第279話 『死者の懇願』
本当に今回も遅くなりました(;´Д`A ```
そうしてまた長いのです。
悲しいかな、この世界では未だに罪の連座制(連帯責任)がまかり通っている。
それは貴族殺しなどの大罪を犯した当人だけでなく、その家族や親戚、血縁者にも罰が下るということだ。
生贄になるほどの大罪人ともなれば、その家族にも累が及ぶのは容易に想像できる。
子供は同じ刑に処せられる。もしくは罪人の子として奴隷に堕とされるのだ。
自分のせいとはいえ、我が子がそんな目に遭うのは到底受け入れられないだろう。自業自得の一言で片付けるにはあまりにも悲惨な響きがあった。
「……あぁ、今夜はなかなか荒れてるねえ」
その声に振り向くと、50代くらいのひょろっとした男がいつの間にか俺の横に立っていた。
上着は着ておらず、生成りのシャツに薄手の茶色いベストを羽織っているだけだ。
だが魔力が当たり前のこの世界では、自分もそうだが温度調整の出来る者もいる。近くの家からでも出てきたのだろうと、その時は思った。
「いつもはこんなんじゃないんですか?」
俺はその男の違和感に気がつかず、普通に訊き返していた。何しろこの状況自体が普通じゃないのだから。
「うん、いつもより声が大きいよ。何かあったのかなあ」
そう言いながらやっと寒さに気がついたようにベストの前を合わせた。
あ~、きっとヴァリアスが――というか俺達のせいだな。遠くへふっ飛ばされて戻って来て激怒してるんだ。火に油を注いでしまった。
だから半端な対処は駄目なんだよなあ。
「ところでさ、あんた、煙草持ってないかい? ちょっと切らしちまってさ」
男が口に持って行くように指で摘まむ形をとった。
「すいません、私吸わないので」
「噛み煙草で良ければあるぞ。ちょっと辛くてビターなヤツだが」
先生がマントの前をはらうと、腰に取り付けたポーチの蓋を開けた。
「そりゃありがてえ、一服貰えるかな?」
男は先生から一つまみの煙草を貰うと、嬉しそうに口に含んだ。
「おぉ美味い、うまい。しっかり味がする。ありがてえ、ありがてぇ……」
そうして満足そうに口をくちゃくちゃさせながら、闇の中に溶け込んでいった。
そういや光玉どころか、カンテラも持っていなかったな。
夜間に外に出る際は、盗人と勘違いされないように何かしら灯りを持つのが常識なのだが、やはり近所の人か。
先生が俺の方に向き直るとおもむろに言った。
「兄ちゃんも見えるんだな」
―― あ、そういう事か。
まったく自然に来たので、ついこっちも普通に返事してしまった。
あのタムラムの事件以来、俺も天使以外のこの世ならざる者の姿がたまに見えるようになってしまった。
自分の血筋からして逆に今まで視なかったことの方が奇跡だったのだが、これも俺が臆病で見たくないという気持ちが無意識に抑え込んでいたようだ。
彼らは生者同様、ほとんどが生きている者と変わりなくハッキリと見えた。
ただ居る場所が少し通常と違っていたり――例えば柵で囲われた明らかに立ち入り禁止とされている公園の池の中にぼーっと立っているとか――様子がどこかおかしかったりすることが多かった。
俺の前の会社の同僚はいわゆる視える人で、車を運転している時に怖い顔をした女が電信柱に登っているのを見たことがあると話してくれた。
それは生きていてもヤバい人である。
「まあ悪意はなかったからな。墓地があんなだから落ち着いて眠れないんだろう」
ヴァリアスがさも当たり前の事のように言った。
先生が再び墓地の方角に目をやった。
そちらには黒い大扉の北門が、両脇に設置された白っぽい光に照らし出されて闇の中に浮かび上がっている。
強風のせいか、それとも『光』派が元々多いからか、松明ではなく揺れない光玉が使われていた。
そこに今来た通りの闇の中から2人の人物が足音もたてずに現れた。
さっきの男のように無灯火で、やはり気配や足音も全くさせていなかった。
