第2話『腹をくくってリアル異世界』
次の日は朝から良く晴れて雲一つない晴天だった。
天気予報でも降水確率10%と洗濯日和だ。
俺は朝から溜まった洗濯物をベランダに干していた。
ここは築30年近くの木造モルタルアパート3階の1Kの角部屋。
俺はここに1人暮らしをしている。
施設を出たのは社会人になって会社の寮に入ってからだ。
以後2回ほど引っ越しを繰り返して、現在東京は下町の入谷に住んでいる。今まで通っていた会社に近かったからだ。
この辺りは商店街や駅にも近く、遅くまでやっているスーパーや弁当屋も何軒かあり、俺のような独り者でも比較的住みやすい地域だと思う。
だが失業した今、いつまでここにいられるのか。
倒産したせいもあって退職金は出なかったものの、失業保険と貯金のおかげでしばらくは生活を維持できる。
だけどさすがに何年もは続かない。
このまま停年まであの会社にいて、65から年金とバイトで暮らしていこうかと考えていたのに……。
なんだか考えると気が滅入ってくる。とりあえず朝飯でも食うか。
昨日の残りもので軽くメシを食うと、なんだかコーヒーが飲みたくなってきた。
といっても、ドリップやサイフォンを使った本格的なものでなく、インスタントなんだけど。
が、一昨日切らしていたのを思い出した。
時間もあることだし、近所のスーパーに買いに行くか。
もしかするとスーパーのカウンターの脇に、新しい求人雑誌が出ているかもしれない。
このまま12月になっても仕事が決まらなかったら、福利厚生とか言ってないで何か長期のバイトを見つけよう。このままの状態で年を越したくない。
俺は鴨居に引っかけていたジャケットをとって財布を探した。
と、俺の指に何か硬いものが触れた。
取り出すとそれは鎖のついた銅色のプレートだった。
人間というのは驚くと記憶を無くすらしい。
気が付くといつものスーパーのレジで会計していた。そして何故かインスタントコーヒー以外に、缶コーヒーまで2本買っていた。
混乱しながらずっとポケットのプレートの感触を確かめつつ、俺は家路についた。
とりあえず落ち着こう俺。
缶のプルタブを開けながらあらためてプレートを見る。
定期券くらいの銅色の金属面に見たこともない文字が刻まれている。
見たこともないはずなのに俺はこれが読める。
≪名前:ソウヤ≫ ≪種族:ヒューム族 ベーシス系≫など………夢で見た事と一致している。
あれは夢じゃなかったのか。
いやそれじゃ余りにも馬鹿げてる。マンガの世界じゃないんだから……。
「戻ってきたか」
わぁぁっ! 心臓に衝撃来たっ!! 止まるかと思ったっ! コーヒーこぼしそうになっちゃった!
腰を抜かした俺の後ろには、いつのまにかサメ男ヴァリアスが立っていた。
「ああ、すまん。こちらでは靴を脱ぐんだったな」
そうだけど、いや、そういうことじゃなくて――。
「お前が帰ってくるのを待っていた」
「そ、それはど、どうも、良かったら、ど、どうぞぉヴァリアスさんっ」
俺はもう1つの缶コーヒーを差し出した。
とにかく落ち着け、俺。
「うむ、昨日も言ったが敬語は使わなくていいぞ。呼び捨てでかまわん」
はぁ~っ、夢じゃないのかよっ!
昨日ハローワークでの時は、人間の顔をしていたのに、ここには俺しかいないせいか、今日はのっけからサメ男のまんまだ。
これ特殊メイクじゃないよな?
目は何とかなるとしても、さすがにあの牙は無理なんじゃないのか……?
「で、今日もこれから行くか? どうせ暇だろう」
「いや、そりゃ暇だけど……、いろいろ心の準備が―――」
いきなり待ってくれよ~~~っ。グルグル混乱してる脳が落ち着くのを。
ハッ、てことは、父親の件も本当ってことかっ?!
お袋とんでもないヒト(神)とランデヴーしちゃってるよ――っ!!
あれ………。
ちょっと待て……。
こいつ本当に神様の使いなのか?
