第275話 『墓荒らし』
また今回も長くなってしまいました(;´Д`A ```
この時点ではまだ人の仕業か、獣、魔物のせいなのか分からなかったが、もちろん葬儀どころではなくなった。
知らせを聞いてやって来た警吏が見たのは、転がったロブに噛り付いている1カ月前に死亡した老人の姿だった。
それでロブを殺したのは ”デッドウォーカー” だという事になった。
デッドウォーカーというのはいわゆるゾンビの事で、こちらの地方ではそう呼んでいた。別の地ではナイトウォーカーとも言われ、略してただ”ウォーカー”と言うことが多い。
ウォーカーは1体とは限らない。
調査の為に墓地にハンター達を送ったが、そのまま帰って来なかった。
そして次の朝、様子を見に行った別班が見つけたのは、彼らの物と思われる服の切れ端とコゲ茶色の毛髪がついた頭の皮だけだった。
ウォーカーが湧いたこともあり、すぐさま墓地を閉ざしたのは正解だったろう。
何しろまだ夕陽の残りある暮れなずむ頃、いつもより帰りが遅くなった山羊使いが墓地の傍を通った際、門扉の格子越しにこちらを睨む女を見たからだ。
ただ鎖とお守りで結界が敷かれていたおかげで、彼女は出てこれなかった。
そういった事もあり本格的に討伐隊が送り込まれたわけだが……。
なんだか足下の地面が滑りやすくなってきた。
先程まで冷たいが乾いた草地だったのに、いつの間にか枯草まみれの湿った土になっている。
元々水捌けが悪い土地なのかもしれないが、こんな急に土質が変わるものなのだろうか。
と、やがてやせ細った樹々が伸ばした枝の向こうに、黒とグレーの石積みで出来た壁が見えてきた。
空は相変わらず灰色の雲が重く垂れこめ、壁は地面同様、じっとりと濡れているように見える。
近づいていくと所々の石に、ルーン文字のような呪文が彫りこまれている。これは古いモノなようで薄く擦れているが、ぐるりと周囲に打ち込まれた杭とそれに繋がれた鎖はまだ新しく錆ついてはいない。
その鎖の1つ1つは文字の形をしていた。
壁のまわりに生えている樹々は全て黒茶色に変色していて、まるで山火事の跡のようだ。その1枚の葉もつけていない、女の乱れ髪みたいな枝ぶりは墓地の方に引っ張られて伸びている。
「……もう見事にホラー映画のシュチュエーションだなぁ……あ?」
後ろを振り返るとヴァリアスの奴がいなかった。慌てて見回してもどこにもいない。
「ん、旦那、またどっかに消えたのか」
俺がキョロキョロしているのに気がついた先生が言った。
先生も奴がたまに前触れ無くいなくなるのを知っている。ただそれを奴特有の気まぐれとかに思っているようだ。
しかし俺は知っている。
奴が突然いなくなる時は何かが起こる時だ。つまりミッションの開始だ。
俺がその場で身構えると同時に、右手の黒い幹の陰からふらっと人影が現れた。
それは身体のまわりを濃い霧状のもので覆っていて、顔や輪郭がぼやけていた。
まだ墓地にも入ってないっていうのに、ほんとにトラブルは待っちゃくれない!
