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狩人は闇に潜む 2

Chapter 2


6


 「レトさん、もう歩いて大丈夫ですか?」


 メルルはレトの身体に手を添えるべきか逡巡しながら尋ねた。


 ヒラリーから今日一日は静養が必要だと言われていたにも関わらず、レトはすぐに起き出して外へ出ようとしたのだ。


 「さっきも言ったけど、だるさは残っている。

でも、歩くぐらいなら平気さ」


 レトは頭に手をやりながら答えた。

 レトの頭の上にはアルキオネがとまっている。

 カラスは村の風景を珍しそうに見回していた。

 さっきまで飛び回って疲れてしまったのか、レトの頭から飛び立とうとしない。

 メルルはいつもの魔法使いの服装で、頭には三角帽子を載せていた。

 レトたちの荷物は回収されていないが、帽子は馬車が転覆した際、メルルがとっさに握っていたため手元にあったのだ。



 「通信魔法陣の布が回収できなかったのは痛いな」


 あれから、さらに詳しい状況を知って、レトは愚痴ともつかない調子でメルルに話した。

 「あれがあったら、事務所に連絡して、救援を頼めたかもしれない」

 レトの言うことはわかるが、さすがに無いものねだりだ。

 村の人びとは危険を冒して、自分たちを救い出してくれたのだ。

 レトたちが襲われた現場は、村からけっこう離れているとのことだった。

 危険な地域へ村人に案内を頼むわけにはいかない。

 荷物の回収は安全を確保してからするべきだろう。



 「レトさん……。

 本当は、おうちに帰るのは気が進まないんですよね?」

 メルルはレトが心配になっていた。

 神父から父親のことを言われて、レトは起き出す決意をしたようだからだ。


 「正直、気が進まない」

 レトはメルルに苦笑してみせた。


 「でも、早くこうするべきだった、というのは本当なんだ。

 仕事の忙しさにかこつけて、僕は逃げていたんだ」

 「逃げた?」

 レトは正面を向いた。


 「父さんに今の自分を見せることから、ね……」


 レトの横顔を見ながら、メルルは改めて不思議に思った。

 さきほどのレギンザとのやり取りでも、レトは自分の現状について誇らしく思っていないようだった。

 むしろ、恥じているように感じるのだ。

 だが、レギンザが言うように、レトはルチウス王太子に認められ、王太子が設立した新組織、つまり、メリヴェール王立探偵事務所の探偵に任命された。

 さらに、上級市民にまで国民のランクを押し上げてもらえたのだ。

 自慢することこそあれ、どうしてこのような態度になるのかわからない。


 宿泊所の中では、自分が今どこにいるのかわからない様子だったが、外へ出て、あたりの風景を見ると思い出したらしい。レトは一方の道を向くと、迷いのない足取りで歩き始めた。

 メルルはそのあとを追って、ついて歩いた。


 教会と宿泊所は森に囲まれて、あたりに民家らしいものは見えなかったが、少し進むとすぐに森が切れて視界が広がった。


 「わぁ」

 メルルから思わず声が漏れた。


 視界の広がった先は、完全に『村』の景色だった。

 ごつごつとした大きな石を積み上げて造られた小屋や、丸太小屋が道をはさんで立ち並び、それぞれの煙突から煙が立ち昇っている。


 それぞれの小屋は正面を大きく開いて、中の様子がよく見える。

 どうやら、このあたりの小屋は住居ではなく仕事場らしい。


 カーペンタル村は『大工の村』と呼ばれる、職人たちの村だ。

 特に、レンガの生産で知られている。

 普通、規模の小さい村は、どこかの領か大きな街に属するが、カーペンタル村など特殊な事情を持つところは、村だけの自治が認められていた。

 カーペンタル村で造られるレンガは王国全土で使われている。もし、これが特定の領主などに独占されると、価格を吊り上げられたり、流通を制限されたりする恐れがあるからだ。


