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第209話 『蒼也 重役になる』

またなんだか長くなってしまいました。

お時間のある時にどうぞ。


 秋葉原駅前から家電量販店が並ぶ大通りを足早に歩く。

 今日は祝日で人出も多いが、ここは日曜日以外歩行者天国にならないので、歩道が人で混んでいる。

 ナジャ様が人目を惹くので、立ち止まって振り向く者もいるのだが、殺し屋のおかげで比較的通りやすい。

 毎度、モーゼの十戒の海が割れるシーンを思い出す。


 目指す場所はこんな大通りではなく裏道のようで、何本目かの角を入り何度か右に左に曲がっていった。

 パーツ部品を売る小売りの店や、カレー屋の並ぶ通りからだいぶ離れて人通りもほとんど無くなった頃、あるビルの前で2人は立ち止まった。


 1階は倉庫か車庫なのか、大きなシャッターが下りている。

 横の階段脇にある会社名の表記を見ると、何やら色んな会社が入っている雑居ビルのようだ。

 そういえば辺りには店というより、会社や事務所、倉庫関係の建物が多い。

 今日は祝日でシャッターやドアが閉まっているところが多い。

 道の先に見える通りには、車や人が行き交っているが、こちらは閑散としていた。


「ここだよー、ここの6階」

 ナジャ様に言われて、また会社名を確認した。


『A・W』


「エーダブリュウ? それともアウ?」

「『アドアステラ・ワールド』だよ。分かりやすいだろ」

「……なんて安直な、いや、直球なネーミング」


 危なかった。

 うっかり神様(父さん)のセンスにケチをつけてしまうところだった。

 頭文字のみにしただけでもまだマシか。


 その下に小さな字で『ADASTRA_Co.』と書いてある。

 こっちが実際の会社名で『A・W』は施設名だという。


 奥の正面にエレベーターはあるが、そこはもちろん己の足で6階まで上がる。

 赤いパンプスを履いている少女も難なく軽やかに登っていく。

 ビルの中はシンとしていて、今日が祝日というのを思い出す。


「ええと、ちなみに今日、そこはやってるのかな?」

「いや、まだ正式に活動はしていない。本格的にやるのはこれからだ」

 奴が4段跳びで軽々登っていく。


 6階に上がると踊り場に1つだけドアがあった。

 ベージュ色の壁についている赤いドアには、小さく『A・W』とプレートが付いているだけだ。

 一体奥にはどんな異空間があるんだか。


「ほら、入るよー」 

 ドアノブに手をかけて少女が先に中に入る。

 中は8畳くらいの小部屋で、正面に半円のカウンターがあり、右手に閉められた窓とソファ、ベンジャミンの鉢植えが置いてあり、なんだか歯医者の待合室を思い出した。


「こっちだ」

 淡いミントと水色のシンプルな床と壁を眺めていたら、奴がカウンター横の青色のドアを開けた。


 入ると突き当りの壁まで、通路が一本真ん中を通り、その両側にはナンバーのついたドアが幾つも並んでいる。

 全部で10室あるようだ。


「誰もいないから、どれか覗いてみろよ」

 言われて手前にあった3番と書かれたドアを開ける。

 内部は白一色の3畳くらいの狭い個室で、突き当りにロッカーがポツンとおいてあるだけの他には何もない部屋だった。


「貸しオフィスでもないようだな?」

 窓もない狭い個室にロッカーだけで、机どころか椅子さえない。

 なんとなくそのロッカーを開けて、おっ? と思った。


 中には黒いくるぶしまでの靴と手袋、チャンピオンベルトのような太いベルトとそれに――

これはゴーグル?


