第274話 『疑問』
「まったく……、ほんとに勘弁してくれよなぁ」
あらためて服を着て執務室に現れたハルベリー先生に、俺は再度頭を下げた。
「全くもって申し訳ありません……」
禊の邪魔をされたどころか、ナタリーにまで毛ガニみたいな素っ裸を見られて、さすがに先生も不機嫌さを隠さなかった。
ナタリーも秒で飛び込んで来たところをみるとすぐ外に待機していたんじゃないのか。
あれから結局関係が進展してないようだから、何とか機会を窺ってたのかもしれないが、ホントになんてタイミングなんだか……。
「まあ詫びというわけじゃねえが、これでも引っ掛けて機嫌直せよ」
謝るトーンに全く聞こえない物言いで奴が出してきたのは、お代わりに出されたデカンタだった。
ありゃ、持って来ちゃったのか。
「むぅ~、言っとくが俺は酒くらいなんかでなぁ……(チラリと琥珀色の液体を見る)
まあ確かに酒も御神水だしな。ひとまずこれで禊のやり直しとするか」
そう言うと先生、いそいそと戸棚にグラスを取りに行った。
『(ヴァリアス、よりによって禊を邪魔するのはやり過ぎじゃないのか。水の女神様だって良い気はしないだろ)』
俺は先生がグラスを持って来る間に、テレパシーで奴に問いただした。
いくら使徒だって清めの儀式を邪魔するのはマズイだろう。
『(心配いらねえ。ちゃんと浄化は済んでる。それにこれはマーレの奴が頼んで来たんだ。
ハルベリーを連れてけってな)』
『(えっ、リブロマーレ様が? またなんで――)』
そこに先生がグラスを3つ持って戻って来たので中断した。
「おおう、やっぱ旦那の持って来るのは上等だな。そこら辺の安酒とは質が違うぜ」
美味い酒を飲んで少し気分を取り直してきた先生。俺もすぐにお酌をした。
もう早く酔って忘れてもらおう。
「で、俺の意見が聞きたいって、どんな案件なんだい?」
デカンタの中身が残り4分の1くらいになった頃、先生がやっと話を聞いてくれる雰囲気になってきた。
ついアドバイスが欲しいと言ってしまった。
やらかした直後に一緒について来て欲しいなんて言ったら、即断られると思ったからだ。
俺はひとまずオットー所長から聞いた話をした。
受諾契約にサインはしたが、外に喋ってはいけないとは言われなかった。
うっかり忘れていたのか、俺が急いてその機会を逃したのかわからないが、まず先生なら他言はしないだろう。
先生はふと眉をひそめたり、所々聞き返し確認しながらも話を遮らずに聞いていた。
ひと通り伝え終わると、軽く息を吐きながら艶のある頭をポリポリと掻いた。
「ちょこっと聞いただけでもおかしな話だな」と先生は言った。
「え、ぇえ、まあ 依頼料からして高額過ぎですしねえ」
そもそもアップの仕方が異常だし、こんな上がり方するのは絶対ヤバい案件だ。
「まあそこもそうだが、それよりも色々妙だろ。
まずなんで『土』の教会が対処してないんだ?
だって事の起こりは『土』の神がらみなんだろ。別の神派がやれないわけじゃねえが、まずは『土』んとこが最初に出張るもんじゃないのか」
あ、確かに!
そうだった。所長から聞いている話では、清めや浄化は全て『光』がやっている。他の教派の話はどこも出てこなかった。
さっきまでテンパっててよく分からなかったが、そこに違和感があったのか。
なんだろ、あの町に『土』の教会はないのだろうか。でもそれなら他所の町から頼んで来てもらう事も出来るだろうに。
「それに神に生贄を捧げたって点もどうも納得がいかねえ。
俺は『土』の信徒じゃないから絶対とは言えねえが、まず神がそんな生臭いモノを要求するとは思えねえんだよなあ」
「えっ、そうなんですか?」
その発想はなかったな。
何しろ隣りにいる神の使いを名乗る奴は、バリバリの酒肉好みなのだ。
それに言っちゃなんだが地球より後進的文化背景にあり、尚且つ魔法絡みで神様と近い関係を持つこの世界なら、そういう行為も神聖視されているのかと思っていた。
時代背景や文化が変われば、野蛮な行為も正義になるのかと。
だがチラっと見た奴はただニヤニヤしているだけで、肯定しているのか皮肉交じりなのか分からない顔をしていた。
「兄ちゃんとこ(国)じゃそうなのかい?」
先生がやや不快そうに片眉を上げた。
「あ、いやその……、昔はそういう因習もあったという話だけは聞いたことがあって……。じゃあやっぱり忌まわ……、よくない事なんですね?」
「うんまあ、他人を助けるために自らを差し出すという御霊なら、神もその意を汲んで受け取って下さるかもしれないがなぁ……」
するとヴァリアスが口を挟んで来た。
「どうせ神と精霊の区別もつかねえ連中のやった事なんだろ。どんな儀式をしたのかも怪しいもんだぜ」
「いや普通無理だろ、神様と精霊の区別なんて。そんな高次元な存在の見分けなんか……」
そこまで言って先生に振り返った。
「出来るんですか?」
ハルベリー司祭が肩をすくめてみせる。
と、奴がまたしれっと言ってのけた。
「それにちゃんと飼育した家畜に比べたら、人肉なんてさほど旨いもんじゃねえからなあ」
そんなプレデターな発想もないわっ。てか、あんた、やっぱり喰ったことあんのかっ?!
