第216話 『消えた村 その2(誓約)』
町に近づくにつれ、街道を行き交う荷馬車や箱馬車が横を通り過ぎていく。
門の上の弧を描いたサインプレートに『ジャール』とあった。
それが目指す村の隣町の名だった。
身分証を取り出そうとして、ふと考えた。
このハンタープレートを見せると、当たり前だが俺がどういう人間かが分かる。
つまり俺がSSの相棒だと発覚する。
そうすると、それなりのヨイショした待遇が待っているわけだ。
俺の実力でもないのに。
「この町に来た理由は?」
門番が俺の出したプレートを見ながら、既定の質問をして来た。
「仕事です。ギルドに用があって」
俺はハンターギルド発行のではなく、魔導士ギルドのプレートを見せていた。
魔法使いももちろん、ハンターギルドの依頼を良く受けるから全然おかしくない。
それに今のところ、ハンター登録と魔導士登録が紐づけされていないのか、それともハナから俺だけなら相手にされてないのか、門番が何かに気付く気配もない。
まあそれなら好都合だ。
俺だけの力で、どれくらい通用するのか試してみたい。
教えてもらった大通りを歩きながら、珍しい生き物を見かけた。
それは背中に大きな籠や荷物を括りつけた、黄土色とオレンジの縞の大トカゲだった。
コモドドラゴンよりも大きく、顔はややカメレオンに似て、大きなエメラルドグリーンの目玉を左右に動かしている。
尻尾はもともとなのか、それとも邪魔だからか、途中からすっぱり切り落とされたようになかった。
その断面にはターバンのように、布が巻いてある。
荷物だけでなく、2人乗りの鞍で人を乗せるモノまでいる。もちろんみんな馬方ならぬ、御者が手綱を引いていた。
この町は山沿いにあるせいか他の町よりも坂が多く、階段も数段のものから長いものまでがあちこちに点在する。
幅や傾斜も広くて緩やかかと思うと、隣に並ぶ階段が急だったり、まちまちだ。
そういった細かい段差の違いは、馬よりもこういった8本足で重心の低いトカゲの方が移動に向いているのかもしれない。
ここではこう言った荷馬代わりの大トカゲを『ロック・ポーター』と言っていた。
そのロック・ポーターが2頭、玄関横の係留ポールに犬のように待たされている3階建ての灰色の建物、それがハンターギルドだった。
受付で依頼書を見せ、受諾したいので詳細が聞きたい伝えると、係の男が『少しお待ちください』と席を立っていった。
目で追うと、カウンター奥の席に座っているちょっと偉そうな中年男に話しかけた。
案の定、その男が少し面倒くさそうにこちらにやって来る。
「魔法使いさん、1人でこれを受ける気で?」
プレートを返す返す見ながら訊いてきた。
俺1人じゃやっぱり頼りないと思われるのか。
「でも『エキスパート』級はこちらでいうCランクですから、妥当ですよね?」
能力を証明するために『魔法認定書』を見せた。
その認定書のある部分に、男が目を止めたのがわかった。
「探知に長けているのですな」
それからこちらにと、カウンター右側の壁にある部屋に案内された。
中は3畳ほどの小部屋で、ソファとテーブルしかなかった。
「失礼。あまり漏らしたくない情報もあるのでね」
カウンターのあるホールには、簡単だが仕切りで区切られた椅子とテーブルがあるのに、わざわざこちらに誘ったのは、やはり理由があった。
一旦外に引っ込んで、お茶ではなく、何か角形のボードや書類などを持って戻ってきた。
「その前に、これから言う話を迂闊に人に話さないと誓えますかな?」
依頼課主任ニコルスと名乗った、小太りの中年男は、やや前屈みに俺の目を覗き込むようにしてきた。
「もちろん、神に誓えます」
お父さんにだけど。
