死にたがりの聖女
むかしむかし、ある国に神に遣わされた聖女がおりました。
聖女はいつも太陽のような笑顔で周りを光で包み込んでいました。
ある時は困っている人々を助け、ある時は悪に立ち向かい、ある時は人々に元気を与えていました。
聖女は神に祈りを捧げ、それにより与えられた力によって多くの問題を解決していたのです。
たくさんの人々に慕われたその聖女は【漆黒の聖女】と呼ばれ、歴史上最も偉大な聖女としていつまでも語り継がれるのでした。
おしまい。
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「死にたい。」
もう限界だ。
毎日毎日、仕事に追われていつになったら休めるのかわからない。
そもそもこの仕事に終わりなんてあるのだろうか??
「ダメです。」
私の言葉に冷徹に答える目の前の男をジロリと睨んでやる。
「だったら私に休みをくれ!! もうかれこれ半日はここで机に向き合ってるんだから!!」
「ダメです。仕事を終えるまで部屋から出すなと仰せつかっています。」
「頼むよ〜、ランドルフ〜。」
私は、自身を見張るようにぴしりと立つ男ーーランドルフに縋るように声をかけるが、それは虚しくも彼の耳に届かなかったようだ。
……否、届いていたが無視をされてしまった。
そもそも、ランドルフが仕えているのは私のはずだ。一体いつから神殿のジジイ共の言いなりになったんだ??
全くもって腹立たしい。
「ブラック企業様々だよ。」
私はムッと口を尖らせながらも、机の書類に向かう。
書類の内容を読んでは"アメリ"というサインを書く作業。本当にこれは私がやらなければならないのか? 私の仕事なのか?
それから、黙々と同じ作業を続けていく。手首が腱鞘炎にでもなってしまいそうだ。小さく唸ってみたりするが目の前の男は少しも動じず、ただ背筋をピンと伸ばしてジッと立ち尽くしていた。
もう限界だ、死んでやる。
私はバッと立ち上がり背後の窓に手をかける。
ここから飛び降りて、そして目が覚めた時きっと私は元の世界に戻っている。
ただの女子高生だった私は、トラックに轢かれそうになった次の瞬間この世界に転移していた。地球とは何もかもが異なる世界で、聖女だということにされてもう2年が経とうとしている。
これは、きっと全部悪い夢だ。
身を乗り出したその時、グイッと体を引かれ床に転がった。あぁ、今日も失敗した。
「貴方も往生際が悪いですね。」
ランドルフが無表情を崩さず、冷たい視線をこちらに向けながら呟いた。それに対して、私は恨みがましい表情を作って見せる。
いつだってこの男は私の邪魔をするのだ。まぁ良い、今日は私の負けを認めるが明日は私が勝利するかもしれない。
「ふんっ、そうやって余裕ぶっていられるのも今のうちなんだから。」
私はツンと口を尖らせながら身体を起こした。吐き出した言葉は完全に負け犬の遠吠えな訳だが、私はそんなことを気にしない。
ぐしゃり、と手元で音がした。
一体何の音かと見てみると、倒れた拍子に散らばった書類の1つだった。
「……疫病が、流行る村?」
大きな見出しが目に飛び込んできた。
にまりと唇に弧を描きながら、私は両手で書類を顔の前に持ってきてマジマジと眺める。
「原因不明の病が大流行……聖女さまに瘴気を浄化して貰いたい……ですって!!」
キラキラとした瞳をランドルフに向けると、彼は頭を押さえながら大きく「ハァ」とため息をついた。
「そういうのは、まず使節団を送るものです。初めから貴方が行くことはありません。」
ランドルフは、最優先事項はこれだと別の書類を押し付けてくる。それは、近隣諸国と友好関係を築くイベントの案内だった。
「こんなの面白くないもん。」
私は、ランドルフから受け取った資料をポイっと放り投げて、再び"疫病の流行る村"についての書類を彼に見せつける。
「今すぐに私の助けを必要としている人がいるのよ! そういう人たちを助けることが聖女たる私の使命でしょ!?」
「……面白がっているだけでしょう。」
私のわざとらしい熱弁に相変わらずランドルフは冷めた表情をしていて、呆れたように言葉を吐いた。
失礼なことだ、私は至って真面目だと言うのに。
「さっ、善は急げって言うし、すぐに準備してこの……なんだっけ? そうそう、マーキュアル村にしゅぱ〜つ!」
私は意気揚々と拳を上に振り上げる。
原因不明の疫病が流行っているなんて、感染したらきっとポックリ逝くに決まってるわ。
そんな私の心内に気付いているのか、ランドルフが「なんて不謹慎なやつだ。」と私を評する。
私はそれに対して聞こえていないフリをしてやり過ごすのだった。
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「何事も言ってみるもんだね。」
私はゴトゴトと揺れる馬車の中で独り言つ。
正直なところ、神殿のジジイ共が私の要望を快く了承してくれるとは思っていなかった。いつもネチネチと小言を言ってくるジジイたちのことだから、また煩く言われると覚悟していたからだ。
まぁ、耳が痛いほど言われたところで今のように村へと向かっていたでしょうけれど。
「神官長様たちも、きっとこの件について懸念していたのでしょう。」
あんなにも私の意見には賛同してくれなかったというのに、ランドルフはコロリと掌返しをしてくる。
私はジトリと目を細めて見つめるが、それは少しも効果を発揮することはなく、彼は涼しい顔を貫いていた。
ガタン、と音を立てて馬車が止まる。
扉が開き、まずはランドルフが外に出た。それから続けて私が馬車を降りる。
広がる光景は村と言うにはかなり発展しすぎている街並みだった。奥には大きな工場が見える。
「マーキュアル村……想像以上なんだけど。」
私が感嘆の声を上げると横からスッとパンフレットが現れた。どうやら、ランドルフが用意したものらしい。
パンフレットには"世界一上質なメチルが作られる村"という見出しが付いていた。
「マーキュアル村の特産品はメタリックスライムから生成されるメチルという鉱物で、村の先に見える大きな工場で作られています。世界で一番上質かつ生産量も多いため、村がかなり発展したようです。」
ランドルフの説明に、私は「へぇ〜」と感嘆の声を上げた。流石、有能な護衛だ。
反してランドルフは事前に何も調べ上げていない私に軽蔑の視線を向けていた。
「聖女さま、ようこそいらっしゃいました!」
頭部がかなり後退したおじさんがにこやかにお出迎えをしてくれる。出迎えるということは、彼がこの村の責任者だろう。指や腕に光る装飾品が、彼を裕福な家の者だと認識させる。
「アメリです、どうぞよろしく。」
私もニコリと笑って自己紹介すると、おじさんは深々と頭を下げた。
「まさか、本当に聖女さまが直々に来て下さるとは! 私はマーキュアル村を管理している地主のウスーイと申します。」
え、ほんとに?
