第193話 『ハンター試験 その4(実技試験:地と海)』
霧が晴れるとともに、足元に青緑色の芝生が現れた。
そうしてこの試験場の全貌が見えてきた。
分厚い霧の壁にぐるりと包まれたドーム状の空間。
そこに鈍い光を放つ銀色の太い丸柱が幾本も、地面に突き刺さるように立っていた。
太さはマチマチだが、どれも俺が両腕を回しても手の先も届かないくらいだろう。
高さは4,5mはありそうだ。
そんな柱が何十本も前後左右に、3,4mくらいの間隔を空けて設置されている。それは等間隔で整列しておらず、少しずつズレながら並んでいた。
なんだかパチンコ台の釘の配置を思い出した。
まさか巨大なパチンコ玉でも飛んでくるのか?
それともスマートボール? この剣で打ち返せる代物だろうか。
その白い霧の壁に包まれた上空には太陽や雲は見えず、ただ青一面の空が広がっていた。
そしてさっきの黒い鳥がトンビのように旋回している。
後ろを振りかえるとすでにアイーゴの姿はなかった。
見学しに来ると言っていた副長もどこにいるのか分からない。
ついでに俺の荷物もない。
余計なモノは全て隠されているということか。
と、ザッ ザフ ザフッ といった、草を踏みつけてくる音が聞こえてきた。
すかさず探知すると――
そうか。前にヴァリアスにDランクの魔物を聞いた時に、真っ先に名が挙がっていたし、ゲームでもこちらでもポピュラーな魔物。
遭遇率が高い相手でテストするのは当然だな。
そんなことを思いながら、俺は模造剣を握り直した。
相手の姿が柱の向こうに見えてくる。
『ボォッホォォォー!』
その黒い魔物は俺を視界に捕らえると大きく雄叫びを上げた。
――ハイオーク。
俺が以前、戦って真に恐怖を感じた相手。
殺されるとか、そういう死の恐れ以前の厭らしい恐怖を与えてくる、人間の天敵。
今もその生理的恐怖は依然として俺の奥底にくすぶっているが、昔ほどではない。
あの『捻じれのハンス』との2度目の対戦で、ずい分と吹っ切る事が出来た。
相手に勝利したことも大きいのだろう。
だが、あの時はかなり転移に助けられた。
今回は試験とはいえ、みんなの前でやる訳にはいかない。
上手く対処できるだろうか。
いや、やるんだよ。そのために今まで訓練してきたんだから。
それに転移ばかり頼り過ぎていてはダメだ。
この魔法は特殊だし、魔法が使えない場面だって無いとはいえないんだから――
アレ? 俺って魔法使いだよな。なんか段々矛盾してきた気が……。
ハイオークが再び吠えるとドスドスと駆け出してきた。
ああもう、こんな余計なこと考えてる場合じゃない。
全身真っ黒なグリズリーもどきの猪豚は、鬼の金棒のようにこれまた黒くて太い棍棒を力強く振ってきた。
ドゴォンッ!
俺が跳び退った地面に、オークの棍棒が叩きつけられる。
おい、これ本当に試験だよな?!
左に走りざま後ろを振り向いた俺は肝が冷えた。
黒オークの打ち据えた地面は土がごっそりえぐれて、ボッカリと大穴が開いていたからだ。
あんなのまともに喰らって本当に大丈夫なのか? 実は間違えて本物用意しちゃってないか?
そんな猜疑心が浮かんでくる。
ええい、とにかく当たらなけりゃいいんだ。倒すしかないっ!
