レモネード
「お待たせしました。ブレンドコーヒーのMサイズです。お熱いのでお気を付けて下さい。それと。お仕事お疲れ様です」
この所、体の疲れが抜けずそれが溜まっている事に気づいたのは、彼女の一言だった。
出社前に毎朝立ち寄るカフェの女性店員が、お決まりの言葉以外のそれを、陸に添えたのだ。
「え?」
コーヒーが入った紙カップを店員から受け取り、陸は彼女に目を留めた。
「お客様、いつも来られてますよね。今朝は、いつになくお疲れのように見えたので。余計なこと言って、すみません」
20代半ばくらいの、その女性店員は、少し顔を赤くして小さく頭を下げた。
「疲れ…そうかもしれないです。お気遣い、ありがとうございます」
その場では、淡々と答え、機械的にいつものように手渡されたコーヒーを受け取り、席に着いたが、その途端に陸は我にかえり、自分の身体の疲労感と向き合ってしまった。
”そりゃそうだよな。新規事業が始まってから3ヶ月経つけど、毎日残業。先週から、妻が二人目の出産で入院。小学生の長男の面倒と、家の事をそれなりにやらないといけなかったおかげで、やることが多かったしなぁ。俺、疲れてんだな…”
テーブルに置いたノートパソコンを開くと、既に100件近くクライエントからメールが届いて、気が一気に疲れたが、気を取り直してコーヒーを飲みながら、陸はメールを次々処理し始めた。
睡眠時間は約5時間。寝ぼけた頭を、ブラックコーヒーで覚醒させる。そうして、メールを処理していくにつれ、次第に頭の中がスッキリしてくるのだが、今朝はすぐに集中力が切れてしまう。
キーボードを打つ手が止まり、ぼんやりとそこに並んだアルファベットの文字を見つめていた。
「良かったら、こちらどうぞ」
テーブルの前で声が聞こえ、陸は、はっとして顔を上げた。すると、テーブルの上に炭酸の入ったグラスが置かれたのだ。更に、声の方に顔を上げると、先程の女性店員が立っていた。
「え? これは?」
「お店の新商品の、レモネードです。クエン酸が入っているので、疲労回復にも効果ありますよ。試飲なので、どうぞ」
ふわりとしたその笑みを見て、陸の鼓動が大きく打ち付けられ、さっきまでの疲れと眠気が、一気に吹き飛んでしまっていた。
「頂いて、いいんですか?」
「どうぞ。ご来店のお客様に、差し上げていますので」
”あぁ。そうだよな。俺だけじゃないよな。一瞬、俺の為に? なんて、気持ちが舞い上がっちまったけど”
陸は苦笑いを堪え、遠慮なくそれを手に取り、一気に飲み干した。微炭酸の粒が、喉越し優しく、レモンの酸味と蜂蜜かなにかだろう甘味がいいバランスで、酸っぱすぎず飲みやすかった。
「いかがでしょう?」
よく見ると、器量が良さそうで、顔立ちの整った、女性店員の顔に陸は一瞬、心がふわりと軽くなる気持ちになった。
それが、仕事も家族も、疲れも忘れる一瞬の出来事だったが、遠い記憶で感じた何かに似ているような気もした。
「酸味も微炭酸なところも、バランス良くて飲みやすいと思いました。ご馳走様です。疲労回復効果も、頂けました。ありがとうございます」
陸がそう言ってグラスを店員に手渡すと、女性定員は更ににこやかな笑みを見せ、ありがとうございますと、礼を返して立ち去った。
彼女の後ろ姿を見ながら、掠めた記憶を思い出した。
中学の時に、片想いしていた同級生。クラスが違い話すタイミングなど一瞬もなかった。ただただ、彼女を目で追いかけ、気持ちを昂らせていた。ただそれだけの事だった。告白をするなどと言う勇気は全くなかったから、片想いで終わってしまった。
一瞬だったけど、女性店員を見てあの時の、甘くて切ない気持ちを、レモネードと共に思い出させてくれた。
溜まった疲れが、彼女とレモネードで吹き飛んだ気がした。
そうしてノートパソコンを閉じ、鞄にしまうと、店を出て会社に向かった。
”よし。今日も一日、頑張ろう”
お読みいただき、ありがとうございました。
登場人物ではないですが、作者も仕事や、生活に追われる日々で、作品を書く時間を作る余裕がなかったと、反省してます。
また、少しずつですが、投稿できればと思います。
学生時代の甘酸っぱいような片想いを、レモネードに重ねてみました。
脳裏を掠めた儚い恋に、一瞬でも気持ちがくすぐられ、レモネードと共にリフレッシュしました。
そこから、小さくても活力が生まれた。ちょっとしたお話でした。
明日、投稿の『モデル』も、よろしければご覧ください