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――おかしかった。
明らかにおかしかった。
「うっわ、今日も雪かよ」
日付にして十二月十五日。土曜の朝。
今日も冷え込みの中で目を覚ます。窓に映るのは、怪しく、しんしんと降ると白い雪。今日で、五日間連続の雪。
さすがに違和感を覚える。
「へろう、お兄ちゃん」
「……お前いい加減僕が起きたタイミング見計らうのやめろ。心臓に悪いわ」
息を吐くと、なおも白さを増しているその寒さに、半分涙目になりながら体をさする。
おかしい。降ったり止んだりするいわゆる断続的なものではあるものの、この東京都内にここまで雪が降り続くなんて。
テレビでも、近年稀に見る天候どうの言ってるし、この後も続くようなら洒落にならない事態が起きるんじゃないか。
……そしてなにより、あの夢も、また。
「いや、だってそんな真っ青な顔で毎回起きてくるから、わたしだって心配してんの」
「そんなにか」
「うん。風邪じゃないって言い張ってるけどさ、その死人みたいな顔してるの、やばいって。すっごく辛そうというかさ」
異常気象と同じように、ここ最近、僕は連続してあの夢を見ていた。
先週からずっと見る、一人の少女を助けようとして間に合わないあの夢。
塔から落ちて、たくさんの流れ星の中に消えた、彼女の夢。
僕がまだ、"空"だった時の記憶。
「……なぁ、お前さ。アリスって女の子知ってるか」
体を起こしてストーブのスイッチを押す。床に投げっぱなしの通学バックを開けて、昨日買ったコーラの残りを口に入れる。
「アリス……さん? いきなりどうしたのさ」
「いや、まあ、なんとなく」
「……おとぎ話というか、童話というか、そういうのなら知ってるけど、知り合いにそんな可愛い名前の子、いないよ」
「そっか……」
冷え切ったまずい一杯に乾いた笑いをしつつ、僕は妹を追い払い、スマホを手に取る。見れば、メッセージの通知が二件来ていた。片方は学校の男友達で、他愛のない会話が繰り広げられている。そして、もう一件。
差出人は、僕の後輩からとなっている。
≪4:59不涼_今日も雪っすね≫
いつから起きてんだか。そんなツッコミも最近わざわざする気が無くなってきた。ここ毎朝のように、不涼かえではこんな内容のメッセを送って来ている。返せば反応はしてくれるが、僕自身あまり話す事も浮かばないので、大抵生返事みたいな返信をして終わっているのが実態だ。
とりあえず無視したとか言われるのは勘弁なので、返信をしてやる。
<8:14地球は白染めしてるんだよ>
≪8:14不涼_白に染めろ。的な≫
ものの数秒で返された。あいつ暇なのか。
部屋が暖まるまでの間、適当にニュース等をネットでチェックしながら布団に丸まる。休みだし二度寝するのもアリなのだが、どうも眠る気にはならない。
返信を思いつく。
<8:25なあ。お前、アリスって子、分かるか>
スポーツニュースの記事を眺めながら、先ほど妹にした質問が浮かび、不涼にもしてみる。
アリス……すももとしてあの夢にいたこいつなら、この名前を知らない訳がないはず。なんとなく訊くのが怖くて確認できてなかったが、やっぱり妹と同じ反応だろうか。
返信はすぐに来た。
≪8:28不涼_あ、もしかして≫
が、何分か空く。すぐ返してくると思ったが、あいつらしくゲームでもやりながらスマホをいじってるのか。しばらくの音沙汰ない時間が過ぎ、ようやくポップアップしたメッセを見る。
≪8:59不涼_またあの夢見たんですか?≫
「…………」
こいつも僕の夢の中にはいる。だが、直接何かを話したかと言われれば怪しい。というのも、一語一句誰と話したかなんて覚えてるわけないし、そもそも夢なんてすぐに忘れる。
だが日に日に鮮明になっていくのは事実で、多少の関係は見えてきた気はする。やはり、あの夢は忘れてしまった僕の昔の記憶なのだろう。
「ん? ネットが」
返信を記入しているところ、一瞬圏外の表示に変わり、すぐに戻る。