 メルルの故郷であるイーザリス地方の村も同様で、こちらの場合、イーザリスで生産される農作物は王国全土に流通している事情によるものだった。


 このように自治を認められることは、そこに暮らす者にとって誇らしいことだ。


 そのせいか、小屋はみすぼらしいながらも、そこで働いている村人の顔は自信に満ちて明るい。

 村人たちが何の作業をしているのか、メルルにはさっぱり見当もつかなかったが、そのことについては明確に感じ取られた。


 「皆さん、イキイキされていますね」

 少し高揚した気分になって、メルルははずんだ声をあげた。

 「そうだね。前と変わらない……」

 レトはつぶやいたが、少し懐かしいと思っているようだ。

 感慨深げにあたりを見渡している。


 村人たちはレトやメルルに目もくれずに仕事をしていたが、ひとりがレトの姿に気づいて顔を向けた。

 すぐに向きを変えると、こちらを指さしながら誰かに話しかけている。


 それが村全体に伝染したように、村人たちはいっせいにレトたちに視線を向けた。

 あまりに急な変化に、メルルは緊張して少し後ずさった。


 「おい、お前……、レト……、レトなのか?」

 すぐかたわらから声が飛んでメルルは飛び上がった。

 レトはゆっくり振り返ると、声の主の顔を見つめた。「お久しぶりです、カップさん」


 「やっぱり……! レト! お前かぁ!」


 カップと呼ばれた男はあたりに響き渡りそうなほどの大声をあげた。

 のしのしとふたりに近づくと、レトの肩を太い腕を大きく動かしてバンバンと叩く。

 カップは近づくと、レトより頭ひとつ大きい体格の男だとわかった。

 半袖からのぞく両腕は毛むくじゃらで、首元からのぞく胸元も毛むくじゃらだ。

 顔も鼻から下全体をひげで覆われているが、そのくせ、頭部はまるでつるつるの状態だった。


 「そうか……、帰ってきたのか、レト……」


 カップはレトの両肩に大きな手を乗せて、しみじみとした表情で言った。

 頭にカラスを乗せたレトの顔を懐かしそうに見つめている。


 「……すみません。帰ってきたのは正確じゃないんです。

 乗っていた駅馬車が魔獣に襲われて、たまたまこの村の方がたに助けていただいたんです」


 申し訳なさそうな表情でレトは弁解めいたことを口にした。その答えにカップは目を丸くする。

 「何だって? さっき、馬車道で魔獣騒ぎがあったと聞いていたが……。お前、それに乗っていたのか?」


 レトはうなずいた。「その魔獣騒ぎに巻き込まれたのが、僕たちです」

 そう答えると、かたわらに立つメルルに目をやる。


 メルルは反射的に頭を下げた。「メルルです」


 カップの表情が曇った。ゆっくりと、レトの肩から手を離す。

 「そうか……。災難だったなぁ」


 「命があるだけ幸運です」

 レトは首を振った。


 ふたりがこんなやり取りをしている間に、メルルたちの周りにひとが集まりだしていた。

 何人かが、「レトだって?」と囁きあっている。


 「ほんとだ、レトだよ、あれ」

 「身体、大きくなってないか?」


 「何だ、左腕の大きな鎧?」

 「それより、頭の上のカラスがおかしいだろ」


 ひそひそ話にしては、はっきり聞こえるほどの大きさで囁きあうので、メルルの耳に届きまくりだ。


 「隣にいる女の子は何だ?」

 「妹……じゃ、ないよな」

 「娘? 嫁じゃないよな」


 田舎のひとは口さがないと言われるが、カーペンタル村の人びとも例外ではないようだ。

 勝手な想像で盛り上がりだしている。


 「あのっ!」


 メルルは大きな声をあげると、ぴょこんと大きくお辞儀した。


 「私、レトさんの助手見習いで、メリヴェール王立探偵事務所のメルルと申します!

 突然の出来事で、この村でお世話になることになりました!