そこでまず教えてくれたのは、この調査に当たって、合計9人のハンター達がすでに調査に行っていること。
最後のパーティは8日前だが、全員Dランクの4人組だった。
村に到着直後、役場のファクシミリ―を使って、無事に着いたこと、村に誰もいないことなどを簡単に連絡してきてそれきりになっているという。
「私が聞いているのは、15日前に行ったパーティが音信不通と聞いてますが」
「それは2番目の調査隊ですな。
本当は28日前に別のハンター達に、村の様子を見て来てくれるようお願いしたのです」
それはこのギルドに馴染みのD1人とE2人の3人組で、たまたま仕事を探しにやって来たところだった。
65万で村の調査をするのをなら悪くないと請け負っていったそうだ。
もちろんそれなりにやる事はあるが、魔物相手より気楽だと。
なのに3日経っても、戻ってくるどころか連絡一本寄こさない。
彼らのうち1人はテイマーで、飼いならした鳥が伝書バトのような役割をするハズだった。
「それが未だに行方知れずという事なんですね?」
「そうです。
7日経っても何の連絡も寄こさないので、あらためて調査案件として依頼を起こしたのです。
それで15日前にDランクの2人組を雇いました。
通常は鉱石ハンターをやっている者で、仕事柄その村にも行ったことがあったようなので、80万でお願いしました」
「その方達も連絡なしと……」
そして8日前にDランク4人組みが、115万で雇われてやはり音信不通。
ふと思った事を率直に訊いてみた。
「ちょっと失礼な事を言いますが、契約を一方的に破棄したとかいう可能性はありませんか?
違約金を払いたくないからとか。全員とは言いませんが」
忘れていたが常時依頼ではない、このような調査依頼などには、同じ調査結果が重複しないように請負人を一度に雇わない。
人の命に関わる救助も同じく、時間が重要なので期間が設けられていたりして、それを過ぎると失敗とみなされ違約金を払わなければならなくなる。
それは案件によってバラバラだが、報酬金が大きければ比例して違約金も高くなる。
「絶対とは言いませんが、まずこの程度の違約金惜しさに逃げるとは思えません。
そんな事をしたら、ハンターギルドの登録は永久抹消です。信用を失いますからね。
そのような者に大事な依頼は任せられません」
一発免停か。結構厳しいなあ。
でも命を預けるような依頼もあるのだから、これは当たり前なのだろうか。
「それにですね、9人のうち6人の状況はわかっています。
何しろ彼らの生存を示す登録書が黒く変化したのですから。
なので少なくとも6人は、契約違反ではないという事です」
何とはなしに想像していたが、やはりそうなのか。
登山などで遭難した時のように、安否不明という考え方じゃないんだ。
こちらでは『帰って来ない=危険な状態にある=生きていない』という図式が直で当てはまる。
つまり、これは思ったより危険度のある任務という事なんだな。
ズイッと主任がクセ毛ながら薄くなったおでこを突き出してきた。
「こういう状況です」
落ちくぼんだ紺色の目が、下から見上げるように俺を見てきた。
「失礼ですが、C相当とはいえ、さすがにお一人では危ぶまれます。
宜しければウチから護衛出来る者を見繕いますよ。
ただ報酬はその者と折半になりますけれど」
ギルド的営業をかけられた。
「いえ、それには及びません」
他の人と組んだらそれこそ意味がない。
しょうがない。形だけでも奴を使うことにしよう。
「実は私には相棒がいまして――
奴はAランクの傭兵なんですが、ちょっと野暮用で後から来ることになってるんです。
だから心配無用です」
「Aランクですか。
それは頼もしいですが、それでは逆に額が低すぎやしませんか?