なんだか最近あいつの影響のせいか、迷うよりひとまず行動する事に頭が切り替え易くなってきた。
悔しいというか認めたくないが、あいつのポジティブシンキングさは確かに俺を変えてきているようだ。
ただ影響を受けすぎて、奴のデリカシーの無さまで移らないようにしないと。
おっと、また下らない事を考えてしまった。
柱と柱の間をジグザクに走り抜けながら、後ろから咆哮をあげて追いかけてくるオークの動きを探る。
3m近い黒オークは、巨体の割に小回りが利くようだ。
俺の後を一度も柱にぶつかりもせず、同じルートをたどって追って来る。
始めは本物かと疑ったが、やはり偽物らしい。
先程から吠えている叫び声が言葉としておかしいのだ。
日本語をまったく知らない外国人が耳で聴いてオウム返しにマネをした、
『ぶちのめしてやる!』が『ブッチノーメヤァウ』みたいになっている。
この偽の叫び声を連発しているのは、おそらくオークがよく発するゴロツキ言葉だからだな。
どのみちオークの言葉を知らない者が作ったのは間違いないだろう。
とにかく相手はただの傀儡人形、生き物じゃないのならこちらも罪悪感無しに思い切りやれる。
ただ今回は転移の他にも封じ手があった。
それはあの『酸欠魔法』だ。
能力を寸分漏らさず観察、もしかすると解析もされているかもしれない試験場で、こんな暗殺者が欲しがるような魔法を披露する訳にはいかない。
原理がわからずとも、この疑似魔物のようにマネされるとも限らないからだ。
オークが思ったより早く、俺のすぐ後ろに迫ってきた。
背中のすぐ後ろでブン! ヒュン! と、棒を振り回して風を切る音がする。
よしっ 反撃してやるよ。
右の柱の陰にダッシュで隠れた瞬間、オークのデカい頭に思い切り雷を落としてやった。スタンガンみたく細かい調整はしない。瞬間的に出せた最大限の電流を叩きつけた。
ガッギャンッ!! と、何かが炸裂するような高い音。
手応えはあった!
念のためにすぐにその場を離れる。
一撃離脱戦法、いちいちその場で仕留めたかどうか確認してる余裕はない。
ただひたすら動き回って勝機を掴むのが俺の戦法だ。
ある程度離れてから探知したオークは、その黒い体からシュウシュウと白い煙を上げて両腕を垂らしながら立っていた。微かにその大きな体が揺れている。
そしてゆっくりとその黒い塊が左に傾いた。
グラリとその巨体が崩れていき、大きな音を立てるかと思いきや、地面に触れた瞬間、粉が舞い散るように黒い霧となって音もなく飛散していった。
俺がまだ警戒して柱の陰から覗っていると、
「お見事っ! 1本ありました」
すぐ近くで声がして、ビックリして振り返るとすぐ後ろにアイーゴが立っていた。
「陸の回はソーヤさんの完全勝利です。
お早かったですね、ケライノーが一声も啼かずに終わりました」
あの黒い鳥はケライノーというのか。そういや神話にそんな名があったな。
確か『黒い女』とかいう意味だったけ?
そのケライノーは、まだ俺の上空をゆっくりと旋回している。
「次は海ですが、少し休みますか? それともこのまま続けますか?」
「やります、続けて下さい」
ようやく気分が本格的にノッて来た。ふふん、俺、結構強くなってるじゃん。
この勢いで他もちゃっちゃと制覇出来ちゃうんじゃないのか。
ハイオークを思ったより簡単に倒せたことが、俺を少し調子づかせた。
「わかりました。では次、海ターン開始します!」
そうアイーゴが言い終わると、彼の姿が霧に霞むようにまた消えていった。
海ということは、今度はここが海になるのだろうか。
足元の芝生や柱は変わらぬままだが。
するとおもむろに足元から透明な水が滲み出してきた。
それはみるみるうちに甲の高さとなり、足首、膝へと上がって来た。
急いで柱の上に登る。
上から見回すと、沢山の柱が立ち並んだこの円形ホール全体に水がどんどんと、その水位を上げて来るのがわかった。
海での戦いというなら普通、船上というのが一般的な設定だと思ったが、どこにも船らしき姿は見えてこない。
もしかしてこのまま水没してしまうのか? ぎりぎり空気の層は残してくれるのだろうか。
だとしたらかなり難度が高くないか? それとも逆に『水使い』ならやりやすいのか?
