第208話 『蒼也の憂いと希望と……』
すいません、前触れが長くなってしまって『重役話』までたどり着けませんでした(-_-;)
あれからデンの宿を後にして、俺は日本に戻ってきていた。
日本はまだ風の冷たい夕暮れ時だった。
そして俺は、3歳児の来夢君と一緒に公園のベンチに座っていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その数時間前、宿屋では俺達が宣伝のためにサクラになって、食堂の窓際に数時間座っていた結果、始めおっかなびっくりだった人々もオヤジから話を聞いて恐る恐る入ってきた。
そうして宿屋の中の空気が変わっているのに、まず驚いたようだ。
そこにオヤジが再開の祝いにビールを振る舞った。
やや食堂が賑わってくると、噂を知らない旅人が空き部屋を尋ねてやってきた。
そろそろ離れてもいいかな。
俺たちはあてがわれた2階の角部屋に戻った。
自分で提案したものの、行く人来る人にジロジロ立ち止まって見られるのは、さすがに落ち着かなかった。
たまに目を上げて、笑い返すと、向こうも気まずそうに笑みを浮かべていなくなる。
本を読みながらなるべく外に目を向けないようにしていたが、探知しなくてもみんなの視線は感じられる。
おそらく久々に客が入っている上に、俺が異邦人だからだろう。
凄く物珍しがられている気を感じるのだ。
これは俺の魔法使いとしての感覚の1つ、エンパシーのせいだ。
ここでのエンパシーはテレパシーと似ているが、大きな違いは受動的か能動的かというところだ。
魔法使いは繊細な神経と傍受力があるせいで、まわりの気を一方的に感じやすい。
テレパシーのように、こちらから送ったりは出来ずに受信だけだ。
人々が発する感情のエナジーの波を、脳に直接感じて、時にはその影響を受ける。
だから共感能力とも言われている。
怒りっぽい人のそばにいると、何だか自分までイライラしてきたり、哀しそうな人の近くにいると自分まで落ち込んでくるのは、その様子を見ていればありそうだが、人混みで落ち着けないのは、雑多な人の発する騒念に疲れるからもしれない。
ちょっと気分を変えようと正面の窓を大きく開け放って、通りを見下ろした。
中央を荷馬車や乗合馬車――ここでは町内の路線バスような役割――が走り、その左右の建物寄りを人々が歩いている。
そしてその人々が、時折不思議そうに下の食堂を見ながら通って行った。
「おいっ、見ろよ。確かに客がいらあっ」
そう言って向かいの通りから数人がこっちに指を向けてきた。
「ほんだぁ。部屋ぁ使えるようになっただか」
人々が口々に言ってるのが聞こえる。
いや、声だけでなく、自分に向けられたザワザワした噂話のような気を感じる。
ううっ、俺やっぱり、注目されるのは体質に合わん。神経にくる。
ただ奴は酒を飲ませていたせいか、よくまあ大人しくしていたもんだ。
そういや奴は目立つことは気にしないんだった。騒がれることが嫌なんだったっけ。
あ~~、宣伝のためとはいえ、人々の好奇の念に晒されてドッと疲れた。
慣れてくると、気にしなくなったり、意識してシャットアウト出来るようになるそうだが、俺はまだまだ魔法使い一年生。未熟で中途半端なのだ。
途中の状態が一番辛いのだ。
大体、せっかく我が家が出来たのに、まだ一夜しかあそこで休めていない。
ああ なんか、家に帰りたい………。
家と言えば、絵里子さんに会いたい。
急に彼女のことを思い出した。
ここに来る前の金曜日に顔を見たし、昼休みに軽く話はしていた。だけどプライベートではほとんど会わない。
それはいつものことだ。
だけど今は何故か、急に彼女の顔が見たくなってきた。
おそらくあの地獄で、俺の前世の歪んだ恋や、現世での失恋の記憶を揺さぶったせいもあったのだろうが、むろんこの時の俺はそんなことは分からなかった。
ただ無性に彼女に会いたい。声が聞きたいと思った。
俺はガバッと起き上がった。
「ヴァリアス」
「ん」
「悪いが、いったん家に帰りたいんだが………」
奴はちょっとだけ首を傾げたが
「いいぞ、試験も終わったしな」
簡単に承諾してくれた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
アパートに戻ると4時過ぎだった。
俺はすぐに着替えると、ダウンジャケットを引っかけて出かけようとした。
「あの女のところに行くのか?」
「え…… なんでそんな分かったんだ?」
こいつ、人の頭の中でも読んだのか?
