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第175話☆ 『それぞれの闇と浄化 (ポーの死生観)その2』


 次の瞬間、俺の前には奴の灰色の背中があった。

 瞬きする間もなく、奴の背中越しに見えた、黒と紫の煙が満ちたドームが真っ黒い影に包まれる。

 奴の結界だ。


「てめぇは太陽にでも焼かれて来いっ !!」

 カアァッ! と、凄まじい閃光が走って思わず目を瞑った。

 だが瞼ごしにその光は急速に収まり、目を開けるとそこにはもうあの球体は若頭ごと無くなっていた。


 部屋のカーペットや天井、床にもあの瘴気の欠片は残っていない。

 ナジャ様が結界を張るのが速かったせいだ。

 ちょっとでも遅ければ、きっとまわりを浸食していたに違いない。


「ヴァリアス……」

 助かったのか――

 白黒逆転した眼になった、悪魔ヅラがこちらに振り返った。


「一応、無事なようだな」

 俺を頭からざっと視ると、そのまま横で四つん這いになっているキリコの傍に屈んだ。

 顔を上げようとしたキリコがまた咳き込むように口を開けたが、出てきたのは咳ではなく、ヒューヒューという空気が洩れる音だけだった。

 その乱れた金髪がかかった顔は、先程より黒ずんでいる。


 奴がキリコの頭に手をつけると、その手が急に黒紫に変色した。

 するうちに奴の首筋から顔に、黒紫な血管のような模様が浮かびあがっていく。

 それは今にも破裂してしまうのではないかと思うほど、一気に膨れ上がった。

 

 しかしギリッと奴が歯を鳴らすと、浮かんだ血管はまた平坦になり、やがて色は消えていった。


「ハァーーー……」

 キリコが息をついた。顔色が戻った。

「クッソっ、不味(まじ)いぃっ!」(某青汁CM以上に)

 奴は一声怒鳴ると、今度はナジャ様の方に向いた。


「お前さんっ よく来っ デェッ !!」

 ゴンッ! 彼女の頭に拳骨を喰らわした。


「イッ、痛゛(い゛)っだ~いィィィ~~~っ!」

「ヴァリアスッ! 何してんだよっ!? 女に手を上げるなんてっ」

 あとで考えるとだいぶ手加減していたようだが。


「ふっざけんなよ、ナジャ! てめぇ、オレがいない時にアイツを会わせやがって。蒼也に瘴気が微塵でも触れたらどうなるか、百も承知だろうがっ!