「なんだ、お前たち ―― と、祭司さんか」
霧が薄れて出てきた短いマントを羽織った男は、俺越しに先生を見て声を和らげた。俺も肩の力を抜く。
良かった、生きた人間だった。
男の腰のベルトには短い棒が括りつけてあり、そこには3本の鎖でぶら下がった香炉が薄い煙を出している。これが霧の正体だった。
風向きでほわっとレモンとミントを混ぜたような匂いが鼻腔をくすぐる。どうやら魔物除けの御香らしい。
そうして紺色のマントの左胸には白抜きで、ダガーのマークが付いていた。
警吏だった。
「この依頼で来ました」
俺は依頼書を見せた。案件タイトル下に、ギルドが認可した旨のスタンプが押してある。
金額の部分は畳んでおいた。
「あ~、そっちの方か。でも2人だけで?」
「まだ来たばかりなので、とりあえず下見に来ただけです」
警吏は俺たちがパーティ内の下調べに来たメンバーと思ったようだ。
まあ実質はこの2人だけどな。
「おれはまた結界を補強しに来てくれた祭司さんかと思ったよ」
顔半分を隠していたマフラーを下げながら、目の前のベーシスが言った。
聞くところによると毎日司祭や助祭が、この墓地の門扉や壁の結界を強化・補強しに来るらしい。
それは町の各教会からも派遣されているようで、これに関しては光派だけではなかったようだ。
ちなみに『祭司』とは、神職に携わる者の総称で、相手がどの宗派か司祭か助祭か分からないような時にも使える呼び方だそうだ。
警吏はこの辺りを巡回しているらしい。
街中でもあるまいし、こんなところを単独でパトロールしてるのかよ、と思ったが、実は俺たちの斜め左後ろの低木の傍にもう1人いた。
ただしすっかり気配を消している。
先生も気がつかないようだし、以前の俺の探知力だったら分からないほどだ。
おそらく俺たちの動向を監視しているのだろう。だから俺も気がつかないふりをした。
「不法侵入する輩がいるんだよ」
仲間の存在から注意を逸らせたいのか、目の前の警吏が門の方に顎をしゃくった。
4mくらいある両開きの門扉には頑丈そうな閂と、それを固定する錠前が付いていて、『危険 立ち入り禁止』 の文字と記号を書いたプレートがぶる下がっている。
「そういう奴に限ってやりたい放題に荒らしていきやがる。
勝手に墓を掘り返して罠を仕掛けたり、足場なんか残されていった時にゃあほんとに迷惑だぜ。結界が張ってあるとはいえ、それを使ってウォーカーが出て来るかもしれねえだろ」
まったくとんだ”墓荒らし”だと、顔を顰めた。
依頼を直接請けていなくても、しっかり結果を出せれば報酬が出る事がほとんど。
またこうして指名依頼に回される以前に、ギルドの依頼案内所で一般掲示していた可能性は高い。その過去情報を知っている者がやって来るのだろう。
一体ギルドの所長はいつまで一般公募していたのやら。
「だがこうして正規に依頼を請けて来た者なら入っていいんだろう?」 と、先生が訊いた。
「あ~、もちろん正式に派遣されてるんだから構わないが、本当にあんた達だけで入る気なのか?」
昼間とはいえ危ないぜ、と警吏が言った。
俺だって出来れば入りたくないよ。だけど夜はもっと来たくない。
門扉の格子から中を覗くと、手前は箱馬車が3台は入れる石畳になっており、右側に木のドアの付いた石小屋がある。
そこが遺体安置所兼門番小屋なのだろう。
正面には『光』のシンボルの大きなモニュメントがあり、その両サイドや後ろに個々それぞれの宗派のシンボルが置かれたり刺してあったりした。
その奥の枯れたブッシュ越しに、ポツポツと墓石らしきものが見える。
「言っとくけど祭司さん、あんたが例え神様の御使いであっても、一旦あっちに入ったら何があってもすぐには開けられないぜ」
警吏が腰のポーチからゆっくりと鍵を取り出した。
「ああ、出る時は異常がないかチェックしてからだろ。そりゃあ当然のことだ」と、先生がごく当たり前のように返した。
「分かってもらってて嬉しいよ。
じゃあどうぞ祭司さん、十分気をつけて――」
その時、奥の方からガサガサバタバタと数人が走って来る音がしてきた。
姿を見せたのは若い4人の男女だった。
男1人を男と女が両脇から抱え、残りの女が真っ先にこちらに走って来る。警吏が素早く閂を下ろして鍵を締めた。
「開けてっ! あけて! 出してっ!」
明るい栗色のポニーテールの娘が、格子を掴んでガチャガチャと鳴らした
俺がつい閂に手を出しそうになったのを、門番がさっと片手で止めた。
「ダメだ! 安全を確認してからだ。怪我していようとすぐには出せねえ」
「そうだ、こいつら不法侵入者だ」
急にすぐ横で声がしたので振り返ると、先程の気配を消していたもう1人の警吏が姿を現していた。
「見ろ、こんなのを塀に残していやがった」
そう言って右手に持った束ねた縄梯子を突き出した。それには十字型の鉤爪が付いていた。
「それっ、それが無くなってたからすぐに出られなかったんじゃんかっ、あんたが盗んだのねっ! この盗人ぉ!
