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狩人は闇に潜む 1

今回は、本格推理とは異なる内容です。

犯人は、ほぼ初めの部分でわかっています。

それなのにミステリなのか? って言われそうですね。

でも、これでもミステリなのです。

最後に少しだけ、謎解きがありますので、ストーリーとともにお楽しみください。

Chapter 1


1


 がたがたと車輪の音が響く。


 ほとんど崖に近い峠の道を、一台の馬車が走っていた。


 一頭立てながら、比較的大きな馬車だ。街から街をつなぐ長距離用の駅馬車である。

 舗装も整備もされていない荒れた道なので、馬車はけっこう揺れている。


 それでも、馬車を走らせる馭者は眠そうな目をして背中を丸めていた。

 老年にさしかかった男で、この仕事は長いのかもしれない。

 この馭者にとっては、こんな揺れでも心地よいものなのだろう。


 ただ、それはあくまで馭者に限った話で、乗客にとっては違っていた。

 揺れる拍子に座席から落ちてしまわぬよう、ひとりの少女が必死になって座席にしがみついていた。

 黒いローブを身にまとった魔法使いの姿をしている。もっとも、その象徴ともいえる三角帽子は床の上で右へ左へと転がりまわっていた。

 彼女は、馬車が峠道に入ってからずっとこの状態だったのだ。


 「ふえええええ、まだ峠は越えないんですかぁ?」

 自分でも情けないと思う声が漏れてしまう。


 「まだまだだよ。もうしばらく踏ん張るんだ」

 すぐかたわらに座っている若者が答えた。彼は左腕に大きな銀の鎧を身に着け、肩には一羽のカラスがとまっている。


 若者は時おり激しい揺れに顔をしかめながらも、座席から落ちそうな様子はみられない。

 カラスは少女を苦しめる揺れを何とも思っていない様子で、若者の肩におとなしくしていた。


 「レトさんはいいですよ。座席から落ちる心配がないですから」

 少女は若者に渋い表情を向けて口をとがらせた。


 レトと呼ばれた若者はやれやれというように首を振る。

 「だからといって快適というわけでもないよ。しかし、本当に揺れるなぁ。長距離用の馬車って、車輪に強いバネを仕込んであって、揺れや衝撃を吸収してくれるはずなのに」


 「そういう役に立たないウンチクは聞きたくないです」

 少女はふくれ面で横を向いた。レトはそれを横目で見てため息をつく。

 「ときどき、君のことがわからなくなるよ、メルル」


 メルルは振り返った。「どういうところがです?」


 「君はめったに愚痴をこぼす性格じゃない。

 それなのに、どうでもいいようなところで思いっきり愚痴るところがある」


 「どうでもいいって……、どうでもいいんですか、この状況!」

 メルルは片手を広げて声をあげる。すると、馬車が大きくはずんで、メルルはすとんと床に落とされてしまった。


 「痛ぁああい。お尻、思いっきり打っちゃったですぅ!」

 メルルはお尻をさすりながらぼやいた。その様子を見ていたカラスが面白そうに「かぁああ」と鳴く。


 メルルはカラスを恨めしそうに見上げた。

 「アルキオネちゃん。今、笑っているでしょ?」

 すると、アルキオネと呼ばれたカラスは興味なさそうに、ぷいと反対のほうを向いてしまった。


 「彼女に八つ当たりしても仕方ないだろ」

 レトはそう言いながらメルルに右手を伸ばした。


 「だって……」

 メルルは不機嫌な顔でレトの手を取ると立ち上がった。そして、その不機嫌顔のまま席に座る。


 そのころになると、馬車の揺れも落ち着いてきて、メルルは座席にしがみつかなくても平気になっていた。


 「やれやれ、悪路の峠は越えたみたいだな」レトは窓に視線を向けながらつぶやいた。


 「でも、本当の峠はまだ越えていないんですよね?」

 メルルはまだ気分が晴れない様子だ。


 「根に持っているなぁ」レトは呆れた声をあげた。


 * * * * * * * * * *


 カージナル市で起こった『魔法の杖事件』を解決し、メリヴェール王立探偵事務所のレトとメルルは、王都メリヴェールへ帰還するところだった。


 行きはなだらかなチリンスの丘を通ってきたのだが、帰りはそこを経由する便の席が取れなかった。

 カージナル市を行き来する者であれば、峠を通る便の不愉快さは常識であり、誰もがチリンス経由の駅馬車の切符を買い求めた。


 その結果、レトとメルルは席を取り損ねてしまったのである。

 だったら、次の便でといきたいところだが、のんびりできる状態ではなかった。


 カージナル市には仲間のコーデリア・グレイスが残っている。


 彼女は先の事件で負傷し、現在入院中だ。


 一方の王都には、所長であるヒルディー・ウィザーズとヴィクトリア・ウスキのふたりしかいない。


 王都では次々と事件が起こっている。


 現在、探偵事務所から3人も抜けた状態で、所長たちふたりが踏ん張っているのだ。