最期の一杯を飲みかけていた先生も思わず咽た。
「ゲホッ ホオォッ……、ま、まぁ……、ともかくなんで慰霊碑跡から悪霊が出て来たかって事なんだよ。だってちゃんと鎮魂してるんだろ?」
「だと思いますけど……」
詳しくは聞いてない。
「だが実際、良くねえもんが出てきたってことだな」
そう先生はむふぅと口を尖らせた。
「ん、そういや、その町が出来たはいつだ? やっぱり400年以上は前のとこか」
「すいません、そこまで聞いてないです。そこも重要ですか?」
その慰霊碑がどれだけ古いかがポイントなのだろうか。
「うん、まあそりゃあ、いや、中途半端な憶測でモノを言うのもなんだしなぁ……」
最期の方の言葉は何故か飲みこんだように聞こえた。
「とにかくこれだけの情報じゃ、大したことは言えねえや」
「じゃあ先生、一緒に見に来てくれませんか」
誘うチャンスだ。
「おいおい、俺をその面倒くさそうな案件に巻き込む気かよ」
先生が渋い顔で返す。
「大体浄化なんか出来なくても、旦那の覇気で封じ込めくらいできるんじゃねえのか。
そこら辺の僧侶よりずっと霊氣あるだろ、旦那は」
「オレはあくまでコイツが憑き殺されない程度にサポートするだけだ」
ヴァリアスがソファの背に両腕を持たせかけながら言った。
「それに3,000万ぐらいでオレが加勢しちまったら、他のSSの連中にメンツが立たねえだろ」
その言葉に先生がちょっと口を開きかけてまたつぐんだ。
最高ランクのSS――その前のSランクとは1ランク差とはいえども天と地ほどの違いがある。
彼ら(もしくは彼女ら)は気が向かなければ、いくら大金を積まれても話も聞かない。もちろん安売りもしない。
ただ気持ちが動くと、子供の差し出したちゃちな鉄のブレスレットだけで、小さな村を大洪水から守ったという噂もある気まぐれな奴ら。
とにかく3,000万というのは大金ではあるが、SSへの報酬としては微妙であり中途半端な額なのだ。
「そうなんですよ、こいつは当てに出来ないんですよ。だから先生、力を貸してください」
もうここはストレートに頼むしかない。
「う~ん、だけどなあ、俺みてえな俗っぽいのよりもっと力になれそうなのが地元にいくらでもいるだろうに」
先生いまいち乗り気じゃなさそうだ。
すると隣りのマフィアが助け船を出してきた。
「そんなの関係ねえだろクソオヤジ。蒼也がお前に来て欲しいって言ってんだ。それでいいじゃねえか。
何も無料でなんざ言っちゃいねえ。
手伝うんならそれ相応に礼金は出すっていう話だ。そうだろ、蒼也」
「うん、はい、そうです! もちろん絶対にお礼はしますからお願いしますよ、先生!」
「それにこれはいい副業になるぜ。今オヤジんとこ、まとまった金がいるんだろ?」
なんかヤクザが良からぬ仕事をやらせる流れそのままなんだが、これには先生も唸りながら撫でるように頭に手をやった。
教会には現在お金が必要だったのだ。
昨年、中庭の女神像の湧き水が、神の祝福のおかげで天然の心の癒し水に変化した。
そのおかげで今まで貧窮に喘いでいた教会に、少なくない一定の収入が入るようになった。
これまで貧しき者たちに優しく正直にやって来たことが、やっと報われたと思われた。
が、現実はそう簡単なものではなかった。
安定した収入が約束されたと同時に、今まで中央教義会という教会の総本山から送られていた助成金が停止となった。それどころか逆に上納金を払わねばならなくなったのだ。
生活保護から一気に納税者に一転したという訳だが、それでも以前よりはプラスになるはずだった。
けれど支出もそれなりに増加した。
昼の施しで提供する食事の内容が良くなったせいか、他所の区からもわざわざやって来るようになった。昼メシ目当てに読み書きを習いに来る子供たちもだ。
また季節は冬。体調を壊す者も多くなれば施療院で使う薬草代もかさんでくる。
そこにイーファが金物屋の娘と婚約した。
師であり親代わりの先生としては、まとまった持参金を持たせてやりたいし、夫婦が新たにアパートで暮らすために妻帯者手当も上乗せしたいと考えている。