「ふん、そんなのオーラの色でわかるわ。『情欲』の色が滲み出てるからな」
「えっ 情欲っ!?」
俺は自分の腕や体を見回した。
驚いたせいか、オーラが揺れて自分じゃよく分からない。
そんな恥ずかしいモノが出てるのか?
「別に恥ずべきものじゃないだろ。異性を求めるのは自然なことだ。それにいま出ているのは『情欲』の部類だが、細かく言うと『恋情』の色だな。
相手を慕ってる時の色だ。性欲だけじゃない」
「性欲って言うなっ」
なんかその2文字で言われると、彼女に対する気持ちを汚される感じがする。
「わかった、わかった。いちいちお前は細かいなあ」
奴がわざとらしく手をヒラヒラさせる。
「あんたが無神経過ぎるんだよ」
「じゃあ、その女の傍まで一気に跳ばなくてもいいんだな?」
「ヴァリアス、あんた、やっぱイケてるよっ!」
俺もいい加減だった。
やって来たのは公園だった。
あの絵里子さんの団地近くのだ。
日暮れ時とはいえ、まだブランコやサッカーボールで遊ぶ子供たちが、あちこちにチラホラいる。
木立ちの傍でまわりの様子を見ながら、奴が俺の隠蔽を解いた。
さて絵里子さんはどこにいるんだ?
探知しようとした瞬間、何か柔らかいものが左手に触れてきた。
見ると小さな男の子が、俺の手を掴んでいた。
「ら、来夢君っ?!」
「東野さん? どうしたの、こんなとこに」
当たり前だが、すぐ近くに母親である彼女もいた。
すかさず子供が喉が乾いたとグズり、彼女が近くの自販機にジュースを買いに行っている間、俺と礼夢君は二人っきりでベンチに取り残された。
3歳児相手に何故か俺はソワソワしていた。
多分さっき奴から変なことを言われたせいだ。
子供は大人と違って見えないものが視えるという。
その澄んだ大きな瞳でジッと見つめられていると、なんだか例のオーラを見透かされているようで、何か気を逸らしたかった。
「来夢君、あのさ、もしも、もしもなんだけど」
「なに、そうちゃん?」
来夢君はいつの間にか俺の事を『そうちゃん』と呼ぶようになっていた。
「もしも……俺が君のパパになっても、いいかな?」
「パパに? そうちゃんが?」
うん、そうだよ、ここは『うん!』と言ってくれ。
「ヤダっ! やだ、パパっ!」
ハッキリ言われた。
一瞬ショックで聞き間違えたかと思ったぐらいだ。
子供はまだジッと俺の顔を見ている。これは言い間違いとかじゃなく、子供なりに本気なんだ。
…………ああ これはすでに終わった。
子供が嫌がってるのに、彼女はそれを押し退けてまで結婚するような人じゃないだろう。
まず俺となんかじゃ……。
いや、その前に彼女の気持ちを聞いてない。
訊いて気まずくなるより、これで良かったのかもしれないが……。
もう色んな思いが、この数秒で頭の中を駆け巡っていた。
静止してしまった世界の中で、目の前の男の子が今にも涙をこぼしそうな顔をして言った。
「そうちゃん、パパになっちゃヤダぁ。こわくなるから ヤダっ」
「え?」
「パパこわいっ パパ ヤダっ」
「それはどういう意味――」
彼の小さな肩を触れた時、イメージが俺の頭の中に入り込んできた。
あの男――彼女の前の夫(内縁だったが)は、彼女だけではなく、こんな小さな子供にまで暴力を振るっていたのだ。
見ているとイラつくというだけで。
最初は普通だった男が、パパと称して一緒に住むようになった途端、暴力を振るようになる。
『おめえのパパになったんだから、躾は当たり前だっ!』