俺はつい体を固くしたが、探知を強めて納得した。
「いやぁ、見つかって良かった~」
「もしやと思って礼拝所に行ったら、こっちに向かったって聞いたもんで」
俺たちの方に駆け寄って来た彼らは、墓地で会った警吏たちだった。
気配を消して近寄って来る彼らは本当に紛らわしい。
そうして彼らの代わりにヴァリアスが姿を消していた。
「これから宿に戻るとこかい? だったら送っていくから、ちょっとそこまで付き合ってほしいんだけどなぁ」
闇使いの男が親し気に話しかけてくる。
「なにか用ですか?」
今さら墓地に入った方法でも確認しに来たのか? まさか門を通らなかったからやっぱり罰金とか言うんじゃないだろうな。
「いやあそれがさ、例のガキどもがいただろう? あいつらがある事ないこと言いやがってさ。ちょっと証言して欲しいんだよ」
「ある事ない事?」
「そうなんだよ~、あのクソガキ、不法侵入したくせに、よりによっておれ達に金払って入れて貰ったとかぬかしやがったんだよ!」
闇使いが思わず声を荒げたのを、相方がシーッと自分の口に指を当ててみせる。
「でもあの時あの子たち、自分達で縄梯子を使って入ったような事認めてましたよね?」
「だろ~? だからそれをウチの上司に言って欲しいんだよ。あいつらしゃあしゃあと嘘つきやがって」と闇の警吏も声を潜めた。
「それは酷いですね、迷惑かけておいて。
だけどその上司の人、それをそのまま鵜呑みにしたんですか?」
「それがあいつらの親が大物だったんだよ」と納得いかないといったふうに風使いも肩をすくめる。
「まったく、いちいち誰の御子息御令嬢かなんて知らねえよ。所長もあんなのにへつらうなんておれもガッカリだよ」
闇の警吏がまた文句を言う。
大物の ―― じゃあやっぱりあの時見た馬車の娘は、あのカーリー娘だったのか。
と、そこで今まで黙って聞いていた先生が口を挟んだ。
「失礼だが、本当にそのせいだけなのかね? もしやこれまでに疑われるような事はしていないのかな。
もし身に覚えのないことなら、その上官は見限るべき人だと思うが」
それには2人とも目を泳がした。
「……まあ、ほんの数回だよ、始めの頃にね。
情報屋とかが記事にしたいからって頼むからさ。
それもみんなすぐに泡食って無事に戻って来たし、とりあえず被害は出てないからな」と、風使いが肩をすくめる。
「そうそう、それに下手に隠れて侵入されるよりマシってもんさ」
闇も開き直った。
前科(賄賂)あんのかよ。それじゃ上司も迂闊に信用できないだろ~。
「あまり感心出来ることではないが、それよりあの子たちの嘘の方が見逃せんな。
あの年から誤魔化すことで罰を逃れる事を覚えるとロクな事にならん。
反省する機会を失ってしまう」
「さすが祭司さん、話わかるなあ。じゃあ証言してくれるかい?」
「ああ、証言するとしよう」
「良かった! じゃあ来てくれよ。すぐそこだから」
「え、今からっていくらなんでも――」 「わかった。では行くとしようか」
ェエー?!
風使いの警吏はパーシー、闇使いの方はヒュッケと名乗った。
警吏達が言ったすぐそこというのは、本当に目の前の北門のところだった。
門の両側には門塔が四角く迫り出すように造られている。そこは門や壁を管理・監視する衛兵たちの詰所になっているのだ。
ちょうど上司は例の墓地の様子を視察するために、今夜ここに来ているという。
先生が快諾してしまったし、目と鼻の先という事で断る機会を逃してしまった。
それにしても先生、人が良すぎだ。時間が経てば経つほど宿が見つかりそうにないのに。
一足先にヒュッケが門まで走ると、左側にある黒い鉄扉を叩いた。
「おい、北7分署のヒュッケだ。アンバース署長はまだいるかぁ?」
ちょっと間をおいてドアの小窓が開く。
「ああ上にいるぞ。伝言か?」
「証人を連れて来たと言ってくれ。あとここ開けてくれよ」
衛兵はヒュッケの肩越しに歩いて来る俺たちを一瞥しただけで扉を開けた。
