第276話 『偽装の碑 』
タイトルでネタバレしてますが……(;´Д`A……
自慢するわけじゃないが、俺はこの1年でかなりの修羅場を潜り抜けてきた。
相手が人だろうとなかろうと、攻撃態勢に入った際にぶつけて来る氣はみな殺気だった。
兎にも角にも”お前を殺す”という悍ましいイメージは、恐怖以外の何ものでもない嫌悪の感覚。
恐怖で息が詰まるというが、その負のエナジーに当てられると本当に息がしづらくなるのだ。
だが自分自身が強くなり自信がついてくると、不快ではあるものの余裕が生まれてくる。そのため落ち着いて対処出来るようになってくる。
要は慣れなのだろう。
なのに かの女の憎悪に満ちた氣を浴びた途端に、一年前の俺に逆戻りしてしまった。
初めてハイオークからの悪意を浴びた時のように、まさに蛇に睨まれた蛙となった。
一瞬にして脳ミソがデリートされ、思考が恐怖一色に染まり、動くどころか視線さえ逸らせなくなって固まった。
これは金縛りなのか――?!
背筋に再び ぞぞ ぞぞぞっ と、氷の感触が走り抜ける。
そこにグッと左肩を強く掴まれた。
「兄ちゃん、転移だっ! ひとまずここは撤退するぞ」
先生が俺の肩を揺さぶっていた。身体の硬直が解けた。
――そうだっ、早く転移して逃げないと――
しかしこの場から跳ぼうとするも上手く転移出来ない。
まわりで妨害する圧は激しく、焦ればあせるほど余計に氣が乱されて魔力が練れない。
「――すいません、できませんっ」
不味い 焦り ヤバい アセり このままじゃぁまずい! ―― あせる あせる あせる…………
だがさすがは専門職。
慌てる事なく左手にいつの間にか持っていた、聖水の瓶を即座に開けると一気に振り撒いた。
それは空中でプワァーッと微小な粒となり、俺たちのまわりを淡い靄となって優しく包み込む。
急にまわりからの圧が減り、始めて息苦しかったことに気がついた。悪い氣を吸わないよう、無意識に息を止めていたようだ。
「大丈夫だ、落ち着け。このまま背中を見せずに下がるんだ。
だが絶対に相手の目は見るんじゃないぞ」
右手の数珠を前に突き出しながら、先生が俺の腕を力強く引っ張る。
しかし女はそんな俺たちをしっかり敵と認識したらしく、慰霊碑の影から出てくると、ずるりと四つん這いになった。
茫々に生えた枯草や転がった岩などの僅かな陰を伝い、じりじりと此方に這って来る。
人が這ってやって来るという様子は、何故こんなにも不穏で恐ろしく神経を撫でつけるのだろう。
まだ陽があるせいか動作は緩慢だが、絶対に逃がさないという強い意志を感じる。
陽光や結界(聖水の)を無視して確実に躙り寄って来る姿に、俺は心の底から怖気った。
ドンっ! 背中を急に叩かれた。
「闘志を手放すな! つけ込まれるぞ」
相変わらず我が守護神は、俺のバロメーターが振り切った時に現れる。
後ろから爆風もどきの氣が吹き抜けた。同時に亡霊の姿が吹き飛ぶように掻き消える。
一気にあたりに立ち込めていた淀みが消えていった。
「……やっぱり凄い覇気だなあ、旦那は」
先生が安堵と共に思わず感嘆の声を漏らした。
「まだ気を緩めるなよ。ちょっと引っ込んだだけだからな。日が暮れたらすぐに戻って来るぞ」
「旦那、頼むからしばらく一緒にいてくれないかい」
究極の助っ人登場に、先生もダメ元で頼むトーンになる。
「ああ、蒼也がちょいと心配だからな」
悔しいがこんな時は本当に有難い。
そうして自分の思った以上のビビりぶりが情けなかった。
「……すいません、無理言って来てもらったのに、その 役立たずで……」
先生を守るどころか、逆に足を引っ張る羽目になってしまって申し訳ない。