もちろん多少の増減には応じられますが、それほど変わらないと思って頂いたほうが」
主任が渋い顔をしてきた。
値を吊り上げる交渉をしてるとでも思われたようだ。
「いえ、大丈夫です。
あいつは気まぐれなので、金ではあまり動かない奴なので」
「――傭兵なのに?」
ヤベッ、変な事言っちまった。
「いやあの、そこが妙な男で。
変った依頼とかなら安くても受けたり、気に入らないと大金でもやらなかったりするんです」
おたおたと俺はさらに変な言い訳をしてしまった。
「むう……? まあいいでしょう。それならばお任せしますか」
ちょっと不審げに、髪の毛と同じくほわほわした巻き毛の口髭を弄りながら主任は納得してくれた。
「ではあらためて言っておきますが、この件に関しての情報はこれから一切他言無用として頂きたい。
もちろん情報を共有する、相棒の方にもこれは強くお願いしたいのです」
「それはもちろんです。依頼主の不利になるようなことは広めません」
「では、これで誓ってください」
八角形の黒いボードを俺のほうに押し出してきた。
大きさは30cmくらいだろうか。中心に透明な半円の石がはめ込まれている。
「これは?」
「ご存じないですか? 『誓約のボード』です。
もちろんお約束を守って頂ければ、なんの問題もありません」
ただ口で誓うだけじゃダメって事か。
でもこれ大丈夫なのだろうか。
正式なギルドだから、罠じゃないとは思うが……。
奴がいればすぐに聞けるのに。
いや、いつも頼ってちゃ駄目だ。
ここは自分で確かめて判断しないと。
「ちょっと見ても良いですか?」
「どうぞ。お手にとっても構いませんよ」
それは占星術などでよく見る方位盤のように、8個の角から中心の石に向かって伸びていた。
またその各8個の線で囲われたエリアには、細かい模様のような魔法式がびっしりと彫り込まれている。
魔道具なのは確かなようだ。真ん中の石は魔石だな。
俺は解析をかけてみた。
《 誓約のボード ギルド謹製
使用方法:中心の魔石に手をかざしながら誓いをたてる。
万が一 誓いを破ると *!$#&’””<<<―― 》
何故か肝心なとこが文字化けして分からない。
これは対魔法の作用。
下手に操作を誤魔化せないために張られた結界のせいだった。
「わたしがお話することより、お調べになって分かった情報を特に、外で喋らないようにして欲しいんです。
お判りでしょう?
ご依頼主の立場もありますからな」
後で知ったのだが、依頼主が有名人や今回のように貴族などの場合、秘密厳守のためにこうした誓いの儀をすることは珍しい事ではないらしかった。
「もちろん秘密をベラベラ喋るような真似はしませんが、ちなみにこれでもしも、誓約を破ったらどうなるんです?」
まさか針千本飲ますとか言うんじゃないだろうな。
拷問とかがリアルにある世界だから、あり得ない事もないだろうし。
「ああ、それはお教え出来ないんです。それを伝えてしまうと、前もって対策を取られてしまう恐れがありますからな。
いえ、もちろん貴方がそういう輩とは言いませんが」
なるほど。
しかし知らされないと、変に想像してしまってますます怖い。
まあ喋らなければいいんだろうが。
「わかりました。じゃあ誓います」
俺はボードの魔石の上に手をかざした。
「ではあらためてお聞きします。
『この件に関して余計な事を他言しない』と誓えますか?」
まるで裁判長のように尋ねてきた。
つい俺も謹んで答える。
「誓います」
シュッと、盤上の刻まれた魔法式とラインが白銀に光った。クルクルキュルキュルと盤が回転していく。
するうちに白っぽい煙が立ち上がってきた。
それが俺の出した腕のまわりをモヤモヤと包んでくる。
次第にそれは回転する台風のように、放射状に線を描く球状の形に変っていき、姿をハッキリと現した。
蜘蛛だった。
白っぽい半透明な足長蜘蛛が、俺の腕に8本の足を絡みつけていた。
口から吐いた赤い糸を綺麗に巻くように長い前脚2本を動かし、その9個の赤い目で俺の方を真っ直ぐ見ていた。
思わず手を引っ込めると同時に蜘蛛は消えた。
「結構。誓約完了です」
慣れた感じで主任が言った。
「これでソーヤさんとお仲間の方は連帯責任となります。
もちろんお仲間の方が外部に漏らしそうになった場合でも、同じく作動します」
えっ、話したらじゃなくて、話しそうになったらなの?!
なんでそういう不穏なことを後から言うんだ?
それともこれって当たり前なのか??