おかげでショウが蛇に噛まれちゃったのよ、どうしてくれんのよぉ! 早く開けなさいよぉ!」
具合悪そうな男を支えていたカーリーヘアのブロンド娘が、いきり立って警吏を罵倒した。
だが後から現れた警吏は冷ややかに返した。
「じゃあ尚さら開けられねえな、お嬢ちゃん。
お友達はウォーカーになる可能性大って事だよなぁ。それじゃ絶対に外には出せねえぜ。
出るときゃあ動かねえ、まともな死体になってからだ」
「お願い、絶対に迷惑掛けないように皆で見張るから。治療師さん呼んでぇ!」
ポニーテールの娘が嘆願する。
「頼むよぉ。毒消しが効かなかったんだ。こんな事あんのかよ~?!」
仲間を地面に下ろしながら、シルバーアッシュヘアの若者が泣きそうに眉を歪めた。
「あの、なんとかならないんですか」俺もつい口を挟んだ。
「無理だね。それに悪いが、こいつらが門の傍にいる間は扉は開けられねえよ。アンデッドを野に放つリスクはおかしちゃならねえからな」
門番として至極当然なのだろうが、なんとももどかしい。
――なんて思ってるだけじゃ解決しない。
「この、結界が、いやまず手が入らん」
横では先生がしゃがんで格子の間から手を入れようとしていた。
だが格子の幅は狭く、先生のぶっとい手が甲の途中までしか入らない。
「先生、仕方ないから ―― 行きますか?」
俺は屈んで先生にだけ見えるように、中と右を指さした。
「お? おうさっ!」
さすが先生。俺の意図をすぐに分かってくれた。
警吏たちは俺たちが急に横に離れていったのでちょっと怪訝な顔はしたが、すぐに諦めたと思ったようだ。
また門の方へ向き直ると、彼女たちにギャアギャア言われながらも淡々と諭していた。
「とにかくそいつを墓石でも樹でもいいから、動けないように縛り付けとけ。
それでお前らはコレで( と、煙を出す香炉を向ける)四半刻経っても変わらなかったら出してやるから」
「ふざけんなっ! 仲間を見捨てろって言うのぉ!?」 荒ぶるブロンド娘が叫ぶ。
彼女きっと戦士系だな。
俺たちはグルッと壁沿いに回ると、彼らから見えない所までやって来た。
俺に転移能力があるのはギルドにバレて以来、親しい人にだけは教えている。
何かあった時に説明なしですぐに使えるからだ。
「結構(結界が)頑丈だが、いけるか兄ちゃん? また変なとこに出たりしないだろうな」
先生がちょっと不安げに言う。
「ええ、今度は大丈夫です。短い距離ですし」
結界は対死霊用だけでなく、対魔・動物用でもあるので見えない厚い壁となっている。柔軟性もあり、力任せに押しても圧縮されるように硬くなるのだ。
質は違うが、あのタムラム村の焔よりも強度は高いかもしれない。
だが今の俺ならいける。
念のため壁の向こう側を索敵したが、近くに敵はいないようだ。
ただ、人と一緒の時はタイミングに注意する。
「3つ数えたら行きますよ。それでは 1 ,2 ,3 ――」
どずっ ――
俺たちは無事に壁の内側へ跳ぶことが出来た。
一瞬にして空気が変わる。冷たく湿った土の匂いだ。まるで苔むした洞窟に入ったみたいだ。
足元の土はぬらぬらとした黒土で、ただの土臭さではなく、酸っぱく強い腐葉土の臭いが漂っている。何が腐っているのかは想像したくない。
すぐに門の方へ走る。
「あっ!? あんた達、いつの間に――」
「「「エッ?」」」
警吏が扉越しに、若者たちも驚いて振り向いてきた。
「すいませ~ん。門からじゃないですけど、でも許可は貰ってますから」
ダッと、縄梯子を持っていた警吏が左側に走って消えた。
「あ、足場なんか残してないですよー」
なんか申し訳ないが、こっちも背に腹は代えられなかった。
「どこを噛まれたって?」
先生がサッと、門の前に横になっている男の前に屈みこむ。
意識が朦朧としているのか、高熱に浮かされたように唸っている。時折ビクビクと痙攣も起こり始めている。
顔色は血の気が引いて真っ白だ。
「右の爪先ぃ。草の下から急に飛び出して来て、あっという間だったんだよ。
でもちゃんと毒消しをかけたのに、効かないんだよぉ」
おろおろとアッシュヘアが同じ事を繰り返す。
「こんなとこに閉じ込められてたら誰でも助からないわよ、治療もさせてくれないなんて」と、ブロンドカーリーが警吏を睨む。
こんな事には慣れっこなのか、警吏は軽く肩をすくめるだけだ。
「まて、それは本当に蛇だったか? なんか別のもんだったんじゃないのか?」
先生がショウと呼ばれた若者の右足を見ながら言った。
彼の右足は靴下ごと脱がされていたが、その指と甲は痛々しく青紫色に腫れあがり、ズボンをめくるとそのまま足首から膝にかけて、太い青筋の血管がドクドクと脈打ちながら浮き上がっていた。