自己紹介を聞いて、私は再び頭部に目を向けてしまうが急いで目線を下にする。どう考えても偶然と思えない名前に笑い出してしまいそうになるが、グッと堪える。
「村の様子は?」
私が何も言わない……もとい言えない状況を察したのかランドルフが代わりに質問してくれる。
ウスーイは、ランドルフを見て一瞬びくりとするがすぐに笑みを取り戻した。
ランドルフはかなり人相が悪い。黒髪の縮れた毛が目元を覆っていて、そこから覗く目つきは鋭い。それだけでも印象は悪いのにニコリとも笑わないのだから、誰からも怖がられて当然だ。
「あ、はい、ご案内いたします。」
ウスーイは手でこちらですと指し示して歩き出した。
村の中は予想以上に人の往来が少ない。街並みから以前は人で賑わいがあったのだろうと予測出来るが、今はガランとしている。所々、路地に人が倒れているのが散見された。
これは、あまり簡単な問題ではないようだ。
「疫病が流行ったのはいつ頃からですか?」
「ここまで広まったのは最近のことです。急にバタバタと人が倒れまして……。」
とにかく症状を見ないことには何とも言えないが、瘴気が漂っているようには感じられない。急激に広まったのならば、故意に疫病の元となる細菌がばら撒かれたか? それならば、私の出る幕ではなくなる。計画的な犯行を暴くのは、警察の役割を持つ"警務隊"の役目だ。
「村の病院に症状のある者たちを収容しているのですが……もう病床もかなり埋まってしまっていて……。」
つまり、これ以上は医療崩壊が起きてしまうわけだ。
村の病院に辿り着くと、外のスペースにテントが張られているのが見えた。テントを病床として使っているようだ。
これは、かなり深刻な状況だ。
私は臆せずにテントへ向かって足を進める。背後からウスーイの「あ、ちょっと!」という声が聞こえるが無視をしてテントに入っていった。
心配せずとも、私には"聖女の護り"という特別な加護があるため、殆どの病原菌や瘴気などには侵されることがない。それを知っているので、ランドルフも私を止めることはしないのだ。
ただ、この殆どというのが大切で、もしかしたら数%の確率で私を病にかけることの出来る何かがこの村に蔓延しているのかもしれないのだ!
……今のところ、その片鱗は見当たらないけれど。もしそうならば、ウスーイはこんなに元気でいるはずがない。
「どうも、聖女のアメリです。お話を伺っても?」
唐突な登場に、中にいた医師や看護師は驚きの表情を浮かべるが、すぐにニコリと笑みを浮かべた。
「あぁ、聖女さま!お待ちしておりました!」
医師と思われる男が駆け寄ってくる。
「病状をお聞きしたいのですが。」
「はい……多くのものが手足の不自由さ、頭痛、言語障害や難聴を訴えています。症状の度合いは人によって違いますが、もう何人も重篤な状況下にあり、最悪死亡してしまうことも……。」
医師の言葉を聞いて、私は横たわっている患者を診る。やはり、瘴気を纏っているわけではない。
……私の出る幕ではない、か。
患者は年齢、性別に共通点はなくバラバラ。
一番近くにいる少女はまだ10歳にもなっていないように思える。苦しそうに呻きながら、父や母、兄を呼ぶ姿に心が痛んだ。
「これは瘴気によるものではありません。私の浄化によって祓えるものではありませんし、神殿の治癒師が皆さんの症状を取り払っても根本的な解決にはならないでしょう。」
「……やはり、そうでしたか。」
私の言葉に医師たちはあからさまに肩を落とす。
私は医者であったことは一度もないし、医学的な知識があるわけでもない。私が口を挟めることなどないのだ。
あるのは、私がここに来る前の世界で起きていたことの知識のみ。まぁ、それが役に立つとは到底思えないけれど。
「とにかく、神殿から治癒師を何人か寄越してはいますので、現状の改善を図りましょう。」
かくいう私は治癒魔法を使うことが出来ないので、此処にいてもただの足手まといだ。
私は確かに聖女として聖属性の魔法を使うことができるが、残念ながら使える魔法は"浄化"と"聖女の護り"と"聖女の祈り"のみ。そこに治癒魔法は含まれていないし他属性の魔法なんて以ての外。
力の無さは、歴代の聖女の中でずば抜けていることだろう。なんて不名誉な事実なんだ。
私はテントを出て、ランドルフとウスーイの元へ戻る。ウスーイはテントから戻った私に訝しげな視線を送っていた。おそらく、私が感染したのではないかと疑っているのだろう。そんなすぐに感染する疫病なら、すでに村は壊滅しているわ。
「見たところ、瘴気の類ではありませんでした。原因について私にはわかりかねますが、とにかく治癒師の治療で医療崩壊が起きる瀬戸際の状況を改善出来るように努めます。根本的な解決にはなりませんけれど。」
私の言葉にウスーイは一旦安心したというようにホッと息をついた。
「この状況が良くなるなら何でも良いです。聖女さまに来て頂けて良かった……それでは、私は仕事がありますので、メチル以外何もない村ですがゆっくりしていってください。」
ウスーイはペコリと頭を下げて、足早にこの場を離れていった。私はそれに対して不満気に腕を組んで頬を膨らませた。
「ちょっと、普通わざわざ呼んでおいて持て成しもせず放置する? だからハゲんのよ。」
「ハゲは関係ないと思いますが。」
そこは賛同しろよ、という意味を込めて私はランドルフに厳しい視線を送ってからチッと舌打ちをする。
「まぁいいわ、ゆっくり見ていけというならその特産品のメチルでも見てやろうじゃないの。もしかしたら、運良く病にかかれるかもしれないし。」
「……俺はまだ死にたくないのですが。」
私がにっしっしと悪巧みをするかのように笑って見せると、ランドルフが抗議するように不平を口にした。私はそれを無視して「レッツゴー!」と意気揚々と声を上げて工場へ足を進めるのだった。
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「危険物質も扱っておりますし、工場内を案内することは致しかねます。」
「でも、ウスーイさんは好きに見て回っていいと仰っていましたよ。」
まぁ、そんなことは一言も言われていないのだけれど。
工場前で、私は工場長のファクトルと問答を繰り返していた。
わざわざこんな片田舎まで来たのだから、特産品が作られる工程くらい見せてくれても良いではないか、何ならお土産として貰っても良い。
それに、危険物質だなんてむしろウェルカムだ。
有毒ガスでも出てぽっくり逝けるなら、それはそれで良し。
私はあくまでも笑顔を絶やさずにファクトルに接する。ファクトルはとんだクレーマーが来た、とでも言いたげに眉間にシワをよせて、それから「わかりました。」と了承の意を示した。
どうだ、と私はランドルフの方を振り返ってニヤリと笑って見せる。
「自慢すべき事象ではありませんよ。」
ランドルフはそう一言だけ言うと、ザッザッと私の横を通り過ぎてファクトルの後ろを歩いていった。
なんて可愛げのない男だ。
ふんっと鼻を鳴らして、私もその後をついていく。
「メチルは核を失ったメタリックスライムから製造されます。幸いなことにマーキュアル村近辺では多数のメタリックスライムが自生しており、財源に困ることはありません。」
説明を受けながら工場内を見て回るが、何だか人が少なくガランとしているように感じる。
「いつもこんなに少ない人数で工場を回しているのですか?」
「あ……いや、多数の労働者が疫病にかかりましてね。いやはや、人手不足に困っているのですよ。」
一瞬、ファクトルが言い淀んだように感じたが、それは杞憂だろうか。まぁ、村自体に疫病が流行っているのだから、疫病によって労働者が減っているとしても納得がいく。
「これがメチルの完成品です。」
ファクトルが手に取ったものは、銀色の塊だった。見た目は鉛のように思えるが……これが噂のメチルか。
「メチルは高価な鉱物で、主に装飾品として使われます。マーキュアル村のメチルは上質であることから、鉛玉程の大きさでも、およそ10万の価値があると言われています。」
「じゅっ、10万!?」
私はメチルの高価さに声を上げてしまう。こんな鉛みたいな鉱物が……。そりゃあ、この村がこんなにも発展しているわけだ。
バタン!!
