狩人は闇に潜む 7
Chapter 7
32
森に咆哮が轟き渡った。
森の樹々は全身を震わせ、メルルの全身も芯から震えた。
『厄獣』は大きな前肢を振り上げると、そのまま振り払った。
『厄獣』の前にはルピーダたちの姿がある。
「ちいいい!」
ルピーダは弓で攻撃を防ごうと突き出した。
背後からゴーゴリーがルピーダの肩をつかむ。
ふたりは『厄獣』に弾き飛ばされ、メルルの脇をかすめ飛んだ。
「ルピーダさん!」
レトが飛び出して剣を振り下ろす。
レトの剣は『厄獣』の腕を切り裂いた。
「何だ?」
レトは小さく叫ぶと、すばやく飛びずさる。
つい先ほどレトがいた位置を、『厄獣』の太い前肢が振りぬかれた。
「深手を負わせた手ごたえがない!」
レトは大声で叫んだ。
「下がれ、馬鹿! そんな剣じゃ効かねぇ!」
アラドが槍を『厄獣』に向けて突き出した。
すぐ隣でペイピールも槍を繰り出す。
『厄獣』は、ふたりからすばやく距離を取って槍をかわした。
巨体でありながら、信じられないほどの身のこなしだ。
「何なんだよ、こいつは!」
矢をつがえた姿勢のまま、メッシーナが叫んだ。
彼はすぐ矢を放つ態勢に移ったが、樹々に阻まれているだけでなく、『厄獣』の早い動きで狙いが定められずにいたのだ。
「とにかく距離を取れ!
やつに殴られるのは岩をぶつけられるのと同じだ!」
アラドはメッシーナのかたわらまで下がって叫ぶ。
バット・ダガーもふたりに合流して剣を構えた。
メルルはルピーダのもとへ駆け寄った。
ルピーダはゴーゴリーに抱えられている。
「ルピーダさんは?」
「大丈夫です。直撃は避けました!」
ゴーゴリーは大声で答えた。
「弓のばねで一瞬、よけるスキができたんだ」
ゴーゴリーの腕の中で、ルピーダが口を開いた。悔しそうな表情を浮かべている。
「ちくしょう……。熊に裏をかかれるなんて……」
……裏をかかれる……?
メルルはルピーダの言葉がすんなりと入ってこなかった。
……裏をかかれたって、熊さんに裏をかかれたってこと……?
レトはペイピールと並んで応戦している。
カップは樹から樹へと隠れながら、『厄獣』を狙い打てる場所を探して走り回っている。
一瞬のすきを見つけたのか、カップは矢を放った。
カップの放った矢は、剣をかまえているレトの脇をかすめるように飛び、『厄獣』の腕に当たった。
『厄獣』の手はレトに向けられていたのだ。
「ありがとうございます、カップさん!」
レトは背を向けたまま大声をあげた。
しかし、カップの矢はたいして効果がなかったようだ。
『厄獣』は無造作に矢を地面に落とすと、真っ赤な口を開いて再び襲いかかる。
……あれ、ケドルさんは……?
メルルはあたりを見渡した。
『厄獣』が現れるまで、自分はケドルと一緒にいたはずだ。
『厄獣』が現れて、レトがルピーダの救援に飛び出して、自分もそこへ駆けつけて……。その間にケドルは……?
ケドルの姿はどこにもなかった。
……私たちを見捨てて先に逃げた?
