28 僕を見ろ
「度会こねぇな」
「風邪かなぁ、LINEも電話も連絡つかないや」
夕方、約束の時間に僕と加藤と伊集院さんで度会さんを待つ。
もう電車一本分遅らせているが、それでも音沙汰がない。
あれだけ楽しみにしていたのだ、当日に理由もなしに欠席するはずがない。
嫌な予感がする。
無意識に手がネックレスの指輪をさする。
「とりあえず、僕が様子見てくるよ。2人は先に会場に行ってて」
「私も行くー!」
「会場に松下さんと林藤さんもいるんでしょ?それに大人数で行くのも迷惑だよ」
「それもそうだ。悠、頼んだぜ」
2人から別れ、1人度会さんの家に早足で向かう。
下駄なんて履いてくるんじゃなかった。走ることができない。
度会さんと歩いていた時はあっという間に感じた道も、今は無限に続く道のように感じる。
下駄の鼻緒がすれた痛みが、余計に苛立ちをつのらせた。
度会さんの家でチャイムを鳴らす。
玄関から見える限り、人が居そうな気配はしない。
「すみませーん、和知ですけど!どなたかいませんか!」
再度チャイムを鳴らす、反応はない。
(度会さんもご両親もいない......)
最悪の想像に冷や汗をかく。
ご両親との予定がブッキングして、たまたま連絡が取れないだけだろう。
楽観的な考えが事実だったらいいなと思いながら、もう一度声をかける。
「すみませーん!だれか――」
「あのぉ......」
僕の声を誰かが遮った。
振り向くと老婆が心配そうな顔をしてた。
「あんた、見たところ学生さんだけど、この家の娘と知り合いかい?」
「はい、そうですど......」
「昼間にな、この家のお嬢ちゃんが救急車で運ばれていっちまったんじゃ」
「は?」
「ご両親も一緒に救急車に乗っておったから、病院にいるはずじゃよ」
頭が真っ白になる。
度会さんが救急車で運ばれた?すんなりと言葉が頭に入ってこなかった。
「どこの病院か分かりますか!」
気が付いたら老婆の肩に掴みかかっていた。
怯えるように老婆は答える。
「多分、公園の方じゃ。あの赤い屋根のびょ――」
「ありがとうございます!」
その病院なら、ここからなら走って30分もかからないはずだ。
それだけ聞いて病院に向かい、駆け出そうとして転ぶ。
下駄の鼻緒が切れていた。
「こんなもんいらねぇ!」
下駄を脱ぎ捨て、はだしで走りだす。
石を踏む痛みに顔が歪むが、それでも走り続ける。
別に重症じゃないかもしれない。命にかかわるようなことじゃないかもしれない。
今、僕が病院に行っても何もできないかもしれない。
ただ、それでも走ることをやめられなかった。
フォームはぐちゃぐちゃでテンポも悪い。
足裏はずっと痛みを訴えている。出血しているかもしれない。
それでも、今までの人生で一番必死に走った。
(度会さんの顔が、目がみたい)
いつものように、瞳をらんらんと輝かせた彼女の笑顔を見たい一心だけだった。
病院にたどり着いて、受付に向かう。
「今日度会 玲さんがここに運ばれませんでしたか!」
「すみません、患者さんの情報は教えられない規則です」
「そこをなんとか!お願いします!」
カウンターに頭をこすりつける。
意地でも教えてもらうまで動かない意思を示す。
「......はぁ、201号室です」
「え?」
「度会さんは201号室に居ます」
「ありがとうございます!」
受付が諦めたように教えてくれる。
僕はまた、病室に向かって走り出す。
201号室、度会のネームプレートを確認して部屋に入る。
窓際のベッドで、遠い目をした度会さんが座っていた。
肩で息をする僕に気が付くと、驚いたような顔をして、すぐに下を向いてしまう。
「悠さん、お祭りはどうしたんですか」
「度会さんと連絡が取れないから僕だけ抜けてきた」
「そうですか。すみません、私のせいで」
彼女は俯きながら、シーツを握りしめる。
声も少し、震えている。
「重症ではないんですよ。たまたま発作が起きて、両親がテンパっちゃって。吸入薬が効く前に救急車呼んじゃって」
「重症じゃないのか、良かった」
最悪の想像が実現しなかったことにホッと一息をつく。
「心配かけちゃいましたね、でももう大丈夫です。両親もそろそろ戻ってくると思うので、お祭りに戻ってください」
相変わらず僕の方を見ないで話し続ける。
いつもなら、僕が嫌がっても目を見つめてくるのに、今日は顔すら見ようとしない。
本当に大丈夫なら、いつものように僕を見てくれ。
彼女のベッドに向かって僕は歩く。
「いや!」
歩く途中で度会さんから拒絶の声が響く。
僕は気にせず歩き続ける。
「大丈夫です!大丈夫なんです!だから帰ってください!」
彼女のベッドの近くまで歩く。
度会さんの顔を見るように僕は彼女の頬に手を伸ばす。
持ち上げた彼女の顔は、瞳は涙でぐちゃぐちゃになっていた。
