乂阿戦記1 終章 これは始まりの物語の終わりの闘い-16 大魔王アザトース
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混乱の戦場、人波が渦を巻く中――ミリルの小さな手が、誰にも気づかれぬまま、群れの隙間をすり抜けていった
ミリルが気がついたとき、彼女は誰の姿もない通路にひとり、立っていた。
瓦礫が散らばる、低く湿った通廊。天井は低く、空気は重く、冷えた石の床が体温を奪っていく。
ミリルは膝を抱え、身を震わせながら、嗚咽を漏らしていた。
「……雷音……雷華……白ちゃん……どこ……?」
呼びかける声は震え、誰からも応えはない。
それが、なにより恐ろしかった。
「……みんな、どこぉ……」
そのとき、不意に耳を打つ異音。
低く、ねっとりとした“声”――いや、“呪詛”だった。
合唱のように重なり合う女たちの唄。それは、大気そのものを穢すような、異形の調べ。
「暗黒のファラオ万歳。ニャルラトテップ万歳。くとぅるふ・ふたぐん……」
呪いとしか言えぬその祈りに、ミリルの背筋が粘つくような寒気に包まれる。
(この声……この言葉……知ってる……!)
振り返ってはならない。近づいてはならない。
なのに――懐かしさのような、忌まわしい引力に、抗えなかった。
身体は勝手に動いていた。音のする方へ――まるで見えない糸に引かれるように。
辿り着いた先は、半円状の祭壇。岩盤を削って造られた空間の中央に、それはあった。
祭壇の前には、三人の女。
露出の多い衣装に身を包み、ピンク、オレンジ、ライトブルーの光に染まった彼女たちの瞳は、焦点を結ばず、狂気と恍惚に揺れていた。
ナイアの側近。三体の上級サキュバス――異界に仕えし“神の巫女”。
ピンクは媚びるように微笑み、オレンジは陶酔に頬を染め、ライトブルーは虚空を見上げて狂気に震えていた
その足元に描かれた魔法陣には、奇怪な幾何学と文字が重なり、青黒い光を放っている。
「……ニャルラトテップ様、いと尊き御方よ。今ここに顕現あらんことを……!」
「……いでよ、偉大なる我らが王……!」
その瞬間、祭壇に刻まれた印が、赫々と輝いた。
三体のサキュバス。その腹が、異様に膨れ上がっていく。
「――あ……っ」
ミリルは思わず、息を呑む。
彼女たちの腹部には、燃え盛る眼の紋章が浮かび上がっていた。地の底より這い出した呪いの象徴。
次の瞬間――
「アアアアアアアアッ!!」
「ヒギィ……ッ!!」
「アグゥゥゥゥ!!」
絶叫とともに、腹部から“何か”が滲み出る。
白濁とした粘液、そして――触手。
蠢くそれらの先には、眼。牙。笑み。
「あ……あは……あはははは……!」
その声は、かつて倒されたはずの、あの邪神――ナイアルラトホテップのものだった。
触手は絡まり合い、人型の“何か”へと成形されていく。
――そして、それは立ち上がった。
人に似た、神にも似た、悪夢のごとき“神性”。
「やぁ、危なかったねぇ! サキュバスたちに“保険”をかけておいて大正解だったよ!」
「部下の胎に私の分身を仕込んでおいたんだ。こういう時のためにね!」
その笑顔は骨のない仮面。愉悦に満ちた邪神は、降臨を果たしていた。
ミリルは物陰に身をひそめ、震えていた。声は出ず、喉が凍っていた。
(だめ……動けない……このままだと……!)
「……見ぃつけた」
その囁きとともに、三眼がミリルを捉える。
「――ひっ!」
目の前に立つナイアが、少女の身体を掴み、そのまま――
放り投げた。
重力のない夢の中を漂うように、ミリルの身体は宙を舞い――
触手に塗れた祭壇の中央へと、堕ちていく。
……十字に磔にされるような姿勢で、彼女の四肢を押さえたのは――
三体のサキュバスたちだった。
「や……やだ……!」
声は届かない。
額に、唇が触れる。
ピンクのサキュバスが、無言で魔印を刻んだ。
(なに……これ……頭が……熱い……!)
脳内に甘い霧が流れ込む。身体が火照り、息が荒れる。
「……んっ、や、だ……!」
抗う意思とは裏腹に、力は入らない。現実感が剥がれていく。
邪神ナイアが、近づいてきた。
「ねえ、ミリル姫。悪いけど、君にも“保険”になってもらうよ」
「もうサキュバスには産ませられない。でも――君の魔力なら、一人でもいける」
「神を受胎する器。それが、君だ」
空間が裂けた。
粘膜と触手の闇が、滴る粘液と共に彼女へと迫る。
「怖がらないで。君には“永遠の快楽”を与えてあげる。人間の限界を超えた悦びをね――」
「……やめて……やめてぇ!!」
少女の絶叫は、虚空に溶けた。
その時――
“音”が鳴った。
“パチン”
指が、鳴らされた。
その合図一つで、世界が変わった。
――触手が消える。
――サキュバスが掻き消える。
――魔方陣すらも、最初から“なかった”かのように。
そこに現れたのは、一人の“青年”。
銀白の髪、白磁の肌、光翼と天輪を抱いた、聖なる気配の存在。
少年のようでいて、神々しさを纏うその姿。
「――この子への狼藉は、見過ごせない。
これは、私の“お気に入りの夢”なのだよ」
ナイアルラトホテップは、声を失った。
「……貴様、何者だ……?」
青年は、静かに微笑む。
「……久しいな、ニャルラトホテップ。現世を楽しんでいるようで、何よりだ」
――この時。
ナイアはようやく気づく。
その姿、その気配、その名を。
「……貴様……リーン・アシュレイか……!?