感心していると、工場の奥で大きな音が聞こえた。何事か、と私たちは音のした場所へと駆け足で向かう。
そこには、まだ12か13歳ほどの少年が倒れていた。
「え、疫病か!?」
「おい、近くにいたら俺らもあぶねーんじゃねぇか!?」
工場の労働者は、自身が感染するのではないかと懸念して誰も少年に近寄らない。
いい大人が、情けない。
「退いてください。」
私は大人たちをかき分けて少年の横にしゃがみ込んだ。息はハッキリしている、手足が震えている様子もない。
「だ、大丈夫、です。」
少年は、ゆっくりと話しながら起き上がろうとするが、ゆらゆらと体が揺れていた。
「……過労よ、しっかり休まないと手遅れになる。」
ランドルフに視線を送ると、彼はコクリと頷いて少年を抱える。
「ファクトルさん、彼は病院へ連れて行きます。よろしいですね?」
「は、はい……。」
ファクトルはジッと少年を見ていたが、声をかけられたことでハッとして返事をした。
歯切れの悪い返事に苛立ちを覚えながらも、私とランドルフは少年を伴いメチル生成工場を離れた。
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「あの……ありがとう、ございました。」
少年が点滴を受けながら、私にお礼を言う。
「人々を助けることが私の使命だもの。」
私がニコリと笑いながら言うと、隣から小さな声で「嘘くさ。」と一言聞こえてきた。それに対してぴきりと自身の額に青筋が浮かぶのがわかる。
この護衛、一度痛い目に合わないとわからないみたいね。
「でも、おれ戻って働かないと……。」
少年は焦るように病院のベッドから抜け出そうとした。私は彼の肩を押さえてそれを止める。
「過労だって死に至る場合もある、貴方に今必要なのは休息を取ることよ。」
私の言葉を聞いた少年は、顔を俯かせて葛藤するように目を泳がせた。
「でも、でも……おれが働かないと……。」
「えーっと、あなたの名前は?」
私が問いかけると、少年は私を一瞥してから再び顔を落として「ヘイン。」と答えた。
「ヘイン、何故そんなに働かなければならないのか教えて貰ってもいい?」
「……母ちゃんと妹のマインは疫病にかかって、父ちゃんは仕事のし過ぎで倒れた。病院だってタダじゃない……おれが働いて稼がないといけないんだ。」
ヘインが強い意志を瞳に宿しながら言葉を発する。私は彼の抱える大きな負担を軽くしてやりたいと思ったが、自分に出来ることの少なさにもどかしくなる。
「……妹の顔を見に行くぐらいしたって良いだろ?」
「えぇ、もちろん。きちんと休んでくれるのなら。」
ヘインはベッドから降りて、点滴のパックが吊り下がったスタンドを持って、ガラガラと音を立てながら妹の元へ向かう。
私とランドルフは彼の後ろを追いかける。ヘインは、病院の外へ出て張られているテントに入っていった。私は、まさかと思いながらテントに入ると案の定、彼は小さな少女の横に立っていた。
私が症状を見にきた時に苦しそうにしていた少女が、ヘインの妹のマインだったのだ。
「お、兄ちゃん。」
マインは苦しそうにしながらも、ヘインの登場に嬉しそうに笑った。
「マイン、もう少し頑張ればきっと良くなるからな。」
「マインはへいきだよ。」
ヘインの声かけに、マインは無理に元気を装って笑顔を絶やさなかった。
私は、その光景を見てギリッと音が鳴るほどに歯を噛み締めて、それからテントの外に出る。
「あ〜ッ!!」
私は頭をぐしゃぐしゃと掻き乱しながら大声で叫んだ。
あんな光景見させられたら、この問題を解決しなくちゃいけなくなるじゃないか!! このまま放っておくなんて私の良心が許さない!!
「何その顔、あんたは何にも思わないわけ?」
隣に立つランドルフは、私の奇行に対して変なやつだという視線を向けながらも、何も感じていないような無表情を徹していた。
「戦場においては、時にどうにもならないこともあります。何でもかんでも感情的になることは生産性の悪い事象です。」
なんて冷たいやつだ。
そもそも、ここは戦場ではない。一般市民の住むごく普通の街だ。
「とにかく、今日は長旅で疲れたし、一旦宿に戻ろう。行動するのは明日から。」
「宿はそちらではありませんよ。」
私がふかふかなベッドに想いを馳せながら軽快に歩き出したところで、後ろからランドルフに声をかけられる。どんな感情よりも苛立ちが勝り、私は聞こえるようにチッ!と大きな舌打ちを打った。
「わかってるんなら、さっさと案内しなさいよッ!」
私は怒りを爆発させながら、ランドルフの後を追いかける。
そもそも、この男は何事にも動じない。
人が倒れても、心動かされる場面でも、能面のように表情を変えずにいる。
……いや、あの時、歯切れの悪い返事から狼狽えているのだろうと勝手に予測をつけていたけれど……あの男が見せた表情が気になる。
工場長のファクトルだ。
彼も、少年が倒れたあの状況をジッと見つめていた。狼狽えていたのではなく、ランドルフ同様に動じていなかった……?