「では」と、ちょっと動揺している俺を無視してボードを横にどかすと、ソファに座り直した主任があらためて話しだした。
『タムラム』は鉱山のある村、鉱山があったからこそ出来た村だった。
なので住んでいる者達は鉱夫が大半を占め、残りはその鉱夫たちの身のまわりを世話する宿屋や酒場がほとんどだそうだ。
29日前の嵐の去った朝、酒屋のブンが一番乗りで、森の一本道を荷馬車に酒樽を載せて急がせていた。
この村のような肉体労働者が沢山いる場所では酒の消費量が多い。
ここ7日間は嵐のせいで、発掘した鉱石を搬出するどころか、村に食料を運び入れる事も出来なかった。
肉や新鮮な野菜もそうだが、特に酒が切れかかっているかもしれない。
早く届けてやらないと、さぞかし喉を乾かしているだろう。
そう思ってブンは、まだ雨が上がり切っていない霧のような小雨の中、荷馬を走らせた。
なので他の酒屋や農家よりもだいぶ早く村に着いた。
その頃にはすっかり雨は止んでいた。
村に着くとまず門どころか、番小屋にも門番はいなかった。
だが、扉は開いている。
ちょっと用足しか、ほんの間場を立っているだけだろう。
そう思ってのんびり待った。
が、巻き煙草を一本吸い終わっても、門番は現れない。
更に2本、3本吸っても一向に戻って来る気配がない。
そういえば、朝まだ早いせいか、村の中はシンと静まり返っている。
せっかく早く来たのに、これでは時間の無駄だ。
そう思ったブンは門番不在のまま、門を通った。
ここの門番はみんな顔馴染みだし、あとで言っておけば大丈夫だろう。
そう思って入った村だったが、どこか様子が変だった。
入った途端に、辺りが静かになった。
まわりの岩肌からまだ伝い流れる雨水の音や、後ろの森から聞こえてくる鳥たちの囁きもピタリと消えた。
いつもならこのくらいの時刻、家々の屋根から森へ戻っていく夜鳴き鳥たちの、姿どころか声の一つも聞こえてこない。
村の入り口前の広場には、荷物に覆いをかけたロック・ポーター用の荷車が置いてあったが、大トカゲも御者もいなかった。
どの家も窓や戸が閉まっているせいか、なんの物音もしない。
いくら早い時間と言っても、洗濯女たちが鉱夫の服やシーツを洗いに出て来ないのもおかしい。
とりあえずお得意の店へ行こうと、奥に入ろうとしてブンは足を止めた。
違和感の一つが分かったからだ。
そうして慌てて村を後にした。
途中、やはり村に向かってくる荷車がいたので、そのたびにブンは声をかけた。
ほとんど笑い飛ばされて相手にされなかったが、結局彼らもブンと同じ思いをして気味悪そうに戻ってきた。
ブンが気がついた違和感、それは雨が上がったばかりだというのに、地面が全く濡れていなかったという事だった。
村は大きな岩山の裾に出来ていて、石畳というより岩盤そのものを砕いて均され、砂利道の部分が多かった。
だから比較的乾きやすいところに、臆病風に吹かれて見間違えたのだろうと、その点はうやむやにされてしまったが、他の者達も誰も会わなかったという事だけは共通していた。
嵐が思ったより激しくて、みんなどこかに一時的に避難してるのじゃないか?
