乂阿戦記1 第六章- 灰燼の覇者阿烈とケルビムべロスの虎-9 覇王と蛇王の化かし合い
灰色の髪を風に靡かせ、獅子の如き巨躯が雪煙を踏みしめる。
軽装で零下− 20度の凍てつく山脈を越え、トランク片手に悠然と進むその姿は、畏怖すら纏う伝説の如き風格を漂わせていた。
その名は――乂阿烈。かつて修羅の覇王と呼ばれ、今や伝説と化した男である。
「お初にお目にかかります、乂阿烈殿。私はドアダ七将軍が一人、スパルタクスと申します」
鋼鉄のような肉体に鎧を纏った盲目の剣闘王が、まっすぐに頭を垂れた。
「ほう。貴様が……あのデウス・カエサルと互角に渡り合ったという噂の男か。なるほど、噂にたがわぬ“剣鬼”だ」
その瞬間、阿烈の背中から放たれた気配が爆ぜる。
圧倒的な神威——!
次の瞬間、場に居合わせた黒服戦闘員たちが一斉に失神し、バタバタと崩れ落ちる。
だがスパルタクスは微動だにしない。風の中で仁王のごとく立ち尽くし、その猛威を受け止めた。
「クク……見事な胆力だ、気に入った」
阿烈はニヤリと唇を吊り上げ、傍らのトランクを持ち上げた。
「つまらぬものだが、手土産を持ってきた。……そこの者、開けてみろ」
促されて受け取った黒服の戦闘員895号(伊藤修一くん)が恐る恐る中を確認した——。
「ひいぃぃぃぃぃっ!!」
トランクの中に転がっていたのは——無残に斬り落とされた、雪男の生首だった。
ただの雪男ではない。狂気山脈一帯を荒らし回っていた、ウェンディゴ族の族長・スノースの首である。
血走った瞳、氷塊のような鬣、今にも咆哮を上げそうな忌まわしき面影。
その一瞬のインパクトに、895号は白目を剥いて泡を吹き、盛大に気絶した。
「ほう……これは……まさか、スノースか」
スパルタクスが瞠目する。
「うむ、ウェンディゴ族族長スノースの首だ。聞けばこのスノース近年狂気山脈の麓を根城に構え、ドアダの縄張りをえらく荒らしまわってたそうではないか?ドアダの縄張りを荒らし回る不逞の徒と聞いてな、弟たちの礼がてら、道中で“もぎ取って”きたわ」
その豪胆に、ナイトホテップが声をあげて笑い出す。
「ククククク! カーカーカカ! てめぇ、最高だな! それ脅しと紙一重じゃねーか、阿烈! ……だが気に入った! ますます欲しくなったぜ、てめぇみたいな狂犬をよォ!」
「ガハハハハ! 奇遇だな、わしも貴様を“配下に欲しい”と思っていたところだ!」
二人の怪物が笑い合う。それはまるで地獄の底で響き合う、覇王と魔王の咆哮だった——
(乂阿烈もイカレとるがワシの息子もそれに劣らずイカレておるわ!ええい!さっさと本題に入るとしよう!!」
ガープは本題を切り出す。
「乂家の頭目よ、ヌシが我がドアダ基地に参ったのはいかような理由だ?まさか本当に弟達を迎えに来ただけとは言うまい?わしはヌシはてっきりティタント攻略の指揮を取ってるとばかり思っていたぞ?」
阿烈はそれを豪快に笑いとばす。
「グルァーッア"ッア"ッア"ッア"ッア"!御老公、なにか勘違いをなされているようですな? 我が軍がティタント周辺に兵を派遣したのは、蜂起による難民流出に備えた――人道支援、でありますぞ?ドアダとタイラント族の軍事協定は承知してまする。ご安心めされよ。我が軍にティタントに攻めいる意思はない」
「な、なんじゃと!?」
「だがまぁ、ティタントの蜂起はじき蜂起軍の勝利で落ち着くことになるでしょうな……」
阿烈の発言にナイトホテップが眉をひそめる。
「そいつは見込みが甘くねぇか乂阿烈?蜂起を起こした乂族の兵は少数だ。奴らは数に勝るタイラントの軍にじきに踏み潰される」
だが阿烈は口のはしをつりあげ話を続ける。
「フ……どうやら、まだお気づきではないようだな?
