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狩人は闇に潜む 5

Chapter 5


23


 「ルピーダの姐さん。

 こいつと知り合いなのかい?」


 傷の男――マジはレトを指さしながら尋ねた。

 太い棘のついたハンマーを肩に乗せている。何か動物の毛皮をマントのように羽織っていた。

 よく見れば、それは熊の毛皮のようだった。


 「まぁね。

 別の退治話で縁があったんだ。

 今回、たまたま近くにいたので助っ人を頼んだのさ」


 「ほう、お前が?」

 マジは身をかがめて、レトの顔を舐めまわすように見つめる。


 「マジ。こいつ、相変わらずの顔つきだぜ。

 俺たちを見ても、何とも思っていないような、イヤな顔だ」


 ウザが顔をしかめて言った。

 ヒゲで顔半分が隠れていても、いかにもレトを嫌悪するような顔つきだということはうかがえた。


 「おふたりともお元気そうですね」


 レトは軽く会釈した。すると、ふたりの顔つきが怒りの表情に変わった。


 「なにが『お元気そうですね』だ!

 お前、ほかに言うことはないのか!」

 ふたりは怒りの形相のままレトに詰め寄る。


 メルルはレトの背中をつついた。「レトさん。このひとたちに何したんですか?」


 「この人たちにお金を巻き上げられそうになったことがある。

 僕はお金を渡して逃げたんだ」


 「それってカツアゲじゃないですか!」

 メルルはマジとウザのふたりに顔を向ける。


 「それなのに、あなたたちはレトさんが何かしたように責め立てるんですか!」


 「なんだ、この小娘は?」

 マジはたった今、メルルの存在に気がついたような反応を見せた。


 「バカ野郎! こいつの言うことを真に受けるんじゃねぇ!

 金を巻き上げられたのは俺たちのほうなんだ!」

 一方、ウザは太い腕を振り回しながら抗弁した。


 メルルはレトに疑わしい目を向ける。「本当ですか?」


 レトは両手を肩の位置まで挙げた。少しおどけた様子だ。

 「僕がお金を渡したのは本当。でも、その代わりに、ふたりの財布を奪ったのも本当だ」

 「なんですか、それ?」メルルは訳がわからなくなってつぶやいた。


 「説明が難しいな……。ねぇ?」

 レトはマジとウザに同意を求めた。ふたりは顔をさらに真っ赤にさせた。


 「『ねぇ』じゃ、ねぇ!」


 「はいはい、もうここまでだよ、3人とも」


 ルピーダはレトとふたりの間に割って入った。


 「過去にどんないきさつがあったかは知らないけど、それはまたの機会にしてくれる?

