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狩人は闇に潜む 4

Chapter 4


17


――凄惨せいさん……。


 もし、この場を簡単に表現できるのであれば、それ以外の言葉は出てこない。


 『魔獣狩り』の一行が襲われた現場に着いたレトたちは、その光景を見て息をのんだ。


 カンタ村へ通ずる、峠の細道だった。


 遺体は、およそ百メルテの範囲に『散らばって』いた。


 おそらく、魔獣狩りの一行は、不意を突かれて後ろから襲われたようだ。


 最後尾の仲間を倒され、恐慌状態に陥った者たちは村を目指して逃げ出したが、次々と倒されていった。


 最後のひとりは剣をとり、戦おうとしたようだが、あえなく、『厄獣』の一撃で命を落としていた。

 遺体が点々と散らばっていたのは、そういう経緯なのだろうとうかがえた。


 「皆さん……」

 メルルは、自分の膝がぶるぶる震えるのを抑えることができなかった。「……ひしゃげています……!」


 「凄まじいな……」

 このような現場に感想を口にしたことのないレトでさえ、蒼ざめた表情でつぶやいた。

 「これが、『厄獣』の暴れた現場か……」


 遺体は巨大な何かに、思いきりぶっ叩かれたかのようで、メルルの言うとおり、身体がひしゃげていた。

 道の両脇には森の樹々が立ち並んでいるが、それらには樹皮を激しくえぐり取られて、幹の白い部分がむき出しにされたものもあった。

 その傷跡から見て、かなり巨大な爪を持つものが、想像を絶する力でえぐり取ったことがうかがえた。

 メルルはイーザリス地方の出身だ。その地域で熊は珍しくないので、その爪痕が熊類のものであることはメルルにもすぐわかった。

 しかし、その破壊は一般の熊がするようなものとまるで次元が異なる。


 チョプスの遺体が見つかった現場を、レトやルピーダが瞬時に『厄獣』が暴れた現場ではないと判断した理由を、メルルもようやく理解できた。


 ギガントベアが暴れた現場は、あのような『おとなしい』状態ですむはずがなかったのだ。


 「アーカンソーのベイルダー一家だ」


 遺体のひとつにかがみこんでいたルピーダがつぶやいた。

 レトはルピーダに顔を向けた。「ご存知なのですか?」


 「あたしが直接、応援を頼んだ。

 アーカンソーはギガントベアが現れる頻度の高い地域で、ベイルダー一家は、ギガントベア退治で有名だったんだ。

 熊狩りの手練れが、こうもやすやすとやられるなんて……。

 今回の件で、一番頼りにしていた助っ人だったのに……」


 「今回、どれだけ助っ人を頼んでいるのですか?」


 「声をかけたのは、大体10組ぐらいかね。

 『来る』と返事があったのはベイルダー一家と、ほか、ひとつ、ふたつぐらいさ。

 ただのギガントベアじゃないからね。

 腰が引けたとしても、わからなくもないんだ……」


 「それで、本業の魔獣狩りだけでなく、領内やカーペンタル村にも協力を依頼したのです。

 結果は芳しいものではなかったのですが……」


 ゴーゴリーが補足するように口をはさんだ。


 言われてみれば、カーペンタル村に駐屯するレギンザは、村の防衛を理由に断る姿勢を見せていた。

 村一番の戦力が『あれ』では、ほかの者なら言うまでもないだろう。


 「今回、必要な人数がそろわなかったら、『厄獣』討伐は中止するんですか?」


 レトはルピーダに尋ねた。ルピーダは苦しそうな表情で首を振る。


 「そうしたいところだが、まるきり何もしないってわけにもいかないね。

 狩りの標的がいるのに黙って見過ごしたとなりゃあ、評判はダダ落ち、今後の稼業に響いちまう。

 何より、プライネス領に新たな犠牲者を出してしまうかもしれない。

 今でも、家を継ぐ気なんて、まったくないけどさ……。

 だからって、故郷の人間が危険にさらされるのを放っておくなんて、あたしにはできないよ」


 それを聞いて、ゴーゴリーは静かにうなずく。

 彼はルピーダが何を決断しても、必ずついていくつもりのようだ。


 「覚悟を決めているようですね。その割には、どうも態度が気になるのですが」


 ときどき、レトは踏み込んだことを尋ねることがある。

 ルピーダはレトの言葉にどきりとした反応を見せたが、すぐに苦笑いを浮かべた。


 「わかるかい? まぁ、怖い現場に出くわすことは何度もあったけど、今回は特別なんだよ。

 ベイルダー一家の様子をよく見てくれよ。

 あんたは、この様子に変なものを感じないかい?」


 「変なもの?」


 レトは現場を見渡しながらつぶやいた。レトは凄惨な現場を冷静な目で見つめる。


 ひととおり見渡して、レトは首を振った。「いいえ。ひどい現場である以外は何も」


 「魔獣も普通の獣も、行動原理は基本的に同じさ。

 向こうから襲ってくるのは、ナワバリを守るためか、エサをとるためさ。

 今回、『厄獣』はここに流れてきただけだから、ナワバリを守るために襲ってきたんじゃない。

 だったら、ベイルダー一家をエサにするためかい? 違うね。

 ベイルダー一家の遺体はひどいありさまだけど、食われた様子がまったくない。