馬鹿な……アシュレイ族の神子が、なぜ……こんな所に……!」
ナイアの三眼が見開かれ、憤怒と焦燥が入り混じった声が場を揺らす。
「いや、それ以前に……このドアダ秘密基地に、どうやって入った!?
ここは、“外”からの侵入はできない構造のはず……!」
動揺する邪神を前に、リーンは静かに、腕を動かす。
その掌には――一本の“銀の鍵”。
「門を通っただけだよ。この《窮極の門》をね。
この銀の鍵を使って」
その言葉を聞いた瞬間、ナイアの思考が止まった。
「……その門は……あの門は……
ヨグ=ソトースの許可がなければ、開かぬはず……!」
リーンはゆっくりと一歩を踏み出す。
その足音が、空間の軋みを呼んだ。空気が揺れ、現実がたわむ。
「……その通り。
だが、私は“許可”を必要としない」
「ヨグ=ソトースも、私に“許可”など求めたりはしない。
なぜなら、私は――」
ナイアの顔から、言葉が抜け落ちる。
理解が、否定に変わり、否定が、やがて恐怖へと転じる。
そのとき――
「……無貌の神よ。不敬であるぞ」
低く、地を這うような声。
リーンの背後、闇の帳がめくれたように現れたのは、漆黒のローブを纏う者。
その者は、静かにナイアの前に膝をつく。
「この御方こそ、“主”の御前。
首を垂れよ、ニャルラトホテップ」
ナイアの三眼が震え、全身が硬直する。
「……貴様は……ウムル・アト=タウィル……!?
ヨグ=ソトースの影であり、言葉であり、使者……そのお前が……!?」
それは疑問ではない。震える恐怖の確認だった。
ナイアは、否応なく悟る。
――この“人間の姿”をした存在が、いかなる者であるのか。
「……ま、まさか……!」
リーンは冷たく嗤うように言葉を続けた。
「……わからぬのか、我が強壮なる使者よ。
気配を消していたから、無理もあるまい……だが、目の前の“真理”を見誤るな」
「……あ……ああ……あああああっ!!」
ナイアの口から、呻きとも叫びともつかない声がこぼれ出る。
三眼が震え、唇が千切れそうに歪む。思考を失い、ただ呻き、泣き伏す。ナイアは、神にすがる“人間のように”崩れ落ちた。
額を地に擦りつけ、その声に偽りはなかった。
それは、かつてガープやサタンに見せた仮面の“忠誠”ではない。
心の奥底から流れ出た、原初の崇拝。
「……輪廻転生を果たされていたのですね……
我が主よ……
我らが創造神、アザトース様……!!」
リーン・アシュレイ――
その姿をとる者の正体は、あらゆる宇宙の核、無貌の混沌。
全てを始めた“最初”にして、“終わり”をもたらす者。
その主神は、静かにミリルへと歩み寄り、その頬にそっと触れた。
「……この子はまだ夢の中だ。余計な記憶は、残さない」
そして――ナイアを見下ろし、命じる。
「ナイアよ。
この銀の鍵を持ち、“門”をくぐれ。
もはやドアダに、お前の居場所はない」
ナイアは顔を上げる。
「……どういう、ことですか?」
「サタンは、お前の命を阿烈に差し出すと決めた。
乂族との“同盟”のためにな」
「先ほどの試合――あれは、“公開処刑”だ。
お前はすでに、“死んだ”ことになっている」
その事実は、慈悲ではなかった。
怒りでも、憐れみでもない。ただ、**神が語る“理”**だった。
ナイアは、黙ってうなずく。
「……御意」
銀の鍵を手に取ると、彼の姿は一閃の光と共に消えた。
その場に、ゆっくりと“門”が現れ、彼がそれをくぐると――
音もなく、静かに閉ざされ、消えていった。
静寂が、戻る。
祭壇には、もはや触手も血もない。
リーン・アシュレイだけが、そこに立っていた。
そして、静かに呟いた。
「武の頂きが現れし、この時代。
ようやく、すべてが揃い始めた――」
「我が“無限の孤独”に終わりを告げる、その時も……」
白き翼をたたみ、彼は音もなく、虚空へと消えていった。
「ミリル! しっかりしろミリル!!」
遠くから響く、声。
雷音が、祭壇の傍に倒れていた少女を抱き起こしていた。
少女の瞼がゆっくりと開き――
「……あれ? わたし、どうしたのだ?」
雷音は、安堵の吐息とともに彼女を抱きしめた。
「よかった……無事だったんだな。……ほんとに……良かった……!」
ミリルは、首を傾げながら呟いた。
「……なんか……お兄ちゃんがいたような気がしたのだ……
でも……夢の中にいた“神様”かもしれないのだ……」
雷音は、そんな婚約者の無邪気な顔を見て、苦笑するしかなかった。
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