第252話 『脱出』
オッサンの顔がみるみる赤く、額に血管まで浮き出してきた。
そんな怒り心頭のオヤジとは対照的に、まわりの男達は青い顔で慌てだした。
「こ、ここで焼け死ぬのをじっと待つより、そっちに賭けたほうがいいんじゃねえのか?」
「そうだ、入らねえことには罠かどうかもわからねえし」
そこへ赤鬼が怒鳴る。
「バカ野郎っ! それじゃこいつの思うツボじゃねえかっ!
もしかすると向こうに、あの狂暴なアクール人の野郎が待ち構えてるかも知れないんだぞ!」
それを聞いてまたみんなが少し引き気味になった。
「そんな事するつもりなら、とっくにやってるよ! こんな回りくどいやり方するか。
俺達は本当にこの異変の調査と助けに来たんだ」
俺も負けじと大声になる。
みんな助かりたくないのかっ。俺は女だけでも連れてくぞ!」
せめて罪のない彼女達だけでも助けたい。
「ぬっ、それがてめえの本音か?」
オッサンの眉が奇妙に曲がる。
「ウチの女どもに目をつけるたあ、良い度胸してやがるぜ」
怒りを抑えた変な笑いを口元に浮かべてきた。
「いや、違うっ、間違えた。俺は可哀想な女たちだけでも助けたいだけだ」
慌てて弁解したが、急にまわりの空気が白けばんだ。
あ~~っ、今度は女目当てのテロリストになったのか?!
すると、1人の男が提案してきた。
「じゃあどうだろう。
ひとまずおれが入って確認して来る。それで無事に向こうに着いたら、この相棒を寄こすってのは?」
さっきのトカゲの飼い主だ。
「お前がか」
オッサンは険しい顔のままだが、黒い霧は引っこませた。
そうして、ふうむと髭を掻きながら思案顔になる。
「待てよ。女と老人が先だぞ」
俺も再び食い下がった。こいつ、自分が真っ先に助かりたいだけじゃないのか。
「一番目ってえのは勇気がいるんだぜ。それに穴から這い出すのに補助がいた方がいいんじゃねえか」
男が自分の胸に親指を立ててみせる。
う~ん、それもそうか。
また同意を求めるように男が村長の方を見た。
オッサンも渋い顔ながら頷く。
「よし、じゃあ出るからみんな、下がってくれ。言っとくけど何かしようとしたら痛ったい電気をお見舞いするからな」
俺はワザと自分の前にバチパチとスパークを飛ばして見せた。
男達がさささっと牢屋の外に出ていく。
オッサンだけが右側の壁に移動した。
俺は邪魔にならないように途中に落ちていた壺を拾うと、ゆっくりと穴から出ると左側の壁に寄った。
「あんた、必ずそのトカゲを寄こしてくれよ」
あらためて牢の中に入ってきた男に声をかける。
「ああ、もちろんだ。そっちも手出しするなよ」
そう言って男は警戒しながらも中に入って行った。
牢の外の男達と中のオッサンが固唾を飲んで見守る中、俺は穴の外と中、両方に探知で警戒を怠らず緊張しっぱなしだった。
そこへあの赤い鶏冠トカゲが、音もなく滑るように穴道を走り戻ってきた。
外に無事に出られた証拠に、口に葉っぱをくわえている。
グッジョブだ!