「さて、ここはなんの会社でしょう?」

 ニーッと少女が下から覗き込んできた。

 スキーやスキューバダイビング用のゴーグルより、明らかにゴツイ。

 そしてこの感じ、なんか見た事がある。

 しかもここ秋葉原だし。


「もしかして……VR?」


「ビンゴ―ッ!」

「おお、今日は冴えてるじゃないか」

「だってこのゴーグルどう見ても、ソレだろうが」

 って、何っ?! 答えといてなんだけど。


「ここは我がアドアステラまで来なくても、世界を体験できる『ヴァーチャル リアリティ アトラクション ルーム』だ」

「その装備をつければ、一気にアドアステラを体験旅行出来るってわけ。

 なかなか面白いだろうー?」

「えっ、ちょっと待ってください。それが神様がやった一大事業っ?!」


「そうだ。最近はなんだ、VRなんとかが、流行ってるらしいじゃないか」

「VRMMOね」

 ナジャ様が補足する。 

「そう、そのVRゲームとかいうのを、ここでまさに全身で体感できるという施設にしたんだ。

 お前らからしたら、我が星はそのまんま『RPG』の世界なんだろ?」

 ヴァリアスは『RPG』がドラクエのような世界モノと思っているようだ。

 

「確かに一種の『RPG』の世界観だが……、

 しかし何んだそれ? 本当に営利事業じゃないか。まさか神様クラスの仕事が経営ビジネスとは……!」

 俺は絶句した。


「お前のためだよ、蒼也」

 ズイッと奴が俺の顔を覗き込むようにしてきた。

(あるじ)がお前の将来のために作ったんだ」

「父さんが?」


「お前がもしも地球籍に決めて、我々が去った後にお前がちゃんとやっていけるようにな。

 記憶をなくしたお前が大金を急に得ても危ないし、困惑するだけだろ?

 だから会社の役員にして、定期的に金を渡すことにしたんだ」

「はっ?」


「ソーヤ、おめでとうっ、お前は今日から企画部長だよーっ」

「ハァッ は、はいっ??」


 パンパンッ パパアンンッ!!

 何処から用意したのか、まわりでクラッカーや紙吹雪がいきなり出現して、急に辺りは誕生日のサプライズみたいに騒がしくなった。

 こんな狭い場所で打ち鳴らされて、音が近すぎて怖い。


 彼らの話によると、俺が始めあまり乗り気じゃなかった様子と、将来にとても絶望的だったのを父さんが心配したらしい。

 

「これからの生活費として、大金を一気に渡すのはお前の性格上危ういからな。

 絶対に誰かに騙されて、巻き上げられるのが目に見えてる」

 さも決まっているように殺し屋が言う。

「そうでなくても一般人のお前が、そんな大金を手にしたら、生活を崩壊させかねないだろー」

 なんか決めつけられて悔しいが、当たってる感じがする。


 そこで俺に継続的に金を渡す仕組みを作ることにしたという。

 職探しをしていた俺に、半永久的に失わない仕事を与えることも出来る、それが会社を作る事だったのだ。


 なんてまあ、大胆な発想というか、凄い経済力というか……さすがは創造神様。

 スケールが違う。

 どこぞの大富豪が息子のために会社設立ってありそうだが、まさかそれが自分の身に起こるとは思わなかった。


「オレ達にも感謝しろよ。

 この日本進出プロジェクトのための許可取りで、オレがどれだけこちらの反対勢力(悪魔)と戦ったと思ってるんだ」

 奴が開け放した戸口に、通せん坊するようにもたれかかりながら言う。

「ケケケ、何言ってるのさー、ヴァリ―。お前さん暴れられるから喜んでたくせに」

「フン、どうせやるなら仕事は楽しくやるべきだろ」

 どう転んでも楽しいんじゃないのか、あんたは。


 どうやら前にヴァリアスが、しばらく行方不明だった頃関わっていたプロジェクトというのが、この件だったようだ。

 日本に進出を許可する代わりに、地球の神界は奴らに戦さに参加させたのだ。


「ちゃんと主はお前の事を考えておられるんだぞ」

 奴が頭を叩いてきたので、俺はそれを払いながらもちょっと胸が熱くなった。

「うん、お父さん、有難うっ!」

 俺は天井を仰ぎながら感謝した。


「だけど、最近お前、こっちでも仕事は順調のようだし、ハンター業も身を入れてきたから、報酬は無しだけどな」

「えっ?」

「だってそれは、あくまでもお前が地球籍になって、あたい達と縁切りする場合の話だもん。

 収入がそれなりにあるなら、やる必要はないだろうー?」

「そうだ、我々はあくまでお前の自立を優先するからな」

「え? ちょっと、ええっ! ちょっと待ってくれよ、それじゃ、その企画部長ってのは――?!」


「安心しろ。そのポストはちゃんと残しておく。名前だけだけどな」

「それって名前だけ役員ってことなのかあ……?!