凄まじい毒だ。
「わかんない、咄嗟だったから。ショウが急に叫んで、見たら青白いワームみたいなのが地面に引っ込んでくとこだったの」
ポニーテール娘が目をキョドキョド動かして言う。
「わかった。お前さん達、ちょっと危ないから離れていてくれ」
先生が両手を横に広げながら俺の方に目配せした。
「はいはい、君たち、先生の邪魔になるから少し動こうね」
心配そうなアッシュ男とグズグズしているポニーテールを、横の番小屋の前まで促し、まだ文句を言っているブロンド娘の腕を掴んで引っ張った。
「 ティメ⤴ ディメ⤴ ダァ→ アネシアス ―― ( 意味:かしこみ かしこみ 女神アネシアス様――) 」
先生がアクアマリンの数珠を巻いた右手をショウの頭に、そして左手を足に当てながら祝詞を唱え始める。その手がユラユラと光り出した。
やっぱりただの解毒治療じゃないようだ。
「ねえ、たすかる? ショウ助かる?」
ポニーテールが泣きそうな顔をして訊いてくる。
「(多分)大丈夫だよ、先生に任せておけば。それよりさっき言ってた解毒剤ってどこで買ったの?」
「え、フツーに大通りに昔からある店だよ。路地裏の怪しげな店じゃないし、みんないつもフツ―に買ってるし」
アッシュ髪の若者がそう言ってショルダーから小瓶を出して見せた。
解析:《 一般的毒消しポーション
*毒対応度:67/860
調合元:マイルズの店 …… 》
(* これは860種の毒に対して約67%効くという意味。 どちらの数字も多ければ多いほど万能度が高くなる)
「これって……普通の毒消しだよね」
「そうだよ、結構高かったんだぞ。ここに来るんで奮発したんだ。なのに効かないなんて変だろ?」
若者は納得いかないようだ。
「いや、そうじゃなくて、買う時にちゃんとここに来るからって見繕ってもらったかい?
もしかしてただ、毒消しをくれって言っただけなんじゃ」
「そんなどこそこに行くなんて、いちいち店に言う? 訊かれたけどプライバシーじゃん」
「いや、まずね、ここにアンデッドが出るってことは知ってるよね? それで閉鎖してるんだから」
「当たり前でしょ、あたしらそれを退治にし来たんだから」
腕を組んでいた気の強そうな娘が会話に加わる。
「だからこうして昼のうちに来てるんじゃない。悪霊は陽の下じゃ出ないし、ウォーカーが元気な夜に、のこのこ入るなんて馬鹿のやることでしょ?」
なんだか人を小馬鹿にする言い方がイラっとくる。
しかし俺は大人なのでここはやんわり言おう。
「そうだね、確かに奴らは嫌光性らしいから。
だけど絶対に昼間は出て来ないとは限らないだろう? 直接陽の当たらない物陰に隠れているかもしれないし、それにこんな天気だから、少しの間なら外にも出て来る可能性もあるんじゃないのかな」
悪霊とウォーカー以外の存在の事は飲みこんだ。
所長の話だと、ウォーカーと悪霊が出たという事は、公な伝聞として広く伝わっているそうだが、後から発見された事実については伏せられている。
余計な混乱を招くだけだからという理由だそうだが、そのせいでこうして事態を軽んじる者も出て来るのではないのか。
「相手はアンデッドなんだから、噛まれたらただじゃ済まないのは分かるだろ。猛毒(黴菌)を持ってるのは知ってる?」
「だからこうして毒消しを用意して来たんじゃないの」
ちょっとバカにしてる? と言いたげにブロンド娘が片眉を上げる。
「それって、もっと高い毒消しじゃなくちゃ効かないってこと?」
横から不安げにポニーテール娘が言う。
つい溜息をつきそうになってしまった。
俺も他人のことは言えないが、こいつらやっぱり中途半端な知識で動いてるようだ。
「あのね、毒って言っても色々千差万別だし、種類が違うといくら高いやつでも効かないんだよ。
アンデッドに噛まれた人もアンデッドになりやすいっていうのは、毒だけじゃなくて呪いが感染するからなんだよ。
だから浄化作用のある毒消しとか、解呪出来る聖水じゃないと効かないんだ」
エ……ッ?! 3人がみな目と口を開いた。
おいおい、こんな他所から来てる俺だって知ってることだぞ、地元ピープルたちよ。
とはいえ地元だからって何から何まで知っているとは限らないか。俺だってハンター試験の為に勉強して知った知識だしなあ。
それにしてもそんな事を知らずに現場に突撃するとは、彼らハンター駆け出しなのか。Fランクが来るような案件じゃないぞ。
「ええと、ちょっと失礼かもしれないけど君たち、まだハンターとして日が浅い感じ?」
すると3人はお互いに顔を見合わせた。
「……でもさ、おれら、ちゃんと成人してるし」と、アッシュ男。
ん?
