第178話 『甦るあの日の恋とジレンマ その1(置いてきた街の想い)』
土曜日の昼、いつも通りに亜空間の門を通って、下宿の屋根裏部屋に出た。ハンター試験を受けるまではここが現在の転移スポットになっている。
今回はこちらの朝の9時の鐘と同時に地球に帰ったので、こちらに戻ってきた時は同じく昼過ぎとなっていた。
まあ行動するには良い時間だろう。
すぐにラーケルに行きたいところだが、今日は先に買い物がしたい。
「やっぱり物が揃うとなると王都が一番かな」
以前スプレマシーを買いに行ったギルドの売店コーナーは、ちょっとしたショッピングモールのようだった。あそこならハンターに必要な基本的な物がまず揃っているはずだ。
「お前の怪我ならオレが治してやるのに」
奴が買い物リストを覗き込んで言ってきた。
「分かってるよ。だけどこれは万一の時のためだ」
今回俺は自分の力の無さを思い知った。
そう、俺は自分の事しか考えていなかったのだ。もし仲間がいた場合、俺の能力だけじゃ助けられない可能性が十分あるという事を考えていなかった。
皆はちゃんと準備をしていたのに、俺は奴がいるから無頓着に甘い考えをしていたのだ。
おかげでヨエルをもう少しで死なすところだったし、全員を助けられなかった。
全ては『たられば』になってしまうが、もう同じ轍は踏みたくない。
だから、自分の中途半端な能力を補うために、道具が必要なのだ。
「とりあえず、ハイポーションかな。スプレマシーが一番良いけど、やっぱり高いしなぁ」
ポーの時に買ったが、やっぱり何本も買うにはさすがに勇気がいる値段だった。
応急処置ならハイでなんとかなるかなあ。何本か重ねがけすれば……などと、この期に及んで金との相談で揺れている。
大体俺はRPGゲームでダンジョンに向かう時は、出来る限り準備をしてから入る慎重派だったはずだ。
買えるだけのポーションと魔力回復薬を買い、装備が整わないうちは、あまり奥に行かないですぐに地上に戻りを繰り返し、軍資金を集めて少しづつ装備を整えて攻略していた。
なのに現実だと、こんなに気楽に無計画で奥まで行ってしまった。
まあ今回はこんな災害があるとは思ってもいなかったわけだが、登山をする際に予備の食糧を持っていくのと同じ、何事にも万全の準備は必要だ。
「あとは毒消しか。毒消しにもローとかハイってあるんだよな? 前に『パープルパンサー亭』で出してくれたのは弱い毒消しだとか言ってたし。
それと魔力回復ポーションか。これがあれば魔石は要らないかな。いや、だけど何かの装置を動かす事態になった時に、必要になるかも……う~ん、物入りだなあ」
「そんなのオレが出してやるよ」
「いや、有難いけど、これは俺の問題だから、俺の金でやらないと納得できないんだ」
本当はとっても有難い申し出だったけど、俺のちっぽけなプライドがその甘えを許さなかった。
とにかく稼げるようになろう俺。
またイアンさんちの裏庭に転移する。
そういえばあのタオルと鏡はどうなっただろう。もう販売をしてるのだろうか。売れ行きが気になるところだが、わざわざ聞きに行くのもせっついているようで、ちょっと気が引ける。
何かあったらナジャ様が連絡してくるはずだから、今はそのままにしておこう。
ハンターギルドに着くとすぐに中央の階段に向かった。確か売店コーナーは3階だったはずだ。
「おや、もしかしてソーヤさんじゃありませんか?」
階段に足をかけそうになった時に、後ろから声をかけられた。
振り返るとそこにはエッガー副長が立っていた。
「えっ、エッガーさん、どうしてここへ? というか、なんで私って分かったんです?」
俺は一応ここに来るときは例の狐面を着けていた。この恰好だって似たような奴は結構いるし、そんなハッキリと特定出来ないと思うのだが。
「やっぱりソーヤさんでしたか。いえ、見た事ある恰好と体つきだし、それにその下の服装が独特でしょう。特にその靴でわかりましたよ」
ああ、そうかぁ。俺の履いているジーンズって遠目にはそれほど違和感ないが、近くで見ると裁縫とか生地とかやはり違うんだよな。それに決定打はこの登山靴か。さすがにこれは他には代えられない。
「今日はソーヤさんお一人で?」
と、副長があたりを見渡す。
あれ、いつの間にか奴がいない。
相変わらず隠れるのが早い。気がついたなら教えてくれればいいのに。