 でも普通は、勤務実態がなくても役員報酬とかあるのに、本当に名前だけっ!?」


 それに少女が手をヒラヒラさせながら答える。

「大丈夫だよー、ちゃんと追加される住民税と所得税分くらいは支給するからさー」

(架空の役員報酬が加算されるので、支払う税金が高くなる)


「当たり前だろ。ウチはそんなに甘くないぞ」

 当たり前じゃないかと言わんばかりに、奴が少し呆れたような顔をした。


 てんめぇ~~~っ! 人を喜ばせておいて、突き落とすような真似しやがって。

 それじゃただの節税対策に名前使われただけじゃねぇかよっ。

 始めから名前だけって言えよなぁ~~!


「いいじゃないか、最近こっちで別の職を探してたんだろー?」

「――なんでそれを! ナジャ様、もしかして俺の頭の中読みました?」

「そんなことしないよー。あたいはプライバシーはちゃんと重んじてるからねー。

 ただ、少し、こっち(日本)の運命の天使に様子を聞いただけだよー。

 お前がどうやら結婚に向けて、正規雇用を探してるってねー」

 

 だぁ~~~っ!! それは立派に侵害してますってっ! 

 クソッ 地球の天使たち、俺の個人情報を勝手に流すんじゃねぇよっ。


「でもこれで一挙解決だろうー? 

 彼女にさ、こうした会社の役員してるって言えば、収入の出処の言い訳にもなるじゃないかー」

「そりゃまあそうですけど――」

 ……うん、まあ、それもそうか。


 確かに名前だけだし、それで報酬まで得るのはやっぱり欲深過ぎるのか……。

 それにおかげで体裁をつくろえそうだし、これは探す手間が省けて、逆に有難いということか。


「そうですね……。やっぱり何もしないで報酬を得るわけにいかないし、名義を作ってもらっただけでも有難いことかも。

 しかしだったら、部長なんて大役じゃなくて、ただのヒラでも良かったのに……」


「まあいいんじゃないのか。どうせ人間の社員はお前だけなんだし。

 それに主の息子をただのヒラのままにさせといたら、他の天使どもがやりずらいだろ。

 だから肩書きをつけたんだ」


「――そんな、そんな大勢を使うような、一大プロジェクトになってるのか。

 俺のためにどんだけ――なんか申し訳ない」

「気にするな。蒼也、それにこれはお前だけのためだけじゃないぞ。

 これは我がアドアステラのためのプロジェクトでもあるんだ。

 実質的に地球進出への第一歩なんだよ」


 地球の天使たちが管理するという、ドバイにある天界貸事務所に本籍を置くアドアステラ・カンパニ(ADASTRA_Co)ーは、今まで実際には活動はおこなって来なかった。

 これまで使徒たちの渡航の際の身分証明のためだけに作った、いわゆる幽霊会社だったからだ。


 しかし今回のプロジェクトで、実質的に地球に事業を展開することになった。

 それがこの日本での会社設立だった。


「へぇー、それがVRアトラクション……。でもこれ、1回いくらでやってくんだい?