「なあに、危険なのは承知してるよ。本当にダメだったらキッパリ断ってたさ。これでも元はハンターだったからな」
先生がそう俺の肩を叩いた。
「それに苦手なものは誰にでもあるだろ。それを補うのが仲間ってもんだろうが」
その言葉に少し救われる気がした。
「そうだ。このオヤジは納得済みで来てるんだ。だから少しくらい危険な目に遭わせても気にするな」
ウチの守護神の励まし方は、いつもどこかアサッテな方向に向く。
「にしてもなぁ……」
あらためて冷や汗を拭くように、顔を肉厚な掌でぬぐいながら先生が言った。
「いきなりとんでもないのが出たもんだなぁ」
「やっぱり相当……ヤバい奴なんですね」
ある程度覚悟はしていたが、予想の遥か上をいきなりぶっち切ってきた。
1人じゃなければなんとかなると思っていたのに甘かったか。
父さんの推薦案件だからなんとか頑張りたかったのに……。
「安心しろ。今のがここ一番の大物だ。他のはもっと弱っちいぞ」
ヴァリアスの ”安心” は ”要警戒” と同レベルだ。
それに初っ端からラスボスの邪気を見せられて、なんとか残っていた意地も意気地も消し飛んでしまった。
自分のヘタレぶりが情けないし父さんの期待に応えられないのも辛いが、もう胆が凍ったどころか、神経を冷たい手で直接撫でられたような猛烈な衝撃の方が耐えがたい。これなら痛みの方がまだマシだ。
今回はこれで諦めても仕方ないのかもしれない……。そう思い始めた。
しかしそんな逃げ腰の俺に反して、前方をジッと見据えていた先生が動き出す。
「よし、今のうちに手早く調べるぞ」
そう言うやさっさと慰霊碑の方へ小走りに向かって行く。
えっ! とりあえず戻るんじゃなくて、さっきまで亡霊がいたところへわざわざ行くんですかっ?!
まだ胆の冷え冷えとした余韻が残っているが、先生を1人で行かせるわけにはいかない。
無理やり僅かな気力を振り絞って後を追う。
すると後ろから付いて来た奴がテレパシーで云ってきた。
『(蒼也、恐怖を感じるのは本能なんだから、別に恥じるものじゃないぞ)』
『(そんなこと頭では分かってるよ。だけどさ……)』
半分とはいえ神様の血を引いているはずなのに、亡者にビビるなんてなんとも恥ずかしいじゃないか……。
『ただな、お前のその恐怖心は本能から来るものじゃない)』
なんだよ、やっぱりヘタレ心だっていうのか。余計落ち込むぞ……。
『その根源はとても根深い、ある恐怖症だ)』
『(恐怖……症? ただのビビりとかの恐怖じゃなくてか?)』
振り向くと奴が俺の目を真っ直ぐ見ながら頷いた。
『(だからすぐに克服しようとしなくてもいい、出来るところまででいいと、主が云っていた)』
『(父さんが――、って、これはなんの恐怖症なんだよ? 幽霊恐怖症か?)』
『(それを自分で探すのも乗り越える近道だ)』
むう……、ひとまずいつも通りのスパルタだが、また俺の為という事か。
そうなるとこの案件、やはり適当に選ばれたわけじゃなさそうだな。
斜めに傾いだ赤茶のモノリスみたいな墓碑は、かなりの年代物だった。
上部に深く彫りこまれた『土』のシンボルらしき模様は分かったのだが、その下の文字はびっしりとした錆のせいで全く読めない。
端に触れるとすぐに赤い粉が指に付いた。
「ひとまず元に戻した方が良くないですか?」
文字を読もうと、色んな角度から表面を覗き込む先生に声をかける。
足元は穴こそ開いていないが、土台部分がズレて草や土が妙に盛り上がっている。これを土魔法で操作していけば何とか出来そうだ。
それにこれが傾いだせいで出てきたならば、元通り真っ直ぐに立て直せば悪霊も出てこれなくなるんじゃないのか。