 よろしくお願いします!」


 思わず大声で自己紹介してしまった。

 自分たちのことを、これ以上想像でいじられたくなかったからだ。


 この唐突な自己紹介で、周りの者たちはきょとんとした表情で口を閉じたが、それもわずかなことで、すぐにあちらこちらから笑い声が沸き起こった。


 「ははは! お嬢ちゃん、元気いいな!」

 「おうおう、よろしくな、お嬢ちゃん!」


 歓迎の言葉をかけられてはいるが、どうも恥ずかしい。メルルは顔を真っ赤にさせた。


 「まぁ、こっちのことをいちいち説明する手間は省けたかな」

 レトがメルルをフォローするようなことを口にしたが、メルルにはあまり心の助けになっていなかった。


 「かんべんしてくださいよ、もう……」

 メルルは帽子のふちをつまんで顔を隠した。


7


 興味津々の村人たちから解放されて、ふたりは一本の細道を歩いていた。

 さきほどは笑顔を見せていたレトだったが、今は無表情に近い真顔だ。口のはしには緊張さえ見える。


 「ここ、レトさんのお父さんの……」

 メルルは心配顔でレトの横顔を見つめた。


 レトは小さくうなずいて、「そう。父さんの仕事場に続く道だ」と答えた。


 細い道はうっそうと茂った森にまぎれるように通っていた。

 頭上はびっしりと張り巡らされた枝葉によって日の光がさえぎられ、けっこう暗い。

 レンガを運搬する台車によるらしいわだちがあるので、この先に作業場があるのは間違いないと思えるが、あまりにひと気がなくて寂しいところだ。


 「レトさんのお父さん……、お引っ越しされてはいないですよね……」


 メルルはおそるおそる尋ねてみた。

 普段のレトであれば、「そんなことあるはずないだろ」と厳しめのツッコミが返ってきそうなものだが、レトは無言で小さく首を振るだけだ。

 もしかすると、レトも同じ懸念を抱いているのかもしれない。


 しかし、その不安は杞憂であったとすぐにわかった。

 いくらも進まないうちに、小さな小屋が姿を現したのである。

 その小屋も、さきほどの通りで見かけたものと同じように大きく正面を開いて、中で作業しているひとの姿が認められた。


 灰色の作業着に身を包んだ、がっちりした身体つきの男だ。

 栗色の髪に、かなり白いものが混じっている。厳しい表情の横顔には、いくつもの深いしわが刻まれていた。


――あのひとがレトさんのお父さん……!


 メルルは直感的に思った。


 男は一心不乱に何かの作業をしていたが、ふたりが近づく気配に気づいて顔を向けた。

 横顔のときに感じた、厳しい顔つきのままだ。


 男はレトの顔に、続いてメルルの顔を見ると、すぐに顔をそむけて自分の作業に戻った。

 驚くほど何の反応も見せなかった。


 男の反応に戸惑いながらも、メルルはこの人物がレトの父親だと確信を持った。

 正直なところ、レトとこの人物はあまり似ていない。

 身体つきもそうだが、髪の色も異なるし、そもそも顔立ちが人種的に違う。

 レトは南方系の、おそらくアージャ族系の特徴を備えている。

 対して、この人物はメルルと同じエウロペ族だ。風貌の特徴といい、間違いないだろう。

 しかし、表情の乏しい目つきとか、厳しく真一文字に結ばれた口など、ふたりが親子だと思わせる共通点を見出すことができたのだ。


 ふたりは無言のまま、その場で男の作業を見守っていた。

 男はどうやら、粘土の塊を成型する作業をしていたようだ。正確には、レンガ状に切り出された塊をひとつずつ取り上げ、へらを押し当てたり削ったりして、さらに形を整える作業をしているらしかった。


 「おい、何をそこで突っ立っている」


 突然、男は顔を向けることなく言葉を発した。

 不意を突かれた形で、メルルは飛び上がった。


 「今、何をしているところか、わかっているだろう?」

 男はレトに話しかけたようだ。

 レトはすぐに返事をしなかったが、ゆっくりとうなずいた。「わかっているよ、父さん」


 レトは腰に差した剣を鞘ごと抜きだすとメルルに預けた。

 困惑した表情のメルルをそのままに、レトは右腕のすそを巻き上げながら作業場へ入っていく。

 アルキオネはレトの頭から飛び立ち、小屋のひさしの上に乗って羽繕いを始めた。


 レトは父親の向かいに座ると、自然な手つきで粘土の塊を取り上げた。

 粘土を水平の高さに持ち上げて、片目で形を確認し始める。

 やがて、父親と同じようにへらを手にして粘土を削り始めた。


……そうだ……。レトさんは『元』レンガ職人見習いだったんだ……。


 レトが村を飛び出して『勇者の団』に入ったこと、そして、魔族たちと死闘を繰り広げていたことは聞いている。


 しかし、レトが村でどんな暮らしをしていたのか、どんな仕事をしていたのかについてはまるで知らなかった。


 レト自らが口にしたことはなかったからだ。


 メルルはレトの慣れた手つきを見つめながら、

……これが、かつてのレトさんの日常だったんだ……。

 と考えた。


 今回の思いがけない帰郷は、少なくとも2年ぶりになるはずだ。

 しかし、レトの迷いのない手つきには、その時間的な空白を感じさせない。

 おそらく、2年ぐらいでは忘れられないぐらい、この作業は身体に染み付いたものなのだろう。


 「父さん……、僕は……」

 やがて、レトが父親に話しかけると、男は首を振った。

 「今、大事な作業中だ。黙れ」


 「はい……」

 レトは素直にうなずくと、別の粘土に手を伸ばした。

 ふたりはそのまま黙々と作業を続ける。


 初めは興味深く見ていたが、メルルはだんだん苦痛を感じるようになってきた。


……空気が、重い!