幼い子供には、それが鬼に変わるキッカケと思ってしまったようだ。
「大丈夫だよ、俺はそんなパパにはならないっ! なりたくないよ」
「ほんと? ほんとにならない?」
子供は潤ませた瞳で俺を見た。
クソッ あの野郎っ! もっとぶん殴っておけばよかった。
「もちろんだ。約束するよ!」
俺は子供の目を見て真剣に言った。
終わったけど、彼の心の傷を感じた今はしょうがない……。
「じゃあ、とうたんならいいよ」
涙を引っ込めた彼はケロッと言った。
「ああ……うん? ハイっ??」
「パパはやだけど、とうたんならいいよ」
「んんん? その『パパ』と『とうたん』って……どう違うのかな?」
「ゆうちゃん(友達らしい)のとうたん、やさちいの。そうちゃん、とうたんならいいよ」
あーーーっ!
この子は『パパ』は怖くなるけど『父さん』なら優しいと、別物みたいに思ってるのかっ!
でもそれって――――
「それは俺が君の、来夢君の『とうたん』なら、なっていいって事かな?」
もう3歳児相手に超真剣である。まるで子供にプロポーズしてるみたいだ。
「うん、そうちゃんならいいよ」
「うわあ、ありがとうっ!!」
思わず俺はその小さな体を、ひしと抱きしめていた。
そして顔を上げて愕然とした。
斜め横に缶ジュースを持った彼女が立ち尽くしていたからだ。
聞かれてたぁーーーっ?!
彼女もどうリアクションしていいのか、分からない感じだ。
これは完全に聞かれてるぅ~~~っ!
ええいっ ままよっ! もうこの勢いで言ってしまえっ!
「絵里子さんっ」
俺はすくっと立ち上がった。
「俺と けっ、結婚を 前提にぃ付き合ってくださぃ」
なんでか自然と右手を出していた。これもテレビの影響か。
彼女は一瞬迷ったが、右手をゆっくり上げて俺の手を――――
じゃなく、バッグから鳴っているスマホを取り出した。
うわぁ~~~っ 俺の一生分の勇気を返してくれ――っ!!
「……はい、あっ」
電話に出た後に、彼女はスマホを顔から離して、つい口に出した。
「やだっ、知らない番号なのに出ちゃったっ」
彼女も上の空だったようだ。
『もしもし?』
スマホから中年の男の声がする。
目の前に俺がいるせいで勇気が出たのか、出てしまったから切りづらいのか、俺にちょっと目くばせするとあらためて電話に出た。
スピーカーにしなくても俺にもハッキリ聞こえた。
『こちら足立の○○警察署なんですが』
声の主は警察の捜査第1課の刑事からだった。
あの前夫でありストーカー男が、傷害で捕まったのだという。
それも仙台で。
彼女がDV被害を警察に訴えていたこともあり、仙台警察からこちらの所轄に連絡が来たらしいのだ。
ただそれだけならわざわざ連絡なんかしてこないが、その男の様子がおかしいので、参考までに以前の男の様子を訊きたいのだと言う。
話すのは構わないが小さな子供もいるので、署には行けない旨を言うと、あっさりあちらは引き下がった。
本当に参考程度のつもりだったようだ。
また必要があったらこちらから出向くと言った。
ただ、概要は教えてくれた。
男は仙台の道端で、全然無関係の女性を自分の妻だといきなり因縁をつけ、傍にいた夫を殴り、女性が駆け込んだ交番まで追いかけた挙句、取り押さえられたそうだ。
ずっと『あの女が浮気しやがったっ』と騒いでいたが、その口から出る名前はまったく違っていた。
しかも彼女の名前ですらない。
―――― ナジャ様っ!