「一度浄化が解かれてしまってるようだから、ただ戻したところでもう意味はないだろうな。この碑もずい分腐食しているし、やるならちゃんと祈祷して新しいのを立て直さないと」
「そういうもんなんですか……」
映画とかでは元通りにすれば効力が戻るのに、現実はそう簡単にはいかないようだ。
気味が悪いが、足元やまわりに索敵をかけて辺りを警戒する。
ただヴァリアスは無頼ながらも一応神使。
清らかに浄化したというよりも鉄砲水でどっと洗い流したという感じだが、その氣のおかげでかなり地面下の残穢まで綺麗に無くなっていた。
おかげでさっき通って来た場所よりも、ここの方が今や息がしやすくなっている。
それにしても何だろう、この荒れようは。
草茫々なのは仕方ないとしても、石コロや折れ枝が散らかったままのまるで廃寺の墓標。
野ざらしで錆止めもとっくに剥がれ落ち、腐食されるままに放ってある。
墓守りだっているのだから、もうちょっと手入れぐらいしてても良いのじゃないのか。
こんな風にほったらかしにしてるから、死者が怒って出てきたのかも。
いや、悪霊と呼ばれているくらいだから別物か。
じゃあやっぱりこの慰霊碑が動いたことで、何かしら良くないモノが入り込むような場所になってしまったのか。
それとも――
ざらざらとした嫌な考えが頭をよぎる。
「せめて何が書いてあるのか、読めたらいいんだが」
先生が唸るように呟いた。
「じゃあ ”解析”で読めるかやってみます」
『土』魔法で錆を全部取り去ることは出来るが、かなり腐食しているので下手に取り去ってしまうと、文字そのものの凸凹が消えてしまう。
だが解析なら意味として視ることは出来るだろう。
感触を伴う探知と違って解析なら文字での表示だから怖くないはずだ。多分……。
何とかやれそうな事をやっていくしかない。
表面を浄化されたせいか、墓碑からは嫌なオーラは出ていない。
一つ深呼吸をするとサビて擦れた文字面に意識を向けた。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
いつもならブルーのパネルに文字が現れてくるのだが、今回は画面が真っ赤だった。
やがてその赤い画面のあちこちに、■■■・■■・■■■■■・・・■■■という感じで ポチ、パツっ と文字の欠片らしきものが点滅するように現れてきた。
エラー現象だ。
俺の力がまだ対象の抵抗力に及ばず、解析出来ない状態。
つまり邪魔されているということだが、これは今までの妨害とはちょっと違う気がする。
これまでの妨害はいわゆる護符による守備力。
ハッキングによる覗き見への防御なのでこのように表示されないか、『不許可』などの文字が出る場合もある。
しかしこんな風に赤い画面になることはまずなかった。
何故ブルー画面じゃなくて真っ赤になっている?
ひと昔前の壊れたテレビみたいだが、解析スキルが誤動作している感じは受けない。
これは俺が恐る恐るの弱腰だからなのか……?
……もう、解析くらいでビビッてどうする、俺。
今は独りじゃなくて仲間もいるんだ、気合いを入れろっ!
―― この碑に書かれている 文字は? ――
すると段々と細かいジグソーパズルのピースが剥がれていくように、赤い画面から次第にポツポツと青い部分が現れてきた。
そのまま集中する。 おお、やっと出てきた――
《 この地に・・ ≪≪滅≫≫≫ 眠りし者・ ≪≪≪禁≫≫≫≫ ・・・・これより 永遠に ・・・ ≪≪≪未来永劫 葬り給え≫≫≫≫ ・・ 安息ならざらん ・・・≪≪≪禁!禁!禁!≫≫≫ ・・御霊を・・ ≪≪≪≪ 完封せしめたまわんこと ≫≫≫≫≫ ・ ≪≪≪ 封印! 封印! 閉! 阻! 封!≫≫≫≫ ―――― 》
うわぁ、気持ち悪いっ!
