3 ある日それはトラックのように3
僕はいつもと変わらない光景の通学路をゆっくりと歩く。
この桜はそろそろ満開になりそうだな、たんぽぽの綿毛が飛ぶ季節になってきたな、なんてぼんやりと考えながら歩く。
こんなとりとめのないことを考えていると、後ろから女性の悲鳴とけたたましいクラクションの音。
(あれ、前もこんなことあったな)
デジャブを感じながら振り返ると、そこには前回と違いトラックの姿はなかった。
そこにいたのは、
「私の最初のお友達になってください!」
猛然と手を差し出しながら駆け寄ってくる度会さんの姿があった。
「おわっ! ......夢か」
スマホのアラームの音で目が覚める。時間は朝の5時30分。
まぶたはまだ重いが、無理やりベッドから出て伸びをする。
(知り合いが出てくるのは初めてだな)
中学3年生の頃から、テンションが上がらない日、ストレスを強く感じた日などに妄想や想像の中で自分の死を考えるようになった。
自殺まではいかないが楽になりたい、消えてしまいたい時の現実逃避として散発的に僕の頭をこの考えが支配する。
それが度会さんの姿になって夢に出てくるとは。
結局あの友達宣言の後、会話をせず逃げるように帰ってしまった。
唐突過ぎて脳が処理しきれていない。
事故にあった人の気分はこんな感じなのだろう。
僕は気持ちを切り替えるように朝のルーティンに取り掛かる。
まず起きたら顔を洗って、プロテインを水で溶いてのどを潤す。
歯を磨きながら目的もなくスマホを弄る。
脳が覚醒してくるのを感じながら、米を研ぐ。1時間後に炊き上がるように炊飯器をセットする。
洗濯のあとに畳まずハンガーラックに吊るしたままにされていたジャージに寝間着から着替える。
靴ひもをしっかりと結び、外に出る。
学校とは反対側にある、歩いて10分ほどの公園に体をほぐしながら向かう。
1周500mの公園で8㎞ランニングする。
それが僕の毎朝の日課だ。
ランニングはいい。無駄な思考がそぎ落とされ、いかに自分の体を効率よく動かすかだけに意識がフォーカスされていく。
「スゥ、スゥ、ハァー」
息を吸って吸って吐く、リズムよく繰り返すことによってテンポを作っていく。
腕の振り方は肩甲骨周りを動かすように振る。
脚はへその下に力を入れて、足の裏全体でしっかりと地面を踏みしめる。
体が温まるにつれてペースも速くなっていく。頭の中が走りだけに集中していく。
雑音は消え、静寂に満ちた頭には自分の呼吸だけが大きく響く。
「スゥ、ハァ、スゥ、ハァ」
ペースをどんどんと上げていく。呼吸が制御できなくなってリズムが荒れ始める。
最後の1㎞になるとスパートをかける。
頭の中はついに呼吸と体の痛みだけになる。世界は地面と自分の体だけのように錯覚する。
「ゼェ、ハァ、ゼェ、ハァ」
走り切った後、膝に手を突き肩で呼吸する。
雑音が世界に戻ってくる。散歩する犬の鳴き声、早起きの老人たちの会話、鳥のさえずり。
呼吸が落ち着いてくるころにはゆっくりと歩き体のこわばりをとる。
気持ちのいい充足感と、乳酸でいっぱいになった体を引きずりながらアパートに戻る。
(時間ギリギリになるように家から出よう)
シャワーを浴びてサッパリとした気分で朝食を食べる。
どうせ早く行ったところで自分の席は度会さんと会話したい人たち――主に伊集院さんあたりで埋まっているだろう。
それに度会さんとどう接すればいいか分からない。
友達になりましょうはいなりましたー、と言われても困る。
朝食を食べ終わり、余った米で昼食用のおにぎりを作る。シンプルな塩おにぎりだ。
学校の準備を終え、スマホでも眺めて時間をつぶそうとしたとき、インターホンの音が鳴った。
「悠ー、学校行こうぜー」
加藤の声がする。
加藤はたまに、呼んでもいないのに迎えに来る時がある。
「あんまり早く学校に行きたくないんだけど」
「ゆっくり歩きながら行けばちょうどいいって、それより昨日のこと教えてくれよ」
このまま話していると部屋に上げろと言ってきそうだ。
それは嫌なのでため息をつきながらカバンを持ち外に出る。
加藤が笑顔で待ち構えていた。
「おっはー。度会さんキレイだったよな、悠緊張せず学校案内できたか?自分のペースで歩いて無理矢理案内してないよな、すごい細かったから男のペースで歩くと辛そうに見えたぜ」
加藤がまくし立ててくる。加藤はいいやつだが、若干おせっかい焼きの気質がある。
「おはよう、ちゃんと相手のペースで歩いたよ。メモも取ってたし、無理に歩かせたりはしてない」
「そっか、学校案内以外にも何か話したのか? 悠のことだから案内だけしたらちゃっちゃと帰ろうとしてそうだな~」
「......まぁ、少し話したよ」
偏見だと言いかけたが実際帰ろうとしたこと、そして昨日の会話をなんと伝えたらいいか迷い曖昧な言葉でごまかしてしまう。
「お、なんかあったな。そういう顔だ」
「なんか友達になってくれって言われた」
どんな顔かと突っ込もうとしたが面倒くさいので事実だけ伝える。
「おぉ、思ったより積極的な子だな。紹介された時はもうちょっとおとなしい感じがしたけど。それで?悠はなんて返したんだ?」
「......お願いします、しか言えなかった」
「だっはっは! 小学生でももう少しましな会話するぜ、悠」
加藤は体を大きく揺らし喉を震わせ無邪気に笑う。
「うるさい、面食らったんだよ、仕方ないだろ」
少しイラっとしたので加藤を置いていくように早歩きで学校に向かう。
人との距離感を慎重に測る僕にとって、あの迫り方は対応しづらい。人付き合いは苦手だ。
加藤とこういった会話をできるのも中学時代からある付き合いの長さのおかげだ。
クラスの人間には1年経った今でも敬語で話すぐらいには馴染めていない。
「あぁ、バカにしてるわけじゃないんだ悠。ただ、ちょっと面白くてさ」
「余計に腹がたつわ」
加藤が走ってきて肩を揉む。いまだに笑っているせいか、目には少し涙が溜まっている。
あぁ、朝のランニングの静寂が恋しい。
そんな他愛もない会話をしていると学校に着いた。
少し早歩きしたせいか、ホームルームの時間には5分ぐらい早い。
教室の扉を開けると予想通り、度会さんの周りには人だかりが出来ている。
自分の机にも伊集院さんが腰を掛けて仲良く皆と話している。
行きにくいなぁ、なんて考えているとこちらに気が付いたのか度会さんが挨拶をしてくる。
「悠さん、おはようございます!」
あぁ、分かった。この少女に距離感を測るなんて感情はない。
エンジンフルスロットルで踏み込んでくる彼女に僕は苦笑いしか出てこなかった。