 ノリで連れて来るんじゃねぇっ!!」

 また轟くような怒声が響く。


 叩かれた頭を両手で擦りながら、ナジャ様が涙目で俺の足元にしゃがみ込む。

「ゴメンよぉ~……。最近、大丈夫だから平気かと思って……。ビトゥもソーヤを見舞いたいって言ってたし……」

「それが危ねぇんじゃねぇかっ。蒼也がこんな時だから、アイツのネガティブスイッチが入っちまうんだろうがっ。

 それっくらい『知』の奴が分からなくてどうするっ!?」


「もうそれくらいにしてやってくれよ……。ナジャ様だって俺のこと庇ってくれたんだし」

 言いながら俺はナジャ様の頭を撫でていた。

 なんだか、神様の使徒というより、つい普通のドジな女の子のように思えてしまったのだ。


 キリコの方を見ると、どうやら毒が消えたらしく、ふらつきながら立ち上がってきていた。


 解毒したのか。だけどいつもとやり方が違う。

「ヴァリアス、毒を抜いたんじゃないのか? それにしてはガスが出ないが」

「瘴気を出しちまったら、また撒き散らしちまうだろうが……」

 奴が凄く不味いモノを喰ってしまったというように、極悪に歪めた顔でこちらに見た。


「え…… そのまま吸収したのか? 大丈夫なのか、それ?」

 いくらこいつでも、さっきの様子からして相当な毒なんじゃないのか。

 それに答えずにキリコの方に向くとまた怒鳴った。


「お前もだっ キリコッ! オレのいない間はお前が最後まで、蒼也を守るんだろうがっ。

 それが真っ先にやられてどうするっ !?」

「…………面目ありません……」

 こっちの金髪もしおしおと頭を下げる。

 今度は自前の青筋を額に立てながら、奴がドスンとソファに座った。


「……あー、クソっ……戻ってくるなりひでぇモノ喰わせやがって」

 いかにも忌々しそうに唸ると

「キリコ、口直しに ――― コーヒー淹れろ」

「え、あっ はいっ!」

 あたふたとまわりを見回してから、俺の方に申し訳なさそうにキリコが顔を向けてきた。

「ソーヤ……具合悪いとこすみませんが、コーヒー持ってますよね?」

 あ、そうだった。アイツ用にオレがひと揃え持ってたんだ。だけど出せるかな。以前寝込んだ時は、収納が使えなかったけど。


 だが、そんな心配は杞憂だった。

 スルリといつも通り、目の前の空中に、雫が落ちた水面の波紋のような歪みが現われた。

 さっきの騒動で、鬱気分がぶっ飛んでいるせいかもしれない。


「だけどよくこのタイミングで帰ってきてくれたねー。もうお説教はおわったのかいー?」

「ナジャ、お前は切り替えが早すぎるんだよ。少しは殊勝に反省しやがれ。

 あと蒼也からも離れろ。また具合が悪くなる」

 ちょっとむくれながら、俺の隣に座ろうとしたナジャ様が奴の向かいにいった。


「途中で抜けてきた」

 奴がいつも通り、ガラの悪い足の組み方をしてソファにふんぞり返る。

「この部屋にいた天使どもが、慌てくさって飛び込んできたからな。なんかあったってピンと来るだろ」

「あ~、あいつら、ただ逃げただけじゃなかったのかぁー」

 少し納得した顔のナジャ様。


「途中って、勝手に出てきちゃったのかい?」

 そんなお叱りの最中に飛び出したら、尚更マズイんじゃないのか? 

「いや、どうせ罰は言い渡された後だったし、残りの小言くらいだったからな。もう済んだも同然だから平気だろ」


「……罰って、やっぱり何か処罰されるのか……?」

 グッと奴の眉間にシワが深く現れ、凶悪ヅラに陰が増す。


「そういや、リースの奴も文句言ってたぞ。アイツ、オレがスピィラルゥーラ(運命の女神)様に叱られたのに、自分は主のオスクリダール(闇の神)様に怒られたから、オレにブーブー言いやがって。

 知らねぇっつーんだよ」

 話逸らしたな。


「あらら、リースさん、思惑が外れちゃったんですか。それは残念でしたねえ」

 テーブルの上でキリコが、挽いたコーヒーにお湯を注ぎながら頷いた。

 コーヒーのふくよかな香りが辺りに漂ってくる。


「ケケケ、だからそれじゃ罰にならないだろー。あいつ、スピィラルゥーラ様に遊ばれてるって、なんで分かんないのかねー」

 面白そうにけったいな笑い方を美女がする。

「そんなこと百も承知だろ、アイツは。

 ただ変態だから、それ込みで楽しんでやがるんだよ」

 サメが鼻を鳴らした。


 あんた達のお仲間ですよね?

 先程の件が嘘のように今度は仲間弄りをしている。

 この切り替えの早さは彼ら特有のようだが、俺は全然納得していない。

 じゃあ別の件なら―――。


「ところで、さっきのオプレビトゥ様はどうしたんだ? あれは……瘴気なのか? どうしてあんなことに」

 それにすぐに答えず、キリコに向かってあのジョッキを出してきた。

「おい、こんな小さなカップじゃすぐ無くなるだろ。これに入れろ」

 相変わらずよく飲むな。

 あれ? そういや酒じゃなくていいのか?