 『厄獣』は、エサ目的でもないのにベイルダー一家を襲ったんだ」


 「それって、どういうことです?」

 メルルは話についていこうと一生懸命に頭を働かせながら尋ねた。


 「これは……、想像でしかないんだけど……、今回、『厄獣』がベイルダー一家を襲ったのは、ただ『殺戮』するためだった。そう思うんだ」


 「『殺戮』……」メルルはその言葉に戦慄した。


 「いくら魔獣でも、満腹のときは、たとえ鼻先を獲物が通っても襲わないものなんだ。

 腹いっぱいで『殺し』をするのは人間ぐらいなんだよ。

 それなのに、こいつはベイルダー一家を皆殺しにした。

 まるで、こちらが戦力を整える前に、それを削るようにね」


 「その言い方だと、『厄獣』がこちらの動きに気づいているみたいですね」

 レトは冷静な口調だったが、その表情は硬いものになっていた。

 ルピーダが懸念していることの意味が伝わってきたからだ。


 「もちろん今のは、あたしの勝手な想像さ。

 でも、これまでの経験や常識がまるで通じないような、そんな得体のしれないものを感じるんだ。根拠のないことばかりで、たしかなことは言えないけどね。

 ただ……、『厄獣』はこれまでの魔獣とは違う。

 それだけは間違いないと言えるよ」


 レトはメルルのそばに立った。

 メルルはレトの横顔を見上げた。


 「どうやら、僕は甘いことを考えていた。

 事件究明のために魔獣討伐を利用するなんてとんでもない。何を差し置いても『厄獣』討伐に専念しなければならないんだ。今の僕たちは……」


18


 ベイルダー一家の遺体を荷車に積み、一行がカンタ村に戻ったのは、日もだいぶ傾いた夕暮れ前のことだった。

 カーペンタル村に戻るのであれば、そろそろの時間である。日が山陰に隠れたら、このあたりは闇に沈むことになるからだ。


 「では、僕たちはカーペンタルに戻ります」

 レトはルピーダに別れを告げると、村へ戻る道を歩き出した。


 『厄獣』の足跡は例の『緩衝地帯』に向かっていた。

 とりあえず、カーペンタル村へ通じる道に危険はないと判断できたのだ。


 「なんか……、とんでもないことになってきましたね……」


 すぐ後ろをついて歩くメルルの表情は暗い。


 今日は朝からとんでもない一日だった。

 チョプスの遺体発見から魔獣狩りベイルダー一家の遭難。

 どちらも重い事件で、気が滅入りかける。


 気持ちが暗くなるのはそれだけではない。


 メルルは明日、レトとともに『厄獣』討伐へ向かう。

 参加することを決めたのは自分自身だが、すでにしり込みする気持ちが募っているのだ。


 それは、ベイルダー一家の無残な姿を目の当たりにしたからで、それは明日の自分の姿になるかもしれない。

 緊張と恐怖。そして、それを感じる自分自身への嫌悪感。

 表情が晴れないのは当然だ。


 レトはメルルの前を歩いているので表情がうかがえない。

 アルキオネを肩に乗せた、いつもの後ろ姿。

 レトはどんな表情で歩いているのだろう。


 いや、どのようにして、平静を保っていられるのだろう。

 レトはきっと、動揺すら感じさせない静かな表情で歩いているはずなのだ。


 しかし、それはメルルの思い込みだった。


 カーペンタル村に着いたとき、レトはふと立ち止まって、顔を横に向けた。

 同時にアルキオネはレトの肩から飛び立つと、夕闇に溶け込むように空へ舞い上がった。

 自分だけ先に宿泊所へ向かうのだろう。


 メルルはレトの視線の先に、自分の目を向けた。

 レトが見ているのは脇の細道だ。


 メルルは「あっ」と思った。


 その道はレトの父親、レオの仕事場に続く道だった。そして、それを見つめるレトの横顔は暗い表情をしていた。

 レトの目は、表情が豊かではない。人間は目だけで喜怒哀楽が表現できるが、レトからそれをうかがえられることは少なかった。

 今のレトの目には、苦悩や哀しみを、さらに寂しさも感じられる。


 まるで折り合いのつかない父と子であるが、少なくともレトは父親のことを思いやっているのだ。メルルにはそれがわかった。


 レトは無言で正面を向くと再び歩き出した。

 そんなレトにかける言葉が思いつかず、メルルもまた無言で後に続いた。


 宿泊所の前で、メルルはレトと別れた。

 メルルは今夜も教会に泊めてもらうのだ。

 今夜は宴会もないので、夕食も別々で摂ることになった。


 「それじゃ、また明日です、レトさん……」

 メルルは力なく手を振って教会に向かった。

 しかし、数歩進んだところで足が止まり、メルルは振り返った。


 レトの姿はそこになかった。

 すでに宿泊所へ入ったらしい。

 ちょうど扉の閉まる音が、夕闇のなかに小さく響いていたのだ。


 メルルはため息をつくと、教会に身体を向きかけた。

 「何を言いかけたんだろ、私……」


 メルルの心はいろんな感情がぐるぐると回っていた。


 今の自分は何を考えているのだろう。

 少なくとも、メルルはさっきのレトの横顔が頭から離れなくなっていた。

 さっきまで心のなかを占めていた恐怖感や嫌悪感は、いつの間にか薄れてしまっている。

 代わりに占めているのは……義務感?


