神武天皇以前
神話の時代の歴史的解釈なので散漫な内容で失礼します。
はるか昔、日本は島国ではなく、大陸の東端の山脈地帯であった。
紀元前10000年頃に、地球全体の気温の上昇と共に海面が上昇し大陸から切り離されて列島となる。もちろん海面が急上昇していきなり分断されたわけではなく、長い年月の中でのことである。ゆえに、大陸から日本へ向かうルートは発見されたわけではなく、既知の陸路から徐々に水路へと変わったというだけだ。
・朝鮮半島→対馬→高天原(九州北部)
・朝鮮半島→松島(竹島)→隠岐島→出雲
というルートを経て、古くから多くの民族との文化の交流および移住が行われていたのだろう。
「古事記」や「日本書紀」の神話ではスサノオがイザナギから海原を治めよと言い渡されている。これは漠然とした海の領域というよりも、日本と朝鮮半島を結ぶ航路の取り仕切りを命じられたのだろうと思われる。「日本書紀」の一書では、高天原で悪さをしてスサノオが追放された後、一時期、新羅のソシモリという土地に住むことにしたが、しっくりこなくてまた日本に戻ることにしたという記述がある。ただしその先は高天原にではなく出雲だ。そこでスサノオはヤマタノオロチを退治し、出雲の神となる。また、その子孫のオオクニヌシも出雲で活躍する神話が残されている。
だが「出雲風土記」ではスサノオに関する記述はあっさり気味でメインはオオナムチ(オオクニヌシ)となっている。しかもオオナムチがスサノオの子孫だという記述はない。これは大和朝廷が各地の神話を自分たちの神話に統合しようとしたからではないかと思われる。
一方、アマテラスはイザナギから命ぜられて高天原を治めていた。その時スサノオに田んぼの畔を壊されるという被害を受けるが、そこで「土地面積を惜しんでのことでしょう」という庇い方をする。このような言い方をするということは、まだ水稲が日本の主食たる穀類としては全国的なものではなかったということだろう。考古学的には水稲は紀元前10世紀に九州北部で始まったと推測されている。つまりこの神話の元になる話もその頃のものであろう。
やがてアマテラスは葦原中国(出雲)を征服すべく行動を開始する。「日本書紀」ではこのときに自分たちの稲作を伝えよと命令したという記述がある。すったもんだのあげくオオナムチらを降伏させるのだが、その後、実際にアマテラスの孫のニニギの一行による「天孫降臨」の行き先は、なぜか出雲ではなく日向なのだ。こうなると出雲を降伏させた話が本当なのか疑わしくなる。後の時代の神武東征ルートでも出雲を避けているようだ。
歴代天皇は神武天皇から応神天皇の辺りまで末子相続が行われていたのだが、それより更に遡った神々の時代においても末子相続の形跡が見える。また、山幸彦(神武天皇の祖父)と神武天皇はヒコホホデミという共通の別名も持っている。王位継承者の襲名のようなものだろうか。
ここで興味深い発見をしたので記しておく。モンゴルの遊牧民の間でも末子相続が行われていた。その末子は「オッチギン(炉の番人)」と呼ばれていたのだ。ヒコホホデミは日本書紀での表記は「彦火火出見」。火の出を見ている者……似ているような気がする。また、日本で氏族を意味する「姓」は骨が語源となっているが、モンゴルでの氏族を意味する「ヤスン」という言葉もまた骨が語源なのだ。そして、日本語とモンゴル語とでは語順も似ているらしい。単語自体は全く似ていないが、概念としては共通している。源流を同じくしながら、お互いに独自の進化を遂げて別物の文化になったのかもしれない。
「上記」「竹内文書」などの古史古伝においてはウガヤフキアエズ王朝についての記述がある。古事記・日本書紀では一代限りのウガヤフキアエズノミコトであるのに、そこから神武天皇に至るまでの間に七十余代(!)の天皇が即位したという記述だ。途方もない話で、歴史学者も発見当初から偽書とみなしていたが、昭和初期には皇室の、ひいては日本の権威を高めるために一部の国家主義者の政治家や軍人が大真面目にその内容を支持したのだという。戦後もその荒唐無稽さがロマンを搔き立てたのか解説書籍を楽しむ人々は多かった。
だがこのウガヤフキアエズ王朝の研究が昭和末期~平成初期に思わぬ形で現れる。韓国の歴史研究家が「ウガヤ」とは「上伽耶」であり、日本の天皇は古代朝鮮王朝の子孫だという説を提唱したのだ。「伽耶」が古代の朝鮮半島の諸国を示しているのはその通りだが「上伽耶」という単語はざっと調べても「ウガヤ」と結びつける場合にしか登場せず、眉唾な説である。しかし「伽耶」と結びつけること自体は捨てがたい説でもある(というか、日本書紀に記述された命名由来はかなり強引な印象を受ける)。山幸彦やウガヤフキアエズノミコトはワタツミ(海)の宮のお姫様と結婚したと伝えられている。このワタツミの宮が龍宮城のような海中ではなく、海の向こうの宮と解釈すれば、実際にあり得る話だ。蘇我氏の先祖には「高麗」や「韓子」という名前の人物がおり、生まれた土地や母親の出身氏族から取られたと考えられている。ウガヤフキアエズノミコトの名前も同様かもしれない。