第239話 『異変と罠』
ああ、少し遅くなりました……。
眼下に道を見ながら緑の海の上を飛ぶ。
見慣れた灰色の緩やかな岩の山脈が少しずつ迫ってきた。この山沿いに左に曲がればいい。
そこには同じく灰色の岩塀で囲まれた無人の村が見えるはずだった。
が、そこに現れたのは、赤々と空を真っ赤に染めた燃える村の姿だった。
これは、あのオーラかっ!
まだあちらに入ってもいないはずなのに、炎のように揺らぐ赤く濃い光が村全体をすっぽりと包んでいた。
その大炎のヒレは高く、頭上はるか遠くまで吹き上がっている。
まるで山火事の業火のようだ。
手前ギリギリで俺は旋回した。
なぜこちらに出現したんだ。それと向こう側はどうなってるんだ。
探知しようとしたが、やはり抵抗が強くて視ることが出来ない。
試しに転移を試みたが、押し戻される感覚があって、これも無理だった。
「なんだ、これっ。いつの間にか亜空間に入っていたのか?!」
「さあな。それは確かめるしかないだろ」
俺が思わずもらした言葉に、見えない奴が答える。
う~ん、俺達を追い出したあと、翁はまた余計な者が入って来ないように封鎖したのか?
上からならいけるだろうか。
俺は岩山に沿って上昇気流を作りながら、垂直に飛び上がっていった。
しかし山の頂き辺りまで登って、上からも無理だとわかった。
オーラは上に伸びるに従って斜めに内側に湾曲し、その天辺で完全に閉じていた。
まさしく赤い巨大ドームが出来上がっていたのだ。
目の前で揺らめく濃厚な光の帯は、まさに太陽の灼熱のフレアのような触れ難い熱を感じさせる。あの時より明らかに強くなっている。
うっかり飛び込んだら、本当に火だるまにされるのじゃないか。
そんな圧倒的な拒絶感を感じる。
しかし護符もあるし、俺はある意味不死身で、死ぬことは許されないのだ。
痛いのや苦しいのは嫌だが、ここはなんとしても戻らなくてはならない。
いっちまえっ!
防御のために身を固くするのと同じで、俺は自分の全身を纏うオーラに力を入れた。
有害なモノを撥ねつける気、気迫で勝負だ。
自分のオーラがビシビシと硬質化、鎧のように堅くなっていくのを感じる。
そうして勢いをつけて一気に炎の中に飛び込んだ。
濃密な液体の中に粘った膜があちこちにあるような抵抗感と、唐辛子付きのタワシで激しく擦られるみたいな強い刺激と痛みが全身に走る。
これはもう硫酸オーラじゃないのか。
痛っ 痛っ 焼けるっ!! やっぱりこの前よりも激しくなってる。
それとも例によって、ある程度試練を受けるようにまた護符が調整されているのか?
ええいっ、どうせ俺は死なないんだっ! 細かいことは気にすんな 俺っ!
ゴリ押しで突っ切った。
ブチブチブチッ! と何かを引き裂く感触と共にパッと視界が明るくなった。
眼下に石と煉瓦の家々の赤茶や焦げ茶色の屋根が見える。
道に出て空を見上げている人々も。
雨が止んでいる――!