俺はあらためて目の前の男を見た。
小説とかマンガのテンプレだと確かに神様が多いけど、こいつの目は銀色で猫の目みたいだし、おまけに歯が犬歯どころか全部牙という、多重歯のジョーズみたいになってる。
しかもこの凶悪ヅラ…………。
昨日はあんまり直視しなかったし、夢だと思ってたから深く考えなかったけど、神様というより…………。
男の手を見ると、爪は伸びてないが白っぽかった。
昔見た映画でロバート・デ・ニーロがやった悪魔は、金目だったけど確か爪が白だった。
真綿で首を締めるようなやり方で、魂を取りたててくるんだったよな……。
「どうした? 心拍音が乱れてるぞ」
サメ男が俺の顔を覗き込んできた
どうしよう。もうなんか契約だか登録だかしちゃったし。
いや、仮登録って言ってたし、血でサインしてないよなぁ。
今ならクーリングオフ出来るのかなぁ。
「あの―――」
だが、俺の口から出たのは違う事だった。
「その……俺の母親、母さんってどんな人だったんですか? ……俺のこと手放したのって、母さんってことですよね」
どうせヤバいことに巻き込まれるなら、せめて聞いておきたい。
「詳しくは知らないが、当時彼女は17歳だったそうだ。
都内の喫茶店で給仕をしているところを、たまたま主が見染めたそうだ。
主と別れた後、お前を身ごもっているのに気がついたようだが、世間体や生活費に困って、結局お前を手放したらしい」
あぁ、保母さんから聞いた。
俺は子供のいない東野家に養子にもらわれたけど、1年後になんと双子が生まれちゃったらしい。
1人どころか3人となるとさすがに経済的に余裕がないので、さんざん悩んだそうだが、結局俺を施設に出したらしいんだよな。
罪の意識なのか会いには来なかったけど、何度か誕生日にプレゼントを贈ってもらったことがある。
この両親自身のことも覚えてないな。
昔は実親も恨んだりもしたけど、この歳になるとそれなりの理由があったのかなって考えられるようになってきた。
今でこそシングルマザーって少しは理解があるけど、50年前じゃ大変だったろうし。
「ちなみに養子の仲立ちをしたのは出産した病院で、基本的に養子先を教えてはいないらしいぞ。
だからお前の名前も、その後の事も彼女は知らないはずだ」
あぁっ そうか! 母さんは俺が養子としてそのまま育てられてると思っていたから、連絡してこなかったんだな。
――なんで本当の親が迎えに来ないのか、やっぱり要らない子なのかとか悩んだこともあったけど、それじゃ無理なかったのか…………。
「会いたいか?」
急に何十年かぶりにこみ上げてくるものが目頭が熱くしてきて、俺は下を向いた。
その様子を見ながらサメ男が訊いてきた。
「まぁ、そこまでは苦労続きだったようだが、神の慈愛を受けた者であるからな。その後はある実業家に見染められて、今は海外で裕福な生活をしているらしいぞ」
なんだよ。ちょっと心配したのに、リア充満喫かよぉ。慈愛も加護も受けてないのって俺だけじゃん。
………まぁ幸せなら良かったけど。
両親の事は実際、本当の事かは分からない。
が、俺は信じたいと思った。
どうせ相手が神だろうが悪魔だろうが、一度関わってしまったから、綺麗に無かった事にするのはもう無理だろう。
ちょっとヤケにもなってきた。
「あの……、失礼は十分承知なんですけど、あなたが本当に神様の使いか、まだ半信半疑なんですけど……」
言っちゃったよ。怒るかな。
「そう言われても、こればかりは信用してもらうしかないな。お前を神界に連れて行く訳に行かないし、もし連れて行ったところで全て幻と思ったら、これはもう不可知論になるからな」
確かに騙されてるかどうかなんて、実際確かめようがないな。今だってそうだし。
だけど、どうせもう失うモノはない身だ。諦めて最後まで見てみるのも一興かもしれない。
それにもしかしたら、親の手掛かりがもう少し掴めるかもしれないし。
そう思うと少し肝が据わってきた。
するとサメ男がまた銀色の目で、俺の目を覗き込みながら訊いてきた。
「念のために聞くが、『こちらで一生遊んで暮らせるだけの金をやる』と言われたら受け取る気はあるか?」
「えっ? そんな大金……」
そりゃ欲しいけど、逆に貰ったら怖い気がする。
それこそ悪魔の契約じゃないが、代わりに魂を売る事になりそうじゃないか?
