037 ミレイ⑦
「ライル様……」
さすがのミレイも顔面を真っ青にして固まる。
相手が格下の貴族といえども、今の状況は圧倒的にまずい。
「これは、その、えっと……」
必死に言い訳を考えるミレイ。
それに対し、アルベルトが「やめましょう」と言った。
「言い逃れはできますまい。ライル様はしばらく前から話を聞いておられた。既にミレイ様の悪事について確信していますよ」
「え?」
「気づいておられたのですか?」とライル。
「年老いても人の気配には敏感なもので。戦場にいた頃の感覚が完全には抜けていないのでしょうな」
「すごい……。自分では気配を殺しきっていると思っていましたが」
ライルが盗み聞きを始めたのは、ミレイが花瓶を割ってすぐの時だ。
扉に背中を張り付けて、ひたすら聞き耳を立てていた。
ミレイには何か隠していることがある――。
以前から、ライルはずっとそう感じていた。
だが、それが何かは全く分からなかった。
結婚相手に自分を選んだことと関係あるかもしれない――。
そう思って調べたことがある。
結果、以前はフリックに熱中していたと判明。
同時に自分が妥協の末に選ばれた相手なのだと分かった。
しかし、そのことに対しては何も思わなかった。
貴族の政略結婚に妥協はつきものだから。
ただ、ライルはどうにかしてミレイに笑ってもらいたかった。
たとえ政略結婚であろうと、お互いに楽しく過ごせるほうが絶対にいい。
何か不満があるなら、解消できるよう協力してあげたいと思っていた。
話を盗み聞きしていたのは、そうした理由からだ。
ミレイの悩みを知り、密かに解消の手助けができればと。
まさかアイリスに悪意を抱いているとは思いもしなかった。
「ミレイ様、お話していただけますね?」
ライルが改めて言う。
「えっとぉ……そのぉ……これはぁ……」
ミレイは何も言えなかった。
この期に及んでも形勢逆転の方法を考えている。
起死回生の一手があるはずと思えてならない。
「やれやれ、これでは夜が明けてしまう。私が話しましょう」
「勝手なことをしないでアルベルト!」
慌てて止めるミレイ。
「ライル様は、アイリス殿を雇っているフリックスという男の正体をご存じですか?」
「いえ……。ただ、聞こえてきた話からおおよそ察していますが……」
「おそらくお察しの通りだと思いますが、念のために明言しましょう」
「アルベルト!」
ミレイが怒鳴るが、アルベルトは完全に無視した。
「フリックスの本当の名はフリック・バーンスタイン。ロバディナ王国の第五王子です」
「やはり……! あの方がパソコンや自動車を発明したフリック様だったとは……!」
「ミレイ様がアイリス殿を嫌っているのは、早い話が嫉妬ですな」
それからアルベルトは、ここに至るまでの話を行った。
ミレイの思惑や、アイリスに対して行ってきた悪事の詳細について。
フリックス農園に行った理由が、アイリスではなくフリックだったことも。
もちろんミレイがアイリスを絞殺しようとした件も隠さなかった。
「やめて……! もう、やめて……!」
アルベルトが話している最中にミレイが崩れ落ちた。
両手を頭に当てて、泣きながら床に伏せる。
打算ではなく自然に出た反応だ。
この先に待っているであろう自分の運命を想像して絶望した。
アイリスやライルに対する罪悪感などは一切ない。
「――とまぁ、こんな感じです。もしもライル様がこの件を公にすると言うのであれば、その時は私を証人にしてください。今と同じ話を国王陛下の前でもいたしますので」
「ありがとうございます、アルベルト様」
「いえ、今まで申し訳ございませんでした」
「アルベルトォオオオオオ!」
ミレイは目を真っ赤にして立ち上がった。
そのままアルベルトに飛びかかり、必死に腕を伸ばして首を掴む。
かつてアイリスにしたように、アルベルトの首を絞めた。
ただ、今回は押し倒すことができなかったため立った状態だ。
「どうして私を裏切った!? どうしてライルの存在に気づいていながら黙っていた!? 忠誠心はどうしたのよ! 忠誠心は!」
「私の忠誠心はロバディナ王国にある。アイリス様、あなたは只の雇用主だ」
アルベルトはミレイの手を払いのけた。
「醜い……」
ライルは悲しそうな顔で呟いた。