見渡す屋根や地面を見る限り、止んだばかりどころかすっかり乾いているようだ。
まるで元から降っていなかったように。
そうだ、あの坑道は――
途中から石塀は、両脇を固める岩肌と同化する。そしてその奥にあの鉱山があるのだが。
高炉から吹き出す炎のように、赤々としたフレアが鉱山入り口から洩れていた。
やはり雨が上がってもオーラはそのままなんだ。
しかもこちらも更に激しくなっている。
さすがにこのまま侵入する事は躊躇われた。
あそこは外回りのオーラより一際ヤバい感じがする。まるでこの怒りの根源みたいに。
そのまま坑道前で旋回すると、再び村の中央に戻った。
空に向かって指を指したり、見上げている人々の顔には皆、驚愕の色が現れている。
皆にもこのオーラが見えているのか。
ただ不思議なのは、赤い天幕のようにすっぽりと空を覆いつくしているのに、下に差し込んでくる光は赤くないという事。
普通このような色付きのモノを通したら、その下の地面や人々の姿も赤く染まりそうなものだが、村の中は普通の昼下がりの光だった。
やはりただの光じゃないからなのか。
「ソーヤさーん」
下から呼ぶ声がした。
振り向くと役場の前で青白い顔をしたプッサンが手を振っていた。
すぐさま上空でホバリングすると、風を操ってゆっくりと道に降りた。
「ソーヤさん、どこ行ってたんですか? 探してたんですよ」
彼は俺が聞きたい事を逆に問うてきた。
「どこって……、あれから来てくれたんですか? こちらもずい分待ってたんですけど」
俺は羽を畳むと、役所の壁の方に寄って、手早くスカイバッドを外した。
「え、だって何度も部屋を訪ねましたけど、誰もいませんでしたよ。念のために入らせてもらいましたし」
「部屋? 2階の? 地下じゃなくて??」
「地下ぁっ?! 何ですかっ まさか……そこにいたんですか?!」
プッサンが思わず大声で言ってから、慌てて辺りを見回して声をひそめる。
彼の話では、俺が役場に戻った時に村長がいないので、部屋で待つと言って階段を上がっていったところまでを見たという。
まずそこから記憶が違っているのだが、その後お茶を持って行ったが返事がない。
それからしばらくして、外が騒がしくなったので出てみるとこの有様だった。
怖くなった彼は、再び2階のドアを叩いたが物音一つしない。役場に俺以外いないので、悪いとは思いつつ中に入ると部屋は空っぽだった。
それでこうして外と中を行ったり来たりと、あたふたしていたという訳である。
オッサンはあのまま戻ってないのか。
「いつの間に出てたんです。それよりさっきの地下って、……下に降りたんですか?」
また周りを気にしながら小声で訊いてくる。
そんなに気にしなくても、他の人達はそれどころじゃなさそうだ。
何しろ皆、この日中に現れた赤いオーラの膜に、驚き慄いて空を仰いでいるのだ。
いや、空以外にも互いの顔を見合って慌てふためいている。
お互いの酷く窶れた姿に今更ながら気付いたようだ。
しかも歩こうとしてヨロヨロと、道に座り込む者もいた。その病人然とした姿同様、明らかに体調を崩している。
傍らでおたおたしているプッサン自身も、青白くコケた頬と青黒い大きな隈を作っていた。
「あの、プッサンさん。『ノッカー』って知ってます?」
俺は彼の問いに気付かないふりをして、いきなり訊いてみた。
「えっ? ノッカー?? 何です、いきなり……」
彼はそれこそ豆鉄砲を喰らった土鳩みたいな顔をした。
空気を読んでないのは百も承知だが、こちらも気が急いているのだ。知らなければあの老人に訊いてみるまでだ。
「あのノッカーがどうかしたんですか?」
「あのって、知ってるんですかっ?!」
あまり期待してなかっただけに、今度は俺の方がびっくりした。
「だって、ここら辺で『ノッカー』と言ったら、鉱山の小人のことでしょう?」
あーーーっ そうかっ!
俺は大馬鹿だった。
以前やっていたファンタジーRPGにも、『地』系列の妖精として出て来る結構ポピュラーな存在にノッカーがいた。
ゲームでは比較的序盤に出るレベルの低いキャラだったし、俺は同じレベルの可愛い女の子の姿をしたピクシーを仲魔にしていたので、あまり覚えていなかったのだ。
翁は森の精霊だ。
だから森の動物や鳥、植物関係かとばかり考えていたが、精霊→妖精繋がりだったんだ。
『ノッカー』はその名の通り、岩を叩いて人に鉱脈を教えたり、落石を警告したりと、気の優しいところのある鉱山に棲む妖精だ。
こちらでも同じく鉱山にいるのなら――多分これは間違いなさそうだ。
「とにかくさっきの地下室の件は――」
色々考えを巡らしている俺に、焦れるようにプッサンがまた地下室の件を尋ねてきた。
「今はそんな事よりこの事態の方をなんとかしないと!」
俺はわざと大きく手を横に振ると、はぐらかす為に急きたてた。
「まずは村長を探しましょうよ」
「あ、ああ……、村長ホントにどこ行ったのやら……」
落ち着きなく手をすり合わせている彼の背中を、そこは勇気づけるように軽く叩く。
「私も探しますから、プッサンさんも心当たりをあたってください」
まだ何か言いたげだったプッサンを残し、俺は村の中を駆けだした。
あちこちの家や建物から人々が外に出て、上を見上げたり隣人の姿に驚きどよめいている。
食堂にも結構な人が来たが、あらためてこれだけの人たちがいたのか。
村の様子を見るために通りを走っていくと、あちこちでパニックで騒ぐ声や物音が建物の中からもしてくる。
その中でも気を引いたのは
「なんだこりゃあ、泥じゃねえかっ!」という声だった。
立ち止まると、そこは1階が食堂になっている宿屋だった。声はその食堂横の厨房から発せられていた。
探知すると、2人の男が樽や麻袋の中を覗いたり手を入れて戸惑っている。
中には赤土や小石、それに混じってプチトマトのような赤豆がちょこちょこと顔を出している。
今まで誤魔化されていた食料の幻覚も無くなったようだ。
一体翁は何を考えているんだ。
呪いを解くわけではなく、こうして幻術だけ解いたのか?