 「違う。私はあのまま放っておくのが嫌なだけなんだ」


 メルルはくるりと向きを変えると、元来た道を戻り始めた。


19


……何、考えているんだろう……。

 レトさんのお父さん。もう、仕事が終わって、帰っちゃっているかもしれないのに……。


 例の細道を歩きながら、メルルは少し考えが足りなかったと反省していた。


 レオの仕事場の場所はわかっている。しかし、住居はどこなのか、レトに聞いてもいなかった。


 もし、仕事場に不在であれば、どこを訪ねればよいのか。

 村の誰かに聞けば簡単にわかるだろうが、昨夜の、レトをいじり倒したどんちゃん騒ぎを思い出すと、からかわれるネタをこちらから提供するようで気が進まない。


 始終からかわれっぱなしだったレトは、苦笑いともつかない微笑を浮かべるばかりだった。


 自分の行動で、それの『おかわり』などしたくはない。


 もし、不在であれば、今日は諦めて教会へ戻ろう。

 そう考えて目の前の道を曲がると……。


 小屋に明かりが灯っていた。


 天井からぶら下げたランプの明かりの下で、作業しているレオらしい背中が見えた。


 「まだ、お仕事続いているのですか?」


 メルルはその背中に話しかけた。


 レオは無言で振り返ってメルルを見た。昨日と同じ不愛想な目だ。「誰だ」


 メルルは頭を下げた。「メルルと申します。レトさんと同じ職場で働いています」


 「何しに来た」


 「何しにって……」


 本当はいろいろと言いたいことがあった。

 しかし、レオの威圧的な態度に気圧されてしまったのか、メルルの口からまともな言葉が出てこない。


 「用がないなら帰れ。

 こっちに用はない」


 その反応は予想通りだが、それにしても……。


 「あの! 私たち、ええっと、レトさんと私は!」

 メルルは目を閉じて、声を振り絞るように大声をあげた。


 「明日、ここを発って、プライネス領とウルバッハ領の境にある、緩衝地帯へ向かいます!

 『厄獣』を討伐するために!」


 レオは作業に戻ろうと顔を下げかけたが、メルルの大声に再び顔を向けた。しかし、その表情に大きな変化はない。


 メルルは話を続ける。


 「あの! できれば、レトさんに、会って、もらえませんか!

 本当に、危険な、任務、なのです!

 無事に、帰って、これるか、わかりません!

 ですから、顔を、見られるうち、せめて、直接、声をかけてやって、もらえませんか!」


 「何て声をかけろと?」


 「無事に帰ってこいって……」

 息も絶え絶えに大声をあげたせいか、最後は尻つぼみに声が小さくなってしまった。


 レオは「はっ」と大きく息を吐き出すと、再び背中を向けた。

 「用はそれだけか? 帰れ」


 「それだけって……。心配じゃないのですか? レトさんのこと。あなたの家族でしょ?」


……あなたにとって、たったひとりの……


 メルルはそう言いかけて口をつぐんだ。

 思えば、レトから家族構成について聞いたことがない。

 レオにとってレトだけが唯一の家族だなんて、今頭に浮かんだ想像に過ぎない。


 メルルは小屋の中をのぞきこんだ。

 これまでに、レオ以外の誰かが足を踏み入れた痕跡でもあるか探ろうとしたが無駄だった。

 小屋の中は乱雑で、いろいろな物が床に散らばっている。

 レオ以外の者が足を踏み入れようとするなら、何かを踏んづけてしまいそうだ。


 しかし、レトは何も踏みつけることなく作業場へ入ったので、慣れている者であれば問題ないのかもしれない。


……じゃあ、ほかの誰かが出入りしても結局わからないじゃない……。


 メルルは心の中でため息をついた。


 「何だ? 何を探している?」


 メルルはレオの声で我に返った。

 レオは完全にこちらへ身体を向けて、メルルを不審の目で見ている。


 「あの、ここには、ほかの誰も、顔を見せないのですか?」


 レオは呆れたような表情を浮かべた。

 「当たり前だ。ここは俺だけの職場だ。余計な者など入れたりはしない」


 メルルはレオの顔を見つめた。

 「じゃ、じゃあ、レトさんはどうなのです?

