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【樫本永遠彦 視点】
2042年4月2日午前10時3分
職員室を出ると、知った顔が待っていた。
まあ今の俺の場合知った顔なんて二人しかいないし、うち一人は名前すら知らないんだけど。
「結構時間かかったね」
知った顔こと美音さんは笑顔で話しかけてくる。
さっきの威圧感のこともあり、普通の笑顔だと分かっていても何か裏があるのでは?なんて勘繰ってしまう。
「俺はあんま長く話してた気はしないんすけどね?」
「別に今はなにも企んでないから大丈夫だよ」
表情に出ていたのか、それともまた別の何かから察したのか。彼女は俺の考えを見事に読み取り、ヘラヘラ笑う。
「今は、って事はいずれ何か仕掛けるつもりって事でしょ?」
「ありゃ、そう取るか。君も捻くれてるねぇ~」
そりゃ出会いが出会いだし、警戒するに越した事はないだろう。脅されるのとか二度とごめんだ。
「そうそう。君の言う通り今は何もするつもりないから、ちょっと付き合ってよ」
そう言って美音さんは有無を言わさず俺の手を掴む。彼女と普通の出会い方をしていれば、このシュチュエーションもものすっごくドキドキするんだろうけど。
「なんだかなあ…」
嫌な予感に先立ってため息しか出てこない。
はあ、普通の女の子との出会いが欲しい……なんて事を考えながら俺は引っ張れるままに美音さんについて行く俺だった。
ゴウンゴウンと唸るような音を立ててゆっくり回る風力発電機がこの学園都市にはたくさん設置されている。それもビルの上にだ。飛行機の中からこの光景を見た時は。
「待ってコレどっかで見た事ある。具体的に言うなら科学と魔術が交わっちゃう系のライトノベルで見た事ある!」
なんて、1人焦燥と歓喜のせめぎ合いに悶々としていたが。深く考えない方が良いと判断しこの事にはもう触れない事にした。まあアレだ。実際海洋都市だから理にはかなってるし、他に都市の電力を賄う方法が思い浮かばなかったんだろう。
この風力発電機も従来の物と違って限りなく騒音がゼロに近い物になったらしいが、それでも耳の良い人からするとやはり来るものがあるらしい (美音さん談)。
まず間違いなくこの人には聞こえてねーよな、とか思いながら、ご機嫌にスキップなんかしちゃう美音さんから出来るだけ離れ、他人のフリをして道を歩く。
端末に表示されたマップの情報によると俺たちは学園のある1区から隣の9区に来ているらしい。
「あー。そういや、いつからあそこで待ってたんですか?」
「んー?ずっと待ってた訳じゃないよ。私も生徒会の仕事あったし、あそこに行ったのはほんの5分くらい前かなあ」
5分くらいか、ギリ許容範囲だな。10分以上待ってたんなら帰りゃよかったのにとか言えたのに、残念。
「ああそうだ」
そう言いながら不意に振り返った美音さんとばっちり目が合う。
夜の闇よりも深い黒色をした瞳は、ぼーっとしてたら吸い組まれてしまいそうな程透き通っていた。顔立ちもプロポーションも申し分ない。生徒会長なんてやってるらしいし、頭も良いし周りからの信頼も厚いんだろう。結論……性格さえどうにかなればなあ。
「ねえ君、また失礼な事考えてない?」
「い、いやあ?考えてませんよ?」
危ない危ない…。また脅されるところだった。この人の前で迂闊な事を考えるのは控えた方がいいかもしれんな。いや、マジで。
「ふーん、まあ良いけど。ところでさ、話は戻るけど君、天っちゃんからなんか貰ってない?」
ほらぁ、こう言うことになるんだよ。天ちゃんって…ああ天津…先生のことな。この端末の事ってあんま言わない方が良いって言ってたけど……もうバレてるし、あんま言いふらさないって約束させればいいか。
「誰にも言わないって言うなら教えますよ」
「言わない言わない!絶対言わないからっ!!」
うわぁ嘘くせ〜、絶対言うぜこの人。まあなんかあっても怒られるの学校側だから別にいいけどさ。
「コレです。なんか試作品の端末なんですって」
ポケットから取り出した新しい方の端末を美音さんに差し出す。どれどれー、と俺から受け取った端末をポチポチといじる美音さん。
「そういや、なんで知ってたんすか?」
「何でって、あー…この前ホームルームの時間に天っちゃんが教えてくれた」
えぇ〜何してんのあの人。人にあんま言いふらすなって自分が一番話してんじゃねーか。転校初日、俺の中で副担任の信頼は地に堕ちた。 アイツがそんだけ喋ってるなら別に全部ゲロってもいいや。
思いついた俺は早速、美音さんに全部話した。
「へーじゃあそのAIが搭載されてる事以外特に変わりは無いんだね」
「そうっすね、天津曰くそのAIが何でも超高性能らしくて頼んだら基本何でも出来るらしいです」
「へー便利だね~」
「っすねー…ところで、そろそろ離してくれません?」
美音さんは俺の端末をガシッと掴んだまま離そうとしない。
結構な力で引っ張っているのだが、ビクとも動かない。あの細腕でどんな力してんだこの人は。
「ちょ、おい、はな、離せぇい!」
「えー私もコレ欲しいー」
ガキのように駄々をこねる美音さん。
ちょ、恥ずかしいやめて、駄々っ子やめて!2人揃って往来妨害罪で捕まっちゃうから!モラルの無い若者に写真撮られてネットに上げられちゃうから!実際問題怖いよね。どこで誰に撮られてるか分かんないんだもの。
駄々をこねる美音さんを引っ張り、ひとまず近くのカフェに入る。人の目に付く天下の往来から彼女を遠ざけるためだ。
「いらっしゃいませーお二人ですね!こちらにどうぞー」
元気なポニーテールの女の子が俺たちを案内する。店の向かいにはアメリカでも人気だったコーヒーショップもあったのだが、これ以上この人の痴態を周囲晒すわけにもいかないのでこっちを選んだ。
「あーえっと、ブレンドコーヒー1つ…美音さん!いい加減諦めて下さいよ。あとなんか注文して下さい」
「はいはい。おじさん私いつものちょーだい」
さっきまでのむくれようとは打て変わってパッと切り替え元気に注文する美音さん。……ん?今、いつものって言った?
