セイヤクノユウシャ
最後までお付き合い頂けると幸いです。
「この世界も、国も、仲間も、姫も、必ず俺が守るよ」
一人の男はそう宣言した。
眼には決意が宿っていて、揺らぐことはない。
男は凛々しく、民からも仲間からも信頼が厚く、王には信用を、姫には恋慕を抱かれていた。
男もまた民を、仲間を、王を信じ、姫に恋慕を抱いていた。
男は腰の剣を強く握る。
その宣言は誰になされたものだろうか。
民だろうか、王であろうか、それとも愛しの姫だろうか。それとも世界を創造せし神であろうか。
「だって俺は世界を救う勇者だから」
その男は……。
神に、民に――――世界に、選ばれし勇者は強く、強く、決して揺らぐことのない誓いを立てた。
それは誰にでもなく勇者が立てた、自らへの誓約であった。
*
「何惚けてるの? 早く行くわよ! 勇者!」
バシッと男の背中が叩かれる。叩いたのは男よりも二十センチほど低い体格に長い赤髪が特徴的な女性、男のパーティメンバーである魔法使いであった。
眠っていないのに夢を見ていたような感覚。
過去を思い出していた。
自分自身への誓い、その記憶を。
意識を己の中から正面へと向ければそこには、こちらを見る仲間たちの姿。
「分かってるよ、もう少しで終わるんだもんな」
長い長い旅路だった。
最初は一人で険しい戦いを乗り越えていた。世界を滅ぼさんとする魔族どころか、中堅どころの魔物にすら苦戦した。
けれど、旅の中で仲間が出来た。
魔法使い、僧侶、戦士。
皆、心体共に強く、信頼の置ける人物で、今では皆がいないなど考えられないほどだった。
彼等と共に数々の死闘を繰り広げ、漸くここまで来た。
必ず、終わらせなければならない。
この民が安心して眠ることも叶わない、「暗黒の時代」を……。
*
勇者が勇者として選定される数年ほど前、暗黒時代が始まった。
魔物の活動がそれまでよりも活発化し、それに伴う被害は甚大なものとなったのだ。
魔物は人を喰らい、意味なく作物を荒らす。力も強大で、一般人では太刀打ちできない。
冒険者や、騎士は魔物討伐に力を尽くした。
しかし、強大な力を持つ人間は有限。その数は明らかに魔物よりも、魔物を従える魔族よりも数は少ない。
対応出来るものには限りが存在し、怪我もすれば衰えもする。
明らかに人間側が不利。
対抗手段など存在しなかった。
そんな時、このまま何も出来ず滅ぶことに絶望したある有名な聖職者が神に願った。祈りではなく、願ったのだ。
魔物を従える魔族達の王、魔王を滅ぼす力を我々にお授け下さい、と。
神はそれに応えた。
それが気まぐれであったのか、願いが届いたのか、それは神のみぞ知るところである。
人間に一本の剣が賜われたのだ。
それは悪を滅するための剣。聖光を放ち、魔を滅ぼす剣。
――聖剣。
神の選定を受けし者にしか持つことの出来ないというその剣は大陸一たる国の王都の中心に降り落ち、地へと突き刺さった。
数多もの力自慢が、武勇を持つ猛者が、その剣に認められたことを証明しようと剣を握り引き抜こうとした。中には国一番の剣の使い手も、世界に名だたる賢者も、武闘会の優勝者もいた。
しかし誰一人としてその剣を引き抜くことは出来なかった。
聖剣を神から授かってから四十日程の事。
ある男が剣を握った。
その男は勇敢で凛々しい騎士であった。辺境出身であったが、民を守るために騎士へと志願し、世界を救う為に剣を握った。
その男は剣を引き抜いた。
聖剣に、神に――――世界に、悪を滅する者であると認められたのだ。
その男は誰よりも勇敢な者、誰よりも勇気ある者。
――勇者、世界を救わんと。
*
時と場所は変わり、ある男が魔族の王、魔王の謁見の間へと顔を出していた。
全身を黒のフルアーマーで覆い隠し、素肌の一つも見えないその男。
「黒騎士、次で終いだ。貴様の憎しみは重々承知しているが、次で終わらせろ」
男は黒騎士。
魔王軍の幹部が一人。
実力のみでいうならば、魔王に匹敵、もしくはそれ以上と噂されるその男。
その正体を知る者は、魔王を含め極わずか。
「御意」
その男、黒騎士は魔王の言葉に静かに頭を下げた。
「ああ、嫌ですね。この神聖な場にあの様な汚れたゴミが立ち入るのは」