「そうそう、あたしだって先月でなったし」と、ポニーテール娘。
え!
あらためて観察すると体つきこそ大人びているが、確かにみんなまだ幼さの残る顔つき。装備も腕に厚手の布、足に革の切れ端を巻き付けた、いかにもその場にある物で見繕ったような代物。
マントやコートの下に硬い胸当ての1つくらい、身に着けているのか怪しいレベルだ。
いや、それよりもこいつら、ハンター登録してないどころか、15,6歳かよ!
偏見で見ちゃいけないが、世界は自分を中心に回っているというか、どんなことでも自分なら出来ると本気で思える年頃なのか。
それはとても素敵な感覚なのだけど、軽い躁状態のように危険に不注意になりやすい。
冒険と死は背中合わせという現実を、頭では知っていてもまだ肌身に感じてはいないのだろう。
「ーー ザンッ!! ーー」
その声に皆して先生の方に振り返った。
ショウが大きく仰け反った後に、一気に力が抜けたように倒れて動かなくなった。
同時にその体から青紫と黒、汚い赤を混ぜた毒ガスのようなモノが漏れ出てくると、そのまま空中に拡散せずに地中に吸い込まれていった。
「ふぅ~、なんとか間に合った。魂まで浸食されてなくて良かったぜ」
先生がどかりとその場に座り込んだ。
「ショウ!」
3人がすぐに駆け寄る。
「先生、お疲れ様です、これ」
「ん、すまんな」
俺はポーションを先生に渡した。
これは体力回復に魔力を追加したブレンドタイプだ。
ちょっと安めば自然回復する程度かもしれないが、現場では常に万全の状態でいたいので速攻で元気になってもらう。
「……ぅんん、なんだ、なんでおれ、こんなとこに転がってるんだ……?」
意識を取り戻した若者ショウが、みんなに抱き起こされながら不思議そうな顔をした。
「良かった、よかった!」
「ほんとに、もう死んじゃうのかと思った。ほんとに脅かさないでよねぇ」
「……おい、お前ら、まずは祭司さんに礼を言うもんだろうが」
格子越しに警吏が押し殺すような声を出した。先程確認しに行った警吏もすでに戻って来ていた。
そこで初めて気がついたようで、少女達はぎこちなくめいめいが礼を言ってきた。ショウは記憶はないが、とにかく助けられたというのは分かったようで頭を下げた。
するとそこへ格子の間をすり抜けて、モクモクと煙が風もないのに横になびいて入って来た。あの香炉の煙だ。
それは呆気に取られていた若者4人のまわりをぐるりと囲った。
「エッ なに?」
「なんだよ、これっ かっはぁっ!」
「ゲっほぉっ、煙いっ! やめろよぉ」
みんな咳き込みながらてんでに手で振り払い逃れようとするが、煙はまさに纏わりつくように離れない。
「いいからそのまま大人しくしてろ。それ吸って変化しなけりゃ出してやるから、少しくらい我慢しろ」
警吏が扉の向こうから指示をする。いつの間にか警吏は4人に増えていた。
「良かったなあ、お前たち。成人してるならちゃんと大人の処罰対象にしてやるよ。それで満足だろう?」
その言葉にあらためて若者たちが何か言おうとするが、煙を吸い込んでまた咳き込んだ。
う~ん、ちょっと可哀想な気もするが、まあ仕方ないなあ、と見ていたら先生に袖を引かれた。
さっさと行くぞと奥を指さす。
「祭司さ~ん、すぐに戻って来てくれよなあ。あと半刻もすれば日が暮れる。そうしたらおれ達も手が出せなくなるからなあ~」
奥に急ぐ俺たちの背中に警吏が声を投げた。
「さっきのヤツだがな、兄ちゃん」
先生が足早に辺りを見回しながら険しい顔を向けてきた。
「ありゃあウォーカーじゃなくて、おそらく ”グール” の仕業だよ。ただの呪われた死体のとは厄介さが違うわ」
グール――言わずと知れた死肉を好む魔物だ。特に人の死肉を好み、墓場を荒らすことから俗名”墓荒らし”とも呼ばれている。
ゾンビ・ナイトウォーカーなんかと混同されやすいが、少なくともここでは全く違う代物だ。