 起業資金なんかかなりかかるだろうし、それ回収できないと……」

 10室部屋があるが、満室に出来たとして、何時間いくらでやるんだろう。

 もしもウケなかったら大変な赤字になりそうなんだが。


「大丈夫だ。元々、人間相手の方は気にしてない。これはあくまでただのカモフラージュだからな。

 我々の真の客は別にいる」

「え、じゃあ誰相手に……ん?」

「そう、お前が考えた通り、ここ(地球)の天使たち相手だよー」


 あの日本橋の換金所で聞いた、地球の天使たちにもRPGが流行っているという情報を得て、ストレートに仕掛けたのだ。


 俺にはわからないが、この場にはもう1つのルーム空間が重なっているらしい。

 それこそが天使たち相手の本当の『A・W』店舗。

 すでに先行プレミアム体験会も済ませており、まだ3分の1の大陸が入れないのと、100m以下の深海が出来ていないなどの問題点が上げられたが、概ね高評価だったようだ。


 わざわざ渡航しなくても、ここで他所の星への旅行が出来る。

 それにアバターのように、ステイタスやスキルは好みで設定できるらしい。

 観光するもよし、冒険するもよしの自由度の高い旅人となれる。

 何かを作ったり、物を売ったりする商人のような生活モードは残念ながら無いが、それでも神々の力による、真のリアリティを実現した、まさに神業の体感ゲームアトラクションとなった。

 手袋とゴーグルだけの、視界と振動のみの疑似体験どころじゃないのである。


 しかも仮想空間なら、普段は倫理観からやご法度の、傍若無人な破壊行動も許される。

 一種のストレス解消にもなるようだ。 


 他の先進国(星)より抜きんできたのは、今はない時代の現実感を表現することが簡単だったからだ。

 何しろ現状をそのまんまコピーすればいいのだから。

 後進国(?)と思われていたところが、良い方向に活用された。


 もちろんそのコピーをするのも、ただならぬ労力のようだが、一から構築する状態から比べたら、雲泥の差だ。

 ほぼ天地創造の6日目からスタートのようなモノである。

 同じ事をやろうとした他の国(星)を出し抜いてやったと、ナジャ様が可愛い胸をはった。


「あの日本橋の受付の天使もな、先行体験モニターとして呼んだら喜んでやって来たぞ」

「へえ、あの天女様が」

 俺はあのかぐや姫のような美しい黒い髪と、切れ長の濡れたような瞳を思い出した。

 彼女はどの辺りを観光したのだろう。やはり王都のような大きな町なのだろうか。


「彼女は観光モードじゃなかったよー。

 確か選んだステイタスは『バーバリアン』だったねー」

 あたいが設定手伝ったんだからと、ナジャ様が言った。

「ええっ?! あの天女が野蛮人(バーバリアン)モードっ?!

 そんな、それ設定間違いじゃないんですか?」


「いや、合ってるぞ。オレも一緒に傍で視てたんだから。

 スキルは人間クラスに抑えてたが、それでも町を3つと村を1つ破壊してたなあ」

 ヴァリアスが思い出したように言う。


 天女は終わった後、無表情ながらも白い肌を紅葉させて『とてもエキサイトしました』と喜んでいたそうだ。

 開店したらまた絶対来ると言っていたという。

 何かストレスでも溜まっているのだろうか……。


「とにかく本店の方はオレ達に任せろ。お前はこっちのダミー店を適当に手伝え。

 そうすればそれに見合った報酬くらい出してやる」

「手伝うって、何をやればいいんだよ。外でビラでも配るのか?」

 それこそナジャ様あたりに任せたほうが良さそうだが。


「ほら、これ見てみろ」

 そう言ってケースに入った名刺を渡してきた。

「こんなのもちゃっかり作ってあったのか ―― んっ?」

 その名刺には『アイディア企画部長』という肩書きになっていた。


「なんだ、この『アイディア企画部長』って?」

 ただの企画部長じゃないのか。


「そのままの通りだよー。

 お前は唯一の人間の社員なんだから、人間の客の要望を取り入れるのが仕事だよー。

 つまりアイディアを出せってことさー」

「オレ達と人間共とでは、感覚にどうしても微妙な差が出来るからな。

 だから、まずお前がモニターになって、微調整したいんだ」

 

 微妙どころじゃないけどな。

 あれっ、だけど名前だけじゃなくなってきたぞ。


「天使たちはシンプルに、椅子に座らせて仮想空間にトリップさせればいいだけなんだが、お前たち(地球人)相手にはそうはいかないだろ?