それに、手足の痺れや言語障害、難聴という症状、メチルという鉱物、工場……何か引っかかる。
私の元いた世界での病気に何か関連性はないだろうか。
「ダメだ、歩きながらじゃ集中出来ない。」
「用意された宿は、あの突き当たりの小さな建物です。」
ランドルフの指さした建物を見て、私はげんなりとした顔をしてしまう。
かなり古く壁には植物が伝っている。おそらく内装や清潔さもあまり期待はできないだろう。
「ちょっと、本当にここなの?」
「残念ながら、今回与えられた費用ではあまり大きなお宿には泊まることが出来ません。神官長様たちより伝言を預かっています。"聖女たるもの贅沢はするな"と。」
「チッ、ジジイ共、ケチりやがって。」
聖女を広告に多額のお布施を貰ってるくせして、当の私に貧乏生活を強いるとは。仕事をボイコットしてやろうか、くそ。
内心毒づきながらも宿に入って一直線に案内された部屋へ向かう。一刻も早く集中して考えたい。
部屋に着くなり、私はどかりと椅子に座り込んだ。テーブルに肘をついて両手の指を合わせる。
「ランドルフ、コーヒーを用意して。」
「俺は使用人ではないのですが。」
「良いから、黙ってやる!」
ランドルフは私の強い口調に抗議しても無駄だと悟ったようで、大人しく用意を始めた。集中するにはコーヒーが必要だ。何よりも私の集中力を高めてくれる。
ふぅーっと息を吐きながら神経を咎める。
とん、とん、と中指を付けたり離したりする音が響く。これは私が集中するときのお決まりの癖だった。
マーキュアル村に流行る原因不明の病。
手足の痺れ、頭痛、言語障害、難聴。
マーキュアル村を支える特産品、メチルを生成する工場。
人手不足、倒れた少年、ジッと少年を見つめたファクトルの表情。
パンッ! と私は一つ手を叩いた。
「ランドルフ、明日は工場を調べるわよ。」
私はそう声をかけてから、彼の用意したコーヒーをグイッと喉に流し込んだ。
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翌日の日が落ちる頃、私とランドルフはヘインを連れて人のいなくなった工場に忍び込んでいた。
「あのさ……おれじゃなくて、工場長に案内してもらった方が良いんじゃないか?」
「表面的な案内は既に受けたわ、私が知りたいのは裏側よ。」
私の答えに、ヘインは不安そうな表情を浮かべながらも工場内に私たちを手引きした。
病院にいたヘインの元を訪れ工場を案内するように頼んだとき、彼はとても狼狽していた。しかも無人となる時間帯に秘密裏に手引きするとなると、何だか悪いことをしている気になるだろう。
否、悪いことをしていると思う。
だが、疫病の原因がわかるかもしれないと伝えると彼は勇気を振り絞ってくれた。小さなヒーローに感謝しなければ。
「私が知りたいのはメチルが製造される際に出る産業廃棄物についてよ。メチルの原材料はメタリックスライム。じゃあ、そのメタリックスライムは一体何で出来ているのか。」
私の問いかけにヘインとランドルフは顔を見合わせた。問いかけたのが馬鹿だったわ、脳筋と子供に分かるわけがないのに。
「そうね……正直かなり説明が難しいけれど、メチルはメタリックスライムからしか抽出できない、かなりレアな金属なの。つまり、レアメタルの一種ね。そして、メチルを含むいくつかの金属とスライムの核が融合したのがメタリックスライム。」
おわかり? と私が促すが2人は首を捻るのみだった。「もういいわ。」と私は理解してもらうことを放棄して工場を進むことにした。
実際のところ、この世界と元の世界の理屈はかなり異なる。レアメタルの意味合い、定義も難しい。元の世界では、私の記憶上では鉱石として採れるものはあれど、抽出したものを鉱物に錬成することはなかった。
そもそも、魔物という存在からイレギュラーなのだから理屈を考えるだけ無駄か。
「おれは廃棄物に関わる工程じゃないから良くわからないけど……たぶんこの辺りのレーンだと思う。」
ヘインの案内された場所にある機械をまじまじと見る。
専門的なことはわからないので、あまりよく分からないけれど……おそらく廃棄物を判別して避ける機械があるはず。
「……メタリックスライムは液状化するのか?」
「うん、核を取り出すと形を保てなくなって液体になるんだ。」
ランドルフの唐突な疑問にヘインは何でもないことのように平然と答える。そうなのか、知らなかった……と感心するよりも前に、何故ランドルフがそんな疑念を抱いたかについて引っかかりを覚えた。
「なぜ急にそんな質問を?」
「いや、ここに液体が残ってて……。」
「触らないで!」
ランドルフが機械に残った液体を素手で触ろうとしたので、急いでその手を取って静止する。
「どんな成分が含まれているかわからないのに素手で触ろうだなんて……あなた正気なの?」
「俺は大抵のことでは死にませんので。」
ランドルフは私の手を振り払って何の根拠があるのかそんなことを宣うが、機械からは十分距離を取っていた。
「聖女さまの言うとおり、液体は危ないから触らない方がいいよ。」
ヘインの忠告から、おそらく液体には人体に対して有害な毒性を含む成分があるのだと理解できた。
少しずつ、私の立てた仮説が確信に変わっていく。だが、まだだ。まだ全然足りない。
私が見つけ出したい機械は一体どれなのか。
あまり長居はすべきではない、なるべく早く答えに辿り着かなくては。
「たぶん、メチルになるのは右側のレーン。この真ん中の機械から分かれて、左側に要らない部分が流れていくんだと思う。」
まぁ、自信ないけど……と付け加えながらもヘインが私の知りたいことを教えてくれた。
ということは、左のレーンを進んでいけば答えに辿り着くはずだ。
私にとっては期待外れな答えが。
「あぁ、やっぱりね。」
筒状の大きな容器に一杯になっている未処理の工業廃水。それがいくつも無造作に並べられていた。
「あまりにも危機管理がなっていないと思わない?」
私がヘインに認識を確認するために問いかけると、バツの悪そうな顔をしてからぷいっと逸らした。
「疫病で人手がかなり足りてないんだ、仕方ないだろ。」
「本当に、疫病で、人手が足りていないの?」
私が詰め寄ると、ヘインはグッと顔を顰めた。しかし、何も言おうとはしなかった。これ以上詰めたところできっと何も応えてはくれないだろう、と私は諦めて「まぁいいけど。」と再び工場内に目を向ける。