俺はやっと力が抜ける思いだった。男がもしかすると裏切るのではないかと、ちょっとだけ頭の片隅にあったからだ。
だが安堵の声を上げたのは、牢の外で待つ男達も同じだった。
「やったぜっ! これで逃げられる」
「よっしゃあ、じゃあ早速――」
「待てまてっ! お前らっ!」
オッサンが武器ごと両手を広げてまた怒鳴った。
「お前らは最後だっ! まずは女どもが先だ」
そうして牢屋の外に顔を出すと、上に大声を張り上げた。
「プッサン!! 女たちを連れて来いっ。脱出するぞ!」
その横顔はまだ怒りの余韻が残っているとはいえ、冷静に判断を下すリーダーの顔つきだった。
こちらを振り返ったオッサンは、悔しそうに口をへの字に曲げながら言ってきた。
「言っとくがな、おれはまだてめえを信用しきったわけじゃねえ。こいつは緊急避難だ。まずはみんなの命が優先だからな。
とっちめるのはその後だ」
苦々しそうにボリボリと乱暴に髭を掻いた。
とっちめたいのはこっちの方なんだが。
怖々と女たちが、プッサンと共に階段を降りてきた。
ゾロゾロと牢の前にやって来た女たちを見て、入り口に立ったオッサンが落ち着いた声で指示を出す。
「よし、それじゃまず若いのと年寄り2人で組め。若い奴は老人を支えてやるんだ。
みんな出来るな?」
老人で体力と気力が弱っている者を先に行かせると、後が詰まってしまう。
かと言って元気な奴を先に行かせると、残りの老人同士では頼りない。
ここはバランス良くというところか。
さっきも言ったように内部は、大人2人が並んで通るには窮屈だが、斜めになって支えくっつき合ってる分には通れるはずだ。
まだオロオロしている女たちを見渡すと、オッサンはその場でてきぱきとチームを組ませ始めた。
「ジョアンはベラと、キルラはヒルダとだ。リン、ミランダは足が弱い。お前が抱えてやれるか?」
「任せて」
リンと呼ばれたライオンヘアーの獣人の娘が頷いた。
一組一組、間を置いて女たちを中に送り始めると、プッサンに今度は裏庭にいる者を優先に、外にいる男達を全員役場の中に入れるよう指示をする。
それは今朝のあのだらしなさの微塵もない、頼れるリーダーの姿だった。
あんたもやっぱり村長なんだな。ちょっとだけ見直したよ。
とはいえそんな年寄りは少ないので、メイとイブリーンが一緒になった。
俺の方にメイが「お客さん、また後でね~」と投げキスをしてくれたので、俺も小さく手を振り返した。
マチルダはロンドの女将さんと一緒だった。
「気をつけて」と言葉をかける間もなく、顔に手が触れるや熱くキスされてしまった。
「ありがとう、信じてたわよお」
そう言って女将さんを連れて穴を潜って行った。
俺はというと、突然唇を奪われてちょっとしどもどしてしまった。
そんな俺を横でオッサンがジト目に片眉を上げて見てくる。
「違うぞこれは。別に彼女たちをたぶらかしてたわけじゃない」
ヘタに協力者と思われても、彼女たちに迷惑がかかるし。
アレッ?!
「てめえが女に弱いって事だけはわかったよ」
いつのまにかオッサンが俺のすぐ右横にいた。その太い腕でガッチリ腕を掴まれてる。
しまった! 今のでつい注意散漫になっていた。
しかも銭形のとっつあんよろしく、あっという間に俺の両手首に素早く魔封じの手錠をかけていた。
手枷には鎖が伸びていて、オッサンのベルトに下がった太い輪っかに繋がっている。
「絶対に逃がしゃしねえぜ。てめえは大事な人質でもあるし、俺と最後まで残ってもらうからな」
声を低めて睨んできた。
俺も動揺を悟られないよう、つとめて落ち着いて返した。
「逃げないよ。俺だってあんたに聞きたい事が山ほどあるんだから」
いざとなればまた、先程のようにブーストしてこの手錠を焼き切ってやる。
だから逆に今はこの魔封じ錠に護符から直接魔力が流れないよう、抑えるのに注意した。
「ふんっ、そりゃあこっちのセリフだ。だが今はお預けにしといてやらあ」
そう言い捨てるとオッサンは入り口側にいる男たちに、そろそろ老人たちを寄こすように伝えた。
