第165話☆『それぞれの逃避行』
垣根の通路を走った先に、ぽっかりと壁に四角い穴が空いているところに出た。
始めに脱出するときに、扉を奴が蹴り飛ばしたところだ。
良かった。開いたままだったようだ。
「いいか、ここからはハンターやゴーレムの出るところを通るからな。怖かったら目ぇつぶっててもいいが、振り落とされないように、しっかり掴まってろよ」
「わかった、ヨーさん」
それから俺の方に
「どうせ探知を出しっぱなしにするから、灯りはつけないが大丈夫か?」
「ええ、まあなんとか。それより、ゴーレムに遭ったんですか?」
相手は女を抱えてるせいか、喋れる程度の速さで走り始めた。
「いや、そいつにやられた女から聞いただけだ」
「……あれにやられた……」
「あんたは見たのか?」
こっちに振り返りながら、行く方角はしっかり分かってるようで、迷わず2つ現われた穴を右に入っていく。
おそらくここまで通ってきた道を戻ってるんだ。自分のオーラを追って。
「ちょっとだけですけど」
「そいつは武器を持ってたか? それとも牙か角とか」
「いえ、なんとういか、ゴリラ……いや、大猿みたいな感じでしたけど、何も持ってなかったですよ」
「鋭利な得物はなかったんだな……。そいつはじゃあ別物か、もしくは攻撃時に何か出してくるのか……」
ヨエルは走りながら呟いた。
「なんですか、それ」
「やられた女の傷が、鋭利なモノで刺された跡だったんだ。何か槍にでもやられたような」
あのゴリラゴーレムはそんな感じじゃなかったな。それとも変化するのだろうか。
急にヨエルが立ち止まった。
俺にもわかった。
10mほど先の天井にハンターが1体隠れている。うっかりあの下を通ったら、上からパックマンが飛び出してくるに違いない。
ん、15mほど先の壁にもいる。そいつはゆっくりと、土壁の中を動いて下の床面に移動していく。
「2体いますね……」
「いや、3体だ。後ろから来てるぞ」
「えっ?!」
俺は慌てて後ろを探知した。上横下にはいない。どこだ? あっ!
そいつは床のはるか下から斜めに浮かび上がるように、こちらに向かって地面の中を移動してきていた。
うう、1体ずつならなんとかと思ってたが、同時に3体って。
「そっちは任せられるか?」
「はいっ? いや、はいっ!」
一瞬マヌケな返事をしてしまったが、それと同時にヨエルが前方にまた走りだした。
ダッシュと同時にヨエルが右手に何か紐状のモノを出した。
それを大きく振り回すと、天井からパックマンが飛び出してきた。
ヒュッ! 次の振りは鋭かった。
次の瞬間、天井から土砂が土煙を上げて落ちてくる。その土煙を煙幕に、突然、左壁と床にまたがってもう1体が大口を開けて飛び出してきた。
シュンッ! また鋭くヨエルが紐をひと振りした。もちろん距離もあるし、紐が届く訳もないのだが、そいつも綺麗に飛散するように崩れ落ちた。
何が起きてるのかちゃんと見たかったが、こっちはそんな場合じゃなかった。
意識を彼の方にも向けていたので、自分の方が出遅れてしまったのだ。
俺の足元直下から急に勢いを上げてきたソイツを、すんでのところで土魔法で止めた。
だがソイツは抵抗力が強くて、土魔法で抑え込むのがギリギリだった。神経を集中していないと外れてしまいそうになる。
おかげで剣を抜くことはおろか、気力全力で地面を押さえ続けなければ、いきなり跳ね上げられそうな状態になってしまった。
何もない床の上で俺一人、空間を抑えるように両手を下に向けて奮闘しながら、じりじりと横にすり足で移動しているという、滑稽な状態になった。
「お、なんとか抑え込めてるようだな」
ヨエルが剣を抜いて戻ってきてくれた。
そのままブスっと地面の一点を剣で深く刺すと、微かにシュ……と音がした。
「はあ……助かりました」
脱力しながら俺は礼を言った。
本当は真下じゃなく、もっと距離を保てればやりようがあったのだが、一番マズい位置で力が拮抗してしまった。
持久戦になったらスタミナ負けで、俺がやられるところだったかもしれなかった。
「あんた土魔法も使えるんだな。もっと早く抑え込めれば1人でやれたのに」
「面目ない……。ところで、今のどうやったんです?」
「ん、これだよ」
そう言って長い紐を見せてくれた。
それは1mくらいの幅2㎝にも満たない布製で、真ん中にやや幅広の革が付いている。片方の先に指が入るぐらいの輪が付いていた。
「これはこうして使う」
ヨエルは中指に輪を通して、紐を二つ折りにし両端を片手で持つと、スルッとその手の中から鉄の弾を布に滑らした。
弾はそのまま真ん中の革部分で止まる。
その紐をブンと軽くひと振りしながら、片方の端を離すと弾が真上に吹っ飛んで行った。
「あ、投石器ですか」
俺は納得した。
ターヴィもパチンコタイプのスリングショットを使っていたが、こっちはもっと原始的なスリング武器だ。