さて、その人手不足の状態でこの工業廃水を正確に処理できるのか。おそらく、答えは"いいえ"だろう。でも、処分はしなければならない。そういう場合の人間の思考は単純明快だ。
私は近くにあった外へと通じる扉を開ける。腕を組み、ジッと外の様子を見つめる。あたりは静まっていて、虫の羽音や草木の揺れる音が聞こえる。それと共に聞こえる、流水音。
つまり、川の流れる音だ。
「あなたたち、工業廃水を無処理で川に流したのね。」
私から厳しい視線を向けられたヘインは、ブンブンと勢いよく首を横に振った。
「お、おれ、おれは! 何も知らない!!」
「……そうでしょうね、おそらくこの件に関与してるのは極少数。」
これは神殿側の出る幕じゃなさそうだ。
人為的に引き起こされた人災、疫病でも何でもない。ここからは明らかに我々ではなく警務隊の仕事だ。
「工場長がここへ赴任してきたのはいつ?」
「え……っと……3ヶ月前だったと思う。」
「そう……私にとってはかなり期待外れな結末ね、残念。帰るわよ、ランドルフ。」
"未知の疫病"に心躍らせすぎた分、真実はあまりにも面白くないものだった。
おそらく工場は一時閉鎖され、関与したものは処罰を受けるだろうが自業自得だ。そもそもこの状況を引き起こしたのは"疫病"ではないのだから。
私はランドルフに一声かけ、工場を出るために身体を翻したところでピタリと動きを止めた。
「これはこれは聖女さま、こんな時間に何故ここに?」
工場長のファクトルが柄の悪い男たちを引き連れて私たちの前に立ちはだかる。
なるほど、面白くなってきたじゃないの。
「工場についてもっと知りたくて、ヘインに案内して貰いました。それはそれは面白くない真実しかなかったけれど。」
「……その真実とやらを教えて頂こうではありませんか。」
ファクトルはピクリと眉を動かして、怖い顔でこちらをジロリと睨む。
「そうね、まず確認したいのだけれど、工場長として"水銀"の処理方法を知らないわけではないですよね?」
ニヤリ、と笑みを浮かべながら問いかけると、ファクトルは少しも顔色を変えずに無言を貫いた。
その表情だ、私がずっと引っかかっていた表情。ヘインが倒れた時に見せたものと同じだった。何もかもわかっていて、それでいて心底どうでもいいと思っている表情。
「無言は肯定と受け取りましょう。あなた方は、処理しなければならない工業廃水を無処理で川に流し続けた。処理されていない工業廃水を川の魚たちが摂取し、その魚たちを人間が食べる……つまり、村の人々は"水銀"を経口摂取していた。これがマーキュアル村の疫病の原因よ。」
私の推理を聞いたファクトルは「ふふっ」と笑いを漏らした。
「なるほど……面白い想像だ。ですが、仮にそうだとして我々だって被害者です。人手不足に陥った私たちはそうせざるを得なかった……そんなシナリオが出来上がるだけですよ。」
「いいえ、それは時系列としてかなり可笑しい話です。あなた、最近この工場に赴任されたようですね……疫病が工業廃水によるものであれば、先に来るのは人手不足では? もしくは、そのどちらもこの件には関係ないか。」
ファクトルが初めて苛立ちを含んだ表情を見せる。やっと本性が出始めたか。
「ずっと不思議だったんです、ヘインが倒れた時のあなたの表情が……。工場で人が倒れるのは日常茶飯事なのでしょう? そしてそれは、全て過労によるもの。」
私の言葉を聞いてファクトルがキッと隣のヘインを睨んだ。
「ヘイン、ペラペラと工場の内情を話したのか。」
「ち、違う! おれは何も話してない!」
ヘインは必死に自身の無実を訴える。ファクトルの表情は少しも変わらず苛立ったままだった。
私はヘインを庇うように彼の前に立つ。
「いいえ、全ては私の憶測です……が、あなたの様子を見るとあながち間違いではなさそうですね。」
やられた、というようにファクトルは苦虫を噛み潰したような顔をする。私は勝ち誇ったニヤリとした笑みを貫き続けていた。
「これも私の憶測でしかありませんが、大抵の場合は利益を求めすぎると労働環境は劣悪になる。それによって公害が引き起こされたとなると……あなたの罰はかなり重いことでしょう。」
「だが、それを知る者が居なくなれば何の問題もない……でしょう?」
ファクトルは周囲の男たちに指示を出してジリジリと私たちを追い込んでいく。
私は相変わらず余裕の笑みを浮かべながら、どかりと近くの椅子に座り込んだ。ヘインをすぐ隣に引き寄せて、パチンと指を鳴らす。
私とヘインの周囲にバリアが張られる。
それと同時にランドルフが動き出した。剣を持って踊るように男たちを斬り倒していく。
しかし、それをくぐり抜けた男が私たちの目の前まで来て大きな鈍器を振り下ろした。
「ヒイッ!」
ヘインが悲鳴を上げるが、鈍器はバリアに弾かれ私たちに傷一つ負わせなかった。
「無駄よ、この盾は完璧なの。」
私が張ったバリアは聖属性の魔法の一つである"聖女の護り"だった。如何なる攻撃も通さない完璧な盾。
もちろん、弱点はある。一歩でも動いてしまえば魔法は解けてしまうし、数分の間は再び発動することが出来ない。
「今代の聖女は攻撃の手段がないと聞いた。そこにただ座っているだけでは何の解決にもならないぞ!」
ファクトルが遠くからこちらに叫ぶが、当の私は何も動じることはなく優雅に目の前の光景を鑑賞していた。
「私が一体何をすべきだと? メイジェント聖王国で"戦場の悪魔"と恐れられている最強の剣士が、私を護るために剣を振るっているというのに。」
"戦場の悪魔"と聞いて、ファクトルは「こ、こいつが!?」と驚きの声をあげる。追い詰めたように思っていただろうが、追い詰められた獲物はあなたの方だ、工場長。
ファクトルは小さく悲鳴を上げながら逃れようとする。しかし、既にファクトル以外のものを駆逐したランドルフは、ファクトルを逃すはずがなかった。
捕らえた獲物は逃さない、それが"戦場の悪魔"であるから。
「殺してはダメよ、ランドルフ。」
ランドルフは、ファクトルに突きつけた剣を仕方ないとでも言うようにダラリと下ろして、それからゴン! と頭部に蹴りを入れた。ファクトルはその一撃で意識を失い、白目を剥いて床に倒れ込んだ。
「聖女の護衛がただの騎士なわけないでしょ。」
私は意識のないファクトルに悪態をつきながら椅子から立ち上がり、コツコツと歩き出す。
