第95話『妖精の泉と友の灯び その1』
今回も中途半端に長くなってしまったので
2回に分けました。
笛の音のような、風が吹き抜けていくような高い音が辺りに満ちていた。
あたりにはオーロラのような、色を次々と変える膜のようなものが、はるか天高く、まわりをすっぽり包んでいる。
だが、ゆらゆらと揺れたそれは、霧のように遠近感が掴めず、あるはずの天井や壁が何処までなのか、まったくわからない。
そのドームの中に、トルコのカッパドキアのような穴の開いた岩山が、いくつも天界の巨人たちのようにそびえ立っている。
俺達はその穴の1つに立っていた。
先ほどからしているこの音は、この穴々から風が吹き抜けているのではない。
眼下に広がるソレが発しているのだ。
俺はソレを見て立ち尽くすと、さらにその場に両手をついてしゃがみ込んだ。
何故、こんなとんでもない場所にいるのか ―――――― 話は数日前に戻る。
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あれから田上さん親子を団地まで送ってから、俺は自分のアパートに戻ってきた。
せめてお茶でもと引き留められたが、例の4人組が一緒について来そうな勢いだったので遠慮したのだ。
団地の階段下で監視カメラが無いのを確認して、アパートまで転移した。
狭っ! さすがに小さい玄関に男3人入ると窮屈で、思わず壁に手をつく。
あれっ、ナジャ様とキリコがいない。
「あの2人は買い出しに行ったぞ」
黒い殺し屋がズカズカ上がって、勝手に部屋に入っていく後ろで、ヤクザがキレイに脱いだ靴を奴の分も揃えている。
申し訳ないが、その姿が親分にしっかり仕込まれた、昔ながらのヤクザを彷彿させる。
奴はテレビをつけると、炬燵の前に座って空中から缶ビールを出した。
「あの、缶ビールでいいですか?」
俺は冷蔵庫を開けながら、若頭ならぬオプレビトゥ様(運命の使徒)に訊いた。
「お構いなく。自分のは用意ありますので」
『吟』と大きくラベルに書いてある、一升壜を取り出した。
日本酒派なんですね、若頭。
「今回のこと、全部仕組んでたのか」
俺はツマミにキュウリの浅漬けを出しながら聞いてみた。
「ほんの少しだよ。ビトゥが運命の糸を読んで、ナジャが夢見と、カードへの幻覚でお前に知らせただけだ。
後はお前が判断して行動しただけだ」
「そんでもって、脅しはあんたがやったって訳か。
あっ、そういや、あんな傷害未遂の奴、野放しに出来ないじゃないか。通報しなくちゃっ」
もうこいつらと関わっていると、通常の感覚がズレてしまう。
「あの男は遅かれ早かれ、高い確率で罰せられる運命です。そうしてかなりの確率で、その刑場(刑務所)で命を落とすでしょう。自らを省みない限り」
若頭が持参の枡に酒を注ぎながら答える。
「そこまで……決まってるんですか」
「まあ、自業自得だろ。それにファミリーのまわりのゴミは払っておいた方がいいからな」
空けた500㎖の缶を潰しながら奴が言う。
「それっ、さっき言ってた、その……嫁候補って、つまりその……」
ちょっとドギマギしながら訊く俺。
「あくまで可能性があるってだけの事だ。それにあの女に何かあったら、お前のメンタルに関わるからな」
「……そっか、そりゃそうだよな。確かに知り合いに何かあったら嫌だもんな……」
そうか、あくまでほんの少しだけの可能性か。そんなんだったら無限にありそうだよな……。
ちょっと期待してたよ、俺。
「なんだ、上手くいったのに、なんでそんな時化た面してるんだ?」
あんたがさせてるんじゃないか。
ったく、こいつ鈍感さも神業だな。
「戻ったよー」
ナジャ様とキリコが帰ってきて、炬燵の上に直径20㎝近いホールケーキと、焼き鳥大盛を出してきた。
キリコはまた台所にいそいそと戻っていく。
「なんかあちこちでケーキ売ってたよー」
「ああ、クリスマスが近いですからね……」
今年も俺、1人クリスマスなのかなぁ……。こいつらを除いて……。
「ん? どうしたソウヤ、浮かない顔して」
と、軽く辺りを見回すと、ナジャ様がヴァリアスを軽く睨んだ。
「またあ、お前さんかぁ。まったくデリカシーがない男だなぁー」
「なんだ、オレは何もしてないぞ? デリカシーってなんだよ」
チッチッチッと少女は人差し指を立てて、軽く振った。
後で知ったことだが、彼女は物から記憶を読み取る能力があるらしい。
それで過去見が出来るそうだ。
「しょうがない男だねー本当に。
いいか、ソウヤ、彼女とは統計学的に見ても相性は悪くないぞ。後はお前さん次第だよー」
そんなものですかねぇ。俺の気持ちは現実に戻されていた。
俺がどうしたって所詮、相手がどう思うかって事だし。それを一方的に押し通すのがいわゆるストーカーなんじゃないんですか?