「そ、君の想像通りここは私の顔なじみのお店。人気なくて静かだから仕事する時とかによく使うんだー」
ニヤニヤと笑う美音さん。カウンターの向こうから、一言多いぞクソガキ!とカフェのマスターが怒っているが彼女はそんな事は気にしない。
「さて、樫本くん。なんで私が君がここに来るように仕向けたか分かるかな?」
出されたおしぼりで手を拭い、メニューをパラパラめくる彼女は非常に絵になっていた。
「さあ?全く、見当皆目もつかないっす」
特に嘘は言ってないし、別に隠してることもない。
強いて言うならさっき性格さえ良ければとか考えてた事くらいか?
「…あれ、本当に無い?マジで?」
「?…ええ、ホントに何も無いっすですけど」
あっれー、私の勘違いかなあ…とぶつくさ何かを言っている美音さん。そんな彼女はほっといて俺は女の子が持ってきてくれたコーヒーとサービスのサンドイッチをいただこう。
正しいコーヒーの飲み方なんて全く知らないので、香りとかそんなの楽しむつもりは一切なく、ずずっとモノを口に運ぶ。さっき飲んだのがあの馬鹿みたいに濃いコーヒーだったのも相乗してか、ものすごく美味しく感じた。
「向こうのチャラチャラした店のより美味いだろ?」
カウンターの向こうから店のマスターの声が聞こえる。
確かに美味しいのだが、チャラチャラしたっていい方はどうよ。あとチャラチャラした店に行ったことないので、味の差異は分かりません。
「何言ってんのおじさん!?スタバとここじゃ比較にもなんないからね!」
おじさんにフラペチーノ作れるの!?と美音さんのコーヒーを持ってきたウェイターの女の子がやや興奮気味にマスターに怒る。
「えぇ、香澄は向こうの味方なのか?おじさんちょっと悲しい」
やんややんやとこちらはこちらで騒がしい。喧嘩するなら向こうでやってくれ。
「ね?この雰囲気も悪く無いでしょ?」
そう言って悪戯っぽく笑う彼女。今日半日で彼女のいろんな笑顔を見てきたが、この笑顔は、嘘偽りのない本物の笑顔だったと思う。
「ええ。俺もここに通う事にしますよ」
彼女には聞こえないよう、ポツリと俺は呟いた。
それから彼女と色んなことを話した。俺の向こうでの暮らし、彼女の学校生活。生徒会の仕事の内容、俺の過去の研究テーマについて。などなどたわいも無い話に花を咲かせていた。
「ところで樫本くん。話は変わるけど君は今朝、君をぶっ飛ばした女の子に復讐したいとか思わないの?」
不意にそんなことを聞かれ、俺は残り一切れとなったサンドイッチを齧りながら少し考える。
「…復讐って、別にそんな怒って無いですよ、強いて言うならちょっと一言二言物申したいってくらいですかね」
手段はかなりアレだったが、ああして犯罪を未然に防ぐことが、彼女に与えられた役割である以上、俺は彼女に対してやり返しを考える事はないだろう。
それに、今になって冷静になって考えてみれば彼女の指示に従い一度捕まれば、俺の身の潔白は証明されていたはず、それをことごとく抵抗したのは他でもない俺なのだ。
「へぇ…やっぱり、君は優しいんだね」
俺の答えを耳にして彼女はそう微笑むが、その笑顔にはさっきのような暖かな光はなく、どこまでも冷たく冷酷な彼女の本質が垣間見えた気がした。
背筋を冷たいナイフで撫でられた気分だ。
「…ま、まぁ?俺ほど寛大かつ聡明な人間はそうそう居ませんからね」
俺くらいになると、そろそろ国で保護されてもおかしくないレベルの寛大さですから。なんておちゃらけてみるが、彼女はもうさっきの話に興味はないらしく、へーそーなんだー、と適当に聞き流していた。
「あ、そうそうそんな事より樫本くん」
「俺の精一杯の気遣いをそんな事呼ばわりですか、さいですか。なんですか美音さん」
ほんとアンタだけは。ぐぬぬっと拳を握り殴りたい衝動に駆られるが、この人はずっとこんな感じなんだろう。一々こんな事に腹を立てていては身がもたないと、どうにか割り切った。
「そう言えば君は入る部活とか何か決めてるの?」
「部活…ですか」
前の学校じゃ考えたこともなかったけど、アリかもな。
部活動という一つのコミュニティにぶち込まれる以上、嫌でも友達とかライバルとか、上手くいけば彼女とかも出来たりするかも!