みんなそう考えた。
だが、誰も自分たちで確かめに行こうとは思わなかった。
「あの、まず警吏が見に行かなかったんですか?」
日本だったら、まず警察が動くだろう。だって集落単位の事件だもんなあ。
「元々、あの村には分署がないんです。発掘した鉱物を盗む奴相手に、自警団はいましたがね」
そう言われるとラーケルにも、警吏の分署と言えるモノはなかったな。
村長が駐在さん的役目を果たしていたが。
「だから何か揉め事があった場合、この町の警吏が介入することになってますが、今回は事情が違いますでしょう?」
主任がまた変った質問をする、と言ったふうに眉を上げながら俺を見た。
そうだった。
こちらの警察も事件や事故で動くが、調査はしないんだ。彼らは主に犯人を捕まえる事が仕事だから。
それでこの村の地主、領主であるザザビック子爵、サー・モルディカ・ゾフ・ガーランドが依頼主としてギルドに依頼したという事か。
しかし子爵ならそんなチマチマと値を吊り上げずに、始めからこれくらいの金額を提示してくれればいいのに。貴族様って結構ケチなのだろうか。
それともこんな村ごときに使う金を惜しんでいるのだろうか。
「そんな事はございません。
子爵様はちゃんと村の事を十分憂いておられます。
ただ、始めはわたし共も、こんな厄介な事になるとは思っていませんでしたから……」
主任のニコルス氏は、組んだ指をもじもじと動かした。
なんだか子爵の肩を持つような言い方だな。
やはり自分たちの領主様だから、無下なことは言えないのか。
この時はそう思っていたが、実はこれにはまだ隠し事があったのだ。
それは後になってわかった。
「そこで村の様子を調べて来て欲しいのですが」
さっきボードと一緒に持ってきた、書類を目の前に並べた。
書類は契約書と、最後のハンター達が送ってきたという通信文だった。
ブンが言った内容と大差ないことしか書かれていない。
ひとまず到着の連絡をして、あらためて連絡する気だったのだろう。
その後何かが起こったんだ。
「この報告以上の成果を望みます。
まず村の様子、村人たちがどこへ行ったのか。魔物の痕跡がないか。
あとこれが重要ですが、奥の採掘場の坑道がどうなっているか」
そう言って青い石を出してきた。
石は直径10㎝足らずの分厚いレンズ状の深い青色をしていて、縁まわりにグルッと銀色の金属の輪がはまっている。
前にも似たのを見た事がある。
記憶石だ。
「これで様子を収めてきてください。連続して約9時間ほど溜めることが出来ます」
つまりビデオも撮って来いって事だな。
確かに口で説明するよりその方が分かりやすいもんな。
「期間は今日を含めて3日間以内。
万一、失敗もしくは確かな発見が得られなかった場合、違約金として26万エルを払って頂きます」
報酬金の2割か。これは安いのか高いのか、他所はどうなんだろう。
でも失敗しなければいいんだから――。
「それとこの記憶石の保証金、合わせて33万エルになります。
今、現金でお持ちですか?」
「えっ?」
「もちろん魔導士ギルドバンクからの払い落とし出来ますよ。
もし足りない場合、そのプレートをカタ代わりに預かりますが」
「え、えっ?」
**************
なんだか腑に落ちない気分で、ギルドを後にした。
本来なら違約金は失敗した後に払うものだが、俺は今回魔導士ギルドの組合員として受けていた。
なので同組合員ではない――よそ者として、先に保証金を払う羽目になった。
なんだか、高額収入の仕事詐欺に遭ったみたいな感じが否めない。
いっそハンターでもあることを明かそうかと思ったが、今更だし、こんな事ですぐに正体をバラすのもなんだし……。
しかしこれが当たり前のやり取りなのか。
同じハンター組合員でもなんの実績もない者だったら、保証金を預かったりするのは珍しくないらしい。
今まで奴の威を借りて、優遇されていたに過ぎないことをしみじみ感じる。
まあ保証金は後で返してくれるし、無事にこの依頼をやり遂げればいいんだ。
俺は気を取り直して、通りに宿を探した。
時刻はもうすぐ11時に差し掛かる頃。
今日村に行くにしても、今夜の宿は確保しておきたい。
ニコルス氏に商人が泊まるような小部屋があって、比較的安価な宿を教えてもらっていた。