特徴として本能だけで動くウォーカーと違い、狡猾な知恵を持っているのが厄介なところ。
罠を見分けて避けたり、待ち伏せしたりする。一部では姿を変えて人を誘い込んだりもするという。
おそらくロブはこのグールにやられたのだろう。理性のないウォーカーがやったのなら、参列者たちがやって来た時に隠れたりせずにずっと齧り付いていたはずだ。
悪霊が出てきた際に、一緒に煉獄の狭間からグールも這い出てきたのだろう、というのがギルドの見解だった。
ただこの事は僧侶や一部の警吏にしか知らされていない。
先生はうっかり急襲を受けないよう、樹の傍や草が濃いところは避けていく。
それにここでの墓標は石畳のブロックように平らで低く、おまけにヒビが入っている物も少なくない。
また、投げ捨てられたスコップや鍬などが、枯草やデコボコした土に見え隠れしているので、うっかり踏まないように注意しなくてはいけない。
そしてどっちの墓荒らしの仕業なのか、それとも何かが抜け出してきた跡なのか、ところどころに穴ぼこが開いていた。
「ううぬぅ……、こりゃあ想像以上に手強いぞお」
先生が鼻に皺を寄せながら言った。
「俺もそう思います……」
弱気とかでなく、本気でそう感じた。
臭いもそうだが、まず空気が濁っているのがわかる。足元から立ち昇って来る、悪臭を放つ霊気のせいだ。
あきらかに体温を奪っていく吹雪のように、命を縮こませる悪意の波動に満ち溢れている。
護符も気力も低い者が長く居たら、身体を壊すくらいじゃ済まないだろう。
おまけに何やら低い唸り声や、ブツブツ呟くような声、または啜り泣きに似た音が、周囲のあちこちから聞こえて来るのだ。
まるで3Dサラウンドでホラー映画を見ているようだ。これが俺1人だったら絶対に秒で逃げ帰っている。
だがそれよりも気持ち悪かったのは、何と言っても地面の下に覗えるねっとりした存在たちだった。
それは地面より数メートル下辺りか、手足を抱えて丸くなっているようであり、また粘菌類のように不定形でゆっくりと湿った土の中で蠢いていた。
まるで何か得も知れぬ怪魚が息を殺して潜んでいる池の、薄く張った氷の上を歩いている気分だ。
探知で探らなくても何となく感じられるのは、おそらく危険対象として第六感が働いているのだろう。
これらがスライムだったらどんなに良かったことか。あらためて探知で触りたくもない。
それらは時折、大小5つの窪みをつけたりと変化するのだ。
あたかも人の顔のように。
やがて少し小高くなった先に、褐色の墓標らしきモノが見えてきた。
その頭上の雲は更に嵐の中心のように重く暗鬱な色をなしている。
「待て、止まれ! この先に行っちゃいかん」
先生が俺の前に慌てて手を出してきた。
だが言われなくても俺は一歩たりとも足が出なかっただろう。
何しろいきなり射貫くような激しい悪意を浴びて、俺は久しぶりに怖気立って足が竦んでしまったからだ。
うねる髪のごとく曲がりくねった黒く変色した枯木を背に、その慰霊碑は斜めに立っていた。
元は真っ直ぐだったはずが地震のせいで傾いたのだろう。
ただその足元の地面の窪みは、揺れのせいだけではあるまい。
探知せずとも俺にも視えた。
その赤錆だらけに変色した鉄製の墓標のところに、半分の人影がユラユラと暗い陽炎のように見え隠れしていた
その輪郭からおそらく女だろうと思った。
斜めに倒れかかった墓標の後ろから身を乗り出し、目はこちらをジッと見据えている。
一見遠くの蜃気楼のように心許ない姿なのに、どろどろと憎悪を放つその目の闇だけは、地獄の業火そのものの激しさだった。
これが悪霊ビアンカとの初めての出会いだった。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
どうか次回もよろしくお願いいたします。




