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狩人は闇に潜む 6

Chapter 6


27


 吊り橋はどうにか無事に渡り終えた。


 相当な距離を渡るだけに、橋はかなり丈夫なものだった。


 しかし、それでもけっこう揺れたのである。


 メルルは橋の板の上で弾んで、橋から転げ落ちそうになった。


 すぐに転げ落ちかねない端側など通っていられない。


 文字通り這う這うの体で橋の真ん中を渡ったのだった。


 橋を渡り切ったメルルは全身汗でぐっしょりだ。こんなところに来たことを後悔し始めていた。


……帰りは遠回りしていこう……。


 メルルはひそかに誓った。この橋はもうこりごりだ。


 『厄獣』の足跡は、橋を渡った先に広がる森へ続いていた。巨体が森を分け入った、新しい獣道が生まれている。


 「やつの追跡は難しくないかもな」


 つぶやいたのはアラドだった。


 「とっとと片づけちまおうぜ」


 マジが巨大なハンマーをぶらぶらさせながら言った。


 「慌てるなよ、『魔獣狩り』」

 カップが大きな手をマジの肩に乗せた。

 「こっからは拠点づくりが先だろ?」


 「すぐに追いかけないんですか?」

 メルルはカップに尋ねた。


 「この『狩り』は簡単に終わるものかわからない。

 だったら、拠点を据えるのが常套だ。

 確実にやつを追い詰めるためにな。

 下手に追っかけるだけじゃ、こっちが疲れるだけだぜ」


 「カップの親父さんの言うとおりだ。

 マジ。こんな当たり前のこと忘れちまったのかい?」


 ルピーダが呆れた口調でマジに言った。

 マジは自分の頬をかきながら横を向いた。「忘れたわけじゃねぇよ……」


 ウザが黙ってマジの肩を叩く。

 マジの態度が、気が急いているからだろうことはメルルにもわかる。おそらくウザも同じようにわかっていると伝えたいのだろう。

 マジにもそれが伝わったのか、それ以上態度を硬化させることはなかった。


 メルルはその光景を眺めながら、マジとウザのふたりは、レトやルピーダが言うほど悪人でないのではと思った。

 少なくとも、仲間の意を汲んだり、思いやったりはするのだ。


 レトの様子をそっとうかがってみると、レトの表情には変化がなかった。

 表情からはメルルと同じものを感じたかどうかはわからない。


 拠点づくりに関しては、ケドルが役に立った。

 彼は緩衝地帯を歩き回ってきた経験があり、土地勘があったのだ。


 何を経験して知識を蓄えられたのかメルルは知りたくなかったが……。


 「このあたりで拠点にするなら、南に向かうといい」


 ケドルは地図を指さしながら言った。


 「もう少し進めば小高い丘に出る。

 そこなら見晴らしもいい。

 昔、誰かが建てた小屋もあるから、雨に降られても安心だ」


 「たしかに、拠点としては都合がいい。

 案内できるか?」


 ルピーダが言うと、ケドルは分厚い胸をそらしてみせた。

 「任せろよ。ちゃんと案内するぜ」


 ケドルは率先するように先頭を歩く。残りの者は無言で続いた。

 メルルが振り返ると、レトは歩きながら地図に何やら書き込みをしていた。


 「何をしているんです?」

 メルルが尋ねると、レトは「ちょっと……」と口の中で答えた。

 のぞいてみると矢印が書いてあるようだが、それが何を意味するのかわからない。

 詳しく聞きたいところだが、レトの態度は、おそらくケドルを意識してのものと思われる。

