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「先輩それ、思春期特有のアレですよ」
ずいぶん早い伏線回収ってやつに我ながら驚くばかりだが、言い換えれば予想通りでもあった。
場所は我が高校の屋上。今にも壊れてしまいそうな錆びだらけの鉄柵に寄りかかるのは僕、そして妹の学校の制服を着た学校違いの後輩の女である。
「中二病の一個上を行く、高二病という不治の病です。もれなく死にますね、社会的に」
「いいんだよその『より生々しい黒歴史的なのが量産される時期』みたいな病気は。ってか、お前も似たようなものだろ。人の事言えんのか」
名は、不涼かえでと言う彼女は、まさしく不良の部類に所属する中学三年生であり、今日もこうして二駅も離れた僕の高校までサボタージュをしに来るという変な女だ。
なぜうちの高校なのかは、知らない。知る由もない訳である。
「どーなんですかねー」
いつものように不涼はスマホのオンラインゲームに興じながら、首に掛けているベッドフォンを片耳につけて興味無さそうにする。
「似てるって言えば似てますけど。あたしのと、先輩のとは、またちょっと違う気が」
「違うつっても、根本的なとこは同じだろ。僕は夢、お前は音楽。どちらも終わった後は悲しい気持ちにさせて、思い出せない懐かしさを感じる」
目線は変わらずスマホの戦場に向けたままの後輩は、敵を見つけたのか、親指だけ忙しくしている。
このまるで人の話を聞いてないみたいな態度はこいつのお家芸なので、あまり気に留める必要はない。
「んーまあ、あたしのは先輩よりも厄介ですけどね。寝てる時だけ見る夢とは違って、ご飯食べてる時とか、歩いてる時とか、ゲームに集中してる時とか頭の中で急に流れてきますから。はっきり言って迷惑ですよ……っげ、死んだ」
「ざまあ」
「うざっ」
そして最近のこの昼前の時間、どこから入ったのか我が校の屋上にしょっちゅういる不審者他校生に適当な会話を試みたりして、ある程度の仲になり、そこから地元が同じ事、年齢が一つ下な事、なんとなく学校へ行かなくなってしまった事、などといった素性が判明した。その中に、僕との歪な共通点も一点発見し、もっぱらその話題がよく挙がっていたりする。
それが、僕で言うあの夢のようなものが、彼女にも別の形で現れていたという事なのだった。
「でもその曲、本当に、妙に懐かしくて、寂しい気持ちになりますけどね。終わるとメロディとか思い出せなくて、何の曲かはさっぱりなのが、イマイチ謎ですが」
「流れてる時にボイスメモでも取りゃいいのに」
「あたし音楽の才能ないんです。カラオケとかマジ地獄」
ピンクの飴玉を口に投げ込み、不涼は「う」と酸っぱそうに目を閉じる。さっきから舐めずにガリガリ噛んでいるが、こいつ単に腹でも減ってるのだろうか。
「ま、だからこうやって、わざわざ先輩のいるここに来てるんでしょうね。理由なんて無いのに、何か見つかりそうな気がして、でも結局なくて、屋上で空でも見上げてるという黄昏少女……あれ、我ながら患ってますねこの女」
「だから言ってんだろ」
自虐的な事を言う時、不涼はいつも子供みたいに笑う。今もそうだった。
「つうか、別にお前の学校でもいいだろ。なんでうちの学校なのさ」
「一人で見上げても、楽しくないじゃないですか。患ってる女ってのは、同類に一緒にいて欲しいんですよ」
「自分の学校でやれ」
「そもそもうちの中学、屋上入れないの、知ってますよね?」
どこかから冷たい風が吹き、彼女の艶のある黒髪をたなびかせる。白い肌と正反対な漆黒の髪。それと曇った鉛色の空が相まって、なにかの絵画に思えた。
「そういう事で、先輩。そろそろ協力とかしてみましょうよ。さすがに例のあれがあるたびに、ここに来るのは嫌でしょ」