 父と息子の間に、いっさいの会話がなく、繊細さを要求されるらしい作業には強い緊張感が漂っている。このままここにいると息が詰まりそうだ。


 とはいえ、このまま立ち去るのもどうかという気がする。

 メルルはあたりを見渡して、近くに古い切り株を見つけた。

 その切り株に腰を下ろすと、メルルはふたりの作業が終わるのをじっと待ち続けた。



 ふたりが作業を終えたのは、日がだいぶ傾いたころだった。

 メルルは無言でおなかをさすっていた。ふたりは昼食を摂ることもなく作業を続けていたのだ。結果的にメルルも巻き添えを食う形で、昼食が摂れなかった。


 「片づけろ」


 レトの父親は、短く命じると、レトに向けて道具を放り投げた。

 レトがそれを受け止めるのを見届けることもなく、小屋の外へ歩き出す。

 どこへ向かうのだろうとメルルが見ていると、レトの父親は小屋のかたわらに掘られた、小さな井戸から水を汲み上げだした。


 桶に貯めた水で顔を洗うと、レトに一べつもくれずにそのまま立ち去ってしまった。

 最初は事態が飲み込めず、メルルはただ茫然と見つめているだけだった。


 だんだん状況がわかってくると、メルルは慌てて立ち上がった。


 「れ、レトさん! お父さん、帰ってしまいましたよ!」

 父親が立ち去った細い道を指さす。


 レトはへらなどの道具を道具入れの箱に収めているところだった。

 「わかっている。いつもこうだ」

 レトは顔を上げずに片づけを続ける。


 「レトさん、戦争が終わってから、一度も村に帰っていなかったんですよね?」


 「そうだよ」


 「じゃあ、2年ぶりなんですよね、お父さんに会ったの」


 「そうだよ」


 「それで、それで……、あの反応なんですか? レトさんのお父さん!」


 「そうだけど、何か変かい?」


 レトの答えにメルルは一瞬、絶句した。


 「……変、でしょ! だって、久しぶりに再会したんですよ! それなのに、あんな態度って……」


 メルルの激しい口調に、レトは少し顔をしかめたようだった。

 レトは小さく首を振ると、

 「君にとっての、親子の当たり前と違うかもしれない。

 でも、これが僕にとって、親子の当たり前なんだ」


 「そういうものかもしれません、そうなのかもしれません。でも……!」


……これは良い親子関係なんですか?


 メルルは最後の言葉は飲み込んだ。


 これまで、レトが何の便りも送らなかった理由はわかった。

 しかし、ここまでひどい態度を家族に向けられる神経がメルルには理解できない。


 「君には苦痛な時間だっただろう。すまなかったね、あともう少しで片づけ終わるから、あと少し待ってくれ。終わったら、村で食事をしよう。村のひとたちがご馳走してくれるって言ってくれていたからね」

 レトはさっきとは違う道具入れを持ち上げながら言った。メルルの頬がぷぅううとふくらむ。


 「別に、おなかがすいたから怒ってるんじゃないです!」


8


 「はっはっは! そうか、レオは相変わらずか!」


 カップは大口を開けて笑いながら、自分の額をぴしゃりと叩いた。


 村人たちがレトたちに食事を用意して宿泊所に持ち込んでくれていた。

 おかげで、狭い宿泊所は宴会場のような賑わいだった。


 レトとメルルはもともとテーブルに据えられた椅子に座って、村人からの歓待を受けていた。

 アルキオネは宿泊所へ入る前にどこかへ飛び去っている。

 村人たちも、おのおの自分用の椅子を持ち込んだりして座っていたが、手ぶらだった者は、壁にもたれて立っていたり、外から窓枠に手をかけてのぞき込むような形で宴会に参加していた。