黒騎士の居なくなった謁見の間では魔王軍の参謀が魔王に呟いた。
その目には明らかな侮蔑が混じっている。
「ふっ、それを貴様が言うか。まぁ、同意ではあるがな」
参謀の呟きに魔王は笑う。
「で、どうなっている」
「はっ、魔物は三万ほど生成。目標数まで残りわずかです」
「そうか、急げよ。決戦は近いのだから」
魔王はすぐ側まで近づいてきている決戦の日を……否、自らが世界を納める日を想像して口元を緩ませた。
魔王と謁見を済ませた黒騎士は自室へと戻り、礼儀正しくソファーに腰掛ける女へと声を掛ける。
女の頭には灰色がかった鈍い色の角が一本。そして鮮血のような真っ赤な瞳。その女は魔族の中でも異端とされる珍しい種族であった。
「ノア、行くぞ」
女の名をノア。黒騎士の唯一の部下であった。
他の幹部達は皆、多量の兵を保持しているが、黒騎士はそうではない。
理由は様々あるが、大きな要因を挙げるとするならば、常に黒の全身鎧である気味悪さと新参者であるというところであろう。
黒騎士が魔王軍となったのは、一年半ほど前。勇者の活動が活発になり、少ししてからのことである。
よって信頼はなく、新参であるにも関わらず、初めから幹部待遇であったため、妬みの対象。
即ち、魔王軍の面々には決して良い目で見られてはいない。
「今日はどうするの?」
ノアの見た目は人とそう変わらなかった。
変わるとすれば、先ほどあげた瞳の色と頭から生えた一本の角。
魔族を魔族たらしめる赤い目に、ユニコーンの様に鋭き尖った角。
それを考慮してもなお美しく、魅力的な女。
それがノアであった。
「明後日、アイツを仕留める。その最終準備だ」
「そう……じゃあ貴方と過ごせるのもあと二日ね……」
ノアは僅かに目を伏せて、角を黒騎士の背へと軽く突き立てる。
角は尖っているが、黒騎士は甲冑を着込んでいる。痛みなどあるはずがない。
しかし何故か、僅かに黒騎士の胸に痛みが走った。
「……二日だろうがなんだろうが、我に尽くせ。お前は我の部下なのだから」
「……ええ、そうね」
「行くぞ」
ノアは黒騎士の身体に優しく触れる。
そこには確かに、哀しさ、そして愛しさが見え隠れしていた。
一瞬視界が途切れ、次の瞬間、黒騎士とノアは森の中にいた。
その森は魔族さえ不用意に近づかない凶悪な魔物達が棲まう森だった。
「私はいつも通り、見てるから」
「ああ」
しかし、黒騎士は森の中に無遠慮に進んでいく。
歩いているだけで、森の魔物は黒騎士から距離を取り、動物は怯え、鳥達は空を舞った。
「八十度の方向、二キロ先に竜の巣」
ノアは黒騎士が気配すら感じ取れていないほど遠くにいる存在を正確に感じてみせた。
「ああ」
ノアは魔族の中でも、特殊な能力を持つ種族である。
「心を司る」魔族。
それがノアの血筋。今やその種族はノアしか残っていない。
黒騎士は部下の発言を疑うことなく、ノアの述べた方角へと足を進めていく。
そして二キロ先、見えてくるのは、魔物の中でも上級魔族に匹敵する力を持つ竜の番。
しかも子持ち。子持ちの竜は気性が荒く、上級魔族であっても苦戦することがある。
しかし、黒騎士にはそんなもの無縁である。
「グオオォォォォ!!!」
「悪いな」
雄の竜が咆哮し、豪炎を吐くが、それを歯牙にも掛けず、腰に備えた巨大な黒の剣を一線。放たれた斬撃は豪炎と拮抗することすらなく、容易に炎を打ち消した。
そして、跳躍し竜の首を斬り落とす。
「グギャァァァァ!!!」
番が殺されたことに怒れる雌の竜が爪を立て、黒騎士へと迫るが、黒騎士が剣を振るえば、またいとも容易く、空の王たる竜の首は地へと落ちる。
「子供はどうするの?」
「いらん、放って……いやどちらにしろ、子竜だけでは生きていけまい」
黒騎士はただ向けられる憎悪の瞳に、無機質に剣を振るった。
黒騎士が求めるは強きもの。
黒騎士とノアはただ強きものを探して森を歩いた。
*
「フシャァァァァアアア!!」
尾が二つ生えた巨大な蛇の魔物が、大口を開け、勇者を飲み込まんと迫った。
「リアディレクタ!」
「オラッッ!!」
それを魔法使いが障壁で防ぎ、戦士が側部から剣で斬りつける。蛇の魔物は両断されることはなかったが、それでも痛みに鳴き声を上げた。
「はぁぁぁぁぁ!!!」