 一刻も早く王都へ戻らなければならない。


 それで、ふたりはやむをえず、もっとも早い峠経由の駅馬車に乗り込んだのだ。


 悪路を通るとはいえ、そんなにひどいものでもないだろうと、少々甘くみていたのが失敗だった。

 6人乗りにもかかわらず、乗客が自分たちふたりだけの理由もいやというほど思い知った。


 現在、ふたりはさんざんな思いをしているわけである。


 * * * * * * * * * *


 「峠を越えればスファクスの町だ。

 この馬車はそこまでだよ。

 今度、馬車が停まったときが休憩どきというわけさ。もう少しの辛抱だよ」

 レトはメルルを元気づけようと声をかけた。メルルは力なくうなずく。

 「了解ですぅ……」


 レトは苦笑を浮かべながら再び窓の外へ目をやった。


 馬車が安定したあたりから、外の風景も変わってきていた。

 これまで土岩の崖ばかりだったのが、今では多くの樹々が見えている。


 いつの間にか山側の崖が終わり、森に変わったようだ。

 一方で、反対側は切り立った崖が続いているらしく、そちらからは遠くの山々がかすんで見えている。

 かなり遠くの山らしく、しばらくその景色に変化がみられなかった。


……あれはメネア山ではないよな……。


 レトはふと思った。

 かつて、『討伐戦争』で戦った場所だ。

 彼は2年前、戦場にいたのだ。


……いや、違うな。メネア山であれば、すぐそばにハデス火山がある。

 スファクスに近づいているから、勝手に連想しただけで、たぶん見当はずれな方角を見ているんだろう……。


 レトは、自分の目が半開きの状態だと自覚しながら考えた。

 メルルほどではなかったにせよ、彼もまた、馬車に揺られて疲れてきたのだ。

 ほっとした拍子に、眠気に誘われている。


 かたわらのメルルに目をやると、メルルは座席で横になっていた。すでに眠っている。


……無理もない。


 レトはメルルをそのままにして、自分もひと眠りしようと目を閉じた。


 その瞬間だった。


 レトは馬車を横から殴りつけるような激しい衝撃に襲われて、全身を床に叩きつけられた。

 「何だ!」

 痛みに顔をしかめながらも、レトはすばやく身体を起こした。同時に周囲へ全神経を巡らせてあたりの気配を探る。


 「かぁああ」


 衝撃と同時にアルキオネはレトの肩から飛び立っていたが、すぐにレトの頭に舞い戻ってきた。狭い車内では自由に飛び回れないのだ。


 「なんなんですぅ、もう……」


 メルルは自分のおでこをさすりながら身体を起こした。彼女もまた、さっきの衝撃で座席から転げ落ちたのだ。


 「わからない。大きな岩に乗り上げたのかな?」

 レトは答えてみたものの、自分の答えに自信がなかった。


 「でも、正面からドンって感じじゃなかったです」

 メルルは馬車の前方へ顔を向けた。


 前方は屋根の近くに小さなのぞき窓があるだけで、壁に仕切られている。

 その向こう側は馭者が馬車を操縦する馭者台だ。


 「馭者は何も言ってこないな」

 こういうことも日常茶飯事なのだろうか。

 レトは少し不快に思いながらのぞき窓へ近づいた。

 文句が言いたいわけではないが、こちらの状況は伝えておきたいと思ったのだ。


 馬車は衝撃があった瞬間は速度が落ちたが、今は速度が戻っている。いや、前より速度が上がっている。


 「ちょっと……、こんな道で速度を上げたら危ないんじゃないですか?」

 レトはのぞき窓を押し開けながら外へ声をかけた。

 同時に馭者が座っているはずの馭者台に目を向ける。


 「メルル……」


 メルルは座席に戻って髪を直しているところだった。

 名前を呼ばれて、メルルはレトの背中に顔を向けた。「どうしました、レトさん?」


 「床に伏せて何かにつかまれ!」


 レトは座席に戻ると、森側の窓を開けた。

 ごおっという音とともに風が入り込んでくる。


 「えええ? どうしたんです、レトさん!」


 「説明はあとだ!」


 レトは大声をあげながら窓から身を乗り出した。すばやく馬車の外へ全身を出すと、手を伸ばして馭者台へ移ろうとする。

 レトの頭に乗っていたアルキオネは空へ羽ばたいて馬車の真上に飛んだ。


 「れ、レトさん。あ、危ない……」

 メルルは自分の口に片手を入れながら小さな悲鳴をあげた。


 レトはメルルの心配をよそに、馭者台へと乗り移った。そして、険しい表情で馭者台を見下ろす。


 「なんてことだ……」


 馭者台には誰も乗っていなかった。ただ、そこにひと塊の血が広がっているだけである。


 異常事態に怯え、興奮しているのだろう。客車を引っ張る青鹿毛あおかげの馬が全速力で駆けている。馬車は左右に大きく揺れ出した。


 「……手綱がない」


 振り落とされまいとバランスをとりながら、レトはつぶやいた。手綱を引いて馬車を停めようとしたのだが、見える範囲にそれらしいものが見当たらない。どうも、馭者とともに失われてしまったようだ。