「全くもって同感です。それでライル様、この件、どうされますか?」
アルベルトが尋ねると、ライルは迷わずに答えた。
「この婚約を破棄したいです」
「婚約破棄だとぉ!?」
ミレイがギッとライルを睨む。
「はい。具体的なことは伏せる形でかまいませんので、ミレイ様に責任があったため婚約を解消するに至ったと発表したいです」
「それは……」
ミレイの言葉が弱まる。
思っていたよりも優しい判断だと思ったからだ。
てっきり公の場で悪事を公表されるのかと思っていた。
そうなったらおしまいだ。
とはいえ、自分に責任があったとされるのは痛い。
原因を公表しないことで様々な憶測を招くことは確実だ。
間違いなく人生の汚点になる。
「どうにか円満な形で解消したことになりませんか? 例えば価値観の違いなどで、話し合いの末に、とか……」
ミレイは交渉を試みた。
ライルの優しさに付け込んで好条件を引き出す狙いだ。
「受け入れられません」
ライルは即答だった。
「どうしてですか? 私に責任があると明言したとしても、少なからずカークランド家の名に傷がつきますよ。それにロバディナ王国の貴族と揉めるのは望ましくないのではありませんか」
「仰る通りですが、こう見えて私は強い憤りを抱いておりますので、そういった損得だけでの判断はできません」
「いったい何に対して怒っているのです? 私が妥協相手としてあなたを選んだことですか?」
「いいえ、アイリスに対する振る舞いに怒っています」
「あの女がどうだと言うのです。さも恋愛関係にあったような口ぶりですが、あなた方の婚約はカークランド家の伝統であるパフォーマンスでしょう。そんな女のために腹を立てるなど愚の骨頂では?」
「たしかに私とアイリスの間に愛はなかった。しかし、友としての絆がある。それを穢すことは許されない」
「何が絆ですか、バカバカしい。頭を冷やしなさい」
「……本当にいいのですか?」
ライルは間を置いてから尋ねた。
「いいとは?」
「私が頭を冷やしていいのかと訊いているのです」
「どういうことですか?」
「頭を冷やせば、きっと私はカークランド家のために動くでしょう。そうなると、あなたのしたことを全て公表し、完全な潔白を証明することになります。それでもいいのですか?」
「ぐっ……」
本人の言葉通り、ライルからは怒りが感じられた。
真夜中の海の如く静かで、そして嵐のように激しい怒りが。
「ライル様のお言葉通り、私に責任があったことを認めて婚約を破棄します。なのでどうか、詳細の公表はお控えください……」
ミレイは交渉を諦めた。
最高ではないが最善の手だと判断したから。
「分かりました。今日はもう遅いので、明日、婚約破棄の手続きを行いましょう」
「はい……」
「それでは、自分はこれで失礼します」
ライルが部屋を出て行く。
「ミレイ様、今までお世話になりました」
アルベルトもそれに続いた。
「全部失っちゃった……」
自分しかいなくなった部屋で、ミレイは呟く。
「どこで間違ったのかな、私……」
誰もが羨む容姿。
ロバディナ王国の伯爵令嬢という地位。
その気になれば時代の王妃にだってなることができる。
比類なき完璧な人生を歩んできた。
なのに、ここに来てとんでもない汚点ができた。
「こんなの……耐えられない……」
ミレイはのそのそと動き出した。
果物用のナイフを手に取り、カーテンを縦に切っていく。
細長い状態を何本も作ったら、束ねて紐にした。
それを首に巻き付けて窓を開ける。
「一番じゃないなら、死んだ方がマシよ」
そして、ミレイは部屋から飛び降りた。
カーテンが彼女の首を絞め、へし折り、即死させる……はずだった。
「あっ」
幸か不幸かそうならなかった。
首に巻き付けただけで括っていなかったからだ。
ミレイはカーテンに締め付けられることなく地面に落ちた。
もちろん着地に失敗した。
左足首の骨が粉砕して、地面に顔面を強打する。
しかし、一命は取り留めた。
「自殺することもできないなんて……無様ね……」
駆けつけてくる使用人やアルベルトを見ながら、ミレイは涙を流した。
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