動きの鈍った魔物を、勇者が聖剣でトドメを刺す。
勇者たちの連携の前に、最も容易く蛇の魔物は息絶え、消失した。
「で、どうだった?」
「ああ、かなり力が手に入ったよ。毒の能力は使えそうにもないけど」
「かぁ! 相変わらず恐ろしいな、その力はよ!」
「そうだね。でも俺だって最初は苦労したんだよ。最初はミランラビー一匹倒すのだって厳しくてさ」
「それが今やあの有名な国一番の剣士すら倒す勇者様だもんな! もちろん努力してんのも知ってるけどよ!」
筋骨隆々という言葉がふさわしい戦士が、その逞しい腕で勇者の背中を叩く。
「ゴホッゴホッ! 全く相変わらず戦士は手加減を知らないなぁ」
咽せる勇者を見て戦士は笑った。
「へっ、情けないこと言ってんじゃねぇよ勇者。身体に風穴開いてでも動かなきゃいけない時がもうすぐ側まで迫ってんだぜ」
「……分かってる。ここで終わらせるんだ、全部」
「ああ。だがそれにはアイツをぶっ倒さないと始まらねぇ」
「……黒騎士、か」
黒騎士。
全身を黒の甲冑で覆っている魔族の幹部で勇者を幾度も苦戦させ、追い詰めてきた恐るべき相手。傍らには常に女性の魔族が侍っていて、彼女もまた苦戦を強いられる一因であった。
「最初に幹部を倒してから死闘続きだぜ、全く」
「幹部といっても今思えば成り立ても成り立てだったんだろうけど……あの時は本当に苦しい戦いだった。あれからもう二年近いんだね……後ちょっと、協力してくれるかい、戦士?」
「ここまで来たら死ぬまで一蓮托生よ! 魔王をぶっ殺した後も付いてってやらぁ!」
「ありがとう」
拳をコツンと突き合わせる二人。そんな二人を遠くから呼ぶ声。
「ちょっとアンタら、何男同士でイチャついてんのよ! さっさと行くわよ!」
「勇者さん、戦士さん、少し先に進んでから休憩にしましょう」
「おっと、怒られちまったな。女性陣は怒ると怖くて行けねぇや」
「はは、全くだね」
「ちょっと聞こえてるわよ!」
勇者一行は魔王城に向け足を進める。魔王城の位置はもう既に割れている。このペースならば後五日もしないうちに着くだろう。
最終決戦は近い。
*
「遂に明日ね……」
「ああ」
目を伏せて発されたノアの言葉に黒騎士は簡潔に答えた。
「今日はどうするの?」
「見納めだ」
「……そうね。私も行っていい?」
「お前は我の部下なのだから当然だ」
ノアが黒騎士の背に触れる。
景色は一瞬にして変化し、様々な場所へと移り変わる。黒騎士は一度の転移先で一分以上止まらなかった。
いや、ひとつだけ例外を挙げるとするのなら、宿敵である勇者の故郷、王都。その場所でだけ、一分と少し、ただ空を見上げていた。
そして遂にその日は訪れる。
「この日が来たわね」
「俺は……」
「いいの……分かってる」
「俺はお前を……」
「貴方は愛してくれた……一番にはなれなくても、それでも愛してくれた……」
「……ああ、俺はお前を愛して……」
そこまで紡ぎそれでも黒騎士は最後まで言葉を紡げない。
「せめて最後は一番になれない?」
「……」
黒騎士は言葉を紡げない。黒騎士には言葉を紡ぐことができないのだ。
何故なら、それは「裏切り」になってしまうから。
言えない、言ってはいけないはずだった。
「……ごめんなさい、変な事を言ったわね」
ノアの悲しそうに絞り出された笑顔。それを見て黒騎士は。
「変じゃない、変なものか…………俺は今だけ、何にも変えてお前を最優先するっ……!」
いつも冷静で、冷血で、冷酷。黒騎士はそんな男だ。きっと黒騎士はどんな男かと魔族に聞けば、そう答えが返ってくる。
そんな男が必死になって言葉を紡いでいる。
「ふふ、良かった、最後の最後で夢が叶って……」
先程までとは異なる満面の笑み。それは太陽の様で。
「ああ……」
だというのに黒騎士は笑うことなど出来やしない。笑ってはいけない。黒騎士は己にそんな価値がないと、思っているから。
「ねぇ、愛してるって言ってくれる?」
「ああ、俺はお前を愛している……ッ」
黒騎士の手がガタガタと震え、その上からノアの手が包むように手を重ねた。
「ふふっ、いいのよ」
「……………………すまない」
ノアの腹部を黒騎士の黒の剣が貫く。人間の血と同じ、真っ赤な血が地面に滴り落ちる。