ケドルも、『厄獣』を仕留めるため、毒矢で後方支援を行なうという、重要な役目を任されていた。
しかし、ケドルは『厄獣』が現れるや、仲間を見捨てていち早く離脱していたのである。
……そんな……。
昨夜は、ケドルも宴会のような食事を楽しんでいた。
マジやウザと肩を組んで笑いあっていた。
たしかに昨日今日の間柄かもしれない。
それでも、仲間として、背中を預け合えるような、そんな関係が築けたと思ったのに……。
「やった!」
メッシーナから歓声があがった。
見ると、『厄獣』の肩に矢が一本刺さっている。
メッシーナが放った矢が命中したのだ。
『厄獣』は自分の肩に刺さった矢に目をやると、おもむろにそれを引き抜いた。
抜いた矢を、まるで木切れを捨てるように放り投げると、メッシーナに向かって真っ赤な口を開けて吠えた。
メッシーナに焦りの表情が浮かぶ。「だめだ、毒が効いていない!」
「さっき、切りつけたときに感じました。
『厄獣』の皮はかなり厚いのです。
もっと深いところに矢が刺さらないと、毒が効かないんです!」
レトが『厄獣』の背後から切りかかりながら叫ぶ。
レトはこれまでも何度か『厄獣』の攻撃をかわして切りつけているが、『厄獣』からは血の一滴もこぼれていなかった。
レトの剣は、『厄獣』の肉の部分まで届いていないのだ。
「これでもくらえ!」
バット・ダガーは大声で叫ぶと、手にしていた何かを『厄獣』に投げつけた。
『厄獣』はすばやく叩き落としたが、そこから黒い煙のようなものが立ち上って、『厄獣』の顔を覆った。
「ウォオオオオオオオ!」
『厄獣』はひときわ大きな声で吠えると、顔を前肢で押さえながら飛びずさった。
「臭い袋が効いているうちに逃げるぞ!」
アラドはメッシーナたちとともに駆け出していた。
「いったん引くんだ!」
ルピーダも叫びながら来た道を駆け戻っていく。
「メルル、急げ!」
レトはメルルの腕を取ると駆け出した。
メルルはレトに引っ張られるままに走り出す。
「あ、あの、マジさんはまだ……」
マジは罠に吊り上げられたままだ。
「わかってる!」
メルルが言いかけるのを遮るようにレトは叫んだ。
メルルはちらりと後ろを見ると、『厄獣』は顔の前に見えない何かがあるように、前肢でしきりに顔を払っている。
しかし、もう一方の前肢を周りに振り回している。
あれでは、そのすきに攻撃する、というわけにいかないだろう。
もちろん、マジを罠から降ろしてやることも……。
メルルは前を向くと、レトの脚に負けないよう必死で走り続けた。
33
メルルたちは休むことなく森を駆け抜け、丘の手前まで戻ってきた。
「丘には戻らない! このまま村まで引き返す!」
ルピーダは最初の衝撃から回復したらしい。自分で立って先頭を走りだしていた。
『太古の裂け目』沿いに走っている。
どうやら、あの吊り橋を目指しているようだ。
「丘で態勢を整えないのか?」
アラドは丘の手前でルピーダに問いかける。
小屋には自分たちの荷物を置いたままだ。
矢の予備もそこにある。
それらをそのままにして逃げることに躊躇しているようだ。
「やつのタフさぶりを見ただろ?