俺が舞い戻って来た事くらい、勘付いていそうなものだが文句を言いに現れないな。
それともそれが元でこの状況を招いたのか?
ホントに人でない者の考えてる事はよくわからん。
しかしまだまだ全貌を知るには、手がかりが足りない。始めから理解できないと諦めるのは早計だろう。
何かしら彼らの理が、この事件の流れを作っているようだから。
それと、森の精霊にこんな行動を起こさせた原因が……。
中央の通りを門の方に向かうと、騒ぎ混迷する怒号が聞こえて来た。
「どういうこったっ! 説明しろよっ!」
「何だってんだよっ なんで門を開けねえっ?!」
門の前に混乱した人々が集まっていた。
「だからぁっ、とにかく開けたらヤベえってんだよっ!」
その中に大声が響いてきた。
人混みでわからないが、探知で視ると獣人が1人で対応に追われていた。
彼は確か今朝、俺たちの監視役で廊下に転がって寝ていた男だ。
「目ん玉ついてるんだろぉ。これが見えねえわけじゃねえだろがっ」
門の前で、群衆に向かって獣人が手振り身振りで必死に宥めようとしている。
もちろん村の壁の上から赤い炎が勢い良く立ち上っている。そうして人々もこれが見えないわけではない。
しかしパニックになっている集団は、たった1人の門番の声なんかには耳を貸さない。
「ざけんなっ! 見えてるから言ってんじゃねえかよ。こんなとこに居られるかってんだっ」
「そうだ、ヤバいんなら逃げなくちゃなんねえっ」
「早く門を開けろっ。でないとアレが入って来て、おいら達蒸し焼きになっちまうかも知んねえっ!」
その言葉が民衆の恐れを煽った。
ドドッと人波が門扉に押し寄せる。
「だ、駄目だっ! やめろぉ~~っ」
一般的にヒュームよりも獣人の方が力は強い。
だが、この圧倒的な人数の暴力の前にはジャン・バルジャン並の力も子供と一緒だった。
たちまち大勢に壁に押さえつけられた獣人を尻目に、ガタゴトと乱暴に閂が外されていく。
俺もこのままどうなるのか、暴徒の民衆の後ろでつい、成り行きを見守った。
ガラゴロンッ 地面に閂が落ちて転がされた。
一番先頭でせっついていた男が、僅かに開いた隙間に体を滑りこませようとした。
「アッギャアァ~~ッ!!」
ブワァッと深紅のベロが男を舐めまわした。
外を覆っていた深紅のフレアが、まるでバックドラフトのように一気に伸びてきたのだ。
一瞬にして火だるま状態になった男が、砂利石の上を転げまわる。
すぐさま凍り付いた人達は、今度は炎を押し込めるように扉を閉めると、大慌てで落ちていた閂を拾い上げた。
だが、パニックになった集団がバラバラに閂をあちこちに動かすので、なかなか鎹に入らない。
そこへ戒めを解かれた獣人が掴みかかるように棒をぶん取ると、慣れた手つきで手早く閂をかけた。
「だから言ったじゃねえかっ! ヤバいんだって」
扉に押さえつけるように両手をつきながら、獣人の門番が言った。
「さっき俺っちも覘いてみたんだ。危うくそいつと同じことになるとこだったよ」
そう言われた強烈なオーラで焼かれた男は、顔や手が赤く爛れ呻きながら転がっていた。
そんな大火傷をしているのに、服には一切の焦げ跡もない。
まさに肉体だけを焼いていた。
「は、早く、イーサンんとこへっ」
俺も駆け寄ろうとしたが、ワラワラとみんなが倒れた男の手足を持つと、すぐにこちらに向かって来たので納屋の壁に避けた。
そのまま5,6人が村の奥へ通り過ぎていったが、まだ門の前では混乱し狼狽した人達が20人以上は残っていた。
もちろん中にイワンのオッサンはいない。
まだ翁に操られたままなのだろうか。
念のため『索敵』してみた。
索敵は探知の一種なのだが、索敵の方が探知よりも的を絞るせいか広範囲に広げることが出来る。
もし翁に妨害されたら引っかからないだろうが。
すると意外と近くに、オッサンの気配を感じ取った。
それはこのすぐそばの厩舎、今朝市場を広げた場所である。
こんな近くにいたのか。
俺は厩舎に駆け込んだ。
中は半分辺りまで開きっぱなしの戸口から光が差し込み、明かりを灯さずとも薄明るい。