ファクトルの横でしゃがみ込んで、意地悪をする子どものように唇に弧を描いて彼を見つめる。
「こいつ、どうしてやろうか。」
そう言いながらランドルフを見ると、先程戦闘を繰り広げたとは思えない程の涼しい顔がそこにあった。ファクトルを一瞥してからこちらに目を向ける。
「縛り上げて、警務隊に引き渡すに決まっています。」
「えー、それじゃつまんないじゃん。もっと派手にやろうよ!」
と、言いつつも私は"派手にやる"の例は特に思い付かずにいた。なんかもっと、こいつが悪いやつです!と分かるような何かをしてやりたかったのだけれど。
「こ、工場は……村の人たちは、どうなるんだ……?」
ランドルフが手際良くファクトルを縛り上げる一方で、ヘインは先ほど私がいた場所の隣から一歩も動かずにビクビクと震えながら立ちすくんでいた。
それもそうだ、人がバタバタと倒れているこの光景は当たり前ではないのだから……私もかなり感覚が麻痺してきたようだ。
「一時的に閉鎖はされるけれど、新しい工場長がやってきて再び稼働するはず。マーキュアル村のメチルは様々なところで需要があるだろうし。村の人たちが治癒師の治療で大方回復して、元凶である工業廃水が改善されれば以前のような普通の生活が戻ってくる、きっとね。」
そう声をかけたが、ヘインの表情は未だに曇っていた。「でも……おれ……。」ともごもご口を動かしながら、不安の根源を口に出しはしない。
彼が何を不安に思っているのか私には何となく察しが付いたけれど、彼が口にするのをジッと待っていた。
「君が罰を受けることはないだろう。悪いのは悪事を働いた少数の大人であって、君はただ勤勉に働いていた少年に過ぎないのだから。」
このお人好しめ。
ランドルフが横から口出しをしてくれたおかげで、ヘインは明るさを取り戻した。
「さーてと、早く警務隊を呼んで来て頂戴。こんな暗くてジメジメした埃っぽいところ、私はもうたくさん。」
再びドカリと椅子に座り、膝の上で頬杖をついてランドルフに頼むが「おれが行くよ!」とヘインが工場の出口へ駆け出した。
「見事に目論みは達成されませんでしたね。」
「そんなに嬉しそうに言わないでよ、殺してやりたくなる。」
滅多に笑みを浮かべないランドルフが、大変満足そうな笑みを浮かべながら言うので、かなり殺意が湧き上がった。
この男、人をイライラさせる天才だわ。
だが、実際ランドルフの言う通りだった。
私はまたも死ぬことが出来なかった。厳密に言えば、死ぬ方法はいくらでもあるが私は苦しんで死にたくない。水銀によりじわりじわりと苦しんで死ぬのはごめんだし、先程の男たちに嬲り殺されるのは私のプライドが許さなかった。
私は出来る限り苦しまず、美しく死にたい。
仮に元の世界に戻れるとしたって、一度死の恐怖を味わうのだからそれくらい望んでもバチは当たらないでしょう?
とにかく、私が死を迎えるのはまた少しお預けとなってしまったのだった。
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「今回は大変お世話になりました。」
ウスーイが感謝の意を述べてから頭を下げる。頭頂部の髪が綺麗に無いことに気付いてしまった私は、噴き出すのを堪えるのに必死だった。
あの後、ヘインが連れてきた警務隊に事情を説明しファクトルとその一味は連行された。あとの細かいことは警務隊が捜査をしてくれるだろう。ここからは私の出番ではない。
治癒師たちも到着し、私の指示を受けて村の患者の治療にあたる。川の汚染は私の浄化の力によってある程度解消されたが、既に魚たちに蓄積されたものもあるので完璧とは言い難いだろう。
しかし、この件は無事解決したわけだ。
何かが少し引っかかる気もするけれど、まぁ私はお役御免で良いだろう。十分に仕事をしたはずだ。
「また何かありましたら神殿へご連絡ください。」
笑いを堪える私に代わり、隣のランドルフが冷静に答えて馬車に乗り込んでいった。微塵も表情が変わらないことを尊敬する日が来るとは思わなかった。
「聖女さま、ありがとうございます。」
「ありがとう!!」
ヘインが妹のマインを連れ添って私に礼を述べた。私はニコリと笑みを浮かべて、2人の頭を一撫でする。
「良い大人になるのよ。」
私の言葉に、ヘインは力強く頷いた。私はそれを見届けて、馬車へと乗り込むのだった。
黒髪を翻し、馬車に乗り込む聖女を村の人々は尊敬の念を込めて【漆黒の聖女】と呼んだ。彼女の噂はこうして少しずつ世の中に広まっていくのだった。
「ちょーっと馬車を止めて!!」
私の声に道中で馬車は停車した。
何か見落としてる、大事なことだ。
警務隊に任せたって解決するかもしれない、だけど……それじゃあ私の気が収まらない!!
私は膝の上に肘をついて少し前のめりになる。
両手の指を合わせて、ふぅーっと息を吐いた。とん、とん、と中指で音を鳴らしながら神経を咎め、思考を巡らせる。
「アメリ様、事件は解決したのです。」
「黙って、集中出来ない。」
ランドルフの声かけに私は厳しめに静止をした。
私は一体何がそんなに腑に落ちないんだ?
自分自身に問いかける。
疫病について? 村のこと? ……違う。工場に引っかかってる? メチル、メタリックスライム、工業廃水? ……これも違う。工場での一件? ヘイン、男たち……違う、ファクトルだ。
ファクトルの何に引っかかってるんだ。自分の利益を追い求めるただの男だった……本当に? 工場の利益を求めることでファクトルにどんな利益があったのだろう。
いや、それ以前にもっと頭に引っかかる何かが。
工場での出来事を振り返る。
ランドルフとヘインと原因を解明したところでファクトルがやってきて、返り討ちにした。
もっと前、2人と工場内を見て回って、それで……。
【工場長がここへ赴任してきたのはいつ?】
【え……っと……3ヶ月前だったと思う。】
そう、この会話だ。
3ヶ月前に赴任した男がそんなにも簡単に労働環境を変えられるのか? それに工場長が変わってすぐにこんなことが起きたのは偶然か?
全てのことは繋がっている。
工場長が変わり、命令を受けて利益を追い求め、その見返りにファクトルが金銭を授受していたとしたら……その背後には誰がいる?
前の工場長を辞めさせることが出来て、そして自分の思う通りに人を配置出来る人物は?