ああでも、あれか。スポーツとか何もできないか。体を動かすのは得意なんだけど、そこにルールが加わるとちょっとなあ。
「あーまあ今の所は特には考えてないですね」
「おっけーじゃあそう伝えとくね」
「待って、誰に何を伝えるの?その辺の詳細プリーズ」
俺何もするつもりないよ!?入っても文化部ですからね?
「違う違う、君の担任の先生に伝えるだけだよ。別に強制的に何か部活動に入れられるとかはないと思うから大丈夫」
……部活動は、ね。
最後不穏な言葉が聞こえた気がするが、全力で聞かなかった事にする。これ以上先の事に不安を感じてもしんどいだけだ。
意外と石橋を叩いて渡るタイプな俺なので、元々取り越し苦労や杞憂は多い。だが、この人と話して数十分、そんな不安を覚える事がぐっと増えた。なんか一々不穏な言葉使うし、雰囲気醸し出すし、多分わざとやってんだろうけど、何にせよこの人、色々と紛らわしいのだ。
「おかげ様で石橋を叩いて渡るタイプから、石橋が壊れる前に走り抜けるタイプに変わりそうですよ」
嫌味ったらしくそんな事を彼女言うと、やーそれほどでもー、となぜか照れる。
だめだ、今の俺じゃこの人に効く嫌味言うにはまだレベルが足りない…無念。
『システムアップデートを完了。インストールしたデータを確認中…全承認。擬似人格のインストールを開始します』
「ふぇっ!?」
テーブルに置いた端末が急に話し始めたので驚いてサンドイッチを落としてしまう。
3秒ルール…いや、やめよう。外でそれはみっともない。
落としてしまったサンドイッチの死を哀れんでいると、マスターが、仕方ねーな、と追加でサンドイッチを持って来てくれた。計画通り…、なんて思ってないヨ?
「今、擬似人格がどうこう言ってませんでした?」
「うん、言ってたね」
ああ、聞き間違いじゃ無かったんだ。
って事はあれか、天津の言ってた自己進化の一段階目か。
…え、早くね?こんなに早く進化しちゃうの?ここ一時間くらい俺、美音さんに対する悪感情しか抱いてないけど大丈夫?
このまま成長しちゃったら軽く人類を、二、三回は滅ぼしかねない、ターミネーターも顔真っ青の殺人マシーンが産まれかねない。
『人格データのインストールを開始します』
「ええ、俺に聞かれても。ちょ先輩これハイって言っていいんですかねコレ!なんかちょっと不安になって来たんですけど」
『声紋の認証を確認』
「ああ!どうしましょう先輩!?」
「私に聞かれても知らないわよ!シャキッとしなさい!君が不安になると私まで不安になるでしょ!」
恐怖は伝染する、と言うやつか。
いや、シャキッとするって言われてもなあ。不安なもんはやっぱり不安だろ。
『人格データのインストールを開始。またインストール完了後自動的にデータファイル展開を開始し、本端末を再起動します』
やばい、何言ってるのか全然分からん。再起動するって言ってるから放置しとけばいいのか。
「君、説明書とか持ってないの?」
「天津が渡さなかったんですよ」
あのバカ…とため息をこぼす美音さん。ええ、あいつが馬鹿だと言う感想に関しては俺も同意です。
端末の画面には一本のバーが表示されており、それがゆっくりと満たされていく。
おそらくコレが作業の進捗具合なんだろう。今のところバーはほとんど満たされていない。ほっといとも大丈夫そうだ。
「なに?大丈夫なの?」
「多分…恐らく…やばいっすね、最新式。何やってるか分かんないとか、怖すぎでしょ」
ひとまず端末をポケットにしまう事で視界に入らないようにする事で意識の外に放り出す。どうせまた作業が終わったら勝手に喋り出すだろう。
「樫本くんそろそろ移動しましょう。私の買い物に付き合ってよ」
「えー。どうせ荷物持ちでしょ?他の奴れ…はい行きます行くからその拳を収ぎゃぁぁっ!」
口は災いの元とはよく言ったものだ。
こうして俺は美音さんの右ストレートを一発食らった挙句、彼女の買い物に付き合わされる羽目になった。