 レトさんは余計な者ではないってことですよね?」


 レオは、レトとまともに会話しなかったくせに、作業場で仕事をするように言っていた。

 『俺だけの職場』と言っていたが、レトだけは例外だということになる。


 レオは顔をそむけた。

 メルルの指摘は、レオをかなり不快にさせたようだった。


 「あいつは俺の子だ。

 親が子をどう扱おうと、こっちの勝手だろうが。

 それに、あいつは、こっちの許しを得ずに、勝手に村から出て行きやがった。

 あいつに優しい言葉をかけてやる義理などねぇな」


 このひとは相当にかたくななひとだ。メルルは実感した。


 少なくとも、何ごとにつけ自分から理解しようとは考えないだろう。そのように思える。


 「……それに、ますますあいつに似てきやがる。

 あいつの勝手さは母親譲りだ……」


 レオの口からぼそぼそとつぶやく声が聞こえた。

 メルルに聞かせるというより、勝手にこぼれた言葉のようだ。


 「え? レトさんのお母さん?」


 レオは横目でじろりとメルルを睨んだ。「白々しいことを」


 「どういうことです? 私、白々しい態度なんてしてません!」


 「わかっているんだ。

 昨夜、宿泊所の方角から大勢の笑い声が聞こえた。

 おおかた、レトのことで俺のことを笑っていたんだろ?」


 この村は夜になると、音が森に吸い込まれたかと思えるほど静かになる。

 こんな状態では、昨夜のどんちゃん騒ぎは遠くまでよく聞こえただろう。


 それにしても、だ。


 「村のひとは、レオさんのことを笑ってはいません!」

……レトさんのことはかなりいじってましたけど……。


 村人は、あまり上品とは言えない内容のことも口にして、大声で笑いあっていたが、レトの母親のことを口にした者は誰もいなかった。

 レオについても、レトと再会したときの様子について笑った程度で、それも馬鹿にするような笑いではなかった。

 村人からは、レトはもちろん、レオに対しても悪意らしいものは感じられなかった。

 不愉快な態度が見られたのはレギンザくらいである。


 「連中は、あいつの母親のことをネタにして、笑っていたんだろ、え?」


 レオは不信感をあらわに、吐き捨てるように言う。周囲への憎悪をまき散らすかのようだ。


 「あの、その、いいえ。そんなことは……」


 メルルは、はっきりと否定したかったが、レオの迫力に押されて、どもってしまった。


 その反応を、どうやらレオは誤解してしまったらしい。

 「まぁ、無理にしゃべることもない。お前を責めても仕方がない」

 メルルが嘘も言えずにどもってしまったと解釈したようだ。


 違うと否定したかったが、おそらく、レオは怒りだすだけだろう。

 メルルはレオに誤解させたままにするしかないと思った。


 同時に、レトの母親がどういうひとだったのか、とても気になってきた。


 しかし、直接そんなことを聞くのは……。


 「あいつの母親はな、ぷいと出たきり戻らなかったんだ。

 病気だった、赤ん坊のあいつを残してな。

 病弱の子どもの面倒を看るのがわずらわしくなったんだろう。

 それで出て行った。

 本当に勝手な女だった。

 それなのに、あいつは自分を捨てた母親にどんどん似てきやがって……」


 これまでの溜まっていた思いがあふれ出したのだろうか。

 レオは尋ねもしないことを独り言のようにしゃべり始めた。

 しかし、それこそがメルルの聞きたいことだったので、メルルはそっとレオの正面に回って腰を下ろした。

 レトが昨日、作業していたところだ。


 レオは聞く気まんまんのメルルをちらりと見たが、そのことには何も言わなかった。

 メルルはおとなしく、無言で続きを話し出すのを待っている。


 レオはうつむいた姿勢のまま、再び口を開いた。


20


 「今日みたいに肌寒い季節になったころだ。

 俺の小屋の前で、ひとりの女が座り込んでいた。

 王国のはるか南に住む、アージャ族の女だ。

 南方の人間は貧しい者が多い。

 それで、男も女も関係なく大きな街へ出稼ぎに来る。

 女もそのひとりだろうと思った。


 しかし、ここは女が出稼ぎにやってくるような街じゃない。

 初めは放っておこうと思っていたが、そこのところが引っかかって、俺はつい声をかけてしまった。『こんなところで何をしている?』と。


 女は首を振って、『わからない』と答えて俺の顔を見上げた。

 ずいぶんと目の大きな女だった。

 アージャ族の女がよくしている赤い櫛で、髪をまとめていた」


 レオは少し身をかがめると、何かの道具らしいものに手を伸ばした。


 何をするつもりだろうと見ていると、すぐ脇にある道具箱にしまった。

 どうやら、話をしながら作業場の後片付けをするつもりらしい。


 「聞いてみれば、その女は口減らしのため、故郷の村を離れることになったそうだ。

 出稼ぎのいい口があると、仲介を名乗る男に誘われるまま馬車に乗り、ここの近くまで来たということだ。

 だが、聞いていたところとは、全然違う場所に連れて行かれることがわかり、隙を見て逃げ出したと言っていた。

 ただ、逃げ出したはいいものの、村へ戻るわけにもいかず、どこへ行けばいいかもわからず、途方にくれて、その場に座り込んでいたのだと、その女は言った。

 その女は、自分を『ルトラナ』だと名乗った」


……そのひとがレトさんのお母さん……。


 メルルは居住まいを正して耳を傾けた。


 「ルトラナは声をあげて笑うような女じゃなかった。

 そういうところも、あいつはそっくりだな。

 だが、おしゃべりな女や、馬鹿みたいに笑い転げるような女よりはずっといい。

 俺は、そう思って、『いたけりゃ、ここで暮らせばいい』と言ってやった。

 女はそうすると返した。


 そういうわけで、俺はルトラナと暮らすようになった。


 翌年、レトが生まれた」


 待て待て待て。


 メルルは思わず声をあげそうになった。


 早い。これまでじっくりとした流れの話だったのに急展開だ。


 本当であれば、ここから、ふたりがどのようにして恋に落ち、結婚するに至ったのか、そういう話が展開するはずだろう。

 その部分をスッパリ飛ばしてのレト誕生!


 メルルはもう少しでレオに話を戻すように言いかけたが、ぐっとこらえることにした。

 ここで話の腰を折ったら、もっとも肝心な部分を聞かせてもらえなくなる。

 レオの話に、核心と言える部分がまだ見られないのだ。


 辛抱のときだ、メルル。


 メルルは自分にそう言い聞かせた。


 実のところ、レオは自身について当時の詳細を話したくないようだ。


 レオはうつむいた姿勢のせいか、メルルの反応に気づく様子も見せずに話を続けた。


 「レトは身体の小さいガキだった。

 栄養の足りない、すぐにでも死んでしまいそうな……。

 実際、身体は弱かった。

 飲んだ乳はすぐ吐くし、熱をよく出した。

 ルトラナは、そんなレトにかかりきりになってしまった。

 しかし、俺はかまってやるわけにはいかなかった」


 「どうしてです?」


 メルルは反射的に尋ねた。レオの鋭い目がじろりとメルルの顔を睨む。


 「レンガを焼いている最中だったからだ。

 レンガってのは、『焼成しょうせい』が一番難しいんだ。


 窯の温度が高すぎると、レンガは歪んだり、ひびが入ったりする。

 逆に低すぎると、必要な硬度が得られない。

 レンガ職人は、窯に火を入れると、ずっと窯の温度を見張ってなくちゃならないんだ。


 俺は窯から離れるわけにいかなかった」


 メルルの顔に緊張が走った。話の核心に近づいた予感がしたのだ。


 「そんなある朝、ルトラナは『ちょっと出かける』と周りに言い残して出かけていった。

 そして……、そのまま帰ってこなかった」


 メルルの背筋が少し伸びた。


 「ルトラナは村長の家に寄っていた。

 高熱を出して寝込んでいたレトの看病を頼むと。

 村長の上の娘が、レトの看病をしながらルトラナの帰りを待っていたが、あいつは結局戻らなかった。

 俺はそのことを村長から知らされた」


 レオは天井を見上げた。そこら中シミだらけの、今にも朽ち落ちてしまいそうな板の天井だ。


 「……結局、嫌になったんだろう。

 慣れない土地で、相変わらずの貧しい田舎暮らし。

 ガキは病弱で手がかかる。

 そして、つれあいは……、レンガを焼くしか能のない、くだらない男だからな。

 何もかも捨てて逃げ出したくなっても不思議じゃない」


 「……本当に、そう思っているんですか?