 今回は、人間同士でじゃれあう余裕のあるような、やわなヤマじゃないんだ」


 「お嬢の言うとおりです。

 今回は、『魔獣狩り』に徹してもらえませんか?」


 ゴーゴリーも付け加えるように言った。


 マジとウザはそれでもしばらくレトを睨みつけていたが、同時に「ふん」と鼻を鳴らして同じ向きへ顔をそむけた。

 ふたりとも同様に背を向けると、アラドたちの立っているほうへ去っていく。


 「あのふたり……。すごく息ピッタリですね」

 メルルが変なところで感心した。


 「ふた組目の助っ人が彼らですか……」

 レトは少し暗い口調でつぶやいた。

 ルピーダはレトの隣に立つと、

 「知らなかったとは言え、すまないね。

 あいつらは腕っぷしはあるんだが、性格が『あれ』なんでね。

 ほうぼうでもめ事を起こして、しまいにはどこからも依頼されなくなっちまったのさ。

 このまま廃業して、盗賊か強盗にでもなられたほうが迷惑だ。

 そんなわけで、あいつらに、こっちの仕事を少し融通してやっていたんだ。

 今回の『狩り』は、あいつらにとって、失墜した評判を取り戻す機会チャンスでもあるので声をかけたんだ。

 すんなりと乗ってきたから、やっぱり苦しい状況なんだろうね。

 悪いが、あいつらと組むのを承知してもらえないか?」

 本当に申し訳ないように言った。


 「ルピーダさん。

 僕だって、今がどういう状況か理解しているつもりです。

 こっちの都合で連携を乱しては、討伐どころか、こちらの全滅を招きかねません。

 彼らとは、私情をはさむことなく共闘します」

 「頼む」


 ルピーダはレトから離れると、アラドたちに向かって歩き出した。


 「私情をはさまないって言ってましたけど……」


 立ち去るルピーダの背中を見ながら、メルルはレトに話しかけた。


 「できるんですか、それ」メルルの声は懐疑的だ。


 「できなくてもしなくちゃいけない」


 レトは村の方角に顔をそむけるようにして答えた。

 さっきからケドルが興味深そうにこちらをうかがっているのだ。

 不本意な形で注目を浴びてしまった。

 今後のこちらの動きに悪影響を及ぼさないか、レトでなくても心配になる。

 メルルもケドルから視線をはずした。

 すると、そちらにはカップがずっとこちらを見つめていたことに気づいた。


 「ええっと……、カップ、さん?」


 カップの視線は気まずくなるほど興味津々のものだった。


 「お前ら……、ほんと、面白れぇな!」


 メルルは顔を真っ赤にさせた。


 「面白がらないでください!」


24


 「ふたり組の冒険者のパーティーか。

 ま、見たまんまってところだな」


 アラドはレトと握手しながら言った。


 アラドは「見たまんま」と言ったが、レトは左腕にだけごつい鎧をまとい、その肩にカラスを乗せている。

 魔法使い姿のメルルを連れているとはいえ、あまり「冒険者」らしくは見えないのではないか。

 メルルはそう考えていたが、レトの恰好について、ツッコミを入れる者はひとりもいなかった。

 アルキオネは、その雰囲気に安心しているのか、レトの肩の上で眠っているかのように目を閉じている。


