第156話☆『捨てゆく者の哀歌(エレジー)』
響く足音と高音が止まった瞬間、パネラとレッカは振り返った。
奥の通路の手前に光球に照らされて、焦げ茶色のベアーのような姿が四つん這いになっているのが見えた。
それが倒れているソーヤをジッと見ている。
突然、ソーヤがガバッと起き上がると、ゴーレムの方に向き直った。
だが、それも束の間で、そのまま彼はふらっと後ろに倒れていった。同時にゴーレムが動き出す。
やられた。2人はそう思った。
だから顔を背けた。
次の瞬間、凄まじい爆発音が響いて、パネラ達はまた振り返った。
モウモウと土煙が上がる中、見慣れてきた灰色の背中が薄っすらとあった。腕にソーヤを抱えているのが見える。
「あ……」
それは土煙の中に消えた。
ちょっとの間、煙が晴れてくると、太い後ろ足と半分の胴体の下半身だけになった、土の塊があった。
そのまわりには焦げ茶色の土砂が崩れ落ちてる。
しばし呆然とその姿を見ていた2人だったが、すぐに総毛立つと、急ぎ通路に駆け込んだ。
ソイツはまだ生きていた。
ゆっくりと胴体を揺らしながら、その破壊された面を地面に近づける。
するうちに、地面に落ちていた泥土が少しづつ、胴体にくっついていく。
それはあたかも土が意思を持って動くように、形を作っていった。
「再生してるっ。やっぱりゴーレムなんだ」
すでに腕を掴まなくても、一緒に走りながらレッカが言った。
「あれは核を破壊しない限り、倒すのは無理よっ。あたいだけじゃ無理っ」
まだ意識が戻らないエッボを担ぎながら、パネラも走る。
「さっきの、ヴァリアスさんだったんじゃ――」
「多分、そう。そうだけど……」
パネラがまた悲痛な声を出した。
「きっと怒ってるよ。ソーヤを見殺しにしたんだから……」
その言葉を聞いてレッカも、グッとまた胸が詰まった。
「ソーヤ……巻き込んじゃって、本当にごめんよぉ……」
3人はそのまま通路の奥に消えていった。
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「おーい、手ぇ貸してくれっ! 扉が閉まらなくなっちまった」
アジーレダンジョンの入り口の扉を、閉めようとしていたベーシス系の警吏が、ギュンター達を大声で呼んだ。
「レバーがイカれちまってるんだ」
ドア横の壁のレバーは、稼働部分が少しズレたというより、持ち手から“く”の字型にひしゃげている。
これは揺れだけでなった訳ではない。さっきのガーゴイルの仕業かもしれなかった。
おかげで黒く重たい呪文の彫られた2枚の扉は、開いたままどっしり動かなくなっていた。
「さっきの奴がまた出て来ないうちに閉めないとっ! 鉄格子だけじゃ無理だっ」
ギュンター達が走り寄りながら
「ここの係の奴らはどうしたっ? 他にも動かせる装置があるはずだろ」
「係の奴らも、さっきの騒ぎでいなくなっちまったよ。というか、ほとんどそこの穴に落ちちまったようだが」
と、警吏は扉を掴みながら、5歩ほど奥を見た。
そこには真っ黒い深淵が大きく口を開けている。そうしてそれは1層の中ほどまで続いていた。
「参ったな。どんだけ深いんだ……」
獣人の警吏ギュンターは、被っていたフードを脱いだ。
黒く短いが尖った耳がピンと立つ。
「なんだか、底から高い音がするな。これ、地笛じゃないのか?」
「とにかく早く扉閉めちまおうぜ」
ギュンターの後ろから、非番の警吏ユーリも顔を出した。
「待て、完全に閉めちまったら、中から開けられないんじゃないのか。
生存者がまだいるかもしれないんだぞ」とギュンター。
「だが、完全に閉めないと、魔除けの呪文は効かないぞ。撃ち漏らして王都にでも行かれたら一大事だ」
ベーシスの警吏が焦りながら言う。
「そうだ。それにここは街に近いんだ。
おれは自分の家族を守りたい」
金色の目が、鈍く光りを放って真っ直ぐ見てきた。
ベーシスも頷く。
ギュンターは耳の後ろを掻いた。
「そうだな、俺もだ」
「よっしゃ、みんなで押すぞっ」
3人が扉に力を入れようとした時に
横の番小屋から飛び出してきた男が走りこんできた。
「あっ! 待てっ」
止める間もなく、その男は巨大な深淵に飛び込んでいった。
「なんだっ 自殺する気か ?!」
「いや、何か装備付けてたぞ。風切り音がする」
ギュンターが耳を動かす。