ナジャ様は何かと恋愛に関しては、押しを推奨みたいだけど。
今日は土曜日という事もあって、人外達は騒いでなかなか帰らなかった。もちろん外に音が漏れないように、遮音はしたが、6畳一間に大の男が4人と少女という狭さで、結局俺は壁にくっつくようにして先に寝る事になった。
すっかり奴らの溜まり場になってしまったが、意外と違和感はあまりなかった。
子供の頃、大勢で寝泊まりしていたせいもあるかもしれない。
月曜日、店に出社すると更衣室の前に田上さんが立っていて、一昨日のお礼をあらためて言ってきた。
「あの、私あの時、動揺してて、お礼もちゃんと言えなくて……。それと、そのあんな凄い人達に頼むとは思わなくて、その……費用はいくらぐらいなのかしら……」
少しモジモジと心配そうに彼女は言ってきた。
「いや、費用なんて要りませんよ。あいつ、いや、彼らは元々探偵じゃないですし。
今回は日本に来たついでの肩慣らしみたいなものだから、無料だって言ってましたよ。
ホントに」
本当にそうなんだから仕方ない。
「ええっ ?! ……無料なの? ホントに、大丈夫なの? でも……」
パッと明るくなった顔がまた曇った。
「……だけどどうしよう……。またあの男が来るかもしれないし……。警察も注意しかしてくれなくて……」
「大丈夫、本当にもう来ないですよ。もしもまた何かあったら、俺が何とかしますから」
無意識に、私から俺と言っているのに気がつかなかった。自分でも知らないうちに一歩踏み込んでいたらしい。
「本当? 良かったぁ……。私、まわりにこんなこと頼れる人がいなくて、ホント、東野さんに会えて良かったわあ」
仕事中なので長く話しているわけにはいかなかったので、彼女がLINEの交換を言ってきてくれた。
だが、俺はLINEを入れてなかったので、とりあえず電話番号を交換する事にした。
おいっ! 俺っ、あんまり期待するなよ。後で傷つくからな。
と、頭では考えててもやっぱり、チャンスありなのかなと、気分が上向きになるのは抑えられなかった。
休憩時間中にLINEアプリをダウンロードしたが、使い方がわからずに四苦八苦していたら、彼女からショートメールが来た。
アプリを入れた事を告げると‟LINEの招待”というのが来て、なんとか繋げる事が出来た。
これで彼女と常時連絡が取れる。
「おい、顔が浮かれてるぞ」
アパートに戻るとヴァリアスが1人でテレビを見ていた。
余計なお世話だよ。
「あれ、他の使徒様達は?」
「ナジャとキリコは帰したぞ。ナジャは五月蠅いだけだし、キリコは作り置きをだいぶさせたから、しばらく用済みだ」
確かに昨日1日で冬ごもりみたいに、作ってたな。
おかげでタッパー容器を追加で業者買いしてきたよ。半分以上はあんた用だった気がするけど。これも収納スキルがあって良かった。
「ビトゥはせっかく来たから地球の神界を見学してくるらしい。ほんとに何が面白いんだか」
その勤勉さ、というか所作ぐらい見習ってくれよ。
自分の家のようにくつろいでいる不良外国人を見て、心の中で思った。
「ところで次はどうしたい?」
ウイスキーをグラスになみなみと注ぎながら、不意に奴が訊いてきた。
「次って……」
「そろそろ別の町に行くのもいいだろう。まずはどんな事をしたい?」
「考えてないよ。っていうか、たまに気が向いた時でいいだろう? 能力だってだいぶ付いたしさ」
明日も仕事だけど、今日は気分がいいから飲んじゃおう。
俺も冷蔵庫から缶ビールと、ツマミにチーかまを出した。
「あ˝あ゛? 何言ってんだ。気が向いた時っていうのはまだいいとして、力はまだまだこれからなんだぞ。
能力だって半分も発現してないじゃないか」
「普通に生活していくのに、これで十分だろ。今回だって皆のサポートがあったとはいえ、探索とか1人で出来たし、もうこっちの人間相手だったら、俺無敵じゃん?」
そう、つい数日前までは負の要因だった悪しき能力は、彼女を助けることができ、親しくなったおかげで、今や180度感じ方が変わっていた。
俺は自分の力に怯える、あの孤独な『超人ハルク』の科学者ではなく、『スーパーマン』のクラーク・ケントがロイス・レーンと結婚出来たように、正体を隠しながらも普通の生活を送れるかもしれないと、考え始めていたのだ。
(実際のスーパーマンでは、結婚直前に正体がバレるみたいだが)
だが、そんな俺の浮かれた気分に、奴が水を差す。
「中途半端が一番不味いんだぞ。それが能力の限界というならしょうがないが、なまじ力があると、無い奴よりも辛い思いをすることがあるんだぞ。
予知が出来ても、それを回避する力を持たないようにな。
持てる力は最大限に使えるようにしておいた方が絶対にいい」