あれじゃ、こっちの態勢が万全でも厳しい。
戦力をもっと大規模にしないとやられる!」
ルピーダは振り返りもせずに大声で答える。
アラドは口の中で「たしかにそうだ」とつぶやくと、メッシーナの肩を叩いてルピーダたちのあとを追った。
「ええっと、荷物は……」
メルルはレトに話しかけると、
「あきらめろ」
レトの答えは短いものだった。
一行は走り続けて、ようやく吊り橋のふもとまでたどり着いた。
「はぁっ、はぁっ! どうだ、『厄獣』は追ってきてるか?」
ルピーダは息を切らしながら、周りに尋ねた。
「姿は見えません。
追ってきていないようです」
「森の中から追ってきているかもしれない。
ここでぐずぐずしないで橋を渡ろう。
もちろん、やつも橋を渡って追ってくる可能性はある。
しかし、あれだけ巨体であれば、橋を渡って追ってくるのは手間なはずだ。
時間は稼げる!」
ルピーダはそう言うと、自分が先頭に立って橋を渡り始めた。
橋は多少揺れる程度で、人間であればすばやく渡れそうだ。
「……えええ? ここを渡るんですかぁ?」
メルルから情けない声が漏れた。
無我夢中で走ってきたので、ここを再び渡ることまで頭が回らなかったのだ。
「弱音を言っている場合じゃない。君から早く渡るんだ!」
レトはメルルの背中を押しながら言った。
レトは剣を抜くと、あたりを見渡した。
『厄獣』の警戒だけでないらしい。空も見渡している。
「……アルキオネ……」
レトの口から苦しそうな声が漏れた。
「私が身体を支えます。
さ、メルルさん、急ぎましょう」
ゴーゴリーがメルルの肩をつかむと、急き立てるように橋を渡り始める。
「わ、わ、わ!」
メルルは悲鳴ともつかない声をあげながら橋を渡り始めた。
「殿は君が務めるつもりか?」
アラドは槍を構えながらレトに尋ねた。
「みんなが橋を渡り切るまで、誰かがここを守るべきです」
レトはアラドに顔を見せずに答えた。
レトの横顔には、走ってきたことによる汗だけでなく、緊張の汗も流れている。
「……君は大丈夫か?
その汗、かなりきつそうに見えるが……」
アラドは心配そうに尋ねる。
メッシーナがレトの肩をつかんで話しかけた。
「おい、あんたは『魔獣狩り』としちゃ素人だ。
殿は俺たちに任せて、あんたも橋を渡れ」
レトはそれでも振り返らない。「しかし……」
「『しかし』じゃねぇ!」
メッシーナはレトの身体を自分へと向きを変えさせた。
「何度も同じこと言わせるな!
ここは俺たちの言うことを聞いてりゃいいんだ!」
「さっきは情けないところを見せてしまった。
殿くらい、俺たちに任せろよ」
バット・ダガーもレトの肩に手を置いて言う。
レトは周囲を見回すと、カップの姿が目に入った。
カップもまた、橋を渡ることなく、レトの様子をじっと見つめている。
レトが橋を渡らないのであれば、自分も渡らないと言っているようだ。
レトは大きくうなずいた。
「わかりました。殿、よろしくお願いします」
アラドも大きくうなずいた。「任された」
レトはカップのそばへ寄ると、橋を指さした。
「カップさん、僕たちも急ぎましょう」
「お、おう……」
カップはレトにうながされるまま橋に足を踏み入れた。
「早く渡れ!」
橋を渡り終えたルピーダが向こう岸から大きく手招きしている。
レトはカップの身体を支えながら橋を歩いた。
メルルほどではないが、カップもこの橋を渡るのは苦手のようだった。
「かぁあああ」
どこからかカラスの声が聞こえ、レトは振り返った。
アラドたちが立っている吊り橋の柱の上に、カラスが一羽とまっている。
カラスは柱の上からレトに呼びかけたようだ。
「良かった……。君は無事か……」
レトの口から安堵の声が漏れた。しかし、レトの顔つきが急に変わった。
レトの視線は柱から橋を支える綱に注がれている。
「まさか……。そんなことが……」
レトはあたりを見渡した。橋を渡っているのは、レトとカップ、それにペイピールの3人だ。3人がいるのは橋の真ん中あたりだった。
「ペイピールさん。
動かないでください」
「どうした?」
ペイピールは足を止めて振り返った。
「橋の綱が切れかかっています」
「な、なんだと!」
ペイピールは大声をあげた。
レトが指さしたのは、吊り橋の柱から橋げたを支える綱の一本だ。
綱は途中からほどけるように紐が垂れ下がっている。橋を支えている綱は、すでに細い紐のようになって、今にも切れそうだ。
「ま、まずい!」
ペイピールは真っ青になって叫んだ。
「ペイピールさん!
僕のそばへ! 早く!」
「何を言っている?
は、早く橋を渡らないと!」
「もう間に合いません!