 濃く淹れたブラックコーヒーを飲みながら、奴が口を開いた。

「ビトゥはな、クソ真面目なんだよ」

 本当に癪に触るみたいな言い方をした。  


「なんでもかんでも最善を尽くそうとする。感受性も強いし、お人好しだ。共感性も高い。

 だから、相手の事を深刻に考えようとする」


 それからグッとこちらに向いた。

「そんな奴が人の運命を決めるような仕事を、長年してたらどうなると思う?」

「…………それは責任感じるな……」

 俺にはまず荷が重すぎて、始めから出来ないが。



「アイツは壊れちまってるんだ。その重圧でな」

 奴が無造作に足を組みなおす。

「それならその仕事向いてないんじゃないのか。……もう仕事を変えることは出来ないのか?」


「お前はオレに運命の全てを織ってもらいたいと思うか?」

「いや、全然っ(キッパリ)」

「だろ。――― って、おい、少しは考えろよな。ナニ即答してやがんだよっ」

 つい脊髄反射で出てしまった。いつも考えてるからなぁ。

 向かいで腹を痛そうにしてるナジャ様を、ムスくれた奴が睨みながら話を続ける。


「とにかく適材適所ってことだ。

 俺は指導はしてやれるが、ゆりかごから墓場までの筋道なんざ細かすぎて、とてもじゃねえがやってられねえ。

 まず性に合わねえ」

 その指導の仕方もどうなんだよ、鬼軍曹よ?!


 俺の頬がヒクついたのに気がつかなかったらしい。奴がそのまま続ける。

「運命を設定させるなら、とことん相手の事を考える奴に任せたいだろ?

 ただ難点なのは、アイツは同調しすぎるとこだ」


「最近出ないと思ってたのにさ、またいつの間にかあんなに|瘴気⦅悩み》を溜め込んでたんだねー」と、ナジャ様が悩ましい足の組み方をする。


「自分の担当した相手が不幸になったら、自分の責任。ソイツが泣いたら虐めたも同様、非業の死でもした時には殺したも同然ってな。

 全てがそんな感じだ」

 どれだけバランス良く運命を設計してやっても、結局本人の動き次第で詰むときは詰むのになあ、と奴が空になったジョッキを置いた。


「……それはちょっとどうなんだろう。そこまで責任を感じなくても……」

 それは俺でもしょうがないと思うぞ。


 彼らは始めから人を不幸にしようとは思ってないんだ。

 ただ成長を促すために、どうしても試練という辛苦のスパイスも入れなくてはいけない。それがいざ人生が動き出すと、思っても見なかった方向に転がり出したりするのだ。


「他人のことは見えても、自分の事は見えないもんだな、蒼也。

 アイツとお前は似てる。お前もこじらせれば、アイツと同じように瘴気を出すようになるぞ」


「えっ……そんな大袈裟な! 大体瘴気が出るなんて、もう人じゃないじゃないか」

「いいか、瘴気っていうのはな、早い話、負のエナジーなんだよ。

 人を恨んだり妬んだりすると、その気が呪いのエネルギーになったりするが、お前やビトゥみたいなマジメな奴も同じ原理なんだよ。

 自分で自分を呪っちまう。自分を許せなくてな。

 それが余計自分を苦しめるんだ」


「……俺はそんな真面目な訳じゃないよ。善人でもないし……」

 そうだよ、俺は結局、他人から恨まれたくないだけなんだから……。


「何もしない善人と施しをする偽善者がいたら、どっちが良い結果を残せると思う?」

 そう言って奴は深く背をソファに持たせかけた。 


「まっ、オレは結果を出そうが出せまいが、行動した奴が正しいと思ってる。だからキリコ」

 急に名前を呼ばれて、お代わりを淹れていたキリコが一瞬体を硬くした。


「お前はさっき、まず一番に結界を張らなくちゃならなかった。そうすれば毒も受けなかったし、2人なら奴の瘴気を抑えられたはずだ。

 だが、体を張って蒼也を守ろうとしたのは評価してやる。。よくやった」


「副長……」

 口に手を当てて、キリコは目を潤ませていた。滅多に聞けない上司からの労いの言葉なのだろう。

 お世辞にも理想の上司じゃないけど。

 