「もし、それでいいなら金を渡してオレは消える。もう2度と干渉することはしない。
だが、このまま地球にいたら身体能力の違いや長寿のせいで、いずれ面倒な事になるかもしれないぞ。
大体こちらで何百年も同じ戸籍で済むと思うか?」
いや、そりゃそうだけど、ホントにそんなに生きるのか確証が持てないし。
……でも確かに俺の異常回復能力がバレたら、気味悪がられるどころか変な機関とかに目をつけられて、研究材料とかにされる可能性はあるな。
あらためて不安になってきた……。
「だが、もしこちらに来るなら守ってやれるぞ。お前が幸せに暮らせるようにサポートしてやる!」
ちょっと待って。そんな大事なこと急に言われても………。
「すぐに決めなくてもいいぞ。とりあえずこちらと地球を、行ったり来たりして考えてみてはどうだ?
すぐに籍を移動しなくても、まずこちらに来れば仮預かりになるからな。目の届くところに来てくれれば、主も安心する」
「……本当にすぐに決めなくて良いんですか?」
「主は急がなくて良いので、お前の意思を尊重するように言われた。それにお前、仕事を探しているのだろう。
だったら昨日ハンター登録もしたのだし、あちらで仕事をすればいいじゃないか。
それに仮登録のままだから、このまま依頼をこなさないと登録抹消になるぞ」
「いや、俺はまだハンターになるとは考えてないし……。あっ、俺、本当にすごい長寿なのだとしたら、年金どうなっちゃうんだ!? まさか100年も200年も貰えないよな。
俺の年金生活が―――」
頭をかかえる俺の前で、サメ男は缶コーヒーをグビグビ飲んでいる。
「とりあえず仕事して老後のお金貯めなくちゃ。
ちなみにそちらの物質で、こっちのお金に出来るものとかあるんですか?」
俺はむっくり顔を上げた。
まさか、通貨は交換できないだろう。
なんたって国どころか星が違うんだからなぁ。
「金と宝石は、こちらとほぼ同じ元素構成で出来ているから、こちらでも通用するぞ。向こうでも通貨に代わり、価値のあるものだからな」
えっ、それなら換金はできるんだ。こちらのお金に換金できるものがあるなら話は別だな。
どうしよう、心が揺らぎだした。
「あと再三言うが敬語はよせ。
これから長い付き合いになるんだから疲れるぞ」
「………わかった。ではまず、そっちの世界とこっちの世界って、時間の流れは同じなのかな? そっちで一週間過ごして戻ってきたら、こっちでは何十年も経ってたっていうようなことはないのか?」
戻ってこれるのはいいが、浦島太郎になるのは勘弁だ。
「時間の流れに関して言うなら確かに違うな。
惑星間の行き来をすると、光速以上で亜空間を移動するせいか、時間が縮まるんだ。
地球とアドアステラ間だと、あちらに約50日いても、こちらに帰ってくると約1日しか経たないぐらいだ。
ただ肉体的には通常の時間がかかっているから、普通の人間があちらに長く滞在して戻ると、急に年を取ったと思われがちだ。
ただ、長寿のお前ならさほど問題ないだろ。
ちなみにあちらの1日は、こちらとほぼ同じ24時間だ」
そうか逆浦島なら都合がいい。
もし長く滞在するようなら、アパートの家賃とかどうしようと思ってたとこだ。持ち物が少ないほうとはいえ、家財道具もあるしな。
時計を見ると午前10時25分、洗濯ものもあるから夕方には帰ってきたいな。
「ちょっと興味あるし、今日の午後5時頃までの短時間でもいいなら、行ってもいいかな」
「よし、では行くか」
サメ男――ヴァリアスは立ち上がろうとした。
「ちょっと、ちょっと待って。準備もあるし」
とりあえず替えの下着とか歯ブラシとか、持ってく物用意しなくちゃ。
俺は押し入れからボストンバッグを取りだし、下着や服の替えを詰め始めた。
「そんな袋に入れなくても、お前の能力に空間収納スキルがあるぞ。それに入れればいい」
「空間収納スキルって、物をいろいろ入れておけるアレ? アイテムボックスとかいうの、俺使えるの?」
「ああ、身体強化は無意識に使っているようだが、その他のスキルはずっと使っていないようだがな」
いや、知らんよ、そんなもの自分が持ってるなんて。
サメ男が前方に右手をかざす。
そのかざした空間が水面のように揺らぐと、指先が中に入っていく。
「こんな感じだ」
全然わからん。
「そうだな。目の前に自分専用のスペースがあるとイメージする。出来るだけ大きくしてだぞ」
うーん。自分だけの大きな空間、空間……。空っぽの押し入れみたいなイメージ………もっと大きく、目の前に別空間がある……。
いかんせん、54年間全く使ってないので上手くいかない。
と、ヴァリアスが俺の額に手をかざすと、イメージが流れ込んできた。
おおっ こんなふうに単純に考えればいいのか!
