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旦那様の求婚~Je veux t'epouser~  作者: 桜ありま
第三章 婚約者編【完】
13/21

番外編2-4 幸せの隠れ場所《4》




 家に帰るとアリメアは、今日するべきはずだった使用人としての仕事を急いで済ますと、手紙を書いた。


 内容は精一杯の感謝を込めて、お別れの手紙を……そしてごめんなさいの手紙を。


 お約束を守れなくてごめんなさい。

 やはり旦那様の奥様にはなれそうにありませんと。

 少しの間夢を見れて幸せでした。ありがとうございましたと。

 お別れは自分のわがままですと。


 好きだからこそお傍にはいれませんとは書けなかった。

 そうすれば、旦那様をもっと困らせてしまいそうで。


 公式の場に出ていないアリメアと旦那様の仲は、まだ内々にしか知られていない口約束。

 今婚約が破談になっても旦那様の恥になることはない。


 荷物が少ないアリメアの準備はすぐに終わった。

 鞄一個、それが彼女の全財産――それがアリメアの価値。

 ここを出ていくとしても、後の事のためと、個人的にオルティス様だけにはご挨拶していかなければ……

そう考えながら、アリメアは自分の全てが入った鞄を持って、家を出ようと扉に手をかけた。

 途端、手が止まる。

 ……もしかしたら自分と旦那様の家庭を築きあげるはずだった家。

 色んな思い出と感情が現れては消え、一度振り返って周りを見渡そうと思ったが、二度と動けなくなるような気がして、アリメアはしばらく扉が開けられない。やっと勇気を出して開けると、いつの間にか家の前に一台の豪華な馬車が停まっている。その馬車には見覚えがあった。


「お久しぶりね、アリメア」


 その馬車から颯爽と出てきたのは奥様……旦那様のお母上のエイダ様だった。









 数年ぶりに会うエイダ様は、華美と質素のギリギリの線のドレスを身にまとい。本来の年を感じさせないほど相変わらず若く美しく。そして旦那様にそっくりだった。ただ雰囲気が違う。

 ……全てを見透かされてしまうような、少し厳しい瞳。

 そしてそれは思い違いではなく、鞄をもったアリメアを一目見ただけで、どうやらややこしい時にエイダ様は来てしまったと、すぐに理解したようだった。


「お話をしたいのだけれど中に入れてもらえるかしら?」

 そう静かに微笑んで言われると、アリメアに拒否権はない。居間にお通しすると、まるでこの家の女主人の如く貴婦人然とした態度で、ソファに座る奥様にのまれる。

 手紙とはいえ、結婚のご報告をし許していただけたあとの対面が、こんな事になってしまったことがアリメアには申し訳なくて……顔を俯いたままあげられない。アリメアは立ったまま鞄をぎゅっとにぎりしめる。


「それで、貴女はこれからどうするおつもり?」

「……すみません」

「私に謝らなくてもいいのよ。これはあなたたちの問題。この家のメイドもやめるというのなら、他の家への紹介状を書きますが」

「そ、そんなご迷惑をおかけするわけには……」


 自分の息子をたぶらかしたと罵られても仕方が無いのに。

 あくまでも奥様の態度は、長年勤めてくれた使用人の退職に対する、それだった。

 美しいその表情からは……凛とした声からは、何もうかがえない。


「オルティスなら迷惑とも思わないでしょう。それにしても、あの子がよく許したものね」


 「あの子」と言われてアリメアはびくっとする。

 旦那様が帰って来る前に早くここを離れなくては……それを思い出した。そんなそわそわした態度にエイダ様はまた気付く。アリメアの行動がその息子の意志を無視したものだと。


「……もしかして、逃げるつもりなの?」


 逃げる。

 そういわれてしまえば自分の行動が、とても卑怯な事に感じてしまう。旦那様の事を考えて自分は応しくないと改めて気付いて離れようと思ったけれど、それは本当にいいことなのだろうか。でも。


「逃げるなんて、あの子の何がそんなに不満なの? 確かに、とても癖のある子だとは……思うけれど」

「……そんな、旦那様に不満なんて……ありません!! ある訳無いです」

 精一杯アリメアがそういうと、エイダは少し驚いた顔をする。

「では何故?」

「旦那様が、とても素敵な女性と……歩いている所を見たんです」

「あの子が浮気をしたとでも?」

「い、いいえっ!! まさかそんなことは考えておりません……」


 先ほどの光景をアリメアは思い出す。

 公園のカフェテラスで、旦那様はとても美しく身分のありそうなお嬢様をエスコートしていた。


「そうではなくて……」


 二人の姿は周りの視線を釘づけにするほど目立っていた。

 それほど絵になる二人。

 二人の間になにかあると感じ取った訳ではない、それは旦那様の表情を見ていればわかるし、日々過ごしていた旦那様を信じてる。それでも旦那様が女性と腕を組んで、エスコートしている姿は衝撃的だった。

 屋敷で開くパーティーなどは、どんくさいアリメアは裏方であって、会場での旦那様の様子は会場を手伝った他のメイドからは話だけは聞いていたけれど。聞くと見るとでは大違いだった。

 アリメアといる時とは違った、凛々しくスマートなエスコート。

 しかも、旦那様にエスコートされているお嬢様はというと、これが淑女たる完璧な見本。


 そんな完璧を見て、アリメアはやっぱり無理だと思った。

 上流の身のこなしや、旦那様の隣にたっても見劣りしない振る舞いなんて身につけるのは無理だ。


 ――――夜会を見学して淑女たる態度を勉強する?