 レトはのぞき窓を振り返った。

 そこからは心配した表情のメルルが顔をのぞかせている。


 「君は馬車の後部扉から外へ飛び降りるんだ」

 レトの指示に、メルルは目を大きく見開いた。

 「れ、レトさんは、ど、どうするんです?」


 レトは前方に顔を向けた。

 「ギリギリまで馬車を停められるかやってみる。最悪の事態になれば、僕も馬車から飛び降りる」

 「さ、最悪って……」

 メルルは顔をひきつらせながらつぶやく。


 「さ、早く!」

 レトはメルルに背を向けたまま身構えた。

 どうやら、馬に直接飛び乗って馬を停めるつもりらしい。


 「だ、ダメです、レトさん! レトさん、乗馬はできないんでしょう?」

 「そんなことはどうでもいい! 君こそ早く!」

 レトは身を躍らせると、馬の背中に飛び乗った。

 メルルは思わず両手で自分の顔を覆う。


 レトの身体は馬の背中で大きくはずむと、そのまま地面に落ちそうになった。


 「くっ!」


 レトは必死の表情で馬の首に腕を回した。

 片足のかかと部分が地面に触れる。

 レトの身体は地面に持っていかれるように後ろへ跳ね上げられた。

 そうはさせまいと、レトは回している腕に力を込める。

 同時に片足を馬の背中に乗せ、何とか落下するのを防いだ。


 ひと息つけたいところだが、馬はまだ疾走をやめない。

 レトは自分の身体を馬の背中にずり上げると、馬の首を引っ張った。


 「停まれ! 停まってくれ!」


 馬は口のはしに泡を浮かべたままで足を停めようとしない。

 完全に恐慌状態に陥っている。


 左右に揺れる馬車の端が、森の樹に引っかかるようにぶつかった。馬車は大きくかしげると、そのまま横倒しになって倒れた。辺りに轟音が響き渡る。


 馬も横倒しになり、レトは空中に放り出された。


 「うわっ」


 レトの目は空を見ていた。

 鮮やかな青い空。白く薄い雲がところどころでたなびいている。


 しかし、その光景は全身を覆う衝撃とともに、すぐ闇に包まれてしまった。


2


……なんかグラグラ揺れている……。


 メルルは重いまぶたを持ち上げて目を開いた。

 どこかふわふわした気持ちだ。


 けだるい頭をめぐらせて、メルルは自分がベッドに横たわっていることを知った。

 それほど広くない部屋で、ベッドのそばに大きな窓がある。ガラス越しに、外は樹々で囲まれていることがうかがえた。


 「ここは……?」


 身体を起こそうとすると、左肩に痛みが走る。


 「痛っ!」


 メルルは左肩を押さえてうめいた。


 「気がついたようだね」

 ふいに窓とは反対側から声が聞こえ、メルルは声のしたほうへ顔を向けた。


 そこには古めかしい木造の扉が開いており、ひとりの老人が取っ手に手をかけた姿で立っていた。

 老人は黒い司祭服を身に着けている。神父のようだ。


 「こちらは……、教会ですか……?」

 メルルが尋ねると、神父はゆっくりとうなずいた。

 「そう。ここは村で唯一の教会だ。君たちは、村人に担がれてここまで来たのだよ」


 神父の言葉を聞いて、メルルは急に目が覚めた。

 身を乗り出しながら、神父に真剣な表情を向けた。


 「レトさん! レトさんは無事ですか?」


 神父はこれまでも落ち着いた様子だったが、メルルの必死な様子にも変化はなかった。

 さきほどと同じように、ゆっくりとうなずく。


 「ああ。彼も大丈夫だ。ただ、まだ目を覚ましていないがね。

 たまたま、腕のいい回復士が村に訪れていたのが幸いだった。

 彼女の回復魔法ヒーリングでケガは直してある。

 あとは体力が回復すれば目を覚ますそうだ」


 神父の答えに、メルルは大きな安堵のため息をもらした。「良かったです」


 「とんでもない目に遭ったようだね」

 神父はメルルのそばへ寄ると、そっと右肩の上に手を乗せた。暖かい手だった。

 メルルは神父の優しい人柄が伝わるぬくもりだと思った。


 「ありがとうございます。助かりました」

 メルルの礼に、神父は軽く首を振った。