パン! と手を叩いて、ゆっくりと視線を上げてランドルフを見る。
「ランドルフ、この土地の領主は誰?」
「フィリップス伯爵です。」
「行き先を変更して、フィリップス伯爵家に向かうわよ。」
唐突な私の提案に、ランドルフはめんどくさそうにするが、意図があることを感じ取ってはいるようで御者に行き先を変更するように命じた。
さて、面白くない真実が少しは面白くなるかもしれない、と私は小さく笑った。
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唐突に訪れた私たちを、フィリップス伯爵は戸惑いつつも快く受け入れて応接室へ通してくれる。
侍女が出したお茶と菓子を堪能しながら、伯爵が戻るのをジッと待っていた。
「……伯爵は人が良さそうでしたが、彼が黒幕だと?」
「さあ、どうでしょうね。」
確かにフィリップス伯爵はかなり人が良さそうだった。だが、貴族なんて大抵は腹黒いのだから表面上の人の良さなんか当てにはならない。
まあ、この件に関してそれが関係あるのかどうかは知らないけれど。
「お待たせ致しました。僕がフィリップス伯爵家の当主であるジャスティン・フィリップスです。」
「お忙しい中お時間頂きありがとうございます。神殿から参りました、聖女のアメリです。」
フィリップス伯爵の差し出す手を握り握手を交わす。それから、伯爵は対面するように座って本題に入る姿勢が整った。
「それで、どうして聖女さまが我がフィリップス家へいらっしゃったのでしょうか?」
「ここへ来る前、私はフィリップス伯爵家の領土であるマーキュアル村の疫病の対処へ向かっていました。その件についてはご存知ですか?」
私の問いかけに伯爵はコクリと頷いた。
「しかし、伯爵家で雇っているマーキュアル村の地主であるウスーイが村で対処すると申し出て下さったので任せた次第です。良かった、聖女さまが対処して下さったのならば事なきを得たのですね。」
フィリップス伯爵の言葉に、私は訝しげな表情を浮かべてしまう。彼は貴族にしてはあまりに人を信用しすぎではないか? いや、無責任と言うべきか。
「伯爵は一度も村を訪れなかったと?」
「え、えぇ……我が領地はマーキュアル村だけではないので、問題が起きたときに対処に当たって貰えるように地主を雇っていますから。」
伯爵は、地主をかなり信頼しているのだろう。地主がしっかりとしているのならば、その方法はかなり効率的だ。
だが、今回の件に関してはそうではなかった。つまり……黒幕は予想通りウスーイだったのだ。
「お言葉ですが、領主であるならば任せきりにせず一度村を見に行くべきでした。悲惨でしたよ……あれは疫病などではなく人の手によって起こされたのですから。」
「な、何ですって??」
私は、マーキュアル村で起きていた事の顛末をこと細かに伯爵に話して聞かせる。すると、伯爵は大きく息を吐いて頭を抱えた。
「まさか、そんな事が起きていただなんて……それに、工場長を勝手に変えた? そんな話を僕は一度も聞いていない。」
「……3ヶ月前、工場長が変わってから労働環境はかなり劣悪になり過労で倒れる者も増えたそうです。その分、おそらく利益はかなり向上していることでしょう。」
フィリップス伯爵は、眉にグッと皺を寄せながら何かを数秒考えて急に立ち上がり部屋を飛び出した。
「黒幕がウスーイだとわかっていたのですか?」
「まぁ、なんとなく彼なんじゃないかと予想はしていたけれど、こんなにすぐに明確な答えが出るとは思っていなかった……っていうのが本音。」
ある程度わかっていたなら早く教えてくれればいいのに、とでも言いたげな視線を横から浴びるが、私は少しも気にする事なくお茶を飲む。
バタン、と扉が開いてフィリップス伯爵が戻ってきた。分厚い帳簿を小脇に抱えている。
「マーキュアル村のメチルの売り上げはきちんと記録して寄越すようにしています。ただ、見ての通り3ヶ月より前の利益率と現在の利益率には大した違いがありません。もしも本当に売上が伸びているのであれば……記録されていない分の金額が横領されている可能性があります。」
「……そもそも、以前の売上すらも信憑性があるのか疑問ですね。人間は欲深い生き物ですから、手に入ってもすぐに満足出来なくて更なる欲を求める。」
伯爵は、ペラペラと帳簿をめくって今よりももっと昔の日付まで遡っていた。
「横領が真実だとして……それがいつから行われているかはわかりませんが、この3ヶ月でもかなりの金額でしょう。自身の欲のために領地の人間を傷つけるとは……許せない。」
人の良さそうな伯爵の形相がどんどん般若のようになっていく。その顔を向けられた伯爵家の執事はビクリと身体を震わせた。
いつも優しい人ほど怒った時が怖いとはこのことか。
「ウスーイを呼べ、今すぐだ。」
「は、はい、かしこまりました!」
伯爵の言葉に、執事は急いで部屋を出る。
「この後は我々で対処致します。聖女さまの貴重なお時間をお取りするわけには参りませんし。」
「いいえ、最後まで見届けさせて頂きます。」
おそらく、伯爵は私たちに帰って欲しいのでしょうけれど、ここからが楽しい時間だというのに帰るなんて勿体ない。
伯爵は私がここに居座ると理解すると、少し目を泳がせたが観念して「ごゆっくりお寛ぎください。」と一言だけ残して部屋を出た。
「それにしても、フィリップス伯爵は随分若いのね、驚いたわ。」
「相変わらず、アメリ様は国の内情に興味がないのですね。」
「当たり前でしょう? どうして私がメイジェント聖王国の政治に詳しくならなければいけないのよ。」
私はツンと取り澄ました顔をしながらお茶を飲みお菓子を食す。ランドルフはお手上げだと言わんばかりにこちらから目を背けた。
「だったら、あなたが披露してみなさいよ、その国の内情とやらを。」
私は試すように唇に弧を描きながら、ランドルフに話してみせるように促した。一介の騎士が一体どこまで内情を理解しているのか見ものだわ。
……とは言いつつも、ランドルフのことだからペラペラと話してみせるような気しかしないけれど。
ランドルフはピクリと眉を動かしてから、まるで舞台に立つようにピンと背筋を整えて口を開いた。
「ジャスティン・フィリップス、年齢は28歳。22歳という若さでフィリップス伯爵家の爵位を継ぎ、経営手腕がかなりあって様々な施策を成功させています。聖王よりいくつかの領地を賜っており、その勢いは留まらず。しかし、領地拡大により全ての土地を管理出来ていないため、人を雇い地主として土地を管理してもらうシステムを導入しています。まあ、そのシステムは失敗したようですが。妻を娶っておらず、社交界ではかなりの人気を博しています。以上です。」
想像を遥かに凌駕する情報量に私は「ほ〜!」と感心してしまう。流石、私の有能な護衛だわ。
「ほら、もっと他にも披露したっていいのよ!」
私はキラキラとした視線を向けるが、対照的にランドルフが返す視線はとてつもなく冷めたものだった。
「次からは別途料金を頂きます、俺の労力もタダではないので。」
「ケチ。」
私はチェッと舌打ちをしてから、気を紛らわすように再びお茶とお菓子に意識を向けるのだった。