彼女は僕の手を払って、手で顔を覆う。
「見ないで、今の私を見ないで......」
彼女がボロボロと泣き始める。
今まで取り繕っていた声も、今はもう完全に震えを隠しきれていない。
「悠さんにだけは、喘息の私を知らないでほしかった。本当の私だけ見ていてほしかった!」
お花見の時の話を思いだす。
『喘息の度会玲』という偏見で見られるのは、彼女にとって苦痛だ。
偏見のない僕の目が、喘息の度会さんを見て、変わってしまうことを怖がっている。
「悠さんは優しいから、きっと今までと同じように付き合ってくれるかもしれないです。でも、もうただの私じゃない!『喘息の度会玲』になっちゃった!」
彼女は今まで向けられてきた同情の視線を、僕がしていると思っているのだろう。
その決めつけに、無性に腹がたった。
「ねぇ、僕を見てよ」
「いや!同情も哀れみも、もういや!」
「僕を見ろ!」
度会さんの両手を無理やりどかして、顔を覗く。
彼女の怯えるような瞳と目が合う。
「僕の目には、なにが映っている?」
「......え?」
「僕の目は、ちゃんと度会さんが映っていると思うよ」
度会さんが転校してきてから、今までを思い出す。
学校案内をしたとき、急にお友達になってくれって言われたのビックリしたな。
桜の木の下で佇む彼女はキレイだったな。
風邪のとき、手を握ってくれたこと、許してくれたこと、嬉しかったな。
ネックレスを交換してからずっと、この指輪の重さを実感しているな。
彼女が来てから、ずっと、ずっと彼女を見てきたんだ。
「僕の目はずっと、度会さんを見ているよ」
度会さんは少し目を見開いて驚いた後、また目を伏せてしまう。
「でも、こんな私じゃ、本当の私じゃ――」
「受け入れるよ」
かつて、彼女が僕を許してくれたように。
お転婆だろうが、突拍子もなかろうが、喘息だろうがなんだって。
「度会さんのことなら、全部受け入れるよ」
「なんで、なんでこんな私を」
「だって、好きだから。いつもみたいに、笑ってほしいから」
本心を包み隠さず言う。
きっと、彼女と出会わなければ僕は変われなかっただろう。
ずっと、平穏無事という停滞した学校生活を送っていただろう。
人を好きになることは、なかっただろう。
度会さんが震える声でつぶやく。
「......こんな私でもいいんですか」
「どんな度会さんでもいいよ。度会さんがいいんだ」
度会さんが僕に抱き着いてくる。
またぼろぼろと涙をこぼし大声で泣いている。
窓から小さい光が差し込んでくる、花火が始まったようだ。
「2人で花火をしようよ。プールもいいかも」
泣く彼女の頭をなでる。
笑顔が見たかっただけなのに、結果的に泣かせてしまったなぁ。
「目的なんてなくてもいいか、いつもみたいにぶらぶらしよう」
泣きながら彼女がうなずく。
たくさん泣いたあと、少し落ち着いた彼女が喋る。
「私も」
「うん」
「私も、悠さんがいい。私を見てくれる、悠さんがいい」
度会さんの瞳が僕を見つめる。
ガラスのような黒目が、涙で潤んで輝いている。
2人して少し見つめあって、お互いに笑う。
彼女が僕に向かって手を差し出す。
初めて、教室で2人きりで話した時を思い出す。
「悠さん、私の最初の恋人になってください」
あのときはちゃんと返事が出来なかったけど、今日は自分から度会さんの手を取る。
あのときは目を見ることができなったけど、今はちゃんと見つめあう。
「これからも、よろしくお願いします」
「はい!お願いします」
いつものようにらんらんと瞳を輝かせて笑う度会さん。
「ねぇ悠さん、お願いがあるんですけど」
「僕のできる範囲でなら、いいよ」
いつものように決まったやりとりをする。
「玲って、下の名前で呼んでほしいです」
「......少し恥ずかしいからいやだな」
「ダメですか?」
答えは決まっている、僕は度会さんのお願いにノーと言えたことはないのだ。
「......玲」
「もう一回お願いします!」
「玲」
「はい!何ですか悠さん?」
からかうように彼女は笑う。
一方的にからかわれるのは恥ずかしい、言い返してやろう。
「ねぇ玲。僕は好きって言葉にしたけど、玲はしてくれないの」
「え、あ、え」
「はは、顔真っ赤だよ」
「......悠さん、大好きですよ」
「え」
「ふふふ、悠さんも真っ赤ですよ。相変わらず分かりやすいですね」
そうやってまた2人で見つめあって笑う。
きっとこの先も、彼女に振り回され続けるのだろう。
ただ、それでもいいと。それがいいと思ったのだ。
握った手の暖かさが、とても心地よかった。
「悠さん、次はどこに行きましょう」
「どこでもいいよ、玲のやりたいことをしよう」
きっと2人なら、なにをしても楽しいから。
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