 その思いつきは所詮、子供の浅知恵に思えた。

 一朝一夕で学べるものではない程の振る舞い。

 いくら否定しようとも、旦那様はあの世界の住人で。


 そして旦那様の求婚を受けたのは、自分の思い上がりだという現実を突き付けられた。



「旦那様の隣には、あのお方のような素敵な淑女がお似合い……と、思います」



 それは、今持っているこの鞄一個しか価値のない自分が、とてもみすぼらしくて……。

 しかし、奥様はこの言葉を聞いて、心底わからないといいたげに、ため息をついた。


「あの子と貴女の結婚を、私達が許したのは何故だと思いますか、アリメア?」

「……わかりません」


 それはアリメアも不思議だった。

 てっきり反対されると思ったのに。


 奥様はアリメアを値踏みするような視線で見た。

 でもそれはあの貴族の青年のように悪意はなく、まるで雇主の面接のように冷静に物事を判断するような瞳で、アリメアは自然と背筋が伸びる。


「貴女の財産は、その鞄一個ね」

「はい」

「その鞄の中に、あの子が欲しがりそうな物はあるかしら?」

「いいえ、ありません、奥様」

「つまりはそういうことよ……あの子は貴女が欲しいのよ。なによりも」

「!!」


 アリメアはその言葉に真っ赤になる。

 それは恥ずかしさの所為なのか、泣きそうだからかなのか、感情が上手く表現できない。そんなアリメアに畳み掛けるように奥様は話す。


「あの子が騎士の仕事の他に、家の仕事を手伝ってるのは知ってますね?」

「……はい」

「あれは……あの子なりの、私達家族への誠意と決意の表明なのよ」

「決意……ですか?」

「貴女を選んでも、損をさせないというね」


 ――ご実家の仕事を手伝うことに、そんな意味があるなんて、何も知らなかった。


 アリメアの感情が出やすい顔にその驚きが出ていたようで、エイダ様は当たり前のように読む。


「あの子はどうやら貴女を甘やかし過ぎているようね」


 それほど、愛されているという事。


「あの子にばかり努力をさせて、貴女は何もせず逃げるの?」


 嫌味ではなく、純粋な問いかけ。

 ここまで聞いてしまうと――逃げる事は卑怯な事でしかない。


 旦那様は努力してくださっていたのだ、他の誰でもないアリメアの為だけに。

 そして二人の未来の為に。

 それなのに、自分は何をしていたのだろう。

 旦那様の優しさに甘えすぎて……勝手に何もできないと落ち込んで。

 何もしないで、勝手に高い壁ばかり見てしまって、諦めて、逃げ出す事を選択して。


 アリメアは何も言い返せなかった。

 どれだけの無言の時間が流れただろうか、その沈黙を破ったのは硬質なノックの音。


「奥様。そろそろお時間です。これ以上はザネルラ卿とのお約束のお時間に」

「そう、仕方がないわね」


 何の未練もないように、エイダ様はソファを立つ。

 これで、この話は終わり、そう思ったアリメアにエイダ様は言った。


「貴女の人生貴女がお決めなさい。あの子とやはり別れるというのなら、貴女は長年よく使えてくれましたそれ相応の手続きをさせてもらいますよ」

「奥様……私逃げないで考えます」


 その答えで十分だと。満足げに、奥様はうなずいてくれる。

 そして部屋から出る前に、一言。


「個人的には……次に会える時には、お義母様と呼んでほしいのだけれど」


 そう言われて、お見送りをするつもりだったアリメアは固まった。

 文面ではなく直に伝わる……初めて自分が旦那様の傍に居てもいいという、祝福。

 その一言はアリメアの事を認めてくれている。

 アリメアが旦那様の妻になってもいいと言ってくれている。



 アリメアは出ていく筈の恰好そのままに自分の部屋に篭って、じっくりと考えることにした。


 考えて、考えて。

 いつの間にか、窓の外が暗くなっているのも気がつかず考えて。

 玄関が荒々しく開かれたのも、気がつかず考えて。


 さらにしばらく経ってから、足音も荒く。アリメアの部屋のドアがノックもされずに開かれる。

 それで、やっと我に返る。




 名前を呼ばれてのろのろと顔を上げると、そこには少し厳しい顔をした旦那様のお顔があった。





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