 当初の予定ではあったが、レトは自分とメルルを「冒険者」だと身分を偽った。

 仕方なく本名を名乗ることになったが、やはり、職業は伏せることにしたのだ。

 レトがマジとウザに出会ったのは、レトが『勇者の団』に入団するため、王都のディクスン城を目指していたころのことだった。

 それからいくつかいざこざがあったのだが、レトが『勇者の団』に入団したことや、その後のこともまるで知らない様子だったからだ。


 ほかの者たちも、目の前にいるレトが、メリヴェール王立探偵事務所で活躍している『レト・カーペンター』だと考えてもいないようだ。

 幸い、カップは空気を読んだのか、合図も送っていないが話を合わせてくれている。

 それならば、『冒険者レトと相棒の魔法使いメルル』で押し通せそうだ。


 「しかし、今回のクエストは魔物狩りだぜ。できるのか?」


 メッシーナはレトの腰に差している剣と、メルルが手にしている樫の杖を交互に見やりながら、不安そうな表情で言った。

 『魔獣狩り』の装備は一撃で頭蓋骨でも砕けそうな、ごつい武器のイメージがある。

 事実、マジとウザの例を挙げるまでもなく、魔獣狩りの武器は大型で威力のありそうなものばかりだ。

 一方でレトが装備しているのは、細身の片手剣だ。

 ギガントベアはもちろん、普通の熊の皮を切り裂くのも容易でなさそうだ。

 メッシーナが心配になるのも無理はない。


 バット・ダガーも同じ考えのようで、無言でうなずく。


 「あんた、腰に差している剣を見せてもらってもいいか?」


 横からペイピールが手を伸ばしてきた。

 レトの剣に興味を抱いた様子だ。


 レトから剣を受け取ると、ペイピールはそれを抜き放った。

 剣先から鋭い、虹色の光を放っている。

 ペイピールの目が鋭くなった。


 「あんた……、これをどこで手に入れた?」


 「どうして、そんなことを聞くのです?」


 「これは、人間の手によるものじゃない。魔族が打った剣だからだ」


 「なんだと?」

 ケドルが反応した。


 「たしかなのか?」

 アラドは信じていない様子だ。


 「カルロス様は剣の収集家でな。

 各地からの名剣を集めていらっしゃる」


 メルルがルピーダを見ると、彼女はうなずいた。「ペイピールの言ってることは本当だよ。あの馬鹿親父の趣味だ」


 「その中で1本、明らかに異質なものが混じっていた。

 聞けば、それは魔国製の剣とのことだった。

 魔国には、剣に魔力を込める技術があるそうだ。

 この剣のようにな」


 ペイピールは剣を掲げてみせた。

 「そういうことは現在の人間にはできない。

 この剣を手に入れるには、魔国に行って手に入れるしかないんだ」


 「あるいは」

 ケドルが口をはさんだ。

 「それを持っている魔族野郎をぶっ殺して手に入れるかだ」


 「想像にお任せします。

 正直なところ、その剣は先祖から受け継いだもので、どういった経緯で先祖の手にあったのか、誰も知らないんです」

 レトは白々しい作り話を聞かせた。メルルは心の内で呆れる。


……探偵より、詐欺師のほうが向いていませんか?