僕につかまるんです!」
レトはカップの腰に手をかけたままペイピールに近づくと、ペイピールの肩をつかんだ。
「な、何をするつもりだ……」
ペイピールは怯えた声をあげた。
その瞬間、綱が「ビーン!」という音とともに切れた。
橋がぐらりと大きく傾く。
岸で様子を見ていたメルルの口が大きく開いた。「レトさん!」
「ぐっ!」
レトはペイピールの身体を引き寄せると、左腕に視線を向けた。
「離脱魔法!」
レトの左腕の鎧が光を帯びると、その光はふくれあがって3人を包んだ。
次の瞬間には、光の塊は空中へ舞い上がり、そのまま遠くへと飛び去ってしまった。
「り、離脱魔法、だと……」
様子を見ていたアラドは、信じられないようにつぶやいた。
魔法が当たり前のこの世界でも、剣士が魔法を使うとは思っていなかったのだ。
「は、橋が……」
バット・ダガーの口から絶望的な声がこぼれる。
綱の切れた吊り橋はほかの綱も引きちぎり、アラドたちを岸に残したまま、谷底へと落ちていった。
真っ暗な谷底に、橋が激突した音が響き渡る。
「くそっ。これを見ろよ」
メッシーナが柱からぶら下がる綱の切れ端をつかんでいた。
「何かで切り込みを入れた跡がある」
「まさか……。ケドルのしわざか?」
アラドは綱の切れ端をひったくって言った。
「……違うな。
この切り口は刃物によるものじゃない。
信じたくないが……、獣の牙のようなもので嚙み切られたようだ……」
綱を検めたアラドの声は震えていた。
「お、おい……、まさか、『厄獣』のしわざって言うつもりじゃないだろうな?」
バット・ダガーの声も震えている。
予想もしなかった事態の原因が『厄獣』によるものだと信じられない様子だ。
「おおい、お前たちは無事かぁ?」
向こう岸からルピーダの声が響いた。
「俺たちは大丈夫だ!
レトはふたりを連れて飛んでいったみたいだ!」
アラドは綱を放り捨てて大声を返した。
「こっちでも見ていた。
レトはそっち側の北へ飛んでいった。
何とか、あいつらと合流できないか?」
「わかった。
あいつらを追ってみる。
そっちはどうする?」
「あたしは村まで引き返す。
領主に事態を報告して、王国からの救援を頼んでもらう。
これはもう魔獣狩りどころじゃない。
『魔獣狩り』のメンツになどかまってられないほどの非常事態だ!」
「わかった。
こっちも、あいつらと合流して、村まで撤退する。
橋が壊れたから、このまま北回りに『太古の裂け目』を迂回することになるが……」
「了解した。
救援は北回りから向かってもらうよう頼んでみる。
何としてでも生き残るんだ!」
アラドはルピーダの激励のような言葉に大きくうなずいた。
「よし、ここを離れるぞ」
アラドは仲間ふたりをうながして、橋から離れていった。
柱の上にはカラスの姿はない。
さきほどの光を追って飛んでいったようだ。
ルピーダはアラドたちの姿が見えなくなるまで見守っていた。
3人の姿が見えなくなると、身体の向きを変えた。
「さぁ、あたしたちも先を急ごう。
本当にぐずぐずしてられないんだ!」
34
広い青空の下を一羽のカラスが飛んでいた。
カラスは何か目的があるかのように、まっすぐ飛んでいたが、急に頭を下げると、今度は森へ向かって矢のように急降下をはじめた。
空から見ると、森はまるでふかふかした緑の絨毯を広げたようだ。
その一部に、小さな丸い穴が開いていた。
カラスはその穴めがけて急降下しているのだ。
カラスは穴を潜り抜けると、そのまま森の中へ入っていった。
そこには、こんもりと茂みが盛り上がっている。
カラスはその上に降り立つと、茂みをつつき始めた。
「かぁあああ、かぁあああ」
茂みをつついていくと、草がどんどんこぼれ落ちて、やがて、銀色に光るものが現れた。
銀色に光る、ごつい左腕の鎧――。
カラスは腕が現れると、鎧の上に飛び移り、今度は鎧をコンコンとつつきだした。