 ルトラナさんが、家族を捨てたなんてこと……」


 「村の連中はそう思っている。

 そして、俺もそれを信じている」


 メルルは立ち上がった。「それはひどすぎます!」


 「ひどすぎる?」


 レオは暗い目をメルルに向けた。


 「だって……、だって、そうじゃないですか!

 村のひとの考えはわかりません。

 でも、あなたは、いえ、あなただけは……。

 ルトラナさんを信じてあげるべきじゃないですか!」


 「信じたら、その現実は変わったか?」


 レオの冷たい言葉に、メルルは凍りついた。


 「あいつが出て行ったのは、もう20年も昔のことだ。

 あいつは二度と村に戻ってこなかった。

 この近くでルトラナのようなアージャ族の女を見かけたという話も聞かない。

 あいつは遠くに行ってしまったのさ。

 そんな状況で、いったい何を信じろと?」


 メルルは反論できなかった。

 ただ悔しい思いが胸の奥からせりあがってきて、何かを叫びたい気持ちだ。


 レトは自分の母親のことについて一度も口にしたことはなかった。

 いや、できなかったのだろう。

 レオの話によれば、レトが赤ん坊のころにルトラナはいなくなった。

 母親の記憶など皆無に違いないし、自分は母親に捨てられたのだと思いたくもないはずだ。


 「俺からレトに、あいつのことを聞かせてやったことは何もない。

 だが、村の連中からいろいろ聞いて、自分が捨てられたことは知っているようだ。

 レトからあいつのことで尋ねられたことは何もなかったよ。

 そうさ。

 レトも同じことを信じている。俺や、村人が信じていることをな」


 本当にひどい話だ。


 メルルはそう思ったが、どうしてそう思うのか、うまく説明できない自分がもどかしかった。


 ただ、これだけは言える。『あなたは間違っている』と。


 しかし、メルルの口から、その言葉が出ることはなかった。


 レオは立ち上がると、天井にぶら下げたランプを手に取った。


 「おい。俺は帰る。お前も帰りな」


 レオはそう言い残すと、そのまま立ち去ってしまった。


 メルルは明かりのなくなった小屋にひとり、無言で立ち尽くしていた……。


21


 明くる朝、カーペンタル村はうすいもやに覆われていた。


 朝の早い時間のせいではないようだ。

 カップが、「珍しく、視界の悪い朝だな」とつぶやいたからだ。


 レトとメルル、そしてカップの加えた『厄獣』討伐へ向かう者たちは、村のはずれにある、村の出入り口のひとつに集まっていた。


 その場にいるのは3人だけではない。少なくない人数の村人も集まっていた。見送りに来た者たちだ。


 カップは村人のひとりひとりと握手して歩いた。

 逆に村人たちは、レトやメルルに歩み寄って順に肩を叩いた。


 口数は多くなかったが、彼らが自分たちを案じてくれていることはわかる。

 メルルは胸が熱くなった。


 「どうか、皆さんのことをよろしくお願いします」


 レトは村人とは違う方角へ頭を下げた。

 メルルがそちらに顔を向けると、レギンザが村人の輪から離れて立っているのが見えた。


 レギンザは無言で片手をひらひらと振っている。

 どうやら別れの挨拶のようだ。

 これまでのレギンザの『失礼っぷり』からすれば、見送りに来ただけでも上等かもしれない。メルルはそう思った。


 「行こうか」


 カップが肩にぶら下げた荷物を掛け直しながら声をかけた。

 レトとメルルは無言でうなずくと、村人にもう一度お辞儀をしてから村を出た。


 少し歩いたところで、メルルは最後にもう一度村を振り返ってみた。

 村人たちが、不安や心配を押し殺した笑顔で手を振っている。


 しかし、そのなかにレオの姿は見つけられなかった。



 集合場所は昨日訪れたカンタ村だ。


 「カップさんは、魔獣狩りもするのですか?」


 メルルはカップの荷物に目をやりながら尋ねた。

 カップの肩からは、太い矢の羽が何本か見えている。


 カップは太いお腹をゆすらせて笑顔を見せた。


 「まさか。

 ただ、若いころから狩猟が趣味でな。

 レンガの納品が終わって、少し気分を変えたいときに、弓を担いで森に入ったものさ。

 こう見えてもな、弓の腕には自信があるんだ。

 見てな」


 カップは肩にかけた弓を手にすると、矢を一本つがえた。


 きりり、と弦の音が聞こえると、


 「それ!」


 カップの短く叫ぶ声とともに矢が放たれた。


 矢は一直線に飛ぶと、細い木の幹を貫いた。メルルの太もも程度の細い樹だ。


 「すごい!」


 メルルは樹に駆け寄って、樹の前後を見やった。


 「本当にすごいですね。けっこう距離がありました」


 レトはカップの隣で賛辞を送った。カップは胸をそらす。


 「おうよ! 年季が違うんだ、年季が!」


 「でも、熊さんには、この矢は細くはないですか?」


 メルルは矢を指さした。

 矢は、それなりに太いものだが、通常の熊よりも巨体とされるギガントベア相手では、こんな矢でも小枝に刺された程度かもしれない。


 「心配するなよ、お嬢ちゃん。

 ほれ、ここを見てみな」


 カップは自分の腰を指さした。

 そこには、陶器のビンが太い縄で腰に結わいつけられている。


 「ドクヤガエルの毒だ。

 これを矢尻にたっぷり塗り込んでな、獲物にぶち込むんだ。

 刺された獲物は、まるで雷に打たれたみたいに、ぴくぴくしながらぶっ倒れるのさ。

 こいつの毒は強力で、熊でさえ一発で仕留められるんだ」


 「へぇ……」


 メルルは怖いものを見る目つきでビンを見つめた。

 正直、『毒』と聞いて、背筋に冷たいものが走った。


 「いつ溜めたんですか?

