第169話☆『分かち合う命と因果応報』
その亀裂から飛び出た触手は何かを探るように、グルグルと空中に尖先を立てて回し始めた。それにともなって、あの甲高い声も同じように、長く短く音程を変えて啼き始めた。
「あっ 逃げるなっ!」
男がさっとジェレミーを抱えると、姿を消した。隠蔽で姿を隠しやがった。
いつの間にかヴァリアスの姿もない。
どうするっ ?!
俺は遥か上の小さな水溜まりのような明かりと、足元の死にかけている男を交互に見た。
すると、前の土壁に透明に光るモノが付いているのに気が付いた。
これは――氷の破片だ。点々と上の方に続いている。誰かが足場を作って脱出した跡か。
考えてみたら、俺は足場くらいの土魔法なら維持できるのだ。あいつらが素直に助けを求めていれば、全て平和的にいけたのに……。
また理不尽な相手に対する怒りが湧いてきたが、今はこっちをなんとかするのが先だ。
あの触手の何かの振動なのか、蠕動なのか、また揺れが小刻みに始まりだした。
止めてくれっ。怪我人をこれ以上動かさないでくれよっ。
すぐにヨエルの体の下に、30㎝くらいの高さのエアマットを圧縮空気で作った。これでだいぶ揺れを軽減できる。
あの触手は何故かまた引っ込んでいた。
探知すると、この地面の下をまた潜って、ゆっくりと動いているようだ。幸いこっちには来ていない。
今のうちに少しでも治療をしないと。
しかしどうしたらいいんだ !?
慌てるなっ、考えるんだ!
治療には技術が必要だ。俺にはそれはない。回復には体力が必要だ。ヨエルにはもうそれがない。
くそっ やっぱりさっきの奴を探して薬を奪うしか ―― 体力……か。
俺が特訓でへばった時に、よく奴が体力を流してくるアレだ。
あれを逆に人にやれればいいんだが……。
あのエネルギーを操作してなんとが出す事が出来れば。
だが魔力ならわかるのだが、自分の生命エネルギーはどれなんだ。オーラか?
まずそれがわからないと、闇雲にそこらじゅうの薬を注射するような感じになってしまう。
それはさすがに危ないんじゃないのか。
待てよ、そういや、さっき転移の魔法円に無理やり引っ張られたのは、最後は生命エネルギーだった。
魔力と似てるようで非なるモノ。あれがそうか、あの感覚だっ。
「よしっ」
俺は手をすり合わせてから、ヨエルの頭と胸に手を当てた。
とにかく脳と、生命維持に必要な心臓と肺に特にエナジーを送らないと。
本来ならまわりを探知しながら、警戒しながらやらなくてはいけないが、そんな両方に神経を使えるほど俺は器用じゃない。
さっきの化け物はまだ地面下をうろついているが、幸いこちらに来ない。その隙に少しでも生命エネルギーを注げれば、なんとか回復で応急処置出来るかも知れない。
もちろん失敗して彼が死んでしまったら、という不安も凄くある。
だが、何もしなければ確実に彼は死ぬ。やるしかねぇっ。
魔力は体中にあるが、主に人間の場合、丹田や胸、頭など体の中心線上に溜まるポイントがある。
そこから体中に流れている感じだが、それは血管を流れる血液のようなものだ。
だが、生命エネルギーは細胞レベルであるのだ。手の先どころか、爪や髪の毛の先に至るまで、このエナジーに満ち溢れている。
これを感じ取って送り出す。
足元の振動をなるべく気にしないようにして俺は深呼吸した。
そうしてゆっくりと流し始めた。
両手がまたイエローと青の光を薄っすら放ち始める。魔力が一緒に注がれてしまっているからだ。
どうしても魔力が多く流れてしまう。だが、その光の中にほんの少し紅い帯が混じってきた。
どうか漏れずに上手く入ってくれ。
ピクっと、ヨエルの左手の指が微かに動いた。
おっと、上手くいってるのか、それともただの反射か?