まあ奴がいたら、こう簡単には開けないだろうなあ。
奥の螺旋階段から降りて来た高齢の男は、彼らのようなサーコートではなく、藍色の短いマントを肩に掛けていた。
小柄だががっしりした肩幅、 後退した銀髪を後ろに撫で付け、立派な口髭を整えている。署長というよりも将軍という印象を受けた。
眉間に深い皺を寄せていかにも厳しそうな顔をしていたが、意外とすんなりと俺たちの話に頷いた。
「まったくウチの馬鹿たれどものせいで御足労をお掛けしました」
しかめっ面をしながらも軽く頭を下げた。
後ろに立っている2人もなんともバツが悪そうに少し体を動かす。
それもそのはず、どこか別室であらためて話しするのかと思っていたら、そのまま入った先の衛兵控室で始めたのだ。
そこにはドアを開けた男以外にも4人の衛兵が待機していた。
それぞれが自然に暖炉や壁際、監視窓の方へと俺たちの着いたテーブルから離れたが、それほど広くもない部屋、否応なしに聞こえるだろう。
いや、絶対に聞いているはずだ。守秘義務とかはないのだろうか。
「心配はいりません。ここの者はすでに知っております。
何しろあの娘がここで散々と喚きたてたようだから。むしろ中途半端に知れ渡る方が心配でしてね」
俺の視線に気がついたらしく署長が言った。
「十中八九、腹いせによるデマカセだろうと思っても、一応聞いたからには確認せんといけないですからな。
いや、お手数かけました」
「実はこちらも少し伺いたい事があります」
腰を上げかけた署長に先生がすかさず声を掛けた。
「罪人となればそちらの分野かと思うのですが、あの慰霊碑に葬られた者たちについて、名や人種などの記録は残ってないでしょうか」
そうか、先生は警吏の上の人に会って直接訊きたかったからなのか。ただのお人好しじゃなかった。
しかし丸椅子に座り直した署長はやや申し訳なさそうに言った。
「残念ながら彼らの記録は署にも残っておりません。
儂も今回の件に役立つ内容でもないかと、警監視局(警察本署)の記録を調べさせたのですが、何しろこの町が出来る前に他所から連れて来られたとかで、彼らの情報は何もありませんでした」
「なるほど……そうですか」
少し期待していたのだろう先生も残念そうに返した。
すると署長は少し戸惑ったようだが、軽く咳払いをしてからこう言った。
「……これは確証もない儂個人の考えですが、あなた方が慰霊碑のところで見たと言っていた女、それはもしかすると『子取りのビアンカ』かも知れないです」
「え」
「彼女を知ってるのですか」
先生も身を乗り出す。
小さな監視窓を覗いていた衛兵や、暖炉で背を向けて火掻き棒を動かしていた者も皆こちらに振り返った。
「お前たちも聞いた事ないか?『子取りのビアンカ』の話を」
と、署長が自分の部下やまわりの衛兵たちに声を掛けたが、みな首を傾げたり横に振るだけだった。
「そうか、まぁ仕方ない。これは儂がほんの幼い頃に聞いた話だからなあ。今の若いもんは知らんか」
ギィと丸椅子が軋む。
「その話を詳しく聞かせて頂きたい」
「ええ、ただあくまでも言い伝え、噂話という前提で聞いて下さい。
儂がまだ5歳にも満たない頃、よく親が聞かせてくれた昔話でしてな、いわゆるなかなか寝ない子供を脅す類の話です。
いつまでもベッドに入らずに起きている子供がいると、ビアンカがやって来て攫っていくというのです」
自分で言ったことに滑稽さを感じたのか、ふっと口元に薄い笑いを浮かべたが、すぐに真顔に戻った。
「だが、単純に躾だけの作り話と思えない事がありました」
署長の話によると100年近く昔のこと、7歳以下の子供たちがたて続けに行方知れずになることがあった。
しかも親が寝かしつけた後という、深夜から朝にかけて家の中からいつの間にかいなくなるのである。
もし寝ぼけでもして夜の街に子供が1人でいたのなら、まだ起きている大人や警吏の目につきやすいだろう。