 これも狩猟のために?」


 レトが質問した。カップは呆れたようにレトを見下ろした。


 「なんだ? お前、昔っから博識なわりに、当たり前のことを知らないんだな。

 狩猟で毒を使うなんて常識だぞ。

 鹿みたいな大型の獲物は、矢が一本刺さったくらいじゃ仕留められねぇ。

 だから、これを使うんじゃないか」

 カップはそう言いながら腰のビンを指さす。


 「でも、毒の入った獲物って食べられるんですか?

 すっごく強力なんでしょ?」

 メルルは不思議そうに尋ねる。


 「毒にもいろいろあってな。

 これは傷口などから直接入ると効果があるんだ。

 胃袋を通る分には毒にも薬にもなりゃしねぇ。

 人間がこさえる毒は、かなり危険なものもあるが、自然から手に入る毒は、扱いだけ気をつければ俺みたいな素人でも平気なのさ」


 「平気かどうかは議論すべきでしょうけどね」

 レトは苦笑を浮かべた。

 大ざっぱな気性のカップらしい発言だが、真に受けられる話ではない。


 「もちろん、毒の怖さがわからないようなガキには触らせられない。

 まぁ、今のお前にならこの毒のビンを預けても問題ないだろうな。しかし、たとえ博識であっても、ガキのころのお前には触らせるつもりはなかったな。

 キップと同じように……」


 カップの言葉は最後にはつぶやきに変わっていた。

 レトの顔が真顔に戻る。


 「キップさんってどなたですか?」


 メルルはレトとカップの顔をかわるがわる見つめながら尋ねた。

 キップという名前、どこかで聞いた気が……。

 「あ」

 一昨日、宿泊所での宴会で、レトが口にしていた名前だ。


 「……キップは僕の幼なじみだ」


 レトが答えた。「もう、この世にはいないけど」


 「いない?」


 「死んじまったのさ」カップが引き継ぐように答える。「ギガントベアに襲われてな」


 メルルは息をのんだ。


 カップはレトにちらりと視線を向けると、親指を向けた。

 「こいつがガキだったころのことだ。

 こいつも、俺の息子も、今のお嬢ちゃんよりも小さいガキだった。

 ある日、こいつとキップは山にたきぎ集めに出かけた。

 遠くの村でギガントベアが現れたって話は聞いていたが、まさか、ここまで来るとは俺を含めて村の誰も考えなかった。

 それで、ふたりを山へ行かせちまった。


 そして、出くわしちまったのさ。

 ギガントベアに。


 そのギガントベアは俺の息子を食い殺した。

 レトは助かった。

 レトも襲われたが、そこへ駐屯兵が助けに来たからだ。

 その駐屯兵は、俺の息子が襲われる場面には間に合わなかった」


 メルルは胸の奥が苦しくなった。

 カップの最後の言葉には、いろいろな感情が入り混じっているのを感じたからだ。


 レトは助けたのに、息子を救ってくれなかった駐屯兵に対する恨み。

 危険を予測できずに、我が子を危険な場所へ行かせた後悔。自分自身に対する怒り。


 カップの内に渦巻いているのはこれらだけではないだろう。

 しかし、これ以外は輪郭もつかめなかった。


 「僕は子どもで、無力だった。

 キップが殺されるのを止めることなんてできなかった。

 そして、あのとき無力な自分を許せなかった。

 だから、僕は剣を覚えることにした」


 レトはそう言いながら腰の剣を抜き出した。

 空に向けて掲げられた剣は、曇り空の下でも力強い光を放っている。


 「当時の駐屯兵のひとに、無理を言って剣術を教えてもらったんだ。

 最初は断られたけど、最後は基礎だけ教えてやると言ってもらえた」


 レトの剣術はメリヴェール剣術だとルッチから聞いたことがあった。駐屯兵は王国兵なのでメリヴェール剣術を身につけていたはずで、それを教わったということか。

 ルッチは、レトとともに討伐戦争を戦い抜いた戦友らしい(「らしい」とつけるのはメルルには半信半疑だからだ)が、レトのことをいろいろと知っていた。

 機会があれば、ルッチはレトの話を語って聞かせてくれたものだ。

 ルッチは軽薄そうな男で、いつも顔の上半分を隠す仮面をつけていた。

 ときどき、探偵事務所に顔を出して、レトに冗談ともつかない話をしては、どこかへと去っていく。

 そんなルッチがレトのことを「強くもあり、弱くもある」と評していたのだ。


 * * * * * * * * * *


 「ルッチさんは、レトさんを上から目線で語れるほど強いんですか?」

 メルルはルッチの態度が気に障って、つっかかってしまった。

 ルッチはメルルの言葉など気にもかけない様子で胸をそらす。自信たっぷりな様子だ。

 「もちろん、俺のほうがレトより強い」


 「証明できますか、それ?」


 「うーん、そうだな。闘技場で試合をしたらはっきりするが、現状、実現できないからなぁ」


 「じゃあ、どっちが強いか、わからないじゃないですか」


 それを聞くと、ルッチは自分の人差し指を左右に振った。

 「チッチッチ! それがわかるのさ。理由はな、レトの剣術流派が『メリヴェール剣術』だと、俺が知っているからさ」


 「『メリヴェール剣術』?」


 「一般的な王国兵士が身につける剣術だよ。

 王国じゃ基本技って言ってもいいかな。標準の剣術と言ってもいい。

 つまり、手の内は全部バレバレなのさ。

 だから、俺にレトの技は通じない。

 全部、見切ってみせる自信がある。