そういえば水中戦というのはまだやったことがなかった。
海と言われて安易に海上と思っていたのは迂闊だった。
などと考えていたら、柱が水没するまでにあと50㎝といったところで、ピタッと水の上昇が止まった。
おお、良かった。
するうちに水がチャプチャプンと音を立てて柱に打ちつけ始めた。
波が出てきたのだ。
頭上でケライノーが『クアァァァーーーーッ』とまた大きく啼く。
始まった。
船は用意されないが、この柱が岩場の代わり、足場ということか。
水は透明だが波打っているので上から中が見えづらい。
海面下を探知で視る。
何か数個の影が素早く左側の壁の方から、大きく旋回してやって来るのがわかった。
複数? 1対1じゃないのか。
イルカの群れのように、それらは水面すぐ下を滑るように俺のいる柱に向かってやってきた。
あと10mを切ったと思った瞬間、それがパッと左右に分かれた。
なにっ!
突然、前後から魚が鋭く飛び出してきた。
咄嗟に平べったく伏せて避ける。
俺の頭があった位置に ガチ ガチンッ! と噛み合う音がして、水しぶきが激しく掛かった。
2匹の魚が俺の頭上を交差して飛んで行く。
おちおちと次の動きを推測している暇はなかった。
先の2匹が水に戻りきる前に第二弾が、真向から俺の顔目がけて吹っ飛んできたからだ。
以前の俺だったら、咄嗟にここで転移していたろう。
だが、今はそれを封じている。
すぐさま後ろに跳躍した。
もちろん足の力だけではなく、ジェット噴射で更に体をふっ飛ばす。
目の前で牙だらけの大きな口が、ガチン! と音を立てて閉じるのを見た。
ウツボのように長い体をしたその魚は、再び水中に戻っていった。
ウルフフィッシュ。
俗に日本では『オオカミウオ』という名で知られた魚がいるが、こいつらも同じく鋭い牙と厳つい顔をしていた。
だが、それだけでウルフの名がついたわけでない。
後で奴に聞いたのだが、こいつらは集団で狩りをする習性があるのだ。
まさに狼のように。
1匹ずつならまだしも、集団で襲い掛かって来るこの連携プレーが、この魚を手強い狩人にしていた。
またそのしなやかで強靭な肢体で鞭打つように水を蹴り、海上を飛んでいる渡り鳥すら狙って来る攻撃性の高い魚でもある。
もし水の中に落とされたら奴らの独壇場。絶対に上で決着をつけなければならない。
20mほど後ろの柱の上に着地。続けざまに3度、柱を跳んで距離を空けた。
本物の場合、獲物との距離がこれだけ開けば普通は諦めると思うのだが、今や俺はターゲットとしてロックオンされている。
すぐに奴らはフォーメーションを取り直して、たちまち魚雷のように向かってきた。
……3,4,5匹か。
いくら1匹ずつはそれほどでなくても、ちょっと多くないか?
それならこちらは距離を取っての戦法だ。
その巨大な弾丸のように一塊になった魚影に向かって、電撃を放ってやった。
水面がパァッと白く光る。同時に轟音とともに水飛沫が激しく飛び散った。
魚どもの動きが止まった。
どうだっ 焼き魚になったか!
だが、そう思えたのもほんの僅かの間で、5つの影はブルッと身震いしただけで、すぐにこちらに向かってまた急接近してきた。
魚のくせに耐電性があるのか。いま俺、かなり力強くやったよな?
それともさっきのハイオークは、ただ雷に耐性がなかっただけとか……。
ええい、とにかく次の手だ。
奴らが向かって来る方向に水を強く圧縮して、細くも硬い鋭利な水の網を作り出した。
同じ水中で、しかも高速移動してくる者には見えづらいのか、見事なまでにその網に頭から突っ込んでくれた。
どうだ、ツナフレークになったか!