鉱山近くの町は、農閑期に出稼ぎに来る労働者や職人などが泊まる、ベッドのみの簡易な宿屋が多いのだが、普通の旅人や商売の交渉にやって来る商人たち相手の宿も多少はある。
そのような宿は、簡易宿の集まる通りとは違う通りにあった。
労働者たちが多く利用する簡易宿は、比較的酒場の多い裏通りに。
商人のようにプライバシーを望む者が使うような宿屋は、食堂や店のある大通り沿いにあった。
酒場も食堂も両方とも酒も食事も出すので、雰囲気だけではどちらなのかよく分からないこともあるが、目安は看板のモチーフにある。
モチーフにフォークや皿などがあれば食事がメインの食堂、ジョッキやホップの花が描かれていれば酒場という感じだ。
たまに店の名前しか出してなくて、どちらか分からない時もあるが、概ねこういう飾り看板で区別がつくようになっている。
教えてもらった宿は、大通りから1本裏に入ったこじんまりとした構えの2階建てだった。
部屋は納屋のような狭さで、ソファどころかシングルベッドで一杯で、チェストさえなかった。
天井からランプが1つぶる下がっている他、ハンガーラックがあるだけ。
ベッド下にあった、貴重品入れの木製の櫃だけが、ちょっと海賊の宝箱みたいな作りだった。
一部屋2,500エル。トイレと風呂は裏庭のみ。
風呂を利用する場合、薪代として別途400エル払うことになる。
俺自身は魔法で水を引いたり温めたりすることが出来るから、薪とかは要らないのだが、まあ使用料だな。
でも古ぼけてはいるが埃っぽさはなく、どうせ寝るだけになるだろうからここでいいか。
「お客さん、一人旅かね?」
宿帳に記入していたら、宿屋のオバちゃんが訊いてきた。
俺が鉱夫には見えないし、さりとて身分証が商人プレートでもなかったので、旅の異邦人にでも思えたのだろうか。
「いえ、仕事で来ました。ハンターギルドの」
「ああ、そっちの。こんな田舎にわざわざ来るような仕事あるんかねぇ」
「ええと、この先の――」
と、言いかけた時、すぐ耳元で何か『キチキチ』と高めな音がした。
顔を向けて思わずゾッとした。
左肩にあの白いタランチュラのような蜘蛛がいた。
あの時と同じように2本の脚で赤い糸をクルクル回しながら、少し小首を傾げるように俺のことをジッと見ていた。
喋りそうになったら作動するって言ってたけど、これはあの村の名前も言うなって事か。
「――この先の森にちょっと用があって……」
「森かえ。ここら辺は何もないとこだあよ。珍しい動物もいないし。
まあおかげで大した魔物もおらんけどね」
オバちゃんには蜘蛛が見えていないようで、普通に返してきた。
「ああ……そうなんですか。それならまあ、こちらも好都合ですけど……」
肩の蜘蛛は『チキチキチキ……』という声と共に薄くなって消えていった。
ふぅー。どうやら警告だけで済んだようだ。
何もされなかったと思う。
しかし、これじゃまるで呪いじゃないか。
本当にただの誓約なのだろうか。
仕事を無事にこなしたら解呪してくれるんだろうな。
それともまさか一生このまんま?!
なんだか急に気味悪くなってきた。
どうする?
奴に連絡して助言を訊いてみるか?
ついスマホを取り出していた。
しかしもう簡単に奴に泣きつくようで、なんか悔しい……。
あいつの小馬鹿にした牙のある口が見えるようだ。
ううむ……止めとこう。
俺はスマホをまた収納した。
ここで乗りきらないと、いつまでも自立出来ない。
これだって、確かに気味悪いが、こちらじゃ珍しい事じゃないのかもしれない。
とにかく助けを呼ぶには早すぎる。
ギリギリまで頑張ろう。
俺にも変なプライドが働いていた。
「えーと女将さん、1階は食堂でしたよね」
「そうだよ。狭いけどね、ちゃんと営業してるよ」
「じゃあサンドイッチみたいなの作ってもらえます?
外で食べれるような」
俺は早速例の村に行ってみることにした。
明けましておめでとうございます!
本年もどうか宜しくお願い致します。
(あ~っ! 町と村がごっちゃになってたぁっ! 修正しました……)
最近なかなか話がまとまりづらくなっております(汗)
が、必ず更新しますのでよろしくお願いいたします。
次回、やっぱり堪え性のない奴が登場する予定です。