5秒ほどして、目の前の空間に波紋が小さく出来てきた。恐る恐る触れてみると指がすーっと入った。
「やった! 初魔法!」
俺は急にテンションが上がった。
超能力とかに目覚める時ってこんな感じか?
「これは魔力を使わないから、慣れてくれば簡単に使うことができるようになる。
その他にも眠っている能力があるが、それはおいおい使えるようになるだろう」
よし、とりあえず今出来たこの空間に、このボストンバッグを入れてみよう。
おおっ入る入る。
面白いからなんか色々入れたくなるぜ。
「あと何か大きい袋はあるか? できれば紙とかでなく、水をはじく素材が良いが」
「だったらごみ袋でいいかな? ビニールだし。何入れるの?」
「まぁ行けばわかる」
とりあえず俺はキッチンの流し下の引き出しから、45Lの半透明ビニール袋を3枚引っ張り出した。
あと空間収納にばっかり入れるんじゃなく、Dバッグも持っていこう。
「ちなみにあちらの気候ってどうなんだろう? 昨日は建物の中だったから、よく分からなかったけど」
「今はこちらで言うところの初夏だな。ただ日本の4月下旬くらいの気候だ。湿度はこちらより低いが」
じゃあ上着はパーカーでいいか。
「あと靴は動きやすいのが良いぞ」
普段使ってるスニーカーでいいかな。
玄関でスニーカーを履いていると、サメ男が玄関のドアに手を添えていた。
「用意はいいか? では行くぞ」
昨日と同じくドアが鈍く光ったと思うと、また深い霧の漂う白い空間が出現した。
今度は後から続いて入った。
目の前のドアを抜けると、昨日と同じ通路に出た。
すかさず今通ったドアを開けて中を確認すると、狭く薄暗い小部屋で、1人座れるぐらいの台座の中央に穴が開いている。
これってもしかして……。
「他の部屋より、一般が出入りしても不自然じゃないからな」
ヴァリアスが振り返りながら言う。
いやいや、男2人でトイレの個室から出てくるのって、こっちじゃ不自然じゃないのか?!
そんな俺のツッコミたい気持ちを察することなく、スタスタとサメ男はまたフードを被ると、広間の方に歩いて行ってしまった。
フロアは昨日と同じで、10人以上の人が行きかっていた。
付いていくと、正面の壁に沿って衝立が4つ立っているところに来た。
衝立の両面と向かいの壁には、びっしりとB5サイズくらい紙が張り付けられている。
書いてある大文字の見出しには『依頼 ***退治』などと、どの紙にも『依頼』の文字があった。
「おぉ、依頼書って、やっぱりこうやって貼ってあるんだ」
マンガや小説で読んだ設定と同じなのに、少し感動を覚えた俺は端から見ていくことにした。
「ダルブル肉常時募集、アルカイト食肉協会……こっちはグリーンアナコンダ皮常時募集、トゥリー皮革工芸。サンダーバード卵常時募集、シルク食堂……なんか常時募集ってのが多いんだな」
「そこに貼ってあるのは常時依頼ばかりだ。
その他のものはテーブルのファイルを閲覧するか、受付に問い合わせるようになっている」
そう言えば衝立の向こうの長机の上に、ファイルが何冊か置かれていて、何人かがそれをめくっていた。
「それにそこら辺は、『Dランク』の依頼内容だからお前は受けられんぞ」
「だよねー。俺には狩りどころか無難なとこ、薬草取りがいいんじゃないかな」
異世界モノ、初心者定番の薬草採取。俺にモンスターとの戦いなんか無理だ。
「いや、これにしろ」
ビシッと、『Fランク』と上に書かれた衝立に貼られている1枚を指さした。
「≪グリーン、レッドスライム常時募集 インクラッド食品≫ って食べれるの?