「……私は貴方と共にある……いつだって……だから」
その綺麗な口からも赤き血が垂れ、黒騎士の鎧に落ちていく。
「……わかっている、お前は俺の部下なのだからそれが当然だ」
彼女の細く儚く綺麗な指が黒騎士の目へとあてられる。兜越しで実際に触れられているわけではないのに黒騎士にはその温もりが伝わった。
「泣かないで……」
兜越しで見えないはずなのに、ノアの言葉には確信があった。それはきっと貴方のことは誰よりも知っているという意思表示でもあって。
「……」
「愛してる……時を超えてでも、違う世界でも……きっと会いに行くわ」
「……俺は偽物だ……だから……」
そう言った黒騎士の身体をノアが包み込む。
「貴方は偽物じゃない……」
「………………偽物だ」
「……そうね」
ノアは黒騎士に言葉でだけ頷いた。
「………………でもッ!」
最低極まりないというのに、俺は涙など流していい存在では無いのに。
必死になって取り繕った黒騎士の上部が塗装のように剥がれ落ちて止まらない。
「でもっ……それでも、偽物でも俺はお前に、会いに行くからッ……! 偽物の俺にもお前は本物をくれたから……お前は待っててくれ……、俺が必ず迎えに行くっ……!」
「……知ってる。ふふ、貴方は私の事が大好きだもの……」
段々とノアの体が薄れていく。腹部に刺さった黒の剣に吸い込まれる様に。
「……ああ、この世のなによりも誰よりも愛しているっ!」
「バイバイ、……またね」
「ああ、また、また会おうっ、必ずっ……」
「ふふ、やっぱり貴方は偽物じゃないわ……」
消えゆく最中、彼女は黒騎士の耳元で呟いた。
「だってそんなに綺麗な涙を流すんですもの……」
その言葉を最後にノアは虚空に消えた。
残ったのは彼女の温もりと涙だけ。
「やはり俺はいつだって情けないよ……今だけって言ったのにさ、お前が、ノア、お前がずっと心に残り続けるんだ……」
黒騎士は少しの時間、その場に立ち続けていた。
「必ず……必ず、逢いに行く。その時は……」
そして剣をしまい--
「――お前しか見ない」
--歩き出した。
*
「やっぱり来たか……黒騎士!」
魔王城を遂に視界に入れ、いよいよという時。勇者の宿敵が姿を現した。幾度も勇者を苦戦させ、その度に己の未熟さを嫌でも理解させられた。
そんな宿命の敵が、目の前から堂々と歩いてくる。
仲間に視線を向ければ、既に臨戦態勢を整えている。
「これで最後だ、勇者よ」
少し離れた位置で歩みを止め、黒騎士が言う。声を張っているわけでもないのに良く通る不思議な声。その声には心動かされそうになる力がこもっている。
「我らは数度合間見えたが、ようやく殺すことが出来る」
「黒騎士! お前はなんで俺を憎む、俺とお前過去に何が」
黒騎士は会うたびに勇者に憎しみをぶつけていた。魔族だから、勇者を恨むのは当然。だが勇者は黒騎士の憎しみは通常の魔族とは違うように感じていた。
「憶えていないのなら貴様にとっては大したことがないという事だろう、あくまでも貴様にとっては、であるがな」
「和解の道はないのか! 俺はただ――」
「戯言を、和解などあるはずが無い。生死の付き纏わない戦いに意味などない。我が死ぬか、貴様が死ぬか。二択だ、交渉などもある訳がなく、我が貴様の言葉に絆される可能性もない」
「くっ……!」
そう話している間に、僧侶がいつもの黒騎士と異なる点に気づく。
「そういえばいつも隣にいた女魔族がいないですね。私たちにとっては幸運ですが」
「そうね、アイツも黒騎士ほどじゃなくとも厄介だったものね」
「どこかに隠れているのかもしれねぇ、警戒は怠るなよ」
戦士が油断しかけた仲間に警鐘を鳴らす。
「その必要はない、ここにノ……彼奴は来ない」
「信じるわけないだろっ」
「疑うのは勝手だが、警戒するだけ無駄だ。彼奴は我が始末したからな」
「えっ……?」
「何で……」
勇者達に困惑が広がっていく。敵同士の仲間割れ。それは勇者側にとって幸運だ。しかし、仲間を重んじる勇者には信じたくない言葉だった。
「邪魔、だった。彼奴は……情にほだされやす過ぎた」
「な、仲間じゃなかったのか……!」
「仲間などという対等な関係ではない。彼奴は我の部下。部下の命をどう扱おうが、我の自由であろう」