 「礼など……。ところで、さきほど、あなたはあの若者のことを『レトさん』と呼んだようだが……」

 メルルは顔を上げて神父を見つめた。

 「レトさん……。神父様はレトさんのことをご存知なのですか?」


 神父はそれにすぐ答えず、天井を見上げた。どこか感慨にふけっているように見える。

 「……そう……ですか……。やはり、あの若者は……、レト君なのですね」


 「神父様……?」


 メルルは神父の反応に戸惑った。神父は目のはしに涙をにじませていたからである。


 「ああ、いや、申し訳ありません……」

 神父は目のはしを指で拭うと、メルルに笑顔を見せた。


 「同胞の懐かしい顔を見られましたので、つい、感極まってしまいました」

 メルルは目を丸くした。

 「同胞って……、それじゃあ……」


 メルルは改めて窓の外へ目を向けた。しかし、そこから見えるのは、残念ながらありきたりの森でしかなかった。


 「ここはカーペンタル村。レト君の生まれ育ったところです」


 神父は柔らかい声で答えた。


3


 メルルは教会の扉を力いっぱい引っ張った。古い教会の玄関扉は、大ざっぱな造りの木製の大きなものだった。

 重量もそれなりにあり、力を入れなければ簡単に開きそうになかったのだ。


 メルルは扉を開きながら、神父様はどうやって教会の外へ出るのだろうと思った。

 神父の両腕は、すでに枯れ木のようにやせ細っていたからだ。


 重い扉を開けて外へ出ると、メルルは左右を見渡した。

 レトが寝かされているのは教会ではなく、隣に建つ宿泊所とのことだ。この村には正式な宿はなく、村を訪れた者は村の有志で建てられた宿泊所に泊まるのだった。

 ちなみに、村を守るために王国から駐屯兵が派兵されているが、その駐屯兵が寝泊まりしているのがそこである。


 メルルとレトが別々のところで看病されていたのは、教会には空いているベッドがひとつしかなく、宿泊所は先述した駐屯兵、つまりは男性が寝泊まりしているところだからだ。

 つまり、女の子のメルルを宿泊所に寝かせるのがはばかられたのだ。


 あの『事故』で、メルルは軽傷だった。

 馬車は転倒したが、大破するほどでなく、車内にいたメルルは転倒の衝撃で意識を失っただけだった。

 もっとも、それは運が良かっただけのようで、窓から外へ放り出されていたら命はなかったかもしれなかった。


 レトは馬から放り出され、地面に激しく打ち付けられていた。

 とっさのことで、まともに受け身がとれなかったが、それでも頭を打ち付けるのだけは避けたらしい。

 ひどい打ち身だが、致命傷となるほどではなかった。

 村に担ぎ込まれたレトは、回復士の治療のおかげで事なきを得たのだった。


 レトのケガを診察した回復士は、ヒラリー・ノーウッドという女性である。彼女は、医師が不在の村々を巡回する医師であり、治療も行なう回復士でもあった。

 彼女はレトの状態を正しく診断し、適切な処置を施した。

 おかげで、レトは一晩休めば、すぐに日常へ戻れるとのことだった。


 神父からは、そのように知らせてもらったが、レトの様子はやはり気になる。

 メルルは起き上がるとすぐに、レトが寝かされている宿泊所へ向かうことにしたのだ。


 宿泊所らしき建物は教会から出て、すぐ左手にあった。右手は井戸と畑しかないので間違いない。

 宿泊所は何人宿泊できるのか疑問に思うほど小さい丸太小屋だった。

 丸太のあちこちにひび割れがあり、かなり傷んでいるようだ。

 メルルが宿泊所に向けて歩を進めようとすると、足もとにさぁっと影が差して、頭に黒いものが覆いかぶさってきた。


 「な、何?」

 「かぁあああ」


 一瞬驚いたが、メルルはすぐに胸をなでおろした。「アルキオネちゃん……」

 レトの肩にいつもとまっているカラスだった。


 「アルキオネちゃん。あなたも無事だったのね」

 メルルがアルキオネに触ろうとすると、アルキオネは翼をバサバサとさせて抵抗した。アルキオネは自分から他人の肩や頭に乗ろうとするのに、自分の身体には決して誰にも触れさせようとしなかった。