ふと見ると、足元にさっきまでなかった、身分証プレートが落ちていた。
「今の男のか?」
「そうだ。あいつ、ワザと落としていきやがった」
動体視力にも優れたユエリアンのユーリが拾い上げながら
「すれ違いざま、こっちにワザと放っていきやがった。恐らく覚悟は出来てるんだろうな」
その金色のプレートには
『ハンターギルド発行 ヒューム ベーシス系 ヨエル』と刻まれていた。
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エントランスホールが落ちてから、しばらくヨエルは樹の根元でしゃがみ込みながら悩んでいた。
エイダにも再三止めろと言われていた、カンナビスの煙草に火をつけた。
2日前から彼はやっと自由人になれた。
そう、もう奴隷商に怯えなくてもいい。これからは生国の名前を出しても大丈夫だ。なんなら他国に入ったって捕まる事はない。
おれはやっと自由になれたんだ。
それなのに運命はまた、別の檻に入れようとしているのだ。
あの女を助られるのはおれだ。おれだけだ。直感がそう告げている。
だが、もう1つのイメージがおれの終わりを囁いている。
せっかく自由になれたのに……。
ここであの女を見捨てても、なんの問題もない。家族でも恋人でもなく、ただの馴染みの娼婦というだけだ。
逆にわざわざ助けにいったら、おかしい感じがするだろう。
ただ、別の感情が頭の奥で渦巻いていて、それがヨエルの心を揺さぶっている。
あの晩、初めて他の人間に自分の身の上を話した後、慰めてくるエイダにも、自分が奴隷だったことを打ち明けた。
娼婦は最下層の人間の1つだ。
だが、奴隷は物と一緒だ。人でさえない。
奴隷だった経歴は、恥ずべき汚点として一生付きまとう、軽蔑の対象だ。
例え自由になれても、過去に奴隷だった事がバレて、陰口を叩かれるどころか婚約を破棄され、仕事も住む家も失った男をヨエルは知っている。
なのに彼女には話してしまった。
「ヨーさん、それってもう過去の事なんでしょう? じゃあもういいじゃない」
エイダは大した事ないように、あっさりと言った。
「しかし……」
言いかける彼の口を、女が指で柔らかく塞いだ。
「だって罪人でなった訳じゃないんでしょ。だったらヨーさんは悪くないじゃない」
そのまま指が彼の額にそっと触れる。
「可哀想に、まだ傷が塞がらないのね」
そうして火傷の痕を優しく舐めた。
魂にまで焼き付けられたその烙印は、そう簡単に消えるものではない。
それでも彼女の舌は温かく、傷が溶けて消えていく気がした。
「おいで 少しの間だけでも そんな現世のことは忘れさせてあげるから」
そうして彼をその柔らかい胸に抱きしめた。
唯一おれを理解してくれた女。
ここであいつを見捨てたら、あの泣き顔――予知のビジョン――が、新しい枷として俺を縛りつけるだろう。
そしてそれは一生、消し去る事は出来なくなるはずだ。
手に持っていた煙草はとうに燃え尽きていた。
草地に突っ伏しながら、彼はグルグルと頭を巡らしていた。
と、戸が開け放たれたままの番小屋に、あるモノを探知で発見した。
途端に彼は飛び起きると、番小屋に飛び込み、その目当てのモノをひっつかんだ。
それは前日まで、内部のディスプレイの為に作業員が使っていた、小型のカイトだった。
梯子が届かないような高い部分の作業を行う時に、風使いの者が使う道具だ。
羽部分は厚手の帆布で出来ていて、金属の骨組みは蝙蝠のように畳めるようになっている。
狭い場所でも使えるように短めだが、これがあると無いとじゃ大違いだ。
幸い、騒ぎのせいで小屋の中は無人だった。
緊急事態なんだ。火事場泥棒じゃねぇ。文句があるなら、後で弁償してやる。
他にも回復ポーション、魔力ポーションも棚から失敬する。
カイトを背中に装着すると、急ぎ閉めかけているダンジョンの扉の中へ駆け込んだ。
警吏たちとすれ違いざま、自分のプレートを放り投げた。
もしも死んじまったら、ギルドの登録書が黒くなるはずだから、それで俺の生死はわかるだろうが、どこでそうなったのかまでは分からない。
だが、これで飛び込んだのが、誰かわかるだろう。
もちろん、死ぬつもりはないぜ。
おれの予知だって完全じゃない。何%かは外れるんだ。それにかけてやる。
だからそれまで、それは預かっててくれ。
必ず取りに戻って来てやるよっ!