スライム??」
「スライムは体の90%以上が水分なのだが、これを乾燥させて粉状にしたものが、いろいろな用途に使えるんだ。
例えばレッド系はスパイスになる。またグリーン系は味が無いのでとろみ剤にしたり、お前の世界のビニールやゴムのような材料にもなる」
「へぇー無駄がないんだな。ただ駆除するだけじゃないんだ」
「まぁ依頼料は安いが、初めて剣の練習にはいいだろう」
では早速と、俺が依頼書を剥がそうとすると
「常時依頼は剥がさずに、ここの番号を受付に伝えるんだ」
そう言うや受付のほうにサッサと行ってしまった。
とにかく身長差のせいか、歩幅が違うのか、速足なのか歩くのが早い。
俺はつい小走りになる。
「あそこのF-32の依頼を受けたい」
「ええと、貴方が受諾するんですか?」
昨日の赤毛の受付嬢がちょっと戸惑いながら訊いてくる。
「いや、オレではなくコイツだ」
後から追いついてきた俺を見て「ああ」お姉さん納得顔。
ですよねー。こんなライオンも倒しそうな奴が、スライム狩りなんかしなさそうだもんな。
「ではこれが依頼書の写しです。失礼ですが、スライムの多く出現する場所はご存知ですか?」
「いや全然、ていうか私、この町自体初めてなんで」
つーか、この世界自体がだが。
「ここから一番近い場所ですと、東門から街道を斜め右に逸れた先の草原に、大岩があります。そこが比較的多く取れますよ」
「じゃあそこ行ってきます。有難う」
「行ってらっしゃい。お気をつけて」
お姉さん可愛い笑顔で送ってくれた。
ここは2階だったらしく、受付向かいの階段を降りる。
「とりあえず剣を買うぞ。ギルドの近くに必ず武具屋があるはずだ」
「あの今更なんだけど、お金かかるよね? そういうお金ってどうしてるんだ?
やっぱり神様だから自由に作れるのかな」
貧乏性の俺は、お金のことがいちいち気になってしまう。
「いや、そんなことはしないぞ。我々が好き勝手に作り出して、人間界の貨幣価値に影響を及ぼすのは基本禁止だ。
そんなことしたら、インフレが起こりかねないからな。
なに、金を稼ぐことなど、我々には容易いことだからお前は気にしなくていい」
いや、なんか気になるんだけど―――(この件は後々わかることになる)
大きな2枚扉を開けて外に出ると、そこはまさしく石畳と木とレンガの家が立ち並ぶ、中世ヨーロッパ風の街並みが広がっていた。
俺達の出たところはどうやら広場のようで、瓶を持つ女性の彫像から水が流れ出る噴水を中心に、幅広い道が家々を分けるように十字に広がっていた。
その4つのブロックの間を、またさらに道が放射状に通っている。
まさに馬が引く馬車や荷車は広い道の中央を走り、人々は縁石のある一段高い左右の道を歩いている。
見上げると太陽がほぼ真上に来ていた。
こちらでもやはり昼頃なのだろうか。
雲がなく、遮るものが無いのに太陽の光は柔らかく、とても青い空が広く、赤茶色のレンガ造りの家々の屋根を覆っている。
昔歴史の授業で、中世ヨーロッパはゴミ・糞尿を道端に捨てていて、衛生面がとても悪かったと習ったことがあった。
だがここは、特に変な臭いもしないし、逆に排気ガスが無いせいか、田舎町の空気のように新鮮だ。
初夏と言っていたが、秋のように空がとても高く感じられる。
東京のような高すぎる建物がないせいもあるが、これは空気が綺麗で澄んでいるんだ。
「思ってたより道が綺麗なんだね。もっと汚れてるのかと思ったけど」
俺は心から感心して言った。
「昔はな、ゴミとか落ちてるのは当たり前だった。
だが、十数年前に疫病が流行ってから、ここの領主が市民街も改善したんだ。
下水道の整備や掃除人の普及に力を入れたんだよ」