 ただひとり、レトだけを除いて。


 メルルは苦笑いを浮かべると、そのままアルキオネを頭に乗せたまま宿泊所の扉へ歩み寄った。

 「アルキオネちゃん。あなたもレトさんが心配なんだよね?」

 メルルは目だけを上げて、アルキオネに話しかけた。アルキオネのことを知らない者であれば、誰もレトの寝ている部屋にカラスを招き入れることはしないだろう。

 結果的に、アルキオネはレトから引き離されてしまったのだ。

 メルルが姿を現すまで、アルキオネは村の上空でレトのそばへ向かう機会を探していたのだろう。


 「さ、アルキオネちゃん。一緒にレトさんに会おう」

 メルルは独り言のようにつぶやくと、宿泊所の扉を開いた。


 宿泊所は仕切りがなく、ひと部屋しかなかった。

 中央に小さなテーブルが据えられ、奥には薪ストーブが見えた。

 ストーブの上にはやかんが置かれているので、ストーブは暖をとるためだけでなく、調理用にも使われているらしい。


 ベッドはテーブルをはさむように部屋の両脇にふたつ据えられていた。

 レトはそのひとつにいた。半身を起こして、かたわらの窓から外の景色を見つめている。


 「レトさん……」

 メルルは安心すると同時に胸が熱くなった。レトが無事であることは聞いていても、直接目にすることで、本当に安堵できたのだ。


 ばさばさとアルキオネがメルルの頭から飛び立つと、まっすぐにレトの元へ飛んで行った。

 アルキオネはレトの肩や頭に乗らず、シーツのかけられたひざ元に降り立って翼を広げた。

 「かぁあああ!」


 レトはアルキオネに目をやると、アルキオネの顔の脇に手を添えた。

 「やぁ、アルキオネ。君は巻き込まれずにすんだのかい?」


 「レトさん!」

 メルルはレトの元へ駆け寄った。レトはメルルに視線を移した。「やぁ」


 「レトさん、もう大丈夫なんですか? 身体を起こして……」


 「ケガの治療に回復魔法ヒーリングで僕自身の体力を使ったからね。けっこうだるいけど、それだけだ」

 メルルは、ほっと息を吐いた。

 「無茶しないでくださいよ、本当に。心配したんですからね!」


 「それよりも君こそどうなんだい?

 ケガはしていないのか?」

 レトはメルルを頭の先からつま先を見るように、視線を上下に動かした。


 「私は大丈夫です。

 そりゃあ、馬車が横倒しになったときは、びっくりしましたけど。

 それぐらいです」

 自分も気を失っていたとは、メルルは答えにくかった。とっさに嘘が出た。


 「すまなかった。結局、何の役にも立たなかった」

 レトは頭を下げる。メルルは慌てて両手を振った。

 「い、いえ。私こそ、レトさんからの指示を何も守れなくて申し訳ないです……。

 ご心配かけました」

 メルルはぴょこんと頭を下げて詫びた。

 さっき嘘をついてしまったのは、このことを無意識のうちに後ろめたく思ったせいだろう。

 メルルは自分の気持ちをそう推し量った。


 「ほう、もう目を覚ましたか」


 メルルの背後から声が聞こえ、振り返ると先ほどメルルが入った扉から、ひとりの男が顔をのぞかせていた。

 背の高い若い男で、鋼鉄製の胸当てを装備していた。


 「お邪魔しています」

 レトは頭を下げた。

 「おや、お前さん。もう、自分の状況をわかっているのか?」

 男は小屋に入ってきた。腰に剣を差している。メルルは瞬間的に「兵士だ」と思った。


 「正直、状況すべてを飲み込めているわけではありません。さきほど、回復士のヒラリーさんから、大ざっぱな話を聞いただけです」

 レトは丁寧な口調で答えたが、男は「ふん」と鼻で笑った。

 「そうかい。何にせよ、お前さんたちは災難だったな。あんなのに巻き込まれちまうなんてよ」

 「あんなの?」メルルは口の中でつぶやいた。

 男は反対側のベッドに進むと、そのまま腰を下ろした。テーブルをはさんで向かい合う形だ。

 遠慮することなくベッドに腰かけるあたり、彼はこの村に駐屯する兵士なのだろう。この宿泊所は本来、駐屯兵である彼が使うものだからだ。

 彼は口のはしを歪ませるように笑みを浮かべた。


 「お前さんたち、ギガントベアに襲われたんだぜ。しかも、とびきりのバケモンにな」


4


 「……ギガントベア……ですか?」

 メルルは呆然とした口調でつぶやいた。

 慌ててレトを振り返ると、レトは無表情で駐屯兵士を見つめている。


 「この村に、警報が届いていたんだ。今朝の話だけどな。この付近にギガントベアが現れた、てな。

 それで、急遽、巡回班を編成して、村の周囲の警戒にあたっていたんだ。

 お前さんたちを見つけたのは巡回班のひとつさ。運が良かったよ、実際。

 あそこは普段、めったにひとが通らない場所なんだ。ほとんど、定期通行する駅馬車専用の道だったんだよ」


 「つまり……、こういうことですか?」

 レトは考えるように話し始めた。

 「僕たちの乗る馬車に、ギガントベアが襲いかかってきた。

 馭者はその犠牲になった……」


 「そのとおり」

 兵士は面白そうに指をパチンと鳴らし、そのまま人差し指をレトに向けた。

 「馭者の遺体は、あんたたちを見つけた場所からかなり向こうの崖下にあった。

 全身ぼろぼろで、けっこう食べられていたよ。不味まずそうな部位はそのまま食べ残していた。やつは食通らしい」


 そこで兵士はへっへっと笑ったが、メルルは笑えなかった。レトも同じだ。


 「そのギガントベアは、馬車から馭者だけを正確に狙って連れ去ったというのですか?」

 レトは兵士に疑問を投げかけた。兵士の顔から薄ら笑いが消えた。「何だって?」


 「僕たちの乗っていた馬車は、ずっと走りっぱなしでした。

 もし、馬車を襲うのであれば、馬車をいったん停めようとするでしょう。ですが、馬車は一度も停まることがありませんでした。

 つまり、ギガントベアは馬車に襲いかかったとき、馭者台に飛び乗って馭者だけを連れ去った、ということになります。

 かなり面倒で、器用さを要求されることですよ。

 そんなことを、魔獣とはいえギガントベアがしたのでしょうか?」


 兵士は「へっ」と笑った。


 「たまたまじゃねぇのか?