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何か髪の毛のようなものが、俺の頬にさわさわ触れている。
それを払おうとしたら、ドスッと急に重たいものが胸の上に乗ってきた。
「ゔっ」
その一発で思わず目が覚めた。
目の前にすぐ木の天井が見える。2段ベッドの天板だ。
『ミャアウウゥ~』
ピンクのハートを付けたまん丸顔の天使が、俺の顔のすぐ横にいた。そして俺の上に、そのぶっとい前足を乗せている。
重~いが、なんか嬉しい。さっき、さわさわ触れていたのはポーのヒゲか。
添い寝してくれて、幸せなんだが息がしづらい。
「ポー、すまないが、ちょっとこれ退けて」
退けながら肉球の匂いを嗅ごうとしたら、思いっきり顔に押し付けてきた。
ううっ、窒息しそう。
当たり前だが、赤猫亭のジョシーより力強い。やっぱり山猫は、普通の猫のようにはいかないようだ。
多分、気が付かないうちに、ずっと前足を乗せてたんだな。だからその圧迫感で変な夢を見たんだ。
横を見ると隣の2段ベッドは空だった。
みんなもう先に起きてるのか。
頭を起こすと、足元の先にソファに座ったヴァリアスが見えた。
窓から明るい陽射しが入ってきている。
今何時なんだろ。もしかして俺だけ寝坊してるのかな。
せっかくポーが横に来てくれているし、なんだかしばらくこのままでいたいなぁ。
俺はポーの頭を撫でようと手を伸ばして気が付いた。
あれっ 俺、スウェットに着替えてない?
毛布をめくらなくても、腰にベルトを巻いているのがわかった。
今度こそ目が覚めた。
「ヴァリアスッ! なんで俺、ここに寝てるんだっ?!」
俺は跳ね起きた。
「貧血で倒れたから連れてきた」
さも当たり前のように答えた。
「貧血って……」
夢と混ざっていた記憶がだんだん蘇ってきた。
「低い体勢から急に頭を上げたら、立ち眩みするのは当たり前だろ。しかも、あんな強い重力にさらされた直後に、すぐ立ち上がるからだ」
そうだった。俺はゴーレムに立ち向かうとして目の前が真っ暗になったんだ。
戦闘中に怪我したわけじゃないのに、貧血で倒れるって、なんか恥ずかしい……。
「しょうがないじゃんか、あの状況で―――あっ! 皆はどうしたっ ?!」
「まだダンジョンの中だ」
悪魔がサラッと恐ろしい事実を言った。
わかってはいたが、あらためて言われると胸が冷える感じがした。
「今、何時だっ? あれからどれくらい経ったんだ?」
「13分だ。いや、もう14分経ったな」
そんなに経ったのか、それともまだそんなものなのか、なんだか思考がまとまらない。
「みんなは……無事なのか」
「ああ、まだ無事なようだな」
目だけ動かして奴が答える。
「なんでセバスさんやあの若者たちはいなくなったんだ。まさか、……ハンターにやられたのか?」
「お前の訓練の邪魔になるから、オレが別の場所に飛ばしたんだ。
あの学者がいたらお前は絶対頼っちまうだろうし、あの若者どもは足手まといだ。
だから始めのパーティ構成に戻しただけだ」
あんたのせいかよ。
「これくらいなら運命を左右することにならないからな」
「助けにいかないと……」
悪魔がジッと銀色の目でこちらを見据えてきた。
いや、言いたい事はわかってるよ。
だけど、さっきまで一緒にいた仲間を、こうもすっぱり切り捨てられるものなのか。
「アイツらはお前を見捨てたじゃないか。だからこっちも、そうしたまでだ」
冷たい声でそう言ってきた。
「嘘つけっ! どのみち助けるつもりはなかったんだろ。人の運命に関わる事には、手出し出来ないって言ってたじゃないか」