 事情が事情なだけに、直接言ってやれないのが残念だ。


 「あんたの先祖は、『解放戦争』の勇士だったのか?」


 ペイピールの声の調子が変わった。

 先ほどまではレトを疑うような響きがあったが、今ではだいぶ柔らかい。


 「あいにく、家系図も残っていないので……。どんな先祖なのか知りようがありません」


 レトはいかにもありそうな嘘でペイピールの質問をかわした。

 しかし、それでペイピールの態度が硬化することはなかった。


 「この魔法剣はかなり使い込まれている。

 あんた、意外と強いんじゃないか?」


 レトは『意外と目利きだ』と心の内で感心した。

 この剣は丁寧に磨き、曇りひとつない状態に仕上げている。

 それなのに、ペイピールは『使い込まれている』と見破った。

 ペイピールはレトよりほんの少し年上だと思われる。しかし、実戦の経験はレトよりさらに豊富なのかもしれない。

 相手の剣を見て、その力量を見破るのは、剣士にとって必須の技術だろう。


 ペイピールは剣士ではなく、地方領主を守る用心棒のひとりにすぎない。

 しかし、その実力は、有名冒険者とそん色ないようだ。

 レトはそのようにペイピールを分析した。


 一方で……。


 ケドルはレトたちから少し離れたところで、こちらの様子を見つめている。

 うっすらと笑みを浮かべた表情だ。

 その表情のうらで、こちらのことをどう思っているのだろうか。

 メルルはそれが不安だった。


 もちろん、ケドルの実力もわからない。

 しかし、暴力で領民に恐怖を植え付けてきたケドルが弱いとは思えない。


 もし、それがとんだ見掛け倒しであれば、ウルバッハの恐怖統治に動揺が生じるかもしれない。

 『厄獣』討伐のために戦力として期待したいところだが、そうでなければとも思う。

 メルルとしては複雑な気持ちだった。


 「そろそろ出発だが、その前に装備や役割の確認をしておこう。

 弓を扱う者は矢の本数を確かめてくれ」


 ルピーダが大声で指示を出す。

 今回の討伐隊でリーダーを務めるのだ。


 「矢の本数って決まっているんですか?」

 メルルは不思議そうに尋ねる。

 とにかく、たくさん持っていけばいいだろうに。そう思ったからだ。


 「もちろん、多いに越したことはない。だが、森や山で魔獣を狩るのに、大量の矢は重量もあって、大荷物になるんだ。

 そのせいで動きが鈍くなったら、こちらの命取りになりかねない。

 そこで、必要最大数だけ用意して、できるだけ負担を軽くする目的があるんだ」

 ゴーゴリーが丁寧に解説してくれる。

 メルルは、なるほどと思った。

 「必要最大数ってどれぐらいなんですか?」


 「24本だ。ちなみに幸運の数字でもある」


 答えたのはメッシーナだった。

 メルルはメッシーナの背中に大きな矢筒があるのに気づいた。

 「そこに全部入れているのですか?」


 メッシーナは背中を揺すってみせた。

 「ほとんどはここだ。これは運搬用のものだからな。

 すぐに使うためのものは、腰の矢筒に入れてある」

 メッシーナは身体をひねると、腰からぶら下げている矢筒を見せた。

 こちらはかなり細いもので、矢羽が6対のぞいている。


 「そちらに6本入れているのですか?」


 「そうさ。腰の矢筒に目いっぱい矢を差し込んでいると、すぐに抜け出せなくなる。

 矢をつがえるときは、たいてい急ぎの場合だからね。

 もたもたすると機を失う。

 下手すりゃ命にも関わる。

 6本というのは、少なすぎず、そして矢筒にゆとりをもって入れられる、最適の数なのさ」


 「へぇえええ」

 メルルは感心した。

 自分に知らないことが多いのはわかっているが、世の中知らないことばかりだとあらためて思う。

 「カップさんも同じ数なんですか?」

 メルルはカップに視線を向けた。


 「当たり前さ。

 こういうのはきっちりしておいたほうがいいんだ。

 俺も、ほれ、見てみな」


 カップも身体をひねって背中を見せる。

 背中には、メッシーナと同じ大きな矢筒があった。


 「今回、弓係はあたし、メッシーナ、ケドル、カップの親父さんの4人で担当する。

 全員ドクヤガエルの毒を携行しておく。

 過去、ギガントベアの退治では有効だった。

 使わない手はない」


 ルピーダは小さなビンを持ち上げてみせると、自分の腰にぶら下げた。


 「槍はペイピール、アラド、そしてゴーゴリー。

 ハンマーはマジ。

 剣はウザ、レトとバット・ダガー。

 メルルは魔法で後方支援を任せる。

 役割分担はそれで問題ないな?」


 メルルはもちろん、ほかの者にも異論はないようだった。

 全員、無言でうなずく。


 「さあて、準備は整った!

 『厄獣』討伐へ出発する!」


 ルピーダは自分の弓を高く掲げて宣言した。


25


 カイン・ウルバッハは60歳を過ぎた男だった。


 よく肥えた大きな身体に、まんまるの頭が乗っかっている姿だ。


 彫の深い顔は、若いときは美形だったのではと思わせる。

 しかし、年輪を重ねて身につけた脂肪の厚さが、それを台無しにした。

 切れ長の目は、肉付きのいい眉の下で威圧的な鋭い目つきとなり、厚めの唇は顎の肉に突き上げられたかのように山なりに曲がってしまっていた。


 カインは高価そうなガウンを羽織り、ワインの入ったグラスを手に立っていた。

 自分の屋敷にある、大きな書斎の窓辺だ。


 「旦那様。

 今回の魔獣狩り。

 どうしてケドルひとりだけに行かせることにしたのですか?

