番外編2-2 幸せの隠れ場所《2》
来訪者を告げる玄関ドアの叩き金が鳴り響き、アリメアは旦那様からあわてて離れた。
我に返ると、自分の行動が凄く恥ずかしい。
旦那様が、自分が出ますよといって立ち上がりかけたのを制して、ほてる顔の熱が覚めやらないままに、玄関ホールへあわてて向かった。身なりを整えて扉を開けると、そこには見たこともない人物が立っていた。しかし、その服装はアリメアもよく知っている。旦那様とは色違いで、男爵様と同じく蒼の騎士団の制服だった。
貴族だ。
どのような御用なんでしょうか? 旦那様の所属する緑ならともかく、テセウス様以外の蒼の騎士団の人間が尋ねてくるなんて今まで無かったことだ。
その人物は、とても不機嫌な顔をしていて、それを隠そうともしていない。尊大な態度だった。びくびくとしたアリメアの視線に気がつくと、見つめられるのも汚らわしいとばかりのさげすむような目で見る。アリメアは自分が相手に思われている立場――使用人であること――を思い出し。慌てて視線をそらし、軽く膝を折って挨拶すると、冷たくもイラただしげな声が聞こえてきた。
「隊長は、いるのか?」
「は、はい。今ご案内いたしますので……」
「いい」
その人物は、アリメアの言葉をさえぎって、勝手に居間へと向かっていく。いきなりの無作法に、アリメアはあわてて止めようと後を追った。が、追いつかず、居間のドアをノックされた。そして扉は開かれる。
そこにいたのはカウチにゆったりと腰掛けて、書類を読んでいる旦那様の姿だった。どう見てもお客を出迎える態度ではない、それほど突然の訪問。
書類からゆっくりと目を上げて、旦那様は少し考え込む仕草をする。
「ああ、君は……ジークロイド=レーベンハイトナー君、でしたかね?」
「優雅に仕事を持ち帰りですか?」
「ええ、もうすでに帰宅しているこの私に、蒼の騎士がどのような御用なのでしょうか?」
旦那様は相変わらずにこやかに対応しているが、心なしか不機嫌そうだった。
普通なら訪問者の名前を聞き取次ぎ、旦那様が客人を迎え入れる準備をするための時間稼ぎをしするのは使用人としての仕事だ。突然の私的な空間への訪問者に不快になったのかもしれない。もう少しアリメアがお客様をスマートにご案内できればと、心苦しくなっていると、その様子を伺っていたアリメアに突然の訪問者は容赦なく告げた。
「何を、覗見してるんだ。これだから格下の家のメイドは躾がなっていない」
「も、申し訳ございません」
旦那様の事が心配でついこの場に留まっていたのだが、顔を上げたままだということを思いだす。
どうやらアリメアは旦那様の恋人としての態度が中途半端に染み付いていたらしく、この突然の訪問者の動向が気になってしまい、会話に参加しているかのように、普通に二人のやり取りを見てしまっていた。
貴族の使用人は、お客様と目をあわせてはならない。
この方は私の事をメイドと思っているのだから、きちんとしなくては。
そう、アリメアが思っているうちに、旦那様がやんわりとアリメアを庇った。
「私の家の者の事は、私の領域です。貴方が口に出すべき領域ではありませんよ」
「はっ! 格が伺える」
「ええ、私の事はご自由に言っていただいても結構です。ただの成り上がりの次男坊ですからね」
旦那様は、微笑んでいた。
口調も穏やかで、青年の挑発も柳の枝のように受け流している。
貴族といっても様々で、テセウス様のように"身分の無い者"にも温和で友好的な人種もいれば、この目の前の青年のように、身分が無いというだけでそれ以下の扱いをするものもいる。旦那様のご実家でも貴族のお客様が居たが、取り引き相手と尊重されていたので、このような扱いをされている旦那様を見たことが無かった。