ただ、パチンコが両手を使うのに対して、こちらは片手で出来るので、もう片手で盾が持てたり、両手で2発同時に撃つ強者さえいる。
有名なところで、あのダビデが巨人ゴリアテを倒した武器も、この投石器だったという説があるくらい、使う者によって強力な武器になる代物だ。
ただし当たり前のことだが、コントロールするのが難しい。
パチンコと違って、狙った方角にさえ素人は飛ばせないだろう
「意外でした。前に風魔法で弾を飛ばすことを教えてくれてたんで、そうやって道具を使うとは」
それに真っ直ぐ落ちてきた弾を、軽くキャッチしながらヨエルが答える。
「今は少しでも魔力を節約したいからな。さっき言ったゴーレムみたいな奴に出遭った時に、魔力切れじゃシャレにならないだろ。
それにここのハンターくらいなら、これで十分間に合う」
スゲーな。簡単に言ってるけど、ひと振りで当てるって相当なもんだぞ。それに弾も、片手でそのまま布を滑らして補充してるし。
やはり玄人は違うなあ。
『(ハンターは大きな音とか、動きに反応するからな。だから始めに大きく腕を振ったんだ。そうすると待ち構えていた奴も、ああやって条件反射で動いてくるんだ。そうすれば距離を持って対処できる)』
急にヴァリアスの奴が頭に直接話しかけてきた。
『(思った通り、こいつと一緒の方がお前の訓練になりそうだな)』
うぬー、またこいつの思惑通りになってるのか。
なんか腹立つがしょうがない。
ヨエルがまた探知の触手をグルッと回したのを感じた。
「今、他にはいないようだ。行くぞ」
彼がまた走りだしたので、俺も前後左右360度に探知をしながら後を追った。
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フッツは水を探っていた。
フッツは水使いである。水を使えるという事は、水を探知出来ることでもある。
もちろん訓練次第だが、水を探ってかなりの範囲の探知をする事が出来る。
つまりそれは人の体に流れる水分も感知出来るという事。彼にしてみれば人間は動く水袋のようなものだ。
これを利用して探知とは別に、人などを探知する事が出来た。
だが、それも護符や隠蔽によっては妨害され、普通なら感知するのは難しい。
ただ、彼は自分の身内だけなら、即座に感じ取る事が出来た。
それは同じ一族としての血だ。
血は水よりも濃いという。
それは己と同じ、過去から紐づけされたDNA。因果としがらみだ。
そのしがらみを水の能力と相まって、弟がどんなに上手く自分を隠蔽していても、感じ取る事ができるのだ。
何度か、何故分かるのか聞かれたことがあったが、その度に誤魔化してきた。
それを言ったら、おそらく血が繋がっている事を更に肯定してしまい、きっと兄弟たちが嫌がると思ったからだ。
兄は長兄らしく、おれにも表面上は平等だったが、その腹の底は冷ややかだったのを知っている。
何しろ血の波動は嘘をつかないからだ。
だが、それも今日までだ。もう一族とも縁を切る。
もう二度と感じる事はないだろう。
隠蔽能力のおかげで、ハンターたちに引っかかることなく、いくつかの通路と小部屋を無事に抜けた。
そうして―――
「ジルシャー……」
ある小部屋に人型の水溜まりを感じた。それは床に横たわっていた。
仰向けに横たわる彼女の下から、多量の赤い水が流れ出て水溜まりを作っている。
ほんのり開けた口まわりには、深紅の花びらが散っているように見えた。
フッツは無言でその傍らに座った。
髪や顔に付いた血を飛ばしてやり、水を濡らした布で顔を拭いてやった。
小さな手で乱れた髪をとかしてやる。
ふと見ると首にあの戒めの輪が無かった。見ると横に金具が壊れたリングが落ちている。
これは対象が没したせいで機能しなくなったのか、それは分からない。
ただ分かるのは、彼女は解放されたという事だ。
良かった……。首を傷つけずに綺麗に取れている。
この際、無茶してでも取り外そうと思っていたのだが、そんな無茶をしなくてすんだようだ。
彼はまたあの紙を取り出した。
それは黒く変色した隷属・隷従契約書だった。
こんな紙っぺら1枚が、長い事彼女を闇に縛り付けていたのだ。
ついそれを破り千切りそうになるのを、なんとかフッツは抑えると、そっと彼女の顔の前に紙を見せた。
「ジルシャー、良かったね。リングも取れたんだ。
ほら、この契約書も盗ってきた。これで君は自由になったんだよ。
君はこれで本当に綺麗な体になった。もう誰も君を追い詰めたり出来ないんだよ」
それから小さな男の目から、大きな水の雫が落ちた。
「ごめんよ……。おっ、おれがもっと早く、行動を起こしていれば……。
…………君とこれからもずっと一緒に生きていたかったのに……」
そうしてその小さな手で彼女の冷たい頬に触れた。
「……こんな暗くて冷たい所にいるのは嫌だよな……。
せめて君を、綺麗な見晴らしのいい丘に埋めてあげるよ。それとも海が見える岬がいいかい?