「ふざけるなッッ!!!」
激昂する勇者が一直線に黒騎士へと斬りかかる。その剣戟は今までのどの攻撃よりも速く鋭く重い。
しかし、黒騎士は軽々とその攻撃を受け止める。
「……全力でそれなら期待外れというほかないな」
そして空いた手で勇者へ魔法を放とうとしーー。
「チッ」
飛んできた火球がそれを阻止した。火球が着弾する前に黒騎士が勇者の剣を弾き、後方へと飛び退いたのだ。
「勝手に先行しないでっ! 下手したら死んでたわよっ!」
「怒りで我を失っては本来の実力を発揮できません。その怒りは最後まで取っておきましょう」
「俺たちゃ仲間なんだ。一人でいいところ奪おうとすんなよ」
「み、みんな……そうだよな。仲間は助け合うものだ! だから俺はお前を認めない! 黒騎士!」
その言葉にほんの僅か、黒騎士の剣を握る手に力が篭る。それは対面する勇者達が気づかないほどに些細な変化だった。
「……貴様に認められない。それがなんだと言うのだ。何が勇者か、仲間に助けられてばかり、哀れで情けない男よ」
「挑発に乗ることはないわ! いくわよ、みんなで倒すの!」
「ああ!!」
勇者達の連携と黒騎士の猛攻が一進一退を繰り返す。黒騎士には疲労が見えず、明確な傷はない。だが勇者達には徐々に疲労が溜まっていく。
「強いわね、やっぱり。でもきっとみんなでやれば何とかなるわ。前程、差を感じないもの」
「ああ、俺たちは強くなった。今回で確実に黒騎士を倒す。そして魔王も倒して、この争いを終わらせる。もう誰も……殺させない!」
「くははっ! 貴様風情が俺を、そして魔王を倒すだと? 笑わせるな!」
勇者の言葉を黒騎士は嘲笑する。
「勇者さん」
僧侶が挑発に乗るなと言外に伝えてくる。
「分かってる、俺は大丈夫だ」
それに勇者は静かに頷いた。ただ、黒騎士の言葉は止まらない。そしてその間も黒騎士の攻撃も止まらない。
「確かに貴様の剣、聖剣は魔王を殺せる唯一の武器であろう。だが剣を扱う者が弱ければ聖剣の能力も無駄にしかならない」
戦士を弾き飛ばし、同時に勇者を蹴り飛ばす。それから魔法使いと距離を詰め、剣を振るい、
「クッ……!」
「魔法使いさんッ!」
「……」
途中で剣を止めた。
「見ろ。貴様の仲間は今ので死んでいたぞ。生きているのは我の戯れだ。お前では魔王に聖剣を奪われて終わりだ。世界も、国も、民も、仲間も、姫も、お前も。全てが魔王に支配され虐殺され、お終いだ」
「終わらせないッ……! 終わらせるもんかッ!」
勇者が黒騎士に攻撃を仕掛ける。それを黒騎士は紙一重で躱していく。
「誰がだ? 誰が終わらせないんだ? もしやお前では無かろうな。魔王どころか、一幹部に苦戦しているお前では」
「分かってる……分かってるんだッ……。力不足は俺が一番分かってるッ! 仲間に助けてもらわなかったら俺はもう何回も死んでいるッ! 魔王を殺せたとしてもきっと俺もタダでは済まないッ!」
「ではやめてしまえ、お前はその剣を置いて逃げてしまえばいい。お前よりも優秀な奴がいつかきっと魔王を倒してくれる」
黒騎士が大きく剣を振るう。勇者はそれを聖剣で防ぐが、弾かれ、無様に地面を転がった。
「それでも!」
しかし、勇者は諦めない。
無様に転がろうと、どれだけ敵が強大であろうと、勇者は諦めるという選択肢を取らない。
勇者が立ち上がり剣を構え、黒騎士に向かっていく。黒騎士はただ剣を勇者に合わせ、振り下ろす。振り下ろす速度はひたすらに早く、風が吹き、砂嵐が舞った。
「それでも、俺はっ! ーーーー勇者だ!」
「……」
勇者の目前、振り下ろされた剣が停滞し、勇者の剣が黒騎士の身体を斜めに薙いだ。
パリンと、割れるような音が鳴り響き、黒騎士の甲冑が消滅する。
暴風と光、砂嵐が吹き荒れ、相対していた勇者にしか黒騎士の素顔は見ることが出来なかったであろう。
黒騎士の素顔を見た勇者は大きく目を見開いてーーーー。
「お、お前……」
「必ず守れ、世界を、国を、民を、仲間を、姫を……必ず!」
ああ、それは誰への誓いか--。
「――守り抜けよ、本物」
*
「お前らは必ず、俺が守るから――」
俺が実際に言った言葉ではない。
俺は偽物だ。
でも――。
それでも――。
俺の誓いだから――。
