023 怒りの伯爵令嬢
私とライルの心配は杞憂に終わった。
だが、何事もなかったのでなによりだ。
家でライルと話している時、私は気が気でなかった。
フリックスがミレイに無礼な態度を取らないかどうか。
どうやら変人の彼にも場を弁えることはできるらしい。
やればできるじゃん、と心の中で笑った。
「フリックス殿、アイリスから伺ったのですが株式投資を嗜んでおられるとか?」
ライルが言うと、フリックスは「はい」と口角を上げた。
「なにぶん新しいものには目がない性分でして」
「よろしければ私に見せていただけないだろうか。実は私も新しい物には目がなくて、前々から自動車やパソコンには興味があったのだ。ブルーム公国には車がないというのに免許もとっているくらいでね」
「それはすごい。では先に自動車のほうから体験されてはいかがですか?」
「よろしいのか?」
「もちろん。伯爵家のご令息とあらば、不慮の事故で壊れてもしっかり弁償してくれるでしょう」
「ははは。抜け目ない方だ。ただ、一人では不安だから同乗していただけないだろうか」
「分かりました。よろこんでお供させていただきましょう」
「すみませんミレイ様、少しだけ羽目を外させていただきますこと、何卒ご容赦のほどを……」
ライルがペコペコと頭を下げる。
「ええ、お気になさらず。私はアイリスと家で待っていますから」
そう言うミレイの顔は、何だか生気がなかった。
ここまでの長旅で疲れているのかもしれない。
ブルーム公国の伯爵領からこの町まではかなりの距離がある。
「アイリス、くれぐれもミレイ様に迷惑をかけるなよ」
「それは私のセリフですよ! ライル様に迷惑をかけちゃだめですからね!」
笑いながらフリックスに返す。
「いやぁ、アイリスとフリックス殿は気があっておられる」
「嫉妬しますかな?」とフリックス。
「いえ! 自分にはミレイ様がいますので!」
ライルは恥ずかしがることなく言い放った。
フリックスが「素晴らしいですね」と微笑む。
「もっとも、仮にミレイ様がいなかったとしても、俺は嬉しい気持ちでいっぱいだったと思う」
「それはどうしてですかな?」
「俺といる時のアイリスは、今ほど楽しそうではなかったので」
「ライル様――」
私は慌てて口を挟もうとするが、ライルは気にせず続けた。
「とはいえ、決して嫌そうだったわけではありませんよ。俺とアイリスは良き友とでも言うべき関係だった。いや、“だった”ではなく、今もそういう関係だと俺は思っている」
「なるほど。友が嬉しそうにしていれば自分も嬉しい、というわけですな」
「いかにも」
「ライル様の器量の大きさには恐れ入ります」
「本当ですよ! フリックスさんとは大違いですね!」
ライルが「ははは」と笑った。
「それではフリックス殿、参りましょう」
ライルとフリックスが車に乗り込み、中心部とは反対側の舗装されていない道へ進んでいく。
「えーっと……ミレイ様、中に入りましょうか?」
ぼんやりと佇むミレイに声を掛ける。
二人きりになったことがないので気まずかった。
「そうしましょう」
ミレイはスタスタと歩いて中に入る。
「居間はこち――」
「部屋はどこ?」
「え?」
「フリック様のお部屋よ」
「フリック様?」
私が聞き返すと、ミレイは顔をハッとさせた。
「失礼、言い間違えたわ。フリックスさんのお部屋よ」
「パソコンのある作業場のことですね! それなら――」
「違う、寝室よ」
「寝室ですか」
「案内してちょうだい」
なんだか高圧的で怖い。
しかし、この国の伯爵令嬢様に逆らうことはできない。
それに伯爵令嬢様が何かしでかすとは思えなかった。
「わ、分かりました。フリックスさんの寝室は二階にあります……」
ミレイは「そう」と答えて階段を上がっていく。
私はビクビクしながら続いた。
「どの部屋?」
二階には複数の部屋がある。
ミレイは上がってすぐの廊下で立ち止まった。
そのせいで、私は階段から進めない。
「あ、あの部屋です」
私が答えると、ミレイは何も言わずに歩き出す。
(どう見ても怒っているけど……私、何かしちゃったのかな?)
心当たりがなかった。
というか、絶対に私は何もしていない。
何かしようにもする余地がなかったからだ。
(やっぱりフリックスさんが何か粗相をしでかしたんだ!)
帰ってきたら話を聞いて、場合によっては厳重注意だ。
そんなことを考えている間にも、ミレイはフリックスの部屋に入った。
「これが彼の部屋……」
「そ、そうです。散らばっていてすみません……」
フリックスの部屋は、どれだけ掃除をしても床に物が散らばっていた。
大量の資料が散乱し、昨日着ていたパジャマや下着が脱ぎ捨てられている。
毎日掃除させられる私からすると憎たらしい部屋だ。
この部屋、内装自体はシンプルだ。
なんとベッド、クローゼット、本棚の三点でのみ構成されている。
ベッドはダブルサイズで、本棚には書物ではなくファイルが並んでいた。
ファイルの中身は手書きの資料で、書き殴っていて彼にしか読めない。
クローゼットには最低限の着替えが入っていた。
「彼の匂い……」
驚いたことに、ミレイはベッドの匂いを嗅ぎ始めた。
枕を手に持ってクンクンしたと思いきや、掛け布団の匂いまで。
「ミレイ様、何を……」
恐る恐る近づく。
すると――。
「きゃ!」
突然、ミレイが振り返って私の手首を掴んだ。
そのまま強引に引っ張ってベッドに押し倒す。
「ミレイさ――」
驚くのも束の間、ミレイは私に跨がった。
そして、両手で首を絞めてきた。
評価(下の★★★★★)やブックマーク等で
応援していただけると執筆の励みになります。
よろしくお願いいたします。