君がいつか見てみたいと言っていた、川よりも大きな海の近くが。
そうして君の墓の傍におれは小屋を建てるよ。
君が独りにならないように…………
………………おれが淋しくならないように……」
そう言いながら頬から首の痣に触れた。
何かが彼の感覚に引っかかった。
そのまま首に手を当てる。その次には額に。
ハッとして彼は上着のポケットから、もどかしそうに小瓶を取り出すと、彼女の胸の傷口にそっと注いだ。
血に濡れた傷口にかかったその液体は、微かに赤い靄を立ちあげながら、傷に染み込んでいった。
ポーションが反応している。まだ死にきっていないんだ !
もしかするといけるかもしれない。
ああ、だけどもうハイポーションがないっ!!
早く彼女を地上に連れて行って、治療しないと、今度こそ本当に死んでしまう。
もしかすると中途半端に体だけ生きて、アンデッドになってしまうかもしれない。
それは彼女は望まないだろう。そうしたら自分はこの手で、彼女に二度目の死を与えなければならない。
それだけは絶対に嫌だっ。
フッツは彼女を抱えて立ち上がった。
と、何かを踏んで、ついひっくり返りそうになった。足元に何か転がっている。
それは小瓶だった。
「なんだ、これ、おれのじゃない……」
手にした小瓶には液体がまだ入っていた。
彼女のか? それとも誰か他の奴が落としていったものか。
小瓶の栓を抜いて匂いを嗅いでみる。ほんの少し指に出して舐めてみた。
「!! ……」
慌てて彼女の傷にそれを注いだ。おっと、少し残しておかないと。
傷口に透明な靄が一瞬たって、するうちに傷口がふにふに動き出した。それは内側から盛り上がり、穴を塞いでいった。
震える手で布で傷口を拭くと、穴の開いた服の下には、ただ白い肌が露出しているだけだった。
微かに瞼が動いたと思うと、ゆっくりとマリンブルーの瞳が開いた。
そのまま青い瞳が動いて彼の姿を捉える。
「……フッツ?」
抱きしめたくなるのをグッとこらえて、フッツは彼女の肩の下に手を入れて、少し体を起こした。
「え……あたし、どうして……」
「ジルシャー、これを飲んで」
小瓶の残りを飲ませた。
体に血がまた通い始めたのか、彼女の頬に赤みが差し始めた。
「あたし……死んだんじゃないの……? 戻ってきたの……?」
体を起こしながら横を見ると、フッツがボロボロ泣いていた。
「……神様ありがとう……、有難うございます……」
「……あなたが助けてくれたの?」
「そう、いや、分からない……。こんなとこになんでスプレマシーが落ちてたのか……。
もしかして(ダンジョンの)宝の一部なのか……?
だけど本当に助かった……」
まだ涙を流しながら、男は彼女の手を取った。
「……おれは一族から抜ける。君も もう自由なんだよ、ジルシャー」
そう言って彼女に黒く変色した紙を見せた。黒く変色していても、薄っすら書いてある文字は読める。
正真正銘の彼女の契約書だった。
それを彼女の目の前で、フッツは壁の松明で燃やして見せた。
「これで君は晴れて自由になったよ」
彼女のそばにまたしゃがみ込むと、やや自身無さげに下を向きながら
「……それでもおれと来てくれるかい…………」
それに対して一拍置いて、彼女は答えた。
「あたしのこと、また守ってくれる……?」
「もちろんだよっ!」
フッツは彼女を今度こそしっかり抱きしめた。
2人は気が付かなかった。
そばの闇に彼らをそっと窺う者がいた事を。
はいはい、感動にしたるのはそのくらいにして、早く出ていった方がいいよ~。
そろそろこのダンジョンもヤバいからね~。
そのまま黒い男は闇に消えていった。
そんなことがよそで起こっていた事を、俺は後で聞いた。
「おれは本当は優しいんだよ。特に女子にはね」
と、地獄の拷問局長はヘラヘラしながら言っていた。
だが、当時の俺はそんなこと知る由もなければ、それどころじゃなかったのだ。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
☆★☆今回出てきた、小人症のフッツと目の見えないジルシャーは、
昔考えていた別の物語から抜粋したキャラクターです。
そちらも、中世ヨーロッパ系の話ですが、魔法はない世界なので、このような隠蔽能力はありません。
ただ、フッツはそっちでも、とある変わり者の領主の下、影の工作員的存在です。
また54話で出てきた上王様の親衛隊隊長のジルも、その領主様の親衛隊隊長を務めている人物です。世界が変わっても、生い立ちが同じなので、額の傷もそのままに、同じように主に振り回されてます。
その変わり者の領主の話も、ただいま少しづつ書き溜めている次第です。
いつか発表できるようにしたいものです。