 わたくしは、あと二三人つけておこうと考えたのですが」


 すぐそばで執事のジドーが尋ねた。

 腕には主人に注いだワインのビンを抱えている。


 カインはワインをひと口流し込むと、ジドーに顔を向けた。

 「たしかに、『厄獣』の登場は厄介な話だ。

 しかし、最悪、やつが我が領地奥深く入り込むことになっても、領地を抜けてミルコ山地へ向かうのであればそれでもいいと思っているのだ」


 「それは、どういったわけで?」


 「ミルコ山地の南端にはあの『ベルク・ホーフ山』がある」


 「『魔の山』、ですな」


 「人間の住んでいる土地は魔素が薄い。

 魔獣どもが暮らす『ミュルクヴィズの森』と比べれば、このあたりはやつらにとって住みにくかろう。

 我らが空気の薄い高山にいるのに近いからな。

 だが、『魔の森』の『飛び地』と呼ばれるだけあって、あの『ベルク・ホーフ山』なら魔素が満ちている。

 ここでの殺戮に飽きてくれば、森へ帰るか、居心地の良い新天地へ向かうはずだ。

 こんなところに『厄獣』が迷い込んだ理由はわからんが、やつが目指すであろう先は予想がつくのだ」


 「なるほど。

 『厄獣』は目的地が読めるだけに対処のしようもあると……。

 と、なれば、問題はプライネスの連中、というわけですか」


 「やつらは、こちらに王国軍をけしかけようと機会をうかがっている。

 当家を取りつぶすことができれば、特上の『ケーニス・ワイン』は、やつらの専売にできるだろう。

 かなうのなら、我がウルバッハ領を併合したいと考えておるやもしれん」


 「カルロス・プライネスなら考えかねませんな」

 ジドーは主人の考えを支持してうなずいた。


 「あいつは目の上の瘤だ。

 とっとと、この世界から退場願いたい。

 やつらが討伐隊を組んで、我が領を歩き回ろうというのなら歓迎してやるさ。

 一方で、人手が減ったすきに、こちらはカルロスを『狩り』に出向いてみるのもいいと思わないか?」


 「カルロスを『狩る』おつもりで?」


 「やつの身辺の警備状況次第だがな。

 これまで、あちらに動きが見られなかったから、こちらも動けなかった。

 今回の魔獣騒ぎで状況に変化が生まれた。

 これを単なる厄介ごととするか、『好機』とするかは、互いの器次第。

 そうは思わないか?」


 ジドーは頭を下げた。

 「さすがでございます、旦那様。

 正直なところ、やつらをあの『谷』に近づかせないだけでは安心できないと思っておりました。

 機をとらえて、やつらも始末してしまえば、こちらには何の不安もございませんな」


 「私はケドルを信頼している。

 あいつなら、うまくやるだろう。

 しかし、それではこちらは何も得てはおらぬ。

 実質的な損だ。

 損は取り返さねばならない。違うか?」


 「今回の奇禍を好機に変え、実もいただくというわけですな」


 ジドーはすすっと進み出て両手を差し出した。

 カインはゆっくりうなずくと、ジドーにグラスを預けた。


 「ああ。『厄獣』は、こちらにとっての益獣とせねばな」


 * * * * * * * * * *


 「人員の配置、すべて整いました、旦那様」


 高齢の執事らしき服装の男がカルロス・プライネスに話しかけた。


 カルロスは鋼鉄の胸当てを装備するなど、戦闘に出る姿だった。


 カルロスは静かにうなずくと、


 「ご苦労。

 手筈通り、この屋敷は『厄獣』の問題が片付くまで『罠』の態勢を維持する。

 ウルバッハの連中が現れたら、遠慮なく応戦しろ。

 手加減は不要だ。徹底的にやれ。

 私は、隠れ砦に赴き、しばらく籠城する。

 日頃、準備してきたからな。兵糧も十分だ。ひと月はもつ。

 お前はカンタ村で討伐隊の様子を探る体制を整えるのだ。

 何か動きがあれば砦用の伝書鳩で知らせろ。

 そして、王国に対してだが……。

 そちらへも伝書鳩は飛ばしてあるのか?」


 執事は恭しく頭を下げた。

 「昨夜のうちに。

 早ければ、本日には宰相閣下にお知らせできるかと」


 「そうか……。

 これで王国が軍を動かすかどうかは賭けになるが……」


 カルロスはしばらく目を閉じて沈黙したが、やがて眼を開いた。油断のない、鋭いまなざしだ。

 カルロスは静かに控えている執事に顔を向けると、


 「大げさだと思うか?」

 