それからまだ残りの女たちが牢に入ってきたが、穴のそばにいる俺の方を見て、なにやらみんな怪訝な顔をしていく。
やはり余所者で手錠でオッサン刑事と繋がれている俺は、犯人にしか見えないよなあ。
それに人前で手錠をかけられるのって、想像以上に精神的に来るものがある。
これって晒し者の刑と同じだ。
うう、本当に罪人みたいでヤダ……。せめて布か何かで隠したい。
俺は壁に向いて皆に背を向けようとした。
すると何かされると警戒したオッサンが、グイッと鎖を引っ張った。
強い力で引っぱられて、ちょっと斜め上に手を上げた格好でよろけてしまった。
そこへプッサンがひょいっと顔を出してきた。
「全員、役場の中に入りました。あと資料室にあったのはこれで全部です」
その後ろからあの獣人とドワーフが、ドクターカバンのような大きく厚手なカバンをそれぞれ持ち上げて見せた。
「ご苦労さん。お前たちの番になるまでもうちょっと辛抱しててくれ。最後まで上の警戒も怠るなよ」
「わかりました。あれ、ソーヤさん……?」
顔を引っ込めようとしたプッサンが、俺のほうを見て何とも言えない顔をした。
なんか知り合いに見られたくない。
するとオッサンが「ふん、ついてるぞ」と、太い指で顎の上を指してきた。
あっ! 俺は慌てて口を拭った。
ベットリと真っ赤なルージュが手につく。
「うぅ……、知ってたんならすぐに教えてくれればいいのに……」
もっと恥ずかしいことになっていた。
もう何十人にこんな顔を晒してしまったことか。また変な渾名がついたらヤダなあ……。
「けっ、今更そんなすっ呆けた演技しても無駄だぜ。その毒気のない面には今まで騙されてたけどなあ」
オッサンが忌々しそうに唸る。
「てめえが来たせいで……村はもうお終めえだぁ」
またオッサンの体から殺気のように、闇の霧が漏れ出してきた。
「こんな変事が起こってるからこそ、俺達が派遣されてきたんじゃないかよ。
あんただって薄々気づき始めてるんじゃないのか……」
恨めしさと気恥ずかしさで、俺は呻くように言った。
するとオッサンの目が微かに泳いだ。
「ギルドから来た他のハンター達の証言や、これまでの時間のデジャヴ、俺達の仕業だとしても辻褄が合わないんじゃないのか。
だけどそれを認めたくないから無理やりこじつけて――」
「うるせえっ、言っただろ。おれはまだお前を全面的には信用しちゃいねえ。
それにあのギルドからの文書だって偽造してたじゃねえかよ」
オッサンは指の代わりに、ピッケル型の武器を俺の顔に向けてきた。
「あれは日付だけだ。ゴディスさんがそう解析してくれただろ?
あの時点で本当の日付のままじゃ、あんた達にとっては未来から来たことになってしまう。疑われたくなかったんだよ。
まだ真相がわからなかったから」
それに対してオッサンはまだ不服そうに鼻を鳴らした。
「……その爺さんをなんで殺したんだ? 弱い老人に手ぇ上げるたあ、ハンターってのは盗賊と変わらねえんだなあ。
しかもゾルフの奴も戻って来てねえ。
あの炎にやられた可能性もあるが、実はお前たちが殺っちまったんじゃねえのか?」
ジロリと充血した眼で睨んできた。
「ゴディスさんは俺じゃない。犯人は……」
ここでゾルフだと言って信じるだろうか。
よけい胡散臭く思われる気がする。
「つまりお前じゃなくて、お前の相棒のアクール人の方がやったってことか? あの野郎ならちょっと加減を間違えただけで、老人なんかイチコロだよな。
それともアレが不慮の事故だとでも言うのか。あ”っ?」
オッサンがますます穢らわしいモノに唾を吐くように言った。
「……あんただって、罪もない鉱石商をやったんだろが」
老人の死に憤る言葉につい絆されそうになったが、すぐに思い直した。
所詮あんたも人殺しの共犯じゃないかよ。
「それにあいつは暴力のプロだぞ。さすがに加減は知ってる。
大体もしそんな事をしたら死体なんか残すもんか」
'’'’ゴツッ'’'’ と俺の頭に鉄カナブンがぶつかって足元に転がった。
イデぇぇぇ~~っ
思わず両手で頭を抱えてしゃがみ込んだ。
くそっ! 絶対この虫寄こしたの、ヴァリアスだろっ!