 そうであれば、ここでいくら尋ねても本当のところは教えてもらえないだろう。


 メルルは潔く諦めて前を歩いた。


28


 ケドルが説明した丘は、『太古の裂け目』を左に見ながらしばらく南下したところにあった。


 ほとんど一本道で迷うことがなかった。


 丘の手前には人が歩くような細い道がある。


 ケドルは道を指さした。


 「この道の先は、ウルバッハ領で一番東のはしにある村へ通じているよ。

 とは言っても、まる半日は歩かないと着かない距離だがね」


 森の道を半日ということは、少なくとも5里はあるということか。

 メルルはざっとあたりをつけた。けっこう遠い。


 「その村が一番、この緩衝地帯に近いということですか?」


 レトはケドルに尋ねた。


 「まぁな。ほかに民家なども点在しているが、おおむねそのあたりに人が集中している」


 「そちらに『厄獣』が近寄ったら大変ですね」


 ゴーゴリーが心配そうに言う。

 彼は純粋に他領の民を心配しているのだ。


 「そうさせないために、やつを別のところへおびき寄せる策が必要だな。

 早く丘を登って、拠点の設営をしよう」


 ルピーダは丘を登りながら言った。


 丘はそれほど高いものではなかったが、あたりに高い樹が生えていないため、視界は広かった。

 小屋は背の低い草に囲まれるように建っていた。

 ところどころ腐り落ちている部分が見え、かなり古いもののようだ。


 これで雨露をしのげるんだろうか? メルルは疑問に思った。


 小屋に入ると、12人全員が横になれるだけの広さはあった。思っていた以上に大きい小屋だった。


 「二三人程度が泊まるため、というものじゃないみたいだな」


 ルピーダが小屋の中を見渡しながらつぶやいた。


 「何のために建てられたのか本当に知らないぜ。

 少なくとも、俺がガキのころからあったのは確実なんだ」


 ケドルの年齢から見て、40年ほど前から存在するということか。

 メルルはしみだらけの天井を見上げながら思った。


 「いざというときに、ここで籠城出来たらと思ったけど、この程度じゃ簡単に壊されそうだな」


 ウザが自分の剣で壁をつつきながらつぶやく。

 小屋は丸太を重ねて建てられたものだが、ウザがつつくたびに小さな木くずがぽろぽろと床に落ちてきた。

 だいぶもろくなっているようだ。


 「ないよりはずっといいと思います。

 それに、ここであれば、罠も仕掛けられますし、防衛の手段も講じられます。

 メルル、頼めるか?」


 レトはメルルに話しかけた。

 メルルはレトの意図をすばやく理解した。


 「はい。この丘一帯に、侵入者感知の魔法陣と、侵入者迎撃の魔法陣を張っておけばいいんですね?」


 「おい、お嬢ちゃんに、そんなことができるのか?」

 カップが驚いたように言った。


 「彼女は魔法使いです。

 直接的な戦闘力はありませんが、こういうことにかけては誰よりも頼りになりますよ」


 レトはメルルのことを高く持ち上げた。メルルは真っ赤になる。


 「が、頑張ります!」

 メルルはぺこんとお辞儀すると、どたどたと小屋から飛び出していった。


 「ゴーゴリー。あの子についててやんな」


 ルピーダはすばやく指示を出すと、ゴーゴリーはうなずくが早いか、メルルを追って小屋から走り去った。


 「どうせなら結界を張るとかできないのか?」

 バット・ダガーがレトに尋ねた。


 「結界って、屍霊グールが入らないようにする『聖結界』のことですよね?