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「それで、どうして呼び出されたのかわかっているのか? ウスーイ。」
呼び出しを受け、急いでやってきたウスーイはビクビクとしながら冷や汗をかいているように思えた。
ウスーイは、この状況をどう切り抜けるか戸惑っているようで、数十秒間目を泳がせた後にこちらへ視線を向けた。
こっちを見たって助けてやらないわよ。
「な、なぜここに聖女さまがいらっしゃるのでしょうか?」
「疑問に疑問を返すな、僕の問いに答えろウスーイ。なぜ呼び出されたのか、わかっているのか?」
初めの人の良いイメージがかなり崩れるほど、フィリップス伯爵は厳しく鋭い口調でウスーイを追い詰めていく。
「え、疫病の件でしょうか? それならば、聖女さまが村に来てくださって対処して頂きましたのでもう心配はございません。」
引き攣った笑みを浮かべながらウスーイが答えを述べた。まぁ、事実ではあるが伯爵が聞きたいことはそんなことではない。
それにしても、ファクトルの方がよっぽど悪役感が強かった。これでは三下も良いところではないか。私が見たいのは、もっと、こう、余裕を持った高慢な態度の悪役が追い詰められていくサマだというのに。
「アメリ様、足。」
ランドルフに小声で指摘され気付く。
苛立ちが足に出て、カッカッと音を立てて貧乏揺りをしてしまっていたのだ。いけないいけない、こんな緊迫した空気に水を差しては。
「なるほど、あくまでもシラを切るつもりか。」
「あ〜、え〜と、他に何かありましたかな?」
ウスーイは「ははは。」と乾いた笑いを漏らす。
フィリップス伯爵は椅子から立ち上がり、コツコツと音を鳴らしてウスーイの前で腕を組み対峙した。
「工場長を勝手に変えたそうだな、そんな話を僕は聞いていないが。」
「あ、ああ〜!そうでした、忙しくてすっかり報告が遅れてしまいまして……いやはや。しかし、彼の悪事は暴かれ工場はしばらくすれば元通りになりますので、伯爵さまはご安心を。」
ウスーイはあからさまに安堵した様子でペラペラと話し出す。なるほど、まだ自分が危機的状況にあるとわかっていないらしい。工場長を変えたくらいのお咎めを何とも思っていないようだ。
「ご安心を?? 諸悪の根源が僕の目の前にいるというのに、僕は一体何を安心すれば良いんだ?」
伯爵は眉間に皺を寄せて威圧的にウスーイを見つめる。ウスーイは、その視線を受けてより身体を縮こめていた。
「しょ、諸悪の根源とは、何のことでしょうか。ははは、私にはもう、サッパリで、ははは。」
乾いた笑いと動揺を隠しきれていない口調が部屋に響く。大人しく観念して仕舞えば良いのに。部屋にいるもの全員がそう思う程に酷く狼狽し、顔色が悪くなっていた。
「僕は良いんだ、徹底的に調べ上げてお前の悪事を暴いたって。隠し切れると思っているのか、本当に? 雇われ地主が由緒正しき伯爵家を欺けると? 僕もかなり舐められたものだ。」
フィリップス伯爵は呆れたようにフッと笑ってから1枚の書類を取り出した。
「君には2つの選択肢がある。横領した金を全て返すと書類にサインするか、大人しく警務隊に捕まるか。」
ウスーイは提示された選択肢に目を泳がせる。
どちらにしろ彼には地獄だろう。金を返せば自身が破産する、警務隊に捕まれば罰を受ける未来がある。ゴテゴテについた装飾品が、彼の豪遊ぶりを物語っていた。
ウスーイはその場で固まったまま微動だにしない。伯爵はハァとため息をついてから扉へ向かって歩きだした。
「では、警務隊に引き渡すとしよう。」
「ま、待ってください、伯爵さま! わ、私が全て間違っておりました! 金は必ずお返し致します、ですから、ですからどうか、お許しを!」
ウスーイは這いつくばって伯爵の足に縋り付く。伯爵は冷たい表情を顔に貼り付けて、思い切り足を振り縋り付く彼の顔を蹴り上げた。
「もう遅い。そして許しを乞うのは僕にではない、マーキュアル村の人々に対してだ。」
伯爵は無情にも、ウスーイの自白を引き出した上で警務隊を呼びに行った。ウスーイは絶望感を纏いながら床に伏せる。蹴られた顔が腫れ上がっていたが、村の人々の痛みはそれ以上のはずだ、同情の余地はない。
それにしても伯爵は酷い人だ。
ウスーイがどんな道を選ぼうとも、警務隊に引き渡し金も回収する未来しか見ていなかったというのに。
「さぁ、今度こそ帰りましょう。」
私はランドルフに声をかけてスッと立ち上がる。
ウスーイを一瞥して、その脇を通り抜けようとする。すると足首を掴まれた、なるほど今度は私の番か。
「離した方が身のためですよ。」
そう私が言うと同時に、ランドルフの剣がウスーイの首筋に添われた。少し動かせば、ウスーイの首は飛んでしまうだろう。
ウスーイは「ヒィッ!」と悲鳴をあげて手を離す。ランドルフが剣を収めると、ズザザッと後ろに後ずさった。
私はにんまりと笑いながらゆっくりとウスーイに近づき、彼の目の前でしゃがみ込む。
「私に助けを求めて良かったですね、何もかもが解決です。」
私がそう口にすると、ウスーイは悪魔でも見るように畏怖した。失礼な、私はどちらかといえば天使と思われても違いない役目を担っていると言うのに。
私はスッと取り繕った表情を消して立ち上がり、ウスーイに背を向けて歩き出した。
「あ〜、スッキリした!」
私はルンルンと軽快な足取りで伯爵邸の外に出て馬車へと向かう。
「随分と愉快なご様子で。」
「当たり前よ。持て成しも出来ない地主なんて罰せられて当然だもの。」
私の言葉を聞いて、ランドルフは呆れたようにため息をついた。
「まさか、そんな小さなことを根に持っていたから、こんなにも徹底的な行動を取ったのですか?」
「勿論、私が納得出来なかったっていう部分もある。でもね、そもそも私、慈善事業はしないタチなの。」
私はいつだって奉仕の精神など持ち合わせてはいない。勝手に聖女に任命されて、知らない土地で知らない人々のために無欲で何の報酬も求めず働けだなんて、そんな身勝手なことがあってたまるか。
物語の中の主人公たちは、どうしてそんな理不尽を受け入れ他人のために一生懸命になり命を賭けられるのか、私には理解し難い。
だから私は慈善事業などしない。
あくまでも私の欲望と好奇心を満たすために行動する。人間は欲深い生き物だもの。
それって何か悪いこと?
「貴方は聖女であるはずなんですけどね。」
ランドルフの心底ついていけないというような声を、今はとても気分が良いので聞き流すこととして馬車に乗り込んだ。
『また死ねなかった、でも明日こそは死ぬ事ができますように。』
そんな不謹慎な願いを胸の中に抱きながら、私は窓の外で日が沈んでいくのをただただ見つめるのだった。
最後まで読んで頂きありがとうございました!
だいぶ前からあたためていた設定なのですが、調べものや細かい設定をしていくうちにかなり時間がかかってしまいました。
少しでも面白い!と思って頂けましたら
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また、感想等もお待ちしております!
(正直に言いますとかなり気合を入れて執筆したのでたくさんの方に読んで楽しんで貰いたいです……応援お願いします!)