 少し疲れたような声で問うた。まなざしは鋭いながらも、表情には陰りが差している。

 執事は腰を伸ばすと首を振った。


 「あのウルバッハ相手に、警戒のしすぎはありますまい。

 しかも、現領主は歴代の中でも猜疑心さいぎしんと欲が特に強い人物です。

 旦那様は対応すべき策を打っているにすぎません」


 「お前はそう言ってくれる。

 しかし、周囲はそう思ってはいないらしい。

 ……たとえば、あの馬鹿娘とかな」


 「お嬢様は、お心の優しい方にございます。

 ひとを疑うことに慣れておらぬのでしょう。

 その意味では、旦那様の妹君マッジ様も同じでした。

 当家の女性は皆、優しい、ひとを疑わぬご気性ではないかと」


 カルロスはため息を吐きながら首を振った。


 「あいつを『魔獣狩り』につきあわせるのではなかった。

 領民を守る心得として同伴させたつもりだったのだが、まさか生業にしたいなどと。

 こちらの意を何とも思わず、自分の意志を押し通そうとする。

 マッジも、こちらの反対を聞き入れず、カインの従兄弟へ嫁いでしまった。

 我がプライネスの女どもは、ひねくれ者ぞろいだ」


 執事は主人の嘆息する姿を、ほんのかすかな笑みで見つめていた。


 「どうした?」


 「いいえ。

 旦那様がどれだけ悪態をつかれましても、おふたりをとても大切に想われていることを、わたくしは充分に存じておりますので」


 一瞬、カルロスの目は驚いたように見開かれたが、すぐ元のように鋭いまなざしに戻った。


 カルロスは不機嫌な表情を浮かべて横を向いた。

 「戯言はよせ」


26


 「……これだ」


 バット・ダガーから緊張した声が聞こえた。


 うっそうと森の樹々が茂っているなか、わずかに広がる獣道の途中だ。


 バット・ダガーは膝をついて、少しむき出しになった地面を指さしていた。


 「ギガントベアの足跡だな」


 アラドがバット・ダガーの肩越しに見ながらつぶやいた。


 「足跡はまだ新しい。

 最近、ここを通ったんだ」


 バット・ダガーの言葉に、ルピーダはうなずいた。


 「予想した通りだったな。

 やつはこの緩衝地帯にいる。

 このままだとウルバッハ領に足を踏み入れそうだな」


 ルピーダの発言にケドルは表情を変えなかった。こちらも予想通りということなのだろう。


 「改めて協定のことは持ち出さなくても大丈夫ですからね。

 ご領主様からは、存分に力を振るって『厄獣』を退治してもらえと言いつかっていますよ」


 ケドルはおどけたように言う。


 「領主カイン・ウルバッハのお気遣いはありがたく思う。

 しかし、こちらとしては領民に犠牲が出ないようにしたい。

 できるかぎり緩衝地帯で仕留めるつもりだ」


 ルピーダの声は力がこもっていた。

 ウルバッハに対する思惑はともかく、この件では本来の役割に徹する姿勢が感じられた。


 「やつは、この道をまっすぐ進んでますね」


 足跡をたぐっていたバット・ダガーが報告した。


 「地図を確認しよう」


 ルピーダはかたわらのゴーゴリーに顔を向けた。

 ゴーゴリーがすばやく地図を広げる。


 「我々の現在地がここ。

 このまま進めば、『太古の裂け目』だな」


 「『太古の裂け目』?」

 メルルが思わずつぶやいた。


 「この先に、とてつもなく大きな渓谷があるのです。

 何でも、このあたりにひとが住むはるか前から存在しているそうで、それでついた名前が『太古の裂け目』」

 ゴーゴリーが説明してくれた。

 彼はすっかりメルルへの解説役だ。


 「向こうへ渡るには1本しかない吊り橋を利用するしかない。

 『厄獣』は『太古の裂け目』を避けて、北か南へ回ろうとするだろう」


 ルピーダはそう考えたのだが……。



 「嘘だろ……」


 ルピーダはある一点を見つめてつぶやいた。


 一行は『太古の裂け目』に到着していた。

 ゴーゴリーが説明してくれたとおり、かなりの渓谷だ。

 深さは適当に見積もっても百メルテは超えている。