「はいはい、そりゃ正論だよ。でもさ、俺は今のままでいいよ、もう」
なんだか、エラそうな事言ってるけど、人が出したチーかま、一気に全部食っちまいやがって。
そのくせ『歯応えがなさすぎる』とか文句言ってんじゃねぇよ。もう豚骨の中にチーズでも入れて出してやろうか。
それに向こうの狩りだって、あんな大カマキリやハイオークみたいに、魔力耐性のある奴じゃなければ、狩りも簡単なのじゃないか。それでなんとか小金ぐらい稼げそうだし。
俺はこの時こんな風に考えていた。
現実はそんなに甘くなかったのだが。
次の日の夕方5時半過ぎ、いつも通り店の2階で品出しをしていると、後ろから知った声がかかった。
「よおっ、アダムス」
「おっ、光男、久しぶりっ」
小山田光男、俺が昔勤めていた会社の同僚だ。
俺に昔『アダムス』という渾名(第1話参照)をつけた張本人である。
俺が鬱になった時に面倒見てくれた1人でもある。
「たまたまこの近くに営業に来たんだ。会社には直帰って連絡してあるから、ちょっと寄ってみようと思って」
本当にここで働いてんだなぁと、しみじみフロアを見まわした。
彼と最後に会ったのは会社が潰れる少し前だったから、半年くらい前だったか。再就職出来た事はメールで連絡してあったのだ。
「せっかくだからメシくらい食わないか? 俺、6時に休憩なんだけど」
休憩は1時間なので手っ取り早く、近くの蕎麦屋に入る。
「あっ、すまん。ここ完全禁煙みたいだった」
自分が煙草をやらないので、うっかりしてた。
「いいよ、今、禁煙してんだ。10日めだけど」
へぇ、それ何回目だよ。
「俺はまだこれから仕事だから、飲めないけど、光男はどうする? 別に俺に遠慮しなくていいよ」
「いや、俺も止めとくよ。この間、健康診断引っかかちゃって」
光男がコートを脱ぐと、見事に出っ張った腹が現れた。
光男は俺より背が高いが、相撲取りのような筋肉混在というより肥満型だ。
見た目通り良く食うし飲む。仕事が終われば、小一時間でも3杯は必ず飲むタイプだ。
「珍しいな。ちょっとくらい引っかかっても、いつも気にしなかったのに」
「年だよ、年。もう無茶はできねぇよ」
おしぼりで薄くなった頭まで拭いた。
「いらぁっ……しゃぃ……」
カラカラと戸口が開く音と共に、給仕の女将さんの声が小さく萎んだ。
この感じ何度か覚えがある。
俺は入口の方に顔を向けた。
やっぱりっ! 黒服2人組が入ってきた。
奴らは俺の斜め前のテーブルに座る。もうストーカーだよ。
いや、守護神なんだから常にいるのが当たり前なんだが……。
なんだろこの、借金返済の嫌がらせに来るヤクザみたいな纏わりつき方は。
もう少し気配消して来れないのか。絶対ワザとだろ。
「この天蕎麦というのを2つと、冷酒を2つお願いします」
「は、はい、天蕎麦と冷酒2つ、ずつ、ですね」
若頭が丁寧な口調で注文するのに、ちょっと引き気味な女将さん。
申し訳ないが、丁寧な態度のほうが威圧感が増してます。
「おっ、外国人も蕎麦食うんだな」
後ろを振り返って光男が感心しながら「ちょっと迫力あるの来たな」と声を潜めて言ってきた。
すまん。知り合いというか、そのうちの1人は俺の身内だ。
俺達の注文したのが来た。俺はミニ天丼せいろ蕎麦セットを、光男はとろろ蕎麦だった。
「珍しいな。それだけなんて。家でまた夕飯食うのか?」
光男は既婚者で、奥さんとすでに20前後の子供が2人いる。
「いや、最近胃の具合が悪くてさ。そしたら見事に健康診断で引っかかちゃって。今度胃カメラなんだよ。
だから少し自粛しなくちゃ」
そう言いながら狸腹を擦った。
俺はそれを聞いて少し嫌な気配を感じた。
確かにいつも血色のいい彼の顔が、青白く見える。心なしか頬がやつれた気もする。
「大丈夫か? なんかやつれてないか」
「ああ、最近食欲が落ちたからな。これで少しはダイエット出来るかな?
そういうお前はなんか、落ち着いたっていうか、少し精悍な顔つきになったな」
「よせよ、男に言われたって気持ち悪いだけだよ」
「ハハ、だな」
そう言って食べ始めた光男のオーラを、俺はこっそり観察した。
元気が無いのか、弱々しくまばらに出ている何色かの緑色と赤色のオーラに交じって、胸から下、腹のあたりで黒く、くすんだオーラがモヤつくようににじみ出ていた。
俺は結果を知るのが怖くて、解析をすることが出来なかった。
ここまで読んで頂き有難うございます!
またもや不穏な終わり方をしてしまいましたが、こんな時世なので何とかします!
ちなみに以前の話で、蒼也が名前でいじめられた事を書きましたが
姓名判断では結構、良い名前なんです。凶の部分もありますが、それ1つぐらいあっても全体運がカバーして、晩年良くなっていくようです。