「ええ、ちょっと今日は、この上の売店に買い物にしに来ただけなので。ここならハンターに必要な物が一揃え出来るんですよね」
「そりゃあもちろん、王都のギルドですからねえ。初心者セットから玄人用まで基本的な物は全て揃ってますよ。
まあもっと種類をご覧になりたいのでしたら、エルガレィオ通りがお勧めですよ。別名アドベンチャー通りと言われています。あそこには武具や魔道具、薬に地図と専門店が並んでいますからね」
そうなんだ。ちょっと初心者セットという基本セットも見てみたいかも。
「そういえば聞いておりますよ、今度ランク試験を受けるとか」
「え、そんな情報も回ってるんですか」
「そりゃあもちろん、ソーヤさん達は有名人ですからね。特にウチのギーレンは、ソーヤさんが登録して頂いたギルドですから、連絡があるのですよ」
う~ん、分かってはいたが、やっぱりなんか監視されてるみたいな感じは否めないな。
「ソーヤさんなら大丈夫でしょう。私もしばらく用事でこちらに滞在しますので、ぜひ立ち会わせていただきたいと思います」
「いや、それはちょっと、たかがDランクの試験に恥ずかしいですよ」
本当にギャラリーが増えると緊張するので止めていただきたい。
「それにしてもソーヤさんたちが、ギーレンからいなくなって淋しくなりましたなぁ。
ドルクの奴も面白い物が来なくなったと嘆いてましたよ」
本当に残念そうに眉をひそめた。
ドルクのおっさんかあ。
俺はちょっと懐かしい気分になった。獲物を持って行った時のおっさんの嬉しそうなハンセン顔が思い出される。
たまにはギーレンに顔を出すのもいいかなあ。
そこに追い打ちをかけるように副長が言ってきた。
「あと、リリエラも淋しがってましたよ。ソーヤさんの依頼を扱えなくなったと」
「リリエラが……」
久しぶりに聞くその名前にドキリとした。
ここ何十年も砂漠化した俺の気持ちに、一時の潤いを与えてくれた女神。
いま絵里子さんという想い人がいるのに、あの時の瑞々しい想いがまた甦って来た。
「いや、まあ……お世辞でも嬉しいですよ。そんな事言ってもらえると。
その、ドルクさん達はお元気ですか?」
ついリリエラの事を聞きたかったが、そこはあえて外した。
「ええ、ドルクは相変わらずです。
ただリリエラは最近、彼氏と別れたらしくて気落ちしてますよ。まったく職場内恋愛というのは時に厄介なものですなあ。
仕事場が同じだとどうしても顔を合わせたり、人から噂を聞くので気もそぞろで……」
「ええっ! 別れたぁっ !?」
つい声が出てしまっていた。
俺の様子にちょっと副長は驚いたようだが、すぐに声を潜めて話を続けてきた。
「そうなんですよ。どうも彼、スコットが浮気したとか。1階の買取所でリリエラと大喧嘩して、宥めるのが大変でしたよ」
浮気……あの野郎、あんな良い女がいるのに浮気しやがったのか!
俺は急にあの夜の2人を思い出して、頭に血が上って来るのを感じた。
俺はハナからお前がいるから、諦めたんだぞ。もしそうでなかったら、玉砕覚悟でアタックしてたかもしれないのに。
だから顔だけの奴は信用できないんだ。あの娘を泣かせるなと言ったのに。(あくまで自分の頭の中でだが)
「そういえばソーヤさん、彼女の宿に一時期泊まっていたのでしたよね」
エッガー副長が少し口元を上げた。
「宜しければ今度またギーレンにお越しください。ソーヤさんの顔を見れば、少しは彼女も元気になるやもしれませんからね」
それではまた試験会場でと、副長は去っていった。
後にはモヤモヤに憑りつかれた俺が残された。
「あの男も上手いこと引っかけて来たな」
いつの間にか奴が隣に戻ってきていた。俺はまだ階段の脇に佇んだままだった。
「なんだよ、それ……」
俺の頭の中には、やり場のない憤りと心配がぶすぶすと湧いてきて、他のことを考えられなくなっていた。
「お前をギーレンに呼び戻す魂胆だ。お前があの女に気があったのを感づいてやがったからな。そう言えばお前が戻って来るかもと踏んだんだろう」
「なに、じゃあアレは嘘なのか?」
「いや、それは事実のようだな。さすがにそんなホラは吹かんだろ」
そこは事実なのか。なんだか急に落ち着かなくなってきた。
買い物しに来たのに、それよりも違う事に頭がいってしまう。
「で、どうする?」
「どうするって……」