「あーあ、また上手く懐柔されてるよー。まあ、本人が良いなら別にそれでいいけどねー」

 ナジャ様が軽く肩をすくめた。 

「お前がアイツを連れてきたのは忘れてないからな! 用が済んだんならとっとと帰れっ」


「あー、忘れてたよー」

 ナジャ様が勢いよく立ち上がった。


「さっきの騒動でうっかりしてたよ。ほら、入っておいで」

 そう言うと同時にドアが勝手に開いた。

『ミャオウゥーン』

 そこにはポーがお座りをして鎮座していた。


「ポー? さっきからもしかしてそこにいたのか?」

「こういうの『アニマルセラピー』っていうんだろ? ソウヤは動物好きだからいいんじゃないかと思ってさ、さっき借りて来たんだよー」


「それは嬉しいですけど、借りて来たって――― まさか勝手に連れてきたんですか?」

「違うよー。ちゃんと飼い主に言ったよ。ソウヤが落ち込んでるから、一晩猫を貸してくれって。そうすれば元気になるからって。すぐに貸してくれたよ」


「その姿でですか……?」

「ソウヤの友達ですって。

 いつもの姿で言ったら何か誤解されるだろー? だから見た目年齢を合わせたんだよー」

 いや、それっ、すでに違う誤解を招いてる気がするんだが―――。


「なるほど蔓山猫か、それはいいかもな」

 奴が納得したように呟いた。

「だろー? これでプラマイゼロぐらいになりそう?」


 ポーはスタスタと部屋に入ってくると、真っ直ぐに俺のところにやってきた。その丸い頭を膝に擦り付けて来る。

 おお、このベルベットのような肌ざわり、愛くるしい動作、癒される。


「ソウヤー、今日は疲れたろー。ゆっくり休んだ方がいいよー」

 そう言われると急にどっと疲れが出てきた気がする。

 さっきから気怠くて体が重いんだが、神経がどこかピリピリしていたせいで、眠気は飛んでいた。

 それに寝ると……あの光景が夢に出そうで怖かったのだ。


「大丈夫だよー、この子と寝れば悪い夢は見ないよー」

 なんで俺の心配がわかるのだろうか。もしかして俺の頭の中を読んでる?


「心配するな。お前の頭の中なんか読まなくても、オーラを見れば何を考えてるかわかる。お前のは読みやすいからな」

 あんたは絶対俺の頭の中見てるよな。

 そう文句の一つも言ってやりたかったが、まるで薬でも飲んだみたいに、急激に眠気が強くなってきた。


「あたい達には構わず寝なー」

 ナジャ様の声が段々遠くなったり近くなったりして聞こえる。

 これは何かされたのか。

 だが、もうそんな事考えるのも面倒くさくなってきた。


 俺は言われるままにベッドに横になった。

 ポーが傍に来たのか、マットの沈む感触を背中側に感じた。

 確かめたかったが、その前に意識が無くなった。


 そうして夢を見た。



 どこかの森の中、茂みの中にうつ伏せになって、目の前のてんとう虫に似た丸くて赤い虫を見ていた。

 そいつは俺が手を出そうとする前に、ブンと木漏れ日の射す樹々の間に飛んで行ってしまった。


 ふと何か獣臭いミルクの匂いがして、スンスンと鼻を動かしてみた。

 振り返ると、すぐ後ろに薄ピンク色の腹にボルドー色の毛並みをした触手がゆっくり動いている。


 蔓山猫だ。

 横になってこちらに向けているその腹には、6つの乳首が見える。

 成獣のメスなんだ。


 そこへ別の三頭身くらいの小さな子猫が2匹、ミィミィ鳴きながらヨタヨタとやって来て、それぞれお乳にかぶりついた。

 俺の右横を別のトラ模様の子猫が、小走りにやって来て、これも空いているお乳にしがみつく。

 