だが何も起こらなかった。
魚は前方に何も無かったように泳ぎを止めない。網は消し飛んでいた。
しかしこれは水属性がある魔物なら当たり前か。
魔物と動物の違いは、魔力をどれだけ活用出来るかという事だ。魔法として意識的に使えなくても魔素の動きをある程度制御、抵抗力があるならそれは魔物。人なら魔法使いだ。
そうだこれくらい、まだ予想の範疇だ。と、予想を外したことはあえて考えない、今は。
次、岩だ。
槍先のような尖った岩を作り出し、それぞれの魚の頭に向かって力の限り発射。
水中では発射威力は劣るが、向こうから突進してくる勢いが加算されるから、その分カバーされるはずだ。
が、これも砕け散った。
む、なんだか嫌な感じになって来たぞ。
少し腰を落として身構える。
目の前で魚影がパッと3つに分かれた。
考える間もなく、右斜め後ろから1匹が飛び出し、左側からも2匹が同時に。
咄嗟にしゃがんで避けながら剣を振ろうとした俺の探知が、今まさに後ろの波間から頭を突き出してきた残り2匹を感じ取った。
くそっ 時間差かよっ!
すぐ垂直に上にジャンプ!
足下でウツボのような魚どもが、ぶつかることなく綺麗に交差して水中に戻って行く。
その姿はまるで華麗なイルカショーのよう。だが俺にしたらコロシアムそのまんまだ。
すぐさま突風を使って俺は右の柱目がけてすっ飛んだ。
こいつらに本当にこんな知恵があるのか?
さっきのオークとはえらく難易度が違うじゃねぇか。試験用に操作し過ぎてないか。
それともさっき余裕で勝ったもんだから、グレードアップされちゃったか?
つい色々と疑いたくなる。
横に吹っ飛びながら、着水寸前の魚の横っ面に火の玉を放った。
ヴォワンッ! 下顎が張り出したその凶悪ヅラに火炎弾が炸裂する。
元から黒いので焦げ目は分からないが、炎で焼いた手応えはあった。
よしっ、やはり火には弱いのか。
魔法全般に耐性があったら不味いと思ったが、なんとか効く魔法があった。
だが水中ではさすがに火の威力は活かせない。
試しにまた一塊りになった魚のまわりを、空気で包んで水を退けようとした。
が、それも泡ぶくとなって一瞬で放散した。
風もダメか。
本当の『水使い』なら、水中でもまさに魚みたいに息が出来たり、舞うように動けるというからこんなに苦労はしないのかもしれないが、俺はそこまで水を練れない。
ここは空中に出て来た時を狙うべきだ。ヒット&アウェイやりづらいが。
柱の上で剣を構え直した俺のまわりを、魚たちが柱の間を素早くすり抜けながらグルグルと回る。
狼みたいにそれぞれがバラバラに回らないだけマシだが、それでもどの方向から来るのか油断できない。
パアッとまた手前で3つに分かれる。
斜め後ろから2匹、バシャッバシャンと体1つ分、前後にずらして突っ込んで来た。
先に来た魚を左に避けると、こちらに斜めに口を突き出す形となった2番目の魚のエラに向かって思い切り剣を振るった。
ガァリンッ! という太い骨に当たった手応えとともに、魚の首に剣が半分喰い込んだ。
途端に黒い霧となって霧散する。
やはり物理は有利か。
だが息つく暇もなく、左から1匹、続いて時間差で正面から低めに2匹が飛び掛かってきた。
左に重心が傾いていたので、慌てて突風で体を右に押し出す。
そのまま右足で踏み込み柱から跳び退りながら、3匹まとめてその鼻面に炎を叩きこんでやった。
ヴォンッ ヴォボンンッ!
爆発の勢いで魚たちが俺の手前で落下する。
だが、その体は消えなかった。
火力を分散させたために威力が落ちたか、それともこの魚たちがそこまで火に弱くはなかったのか。
最後の魚が落ちる寸前、バチンと尾が俺の顔に当たった。痛くはなかったが、衝撃はそれなりにあった。
おかげで落ちかけて咄嗟に水面を硬化させて柱の上に蹴り上がった。
再び剣を構える俺の頭上で、ケライノーが一声『クァー』と啼いた。
とりあえずわかったのは、まずは1匹倒せたということ。
そしてまだ1分しか時間が経過していないという事だった。
ここまで読んで頂きありがとうございます!
次回ももちろん、戦闘は続きます。