振り返るとハンターギルドはかなり大きな建物らしく、他の家や店の4倍以上の幅がある5階建てだった。
しかも1階が2階分に匹敵するほど大きい。
ヴァリアスによると、大抵ハンターギルドの1階は倉庫や買取所になっているため天井が高いらしい。
確かに重たい獲物とかを持ってきた場合、階段は使いたくないよな。
エレベーターとか無さそうだし。
ぐるりと見渡すと、武具屋はまさにギルドの左側、食堂を挟んで2軒目にあった。
武具屋の間口はそれほど広くなかったが、開いた窓から覗くと、鎧や盾、武器の類が整然と置かれている店の中は奥に広いようだった。
店に入るとすぐ横に、マネキン宜しく鎧兜一揃えを立て掛け、八百屋の斜め台のような木台には主に剣が並べられていた。
その前の樽には、大根のように棍棒上の物が数本入っている。
壁には槍が立て掛けられ、柱には弓が下がっていた。
わあ、『ロード・オブ・ザ・リング』の世界だ。
遊園地とかの偽物じゃなくて、本物の重圧感とほのかな店の薄暗さが俺の少年心をくすぐった。
男はいくつになっても、こういう物が好きなのだ。
その奥のカウンター角の樽に腰かけ、壺から伸びた管の先についたパイプをスパスパ吸っている、小柄な親父がいた。
小柄といっても、一目でわかるがっしりとした体。腕は短いが太さは俺の倍はありそうだ。
もしかしてこれが噂の(?)ドワーフなのかな。ギルドのホールでもチラッといたような。
「剣が欲しいんだが」
ヴァリアスが親父に話かける。
「んっ、あんたが使うのかい」
「いや、コイツだ。見ての通りの初心者だ。
ファルシオンとダガーを1本づつ、見繕ってくれ」
そう聞くと親父は樽から降りて、すたすたと俺のほうにやってきた。
「手を見せてみろ」
俺は言われた通り両手を差し出した。
ドワーフ風の親父は、そのごつくて分厚い手で俺の手を揉むように押したり、手首や腕・肩を掴んだりしていたが「ちょっと待ってろ」と奥に消えた。
奥から何やらガチャガチャと音がしていたが、再び出てきた親父は、長桶に鞘に入ったままの剣を7本入れて持ってきて、カウンターの上に並べていった。
「切れ味は同じだから、あとは好みとグリップの握りやすさを確かめてくれ」
ファルシオンと言われた剣は、大体1m弱くらいの片刃の片手剣だった。
ショートソードと言うモノなのかな。
「お前は初心者だし、下手に両刃タイプを持たせたら、自分を切りつける可能性もあるしな。
これなら刃の背を持つことも出来るし、比較的扱いやすい」
俺は1本づつ振らせてもらい、一番手にしっくりくるのを選んだ。
それは先端が少し反って、その部分だけ両刃になっていた。
ヴァリアスも手に取り、確かめると「まぁまぁだな」と俺に返してきた。
「ベルトはどうする?」と親父。
「ファルシオンのほうはいらん。ダガー用のだけくれ」
「以上なら全部で85,750エルだな」
天井からフックで吊るされたベルトを外しながら親父が言うと、ヴァリアスがコートのポケットから銀色のコインを取り出した。
これが高いんだか、適正なのかよくわからないけど、普通に服買うみたいに買えるんだな。
地球みたいに許可証っていらないのだろうか。
「ほら、ファルシオンは収納しておけ」
ベルトを装着して腰の右側にダガーを持ってくると、ガンホルダーをつけたガンマンのように気分が上がる。
やっぱり剣と銃は男のロマンだよなあ。
「盾は? 片手剣なんだから盾いるよね」
「いらん。お前は魔法使いなんだから。大体まだ体力の無いお前がそんなもの持ったら、素早く動けなくなるだろ」
そういや、そもそも魔法使いなのに剣を持つものなのか?
杖とかロッドじゃなくて??