ネットの調子が悪いのだろうか。確かにうちでは、時たま瞬断というか通信断が起きる。家の立地の問題なんだろうけど、電波の入りは良くはないのだ。
雪の影響もあるのだろう、こればかりは仕方ない。
僕はスマホを充電だけして、部屋を出て誰もいないリビングへと向かっていく。
薄暗い冷えた廊下は、どうも家の中でも気味が悪い。適当なテレビの雑音が恋しくなる。
「……ます。今日の…………で、山沿いは……もあり……東京都内もまた……続くところが…………あるでしょう。この時期…………年前の、流星……」
「うわ、テレビもかよ。電波悪すぎ」
ほぼ反射的に点けたテレビ。映し出される土曜朝のニュースバラエティ番組は、ところどころで白黒の砂嵐が混ざり、音声も途切れたり戻ったり。ちょうど天気予報がやっているのに全然情報が伝わらない状態だった。仕方ないので、他のチャンネルに回したりしてるとようやく安定してきた。ネットもそうだが、うちは今日とことんダメな日のようだ。高校生は高校生らしく勉強してろってか。クリスマスが近いのにずいぶんな話だ。
「再び登場、あっさらーむ、お兄ちゃん」
テレビを消すと、防寒バッチリの装いをした妹がいつもの長いツインテールをロングヘアにして廊下から現れた。中学生にしては洒落こんでる服のセンスはさすがだが、そのマフラー早く返せや。
「お母さん、帰るの昼過ぎみたいだからご飯適当に食べてだって。で、今からコンビニで買ってきちゃうけど、お兄ちゃんのもいる? ついでに買っとくよ」
「あー、いいや。僕出掛けるし」
咄嗟にそんな事を口走ってしまったが、特段今日は誰かと会う予定はない。ただ単に、今日家にいるのは気が引けるというだけだ。それに、こいつも午後からは塾に行くだろうし、休日に一人留守番してるってのもなんか、な。
雪が降ってるからといって出かけられない事もなさそうだし、ゲーセンとかぶらぶらして、昼飯食って、母さんが戻っているくらいに帰ればいい。
僕は朝食変わりに棚のポテチを一袋手に取り、封を切る。母子家庭かつ母親が夜勤だったり朝勤だったり仕事時間が日によって変わると、どうも食事が偏ってしまうが、いまさら生活力をつける気も湧かない。妹も女子らしく自炊に励んだりしていたが、恐ろしい物を作り出すので相手にしちゃいけないのが暗黙のそれ。あてにならんのだ。
「お、なんだお兄ちゃん元気になったのか。もしかして今日は彼女とデートったのかい? んー?」
いきなり何言ってんのこの子。
「クリスマスだからってイチャイチャしやがってよう。うぜーうぜー」
「おいこらやめろ。いつから僕彼女持ちになったんだ。んなのいねえよ」
「さっきも女の子の名前訊いてきたし、なんか怪しんだよなぁ……CR妹的直感炸裂中……!」
ねえよ、そんなパチンコ。
「まあ、いいや。顔色も良くなってるし、安心したよ。でも、無理すんのはあかんで。したっけ、妹はちょっくら行ってくるのであでゅう」
「後半に掛けて色々詰め込み過ぎだろお前、意味わかんねえから」
勉強のし過ぎてテンションがおかしくなってるのか、まくし立てるかのように言うだけ言って玄関を飛び出してく妹。あんなおかしくなったのはいつからだろうか……前からかな。
とりあえず自室に戻り、不健康な朝食を摂りながら着替えて外に出る準備をする。未だに返ってこないマフラーも大概だが、雪という天候のせいでなかなか会ってくれず、おざなりになってしまった僕のコートも早く返して欲しい。冬用に何枚か持っているから困りはしないけど、もう返って来ない気がしてしまって気持ち悪いのだ。まあ、不涼もうちまで届けますとか言ってくれたから、近くまで来てもらうのもいいもしれないけど。
外を見る。マンションの八階にある我が家からの雪景色。全てがとにかく白い。本当、見てる分には絶景だと思う。最近都市化が激しいけど、雪化粧した町並みは趣きを感じる。
このまま吹雪いたりせずにしんしんと、天使の羽のような儚い結晶に、そんな事を覚えながら、僕は欠伸する。
さて、行くか。