 ギガントベアはただの殺戮動物だ。人間を獲物としか見ちゃいねぇ。

 獲物が馬車に残っているのに、馭者だけ狙うなんてことはしねぇよ。

 だから、俺はあんたたちを『運がいい』って言ったんだ。

 あのままにしていたら、いずれ、食事を終えたギガントベアの『おかわり』か、『デザート』にされていたぜ」

 兵士はレトとメルルを交互に指さしながら言った。

 つまり、レトが『おかわり』で、メルルが『デザート』ということだ。


 メルルは兵士の態度にムッとした。嫌いだ、こういう無神経なひと!


 「どうやら、僕たちの運がいいのは間違いないようですね。ギガントベアは生きている獲物が近くにいれば、必ず仕留めようとしますから」


 「本当は、馭者の遺体なんて確認もしたくなかったんだぜ。危なすぎるじゃねぇか。

 ただ、今回のやつに限って言えば、たしかに、これまでのギガントベアと毛色が異なるんだがな」


 「どういうことです?」


 兵士は自分の唇を湿らせると、身を乗り出した。

 「やつはここ数年、誰にも仕留められなかった。人間を恐れちゃいねぇのに、人間が数にものをいわせて攻めてくると、すばやく身を隠しちまう。

 そのくせ、少数の者にはいきなり襲いかかって全滅させちまうんだ。

 やつが狩りをした後には死体しか残らないって話だ。

 それでついたあざなが、災厄をもたらす魔獣、『厄獣』ってわけさ」


 「『厄獣』……ですか」

 レトは自分のあごに手をかけて考え込んだ。

 一方でメルルは戦慄していた。とんでもない話だ。自分が巻き込まれたのが、そんな得体のしれない化け物からの襲撃とは。

 兵士の言うとおり、自分は本当に運がいいのかもしれない。

 いや、本当に運がいいのであれば、そもそも、こんな災難に出遭うことすらないはずだ。

 メルルはすぐに思い直して、自分の頭をぶんぶんと振った。


 「特別にあざながつくほどの魔獣ってことだ。毛色が違うっていうのは、そういうわけさ」

 兵士は話を締めくくった。

 「厄介なことになりましたね」

 「ああ、厄介さ。俺にとっても、あんたたちにとっても」


 兵士の言葉に、メルルは首をかしげた。俺にとっても、あんたたちにとっても?


 「まだ起き上がれない様子だが、悪い報せは早いほうがいいだろうから先に伝えておく。

 自由に歩き回れるようになっても、あんたたちはすぐにここを離れることはできない」


 「どうしてです?」

 メルルは声に少し怒気を含んで尋ねた。何ですか、さっきから藪から棒に!


 「簡単な話さ。あの道を通る駅馬車は、あれっきりしかないんだ。馭者は魔獣の餌食になり、馬車は壊れて道をふさいでいる。あれを撤去しようにも、付近を魔獣がうろついているんじゃ、誰も近づこうとはしない。

 お前さんたちを救い出すにも、命がけだったんだぜ、実際」


 「そ、そうですよね……」

 メルルは反省してうつむいた。

 兵士の言うとおりだ。

 メルルたちは、まだ魔獣がうろついている危険のなか救い出された。

 この兵士の態度は不愉快だが、もしかすると、こちらに嫌味を言いたいだけなのかもしれない。

 そうだとすると、兵士のことを非難する資格は自分にはない。


 「交通手段が断たれ、さらに復旧させるのにも危険がともなう状況だと」

 レトは状況を整理するようにつぶやいた。

 兵士は力強くうなずいた。「そのとおり」


 メルルは急に疲労感に襲われて、テーブルの椅子に腰を下ろした。

 厳しい現実を認識させられたからだ。


 「あんたたちは、どこからどこへ向かう途中だったんだ?」

 「カージナル市から王都です」

 「そうか。じゃあ、ますます厳しいな。

 カージナル市には、もう警報が届いているころだ。こちらには誰も来ようとしないだろう。

 王都からは言うに及ばず」

 「ですよね」


 メルルは自分たちにおける『厄介』を理解できた。

 しかし、この兵士にとっての『厄介』とは何だろう?


 「本当、厄介ごとがやってきたぜ。

 俺はこんな辺境に来たくなかったんだ。

 ただ2年を無事に勤め上げりゃあ、アルデミオンとかコリントとか、大都市への栄転が可能になるんだ。

 お前は行ったことがあるか? アルデミオンとかコリントとかよ」

 兵士は饒舌に愚痴ってきた。

 「こことは違うんだぜ、こことは。

 ここには何もありゃしねぇ。

 娯楽も無ければ、若い女もいねぇ。

 安い酒は飲めるが、あいにく、俺は酒好きじゃねぇ。

 こんなところは、俺はもう飽き飽きなんだよ……」

 兵士は頭を抱える。

 「あと半年、あと半年無事に過ごせりゃ、こんなところとおさらばできるんだ。それなのに、それなのに、だ……」


 兵士は顔を上げた。

 「ところで、あんたたちは王都へ戻る途中って言ってたな?