「バイバイ、みんな。……ノア、今行くから」
*
「起きたか、ゴミめ」
俺が目覚めたのは、不気味な空間だった。
培養器に満ちた部屋。天井は奇妙に点滅し、床には魔法陣が広がっている。
目の前に立っていたのは魔族だった。
「あれ?」
魔族が目の前にいると言うのに俺の心の中には嫌悪が浮かんでこない。それどころか、魔族に憎しみを抱こうとした自分自身を嫌悪している。
「ふん、ゴミのくせに吾輩の言葉を無視しおって」
ああ、敵である魔族に侮辱されようとも心に波風が立たない。苛立ちも、怒りも、憐みすら感じない。
「貴様は自分自身の存在を理解しているか?」
「俺は……『勇者』で」
「ふんっ、それを理解していればいい。だが覚えておけ、貴様は勇者ではない、『勇者の偽物』だ。そして我ら誇り高き魔王軍の下僕だ」
否定したい。だが否定することに必要を感じない。
「記憶はどこまである?」
「俺は……魔王軍の幹部を倒して……それから…………それから……」
「ふんっ、やはり記憶は採取した時期になるようだな」
もう少し、成長させてからでも遅くはなかったか? そう呟く魔族は隙だらけで、殺そうと思えば殺せるはずなのに、身体がピクリとも動かない。
「貴様は勇者の身体の一部から作られた偽物……いわば『勇者のクローン』だ。しかし、貴様の正義心は勇者への恨みへと変換し、魔族に逆らえぬように変質させた」
ああ、道理で。
勇者と聞くたびに、勇者と口に出すたびに、胸がざわつき、どす黒い闇が心を覆っていくはずだ。
「貴様には勇者を殺してもらう。散々、我らを手間取らせた、せめてもの償いに贋作に殺されてもらおう! もちろん貴様はそのあと処分だがな」
そういって魔族は高らかに笑ってみせた。
そんな魔族を目の前にしても、俺はただ呆然と立ち尽くしていた。
俺が魔王軍となって一ヶ月ほど。
ある少女が魔王軍へと連行されてきた。頭に角を生やした女性
その女性は俺を見て呟いた。
「哀れな人……」
「……」
「何を言ってる! いいから早く来い!」
鎖に繋がれたその女性は不思議な目をしていた。全てを見透かしたような透き通った赤い瞳。俺の心の奥まで見透かされているようで、不気味だった。
「……おい」
「へっ!? そのフードに仮面は新しく入った幹部の!?」
「……その女は置いていけ。俺が貰う」
「へっ? ですが、この女は……」
「俺は幹部だぞ? さ、逆らうな」
慣れない言葉遣いで、自分のイメージする偉い人像を真似た。
連行してきた奴らは俺の言葉に素直に従って、その場に女性を置いて去っていった。
誰かに見つかる前に、自室へと連れていく。魔王城の端も端、普段は誰も近寄らない魔王城内の最果て。腫れ物もいいところだった。
幹部だからと一応与えられた広い部屋。家具は必要最低限どころか、それすらところどころ欠けている。
「哀れってどういうことかな?」
女性に問えば、すぐに答えは返ってきた。
「貴方、死にたいのね?」
「ッ!?」
「自分は偽物……貴方の心がそう泣いているわ。濁った涙を流して」
「なんでそれを……君は一体……」
「だって私、心が読めるんだもの」
心が読める……そんな能力を持った魔族聞いたことがなかった。
「ええ、私以外みんな殺されちゃったもの」
「ッ!? ほ、本当に読んでいるのか? あ、ぁあそれとごめん。思い出したくないだろうことを思い出させて」
「いいわ、別に。それより私も協力するわ」
「? 何に?」
「貴方の計画に」
「ッッッ!」
誰にも話していない俺の計画。彼女が心を本当に読めるというのなら知っていてもおかしくない。
けどなぜ協力を……彼女にメリットはないはずなのに。
「何故? 何故って」
彼女は一度首を傾げると、その綺麗な赤色の目で俺を見つめ微笑み、
「貴方の心が今まで見た中で一番綺麗だから」
そう言ったのだった。
それが俺の唯一の部下となるノアとの出逢いだった。
「魔王を殺す……そのために勇者に自分を殺して強くなってもらう……」
「勇者は敵を倒すたびにその力の一部を自分のものにする能力を持ってるんだ。だからそれを利用する」
俺の考えた計画は、勇者に強くなった俺を殺してもらい、俺を糧としてもらった後で魔王を殺してもらうことだった。
「……勇者……」
「どうしたの?」