 小道具で何かと納得させないとならんからな」

 そう言ってロッカーから例のゴーグルを引っ張り出した。


「この手袋とベルトや靴が動きのセンサーと触感を伝える装置、という一応の設定なのさー」

「つまりこれ、タダの手袋とベルトなんですね」

 実際は彼らに幻覚を視させられるトリップ旅行となるようだ。

 

「じゃあ早速、モニタリングしてみるか。ゴーグルをつけて右側のスイッチを入れてみろ」

 手袋や靴など履き替えて、最後にゴーグルを装着する。

 ゴーグルの右のこめかみに当たる部分に、突起したボタンがあった。

 ボタンを押すと、セピア色に見えていた部屋の風景が消えて、目の前が青一色になった。


 ピュロロロォン 妙な電子音が鳴って、目の前に32インチくらいの青い白い四角い画面が現れた。

 ウチのテレビと同じくらいのサイズだ。


【ようこそ アドアステラ ワールドへ】

 女性のアナウンスが流れた。

【渡航の前に貴方様の事を教えてください】

 そう言い終わると、目の前の画面に文字が浮かび上がった。


【性別 年齢 種族 ……】

 ああ、ステイタス設定画面か。

 姿を変えられるようだが、別に自分の姿は見えないし、このままでいいや。

 能力値とか得意技とかは付加しとこうかな。


『いや、お前はいつも通りでいい。そのまま『リアル』を選べば現実と同じになる』

 すぐそばで奴の声だけがした。

 こんなとこまでいつも通りかよ。

 まあいいか。


『あとはその画面で行きたいとこや、やりたい事を選べば、一番希望に沿ったコースを進めるよー』

 ナジャ様の声が奴と反対方向からする。

『適当なのがなかったら、そのマイクの絵を押しながら話せば、それに極力近いモノに応えるよー』


 うーん、どうしようかなあ。

 俺はすでにあちらの世界をある程度知ってるからなあ。

 まさか深海には行きたくないし……。

 希望に沿ったって、……さすがにナジャ様がいるのに『ハーレム』は選びづらいし、絵里子さんにもなんか後ろめたい…………。

 よし、じゃあアレだ。


「じゃあ、モフモフと遊びたいっ」


 画面が消えて、また青一色になった。


 続いて青から緑になり、やがて黒っぽい影絵の森のようなモノが見えてきた。

 ここは――


 そこはあの黒い森だった。

 葉もそれをつける樹も地面に生える草も、みんな黒っぽい。

 だが、以前俺達が入ったあの時の森とは感じが違う。


 あの時は何か陽射しが差し込んでも、どこかどんよりした曇り空のようなうす暗さだったが、ここはどこか夜明けのような明るさだ。

 やっぱり本物じゃないせいだろうか。


「雰囲気が違うのは、お前の好みに合わせているからだ。

 本来のノーマルモードとは違う」

 奴の声が察したように言ってくる。


 ふと前方の茂みがカサカサと動いた。

 反射的に探知すると、これは――


『ミュウゥ~ン』

 黒い丸い頭が3つ、葉っぱの間から顔を出した。

 ケルベロスの子犬だ。しかも以前見た時のより小さい。

 頭が3つある黒ラブ似の子犬は、俺のほうを見るとぽてぽてと歩いてきた。

「これは生後20日くらいだな。以前のより小さい」

 奴が解説してくる。


 あの時のは、子犬と言ってもすでに大型犬の域だったが、今現われたのは中型犬、柴犬くらいか。

 前のより寸詰まりで、もう三頭身くらいじゃないのか。

 いや、これが本当の3頭身なのだが。

 とにかく丸々よく太っている。


 そのコロコロは俺の足元にやってくると、一本しかない尻尾を振りながら、俺の足に自分の足をかけようとした。

 だが顔が邪魔して届かずに、丸っこい足が宙を掻いた。

 顔より足が短いからだ。


 なにっ、この可愛い過ぎる生き物はっ!? 