今朝片付けられたままの壁際に掃き寄せられた藁の山に、オッサンがだらしなく仰向けに寝そべっている。
操られたことを知らなければ、酔いつぶれていると勘違いしたほどだ。
傍に行って解析してみたが、別に異常は見られなかった。
泥酔してるかのように、イビキをかいてただ眠りこけている。
「おっさ……、村長、イワン村長」
俺はそのゴツイ肩を揺すった。
始めは優しく、段々と首がグラグラ動くほど激しく揺すったが、オッサンは目を覚まさない。
なんだ、これはやはり傀儡にされた影響なのか。
以前、ナタリーが奴隷商に隷従の首輪をつけられ、昏睡状態になった事を思い出す。
しかし俺の解析だと異常なしなんだよなあ……。
わからないのは俺の力不足のせいかもしれないが。
ちょっと考えたが、ここは一発、荒療治を試してみることにした。
相手は女子供でも老人でもないし、ましてや俺より頑丈な体躯なのだ。
少しくらい手荒な真似しても大丈夫だろう。
軽くスタンガンをかけようと思った。
始めは心臓や頭から一番離れたところ、足から表面だけビリッとする程度に流した。
反応なし。
二度目は少し強めに。ピクリともしない。
じゃあ腕にやってみようか。同じようにやや強めに流す。筋肉が分厚く多いから流れやすい。
駄目だ。動かないな。
どうしたもんか。これ以上電圧を上げるといくら電気量が少なくても、火傷させそうな気がする。
もっと敏感に反応するところがいいのかもしれないが、内蔵系は危険だし……。
ふと、オッサンの太い腹を見た。
う~ん、男として一番敏感なところって――
……まあ、損傷が出ない程度に試してみるか。
我ながら酷いと思うが、何故かオッサンにはあまり容赦する気が起きなかった。
俺はオッサンの大事なところに軽くスタンガンをしようとした。
その時、顔を動かした俺の目の隅にチラリと見えたものがあった。
それは奥寄りに積まれた藁山の隙間からはみ出ていた。
黒っぽい厚手のタイツを穿いた、か細い老人の足首。
――ゴディスさんっ――!!
俺は慌てて走り寄ると藁をどかした。
駆け寄る前に探知でわかった。
老人はこと切れていたのだ。
その体はすでに、まわりの空気同様に冷たくひんやりしていた。
「ゴディスさん……。一体誰がこんな事を……」
俺は汚れた藁から老人を出して床に横たえると、そばに両膝をついた。
老人は頭をカチ割られていたのだ。
解析しなくてもこれが致命傷だと分かるほどだ。
そんな……せっかく息子さんと同居するのを楽しみにしていたのに……。
つい先日知り合ったばかりの他人だが、なんだか胸が詰まってくる。
こんな力もない老人をやったのは誰だっ!!
あの翁かっ?! それとも人間か!?
だが解析しても犯人までは分からなかった。ただ死亡したのは約40分程前。
俺と別れてから数時間も経っていないだろう。
あらためて悔しい思いが込み上がってくる。
俺は老人の薄く開いた瞼をちゃんと閉じてから、タオルを水で濡らして顔から血糊を拭った。
そうして腕を胸の前で交差させてやった。
「絶対に俺があんたを殺した犯人を突き止めてやりますよ。だから迷わずにいってください」
傷さえ無ければ、老人の顔が穏やかな寝顔になった気がした。
頭を垂れて静かに祈ろうとした。
突然、パアッと辺りが明るくなった。
誰かが打ちこんだ光玉が、頭上から鋭い光を投げてきた。
夜行性の目を持っているわけでもないが、一瞬強い光に目の前が真っ白になる。
続いてこちらに怒鳴る声。
「お前っ 何やってんだっ!? 村長と、そっちはゴディスの爺さんじゃねえのかっ!」
戸口の方に何人かが凸凹とした人影を作っていた。
そのうちの1人、ずんぐりとした図体の影が一歩踏み込みながら再び声を上げてきた。
「てめえが殺ったのか、この異人野郎っ!」
ゾルフが目を爛々と怒らせてこちらを睨んできた。
後ろにいた獣人も牙を剥き出しにする。
しまった――!!
気付いた時には、戸口にいっぱいの人の顔が覗き込んでいた。
これは罠だっ!
俺は殺人者にされてしまった。
いつも読んで頂き有難うございます!