 そんな恰好しているが、あんたたちは何者だ?

 王都で冒険者をやっているわけじゃないだろ?」


 レトはうなずくと、胸元からペンダントを取り出して見せた。特殊な職種に就く者だけに渡される、身分を明かす銀製のメダルがぶら下げられている。

 「僕たちは、メリヴェール王立探偵事務所の者です」

 「何だって? あんたは、じゃあ……」

 兵士は驚いたように声をあげてレトを指さした。

 「僕は探偵のレト・カーペンターです。こちらは助手見習いのメルルです」


 「本物かよ、おい!」

 兵士は立ち上がると、テーブルを回ってレトのベッドに近づいた。

 ベッドの脇に立つと、じろじろとレトを眺める。

 「ほう……。思わぬことで、あんた、故郷に錦を飾りに来たな」

 「何です、それは?」

 レトは何を言われたのか理解できない様子だ。

 「レトさんは聞いていないんですか?」

 メルルはレトに話しかけた。レトはメルルに顔を向ける。「聞いていないって、何を?」


 「ですからぁ」

 メルルはじれったい気持ちを抑えながら説明した。

 「ここはカーペンタル村。レトさんの故郷ですよ!」


5


 メルルの言葉に、レトは面食らったようだった。

 「……ここが、カーペンタル村……?」

 レトはメルル、続いて兵士に顔を向ける。

 「ええっと、あなたは僕を知っているんですか?」


 兵士はにこやかな笑顔で右手を差し出した。

 「もちろん。あんたはこの村での有名人さ。俺はレギンザ。ここの駐屯兵さ」


 レトは反射的にその手を握った。「よろしく……」

 「いやぁ、驚いたね。ここで、あの『討伐戦争』の生き残りに会えるとは!」

 レギンザの大げさな調子に、レトは少し顔をしかめた。レトはゆっくりと握っていた手を離す。

 「その……、村では僕のことを何て言ってるんですか?」


 「何だよ、自分の評判を知らないのかい? あんたは村一番の出世頭って話さ。

 親の反対を押し切って王都へのぼり、あの『勇者の団』に参加を果たした。

 そして、『討伐戦争』でもっとも過酷と言われたミュルクヴィズの森での決戦に生き残って戻ってきた。

 王太子殿下に目を掛けられて、殿下肝いりの新組織に加えられ、さらに上級市民へと飛び級で昇格してしまった。この村には下級市民しかいないってのにさ。

 あんたは村じゃ大評判なんだぜ!」


 「そうですか」

 レトは小さな声でうつむいた。

 メルルはその様子に不思議なものを感じた。

 レトはこれまでも自分を大きく見せようとしない。

 控えめというより、今の自分を恥じているように思える。

 ただ、なぜそうなのか見当もつかない。

 誰しも戦争の記憶に良いものなんてないだろう。しかし、レトのそれには、明らかに異質なものが混じっているように感じるのだ。


 「何だい、あんた、照れているのかい?」

 レギンザはレトの態度を勘違いして笑った。愉快そうにレトの肩を叩いている。

 レトのひざ元では、アルキオネが不快な様子で羽を羽ばたかせた。あっち行けと言っているようだ。

 メルルはレギンザの腕をつかんで止めるべきかと思った。どうも、この兵士の態度はいちいち癇に障るのだ。


 メルルがレギンザへ手を伸ばしかけたところへ、宿泊所の扉が開いた。

 3人が注目するなか、姿を見せたのは若い女性をともなった神父だった。


 「おや、レト君。もう目を覚ましたのかね」

 神父はレトを見るなり嬉しそうな声をあげた。

 レトはもぞもぞと身体を動かした。「お久しぶりです、マクファラス神父様」

 神父は両手をあげて押さえるしぐさを見せた。

 「まぁまぁ、無理に起き上がろうとしないで。今日はゆっくり静養させるよう、こちらの先生にも釘を刺されたところだよ」

 神父はかたわらの女性に目をやった。

 少し背の高い、栗色の髪が長い女性だ。美しいがまなざしが鋭く、真面目で厳格な性格だろうと想像させた。


 先生と呼ばれた女性はレギンザの前に進み出た。

 「この方は治療が終わったばかりで休養が必要なのです。

 ゆっくりさせてください」

 女性は続けてメルルにも視線を向けた。「あなたもです」


 レギンザの顔から笑顔が消えた。

 代わりに、いかにもつまらなそうな表情がのぞいている。

 「わかったよ、ノーウッド先生様」

 いかにも嫌味な口調で言うと、レギンザは女性を押しのけるようにして扉へ向かった。

 神父がうやうやしく頭を下げるのにも応えず、レギンザは宿泊所から出て行ってしまった。

 そのときの扉を閉める「バタン!」という音の大きさが、彼の不快さを表していた。


 メルルも続けて退出しようと歩き出したが、

 「君まで行くことないよ」

 というレトの言葉で、歩みを止めた。

 ただ、その場に立っているのもと思ったので、テーブルの反対側に回った。


 「おかげんはいかがですか?」