怖いので少し出力を弱くする。どのくらいの勢いで流していいのかもわからない。とにかく慎重に反応を見ながらだ。
「ふうん、思った以上に今回、学ぶことが多かったようだな。最後はコイツと組ませて正解だった」
姿は見えないが、すぐそばで奴の声がする。
「ふざけんなよっ。そう思うなら手伝いやがれっ」
奴はそれに答えず
「ほら、そうやって気が散ると、エナジーも宙に散ってるぞ。ダンジョンが吸収するだけだぞ」
俺は慌ててまた作業に集中した。
「……これで出来てるのか? 合ってるのか、せめてそれくらい教えてくれよ」
「ああ、かなり漏れてるが筋は悪くないぞ。そうやって、やり方を見つけていくセンスもあるしな」
褒めるより力を貸して欲しいが、とりあえずこれでいいんだな。
ドガガガッ !! また激しい揺れと共に轟音が鳴り響いた。くそっ 揺れんなって。
思わずその音の方を視た。
あの通路を塞いだ土砂の前で瓦礫が盛り上がり、ソイツが姿を現わしていた。
まわりの青白い光を受けて、艶やかに反射するその体は黒いメタリックボディのようだった。
体を低く地面に沿うように伏せながら、長く太くそして先が錐のようになっているその尾を、湾曲させながら高く上げていた。
鱗を立てたような棘だらけの体に、頭部に当たる辺りには、目らしき器官はなく、横に広がった口には大きなクワガタのような顎が2つ伸びている。そしてその体の左右から、4つに割れた爪を付けた10本の足が伸びていた。
急にソイツが甲高く啼きながら、左に素早く横に移動した。そうして鋭く、先程触手と思った尾を、地面近くに向かって突き刺す仕草をした。
途端に悲鳴と共にその尾の先から赤い液体が滴りだした。
すると徐々に男の姿が現われた。尾は男の脇腹を貫いている。その後ろには青ざめたジェレミーが腰を抜かしそうになっている。
隠蔽を見抜いたのか。
男がその尾を右手で掴みながら、ベルトポーチに手をやった。
不味いっ! ポーションを使われてしまう。咄嗟にポーション――に入っている水ごと引き寄せようとした。
人でなしかもしれないが、この時の俺の頭はポーションが優先だった。大怪我をしている相手からでも、薬を奪う気でいたのだ。
水魔法が弾かれた。やっぱり護符で守られている。
だが、男は左手に出した金属製の小型水筒を、その黒い怪物に叩きつけるように振った。ビシャンと中身の液体が怪物の頭や体にひっかかる。
そこへ続いて放たれた火炎弾に液体は一気に燃え上がった。
「アルコール? 酒か。あいつ、火が使えるのになんでわざわざ―――」
「アレの魔法耐性が強いからだ」
声だけが返答してきた。
「そう言う場合、魔法じゃなければ効くこともあるからな」
確かに火はすぐに消えずに、背中や頭を燃やした怪物―――サソリもどきは高い声を上げて、後ずさりすると、激しい音を立てて後ろにもんどり打った。そうしてガラガラと激しく瓦礫に背中を擦り付ける。
しかし刺された男は逃げる事が出来ずに、その場にしゃがみ込んだ。
それと共にジェレミーが悲鳴を上げてその場から逃げ出した。
するとサソリもどきがくるっと体を反転して起き上がると、今度はジェレミーを追いかけだした。
「ひあっ!」
伸ばした前足の4つに割れた爪を突き出して、その獲物を掴もうとするが、意外にするっとジェレミーの体がその度にすり抜けていく。
ああいう能力なのか?
「よくまわりを見てみろ」
「言われて気がついた。彼の体のまわりに空気の層が出来ている。それが何層にも重なっていて、圧力がかかるとまるで幾つかの風船を押すように、彼を押し出すのだ。
ハッとした。
この魔法は彼から発しているものじゃない。
振り返ると、男がすでに脇腹を抑えながら立ち上がっていた。足元には薬瓶が落ちている。
しまったっ。使われちまった!