 屍霊に効果はあっても、魔獣の類には効きません。

 それと……、きちんと確認はしていませんが、聖属性の魔法は傷を治す回復魔法ヒール系ぐらいしか彼女は使えないはずです」


 「どっちにしろダメってことか……」

 バット・ダガーは残念そうに首を振った。


 「しかし、それでも、ちゃんとした拠点を押さえられたのは大きい。

 荷物は背負って運ぶしかなかったから、食料は少ない。

 効率よく追跡、討伐をしないと、物資不足で撤退、なんてことになるからな。

 ここでしっかり検討しながら事に当たれるのは助かる」


 アラドはバット・ダガーの肩を叩きながら言った。


 アラドの言ったことは、この場にいる者全員が実感できることなので、誰もがうなずいた。


 「さっそく、追跡の段取りを決めておかないか?」

 メッシーナが提案する。

 バット・ダガーは部屋の真ん中にテーブルを運んで、そこに据え置いた。

 アラドはテーブルの上に地図を広げた。

 3人の動きは連携が取れていて、滑らかなものだった。


 ルピーダはアラドの隣に立って、地図を眺めた。

 「そうだね。

 まずは、『厄獣』の足跡があった森の入り口まで戻り、そこから追跡を始める。

 足跡を追う隊にバット・ダガー。それに、あたしとゴーゴリーが担当しよう。

 追跡隊に並行して右翼側をマジとウザ、左翼をアラドとペイピール。

 右翼後方をカップの親父さん、左翼後方をメッシーナの弓担当。

 追跡隊後方にレト、メルル、ケドルの3人を任せる。

 弓担当を均等に配置するなら、この組み合わせが最適だと思う」


 「なるほどですね。

 弓隊の均等配置ですか」


 レトはうなずいた。

 ルピーダが考えた人員配置は、レトから見ても妥当なものだ。

 ケドルをレトたちと同じ後方支援に回したのは、レトにウルバッハのことを探ってもらおうという意図もあるだろう。


 レトはちらりとケドルに視線を向けた。


 ケドルは地図を見つめながらうなずいている。

 彼にも異存はないようだ。


 「魔法陣の展開終わりました!」


 扉を開く音と同時に、メルルの大きな声が飛んできた。


 「そんなに大声出さなくても聞こえるよ」

 レトは苦笑した。


 「あ、すみません」


 メルルは少し恥ずかしそうに頭をかきながら、みんなが囲んでいるテーブルに近づいた。

 そのすぐ後ろをゴーゴリーがついて歩く。


 「追跡はこの態勢を維持しながら行なう。右翼と左翼は、『厄獣』への警戒を一番強くしなければならない。責任重大だ。頼んだよ」


 ルピーダは地図をなぞりながら言った。


 「『厄獣』を発見したら、右翼と左翼が展開して、挟み撃ちの態勢にする。その間に後方の弓隊が前進して、あたしを含めた三方から毒矢を一斉射撃。

 一本でも当たれば、毒で動きが鈍るから、そこを右翼と左翼でとどめを刺す。

 このような流れで進めたいけど、いいね?」


 「異存はない」

 アラドはうなずいた。


 「俺もだ」

 マジもうなずく。


 「しかし、この隊列を維持しながら進むことはできるのかな?

 この地図を見るかぎり、けっこう地形が複雑だぜ」


 ペイピールが慎重な顔つきで疑問を呈した。


 緩衝地帯は、あまり人が足を踏み入れないため、森の通行状態は良くないだろう。

 本来、森の近くに人間が住んでいれば、定期的に木の伐採や整地が行われる。

 人間の住みやすい森へと『改造』されるのだ。


 そのような森であれば、隊列を維持しながらの追跡は容易だろうが、緩衝地帯の森で現実的にできるのか。

 ペイピールの疑問はもっともでもある。


 「おそらく、追跡のスピードは落ちるだろうね。

 それは想定の範囲内さ。

 食料の問題もあるから、この隊列は『厄獣』だけでなく、ほかの獣を狩るための態勢だと思ってほしい」


 「はぁあ……。足りない食料は現地調達ってことか……」

 ウザがため息をもらす。


 「ま、当然だろ」

 マジは当たり前のようにうなずいている。


 「『魔獣狩り』がウサギ一匹仕留められないなんて恥さらしな話はないだろ?