 子犬は何度か前脚をブンブン上下させていたが、今度は無理に近づこうとして、真ん中の顔をゴリ押ししてきた。

 押し付けられた頭の子が『キャン』と高い声を上げる。


「お~、よしよし、こうすりゃいいかな」

 俺はその場にしゃがみ込むと前屈みになった。 


 子犬達が一斉に俺の顔を舐めてきた。もうヴァーチャルだから口舐められてもいいや。

 しかしこの重さといい、柔らかさといい、本当にリアルだな。

 ぱんぱんに膨らんだお腹の、柔らかそうなピンク色の質感もそっくりだ。

 ふわふわ柔らかくて温かい。


 また草を踏む音がして顔を上げると、また別の子犬が現れた。しかも3匹。

 そして足元の茂みからもまた1匹。

 合計4匹の子ケルベロスが俺のところに、ぽてんぽてんと走り寄ってきた。


「うわあっ、これはいいっ! 凄くいいぞっ!」

 もうヴァーチャル モフモフ天国だ。

 草の上に寝っ転がった俺のところに、みんなが群がってきていた。


 みんな舐めたり、服を齧って引っ張ったり、上に乗ってきたり、好き放題やってくれたが、俺にしたらモフモフハーレムである。

 わざわざ人の体の上に乗りながら、後ろ足で首の後ろを掻こうと動かしている子もいたが、まず短すぎて届いていない。

 そんな必死で健気な動作を俺の顔の前でやるなよ。俺のハートに大打撃(クリティカルヒット)だ。

 もう尊死してしまいそうである。


 俺は常々、ペットショップを覗いては思っていたことがある。

 子犬には魔力があるのではないだろうか。

 この可愛さには賢者だろうと逆らえない。

 会った事は無いが、おそらく抗い難いこの魅惑度は、サッキュバス以上だと思う。 


 あ~、いいなあ。もう動物カフェ行かなくても、ここで十分だ。癒されるぅ~~~っ。

 家でもこれをやってくれれば、ペット不可のアパートでも()()()のになあ。

 俺はとってもハッピー気分で、モフモフ達を満喫していた。


 しかし、そんな事をいつまでも奴が許すはずもない。


 ふと、ザワッとした気配を感じた。

 俺が体を起こすと同時に、まわりにいたモフモフたちが掻き消える。

 立ち上がると同時にソイツが黒い樹々の間から現れた。


「ケルベロス――の親っ?!」

 それは象ほどの大きさもある、巨大な3頭の黒い犬だった。

 これ、モフれるのか???


 しかし歯茎まで剥き出しな口といい、唸り声といい、どう解釈しても友好的には感じられない。

 ここはいったん、樹の上にでも転移して――あれっ? 出来ない?!

 転移が発動しなかった。

 ジャンプ直前に膝の力が抜けてしまうように、魔法が効かないのだ。


 バアッと黒い巨体がダッシュしてきた。

 慌てて後ろに飛びのくと同時に、俺のいた地面を大木のような前脚が踏みつける。

 もう反射的に樹々の間を猛ダッシュだ。


「おいっ モフモフはどうしたんだっ!? いきなり戦闘モードになってるぞっ」

 俺はジェット噴射を使いながら、とっさに一番高そうな樹の上に駆け上った。


「あー、癒しモードはもう終了だ。

 モニターなんだから色んなバージョンを試してもらわないと」

 奴ののんびりした声がする。

「なんだとっ、いきなり切り替えるんじゃねぇよっ! こっちだって心の準備ってものがあるんだからなあ」


 下を見るとさっきのケルベロスが、グルグル喉を鳴らして俺を見上げている。

 もう完璧にハードモードじゃねえか。


 そういや、とっさに動いてしまったが、あんな狭い部屋でこんなに動けるものなのか?