思わず仰け反った俺に先生も「どうしたっ?!」と驚きの声を掛けてくる。
なんで真っ赤だったか分かった。
実はちゃんと文字は表示されていたのだ。
ただ、それは幾重にも重なり合い、押しつぶされ、隙間を埋め尽くしていた。
その文字はまだらな赤、鮮紅色と暗紅色が混ざったクリムゾンレッド。時の経った血の跡であり、穢らわしく変色した赤色だった。
解析パネルの文字は、始めの頃は青地に白抜きの文字のみで表示されていた。
それが時として大文字や黒にも表示されるようになった。
赤い文字の時はいつも朱色といった色合いで、要注意ポイントを表していた。
しかもこのようにみっちりと画面を覆いつくすような事は無かった。
今視えたことを伝えると、先生も同じような事を考えていたらしく唸るように言った。
「……こいつは慰霊碑なんかじゃない。
ただの慰霊碑なら石材でもいいのに、貴重な鉄を使う念の入れよう。
なのにこの雑な扱い。
うすうす予想はしていたが、今ので確信した。
こりゃあ 悪霊を閉じ込めるための障壁、封印だ」
あぁ……地球は元より、ここでも鉄は魔除けとして使われていた。
これは弔いの碑ではなく、悪いモノを封じ込めるための結界だったんだ。
「……所長は 嘘をついていたってことですね」
前のタムラム村の件でも、ギルド主任は隠し事をしていた。お偉いさんだからといっても必ず正直者とは限らないから。
しかし先生が眉を寄せながらゆっくり首を傾げる。
「町の記録が改ざんされているとかで、本当に知らんのかもしれんぞ。
大体こりゃ何百年前のものなんだか。
その所長もきっとベーシスなんだろう?」
改ざんか。
確かに古今東西、その時その時代の思想や思惑で隠蔽や歪められて、間違って後世に伝わった歴史は少なくない。
しかし危険な仕事なのだから、ちょっとした誤情報は命取りだ。
提供された情報からしてこれだと先が思いやられる。
「ふーん、そうか、お前にはそう視えたのか」
重苦しい空気になっているのに1人空気を読まない奴が、何故か嬉しそうに横から口を出してきた。
「オヤジの言う通り、こりゃ始めっから隠蔽工作されてるな。
蒼也が視た”白”文字がこの表面の文字の事なんだろうよ。
慰霊碑として偽装するために、上っ面の慰霊文を彫りこんだってとこだな」
そうしてさも愉快そうに恐ろしいことをさらっと言った。
「だが本当の呪文は別の板に。強い念のせいで”赤”文字で現れてる方だ。
で、それらを張り合わせて1枚の碑とした。隠し封印ってわけだな」
パンっと、良い音を立てて両手を合わせた。
「呪文板はおそらく1枚じゃなくて、複数あるんだろうな。
それをお前は一度に重ねて視たってわけだ。なかなかに面白い」
全然面白かねえよ。
なんだよ、それ、隠し扉じゃあるまいし。
そういうのって偽物と合わせて効果は相殺されたりしないのか?
もう合体したらPPAPみたいに意味不明になってくれよ。
「ところで兄ちゃん、さっきの亡霊の女は、兄ちゃんにはどう見えた?」
急に先生が違う質問をして来た。
「え、どうって、ただ凄くおっかない女に見えましたよ。
とにかく発してくる悪氣が激しくて、正直……逃げたくなりましたけど」
こう言っている間にも、先程の女がどこからか睨んでいそうで落ち着かない。
「……そうか。まあ そうだよなぁ……」
先生は深く溜息をついた。
その顔は険しいというよりも、どこか困ったような、憂いているようでもあった。
なんだろ、先生は神職だから何か別のモノが視えたりするのだろうか。
よく分からないが、これ以上恐いモノは感じたくないなあ。
「……ともかく先に、この碑の由縁を調べ直した方が良さそうだな。
一度町に戻るか」
「はいっ! じゃあさっきのとこまですぐ戻りましょう。今なら転移で跳べますから」
俺は喜んで先生の左手を掴んだ。
やった、やっとこの場を離れられる。
このまま諦めるも続けるにしても、ひとまず安全なところで気持ちを立て直したい。
「ん、転移で戻るのか? まだ日没まで時間あるだろ。どうせなんだから帰り道も探索していけよ」
天下の無責任者が口を挟んでくる。
「いやあ急ごしらえだったから、聖水もアレぽっちしか持ってこなかった。
旦那がいてくれるのは有難いんだが、ここは改めて準備し直して来るのが良さそうだ」
流石の先生も苦笑いしながら遠慮した。
気まぐれな奴が大事な時にいなくなる事を、先生も肌身で知っているのだ。
「そうだよ。あんたみたいにみんな”自分より怖いモノなし”じゃないんだぞ」
俺もこれで帰れると思ったら、やっと軽口を叩ける程度に気分が回復した。我ながら調子良いものだ。
そこであらためて転移をしようとして、念のため一言付け加える。
「そうそう言っとくけど、門から見えるところにはついて来ないでくれよ。
あんた、入ったとこ見られてないだろ。
また俺たちが ”地獄の使いを連れて来た” って騒がれちゃうから」
「誰が地獄のなんだよっ! オレはそんな使いをした覚えはねえーッ!」
いつも通り奴がガンガン文句を言ってきたが、先生は思わず吹き出しそうになって空咳をしていた。
隣りが五月蠅いが、俺は転移に集中すると先ほど入った地点に跳んだ。
ここまでお読み頂き有難うございます。