「いつまでこんなとこに突っ立てる気だ」
「ああ、そうだ、そうだな。だけど……すまない、なんか買い物する気分じゃなくなってきた」
俺はそのまま階段から離れると、出口の方に向かった。とにかく外の空気が吸いたかった。
外に出ると入ってきた時と同じで、目の前の大通りは大勢の人が行き交っていた。
人々の話し声、笑い、ちょっと剣呑な感じに言い争う声、馬車の石畳を走る音などの喧騒が、とても頭に響いてうるさく煩わしく感じられた。
「ちょっと移動するか」
後ろから奴が声をかけてきた。
そのまま2人くらいが通れる狭い路地に入っていく。
後に続くとそのまま転移した。
「ん……ここは」
出たところは、森の中だった。
樹々の隙間から木漏れ日が柔らかく降り注ぎ、森林の香りが優しく風に乗って漂っていた。
「少し頭冷やせ」
そう言われてすぐに胸の奥の動揺は消えたりはしなかったが、とにかく頭を整理するために近くの横倒しになった樹の上に座った。
渡されたペットボトルの水を飲む。
薄めてはあるが、これはあの癒し水だ。こんな気分の時は有難い。
「そういやここはどこだ?」
だいぶ飲んでちょっと気持ちが落ち着いてからあらためて辺りを見回した。
王都近くの森だろうか。
「分からないか? ここの空気に馴染みがあるだろ」
「まさか、セラピアか? あの森なのか」
確かにこの空気には覚えがある。
爽やかで優しく、揺れるように頬を撫でていくちょうどいい感触の風など、俺と相性がいいと言っていた魔素がある森。
あのギーレンの東の森だ。
「よりによってこの森かよ……」
俺はまた何とも言えない気分になって下を向いた。
「場の相性は体質や魔力包容力で変わって来る。ここは今のお前にとって、一番ヒーリング効果の高い場所なんだ」
確かに気分はあれなのだが、こうして森の空気を吸っていると、頭の重りが取れて体が軽くなっていく感じがする。
だからといって悩みが解決するわけではないが、少し冷静になれた気がした。
「どうせ悩んだってしょうがないだろ。あっちはあっち。お前の人生じゃないんだから」
「そりゃそうだが……あの野郎、リリエラを裏切りやがって……」
また頭が熱くなり出した。
「それはあの男の話だけだろ。真実はどうかわからんぞ」
「なに、じゃあ本当は違うのか?」
「ほんのわずかな断片だけを見て、全体を知ったつもりになるのは愚か者のすることだ。
当事者たちにはそれなりに言い分があるかもしれないだろ」
うぅん、そうかも知れないが、リリエラを泣かせた事実は確かなんだろう。それだけでも許せない。
でも俺には関係ないことか。
我ながら未練がましいなあ。そう、頭ではわかるのだが、なかなか気持ちの切り替えが難しい。
「そんなに気になるなら、お前の目と耳で確かめればいいじゃないか。これからギルドに行ってみるか?」
「えっ? これから」
俺は驚いて顔を上げた。
「そんな気持ちじゃ、これからの行動に支障をきたす。ハッキリさせてすっきりして来い」
奴がジッと銀色の目で俺を見据えてきた。
当然ながら目力が有り過ぎる。この圧でモノ言われたら、もう断る選択肢は消えてしまう。
どうせこんなチマチマした悩みなんか、こいつは一切持ってないのだろうが、こういう時に俺の背中を押してくれる力になってくれる。
「そうだな。ハッキリさせて、すっきりさっぱりさせて来るか」
「そうだ。グダグダ思い悩んでるより、綺麗に散った方がいっそ清々しいぞ」
なんでフラれる前提なんだよ。
くそ面白くねぇ~。
「だけどどうせならドルクのおっさんにも会いたいなあ。そうなると手ぶらじゃ行きづらいか」
ただその事を確かめに行くだけじゃ気も足も重いが、何か別の理由をくっつけた方が動きやすい。
そうだ、俺はドルクのおっさんに会いに行くついでにリリエラの顔を見に行くんだ。そういう想定で……。
となると何か買取にまわせる物を持っていくべきだろう。
実際は近くに来たとか、ただ無駄話に寄り道するハンターも多いようで、そんなこと気にしなくてもよかったのだが、こういうのを気にするとこが俺の気の小さいところである。
「じゃあ何を狩る? この森だと奥にフォレストウルフかワイルドボアーってとこかな」
「う~ん、今はそんな狩りする気分じゃないなあ。それになんか当たり前すぎる気もするし」