 メルルはレトの父親――名前はレオだと知った――のことを話すつもりはなかったが、カップから再会の件を振られると、つい愚痴めいた口調で話してしまった。

 すると、カップだけでなく村人たちも口を開けて笑い出したのである。


 「何です? 皆さん、そうなるとわかっていたんですか?」


 メルルは少し不機嫌になって尋ねた。

 彼らにはレオの作業場に向かうことを伝えていた。

 そのときに彼らは何も言わなかったからだ。


 「だってよぉ、なぁ?」

 カップは大げさな表情でかたわらの職人仲間らしい男に顔を向ける。仲間もしわだらけの頬を思いきり広げるような笑みを浮かべた。

 「ああそうだよ、なぁ?」


 「父さんの気性はみんな承知のことなんだ」

 レトはスープの入った椀から口を離して説明した。


 「皆さんにとって、私が話したことって……」

 「予想通りだった、ってこと」


 「もう!」


 メルルは今日二度目のふくれっ面になった。

 その様子を見て、周りの者たちはさらに笑い声をあげた。


 「そろそろ機嫌を直しな、お嬢ちゃん。ほら、この肉詰め、旨いぞう!」


 カップとは反対側に座っていた男がメルルの口に料理を突っ込む。

 メルルは目を白黒させながら頬張った。

 職人ばかりが住む、この村ならではの乱暴な歓待だ。


 さらに、飽きっぽいところもこの村ならではだ。


 初めは物珍しそうに集まってきた村人たちは、レトの姿を見て満足できたのか、ひとりふたりと去っていき、気がつけば宿泊所に残っているのは数名しかなかった。


 「ところで、あんたはどうする?」


 唐突に、レギンザが赤ら顔で尋ねてきた。

 村人と違って宿泊所の住人である彼は、当然のことだが最後まで残っている。


 「どうする、ですか?」


 レトは理解できない様子で聞き返した。

 これまでの会話に何の脈絡もない質問だったからだ。


 「熊退治の話さ。あんたも参加するんだろう?」


 「ええ?」メルルは思わず声をあげた。


 「変な話はしてないぜ、俺は」レギンザはメルルに赤ら顔を向けた。


 「何せ、ここから王都へ戻るには、安全な街から駅馬車に乗るか、ここら一帯が安全になって駅馬車が通れるようになるしかない。

 ただし、安全な街へ行くには、どこにあの魔獣が潜んでいるかわからない危険な森を抜けなきゃならない。ま、現状では無理ってこった。

 そうなると、どうにかあの魔獣を退治して、道を通れるようにするって話しか残らない。

 な、合理的な話だろ?」


 言われればそうなのかもしれないが、しかし。


 「だからって、私たちが熊さん退治しなければならないんですか?」


 メルルは少し不愉快な気持ちでレギンザに言った。

 このひと、本当に嫌なひとだ!


 「何を言ってるんだい。

 この村には兵士は俺ひとりしかいない。

 俺の任務はこの村を守ることだ。

 わざわざ熊退治に出向いて、この村をからにするわけにはいかないんだ。


 プライネスとウルバッハからひとを集めて討伐隊を編成することになっているが、戦力は多いに越したことはない。

 この村からは、カップの親父さんが参加してくれるが、ほかに有志はいねぇ。

 だったらよ。かつて、魔族を蹴散らした英雄さんが参加するのは必然って話じゃないか?」


 「な……」メルルは顔が紅潮するのを感じた。


 この男は、自分は魔獣討伐に行かないくせに、レトにいろいろと理由をつけて行かせようとしている。

 ただの用事を頼むのとわけが違う。命を失う恐れのある危険な話だ。

 酔ったついでに話すような軽いものではない。


 メルルは抗議しようと立ち上がりかけたとき、

 「カップさんが魔獣退治に参加するのですか?」

 レトが不思議そうな声をあげた。


 カップはレトの隣で上機嫌に酒を飲んでいたが、

 「おかしな話か?」

 と、挑発的な表情をレトに向けた。

 口元には笑みが浮かんでいるが、目元に愉快そうな感じがない。

 思えば、カップの笑顔はずっとこうだった。


 メルルはそこで、実はカップが今まで心から笑っていなかったことを悟った。


 「……レト。お前だけはわかるだろ?

 俺だけが……、この村で俺だけが、熊公が村で好き勝手するのを絶対に許さないってことを……」


 カップの声は低く、殺気のこもった凄みがあった。

 メルルは上げかけた腰を下ろして居住まいを正した。


 「……キップのことですね。

 わかります。いえ、わかるはずでした。カップさんならそうするだろうと」


 「奇しくも、お前が村にいるときに、『また』ギガントベアが現れたんだ。

 こいつは『縁』ってものを感じないか、なぁ?」

 カップは毛むくじゃらの腕をレトの首に回した。


 「そうですね」

 レトは少しうつむくと、すぐに顔を上げた。

 一瞬、正面の窓に目をやっていたが、真面目な表情をメルルに向ける。


 「この魔獣退治。僕も参加しようと思う。

 君はこの村に残って、レギンザさんを助けてもらえないか?