だからこれは人売りによる人攫いかと案じられた。
子供のいる家庭はみな鎧戸を固く締め、ドアに閂や心張り棒を増やし、警吏は夜警に当てる人数を増やした。
が、そんな中、奇妙な報告も上がってきた。
かの共同墓地の墓守からで、最近墓地が騒々しいというのだ。
魔物などが普通に存在するこの世界、幽霊や自然霊・妖精などは身近な存在で、墓地はそう言ったモノたちの聖域という見方が当たり前だ。
なので深夜に新しい墓の前でぼんやり立ち尽くす本人や、誰聞かせるわけでもなく独り昔話をしている老人など、いても当たりまえという感覚だった。
そういった者たちのほとんどは大人しく、そのうちいなくなるのが通常だったのだから。
けれど最近、喧しいのが出てきたという。
それが『泣き女』だった。
その声は女でヒステリックに喚き、恨み事を大声で叫び、怒号していた。あの『子ども 返せぇ!』という言葉も何度もあったという。
普通亡くなった直近に現れたりするものなのだが、ここ数日どころか数か月間それに該当しそうな人物には心当たりがなかった。
この件が教会に伝わると、司祭たちが従者を連れて急いで墓地にやって来た。
そうして慰霊碑で祓いの儀をすると、子供が夜いなくなる事件はパタリと止んだという。
「もし本当にその泣き女が子攫いの犯人だとすると、今夜みたいに聞こえる夜とかってかなり危ないんじゃないんですか?」
署長の話によると、その時は墓地の中だけで聞こえる程度らしかった。なのにこんな街中にまで届くようでは作用する力も以前の比じゃないだろう。
ハーメルンの笛吹きみたいにごっそり連れて行かれそうだ。
「現在は市壁まわりや墓地自体の封印も強化しております。だから今のところそのような事案は報告されておりません。
今のアレは声だけで、そのような力はないのでしょう。
それに不確かな情報で市民に余計な不安を与えたくありませんからな」
いや、あんな声を毎晩聞かされていたら、別の悪い影響があるんじゃないの?
話を聞いていた衛兵たちもなんだか落ち着かない面持ちになって来た。もしかすると子持ちの奴もいるのかもしれない。
「ところでその彼女の名前ですが、それはどこから? やはり昔からの伝承ですか」と先生。
それを聞くと署長は深く息を吐いて腕を組んだ。
「……実は儂の祖父が当時衛兵長を務めておりましてな。その祓いの儀の際、護衛として出張ったそうなんです。
その際に司祭が、封印の呪文を唱えながら何度もこう言ったそうです。
『ビアンカよ去れ! 永劫の底に帰れ、ビアンカ!』とね。
そうして僧兵たちが、慰霊碑の上に同じ大きさの聖板を重ねて封印したと言ってました」
「とすると、司祭たちは彼女の名前を知っていたわけですね?」と先生。
「まあそういう事になりますな。
ただこの事件が子取りの伝承と繋がったのか、もっと前から言い伝えられていたのかは定かではありませんが」
俺と先生は自然と顔を見合わせていた。
少なくとも教会はあの慰霊碑のうち1人の名前は知っていた。それをただ1人だけだからあえて言わなかったのか、それとも言いたくなかったのか。
なんとなく後者のような気がする。
「その時の記録を拝見することは出来ますかな?」と先生が膝を進めた。
だが署長はまた難しそうに眉をしかめた。
「実はそのような教会が関わった案件は、教会の許可がないと閲覧出来んのです。
儂もあの時の祖父の言葉を確かめたいと思ったのですが、見事に却下されましたよ」
あの厳めしい司教総代理の、こちらをどこか見下す冷たい目が浮かんだ。
それなら俺たちが頼んだところでもまず駄目だろうなあ。
そこで老署長は、俺達から視線を外すと遠くを見るような目つきになった。
「しかしあの頃は、幼い儂を脅かすために誇張して話しているのだとばかり思っていたが、まさかそのままだったとは……」
外に出ると相変わらず鋭く切るような風と共に、悪霊たちのざわめきが耳に絡まるように響いていた。この調子が朝まで続くのだろうか。