「いや、俺は勇者に対する憎しみを植え付けられているから、勇者のことを考えると……ってノアなら心を読めばいいんじゃないか?」
「それじゃ面白くないじゃない。私はこう見えて会話が結構好きなの」
ノアは見た目は大人しそうな令嬢のようだったが意外と陽気なところがあった。そして何より、優しかった。
「その計画には穴が多いわ。途中でバレるのもいけないから慎重に。それに魔王を倒すにはいくつもの条件があるの。まずはそれを詰めていきましょう」
「聖剣なら魔王を討伐出来るんじゃ……」
「他にも条件が色々とあるの。信じてくれるかは分からないけれど、魔王に会ったときに心を除いたから」
「信じるに決まってる。にしてもそれは口頭で教えられないかな?」
一瞬惚けたような顔をしたノアが首を振った。
「無理じゃないかしら。貴方は当然、私にも喋れないようになっているはずよ。魔王はそこまで馬鹿じゃないから」
「一応、た、試してみよう!」
俺が必死になって強くなればいいと思っていたけれどそう簡単には行かないか。ノアがいなかったら、計画はボロボロで意味のないものになってしまっていた。
「ノア、あり--」
「どうして」
ありがとうと伝えようとしたら言葉が被さった。
「どうして貴方はそこまでするの?」
「……」
「勇者が憎いのでしょう? そんな相手に殺されるなんて普通死んでも嫌だわ。貴方は貴方じゃない。勇者の偽物ではなく、貴方として生きればいいのよ。辛い目に遭ってきたのは知ってるわ。私は貴方は勇者よりも頑張ってきたと思う。死ぬのは怖いでしょう? 死にたくないでしょう? 貴方の心はずっと言ってる。死にたくないって。死ぬのは怖いって。それなのにどうして貴方は--」
どうして、か。
「俺が勇者だから……って言えたらカッコよかったんだろうけど……俺は勇者の偽物だから、そうじゃなくて」
言葉にするのはとても難しくて、頭がごちゃごちゃになってしまう。それでもノアは何も言わずに静かに聞いていてくれた。
「約束したんだ。俺は偽物だけど、俺が約束したことなんだ。仲間を……姫を……国を、世界を守るって。誰でもない、俺自身に誓ったんだ。俺は偽物だけど、それでも俺は--みんなを守るって約束したから」
「……貴方は本当に綺麗な人」
そう言って笑みを浮かべるノアの方がずっと綺麗だって、言いそうになって口の中に押し留めた。
「さ、さーてと計画を練り直さないとな!」
「その前にまずはそのダサいフードと仮面をやめましょう? もっと威厳と勇ましさに溢れる格好にすべきよ。それでいて姿もバレないような」
「よ、要望が多いな」
「それとその言葉遣いも変えましょう? 勇者と対面したとき、もしかしたらお仲間にバレてしまうかもしれないし。格好を勇ましくするのだから、口調も合わせて」
「俺に似合うかな?」
「俺じゃなくて、我でいきましょう」
「我に似合うかな……じゃなくて、我に似合うと思うか?」
「ふふっ、良い感じよ」
*
「ダメだな、やはり直接は伝えられん」
「ええ、そう見たいね。でも大丈夫よ、きっと方法はまだあるわ」
「ああ」
「最悪、私がいるもの」
「どういう意味だ」
「ふふっ、気にしないで」
*
「貴方にも敵の力を奪う力は宿っているのでしょう?」
「ああ、あれは聖剣を引き抜いた際に俺に宿った力で、聖剣の力とは別物だからな。なんで今更そんなことを聞く」
「一応の確認よ」
*
「随分強くなったわ。もう他の幹部とは比べものにならないくらい」
「いやまだだ、まだ魔王には及ばない。もっと強くならねば」
「そうね」
*
「寂しくならない? 故郷や仲間を思って」
「……お前がいる」
「ふふっ、なにそれ」
「……冗談だ」
「あら、残念ね」
*
「ねぇ、勇者が火山を越えたって」
「知っている」
「急がないと。このまま挑んでも勝てないわ」
「分かっているッ! 俺が一番分かってるんだッ! でも、魔王の弱点を伝える手段が思い浮かばないんだよ! 言葉でも、文字でも、伝えられないッ! 魔法ですら無理なんだッ! 一体どうすれば……………………すまない。悪いのはお前じゃない。今のは完全に何も出来ない俺……我の八つ当たりだ」
「気にしてないわ。……もうそろそろ、かしらね」
「何が、だ」