 すると俺も急に腹が減っていたことに気が付いた。

 何故かすんなりと自然に、俺もその親猫の方に近づいていった。


 それにしてもこの蔓山猫は凄まじく大きい。

 これじゃまるで象のようだ。

 なんでこんな……。


 気が付くと俺は残っていた乳にむしゃぶりついていた。

 温かくて甘酸っぱいミルクが、口の中に広がって来る。

 もっとミルクが出るように、夢中で腹を押す俺の右手は、紺色の毛に覆われていた。


 ああ、俺は今、山猫なんだ。

 なぜか自然にそう思った。


 他の兄弟たちもミルクを飲むのに夢中で、時折ほかの子猫の頭に前脚を乗せてきたりする。

 俺も隣の赤毛の背中に足をおいて、もっと口を押し付けるために伸びあがろうとした。


 そんな俺たちの頭や顔を、親猫が舌で舐めてくれるのがとても心地よい。

 髪の毛を優しく梳かれているようだ。


『あの子は残念だったけど、考えても詮無いこと。まだお前たちがいてくれる』

 声ではなくイメージだったが、大体こんな感じの感情が伝わってきた。


 ああ、そうだった。

 今朝、兄弟の1匹、ブチ柄が、大きな鳥に持っていかれてしまったのだ。

 あっという間だった。

 うっかり母猫から離れて草原を歩いている時に、大鷲のような鳥が音もなく降りてきて、あっという間に攫って行ったのだ。


 母猫は悲しそうな声を少し上げたが、すぐに残りの子供たちを追い立てて、森の中に避難した。

 あの子供を取り返す望み薄な行動より、今は残った子供たちの安全を優先したのだ。


 これは生きていれば、仕方のないことなのだから。

 大鷲は嫌いだが、恨みはしない。

 お互い食べ合わないと生きていけないのだから。


 しばらくして乳以外に母猫(母さん)が獲ってきた肉も口にするようになった。


 レッドビートルの殻は硬すぎて、俺たち(子猫)ではまさに歯が立たず、母猫(母さん)が柔らかくかみ砕いてくれた。

 グリーンラクーン(緑のアライグマもどき)は意外と皮膚が分厚くて苦戦したが、生肉が甘いと感じたのは新鮮な感覚だった。


 それと同時に、簡単な狩りにも連れて行ってくれるようになった。

 母さんが子鹿を仕留めている間、俺たちは近くの岩場に隠れてジッと母さんの動きを見ていた。


 親鹿は必死に抵抗してきたが、小鹿がこと切れたとわかるや諦めて、ひと啼きしてからその場を離れていった。


 俺たちはその子鹿の肉を有難く頂いたが、次の日グリーンボアに、またもや兄弟を1匹を持っていかれてしまった。


 ヤツ()は樹上からいきなり首を伸ばしてきて、赤毛を攫って行ったのだ。

 母さんが駆けつけてきた時には、そいつは枝から飛んで川の中を泳いでいた。

 また母さんは悲しそうな声を出しながら、残りの俺たちをひたすら舐めた。


 それでも俺達も食べていかなくてはいけない。

 母さんと共に一緒に狩りに出て、俺達兄弟たちだけでも少しずつ兎などの小動物を獲れるように頑張った。


 そうしてある日のこと、いつものように皆で獲物を探していると、離れた茂みにうずくまっている黒い影がいた。


 それは黒毛の蔓山猫の成獣のオスだった。やはりオスは母さんよりもひと回り大きい。

 そいつはジッと俺達家族を見ていた。

 その視線の先には赤紫色(ボルドー)の母さんがいる。


 やがてゆっくりと起き上がると、こちらにそろそろと近づいてきた。

 チラチラと母さんを見ながらも、顔は俺達のほうに向けている。

 その歩幅が段々と大きくなって来た。


 母さんが俺たちに最後の触手のひと振りをした。

『行って そして生き延びて ワタシの子供たち』


 そうだ、この場を離れないと。

 本能なのか、それとも母さんからの伝心なのか、とにかくその事だけはハッキリと理解できた。


 メスは子供がいると、発情しない。

 だから自分の子孫を残すために、前のオスの子供は新しいオスに殺される。

 母親と一緒にいる限り。


 俺たちは力の限りダッシュしてその場を離れた。

 もう後ろを振り返らない。巣立ち(別れ)の時が来たんだ。


 サヨナラ 母さん。


 もうあのオスと出会わないために、うんと遠くに行かないといけない。

 この森から出るのは初めてでちょっと怖いけど、同時にどこかワクワクしている自分もいるんだ。

 

 これも生まれ持った本能なのかもしれないね。新しい世界への好奇心が湧き始めてきている。

 そうやって新たな土地(テリトリー)を目指せるのだろう。

 