早く聞こえないところまで移動したいものだ。
腕時計の針は8時を回っている。
もうこんな時間か、いよいよ宿を探すのが困難になってきたぞ。
そこへ2人の警吏たちも夜警の仕事があるとかで、俺たちの後からすぐに出てきた。
「いやあ、アンバースのジイさん、とんでもない話を隠してやがったなあ」とヒュッケ。
「まったくだ。念のためにミリー(妻)とガキどもを実家(別の町)に避難させておいて正解だったよ」とパーシー。
このままついて来られると困るなあ。こっちはこれから宿を探したいのに、下手に探知してるのがバレたら空き巣みたいでバツが悪い……。
まてよ、ここはダメ元で聞いてみるか。
「あの、警吏さんたちなら今夜泊まれそうなところ知りませんか? なんだかあちこち閉めてるようなんで」
「え、あんた達今日の宿をまだ決めてなかったのかい?」
「そうなんです。まさかここまでの状況とは思わなくて」
頼むからまさか留置所ならとか言わないでくれよ。
「あんた達、ギルドから依頼を請けてるんだろ。だったらギルドに行けば手配してくれるんじゃないのか?」
パーシーがもっともな事を言う。普通はそうだよねえ。
そこにヒュッケが言った。
「寝るだけでいいならおれの親戚がやってる居酒屋があるよ。上が泊まれるから。
ただ高級宿とはほど遠い、ど庶民が泊まるようなとこだけどね」
「庶民的なとこ大好きです。ぜひお願いします!」
案内されたのは北門の大通りから西側に10分ほど歩いたアパートや民家の多い裏通り。遅いので裏口からの訪問となった。
夜分でありこんな状況下なので、出てきたオバちゃんは少し戸惑ったような顔をしたが、甥っ子が連れて来た余所者を断ったりはしなかった。
時刻はもうすぐ終刻の時間。
炉の火を落してしまったのでチーズとパンくらいしか出せないと言われたが、俺と先生は食欲が失せていたので食事は断った。
2階の寝室は病院の大部屋みたいにベッドだけで、個室はなかった。
まあ帰り損ねた泥酔客が寝るだけなのでこれで十分なのだろう。確かに庶民的だ。
それでベッド代1、190エル。ラーケルの簡易宿ウィッキーのとこなら480エルだったから単純に倍以上もする。
とはいえ頑丈そうな梁から下がった仕切りのカーテンは淡いベージュ色に青のストライプ模様で、シーツに臭いもなくマットも程々に厚みがあった。
蝋燭の芯亭みたく、擦り切れた麻のカーテンによれよれのシーツとは大違いだ。
やはり地域差だけでなくお値段なりに質も良いらしい。
それに今夜は俺たち以外に泊り客はいないということで、10個ベッドのある大部屋が貸し切り状態なのも有難かった。
先生も疲れていたようで珍しく寝酒もやらず、オバちゃんもとい女将さんが火鉢を置いて出ていくとすぐにベッドに大の字になった。
「なんか疲れましたね」
俺も隣りのベッドにへたり込むように転がった。服を脱ぐのももどかしい。
「ぁあ、こんなに動き回ったのは久しぶりだ。まるでハンターの頃に戻ったみたいだ……」
そう先生が目を閉じながら答えた。
「なんか誘っておいてすいませんが、もし危険過ぎると思ったらハッキリ言ってください。
出来るところまでで大丈夫なんです。途中リタイヤOKの契約ですから」
「気にするなよ。これはおれがやりたくなったからやるだけだ。
ひとまず1人の名前だけはわかった。それだけでも収穫はあった。
明日は近隣の町や村にも行ってみよう。聖水も要るし、何か新しい情報を掴めるかもしれん」
先生にはサポートしてもらうだけのつもりだったのに、なんだか先生の方が請負人みたくなってしまっている。
それに比べて俺の方は、あの女を見た時からだいぶ意欲が萎えてしまった。
そこに来てあの署長の話。
あの何重にも重なった慰霊碑の謎。
それは始めから重ね合わせて1つとする仕様などではなく、後から追加されて今のようになったのではないのか?