それまでぴくりとも動かなかった鎧がうごめくと、茂みからゴソッと音を立てて人間の頭が現れた。
レトの頭だった。
「やぁ、アルキオネ」
レトはカラスに声をかけると、アルキオネはレトの頭に飛び乗った。
「かぁあああ!」
アルキオネは激しく鳴くと、レトの頭を思いきりつつきだす。
「痛い! 痛いよ、アルキオネ! やめてくれ!」
レトはもう一方の手で自分の頭を覆う。
アルキオネはすばやくよけると、近くの木の枝に飛び移って「かぁあああ」と鳴いた。
レトは身体を起こすと、アルキオネを見つめてため息をついた。
「怒るなよ。
君を置いてきぼりにするつもりはなかったんだ。
さっきのは、その……、不可抗力というやつで……」
「なに、カラス相手に言い訳してんだ?」
カップが身体を起こしながらレトに話しかけた。
レトはカップに笑顔を向けた。「良かった。無事のようですね」
「無事と言えるのか、これ……」
反対側からペイピールの声が聞こえた。
彼もまた身体を起こして、自分の頭をさすっている。
「ペイピールさんも無事で」
「大きなケガはしていないみたいだがな。
だが、生きた心地はしなかったぜ。
まさか、空を飛ぶはめになろうとは考えもしなかったからな」
「飛んだというより、ひとまず離れた場所まで、自分たちを『放り投げた』んです。正確には」
「どっちにせよ、魔法だよな、それ」
カップがつぶやくように言った。
「レト。お前、魔法が使えるのか」
レトは頭を下げた。
「隠していてすみません。
僕が魔法を使えることは、あまり知られたくなかったんです」
「どういうことだ、そりゃ」
ペイピールの声には怒りが含まれていた。
「もし、お前が魔法を使えるってことをお嬢が知っていたら、お嬢はもっとうまく隊列を編成していたかもしれないぞ。
お前、自分の都合で俺たちが『厄獣』を退治できる可能性を潰したんじゃないのか!」
「隠していたのは良くなかったでしょう。
ですが、思い出してみてください。
あのときの状況で、僕の魔法が役に立つ瞬間ってあったでしょうか?
僕はあのとき、魔法を使わなかったのではなくて、使えなかったんです。
あまりに急な状況で、どう魔法を使えばいいのか考えもつきませんでした」
ペイピールは顔をそむけた。
「だからってよ……」
「おいおい、もういいじゃねぇか。
こいつの魔法がなけりゃ、今頃、俺たちは谷底まで落っこちて、おっ死んでたんだからな」
カップはたしなめるようにペイピールに話しかけた。
ペイピールはまだ不満そうな表情だが、それ以上は何も言わなくなった。
「さて、これからどうする?」
ペイピールが静かになったところで、カップはレトに尋ねた。
「まず、現在地を確かめます。自分たちの位置をつかめれば、どこに向かえばいいか考えられますから」
「いったい、俺たちはどこまで飛んでったんだ?」
ペイピールが愚痴ともつかない口調でぼやいた。
「緩衝地帯の北側。
おそらく、ウルバッハ領のどこかです」
レトは冷静な口調で答えた。
* * * * * * * * * *
カンタ村へ向かうルピーダたち3人の足取りは重かった。
しかし、誰も歩みを止めようとはしない。
早く村へ戻り、王国へ救援を求めなければならないからだ。
しかし……。
「マジさん、置いてっちゃいましたね……」
メルルはぼそりとつぶやいた。
自分たちだけが村に近づいているという実感が、仲間を残したという後悔の気持ちを呼び起こしたのだ。
「仕方がないだろ、実際」
ルピーダは疲れたような声で言った。
「あの状況で、マジを助けることなんて誰もできなかったさ」
「そうですね、そうだと思います……」
メルルはつぶやきながらうなだれた。
いつもそうだ。自分は言わなくてもいいことを口にして、そして、自己嫌悪でうなだれるのだ。
「マジはかなり高い位置まで吊り上げられました。
あれでは『厄獣』も手出しできないのでは?
