第1章 神さまの声と白石くんの顔
これは前作「中2の夏に、白石くんが神様になった」の続編です。
今年の夏休みに不思議な体験をした、日向 結と白石くん。
秋から冬、そして早春に季節は進んでいく中で、さらに不思議さは増していきます。
人間の“思考”と“感情”、“魂”と“心”をめぐり、少女が成長する物語をどうぞ最後まで見守ってあげてください。
第1章 神さまの声と白石くんの顔
(1)
わたしの名前は日向 結。大阪に住んでる中学2年生。
今年の夏休みに、お友だちの白石くんと不思議な体験をして、世界が少しだけ違って見えるようになったんだ。
2026年11月7日 11時。
わたしは今、奈良県 橿原市にいる。
ここはママの実家がある町で、お祖父ちゃんの十三回忌の法事に、ママとふたりで来ているの。ちょうど土日にあたったので、一晩ここに泊まっていく予定。
妊娠して少しお腹が目立ってきたママと手をつないで、ゆっくりと駅から歩いてきた。つないでない方の手で、グレーのキャリーバッグをコロコロと引っ張ってる。
古くて、大きな実家に着くと、お庭にママのお姉さんが見えた。縁側にお座布団をいっぱい干しているところみたい。
「叔母さーん! こんにちは。来ました」
わたしが声を掛けると、
「あらー、結ちゃん、よく来たねぇ、えらく早かったんでないの」
「うん、電車が混むとママが大変だから、早めに来た」
「美沙もご苦労さん、体は大丈夫?」
「お姉さんも、お元気でしたか? 今夜はお世話になります」
「はい、はい、中に上がんなさいって」
叔母さんが玄関にまわって来て、わたしたちにスリッパを並べてくれた。
女3人がワイワイと話しながら廊下を進み、おばあちゃんの居室兼仏間へ行く。
「お母さん、美沙と結が来たよ」
叔母さんが声をかけながら襖を開けると、おばあちゃんは、長椅子に寝そべるような姿勢のまま、わたしたちを見てニッコリと笑った。
「よう、来たねぇ。遠くて疲れたろう、あんたたち」
1年ぶりくらいに会う、おばあちゃん(日向 チヨ)は85歳だけど、とても元気そうだった。
*
法事は明日の11時からこの家で行う。お坊さんがここに来て、お経を上げる段取りになってるらしい。
わたしは法事に使う部屋の掃除を手伝っていた。6畳間が3つ並んだ部屋の襖を全部取っ払ってあって、けっこう広いんだこれが。
普段は使っていない部屋なので、いろんな調度には布がかけてある。
わたしは、かけてある布を端から取っていき、調度にハタキをかけ、学校の教室よりも広いんじゃないかな、と思える面積の部屋に、がんばって掃除機をかけた。
一時間以上はかかったかなぁ。掃除を終えて台所へ行くと、ママはテーブルでお茶をいただいてた。お祖母ちゃんもその向かいに座っていて、ママとなにか話してる。
流しに向かっている叔母さんは、お昼ごはんの支度をしているみたい。お酢の匂いがして、お櫃が出てるから多分ちらし寿司なんじゃないかな。コンロにかかっているお鍋は、きっとお吸い物だ。叔母さんが小皿で味見をしている。
「よし」
と声を出した叔母さんが、お鍋の火を止める。
「お掃除ありがとうね、遅くなっちゃたけどお昼にしようかね」
「やったー、お腹すいた」
ママが「こらっ」という目で見てきたので、わたしは、ちょっと首をすくめる。
「あとはね、夕方お寺さんから人が来て、祭壇据えてくれるからね、準備はもうこれでお仕舞いだよ。ご苦労さま、結ちゃん」
お皿に盛り付けたちらし寿司を、テーブルに運びながら、叔母さんがニッコリと言った。
「ちらし寿司大好き、美味しそう!」
「お口に合うといいけど。はい、じゃ、いただきます」
「いただきます」
シイタケ、レンコン、錦糸卵、絹さやなど、淡くてかわいい色合いが踊る。そして桜でんぶ。わたし、桜でんぶが入ってるちらし寿司は、とくに大好きなんだ。