「本当はロングソードも使わせたいんだが、剣の扱いに慣れてない者がいきなり使っても危ないしな」
そういやヴァリアスも、俺の剣くらいのショートソードを下げている。こいつなら大剣持っててもおかしくないのに。
「ヴァリアスはロングソードとかは使わないかい?」
「持ってるぞ。だが、ここでは別に必要じゃないからな。これで十分だ」と下げている剣を抜いて見せてくれた。
それは剣というより、大きいサバイバルナイフのようなだった。
黒光りした刀身の上辺半分は、鋸状にギザギザになっている。その黒い刃に広がる波紋は、波模様とかではなく、何やら古代文字のような文様が、見る角度によって浮かび上がってきた。
「両刃と片刃では扱い方が違うから、片刃に慣れてきたらこちらも教えるぞ」
またさっさと歩きだすヴァリアスに俺は慌ててついていく。
「ちょっと、ちょっ早いって! 歩くの早いって。もう少しゆっくり歩いてくれよ」
「そうか? これが普通じゃないか?」
いやっ 絶対違うと思う。
とりあえず速度を俺に合わせてくれたおかげで、歩きながら話ができるようになった。
「あのさ、スライムって魔物だよな。思ったけど普通、そんな魔物だらけの世界でよく皆生活できてるなぁ。地球じゃ考えられないんだけど」
「魔物はな、人や獣より魔素を多く体に含んでいるんだ。強い魔物ほどその比率が高くなるから、魔素が多くあるダンジョンや山奥、深海とかが棲みやすい。
それで人の住むような魔素の薄い地域には、ほとんど現れないんだ」
「魔素って?」
「簡単に言うと魔力の素になる元素だ。空気や水、土、そこら中にある。地球にはあまりないようだがな」
「ふーん、そうやって棲み分けてるんだ。確かにしょっちゅう魔物に襲われてたら、石器時代より大変そうだもんな」
「まぁ、オークやゴブリン、フォレストウルフぐらいは、近くに下りてきたりするがな」
「大変じゃねぇか!」
「いや、それくらいなら衛兵やE,Dクラスのハンターで対応できるから、大したことではないぞ」
「何それっ、猪や熊と同じ感覚なの?」
なんか異世界の人々、肝が据わってるな。
「あの、剣まで買ってもらって有難いんだけど、俺ここには来たばかりだろ。
これからすぐに依頼をこなすのって早すぎないか?」
スライムとはいえ、街の外でやることには違いない。
普通は始めの街で情報収集するとか、色々と環境に慣れてから行動するものじゃないのか?
「少し街中を散策するとかさ、もう少しこの世界に馴染んでからにした方が良くないかい」
「そんなもの、そのうち嫌でも身についてくる。それより剣に慣れるのが先決だ」
そうなのかなあ。
RPGゲームとかでも、始めはまず環境を把握してからじゃないのかな。
まあ案内人が言うのだから従っておくか。
実はこの案内人=守護役がトンデモナイ奴だったのを、俺はすぐに思い知ることになる。
そんな話をしつつ、店が立ち並ぶ広い通りを歩いていくと、先のほうに高く長い壁と開いた門が見えてきた。
門の両脇には門番らしき武装した兵士が立っていて、入ってくる人をチェックしているようだ。
そこで入ってくる人からコインを受け取っている。
あれが入関税とかを払うという事だろうか。
「入る時は、身分証を見せたりしなくてはならんが、出るときは何かない限り基本はノーチェックだ」
門を出るときは、左側に自然と流れが出来ているので、俺達もそのまま左寄りに出ようとした。
「ちょっと、そこの月の目の貴方」
左側に立っていた兵士が声をかけてきた。
「あ˝ ? オレのことか?」
「あ、あの身分証を見せてもらえますか」
二十歳前後ぐらいの若い兵士は、自分が声をかけてきたにもかかわらず一歩後ろにひいた。
「何故出ていくだけなのに見せなくちゃならん?」
ずいっと一歩迫るサメ男。
フードを被ってるせいと門の影のせいで、ヴァリアスの目が銀色に底光りして見える。
「あ……すいません。どうぞお通り下さぃ……」
声小さくなってる。
とりあえず門は無事通れたが、あらためてこのサメ男の顔は、ここでも脅威なんだと、初めて異世界と共感できた。
読んでいただき有難うございます。