早く助けに行けば、助かる見込みはあります」
ゴーゴリーが希望的な考えを口にしたが、メルルの心は晴れなかった。
「ルピーダさん……」
「何だい」
「あのとき、ルピーダさんが気になることを言ってました。
『裏をかかれた』って……。
あれって……」
ルピーダはため息をついた。
「あたしの思い過ごしならいいんだけどね。
どうも、『厄獣』はあたしたちに罠を仕掛けていたのではと思ったんだ」
「熊さんが罠を?」
「あんたが不思議に思うのも当然さ。
あたしだって、自分で言っておきながら半信半疑なんだ。
ただ、あいつがウザの遺体を樹に引っ掛けたのは間違いないんだ。
そのとき、ウザの仕掛けた罠をよけながらね。
そう、ウザの罠はわざとそのままにしたんだ。
ウザの遺体を降ろそうと近寄ったやつをそれでハメるために」
「まさか」
「そうだね。あたしもまさかと思っているよ。
魔獣化しているとはいえ、ギガントベアは熊なんだ。
たしかに、熊は慎重で、多少の知恵もある。
しかし、人間の仕掛けた罠を逆に利用してやろうという発想があるなんて、さ。
正直、今も信じられないんだ」
「魔獣って知能のレベルも高いのですか?」
「それこそ、まさか、だよ。
魔獣も獣の一種。
獣の習性から大きく外れることはない。
知能のレベルも同じさ。
だけど、もし……、『厄獣』が、まったく別物だとしたら……」
マジの運命は……。
メルルは背筋がこわばった。
ルピーダは頭を振った。
「よそう、この話は。
とにかく、村へ急ぐことに集中するんだ」
* * * * * * * * * *
「ルピードネラ様!
ご無事でしたか!」
カンタ村にたどり着くと、村長が大慌ての様子でルピーダたちを出迎えた。
村長の手にはわら草をかき寄せたりするのに使うフォークが握られていた。
周囲を見ると、村人の何人かがフォークやクワを手にしている。
村人なりに武装していたようだ。
「あたしはどうにか、ね。
それより、みんなどうしたんだい?
まるでいくさでも始めるようじゃないか」
「『厄獣』討伐の次第については聞いています。無事に戻ってきた者から……」
ルピーダの目が吊り上がった。
「それって……」
さすがのゴーゴリーも不快の表情を浮かべる。
「ケドルが戻っているんですね……」
「そうです。あのひとから皆さんの状況を聞きまして、この村も防衛態勢を敷くことにしたんです……」
「あいつは今どこに?」
ルピーダの声は殺気立っていた。
「集会所です。あちらに……」
ルピーダは最後まで聞いていなかった。
怒りの表情そのままに集会所へ向かっていく。
メルルはゴーゴリーの腕に自分の手をかけた。
「ゴーゴリーさん、ルピーダさんを止めたほうが……」
「そうですね。
さすがに今、ウルバッハと事を構える事態は避けなければ……」
ゴーゴリーはうなずくとルピーダのあとを追った。
ルピーダがまさに集会所の扉を開けようとするところで追いつき、彼女の肩をつかんで止めた。
「お嬢、落ち着いてください。
今、ウルバッハともめるのはまずいです」
「放せ、ゴーゴリー!
あたしは今、どたまに来てんだ!」
ルピーダは身体をよじらせて抵抗した。
すると、目の前の扉が開き、中から男が姿を現した。
「おやおや、これはこれは」
男はふたりを見るや、機嫌のいい声をあげた。ルピーダは相手を睨みつける。
「あんたは……」
「ご無事の帰還、何よりです」
ウルバッハ家執事、ジドーはうやうやしくお辞儀しながら言った。