 初めて渡った川は決して浅くはなかったが、その水面は緩やかに流れていて俺達でもなんとか泳ぎ切ることが出来た。

 対岸の草むらでブルブルッと水を飛ばす。


 太陽の方向から風が吹いていて気持ちがいい。

 青くて広い空を白い雲たちが、遠く蒼く見える山の向こうへと流れて行く。

 とりあえずあの山を目指して行こうか。


 森を出て、湿原を走り抜け、再びまた別の森に入った。

 頭上でツグミ達が求愛のさえずりし、猿たちが枝を揺すりながら奇声を上げる。

 樹が草が青く香ってくる。

 木漏れ日の光に、花たちが嬉しそうにその顔を向けて揺れている。

 その甘い匂いに誘われて、花蜂たちが花の間を忙しく舞う。


 土に、水に、1枚1枚の葉にさえ生命が視える。

 世界の新鮮な息吹きをあらためて感じた。


 母さん、また子供を作るんだよね。

 その中にもしかすると、いなくなった兄弟たちも帰って来るかもしれないんだね。


 ふと気がつくと、いつの間にか他の兄弟たちの姿がいなくなっていた。

 きっと途中で、思い思いの好きな方向へ行ってしまったのだろう。


 でもそれでいいんだ。

 俺たちもこれからそれぞれに生きていくよ。

 そうしてまた命を貰ったり作っていくね。


 もし誰かに食べられても、ソイツの血肉になって生きるから。

 命は循環してるんだよね。今ならそれがわかるよ。


 でも今はただ楽しく精一杯生きてゆくつもりだから――


 しばらくしてまた野原に出た時、初めて見る生き物に出会った。


 前に母さんが教えてくれた、多分これがニンゲンだ。

 猿のような姿をしているが、頭にしか毛がなくて、手足は白く地肌が露出している。

 

 本能的にこいつはニンゲンの子供だと思った。

 ニンゲンの成獣は、もっと母さんくらい大きくなるそうだから。


 そのニンゲンの幼体が、明るいブラウン色の頭を少し傾げて俺をじっと見ている。


 敵意は無さそうだ。

 確か敵意のないニンゲンは、時々俺達に何故か食べ物をくれたりするらしい。

 そう思ったら急に腹が空いているのを感じた。


『ミャアウゥゥゥ~ン』

 つい啼いてみた。


 するとそのニンゲンは、自分の体のまわりを前脚で探っていたが、俺の前に何か薄茶色の、甘い匂いのするモノを突き出してきた。

「猫ちゃん、お腹空いてるの? クッキー食べる?」


 今度はもう1匹、頭1つ分大きいが同じくニンゲンの子供が現われて、同じように俺の前に屈んだ。


 その栗色の髪を俺は知っている――――――。




 そこで目が覚めた。


 右腕の感覚がない。いや、痺れているのだ。

 なんだ、どうしたんだろう――― と、目を開けてわかった。


 ポーの大きなネイビーブルーの頭が乗っていた。俺の右腕を腕枕にして、その大きな背中をこちらに向けて横になっていたのだ。


 ううっ、凄く可愛いのだが、たまらなく重いっ。

 一体いつから腕代わりにされていたんだ?