目をキラキラさせて食べているわたしを、お祖母ちゃんがニコニコと見つめている。そして、そのお祖母ちゃんをママが見つめている。
*
この家が建っているのは、橿原神宮と春日大社の中間にある丘のふもと。田んぼも多いし、人家も少ないから、日が暮れると真っ暗になる。この丘にも古墳がいくつかあるせいで、住宅地開発ができないんだって。
お祖母ちゃんも、叔母さんも、ママも寝ちゃった午後10時。わたしはまだ眠くないから、ママと一緒の6畳間のお布団を出て、台所の水道から水を飲んだ。ここの水道水は冷たくておいしい。
お勝手口のガラス窓から夜空が見えている。今夜は新月で空が暗い中、カシオペアのWが光ってる。
今年の夏の、白石くんの自由研究にまつわる、一連の出来事を経験して以来、星座を見るとつい考えちゃうことがある。
それは、白石くんがチャネリングした時現れた、あの神様の言葉。
「形はないけど、ちゃんとぼくは存在してる。
ぼくは宇宙と同じ大きさの〈思考〉なんだよ。」
それがあの時、わたしの知った〈世界の真実〉。神様の言葉を通して、わたしはそれが本当のことなんだと納得できた。
でも、それを知ったからといって、世界が大変なことになるものでもないと感じたんだ。
「神様はいつも見ているよ」ってことで、わたしにはなんの変化もない。人間が神様に操作されているわけではないし、人間のピンチに、神様が手を差し伸べてくれるわけでもない。
「神様はいるけど見ているだけ」なんだ。
人間は「神様、どうぞ見ていてください」って気持ちで生きていくしかないんじゃないかな。
わたしは、いろんな不思議なことを知りたい、ただそれだけ。
神様の言葉を思い出す時、それは白石くんの声で脳内再生される。
わたしは白石くんを思い出して、なんとなく胸が熱くなる思いで部屋に戻った。
(2)
11月8日 午後3時。
13回忌の法事が無事に終わった。
わたしは中学校の制服を着て法事に参列していた。祭壇にはお祖父ちゃんの遺影が飾られている。
5、6人の親戚と、お祖父ちゃんの生前の知人がふたり、用意されたお斎の料理を食べて談笑している。
親戚の人は、わたしに会うのは赤ちゃんの時以来だそうで、こっちには記憶がない。お祖父ちゃんの知人とも初対面だ。だからご挨拶はしたけど、お話には入っていけず、一番後ろのテーブルで、わたしはひとりで、お茶受けのおまんじゅうを食べていたんだ。
ママは一番前の祭壇の横で、お祖母ちゃんと話しているし、叔母さんは台所でお酒を用意してたり、忙しそうだ。
わたしはやることが無くて、ふたつ目のおまんじゅうを食べた。
*
隣り合って座っていた美沙と、その母であるチヨが小声で話をしている。
「美沙、結を試してみてもいいか?」
「……!?」
――チヨは離れたテーブルで、おまんじゅうを食べている結に向かい、目を閉じる。
美沙が見ていると、結は不意に顔をあげて、周囲を見渡して誰かを探している様子。
やがて、結の視線はおばあちゃんを捉え、慌てた様子で近づいてくる。
「どうしたのお祖母ちゃん、ねぇ、お祖母ちゃん」
目を閉じて座っているお祖母ちゃんの肩をトントンと叩く。
「ようわかりましたね、結、お祖母ちゃんの声が聞こえたのかい」
「結! 結!って、お祖母ちゃんがわたしの名前を呼ぶ声が聞こえて。具合が悪くなったのかと思って、びっくりした」
「ありがとうね、結。お祖母ちゃんは、なんともないよ」
お祖母ちゃんはそう言って、美沙を振り返る。目が少し微笑っていた。
「結、もうここはいいわよ。台所に言って叔母さんのお手伝いをなさい」
結が「はーい」と台所へ向かっていった。
「血筋じゃのう。あの子には、近しい関係のものと、心が通じ合う力が受け継がれている。」