 まぁ、緩衝地帯は獲物の多いところでもある。

 通常の狩りをしながら『魔獣狩り』しようじゃないか」


 ルピーダはウザの肩をぽんぽんと叩いた。


 「緩衝地帯は、ただ自然豊かってだけでなく、珍しい植物も生えている。

 薬はもちろん、食料になる草木もあるぜ」


 ケドルがウザを安心させるように笑顔で言った。

 ウザは、じとっとした目をケドルに向けた。


 「ここじゃ、何が食えるんだよ」


 「そうだな……。

 森にはアケビやイチジクが生えていたな。

 腹の足しにはならないかもしれねぇが、山ブドウもあるぜ」


 「山ブドウも……。

 それがあれば薬にもなりますね」

 ゴーゴリーが嬉しそうな声をあげる。

 メルルはゴーゴリーの顔を見上げた。

 「山ブドウって、お薬になるんですか?」


 「茎をつぶせば虫刺されの薬、葉はハチ刺されの薬に、果実は貧血の薬になるんです」


 「へぇえええ」


 「傷の手当に使える薬草などはありますか?」

 レトはケドルに尋ねた。


 「ドクダミとか生えているって聞いたことがあるぜ。

 あと何だっけ。熱を下げるハナスゲとか……。

 知識があれば、ここら一帯は薬草の宝庫だぜ」


 「この一帯であれば、『クマギライ』もありますよね?」


 口を挟んだのはゴーゴリーだ。


 「『クマギライ』?」

 メルルは首をかしげた。聞いたことのない植物の名前だ。


 「本来はこの国でも南部にしか生えないとされる植物です。

 煎じれば熱冷ましに効く特効薬だと言われています。

 それよりも効果的なのは、葉をすりつぶして全身に塗り込めば、独特の芳香がクマよけになるそうです。

 まぁ、この植物はすりつぶすと濃い黒色に変色するので、全身に塗り込むと自分が熊みたいに真っ黒になってしまいますが。

 プライネスでも見かけることのない珍しい植物ですが、ひとの出入りが少ない緩衝地帯で見つかったと、以前に聞いたことがあります」


 「どんな特徴の植物です?」

 メルルは興味を抱いて尋ねた。


 「うーん。実際に見たことはないので正確かどうかはわかりませんが……。

 葉の形状はトリカブトに似ているとか……」


 「……毒草ですよ、それ……」

 メルルはじとっとした目をゴーゴリーに向けた。

 ゴーゴリーはきまりが悪そうに頭をかく。


 その様子を見て、ケドルが笑いだした。


 「たしかに、そんな情報じゃ役に立たねえな。

 実際、生半可な知識じゃ毒草を間違って採ってしまう危険はある。

 生兵法はケガのもと、ってね。

 下手なことはしないほうがいいぜ」


 「そうですね。

 僕の知っている薬草が生えていないなら、余計なことはしないほうがいいですね」

 ケドルの説明に、レトはうなずいた。


 「私は多少知識があります」


 メルルは手を挙げた。探偵事務所で働く前、彼女は魔法使いの師匠のもとで、薬局勤めをしていたのだ。

 彼女の師匠は魔法薬剤師だった。


 「そうかい。なら、移動の途中、いい薬草があったらついでに摘んでおいておくれよ。

 ただし、そっちに意識を集中させないようにね」


 ルピーダは笑顔で釘を刺した。


 メルルはそろそろと手を下ろした。「はい……」


29


 日が暮れてきたので、一行はそのまま夕食の準備にとりかかった。


 今日は、現地へ足を踏み入れることと、『厄獣』の痕跡を見つけること、拠点を構えることで一日が終わってしまった。


 メルルは窓から外を眺めながら、そんなことを考えていた。


 この調子で、いつ『厄獣』を仕留めることができるのだろう。


 ただ、ルピーダたちが悠長にしているわけでないことはわかる。


 彼女は地図を眺めながら、アラドやケドルたちとしきりに話し込んでいた。

 レトも議論の仲間に参加している。


 議論の内容は、どのように森を進んで追跡を行なうか、ということだった。


 ケドルの説明では、『厄獣』が足を踏み入れた地帯は、特に人間の手が入っていない場所だという。

 つまり、まともな道はないのだ。


 もともとの地図に道は描きこまれておらず、地形だけがわかるものになっていた。


 彼らは、そこに自分たちが今日歩いてきた道を描きこみながら、追跡の順路を考えているのだ。


 「『厄獣』だって生き物だ。

 飲み水のために、沢を探すだろう。

 この地図によれば、このまま西へ進めば沢に出る。

 ひょっとしたら、ここで待ち伏せができるんじゃないか?」


 「川は北から南に向かって流れているな。

 南はそのままカーペンタル村まで続いている。

 急がないと、『厄獣』が南下したら大変だ」


 「北はどこに通じています?」