「ねぇ、明日時間をくれないかしら」
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「そんなの認められるわけないだろッ!」
「でもそうするしかないわ」
「だからってノアを殺すなんて……」
「貴方は殺したものの力の一部を吸収出来る。そして私は心を司る魔族よ。私を殺して私の力を貴方が持てば、魔王の弱点も貴方の強さも、勇者に受け継げるわ」
「それなら確かに伝えられるかもしれない……けど、無理だ。嫌だ。ノアを殺すなんて俺には……」
「……悩んでもいいわ。でも、勇者がここに辿り着く前には決めておいて。選択をじゃないわ、覚悟をよ」
「……」
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「覚悟は出来た?」
「……………………出来るわけないだろ」
「……本当に優しい人。私のことなんか気にしなくていいのに」
「……気にするに決まっている」
「私は元々、貴方と合わなければとっくに処分されていたわ。だからもういいの」
「何が……何がいいんだよッ……! 良いわけないだろ……!」
「元々ただ処分されるだけだった私が、貴方と幸せな暮らしが出来たんですもの。もう思い残すことはないわ。貴方は私との生活、嫌いだった?」
「嫌いなわけないだろ……! 俺はお前を……!」
「ねぇ、私は貴方がいなくなればどのみち処分されるわ。最後は最愛の貴方に、ね?」
「……後、一日だけ悩ませてくれ」
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「ノア」
「何かしら」
「……俺の為に、死んでくれ」
「……ええ、喜んで」
「……すぐに追い付くから」
「ゆっくりでも良いのよ」
*
勇者に流れた黒騎士の記憶。
それを全て見終えた瞬間、膨大な魔力が勇者を中心に渦巻く。
「な、何で、泣いてるの……?」
「なんでもない、行こう。……全てを終わらせに。今日で怯えるのはお終いだ」
勇者は地面に突き刺さっていた黒騎士の使っていた剣を握った。
「世界を救って、みんなをーー」
そしてそれを拾い天にかざして、
「守り抜くーー」
最終決戦の地へと歩き出した。
「勇者……貴様その力……! それにどうして私の--」
「魔王、もう終わらせよう。俺はもう全てを知っている」
そこで魔王が目にしたのは勇者の左手に握られた黒い剣。
「…………黒騎士め、やってくれたなッ!」
*
勇者は誓いを果たし、世界には平和が訪れました。
魔法を倒した後、勇者は国に戻り、姫と結婚しました。そして数年後王がその座を退くと、その座を受け継ぎ、王様になりました。民からの指示は絶大、勇者王、英雄王と呼ばれ幾つもの劇や詩が生まれました。
魔法使い、僧侶、戦士はその後も良き仲間として勇者を支え続けました。
そうして平和になった世界で、幸せに暮らしましたとさ。
「やっぱりお爺さまは凄い人だったんだ!」
「ああ、とっても凄い人だったんだよ。貴方のお爺さまはね」
「……あれ? でもこの本まだ続きがあるよ」
「ええ、このお話はまだ続きがあるの。ちゃんと最後まで聞ける?」
「うん!」
しかし、世界の平和。
その裏にとある魔族ととある人間が関与していることは勇者以外誰も知りません。
王都の中心、聖剣が舞い降りたその地には黒い甲冑を着た男とその男に従う頭に角を生やした魔族の銅像が建っています。
魔族すらも従えた強き者を表したものとして、評論家は語っているが、果たしてどうでしょう。
見ようによっては男が魔族を従えているのではなく、魔族が男に寄り添っているように見えないでしょうか。
銅像の名は「セイヤクノユウシャ」。
この銅像を作るよう命じた勇者本人が名付けられたそうです。
おしまいおしまい。
「……愛してる。ノア」
「私もよ……ふふ、私も名前を呼ぼうと思ったのだけれど、もう偽物じゃないもの。貴方には新しい名前が必要ね」
「ノアが考えてくれるのか?」
「そうね、じゃあ一緒に考えましょう? これから先、私達はずっと一緒なんだから」
「……ああ!」
そんな声は誰に届くでもなく、果てもなく、雲もなく、苦もない光り輝く天へと消えていく。