アリメアは「話して」と言っていたつもりだったがどうやら旦那様には「放して」と聞こえていたらしい。


「私、知らなかったんです。旦那様が私に内緒でとても私を大事にしてくれたって、事」


 アリメアは旦那様が自分に内緒で、夜会のお誘いや上流の付き合いを断っていること。そしてあの公園で、旦那様の隣に立つにふさわしい女性を見かけた事で、自分は無理だと諦めてしまって出ていこうとしたこと。そしてエイダさまにお会いして実家のお仕事を手伝っている理由を聞いたこと。旦那様との関係を考えると言ったことを話す。

 自分はこの家から出ないで、全て旦那様が矢面に立ってくれていて……アリメアはそれが消え入りそうに申し訳なく、そして一緒に並び立てないなら旦那様のお傍にこれからはいられないこと。

 隣に立つには公園でみた女性のような立派な淑女の方が……と言いかけた所で、旦那様が腕の力を抜いて身体を離した。


 ……あれだけ、放さないと言ったのに。


 呆れられたと悲しむ間もなく、机の椅子に座るように勧められる。旦那様はひざまずいて、アリメアの両手を包み込むように握り、アリメアを見上げた。その表情は必死で、揺れていた。腕の中ではなく視線に包まれる。


「いいですかアリメア。社交的なことについては、自分にとっては夜会に出席する事など何でもない取るに足らないことで、出席しようがしまいが特に重要ではないのですよ」

「……」

「確かに貴女が自分の妻になってくださったら……少し公の場に出てもらう事もあるかもしれませんが。貴女が婚約者という立場に慣れようと必死でいてくれている。そんな微妙な時期に煩わせたくはなかったんです」

「……」

「もしや、自分とセールブリア嬢との事を気にしてますか?」

「セールブリア、さま?」

 気になっていた名前を思いがけず耳にして、アリメアは聞き返す。

「昼間、自分が会っていた女性ですよ。彼女は……」

 旦那様が少し言いよどむ。なんと説明していいのか迷っているようだった。

 その間にアリメアはあの完璧の見本のような女性が、例の"セールブリア嬢"だとやっとつながった。

「旦那様のお気持ちは疑ってません。ただ、自分に自信が持てなかっただけ……で」

 握られていた手を、そう言いながら少し握り返す。それだけで、アリメアが旦那様の事を信じてることが伝わったようだ。そして、「お話してください」というお願いを聞いてくれる。


「彼女は自分の一番の婚約者候補だったんですよ。彼女はそのつもりでしたが、それは彼女の好意からくるものではありません。自分たち二人の間にあるのは家同士が有益かどうかなのです。レーベンハイトナー君は彼女にどうやら好意を持っているらしく、それでどう勘違いしたのか分りませんが、自分が彼女を捨てたと思ってあんな態度なのですよ」


「捨て、た?」


 そのぼおっとした頭から自然に漏れた呟きにギュッと、手を握られる。

 旦那様の瞳に後ろ暗い事はなく、まっすぐ見つめられた。


「……自分はそのお話が出た頃からすでに貴女が好きでしたから。彼女のその申し出をお断りしたのですよ。それが彼には彼女を捨てたように映ったようですね」

「そ、そうなんですか」

「その誤解を彼女に解いてもらうように、今日は会いに行っていたのです。そしてそれを承諾してくれる条件が彼女の外出に付き合うように、と。これで、納得していただけましたか?」

「分かりました、けど」

「けれど?」


 お話してくださいという、その願いが聞き入れられ。すべて旦那様の口から理路整然と説明され、不安を潰されていると、なんでもなかったかのようにするすると胸のもやもやが晴れていく。いつだって旦那様はそうだ。アリメアが尋ねれば、きちんと教えてくれたのに。


「旦那様にお話ししてもらうと。か、勝手な自分が恥ずかしすぎて。ごめんなさいっ……!」

「いいえ、自分も悪いんです。何でもないような事が貴女には重要な事だという事を……浮かれて忘れていました」

「浮かれる?」

 旦那様の口から、アリメアには信じられないような言葉が出て来て、首をかしげる。いつみても旦那様は余裕のある立派な男の人なのに。

「ええ、貴女が好きでいてくれると思うと、うぬぼれて貴女の気持ちも考えず。急かしてばかりで。早くこうやって貴女と話しておくべきでしたね」

「こ、これからは、お話、してくださいます、か? 旦那様だけに重荷を背負わせたくないのです。一緒に乗り越えていきたいです」


 ――旦那様のお傍にいる自信を庇われるだけじゃなく、自分で作り上げたい。


 そうでなければ、また同じことを繰り返してしまいそうで。

 アリメアは必死に旦那様に訴える。

 これがエイダ様に逃げないで考えると言ったアリメアの「答え」

 一番言いたい事だった。


「ええ。これで……婚約は解消も、出ていくのも止めてもらえますか?」

「本当に私でいいのでしょうか」

「勿論ですよ、自分は貴女でないとダメなんですよ、アリメア」


 心底ほっとした表情を浮かべたすぐ後に、穏やかな旦那様の鳶色の瞳が、熱を帯びる。

 ふと、エイダ様の言った言葉が甦る。

 ――あの子は貴女が欲しいのよ。なによりも。

 瞬間。

 握られている手を意識すると、電流が走ったようにかっと血が上る。今まで意識してなかった、それよりも他の事に気を取られていたアリメアは、やっと恥ずかしくなる。

 でも、旦那様の手を振りほどきたくない。

 胸の動悸が収まらない中にアリメアはやっとこういった。


「私も頑張りますから、時間がかかっても……旦那様の奥様になる自信が付くのを待ってていただけますでしょうか?」

「ええ、いくらでも。その時間が無駄にならなければ」


 わがままだとは思ってる。

 でも、もうアリメアは頑張る事に決めた。

 けれど不安が付きまとい、恐る恐る旦那様を見上げると、いつもの柔らかい表情に戻った旦那様が思い出したように言った。


「それに、一つ言っておきますが、殆どの夜会の招待は、私が独身だと思っているからなのですよ」


 そう言われると、流石に鈍いアリメアでも旦那様が何を言いたいかわかる。

 旦那様をその家のお嬢様や、年頃の娘さんに結婚相手として紹介するという事なのだろう。


「そんな夜会に、私に出席して欲しいですか?」


 にこやかにそう言われると、アリメアは「行ってほしくないです……」という言葉と、旦那様の手を握り返す力が自然と出た。恋人としての素直な我儘に、旦那様は満足げに頷いた。そしてさらにこう言った。


「そうそう、今日はテセウスに会っていたようですが、どのような用件で?」

「え、あっ……」

「アリメア貴女も自分に正直に、話してくれますね?」


 そういえば旦那様は今日は帰りは遅くなると、聞いていたはずだ。

 それなのに、今ここにいて、急いでアリメアの部屋にきた旦那様は――と、頭が回らなかったので気づかなかった。

 男爵様に会っていた事を話そうとすれば、あの貴族の青年との出来事を話さなければならなくて。その事は曖昧にぼかして話していたのに。


 ――アリメアも、旦那様に心配を掛けたくなくって、内緒にしてる事もある。


 しかし、青年とのやり取りを男爵様に聞いて、心配をお掛けしてしまったのだろうか、と思いきや。 


「自分だって、余裕がないのですよ、アリメア。あまりテセウスばかりを頼らないで頂きたいものですが」


 旦那様の嫉妬ともいうべき台詞と少し厳しさを感じる笑顔に、アリメアはドキドキしながらも、小さくはいと答えた。





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