#1 僕が家庭教師に向いてない。
玄関を入ってすぐの階段を登った左手にあるドア。
そこが、引きこもり少女の自室であった。
まずはコンコンっと2回ノックする。
そして、連載締切間近のマンガ家の呼びかける時のように、できるだけ語気をなくして柔らかく呼びかける。
「今日から霧子さんの家庭教師を務めさせていただく、狩野です。よろしくおねがいします…。」
ドアの向こうからは、返答どころか物音一つない。
本当に中に人がいるのかも疑わしいレベルだ。
「霧子さん。居らっしゃいますか…?」
更に呼びかけてみるが、気配は感じられない。
ただ、霧子さんのお母様が「部屋にいる」とおっしゃった以上、霧子さんは部屋の中にいるはずなのだ。
とすれば、考えられる状況は2つ
1,応えるのが面倒なので居留守を使っている
2,呼びかけにも反応しないほどぐっすり寝ている
のどちらかだろう。
2であれば大声を出せば良いかもしれないが、
ドアの奥のにいるのは、引きこもり少女である。
おそらく1の可能性が高いだろう。
とすれば僕が取るべき選択肢はこれだ。
「霧子さん?!霧子さん!!無事ですか?!返事をしてください!!!!霧子さーーーーーん!!!!!!」
かなり強めに、とは言っても人の家なので加減はわきまえながら、ドンドンドンッとドアを拳で叩きながら叫ぶ。
考えられる状況
3,部屋の中で意識を失う
またはそれに相当する身体の異変が起こっている
である。
母親が先程状況を確認しているので、そんなはずはないのだが、ここは芝居をうってみる。
「霧子さん!ヤバイ!手遅れになるまえにドアを破ってでも、助けないと!!!!」
ドアを破るなどもちろん冗談である。これで、大事になる前に返事だけでもしてもらえたらいい。
少し様子を見ようとドアから一歩後ずさったとき、
おろした足の裏から激痛が走る。
とっさに足元をみると、そこには画鋲がチラほらと転がっていた。
なんでこんなところに?と思ったのもつかの間、激痛から体勢を崩した僕は引きこもり少女の部屋のドアに寄りかかろうとする。
ちょっとバランスを崩したぐらいかと思ったが、ぐらついたために僕の全体重がドアに加わる。と、同時に何故か僕の身体がそのまま倒れていく。
何故かドアがブッ壊れて一緒に倒れていっているのだ。
大きなドシンッという音とドアとともに僕は少女の部屋の床に倒れ込んだ。
強い衝撃に一瞬視界が飛ぶが、目を開くとそこには人影があった。
助けを求めるかのように、人影に向かって手を伸ばす。
すると、指先に布地のような肌触り、
そしてほのかにフニッとした柔らかな感触が伝わった。
なんだろうなこれは、と感触を確かめるようにフニフニしていると、
「…ヒッィ!」
という少女の半分吐息の悲鳴が聞こえた。
完全に女性が引ききっているときの声である。
声の方向を見ると、少女が尻餅をついた状態で壁に向かって後ずさりながらこちらを見ている。
女性にこんな怯えた引きつった顔をされたのは初めてかもしれない。
戻ってきた意識、視界とともに、1から今の状況を整理する。
学費を稼ぐために高額のアルバイトを探していた大学生の僕、狩野勉は、異例の高額報酬がもらえると噂の家庭教師に募集した。
その内容は引きこもり女子高生、小森霧子をなんとか部屋から出させて勉強させるというものだったが、家庭教師初日から僕は家庭教師先の家のドアをぶっ壊した挙げ句、女子生徒の胸を触りドン引きさせている…。
「詰んだ…。」
これが、引きこもり少女と家庭教師の僕の物語の始まりであった。