 この村の警戒をしてほしいんだ」


 「えええ? 急にどうして?」

 メルルは驚いた。

 日頃もレトの考えが読めないことはあるが、それでも今回は特別に急すぎる。


 「さすが村の英雄。頼りになるねぇ」

 レギンザは皮肉な笑みを浮かべた。


 「どうしても何も、レギンザさんが言ったことがすべてだよ。

 この村で戦闘を専門にしているのはレギンザさんしかいない。でも、このひとは村の防衛になくてはならない戦力なんだ。魔獣討伐のために村の防衛から外すわけにいかない。

 そして、僕たちの立場。

 この村周辺が安全にならないと、僕たちは王都へ戻れない。

 一刻も早く王都へ戻るには、危険な魔獣を取り除くよりほかないんだ。

 そのための戦力は多いほうがいい。

 だから、少しでも戦える僕が参加するべきなんだ」


 もしかすると、レトは口にしていなかっただけで、本当にそのことを考えていたのかもしれない。

 しかし、それをはっきりと自分の意志として持ったのは、カップの参加を知った瞬間からなのではと思う。

 この話は、自分の身に大きな危険があるのは間違いない。

 レトは慎重な性格で、あえて自分から危険に飛び込むようなことはしない。

 だが、同時に誰よりも献身的で自己犠牲をいとわない勇気も持っている。


――矛盾を抱えた『英雄』。


 メルルはレトのことをそのように思っている。


 だから、レトの発言は当然だともいえる。


 しかし、レトがそれを発言する前、一瞬だが窓に目を向けていたことが引っかかった。


 宿泊所の外は、魔獣を警戒するため、かがり火が焚かれていた。

 そのかたわらの木の枝に、アルキオネがとまっていたのだ。

 窓からは炎に照らされたアルキオネの姿がよく見えた。


 レトはアルキオネに目をやった瞬間に、わずかだがその表情が曇った――。


 メルルはそう感じ、違和感を抱いたのである。


9


 焚火が燃えている。


 レトは焚火を前に、横倒しの丸太に腰かけていた。


……僕は、なぜ、こんなところに座っている?


 レトは辺りを見渡した。

 周囲にはうっそうとした樹々しか見えない。

 レトは森の中の小さな広場で、ひとり焚火をしているのだ。


……何だろう、この感覚。現実なのか? いや、これは夢なのか?