そこでまた、知人の治療師のところに出張医としてバイトに力を入れている状況だった。
俺も今でも治療の勉強で世話になっているので、授業料としてそこそこ寄進しているのだが、有ればあるだけ施しにまわしてしまう。
まるで『幸福の王子』の二の舞になってしまいそうで、老婆心ながら先生にそんな話をしたことがある。
すると先生は「俺がそんな聖人なわけねえだろ。金箔どころか世俗の垢ならいくらでも付いてるけどな」とビール片手に笑っていたが。
さて束の間唸っていた先生だったが
「とりあえず見に行くだけ行ってみるか。ただし転移するのは魔法陣を使って正確にな」
本当は俺のせいじゃないと言いたかったが、とにかく事にのってくれたのは有難い。
行くと決めたら先生の行動は早かった。
カスペルに簡単な出張セット――ドクターバッグのように口が大きく開く革鞄に何やら小道具を入れた――を用意させ、自身は司祭の服である踝まである長いチュニックに着替え、ひざ丈のマントを羽織ってきた。
ナタリーに近日の予定を確認して司祭代理を頼む。
「今朝の儀式でだいぶ使っちまったから、今用意出来る聖水はこれくらいしかねえなぁ」
と、鞄から小瓶を取り出してやや不安そうに言った。
そこへさっきの今で急に出張する旨を聞いたナタリーが、納得いかずに文句を言って来た。
「先生、施療院の方はどうするんですかっ?! 明日も帰って来ない気ですか」
「軽症者は始めからイーファに診させろ。コニーも簡単な処置くらいなら出来るだろ。
大丈夫だよ、そんなに留守にするつもりはないから」
「でも1人で悪霊祓いなんて危険過ぎですよ。私も補佐につきます」
「それこそ駄目だろぉ」
先生が慌ててナタリーを押し止めた。
「助祭のお前以外、誰が司祭代理を務めるんだよ」
ムッと頬を膨らませた彼女を宥めるように先生が言った。
「心配するなよ、この旦那も一緒なんだぞ。こりゃヘタな祓魔師より頼りになるってもんだろ」
「まあそうだな。最悪手足を取られても魂と子種だけは守ってやるよ」
「このバカァァァ~ッ!! 聖女の前でなんてこと言うんだよっ」
男同士ならただのシャレも、彼女の前で言われて目を剥く先生。カアァァァー と、本日二度目のフル赤面をするナタリー。
だが、さすが気の強さも聖女、さっきより顔の痣が分からなくなるほど真っ赤っ赤になりながら言い返した。
「ダメですっ! 五体満足で返してくださいっ!」
聖堂で水の女神様に無事を祈願してから中庭に出る。
奴がそこに魔法陣を出現させた。草がなぎ倒されて芝生にミステリーサークルが出来あがった。
もちろんこれはフェイクで実際はヴァリアスの転移力で移動するのだが、これに先生が眉をしかめた。
「一時的に草が寝ただけだ。時間が経てば元に戻る」
魔法陣にしゃがみ込んで芝生に手つく先生を見て奴が言った。
「いや、そんなことよりもこれ、出現場所がどっかの室内になってるぞ。まさか直接町中に繋いでないか?」
魔法式を使用する転移方法の場合、跳ぶ前に魔力をちょっぴり流して行先の確認する事が出来る。
俺も確認してみると、見た事のあるソファと壁掛けが視えた。さっきまでいたギルドの応接室だ。
「マズいだろー、これ。いくら今誰もいないからって――」
「駄目だろ、まず税関通らないと。不法侵入になっちまう」
困ったような顔で振り返る先生にハッとした。
そうだった。
本来は町の出入りに必ず門を通らなくてはいけないのだ。
もう俺も奴の影響で一般常識がおかしくなってきているようだ。
***
跳んだ先は門や街道から離れた市壁の北側だった。
時刻は午後3時過ぎ。陽が短い季節とあって空は先程よりもどんよりと重く、今にも振り出しそうな気配に見える。
だが雨雲ではないようだ。
「ふぅむ、確かにあちこちに浄化の痕跡があるなあ」と、先生が辺りを見回しながら言った。
そう言われて足元を良く見ると、枯草や黄土色の土の上に微かに砂粒くらいの光がラメのように散っていた。
これはあの行列が通っていたところか。