ちょっと目を離したことを俺は悔やんだ。
もう盗賊の考え方だが、相手が弱ってる隙に襲って薬を奪えば良かったと、この時は本気で思った。
人間貧すれば鈍すだ。
だが、後にやらなくて良かったとも思った。それをした為に相手が死ねば、結局俺は一線を越えることになっていたからだ。
だが相手はむろん俺たちを襲った敵。
どこまでが正当防衛と、自分を納得させることが出来たのか、未だに分からない。
急に黒いサソリの後ろの瓦礫が持ち上がると、そのまだ燻っている背中に勢いよく落ちた。サソリが後ろを向くが誰もいない。
いや、あの男だ。あいつの姿が今やどこにもいない。奴が隠蔽で気配を消しているんだ。
だが、先程までしっかりと、隠蔽を見抜いていたくせに、今度は分からないようだ。続いて撃ち込まれた岩を顎に受けて、サソリがまた高い声を上げた。
おおっと、眺めている場合じゃないんだよ。俺はまたヨエルに向き直った。
だが、足元から伝わってくる揺れや地響き、サソリのたてているらしいバキバキガラガラと瓦礫を崩す音、若造の悲鳴で集中できない。両手から発せられる光の中に、赤い筋が多くなっている。これは漏れが増えた証拠だ。
「うるせぇなっ!」
ついまた見てしまった。
ジェレミーがまた見えなくなっていた。
それなのに黒サソリが瓦礫や人々の遺体の上を、無造作に引っ搔きまわすように這いまわったり、その一番前の2対の脚や尾を振り回している。
と、急にこちらに振り返ると、ガザガザとこちらに向かって走ってきた。
「バッ、こっちに来るなっ!」
咄嗟に土魔法で瓦礫を高く盛り上げた。なんだかいつもより重く感じる。
その壁にぶち当たるように、半分乗り上げたサソリは黒い腹を見せた。その半透明に見えたブラックボディに一瞬、光が当たり、下腹がほんの少し透けて見えた。
そこには何か丸いモノがあった。あれが核かっ!?
ガララララッと、そのままサソリは瓦礫を崩しながら、幸い横に逸れるとまた斜めに走っていく。
その姿を見て気が付いた。
「アレは……あの男たちを追ってるのか?」
一見無造作に見えていたサソリの動きが、見えない相手を追っているのだとすると納得がいく。
「そうだ。正確にはあのガキのほうだな」
「ジェレミーを? 何故」
「あの学者も言ってたろ。このダンジョンを変えた何か執着心のようなモノがあるって。
その元凶がアイツだ」
「そりゃ、あの馬鹿息子が今回の原因だってのはわかってるよ」
「そうじゃない。ダンジョンは念の溜まり場だと言ったろ。その思念でダンジョンの方向性は左右される。今や、ここはあの若造の攻撃的で、陰険な性格に塗り替えられてるんだよ」
「だけどそんな簡単に性質って変わるもんなのか? 今まで散々色んな人が入ってきただろうに」
「タイミングだ。ここは一度封鎖されただろ? 一度リセットされた形になったんだ。マインドコントロールでもあるだろ。いったん頭を真っ新にしたところに言葉を吹き込むと、それをすんなり受け入れるように、それが本質になる。
今までただの大人しい迷路型だったダンジョンの性質が不安定になったところに、アイツの玉への執着と見栄が強烈にこびりついた玉が放置されたってわけだ」
見えない声は更に続けた。
「そしてその玉を探しにやってきた奴らの念が蓄積していった。このイベント前に何度もジゲー家の配下の者が探しに来てるんだろ。同じようにあの玉に向かって執着信を飛ばしてな」
「じゃあ……やっぱりあのサソリの腹にあるのは、最後の玉なのか」
また光を反射こそすれ、あの黒いボディの中は見えなくなっていた。探知の触手も寄せ付けない。魔法の抵抗力が強いんだ。
「ああ、人間どもが一番に欲し、手に入れようとしてる物だからな。ダンジョンの奥に保管しておくより、最強の護衛が持っていた方が安全だろ」
「最強の……。だからああやって隠蔽してる相手も分かるのか」
「それは違う。あれはしがらみのせいだ」
サソリはまた通路の方に前脚を手繰りながら、横歩きをしている。さながら巨大なカニのようだ。
「この場合は因果と言った方がいいかな。元凶である念を発した奴との繋がりを感じ取ってるんだよ。
オークの奴がその因縁で引き寄せられるようにな。いや、それよりも主を探す犬のようにかもしれん」
奴の低い笑い声が聞こえた。
「これはただの隠蔽なんかで誤魔化せるものじゃない」
あの啼き声は何かを探す時だと言っていた。あの精霊の泉のゴーレムが、帰らぬ主人に関わりのある泉に執着していたように、あのサソリも自分の元になったジェレミーに惹かれているのか。
揺れがまた起こった。段々と揺れる感覚が早くなってきている。
マズいっ、あっちも無視できないが、とにかくこっちの応急処置が先決だ。
さっきあのジェレミーが纏っていたみたいに、ヨエルの下のエアクッションを3層にしてみた。層の間のズレがクッションになって、揺れがだいぶ緩和出来た。
ちょっと間があいたせいか、結構流したと思うのにヨエルのオーラはまだほとんど見えない。
大怪我をしているので、生命維持に多くエネルギーを使うのか。
ふと、オーラを視ていてアッと気が付いた。
ヨエルの体から下に、地面に向かって弱くだがオーラが漏れるように流れている。
ダンジョンだっ。ダンジョンの奴が、ヨエルからエネルギーを吸い上げてるんだ。死にかけた獲物から発せられる、最後の輝きのエナジーはダンジョンの至高の好物だから。
くそっ! 俺はダンジョンに餌をやりたくてやってるわけじゃねぇぞっ!