 女性はレトに話しかけた。先ほどとはまるで別人のような優しい声だ。

 「おかげさまで。少し休めば、すぐに歩けるようになりそうです」

 レトは自分の右手を握ったり、開いたりしながら答えた。身体の調子を確かめているようだ。

 メルルは神父との会話を思い出していた。今、レトとやり取りをしている女性が、神父の言う医師で回復士のヒラリー・ノーウッドなのだろう。


 「それは良かったです。ところで、レトさん。よろしいでしょうか?」

 ヒラリーは遠慮がちにレトの左腕を指さした。

 「そちらの腕を念のために診させていただくことはできませんか? 何か特殊な仕掛けが施されているようで、その鎧を外すことができなかったのです」


 ヒラリーの指先はレトの左腕を覆う、白銀の鎧を指していた。

 レトは左腕をさすりながら苦笑を浮かべた。

 「あいにくですが、それはできません」


 「ですが、そこだけ診察ができていないのです」


 「ノーウッド先生」レトはヒラリーに顔を向けた。

 「ヒラリーでかまいません」

 「ヒラリーさん。僕はこの腕を誰にも見せたくないのです。この……醜い腕を」


 レトの答えに、ヒラリーはたじろいだようだった。

 「……先ほど神父様から、あなたはこの村でひとり、戦場に出たとお聞きしました。醜いとは、そのとき戦場で受けた傷がひどいということですか?」


 レトは静かにうなずいた。「そのとおりです」


 「わかりました」

 ヒラリーは折れたようだった。

 「ですが、もし、不調や異変を感じたら、すぐ私に診させてください。あなたがどんな傷を受けていたとしても、私は驚いたり、あなたに不快な態度をとったりいたしませんから」


 「そうさせていただきます。ありがとうございます、ヒラリーさん」

 レトは丁寧に応じたが嘘だろう。メルルはそう思った。

 一番信頼関係でつながっているはずの探偵事務所のみんなでさえ、鎧を外したレトの左腕を見たことがないからだ。正確には「見たこと」ではない。「見せたこと」がないのだ。

 レトの左腕のことについては、事務所でも話題にのぼったことがあった。しかし、そのたびにレトは適当に話をはぐらかせてきた。

 今では誰も尋ねることはしない。

 レトにとっての禁忌事項タブーなのだと、みんなに充分理解できているのだ。

 出会って間もないヒラリーが、レトの社交辞令のような嘘に気づくはずもない。

 ヒラリーはレトの返事に満足したようで、うなずきながら一歩下った。


 すると、代わるように神父が進み出てきた。

 「どうだろう、レト君。

 身体が動けるようになったら、久しぶりに家へ帰ってみませんか?

 さっき、見回りの皆さんから教えられました。

 峠の道が使えなくなっていること。駅馬車がしばらく通ることがないこと。

 あなたにも急ぐ用はあるのでしょうが、

 この状況では、いかんせん、どうしようもないでしょう?」


 「……父さんは……、元気にしていますか?」

 レトは神父から顔をそむけるようにうつむいて尋ねた。


 メルルはレトの発言に目を丸くした。

 「レトさんはお父さんにお手紙を出していないんですか?」


 レトはうつむいたまま口のはしに笑みを浮かべた。さみしそうな苦笑いだった。

 「父さんは文字が読めないんだ」

 メルルはハッとして自分の口を両手で覆った。「ご、ごめんなさい」

 メルルたちが暮らす、ここギデオンフェル王国は、比較的教育の行き届いた国ではあるが、それでも、まるで読み書きのできない者は相当の数は存在していた。レトの父親もそうなのだろう。軽はずみな発言だった。

 「いいんだよ。仮に読めたとしても、僕からの手紙をきっと受け取ったりはしない。

 父さんはそういうひとなんだ」

 レトはまるで弁解するようにメルルに話しかけた。

 メルルを安心させるためなのだろう。

 だが、かえって気を遣わせたようで、メルルはますます落ち込んでしまった。


 「レオさんは元気ですよ。

 まぁ……、相変わらずと言えば、相変わらずですが」

 神父が助け舟を出すように口をはさんだ。


 「そうですか……。相変わらず、ですか……」

 レトは笑みを浮かべてつぶやいたが、その表情はどこか自虐的なものに感じられた。


 「無理に顔を出してもらおうと思って、お話ししたわけではありません。

 どうか、お気になさらないでください」

 神父は自分の発言を後悔した様子だ。

 これまで口のはしに浮かべていた笑みが消え、表情が曇っている。


 「いいえ。顔を出してみます。

 たとえ、歓迎されなくても、本当はもっと早くするべきことでしたから……」

 レトは神父に笑ってみせながら言った。

 しかし、メルルには、それが笑顔にはどうしても思えなかった。

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