 裂け目の幅は左右どちらを向いても終わりが見えないほど広く、奥行き、つまり向こう側への距離も百メルテ近くはあるだろう。


 誰がどのようにして掛けたのか、1本の吊り橋が渓谷から吹き上げられる風に揺られていた。

 谷を基準にすれば、いかにも細く、頼りなく見えるが、実際に間近で見ると、吊り橋の柱も、両岸を渡る綱もかなり太い。

 簡単には落ちそうには見えない、意外としっかりとした大きな吊り橋だった。


 ルピーダが驚いているのは、その吊り橋の綱の部分に、獣の毛が付着しているのが見えたからだった。

 針金のように堅そうな、茶色を帯びた灰色の毛――。


 「『厄獣』は、この橋で向こう岸に渡っている!」


 「そんな馬鹿な!」


 アラドが叫んだ。彼の顔からも驚愕の表情が浮かんでいる。


 「どうして、みんな驚くんです?

 向こうへ行きたいとき、橋があったら渡りたくなるじゃないですか」


 メルルは不思議そうに尋ねた。


 「この橋は吊り橋だよ。

 けっこう揺れて、足もとがおぼつかなくなる。

 こういう足場が悪いのを、獣は嫌うものなんだ。

 警戒する、と言ってもいいのかな。

 しかし、『厄獣』はそれを気にすることなく渡ったということなんだ」

 答えたのはルピーダだ。


 「吊り橋って、人間しか使わないものですか?」


 「サルやリスが使うことはあるだろう。

 まぁ、ここにサルはいないけどね。

 いや、リスでさえ、この橋は使わないだろうね。

 距離がありすぎる」


 「それなのに、あの熊さんはこの橋を渡ってしまった……」


 「警戒心の強い熊ではありえない行動だよ。

 それが、たとえ魔獣化したギガントベアであってもね。

 『厄獣』は、どうもこれまでのギガントベアとかなり違うらしい」


 ルピーダが不機嫌な声でつぶやいた。いかにも気に食わない様子だ。


 「『厄獣』の、この行動が今回の討伐にどう影響します?」


 レトはルピーダに話しかけた。


 「どう影響するか、見当つかないから気に食わないのさ。

 こちらは魔獣の習性を利用して罠を張ったりするが、経験や知識がまるで役に立たないとなったらお手上げだからね。

 場合によっては早期撤退も考えなきゃならない」


 「おいおい、お嬢!

 『厄獣』のツラも拝まないうちから撤退なんて言うのか?」


 ペイピールが大声をあげた。


 「お嬢」と呼ばれたルピーダはじろりとペイピールを睨んだ。

 ペイピールはプライネス家の用心棒のひとりだ。

 彼にとって、ルピーダは『魔獣狩りのルピーダ』ではなく、『プライネス家のルピードネラ』なのだろう。


 「当然、『厄獣』のツラも拝まないうちから撤退なんて考えないさね。

 だがね。あらゆる危険を想定すれば、『撤退』は当然の選択肢だ。

 魔獣とは命の取り合いをしてるんだ。

 生半可な考えだと命を取られるのはこっちだと覚えておきな。

 あたしたちの稼業じゃ、『撤退』は情けないことじゃないのさ」


 ルピーダは厳しい表情でペイピールに言った。


 ペイピールは無言だ。ただ、バツの悪そうな表情で顔をそむけてしまった。


 「レトさんはどう思います?」

 メルルは小声でレトに話しかけた。


 「『厄獣』が橋を渡っただけで『厄獣』の危険性が高まったか、僕には判断できないよ。

 実際のところ、僕は魔獣狩りの素人だ。

 ここは本業の人たちの考えや判断に従う。

 僕たちは彼らの足手まといにならないよう、しっかり役割を果たすことに専念すべきなんだ」


 言われてみればそのとおりだ。


 メルルはうなずくと、ルピーダの次の指示を待つことにした。


 「向こう岸には何の気配もないな」


 望遠鏡で向こう側を探っていたメッシーナが声をあげた。


 ルピーダは大きくうなずくと片手を挙げた。


 「よし。じゃあ、向こう岸へ渡ろう。

 言うまでもないけど、油断は禁物だよ!」

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