うっかり他人様に迷惑かかってるじゃないですかっ。
あの時、この公園で男を取り押さえた時、ナジャ様が男の記憶をすり替えたと言っていた。
(注:『第92話『新しい恋の予感 と 死の気配 その2』参照)
架空の女性の記憶にしたはずが、似てる人がいてしまったのだ。
まったく、記憶の呪いをかけるなら、地球上にいない人にしてくださいよ。
ひとまず余罪――薬物中毒の疑いなど――が色々ありそうなので、男はすぐにはシャバには出て来れそうにないようだ。
それは良かったのだが、なんだか気を削がれてしまった。
だが、ひと通り刑事から聞いた話をした彼女はあらためて、俺の手を取ってくれた。
「あらためて、よろしくお願いします」
ペコッと軽く頭を下げてから、ニッコリと笑みを浮かべた。
その後は近くの茶店に、3人で小一時間ほど入ったのだが、何を話したか忘れてしまった。
たぶん他愛ない内容だったと思う。
ふと現実に返ったのは、入谷駅の改札を出て階段を上がっている時だった。
さっきまでのふわふわした気持ちが、急に足元の地面に引き戻された。
もしこのまま、彼女とゴールイン出来たとしても、俺の今のままの月収じゃ2人を養えない。
いや、実際はあのハンターの収入があるから、セレブ生活しなければやっていけるだろう。
だが、そんな何て言えばいいんだ?
しがない派遣で週5日、1日たったの6時間しか働いていない男が、何故そんな金を捻出できる?!
株で儲けてるとか?
いやいや、駄目だ。すぐにバレる。
それにまわりに聞かれて、もし株を教えてくれとか言われたら面倒だし。
どうしよう。
何か実際に別の職を見つけて、既成事実でも作るとか……。
一歩前進したはずなのに、また悩みが増えてしまった。
***
「暇ならちょっと出ないか」
次の週の火曜日、祝日で仕事は休みだった。
朝めしを食べ終わり、炬燵に入ってぼんやりテレビのワイドショーを眺めていたら、ヴァリアスの奴がいつもどおり音もなく現れた。
「ヤダよ。あっちに行くのは土曜日のみって決めてあるじゃないか」
そうは言っても来月の第3日曜日に棚卸しがあるので、その週はあちらに行く気はない。
となると、その分どこか別の日に行ったほうがいいのかな。
いや、やはりここはこちら優先だ。
「違う、外だ。お前に見せたいモノがある」
そう言って黒い殺し屋が、二ッと牙を見せた。
それ、外では忘れずに引っ込めておいてくれよ。八重歯で誤魔化しきれないからな。
「見せたいモノってなんだよ?」
「それは行ってからのお楽しみとしよう」
妙にニヤニヤしている奴が怖い。
「それって……、このアパートの外にあるのか? 大丈夫な代物なのか?」
「当たり前だ。それにこの近くじゃない。
場所は『秋葉原』というところだ」
「秋葉原? 電気街に何があるんだ。なんだかナジャ様とかが好きそうな気もするが」
そう言った途端に、背中に柔らかいモノがぶつかってきた。
「ソウヤーっ! あたいの事、ちゃんと分かってるじゃないかー」
「な、ナジャ様っ?! 来てたんですか」
「そうだよー、今回の件にはあたいも協力してるしねー」
「協力って、2人で何を企んでるんだか……」
「企みなんかじゃねぇぞ。それに2人だけじゃない。
なんたって我が主の命でおこなわれた計画だからな」
奴が胸を張って言う。
「え、父さんの?!」
「そうだ。我が『創造』の力と『知』の奴の協力を得ておこなわれた、地球への進出プロジェクトの1つ。
蒼也、お前のためでもあるんだぞ」
そう言って2人の悪魔がニーッと笑った。
ここまでお付き合い頂きありがとうございます!
もうネタばれしてると思いますが
次回こそ『蒼也 重役になる』を展開したいです。