 「川は北へ伸びているが、途中で西に曲がっている。

 もともと、ウルバッハを横断している川だ」


 「地図にはもうひと筋、北へ川が伸びているようにありますが……」


 「そっちの川は枯れてしまっている。

 さすがに水のない方角へ『厄獣』は行かないだろう」


 「いずれにせよ、隊列を組んで進むのは、この川を目指してってことになりそうだな。

 そこで罠を仕掛けるか、待ち伏せをするか、判断しようか」


 どうやら、ひとまずの結論は出たようだ。


 「メルルさん、こちらに火をかけていただいていいですか?」


 ゴーゴリーが鍋を揺らしながら話しかけた。

 揺られている鍋は近くのストーブに向けられている。

 メルルの魔法でストーブに火を入れるのだ。


 「あ、すみません。すぐ火を点けます」


 メルルはゴーゴリーのもとへ駆け寄った。


 外が暗くなったころ、小屋では夕食が始まった。


 野菜などを煮込んだシチューに、乾燥させたパンだけだったが、それでも美味しく、楽しい食事だった。


 お酒がなかったにも関わらず、みんな陽気に笑い、はしゃぎ、ここはまるで宴会場さながらだ。


 さすがにレトは口を開けて笑う様子を見せなかったものの、口元には優しい笑みを浮かべていた。


 レトとは仲の良くないマジとウザも陽気に笑っている。しかし、彼らが直接語り合う様子が見られなかったのは仕方のないことだろう。


 メルルはアラドたちともすっかり打ち解けて陽気におしゃべりしていた。


 『魔獣狩り』の男たちは野卑ではあるが、気のいい性格の者たちばかりだ。


 乱暴者と聞いていたマジとウザのふたりも、メルルにとっては同じだった。


 陽気なひとときは夜が深まるまで続き、誰が告げるわけでなくお開きとなった。


 メルルは持参した薄手の毛布にくるまりながら、幸福な夢を見ていた。

 楽しかった時間の延長だ。


 このまま、この幸福な時間が続けばいいのに……。


 しかし、翌朝目覚めると、メルルはもちろん、この場にいる者全員が、ここでの『現実』を思い知らされた。



 ウザの姿がどこにも見当たらなくなったのだ。


30


 「たぶん、小便に出かけたんだ……」


 マジは小屋の入り口から丘を見渡しながら言った。

 朝の空気は冷気を含んでいたが、寒いというほどでもない。

 しかし、マジは熊の毛皮を首元にかきよせ、寒そうに首をすぼめている。

 もしかすると、マジは自分の恐怖感をごまかしているのかもしれなかった。


 「だったら、この近くで済ますんじゃないのか?」

 アラドは槍を手につぶやいた。あたりに油断なく目を光らせている。


 「大きいほうをしたくなったとか?」

 メッシーナは、まだ少しのんびりした口調だ。

 マジが厳しい表情で振り返る。「どっちでもいいだろ!」


 「魔法陣に反応は?」

 レトはメルルに尋ねた。


 「侵入感知の魔法陣に変化はありませんでした。

 ただ、出て行くのを感知するのは仕掛けていなかったので……」


 メルルはすまなさそうに答える。


 「そんなこと想定はしないだろ。気にするな」

 ルピーダがメルルの肩に手を置いた。


 「足跡を見つけた。たぶん、これがウザのものだ」


 バット・ダガーが地面にしゃがみこんだ姿勢のまま言った。

 朝露を吸って柔らかくなった地面に、丘を下っている一対の足跡が残っていた。

 その足跡は、丘を下ったすぐ先の森まで続いているようだ。


 「どうする?」


 アラドはルピーダに尋ねた。

 ルピーダは腕を組んだ姿勢のまま首を振った。


 「この足跡を追うしかないだろう。

 ゴーゴリー。昨日決めた配置の、ウザの位置についてくれ」


 「わかりました」

 ゴーゴリーは短く応えた。


 「全員、必要最小の装備で。

 残りは、ここに置いていく。

 動きを軽い状態にしておくんだ!」


 ルピーダは指示を出すと、自分の弓を取り上げた。

 すばやく矢筒を腰に着けると、丘を下り始めた。


 メルルも大急ぎで身支度を済ませるとルピーダのあとを追う。


 ルピーダは森の手前で全員がそろうのを待っていた。


 バット・ダガーは足跡を確認した。「このまま森に入っている……」


 ルピーダはうなずいた。「よし、行こう」


 一行は森へ入った。


 「だいたい、どうして、お前の相棒は森にまで入って行った?

 『厄獣』の足跡があったところとは離れているが、それでも、森は危ないと思うものだろう?」


 森へ入るなり、アラドは反対側のマジに大声で尋ねた。


 「ガキじゃねぇんだ!

 そんなことぐらい、ウザだってわかってるはずだ!