「お前に会わないといけないしな」
「うっわ。中学生には優しくするのが礼儀ですよ」
また飴をガリガリし始める不涼に、ポケットに入っていた朝メシで食べ切れなかった塩おにぎりを渡してやる。不涼は特に何も言わず懐にしまう。やっぱ腹減ってたのか。念のため消費期限には余裕のあるやつを渡しといたが、今の様子だと切れてるのでも気づかなさそうな気もする。
僕は固いコンクリートに寝転がって上を見上げる。制服が汚れるのなんて知ったこっちゃない。
「後輩。協力と言われても、一体どうしろというんだ」
「先輩。今夜一つ、デートでもどうです?」
「デートって……いいのか。お前この前推薦落ちたって言ってたよな。一応受験生だろ」
「養ってもらう予定なんで」
ようやく視線を僕に寄越したと思ったら、不敵な笑みをされた。
「年下とか論外」
「冗談に決まってんじゃん。カッコ同級生風」
屈んだ不涼。ちょうど僕の視界に近いもんで見上げてみる。不健康そうなほっそい身体と、いつものやる気の無い瞳がまじまじと見れる。
こいつちゃっかりメイクしてんだな。
「見ないでください」
気づかれた。
「そんなん言われても」
「下からって事です。太って見えるの嫌なんで。あ、正面からならどうぞお好きに」
「いや、この位置はこの位置でなかなかどうしてな光景がな」
太くない太ももあたりに視線を落としてやると、言葉の意味に気付いたのか、不涼はスカートを伸ばす仕草をした。が、妹以上に短くしているので、結局脚の間に腕を伸ばして隠し始める。隠すくらいならハーフパンツでも何でも履けばいいのに、おかしな奴だ。バカなんじゃないの。
「そこまで言いますか」
聞こえてたらしい。
「別に恥ずかしいのではなく、単に、右ももの方におっきい痣があるから隠しただけです。見ても良いもんじゃないですしね」
「へえ、そんなのあったのか」
「子供の時に高いところから落ちて、それで。よくある話ですよ」
ふうん、と我ながら気の抜けた返事をしながら僕は気付く。確かに隠そうとしている太ももの辺りに、青味を帯びえた箇所がある。ちょうど右からお尻に掛けてところか。なるほど。そうなるとこれ以上女子中学生の後輩を困らせる男子高校生ってのは、というか女の子を困らせる男ってのは至極アレだな。
「って事で、これを機に可愛い後輩を攻略してくださいよ。クリスマスの雰囲気が充満してる今、あたしの好感度は上がりやすくなってます。キャンペーン中です」
「上がるとなんだ、パンツ見せてもらえるのか。キャンペーン最高」
「……今下がりました。変態お陀仏キャンペーン開催です」
そんな目の前の自称可愛い後輩に足蹴りを食らわされつつも、校舎内から授業終わりのチャイムが聞こえ始め、結構長居してしまった事に気付かされる。さすがに立ち上がった。
「わーったよ。とりあえず、その協力とやらをすりゃいいんだろ。で、どこ行くつもりだ」
「後であたしから連絡します」
「連絡先知らん」
「おにぎりのお礼としてあげます。どーぞ」
すると何故かスマホに電話番号を写しこちらに見せてきた。
いやこれ、普通ラインとかだろ。手打ちも面倒なのでスマホのカメラで撮って保存すると、番号を認識して勝手に登録が始まった。便利な機能だけどこれ初め見た。考えた人すごい。
とりあえずショートメールだけ空で送っておき、僕は屋上を後にする。
「あ、先輩」
歩きながら掛けられた声に、欠伸交じりに顔を向ける。
「なんだ」
「学食のお菓子売り場で、あれ、買っといてください」
「なんだ、あれって」
「あたしの好物です」
「あー。売ってたらな」
未だ白い息を吐いてスマホを弄る女を尻目に、僕はドアを開け、階段を降りていく。
しっかしあいつ、寒くねぇのかね。