 それは、俺だけじゃなく、『メリヴェール剣術』を知っている者であれば、おおよそ同じことを考えるだろうさ。

 そういうわけで、レトは『弱い』って言ったんだ」


 「でも、レトさんには『強さ』もある、と」


 ルッチはうなずいた。

 「もし、剣術の競技大会であれば、あいつは入賞すらしないだろう。

 だが、もし、これが命の取り合い、殺し合いになれば話は別だ」


 ルッチの言葉使いが急に変わり、メルルは緊張して背筋が伸びた。


 「競技ってのは、反則、つまり禁じ手ってのがある。

 こんなことをしてはダメ、ああしてはダメってな。

 だが、命の取り合いになれば、反則だから、そういう行動はしないなんて甘い考えだ。

 ありとあらゆる手を使って、相手を倒しにかからないといけない。

 だがな、戦場で相手を殺さなければならない場面で、競技的な戦い方が染みついたやつは躊躇したりするのさ。

 ためらいなく、敵を倒すために全力を尽くすってことを。

 当然、手段も選ばない。

 手段に悩むなんて悠長なことをすると、死ぬのは自分だからな。

 いざというとき、戦いに徹する心を持っていないといけないんだ。戦場ではな」


 「……レトさんはそれができると……」


 「あいつは優しい男さ。

 それでも、戦うときの覚悟は戦士のそれさ。

 何が何でも相手を倒しにかかる。

 ありとあらゆる手を使ってでもな。

 あいつに反則なんてものは存在しない。

 それを自分に対してだけでなく、敵側に対しても平等にとらえているのが、あいつらしいバカ真面目ってところでもあるが……。

 相手を倒す手段。それがたとえ卑怯なものであろうと、どんなものでも『正当な攻撃手段』なんだ」


 「それがレトさんの強さでもある……」


 「あいつは本物の戦士なのさ。

 そのせいで、あいつの強さは競技大会では発揮されない。

 それが、あいつを『弱い』という点。

 だが、手段を選ばない戦場であれば、戦闘センスに優れ、相手の意表をついた策のとれるレトに勝てるやつはそうそういないだろう。

 あいつと殺し合いになれば、俺も勝てるかどうか自信がないな」


 「レトさんは戦場では強者ってことですね」


 「逆に言えば、そういう場面にならないかぎり、あいつの強さは表に出ないってことでもあるのさ」

 ルッチは口元に笑みを浮かべて答えた。

 どことなく、それを寂しいと考えているような、苦笑ともとれる微妙な笑みだった……。


 * * * * * * * * * *


 「……レトさんは、二度とキップさんのような犠牲を出したくない気持ちから剣術を学んだのですね」


 メルルは何かひとつ腑に落ちた感覚でつぶやいた。


 レンガ職人見習いだったレトが、どうして剣を覚えようとしたのか、理解しづらかったのだ。

 先生に対する憧れから魔法使いの弟子になった自分とは、おそらく理由は違うだろうと思ってはいたが。


 そして、その動機が、レトの強さの秘密でもあったわけだ。

 ただ強いだけではいけない。

 相手を確実に倒せるほどの強さを備えていなければならないのだ。

 それは、たとえばギガントベアという、殺すか殺されるかでしかありえない、そんな人間の敵に対するための強さだ。

 ルッチが言ったように、競技的な強さなど、レトはまるで必要としていない。


 しかし、幼なじみの死がきっかけとは、レトの人生はいろいろと重い。

 昨夜、レオからレトの母親の話も聞いているだけに、メルルは気分が滅入りそうになった。


 「しっかし、お前は大したやつだなぁ。

 ガキのころは、ただ剣士の真似事をしている程度にしか考えていなかったが、本当に戦場に出て、そこから立身出世を果たしちまうんだからなぁ。

 キップの幼なじみがここまでえらくなって、俺は鼻が高いぜ!」


 カップはバンバンとレトの肩を叩きながら笑った。

 さっきメルルが感じた暗いものは消え失せて、まるで屈託のない明るい笑顔だった。


22


 「お待ちしていました」


 カンタ村に着くと、ゴーゴリーが出迎えて頭を下げた。


 いつも思うことだが、ゴーゴリーは見た目のごつさから想像もつかないほどの好青年だ。

 礼儀正しく、つねに丁寧だ。

 他人に怒りや嘲りの感情を見せることもない。

 本当に心の穏やかな、優しい若者なのだろう。


 「皆さん集まっているのですか?」

 挨拶を済ませると、レトは辺りを見回しながら尋ねた。


 「皆さんで最後です」

 ゴーゴリーは短く答えた。


 「来たね」

 かたわらから声が聞こえ、メルルが顔を向けるとルピーダが近づいてくるところだった。


 「おはようございます」

 レトは頭を下げると、

 「どれだけ集まりましたか?」

 と尋ねた。


 それを聞くと、ルピーダはあまり冴えない表情だったが、その顔がますます曇った。


 「嘘を言っても仕方がないから言うけど、正直、戦力充分とまではいかないね。

 たとえ、あんたが加わってもね」


 ルピーダは顔を横に向けた。

 彼女の視線は3人の男たちに向けられている。


 「一番左手にいるのがアラド。経験豊富で、ベイルダー一家の次に頼りにしていた魔獣狩りさ。

 その隣に立っているのがメッシーナ。アラドの相棒さ。危険を察知する能力は、この業界でも一二を争うほどの高さだよ。

 あいつらと組んで仕事をしたときは、メッシーナの『勘』に助けられたものさ。