せっかくフォローしてやったのに、何が気に喰わないんだ。
「……ったく、あの人を殺したって俺達にメリットどころか、デメリットしかないよ。
せっかくの重要参考人だったのに……」
ひたすら頭を摩る俺に、オッサンが血走った眼で覗き込んできた。
「じゃあ誰だってんだ。爺さんは見事に頭をカチ割られてた。現場に頭を打ち付けた跡もねえ。ありゃあ絶対に事故じゃねえぞ」
あんた達だって謀殺したくせに、仲間と余所者じゃこうも違うのか。
「だからそれは……」
その時、俺の胸元がもぞもぞと動いた。
うわっ、なんだか胸をまさぐられてるようで気持ち悪い。
それからそこにいるモノはちょいの間、戸惑うように動きを止めたが、やがてセーターの下からモソモソと這い出てくると俺の首元に顔を出した。
「なんだ、岩トカゲか」
俺のチュニックがやにわに動きだしたのにオッサンも警戒したが、トカゲの顔を見て上げていた武器を下げた。
トカゲは出した顔を一瞬硬直させたが、すぐにキョロキョロと辺りを見まわすとオッサンに向かって声を出した。
『イ、イワンッ イワン! オレダヨ オレダ、ゾルフダ ゾルフダヨ』
キュイ、キュイとした小さな高い声だったが、確かにそう言葉を発したのだ。
やっぱりこのトカゲはゾルフなんだ。
あのドワーフが変えられた姿なんだと、あらためて実感した。
しかしそれを聞いたオッサンは、ちょっと目を大きくしただけで別に驚いた様子はなかった。
「おおう? こいつは岩トカゲじゃなくて、『お喋りトカゲ』だったか。ゾルフのとこのか?
あいつが伝言寄こしたのか」
お喋りトカゲというのは俗名で、簡単に言うと喋ることが出来るトカゲのことだ。
もちろん喋ると言っても会話が出来るわけではなく、オウムのように人語などを真似て喋れる程度だ。
ただ簡単な会話などをすぐに覚えて真似出来るので、使い魔としての情報伝達などに役に立っていた。
『ダカラ オレダヨ! オレガ ゾルフダ』
ゾルフトカゲはするすると俺の襟元から抜け出ると、手枷の上に乗ってオッサンを見上げた。
「ああん? ゾルフの奴、また妙な言葉教えたな。一体何のつもりだ?」
また喋ろうとして、ゾルフトカゲは自分が小さくなっただけじゃないことに気がついたらしい。
急に自分の体を眺めまわして、口をあんぐり開けた。
「……彼の言ってる通りだよ。これはあのドワーフだったゾルフだ」
どうせ信じないだろうが本当の事だし。
「ああ? なに寝言言ってんだ、おま――」
オッサンが集中するように目を細めた。
手枷の上で茫然自失しているトカゲのまわりに、ヒュルヒュルと黒い霧がまとわりだした。
闇の触手で調べているのか。
「こ、こりゃあっ、本当にゾルフなのかっ!?」
オッサンの口から思わず呻くような声が洩れた。
ここまで読んで頂き有難うございます!
真相を少しずつ見せていきたいので、結局あと1話では終わらないようです(~_~;)
(エピソードを広げ過ぎた)
ダラダラにならないといいのですが……。
ちなみにカナブンって、なぜ頭に向かってくるのでしょうか?
続けてニ回当たってきた事もあるし、絶対狙ってるだろうって感じです。
痛いし硬いし、目にでも当たったらシャレにならんですよ。
ある夕暮れ時、街中をブラブラしてて、ふっと正面に振り返ったらもう目の前にいた。
反射的に避けれたけど頬と髪を掠めていったのはホントに危なかった。
もう路上マトリックスだよ( ̄▽ ̄;)ああ恥ずかしい。