 そっと覗き込むと、ポーはスーフー寝息をたてている。そして俺の右腕は少し紫色になっていた。

 恐い……。


 圧縮空気で下からゆっくりとポーの頭を持ち上げると、やっと腕が抜けた。代わりに枕を滑り込ませる。


「おぉ~、感覚がねぇ~~」

 大丈夫か、俺の腕。

 なんだか力が入らないぞ。なんとか動かせるがグニャグニャして、感覚が全くない。

 これは相当血が止まってたな。


「顔色良くなったな」

 その声に振り返ると、奴だけがソファにふんぞり返っていた。


「ああ、今何時なんだ?」

 枕元に置いておいた腕時計を見ると、9時27分を指していた。

 開け放された窓から、明るい陽射しが入って来ているので、朝には間違いない。

 それにしてもよく寝たなあ。

 昨日は色々あり過ぎて、薬で回復したとはいえ、やっぱり疲れてたんだな。


「気分はどうだ?」

「いいよ。スッキリしたという訳じゃないけど、何か少し覚めたような、落ち着いた感じだ」

 そう、俺の頭の中にはまだ、昨日の記憶が生々しく残ってはいるが、昨夜に比べれば感じ方が違う。

 昨日の俺はその渦中で戸惑っている感じだったが、今朝は一歩引いて、冷静に見ている自分がいる。


「夢を見ていた。これはポーの記憶だな」

「そうだ。多かれ少なかれ、動物たちの死生観はそんな感じだ。いちいち悩んだりしない。

 自然の循環を本能で分かってるからな。

 ぐじぐじ執着するのは人間だけだ」

「そういうものかぁ……」

 俺はまだベッドで気持ちよさそうに寝ているポーを見た。


 ポーやポーの母親は子供の死を悲しむことはするが、そのまま執着せずに、すぐに現実に目を向けていた。

 それはそうしないと、生きていかれない過酷な世界だからだろうが、そのすんなりと自然界に溶け込む感覚が、少しずつ俺の頭に染み込んできた。

やっと感情が頭に追い付いてきたようだ。


「なんか動物って凄いな……。人間より現実主義だ」

「まあ、そこまで余計なことを考えてる知能がないからな。だけどシンプルでいいだろ?」

「うん、羨ましいよ。それに、確かにこういう考え方もありだな」


 俺は数人しか助けられなかったが、ゼロじゃなかった。

 今回の件で大勢の人が亡くなったのは変えられないが、それでも生き残った人達がこれから生きていってくれる。

 もしかするとあの生き残った女の子が、大きくなって結婚して、子供を産むかもしれない。

 そうしてまた人も増えていく。

 切り倒された跡の切り株から、新しい芽が出るがごとく、また繋がっていくのだ。


「良い色のオーラになってきたな」

「うん、ポーのおかげだな」

 俺はその上下する腹に手を伸ばそうとした。


「……ん……あっ、うぁあああぁア~~~~~っ!!」

「どうしたっ?!」

 奴も驚いて立ち上がった。

「う、腕が猛烈に痺れてきたぁ~~~」

 くうぅ~~~っ、俺はケガとかの回復速度は異常なのに、何故か筋肉痛とか痺れとかはしっかりあるどころか、まとまって一気に駆け抜けて来るのだ。

 腕を掴みながら、しばらく唸るしかなかった。


 そこへ控えめにドアがノックされた。

 反射的に視ると、ドアの向こうでレッカが心配顔で立っている。

 俺は右腕を擦りながら、ドアを開けた。


「ソーヤ! 具合はいいのかい?」

「ああ、ポーや皆のおかげだよ。すっかり良くなったよ」

 俺は痺れた腕を軽く振りながら答えた。

「でも、なんだか顔が辛そうだけど……」

「これは、その、ポーの頭で腕が痺れて……」

「え?」

「いや、寝過ぎただけだよ」

 とりあえず濁した。


 昨日の今日で色々話すことがあると、少し興奮気味にレッカが話し出した

 立ち話もあれなので、俺は中に入るように勧めた。

 

「何から話せばいいのかな、そう、とにかく昨日はありがとう! 

 アメリを無事助け出せたよっ」

 隣に座ったレッカがまた力強く手を握ってきた。

「そうか、良かった。無事だったんだな」

「うん、もしかして……まともな状態じゃないかもって、少し諦めてたから、凄く嬉しかった」

 そう言いながら、少し涙ぐんだが、それを振り払うようにまた顔から笑みを消した。


「ああ、それからまた大変な事が起きたんだよ」

 また興奮気味に声を高めた。


「ダンジョンが消えちゃったんだ」


ここまで読んでいただきありがとうございます。


猫に腕枕されるというは、飼っている方ならやられる人も多いのではないでしょうか。

私は飼ってませんが、友人宅に泊まった時、太った茶トラにやられました。

明け方、気が付いたら腕に違和感。見たら猫が私に背を向けて勝手に腕枕に使ってる。

可愛いんだけど、意外と猫頭重いっ(笑;)大きいし。

申し訳ないけど、寝返り打てないのでそっと外させてもらいました。


あと痺れてグニャグニャになった感覚は、私の場合は足での体験談からです。

長時間座ってて、いざ立ち上がろうとしたら、感覚が無くなっていた。

そういう時は注意が必要。転んだどころか、私の場合、捻挫しました。

足がグニャグニャ過ぎて、気付かずにどうも足の甲をまげたまま、

思い切り体重をかけて立ち上がろうとしたんです。

そしたら、麻痺してるのにバッキン!と凄まじい衝撃が左足に! それで転びました。

みるみるうちに左足の甲が腫れあがってきて、痛みとショック状態で吐き気もしてくるし

これは骨やったかと思ったほど。

夜だったので次の日、病院に。

医者も激しく転んだのかとビックリするほどの膨れ上がり。

紫色の桃をつけたみたいになってました。

ええ、恥ずかしいけど、自分の体重をかけただけです……。

本当に?って2回も聞かれた……。

幸い骨に以上はなかったけど、おそらく健をやってしまったらしい。

それから私は足が痺れたら、そっと注意して立つことにしてます。

チャンチャン。


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