「そうですか、わたしは普段から結とよくしゃべるから、とくには気がついていませんでした」
「神通力とまでは言えないがね。誰とでもというわけではない、大切に思っている相手だけ。大切に思う気持ちが強いゆえの、優しい力だ。お前にもあるでしょう、この家系の女にだけ受け継がれてきた力だよ」
「はい……」
「美沙、おまえ、宮内庁からお暇をもらったって? よくお許しが出たね」
「ええ、いろいろあって、条件付きです」
「結を、後釜に差し出せとでも言われたかい?」
「ええ、まぁ。でも、そうはならないように持っていくつもりです」
「あの子は、結は、今までのうちの女たちとは違う、不思議な本質を持っている。これも、おまえが外人さんと結婚して、新しい血が入ってきてくれたからかね」
「そうかもしれません。あの子は〈正しさ〉を求めています。世界の正しさ、自然の正しさ、人間の正しさ……。今は、それを知るための手がかり、真実、摂理、情報を知ることに、結は夢中なんです。女官としてお仕えして、お支えするということには向いていないように思えます」
「……この夏、恵我藻伏岡陵で起こった事は、昔の知り合いの筋から、私にも伝わってきたよ。ほれ、あそこで飲み食いしてる、2年前に侍従を退官した男だよ。
お前たちは大変な経験した。でも、それを知ったうえでも、私はなんの行動もできんかった。手助けもせず、ただ知って、そして見守っていた。そんな私、いや、この家の女たちのようなのような生き方では、結はきっと飽き足りんじゃろうなぁ。
求道者のごとく、自ら真実を探して生きていく。そんな運命なのかの……」
「でも、それは結にとって、辛い道だとは思いません、本人は楽しんでいるのですから」
「ふふっ、次に生まれてくる子は、どんな子だろうね」
美沙のお腹を見ながら、チヨは優しく言った。
(3)
「どれがいいかなぁ~」
橿原神宮の社務所でわたしは迷っていた。「大阪に帰る前に、橿原神宮さんにお参りしていったらどう」って叔母さんが言ってくれたので、ママとふたりで参詣した。
それで、ママの安産祈願のお守りを買ったんだけど、ついでに白石くんにも、何かのお守りをお土産にあげようと選んでいるとこ。まだ中学2年生だし、合格祈願っていうのも、なんか違うよね。
「こっちに縁結びのお守りもあるよ、結」
あんまり悩んでいるから、横からママが声をかけてきた。
「縁結び?」
「ふたつ買って、相手とお揃いで持っていると成就するんだって、ここに書いてありますよ」
「あ、相手って……」
「だって、白石くんへのお土産なんでしょ? それでいいんと違いますか」
「えっ、ご、誤解されないかな?」
「誤解じゃないんじゃないですか」
「へっ、変なこと言わないでよ、ママ」
ママにからかわれて少し慌てちゃったけど、結局わたしは縁結びのお守りをふたつ買った。
お揃いの何かを持っているっていいな、って気持ちに勝てなかった……。
ママは、ニコニコしながらわたしを見ている。
それからわたしとママは、階段を避けて、ゆるい坂道の方から降りていった。つないでいるママの手が、柔くて気持ちいい。
「産まれてくるのは何月だっけ、ママ」
「そうですねぇ、来年の3月あたり。ちょうどお彼岸の頃じゃないかな。ママね、産むときは、またこっちに戻って来ようと思ってるの」
「ふるさと出産? わたしも立ち会いたいのになぁ」
「春休みになってるんじゃないですか、その頃は」
「そっか、そうだといいね。パパもいっしょに来たいと思うよ」
「そうですねぇ」
話しながら、ゆっくりと進むわたしたちふたりを、木陰からじっとみている男たちがいることなんて、わたしはその時、全然気がついていなかったんだ。
(つづく) 8月2日 07:00投稿予定