 最後のひとりがバット・ダガー。

 アラドのチームに最近加わったって聞いている。もともと別の魔獣狩りにいたけど、そこを抜けて入ったってさ」


 「声をかけて応じてくれたのは、ひと組かふた組ほどと聞きましたが……」


 レトは再び辺りを見渡した。村の入り口に立っているのは、アラドの3人のほかに、ふたりの男が見える。

 ふたりと言っても、彼らはひとりずつ離れている。どうも仲間同士ではなさそうだ。

 そのうちのひとりは見覚えがあった。


 「……ケドル、ですね」

 レトは小声でつぶやいた。

 「予想通りさ。驚くことでもない」

 ルピーダは小声でささやいた。


 ケドルは村の入り口に生えている樹にもたれて立っている。

 腕を組んで、横目でこちらを見ていた。

 メルルと目が合うと、ニッと愛想のいい笑みを見せた。

 メルルは会釈したが、内心では震えていた。

 あの笑顔でひとをいたぶり、殺しているところを想像してしまったからだ。


 「反対側に立っているのは?」

 レトはもうひとりの男のことを尋ねた。

 「ペイピール。

 プライネス領から参加した。

 あそこからの、たったひとりの『有志』さ」


 ペイピールはアラドたち3人とも、ケドルとも離れたところでぽつんと立っていた。

 背中に大きな槍を背負っている。

 かなり体格の大きい青年で、あれぐらいの体格であれば、その大きな槍も扱えそうだ。

 ただ、緊張しているのか、口をまっすぐ閉じて表情は硬い。


 「プライネス領の?

 どうしてひとりだけ?」


 メルルはペイピールを見つめながら不思議そうな表情を浮かべた。

 今回の討伐はプライネス領側から出た話でなかったか。

 それなのに、自領からは有志がひとりしか出ないとは。


 「こういうところが、あたしが馬鹿親父って呼んでいる理由さ。

 あの馬鹿親父、ウルバッハからひとりしか来ない理由を勘違いしてやがるんだ。

 もし、プライネスから大勢ひとを出すと、自領の守りが薄くなる。

 その機会をとらえて、ウルバッハが自分に刺客を送り込むと勘ぐっているのさ。

 馬鹿な話だろ?」


 「カイン・ウルバッハがそんな暴挙に出ると考える、その根拠はあるのですか?」

 レトは冷静な表情で尋ねる。


 「叔母の夫がウルバッハゆかりの人物だということ。

 自分が死ねば、プライネスはウルバッハのものになる。そう恐れているのさ。

 あたしが継がなかったら、プライネスを継ぐのは叔母になるかもしれない。

 叔母は気のいい性格のひとだけど、それだけに旦那の言いなりなところがあってね。

 それに、義理の叔父はカイン・ウルバッハと仲は悪くない。

 カインが叔父との関係を利用してプライネスを乗っ取ったりはしまいかと恐れているのさ」


 「まったく根拠はないのですか?

 お父上の妄想だと言い切れるのですか?」


 「まったく、とまでは言い切らないよ。あのカイン・ウルバッハであれば。

 でも、このご時世に乗っ取り騒ぎなんぞ起こしたら、プライネス領を手に入れるどころか、自分の家が取りつぶしになりかねない。

 こんな田舎、そこまでの危険を冒す価値はないよ」


 「なるほど。冷静な分析ですね」


 レトは納得したようにうなずいた。


 一方で、メルルは心配顔でルピーダを見つめた。

 そんな事情では、ルピーダの父カルロスが、娘に誰かと結婚させて跡を継がせる考えを断念するとはとても思えないのだ。


 「さて、そろそろ、彼らにあんたたちを紹介しようか。

 昨日打ち合わせた通り、あんたは冒険者トレトレ。

 魔法使いのお嬢さんはメルメル。そのまんま魔法使いってことで。

 正体は伏せるってことで、カップの親父さんとは話がついているんだろ?」


 「ええ」


 ふたりはゆっくりとうなずいた。

 探偵事務所の者だと知られると面倒なので、本名を伏せておきたいと頼んだところ、カップは喜んで協力を約束した。

 どちらかと言えば、そういうおふざけや悪だくみらしいことを面白がって、積極的に混ざりたい様子だった。


 「おっと、あとひと組がこちらにやってきた。

 あいつらは……、その、あまり戦力としては期待していないが、ご覧のように人手不足なんでね。

 ないよりはましかと思っているんだが……」

 ルピーダが指さす村の奥から、大柄の男がふたり、こちらへ歩み寄る様子が見える。

 近づくにつれて、男たちの人相がはっきりしてきた。

 ひとりは左目をふさぐほどの深い切り傷が刻まれていた。もうひとりはモミアゲと口ひげがつながっている。

 ふたりとも腕がやたらと太い。メルルの胴体ぐらいはありそうだ。


 「ルピーダさん」

 レトはふたりに目を向けたまま話しかけた。

 「どうした?」


 「さっきの正体を隠すという件、使えなくなりました」

 「どういうことだ?」

 ルピーダは聞き返したが、すぐに近づいてくる男たちに視線を戻した。


 「まさか……、あんた、あいつらと因縁でもあるのか?」


 「よう。お前、レトだろ」

 傷の男がレトを見下ろしながら話しかけた。

 再会を喜ぶような笑顔ではなく、残忍そうな、いかにも悪意に満ちた笑みだった。


 「レト、あんた。マジとウザのコンビと知り合いなのか?」

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