ドルクのおっさんが『面白いモノ』とか言っていたというのを聞いて、なんかハードルが上がってしまった。
以前のホブゴブリンやオークも、決して獲物としては珍しい訳ではないのだろうが、死因が珍しいという事なんだろう。
だけどあまり殺し方に注目して欲しくない。ここは純粋に良い物を持っていきたいとこだが、いまハードな事をやりたくないのも本音だ。
「そうか。じゃあ今回は、オレのストックの余りでも持っていってみるか」
「え、まだ何か持ってるのか? この間のドラゴンの鱗みたいに」
「まあな、色々とあるぞ。成り行きで貰ったものとかな」
「成り行きで……」
昨日の煽り野郎から金渡されたみたいに、命を取られる代わりにって相手が差し出してきたブツとかしか考えられない。
「ん? 不満か。ならお前が獲りに――」
俺の疑心が顔に出ていたらしく、奴が片眉を上げた。
「いや、全然不満なんかないよ。ただ、あんたが持ってるって、どんなヤバいブツなのかなあと」
実際、余計な狩りに連れて行かれなくて助かる。
「そうだな、色々あるが、ちょうど要らなくなりそうだからこれにするか」
そう言って空中からスルッと、ドラム缶ぐらいの樽を取り出してきた。
そのフタを開けると、生臭さと甘さが混ざった何とも言えない異臭が溢れ出してきた。
「なんだい これ……?」
中を覗くと、黒と赤紫、赤、深緑がデタラメに着色された、天然海綿スポンジのようなボツボツした塊が入っていた。そうしてヌメヌメと濡れている。
「ディゴンの精巣だ」
「――ディッ の、エエェッ!!?」
俺はつい飛びのいてしまった。
「いや、本当は、お前に使おうと思って取っといたんだが」
「な、な、な、な、な……ナニッ?! 何言ってんだ???
こんなモノまで俺に食わす気だったのかっ!?」
こいつトンデモない事また考えてやがって。肝の次はタマかよっ!
「とりあえず必要になるかと思って1個獲っておいただけだ。
それに個体によって5,6個あるからな。1つぐらい取ってもどうってことない」
そうなのか? いや、そういう問題じゃないだろ。
なんでディゴン寄りの話になるんだよ。
「コイツはオークのどころか、赤ん坊も起きるパワーがあるんだぞ。それこそ棺桶に足を突っ込んだジジイでも元気になる代物だ」
究極の精力剤か。しかもマムシどころかよりによってディゴンのかよ。気持ち悪い。
「そんなモノ、だからなんで俺に……」
「体力増強剤でもあるんだぞ。血行促進に回復力もダントツで上がる。戦地じゃ24時間ぶっ通しで戦えるって重宝されてるんだ」
どこぞのエナジードリンクみたいだ。後の反動が怖い気がする。
「それにいざっていう時に出来ないとアレだろ?
まあ、最近お前は若返って元気になってきたから、こんなモノに頼らなくても大丈夫そうになってきたしな。要らないか」
そう言って奴がニーッと笑った。
「馬鹿ヴァリーッ! 人のプライベート見てんじゃねぇよっ!」
この出歯亀ならぬ出歯ザメっ!
「オレはお前のガーディアンなんだぞ。お前の体調管理もしてるんだからな。大体恥ずかしい事じゃないだろ。ただの生理現象だし」
「なんでもかんでも生き物の生態一辺倒で括るんじゃねぇよっ!」
俺は立ち上がって、その場で地団駄を踏んだ。もうさっきからのイライラを、ついこいつにぶつけてしまった。
「そうか。まあオレだけじゃなく、ナジャの奴も喜んでたぞ。お前が無事に若返ってきたって」
サメが悪びれずに言った。
「イヤぁーーー!! ナジャ様も知ってるのかよっ!!?」
俺はその場に崩れるように手と膝をついた。
若い女に見られてたなんて……なんて恥ずかしい。
「まさか…… すぐ傍で見てたなんてことは ないよな……?」
「さあなぁ」
奴が空とぼけるように肩をすくませた。
いつも読んで頂き有難うございます。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
『カクヨム』版の方で、やっとヨエルが登場しました。
少しこちらとは違う展開になっていきます。
こちらも宜しければご拝読お願いします。
『第147話☆ 風使いのヨエル』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054921157262/episodes/16816452219899073497