結界とか出来ないし、吸い取られるより多くエナジーを送るしかないのか。
俺は更に全身からエネルギーを集めるように、意識を集中した。
なんだか、妙に疲れを感じ始めた。
念のため、胸から手を離してポケットの護符を掴む。するすると魔力が俺に流れてくるが、疲れが取れることはない。
ふっと、急に足元の揺れが無くなった。まわりは揺れているのにこの辺りだけ動かなくなった。しかもヨエルから地面に流れ出ていたオーラが消えている。
慌てて視たが、ヨエルはまだ死んでない。
後ろを振り返ると、奴が立っていた。
「これはお前を手伝っている訳じゃない。
ただ、揺れているところに立っているのは気分が悪い。だからオレのまわりに結界を張っただけだ。
それくらいはいいだろ?」
最後の一言は、視線をやや上に動かして言った。
「助かるよ、ありがとう! じゃあ俺の体力も回復させてくれよ。サポートはしてくれるんだろ?」
この疲れは俺の生命エナジーが出ているせいだ。
ほとんどが無駄になっているとはいえ、結構な量の体力≒生命力≒生命エナジーを俺は注ぎ出しているから。
「それは出来ん」
「えっ? なんで? いつもはやってくれるじゃないか」
「このまま、お前を回復させると、それこそソイツを助けることに手を貸したことになる。あくまでお前の力でやるしかない」
…………なんだ、そうやって手助けしてもらうの、期待してたのに。
だが、結界を張って貰っただけでも有難いか。
とにかく今のうちに出来る限り、エナジーを流しこんでくしかない。
再び、エナジーを流す。今度はダンジョンに搾取されないせいで、ほんの少しだが、ヨエルにも溜まっていくようだ。ほとんど感じなかった心臓の鼓動が少し大きくなってきた。
よしよし、これでもっとしっかりと溜まれば回復まで持ってこれる。
なんだか、足先が冷えてきた。少し悪寒がする。頭の奥でジンジンと頭痛がする。
―――――― 息がしづらくなってきた。
「おいっ」
急に手を外された。
「何すんだよ、まだ回復出来るまで、エナジーを注入出来てないぞ」
「これ以上はお前が危険だ。ずい分エネルギーを放出してるが、ほとんどが漏れまくってる。ほぼダンジョンの餌になってるぞ」
「そんな事言ったってしょうがないじゃないか。こんなの試行錯誤しながらやってるんだから」
俺は掴まれた手を振り払ったが、その動作をするのがすごくけだるかった。
もう膝をついてしゃがんでいるのも、少し辛い。そのまま尻もちをつく。
「あんたが俺の体力を治してくれれば………」
「それは無理だと言ってるだろ」
わかってるが言わせてくれよ……。
すると奴がまだ、けたたましい音をたてている、あのサソリの方を見て
「だが、ソイツを治すために使うのでなければ、回復させてやることは出来なくもないぞ。オレはお前のガーディアンだからな」
それから、魔性のガーディアンは悪魔の提案をしてきた。
「お前があのゴーレムと戦うのなら、回復してやれる」
ニーッと白い悪魔が笑った。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
なかなか終わらないダンジョン編( ̄Д ̄;)
次回はちょっとだけ地上の様子も伺おうかと思います。