 だから、俺だって戸惑ってるんじゃないか……」


 マジも大声で反論したが、最後は尻つぼみに弱くなった。


 「ふたりとも大声を出すな。

 『厄獣』に、こちらの位置を報せるつもりか?」

 ルピーダが鋭い声で割って入った。

 マジとアラドは不機嫌そうな表情で口をつぐんだ。


 「『あれ』かもしれないな……」

 ペイピールが前を歩くアラドに小声で話しかけた。

 「『あれ』って何だ?」

 アラドも小声で聞き返す。


 「あの丘に拠点を構える前に、このあたりに罠を仕掛けたんだ。俺とウザのふたりで。

 罠と言っても、熊捕り用の大げさなものじゃない。

 ウサギや鹿などを捕まえるためのものさ。

 何せ、ここで肉を食いたきゃ、現地調達するしかないからな」


 「まさか……、仕掛けた罠の様子を見るためにひとりで……」


 「昨夜のメシは旨かったが、やっぱり、肉が欲しかったからな。

 何かが罠に掛かったとしても、ウサギ一匹だけじゃ、みんなと分け合うってわけにいかねぇ。

 だから、俺たちを出し抜いて肉のひとり占めをたくらんだのじゃねぇかって……」


 アラドはため息をついた。「ありうる話だな……」


 「全員、止まれ!」


 大声ではないが、ルピーダは鋭く命じた。

 全員の足が止まる。


 ルピーダの目は正面を向いていた。


 メルルは自分の身体を傾けて、どうにかルピーダが見ているものを見ようとした。

 そして、自分の口に手をあてて息をのんだ。


 ルピーダの前には大きな樹が立ちはだかっていた。


 樹齢はおそらく百年は超えているだろう。人間の胴体をはるかに上回るほど太い幹の大木だ。

 黒々とした幹は、無数の蔦に覆われている。



 ウザはそこにいた。


 全身血まみれで、蔦で大木にくくりつけられていた。


31


 「ウザ!」


 マジは大声で叫んだ。


 「……どういうことだ?」


 アラドは声を震わせる。見えている現実が理解できない様子だ。


 「……死んでいるな」

 ケドルは冷静な表情でつぶやいた。遠目でもウザに呼吸をしているなど、生命の兆候を示すものは見られなかった。

 「……そうですね……」

 かたわらに立つレトは苦い表情でうなずくしかなかった。


 「でも、どうして……」

 メルルは手を口に当てたままつぶやいた。


 「首筋と胸元を見ればわかる。

 熊の牙と爪にやられた跡だ。

 あいつは『厄獣』にやられたんだよ」


 ルピーダが苦々しげな表情でつぶやいた。

 思わず握りしめたこぶしがぶるぶると震えている。


 「なに、こんなところでゴチャゴチャ言ってやがる!」


 マジの大声が飛んできた。

 マジはルピーダの前に進み出ていた。そのすぐ後ろをゴーゴリーが追っている。

 「マジ、戻れ。隊列を乱しちゃいけない!」


 マジは怒りの形相でゴーゴリーを振り返った。

 「ふざけんな!

 ウザをこのままにするわけにいかないだろ!

 どうして、誰もあいつを下ろしてやろうとしないんだ!」


 マジは、なおもすがろうとするゴーゴリーの手を振り払い、足音も荒々しく大木へと近づいた。


 「くそっ! ウザ、すぐ下ろしてやるからな……」


 マジはウザの身体に手をかけようと、さらに一歩踏みだした。



 その瞬間――。



 ざぁっという樹々を揺らす音が響くや、マジの身体が空中へ跳ね上がった。

 同時に、レトの肩からもアルキオネが飛び立った。

 マジの口から悲鳴があがる。「うわぁああああ!」


 「ウザが仕掛けた罠だ!」

 ペイピールの叫び声と同時だった。


 再び、ざぁっという音とともに、大きな黒い塊が一行の中心に落ちてきた。

 『それ』は樹上から飛び降りてきたのだ。


 全身は褐色の剛毛に覆われているが、頭部から背中にかけて三本の白い筋が走っている。


 人間の胴ほどもある太い前肢に、人間の手のひらほどもある大きな牙。


 故郷で熊を見たことのあるメルルでさえ、この生物は想像できないほど巨体だった。


 「『厄獣』だ!」


 レトは剣を抜いて叫んだ。

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