自分のことならいくらでも我慢できる。だってそれは自分自身の不甲斐なさのせいで自業自得だ。けれど、今青年がアメリアの軽率な行動で非難している相手は旦那様で、旦那様がいわれの無い侮辱されていると思うと、アリメアは申し訳なくて歯を食いしばる。そして、泣きそうになる顔をこらえて、膝を折り、音も無く退出しようと思って扉を閉じようとした。
「ああ、アリメア。この方はすぐにお帰りになりますからお茶はいれなくて結構ですよ」
こんな時にも、旦那様は優しくて、泣きそうなアリメアの気持ちを汲んでくれている。
屋敷にいた時も癖の強いお客様の時はさりげなく庇ってもらっていた。
でも。
「この家では、客にお茶も出さないというのか? まぁこのメイドの煎れるお茶など飲む価値も無いと思うが」
「ジークロイド=レーベンハイトナー……貴方は一体私の家に何をしにきたのですか」
旦那様はどこまでもあくまで穏やかに青年に尋ねる。
内容はともかく自身のことを話題に出されると、退出していいのか迷うアリメアに「貴女は心配せずに自分の部屋に戻っていてくださいね」と旦那様は微笑んで退出を促した。旦那様の事を心配しながら部屋の外に出ると、旦那様に言われたからには自分の部屋に帰っているべきなのだろうけれど、アリメアはやはりお客様にお茶も出さないと旦那様が侮辱されたままなのはいけないと思い、あわてて台所に行くと、いつもよりより丁寧にお茶を入れ準備をしてワゴンに乗せて居間の前に来る。
相変わらず青年は旦那様に突っかかっているようでいて、扉の向こうから荒い言葉が聞こえてきた。そして相変わらず旦那様は冷静に対応している。どうやら内容は騎士団の仕事の事のようで、アリメアにはよく理解できない。
やはり、止めておいた方がいいのだろうか。とアリメアのノックをしようとする手が震える。
もし、お茶を青年が気に入ってくれなかったら、また旦那様にご迷惑をおかけすることになる。
そう思うと、手が動かない。
旦那様の言うとおり、部屋でおとなしくしていた方がいいのだろうかという葛藤をしている間に、アリメアの耳に届いたのは……
「ふん、あの方よりもあのメイドの方にご執心というわけか」
「もしかして、仕事よりもその事が仰りたくて家にまで来たのですか? 私とセールブリア嬢はよいお友達ですよ」
セールブリア嬢……
旦那様の口から女性の名前が出てきてアリメアはどきりとする。
思考が一瞬止まってしまう。
遠くで、何か怒鳴り声が聞こえたと思うと、目の前のドアが急に開いた。
そこには目を見開いた青年が立っていた……が、ドアの前で硬直しているアリメアを認識すると目を細めてにらみつける。
「立ち聞きか」
「……も、申し訳……」
「階下の人間で主人の格が見えるというものだな」
去り際にそう言われて、アリメアは凍りついた。
お見送りも出来ずに立ち尽くしてようやく、我に返ったのは旦那様の優しく暖かい声。
「す、すみません。旦那様」
「アリメア……貴女が気にする事は無いのですよ」
「……で、でも」
不可抗力とはいえ盗み聞きをしてしまったのは事実だ。
「仕事を家に持ち込んだ私が悪いのですから、それに謝るのは私のほうですよ」
「え?」
アリメアは旦那様が謝る理由が見つからなくて、首をかしげる。
「彼はどうやら私が嫌いな様でしてね、だからあんな態度なのですよ。だから貴女は……すみません。そんな顔をさせてしまって」
旦那様は「だから」で軽くアリメアを胸に抱くと、耳元で囁く。
アリメアは自分では気づかなかったが、どうやらひどく旦那様を心配させるような顔をしていたらしい。しかし旦那様に抱擁されて耳元で囁かれると、途端耳まで真っ赤になってしまっていた。
それは幸せなはずなのに……何故か、アリメアの心にはまるで心に澱が溜まったようなうっすらとした不安が渦巻いていく。
そしてその折り重なった澱みは、旦那様が隠していたあるものを掃除中に見つけてしまったことで、溢れて誤魔化せなくなってしまう。
それは、様々な身分の方からの……旦那様をソル家の次男としてお招きする招待状だった。