大きくないとはいえ、町ひと回りを祈るどころか浄化しながら歩くのは相当な力がいる。その為に幾つかのグループで行っていると聞いた。
そうしてそれを毎日行わなければならず、とんでもない費用が掛かるせいで根本的な悪霊退治という依頼に回す財源が足りなくなってしまったと、オットー所長が苦々しそうに言っていたのを思い出した。
ふとここで俺は別の違和感というか疑問に気がついた。
町の存亡が懸かっているのに、ギルドはなんでもっと本格的に動かないのだろう。
個人的な案件ならいざ知らず、ギルドはその土地を管理する役目がある。
町自体が危険に晒されれば、軍隊のごとくハンターを召集してでもまず事を処理するはずなのに。あのタムラムでの事件だって、隣町のギルドが動いたのだ。
それにここの領主は一体何をやっているのだ。
まさかまたザザビック子爵みたいに吝嗇家って事なんじゃないだろうな。
「じゃあ、その墓地とやらを見に行こうぜ」
ふいに先生の声で考えが打ち消された。
「え、今からですか?」
「だってその為に連れて来たんだろ。それとももっと暗くなってから行くかい?」
「いや、それは……」
「そうだ、嫌なことはとっとと先に済ませた方がいいぞぉ」
ヴァリアスも面白そうに言う。
「じゃあ、お願いします……。
確か墓地の方角は北門から左に逸れた――」
「あっちだろ、もう聞かなくても何となく感じるよ」
先生は特にどす黒い雲が澱むように上空に浮かぶ丘の方を見据えると、さっさと歩き出した。
うぅ、覚悟を決めろ、俺。
もう先生を巻き込んでるんだから、俺がちゃんと率先しないと。
俺も速足ですぐに先生の横に並んだ。後ろからヴァリアスの奴がのんびりついて来る。
黄色い枯れ草混じりの丘を越えると前方に、斜めによぎるように伸びていく剥き出しの地面の筋――街道から伸びる小径に突き当たった。
墓地に続く道だろう。
共同墓地続きという頻繁に人が通る道ではないが、それなりに墓参りする者はいるだろうにやたらと窪みや小さくない石が転がっている。
元々訪れる人が少ないのでほったらかしなのかもしれないが、これなら野っ原を突っ切った方がまだ歩きやすい。
これは後で聞いた話なのだが、こういう人気のない墓地の墓守は毎日いるわけではなく、埋葬があった時とか定期の掃除のためにだけやって来るパートタイム制らしい。
仕事は穴掘りだけでなく、埋葬がある前の晩には墓地に泊まる事もあるそうだ。
埋葬は基本、午前中に行われるので最短次の日としても一旦霊安所に遺体を保管する。
富裕層は教会など神に一番近い場所に安置されるが、一般庶民は墓地に設置されている安置所となる。
それを管理するのも墓守の仕事だ。
ロブは40過ぎの独り者で本業は鞣し職人をしており、主に獲物の皮があまり回って来ない冬にこの副業をしていたらしい。
この日も地震のせいで階段から足を踏み外し首を折った酔っ払いが出たと、仕事の連絡を受けて出かけていった。
次の日の朝、埋葬のためにやって来た司祭と見送り人たちが、出迎えに姿を見せないロブを訝しみながら墓地内に入った。
ロブは仕事はちゃんと終わらせていたようで、遺体の明後日の方向に曲がった首は正しく戻され、汚れた体は拭いて白い貫頭衣に着替えさせてあった。神に会う時に息が臭くないように口にはハーブが入っていた。
ただ一晩中点けってあったらしき蝋燭だけが、溶け切って消えていた。
やがてロブは墓地の奥、倒れかかった慰霊碑の前で倒れているのが発見される。
その首は空を大きく仰ぎ過ぎたように、逆さまになっていた。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
そうして活動報告にも書きましたが、
以前からこの第4章で最後にすると言ってましたが、結局終われませんでした(;´Д`A ```
最終エピソード前のこの話もまた長くなりそうなので、結果第5章として分けることにしました。
一体いつ終わらせられるんだろう。まだまだ迷走中です。
こんな状態ですが、宜しければこれからもご笑覧お願いいたします。