 レトの疑問はすぐに解けた。


 焚火の向こう側から、ひとりの少女が姿を現したのだ。


 すらりとした体形で長い脚をしている。

 清潔なワンピースに身を包んだ、美しい少女だ。


 『そういうことか……』

 レトは小さくため息をついた。『やぁ、アルキオネ』


 『アルキオネ』と呼ばれた少女は、レトの向かいにも横たわっている丸太へ腰を下ろした。そのままレトと向かい合う。


 『何がそういうこと、よ』

 アルキオネは不機嫌そうな声で眉を寄せた。少し怒っているようだ。

 『そういうの『ご挨拶』って言うんじゃない?』


 『ごめん、皮肉で言っているつもりはないんだ』


 『じゃあ、どういうつもりなのよ』


 『これが夢だとわかった、ってことさ』

 『ふん』


 アルキオネは形のいい脚に自分のひじを置いて頬杖をついた。

 『思っていたより冷めているようね』


 『ところで、教えてほしいんだけど』

 『何よ』


 『これは、ただの夢なのかい? それとも、君が僕の夢の中に入り込んでいるのかい?』


 それを聞くと、アルキオネの口もとから不敵な笑みが浮かんだ。


 『さぁ、どっちかしら? でも、正直、どちらでもいいんじゃない?』

 『どっちでもいい?』


 『この夢の私が、本当に私の意識が入り込んだものであっても、あなたの心が生んだ幻であっても。

 そのどちらでも、本質的なことは何も変わらないんじゃない?』


 レトは言葉の意味を理解しようと無言になった。しかし、すぐレトの顔に微笑が浮かんだ。『そうだね。君の言うとおりだ』


 『今度は、こっちが『ところで』なんだけど』

 アルキオネは話題を変えようとした。


 『なんだろう。君がわざわざ現れるってことはお説教かな?』


 『わかってるじゃない。

 何なの、あの態度。

 また、みっともないところ見せてくれたわね』


 『……みっともない、か』


 『あなた、あのカップってひとが魔獣討伐に参加するって聞くまで、自分がどうするか迷っていたでしょ?』


 レトは苦笑を浮かべた。『君は何でもお見通しだな』


 『あなたは自分が死ぬことを恐れている。

 もし、自分が死ねば、私を元の姿に戻せる者がいなくなる。そう考えて』


 『僕は……』レトは反論しようと口を開きかけた。


 しかし、アルキオネはレトの言葉をさえぎるように手を振った。


 『バカにしないで。

 もし、そうなったら、それは仕方がないこと。

 私は自分の行動であの姿になってしまった。

 あのことにあなたが責任を感じることはないし、それ自体が迷惑だわ。


 ただ、私は言ったはず。情けない死に方はしないで。

 あなたを殺すのは私なのよ。

 どんな敵と戦うことになろうと、それだけは許さないって』


 『ああ。それが、僕が生きるうえで背負う責任だ』

 レトの言葉に、アルキオネは右手の先端を自分の額につけた。

 『はあああ……。違うんだけどなぁ、それ。

 でも、まぁいいわ。勘違いであろうと、生きる覚悟があるなら』

 アルキオネは立ち上がった。


 『もう行くのかい?』

 レトが話しかけると、アルキオネはくるりと背を向けた。

 『あなたの情けない顔をこれ以上見ていられないから。

 でも、いい? 忘れないで。

 あなたが死を恐れて生き恥をさらす真似をしようと、昔の因縁のために命の危険に身をさらそうと、私にはどっちでもいいの。

 ただ、繰り返しになるけど、くだらない死に方をするのだけは許さない。

 あなたの死に方で、私があなたに負けた過去に泥を塗らないで。

 もし、そんなことをしたら、地獄まで追いかけて死ぬよりひどい目に遭わせてやるわ』


 『そのときは地獄で歓迎するよ』


 『ふん』

 アルキオネは捨てゼリフのように鼻を鳴らすと、そのまま森の奥へ消えていった。


 ひとり残されたレトは、じっと焚火を見つめた。

 これまで、ひそかに胸の内でもやもやしていた思いは晴れていた。


 「そうだ。僕は簡単に死ぬわけにいかないんだ」



 そこで、レトは目を開いた。

 狭い宿泊所のベッドの中だ。

 もうひとつのベッドではレギンザが高いびきをかいている。

 レトは身体の半分だけを起こすと、かたわらの窓に目を向けた。


 外に焚かれているかがり火はほとんど消えようとしていた。

 それでも、わずかな明かりが、外の樹々をかろうじて赤く染めている。

 宴会のときにはその枝のひとつにアルキオネがとまっていた。

 今、そこにアルキオネの姿はない。

 ほかの樹の枝か、ここの屋根に移ったのかもしれない。


 「アルキオネ……。たしかに、君が僕の夢に入り込んだにせよ、君に会いたいと思う僕の願望が生んだ幻であっても、あの夢の意味は本質的に変わらない。

 でも、やはりつらいよ。

 目を覚まして、あのときの君がいない現実を思い知るのは……」


 レトは闇に溶けつつある景色に目をやりながらつぶやいた。


10


 「英雄さん、ちょっと起きてくれねぇか」


 レトは、レギンザに揺り起こされて目を覚ました。

 あれからレトは再び眠りについて、そのまま朝まで眠っていたのだ。


 「どうかしましたか、レギンザさん」