もしかすると署長のお祖父さんの話だけでなく、過去に何度も同じような事があったのかもしれない。
そうして古い御札の上に新しい御札を重ねて貼っていくように、鉄の碑は今のように分厚いものになったのじゃないのか。
そんな深く長い歴史に淀み濁った陰なる気配に、俺のビビり心は更に縮こまっていた。
なのに途中で棄権しようかと思い始めている俺に対して、逆に先生が乗り気になっている。
本当に申し訳ないが、誘ったことを少し後悔し始めていた。
「……ちなみに、やっぱりその対象の名前が分からないと祓えないんですか?」
エクソシストとか御祓いとか、テレビや映画でしか知らないからよく分からないが、聖水を振りまいて聖文を唱え『悪魔よ 去れ!』とかじゃいけないものなのか。
それとも名前が分かっていたほうが効きやすいのだろうか。
すると先生が目を開いてこっちに顔を向けた。
「相手は元は人間だった者なんだよ。それなら名前があったはずだろ。
なら名前で呼んでやらんと」
「……はい」
……そうか、そうだよな。
一括りに怨霊だの亡霊だのと考えていたが、相手は元々人だったんだ。
39体の悪霊ではなく、39人の個人のグループだった。1人1人それぞれに違う人生があったはず。
俺はちょっと恥ずかしくなった。
しかしやっぱり恐いものは恐いんだよなあ……。
あ、そういえばカーリー娘の件、この案件とは関係ない事柄だから確認するタイミングを逃していたんだよなあ。
それとやっぱりあの時の下男の様子も気になる。何か本当は話したかったんじゃないのか。
「あの先生……」
見ると先生は、また顔を上に向けて目をつむっていた。寝息も聞こえている。
あ~、もう寝ちゃったか。
俺はベッドから降りて毛布を掛け直してやった。
部屋に暖炉はなく火鉢だけだったので、空気の断熱・保温効果を維持するように魔法をかけた。
柱に取り付けられたランプには細い灯が点いていたが、今夜はあんまり暗いと落ち着かない。
かと言って明るすぎても寝づらいので、足元の方にぼんやりと照らすくらいの光玉を上げておいた。
ヴァリアスの奴はまだ帰って来ない。こんな時こそあの闇夜で光る銀色の目がなんとも心強いのだが。
まあいっか、今日は1人じゃないし。
*
何時間くらい経ったのか、変な音に目が覚めた。
カツ…カチ…カチカツ カチガチカチ……カチカチ……
なんだろう……? 金属ではないが、なにか石か木など硬いモノを打ち合わせているような音……。
俺は隣りのベッドを振り向いた。
カーテンで仕切られた狭く薄ぼんやりとした空間、右側のベッドに先生が変わらず仰向けのまま眠っているのが見えた。
歯ぎしりか……。
さっきと同じ姿勢のまんまだし、よっぽど疲れてたんだな先生。
しかし時計の音と違って耳障りなことこの上ない。
悪いけどここは遮音させてもらおう…… ん ……?
その音は前方からではなく、俺のベッドの下からしていたようだった。
なんだネズミでもいるのか。
殺しはしないが五月蠅いから出ていってもらおう。
この時俺は寝ぼけていた。
最近眠ったらぐっすり朝まで一度も目が覚めたことがなかったし、独りじゃない安堵感があった。
だからうっかり探知でもなく、そのままベッドの下を覗き込んでしまった。
そこに男がいた。
正確には男の首から上だけだった。
「ひゅ えっ……!!」
思わず先生の向こう側に転移していた。
だがそこから見てもやはりベッド下の暗がりに、男の首は消えていなかった。音はその男が歯を鳴らしていたのだった。
「せ、先生、せんせいっ! 起きてっ! 変な奴がいる!」
ちょっとパニックった俺は先生を乱暴に揺すった。
だが何故か『ンごっ』と反応はあるのだが、まったく起きる気配がない。
「せんせいっ! 頼むから起きてくれっ」
悪いがゴワゴワした赤髭を抜けない程度に引っ張ってみたが、先生は痛そうに顔をしかめても一向に目を開ける気配がない。
なんでだよ?! もしやこれはあれか、怪談あるあるのヤツか。
「ヴァリアース! いるんだろぉ! 出てきてくれよぉ」
だがこちらも返事すらない。
くそっ、なんでこんな時にあいついねえんだよ。
これも1人で対処しなくちゃなんねえのか。
俺は左手から護符を外して先生越しに突き出した。
男の首はこちらを見ながら、まだガチガチと口を打ち鳴らしている。目は大きく見開かれ、眉は大きく困ったように歪み、やせ型なのか頬はこけていた。
あらためて見ると、さっき門の近くであった男とは別人だった。
さっきの男は少なくとも髪はこざっぱり整えていたし、髭も綺麗に剃っていた。
だが、いま目の前にいる男は似ている気がするが、髪はボサボサだし、不精ひげを伸ばしている。
そうなるとまた別の亡霊か。それとも悪霊の1人……?!