「あのままお前を助ける事を続けたなら、お前の保護の名目で、その場でゴーレムだけ片づけてやる気もあったがな」
奴が組んだ足を組み替えた。
「結局は、我が身の可愛さが勝ったって事だ」
「そんな事ないぞっ!」
俺はつい大声を上げた。
隣で横になっていたポーが、ビクンと頭を上げる。
「俺が行ってくれって言ったからだ。
あのままじゃ全滅する可能性が高かったし……」
――― デジャヴなのか、あの時のパネラの顔が、誰かと重なる気がした。
「パネラは、凄く辛そうだったぞ。絶対、俺を助けたかったはずだ。
それにエッボだって、保護魔法をかけ続けてくれてたじゃないか。
ああ、そうだった、エッボは無事なのか?」
「まあな、魔力切れというより、体力の問題だ。
魔力はポーションで補給したが、体力のほうは回復させてなかっただろう。
だから体に負担が来たんだ。普段以上に力を出し過ぎてたしな。
あれじゃしばらく使い物にならんな」
「そんな言い方するなっ! 俺を助けようとして、ああなったんだぞっ。
それに―――」
―――――― ごめんね…… ソーヤ…… ――――――
あの時、パネラは俺を見て、泣いていた。
助けられない己の力の無さが悔しいのか、俺を見殺しにしなくてはいけないことが辛いのか、それとも両方なのか。
とにかく酷く悲しい顔をしていた。
俺は以前、確かにこんな顔を見た事がある気がする。
誰かを捨てなくてはならない苦痛の表情を……。
―――――― 母さんっ ?!
いや、そんなハズはない。
養子に出したのは俺が生まれてすぐと聞いている。
そんな赤ん坊の俺じゃ、記憶どころか、目だってよく見えていないはずだ。
それにパネラとは全然、顔が違う。
だけど……何故かそう考えると、とても自然としっくり感じられた。
54年前の病院の一室で、母さんは俺を抱きしめながら、ひたすら俺に向かって謝っていた。
「……ごめんね、ごめんね……わたしの赤ちゃん……。育てられなくて本当にごめんなさい……」
何故かそんなイメージが頭に浮かんできた。
確か奴が、母さんは迷ったが結局、養子に出す事にしたと言っていた。
きっと、いっぱい悩んでくれたんだ。
だけどそれでは親子で共倒れになるから俺を手放した。
本当は俺がいらなかったわけじゃない。
そうしないと、幼かった俺まで不幸になるかもしれないと思ったからだ。
すんなりと確信できた。
人が人を手放すのは、どうしようもない時だってある。
それはとても狂おしいほど辛く、哀しいオーラを発する。
それを生まれたばかりの俺は覚えていたんだ。
――俺は捨てられたわけじゃなかった。
…………お母さん……俺のほうこそ恨んだりして…………ごめんよ……
「……ヴァリアス、言っとくが、あの場合はあれが最善の方法だったんだ。
決して俺は、……見捨てられたわけじゃないぞ」
ちょっと声が震えそうになるのを必死で抑え込んだ。
もう何度、奴に泣き顔を見られた事か。いい年の男が恥ずかしい。
しかし何故か奴に対してだけは抵抗感がなかった。
「まったくお前は、本当に甘ちゃんだな」
「なんとでも言えよ……。この性格はなかなか変わらないぞ」
俺はムスっとしながら鼻を啜った。
「フッ、じゃあ戻るとするか」
白い牙が微かに笑った。
ここまで読んでいただきどうも有難うございます。
次回はまたちょっぴりドタバタモードになりそうです。
なんだかシリアスなのかドタバタ劇なのか、作者自身も分からないのです。
しかもやや長めになります。