「そうそう、言い忘れたが、お前の感覚は全て仮想状態にある。

 いわゆる夢を見ている状態だ。

 だからいくら魔法を使っても、暴れまくってもこちらにはなんの影響もないから、気兼ねなくやっていいぞ」

 と、頭に手が触れる感触がした。


 その瞬間だけ、俺は現実の空間の映像を見せられた。

 狭い個室の床に、俺は立っているどころか、いつの間にか胡坐をかいて座っていた。

 両腕は軽く膝の上に乗せて、いかにも力を緩めている。

 もちろん今の体勢とまったく違う。

 そんな俺のすぐ横に、ナジャ様と奴がいたのが一瞬見えて映像が消えた。


「おいっ そういや、転移出来ないぞっ。そのまんまの能力を引き継ぐんじゃなかったのか?」

「ソレを使うとあまりにも楽だろ? だから『転移』だけ抜いといた。

 でも他の能力はそのまま使えるから、安心しろ」

 現実で奴がニッと笑っている感じがする。いや、絶対にしてる!


「バカ野郎っ! あれが俺の十八番(おはこ)なんじゃねぇかっ」

 転移無しでは、俺の戦闘能力がどれだけ貧弱になると思ってるんだ。

「もういいっ。いったん切り上げだ。中止する」


 俺は顔のゴーグルを取ろうとした。

 しかし触れたのはゴーグルではなく、頭に被ったフードだった。もちろんその下にゴーグルの感触もない。

 手袋もだ。


「おおいっ! これどうやってゲームを終わらすんだあ?」

 大事なことを訊くのを忘れていた。


「『コマンド オープン』って言ってみなー。さっきのガイド画面が開くから。

 右下に『EXIT』の文字があるから、それを押せばいいんだよー」


「コマンド オープン!」

 パアッと先程の青い画面がまた広がった。

『移動する ――まだ行ける場所が設定されておりません』

『仲間と交信する ――仲間が設定されておりません』…………

 などの文字の下に確かに『EXIT』の文字があった。


 すぐにそれを押す。

 だが、何度押しても変化なしだ。

 相変わらず俺は黒い枝に乗っている。


「ナジャ様、押してるんですけど、なんにも変わらないですよ? 

 これもしかしてバグじゃないですか!?」

 何しろこの文字だけ、色が他の文字と違って薄くなっている。

 よくゲーム上で操作不能のコマンドと同じだ。

 嫌な予感がする。


「考えてみたら、これお前の訓練に使えそうだな。怪我もしないし。

 体は鍛えられないが、行動反射や判断は養えそうだ。

 お前だってヴァーチャルなら、相手に罪悪感を持たずに全力出せるだろ?」

 悪魔の囁きが聞こえる。


「ふざけんなっ! 早く現実に戻せよっ おっ!」

 ズンッと激しい振動で樹が揺れた。


 枝に掴まりながらまた下を見ると、いつの間にかケルベロス成犬が3体になっていた。

 そいつらが事もあろうに、幹を噛み始めたのだ。

 3×3で計9つの牙が一斉に樹を削ぎ始めた。


「こ、このバカ――」

 バキ ベリ バキバギギィィィ―――ッ

 樹が傾いだ瞬間、近くの別の樹に飛び移った。

 すかさず3体のケルベロスが走り寄る。


 今度の樹はさっきよりも細いし低い。

 ケルベロスの頭突き一発で、ぶわんっと振り回されるように揺れた。

 駄目だっ とりあえず逃げようっ!


 俺は大きく振られた反動を利用して遠くに跳んだ。

 途中、三角跳びに枝を蹴って方向を変えながら、次々と別の樹に風も使いながら飛び移る。

 後ろでバキバキと、幹を破り散らすような音が迫って来る。


「いいぞ。それでこそアイディア部長だ。自ら体験してこそだな。

 しっかりリポートしろよ」


「クソッ くそっ くそーっ!! 

 バッカヴァリ―ッ! てめえ戻ったら覚えてやがれっ!」

 

 結局初回は『黒い森脱出ゲーム』になってしまった。


ここまでお読みいただきありがとうございます!


次回は『教会と神像』

また本当の異世界に行ってきます。


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