「誰だ、お前は……」
本当に申し訳ないが寝ている先生をつい防波堤にしていた。その前に出る事は出来なかった。
もし近寄って来たらこの護符でブッ叩くしかない。
どうか効いてくれよ護符。
【ガチカチ……ぃ……カチカチカチ つぃ……】
男は歯の根が合わないながらも口の中で何か呟いている。
気味が悪いがここはなんとか耳を澄ました。
【ガチカチ……むぃ…つぃ……カチカツカツカツ……さむ い…あつ い…寒い……】
その言葉に思わずゾッとした。
けれど相手に悪意は無さそうな感じもしてきた。
こういう時の俺の勘は結構当たる。こいつは悪霊じゃない。
「なんだ、何か言いたいことがあるのか?」
俺は思い切って訊いてみた。
【……寒い…… 熱い…… 怖い…… こ こは…… と ても おそろ し い……ガチガチガチ…… 】
「あんたは誰だ? どこにいるんだ? (おそらく見えているこの場じゃないのだろう)
一体なにがそんなに怖いんだ」
すると男はさも床から抜け出ようとするふうに首を斜めに動かし、悲痛そうに顔を歪めて言った。
【 ……けて たすけて 助けて …… ここは 凄く熱くて 酷く寒い…… 暗いし 怖い こわ い …… 助けて たすけて タスケテ―― 】
「待ってくれ、まずあんたの名前を教えてくれよ」
【 助けて たすけて…… 】
う? なんだ、急に眠くなって来た。まるでクロロホルムでも嗅がされたみたいに急激で強烈な眠気だ。
クソ、油断した! 何をされた?! 凄く ねむ……
【 たす け て ぇ………… 】
*
目を開けると俺はベッドに横向きに眠っていた。
前には先生がやはり仰向けのまま、かすかなイビキをかいている。
四方をカーテンが囲んでいるし窓も開けてないので薄暗さは変わらずだが、間に置いた火鉢の炎は小さく消えかかっていた。
恐る恐る探知で自分のベッドの下を探る。念のために他のベッドの下にもいないか同時に視た。
亡霊どころかネズミの一匹も何もいない。
腕時計を見ると5時9分、暗いけどもう朝だ。
朝ということに少しほっとした。
良かった。とても生々しかったが、あれは夢だったのか。
昨日あんなのを色々と見てしまったからだろう。俺の夢はすぐに影響を受けやすい。
以前、『0:34』という地下鉄が舞台のスプラッタホラーを見たら、それに出て来る殺人鬼が運転する最終電車に乗っている夢を見てしまった。
映画自体は平気で見ていられるが、当事者になるとそんな余裕はどこかに瞬で吹っ飛んでしまう、ビビりな俺なのだ。
あ~良かった。軽く伸びをしてから、今度は目で確かめたくなった。
探知が出来るとはいえ、やはり実の目でも見て安心したかった。
ゆっくりと覗き込むと当然そこには誰もおらず、荷物入れ用の空っぽの篭と俺の靴が置いてあるだけ。探知で視たのと一緒だった。
そりゃそうだよなあ。
ところが唐突にその自分の靴に違和感を感じた。
すぐに靴に索敵をしてみた。もちろん危ない気配はない。
だが何かが引っ掛かる気がする。
そっと手を伸ばして靴を持ち上げてみた。
黒地なので分かりづらいが結構表面が汚れている。裏も泥や小粒な石コロが溝に入り込んでいる。
これは土魔法で取ればいいが――
と、踵に詰まっていた薄黄色の欠片に意識がいった。
自然に喉がごきゅんと音を立てる。
嘘だろ……。いや、もう確かめるしかない。
解析――
《 人族の前歯の一部分
男性 年齢:43年5ヶ月
持ち主の名前: ロブ
職業:鞣し職人 ―― 》
この名前と職業には覚えがあった。
同じ名前、同じ職業の男は確かに何人もいるだろうが、この町でこの状況下であんな風に現れるのはまず1人だけだろう。
鞣し職人のロブ、また冬の副業に墓守りをしていた男。
そうして墓地で首を折られて死んでいた男だ。
あぁ うぅ~ クソッ、またとんでもない事を聞いてしまった。
これじゃ助けに行くまでやめられないじゃないか。
俺はベッドの上に突っ伏していた。
ここまでお読み頂き有難うございます(*´꒳`*)
ちなみに作中に出てきた『電信柱に~』と『0:34』の件は実話です。
夢の中でぐわっと眠くなって目を覚ましたら、夢の中で見た時刻から15分くらいしか経っていなかったというのも体験談です。
傍にいる人が起きてくれないのもリアル夢で見た事です。
あれにはアセりましたね……( ̄▽ ̄;)