今回の反乱――乂族の“蜂起”ではなく、“決起”だ。
タイラントの兵の過半数が、我が一族に与し、すでに立ち上がっている」
「っ!?なん…だと…?」
「いやはや、現タイラント族族長アングはえらく評判の悪い圧政者のようだ。我が乂族の民のみならず同族の配下からも激しく恨みを買っている。妖魔皇帝ヨーや狂王エンザと同じ轍を踏むとは笑える話だ。ああ、打倒アングの旗を上げた大司教カルマストラ三世なのですがアング打倒後ドアダから経済的支援は続けてもらえるか非常に気にしておりましたぞ?」
「アングの圧政じゃと?そんな報告は……」
「ドアダはタイラントに観察官を送り込んで政情を見据えていたそうですな。どうもその監察官はアングから莫大な賄賂を貰ってたようだ。おかげでアングはやりたい放題の悪政を敷き、結果として民心が離れたというわけだ……」
カルマストラ3世の名が上がったときナイトホテップは此度を反乱の裏側を瞬時に読み解いた。
(……カルマストラ三世! あの蝙蝠野郎が……寝返りやがったか)
カルマストラの一族は灰色の女神ラスヴェードを崇める大司教の一族で彼らは代々乂家の侍従長をつとめる役割を担ってきた。
カルマストラ3世の祖父カルマストラ一世は乂家のじいやで、アングが乂族の民を引き抜き阿烈ら一家を荒野に置き去りにしようとした時は真っ先にそれを止めようとして殺された忠臣であった。
だがカルマストラ3世はそんな祖父と違い早々に阿烈達を見限りアングについた俗物である。
大司教の肩書きも、ただの栄達の道具にすぎなかった。
乂族の民を洗脳し奴隷として売り払い、アングの庇護で“名誉タイラント人”の地位に収まった。
祖父カルマストラ一世とは正反対の俗物――それが三世だった。
そんな彼が何故今になって寝返ったのか……それはおそらく自分が一番得をするタイミングを待っていたのだと思われる。
そう、彼の欲望を満たす最高のタイミングで……
阿烈は呆れ顔で説明を続ける。
「近年我が陣営が勢力を伸ばしてきたらカルマストラ3世のほうから接触がありましてな…どうやら寄生先をアングからワシに乗り換えたいようだ……まったく、節操のない寄生虫だ!」
「それでお主はどう答えた?」
ドアダ首領の問いに阿烈は
「ああ、貴公がティタントの領主になったら乂族だろうとタイラント族だろうと民を大事にしろと伝えてやりましたわ。ドアダともこれまで通り仲良く交流し良き政治に勤めろと説教をくれました」
と答えた。
(読めたぜ!阿烈の狙いが!)
勘のいいナイトホテップは一早く阿烈の戦略を看破する。
(つまりコイツは、カルマストラ三世を操ってドアダの資金を食い破る気だ。タイラント経由で流れる潤沢なリソースを、すべて自分の勢力に回すためにな)
ナイトホテップは内心ほくそ笑む。
(ふん、甘いんだよ!カルマストラなんざ殺し屋を差し向け消せばそれで済む!……がここでこの怪物と手切れになるのは惜しいな)
ナイトホテップは今ドアダが敵対している組織の勢力図を頭の中で整理した。
この戦国乱世のスラルには、いずれも一筋縄ではいかぬ強国が控えている。
盟主国・アシュレイ族をはじめ、ジャガ族の背後には龍麗国、メギド族とタタリ族には神域の武仙たち。
さらには、エクリプスを神と崇めるナイン族、そしていずれ動きを見せるであろうデウス・カエサルまで――。
全面戦争で勢力が衰え隙を見せた組織は周りの他国から袋叩きにされ滅ぼされてしまう。
阿烈もリスクを避け、アシュレイ族やジャガ族に入念な根回しをしている。
どの勢力も自分から戦争を起こすタイミングというのは、自軍の損耗をもっとも少なく抑え敵を殲滅できる時と相場が決まっている。
だからできるだけ無駄な争いは控えたい。
これまでもドアダは、いやナイトホテップは様々な脅威に対して常に先手を打ち続け、勝ち続けてきたのだ。
故にナイトホテップは決断する。
こちらも乂族を利用するだけ利用してボロ雑巾のように捨ててやろうと!