 レトが身体を起こすと、レギンザは親指を扉に向けた。


 「プライネスからひとが来ている。あんたに用があるそうだ」

 「プライネスから?」

 レトは訳がわからず、小さくつぶやいた。


 『プライネス』とはプライネス領のことを指す。

 カルロス・プライネスという人物が領主として治めているところだ。

 ここカーペンタル村は、プライネス領と、ウルバッハ領にはさまれた村だった。

 ちなみに、ウルバッハ領はカイン・ウルバッハという貴族が領主として治めている。


 昨日、レギンザからレトを救い出したのは、有志が集まって編成された巡回班だと聞いている。

 詳しくは、プライネス領、ウルバッハ領それぞれの有志と、急遽集められた魔獣狩りたちによって編成された者たちだった。


 レギンザは村の警戒のため、その巡回に加わっていなかったが、馬車の転覆現場が村の管理区域内だったため、現場の確認へ行くことになった。

 彼はこうして、現場の状況と、馭者の遺体を確認したのである。


 レトたちが救い出されたとき、巡回班はレトたちの身元までは知らなかったはずである。

 どうして、レトのもとへ会いに来たのだろうか。


 急いで身支度を整え、レトは宿泊所の外へ出た。

 待ち構えていたように、レトの肩へアルキオネが降り立つ。


 「お待たせしました」レトはお辞儀した。

 そこには、3人の男女がレトを待っていた。


 ひとりはヒラリー・ノーウッドだ。

 昨日、レトたちの診察と治療をしたあと、次の予定地であるプライネス領へ出発した。護衛を兼ねてプライネス領から用心棒が迎えに来ていたのである。

 そのヒラリーが再び姿を見せたのは、レトの経過観察のためだろう。レトは彼女が現れた理由をそう推察した。

 そして、残るふたりは……。


 「やぁ、探偵さん。思ったより元気で安心したよ。

 昨日は本当に死んでしまったんじゃないかって思ったからね」


 気さくな口調で話しかけたのは、小柄の若い女だった。

 美しいながらも、勝ち気な目つきをしている。

 腰にも背中にも武器を装備した典型的な魔獣狩りの姿だ。

 隣には彼女より頭ふたつ大きいがっしりした体格の若い男が控えるように立っている。


 レトは少し肩の力が抜けて口もとがゆるんだ。

 「お久しぶりです、ルピーダさん。そして、ゴーゴリーさん」

 レトは『魔獣狩り』ルピーダとゴーゴリーに挨拶した。



 「驚いたよ。あんたたちを見つけたのはあたしたちなんだ」


 ルピーダは少し胸をそらしながら説明した。

 レトたちを救い出したのが自分たちであることを、彼女は誇らしく感じているらしい。


 「そうでしたか。その件では大変お世話になりました」

 レトが頭を下げると、ルピーダは首を振った。

 「いいってことさ。ただ、これで、あのときの借りは返せたと考えていいんだよね?」


 ルピーダの言う『借り』とは、以前、レトはルピーダとともにアークリザードと戦ったことがあった。 ※『夜咲く花は死を招く』より

 レトは戦いについて、ルピーダに忠告しようとしたが、彼女はそれをまともに聞こうとせず、結局、アークリザードに深手を負わされてしまった。

 その戦いはレトの奮闘もあって勝利したが、彼女はレトに助けられた形になったのだ。

 彼女は、それを『借り』と言っているのである。


 「もともと、貸しにした覚えはないですよ」

 レトは苦笑を浮かべた。


 「そう? なら、逆に『貸し』ひとつってことかな?」

 ルピーダはレトに顔を近づけて迫る。

 かたわらに立っている若者――ゴーゴリー――が、ルピーダの肩をつかんで引き離した。


 「お止しください、お嬢。ここへ来たのは探偵を困らせるためじゃないでしょう?」


 ルピーダは「たしかに、そうだったね……」と素直に引き下がったが、

 「だからって、あたしを『お嬢』って呼ぶな!」

 形のいい脚を振り上げて、ゴーゴリーの腹にめり込ませた。


 「うぐぅ!」

 ゴーゴリーは腹を押さえてうずくまる。


 「いくら何でも……」

 レトがゴーゴリーのそばにかがみこむと、

 「いいんですよ、いつものことですから……」

 ゴーゴリーは苦痛に顔を歪ませながらも笑顔を見せた。


 「こいつはいくら言っても聞かないんだ。どうにかしてほしいよ、まったく」

 ルピーダに悪びれる様子は見られない。


 「そうですか。ところで、ここへ来たのには何か別の理由があるのですね?」

 レトはルピーダに顔を向けた。


 これまで3人のやり取りを黙って見ていたヒラリーは、『このひと、切り替え早い』と、心の内でつぶやいていた。


 「まぁ、そうなんだけどね……」


 ルピーダは急に歯切れが悪くなった。


 「ちょっと、プライネス領までお越しいただきたいのです」

 代わるようにゴーゴリーが口を開いた。


 「ちょっと、ゴーゴリー!」

 ルピーダが抗議の声をあげたが、ゴーゴリーはかまうことなく話を続けた。


 「実は……、『厄獣』にやられたと思われる遺体が出たのです……」

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