「なに、タイラント族がこれまで通り変わらず上納品を納めるなら、我らはこれまでどおりタイラント族の自治を認めよう。」
「……その言葉、偽りではないな?」
「無論だ、だがそれはあくまで『今まで通りの』タイラント族に限るぞ。つまり俺達は乂族に援助はしない。代わりにお前らが奴隷になってる乂族の民をタイラントから連れ出すのに口を挟まない。また此度の内乱が落ち着けばタイラント族の新族長は我らドアダが推薦する人材が族長になるだろう…」
「よかろう。我ら乂家、この乱世をドアダとともに“食い破る”としよう」
こうしてここに、二大勢力間の平和条約が締結されたのだった!
「ところでお前の家族だが雷音と雷華の二人は今日にも帰そう……」
「だがユキルは駄目じゃ!あの子は、あの子はワシの孫じゃ!老い先短いこの老人の最後の希望なんじゃ!!!」
ナイトホテップの話を遮ってガープが叫んだ。
(ちっ、やはり孫可愛さにこのジジイが食いついてきたか……)
ナイトホテップはこの交渉のために、あえてユキルだけは人質として残しておいたのである。
これでこの老人は自分の思い通りに動かせるはずだ。
「分かり申した御老公、ただし条件がある。」
それに対して阿烈は内心ほくそ笑みながらそう言った。
「その条件は……?」
「ああ、簡単なこと。我が母にして神羅の育ての母ホエルが羅漢と神羅を心配している。特に神羅は前世での縁もあり非常に気を揉んでいる。御老公の孫を3日ほど我が母に会わせて欲しい。乂家の性にかけ約束しよう。3日したら約束通りに返すと……。」
阿烈はそう言って頭を下げた。
尊大な男に見えて彼は老人への礼節を大事にする。
「うむむ、仕方あるまい。ではさっそく今からでも連れてこさせるとしよう。」
そう言ってガープは部下を呼びつけようと立ち上がった時だった。
バターン!!――勢いよくドアが開き、二人の男女が飛び込んできた。
「漢児、絵里洲、獅鳳はどこ!?」
「じいちゃん! 本当にここに子供ら来てんのか!?」
その二人はガープの孫にしてドアダ7将軍が一人ヨクラートルと現在の蒼の魔法女神たる狗鬼ユノであった。
「おおっ、これはユノ殿!!それにヨドゥグも無事到着したか!!」
二人を見て喜び勇んで駆け寄るガープに対して、ユノも駆け寄っていくのだが、途中で急ブレーキをかけて立ち止まり、いきなり頭を下げ挨拶した。
「は、初めましてっ! 今度お孫様の奥さんになる予定の狗鬼ユノと申します! ガープ様、皆様、不束者ですが、よろしくお願いしますっ!」
その言葉に一瞬面食らったガープであったがすぐに気を取り直して自分も頭を下げた。
「いやいやこちらこそよろしくお願いしますぞ。ワシが現ドアダ最高司令官ガープ・ドアーダであります。」
そう自己紹介して頭をさげたガープに対し今度はヨクラートルが前に出て尋ねた。
「それより祖父ちゃん子供らはどこだ!?ここに居るんだろ?」
「ヨクラートル将軍、今は客人がいらしてます。後でまた改めてお話ししましょうぞ!」
スパルタクスに諭されヨクラートルは一旦その場を去った。
それを見て阿烈は懐かしそうに一人呟く。
「フ、相変わらずだな……」
阿烈の言葉は小さく誰にも聞こえていなかった。




