第152話☆『アジーレ 第4層 最終の魔笛』
それは大きなコールタールのような黒い球状の姿をしていた。
大きさはミニバンくらいあるのではないだろうか。
その玉のまわりを銀色の小さな玉がグルグルといくつも回っている。それはそれぞれが交差したり、すれすれにぶつからずに飛びながら、各々の軌道を巡っていた。まるで天体図のようだ。
いや、それよりその本体の玉はただの丸い球ではなかった。
それには目があった。しかも巨大な。
体に対して正面いっぱいに広がった、黒と銀色の光を放つ瞳がギョロギョロと動いている。しかも2つどころか上下左右斜めと、あちこちで瞬いていた。
と、目が急にこちらに全て視線を合わせてきた。同時にあちこちにあった目が正面に集まって1つになると、その下に大きな口が開いた。
『これはこれはヴァリハリアス様。創造の副統括―――』
奴を通して、妙にビブラートのかかった声の言葉の意味が理解できた。
『その呼び方をするな!』
『 っ! 失礼いたしました……。
……して、ヴァリハリアス様のような方が何故このタイミングで?』
黒目玉は少しビビりながら、おずおずと奴に訊ねてきた。
『こいつの付き合いで来てる。ウチの新しいファミリーの蒼也だ』
そのまま頭を掴まれたまま紹介された。
『おお、さようで。ご挨拶が遅くなりました。
私、リブリース様直属の家臣、『闇』の833天使長を勤めております『グレゴール』と申します。
以後お見知りおきを』
クルンと一回転したように、目と口が移動した。
お辞儀をしてくれたようだが、喋るたびにその大きな口から見える、捻じれたドリルみたいな牙が気になって、俺は頭を下げることしか出来なかった。
この間から紹介される使徒や天使が、段々と人の姿から外れてきてないか。もしかしてナジャ様やキリコみたいなのって意外と少ないのか?
『ところで恐れ入りますが、ウチの隊長見ませんでしたか? もうすぐ門を開かなくちゃいけないのにどこにも見当たらないんです。
運命の者からこの予測を聞いて、わざわざ呼び戻したのに……』
大きな眼玉の瞼が歪んで困惑の表情を示した。
『変態なら少し前に1層で会ったぞ』
奴がサラッと答える。
『へん……、何かまた……隊長やらかしましたか?』
大きな一つ目が一瞬大きく見開かれた後、また細く歪んだ。
ご迷惑かけて申し訳ありませんと、黒い球がクルクルと回転する。
部下がこう言うのって、あの性癖はもう日常茶飯事なのか。
こんな事を代わりに謝らなくちゃいけない部下も大変だな。
『妙齢な女が1人でも居ればいつもの事だろ。
どうせアイツの事だから、ギリギリまで隠れて、客の女でも漁ってるんじゃないのか?』
それから少し上の方に視線を動かして
『エントランスホールの奥から3本目の柱近く、ブルネットヘアの女の肩を抱いてる男。
こいつは人間じゃないぞ』
『おぉっ、有難うございますっ! では私はこれにて失礼いたします』
急に黒玉が上に引っ張られるようにキュウッと歪んだかと思うと、そのままかき消えた。
俺はそのまま白い靄の天井を見上げていた。
「これだ、こいつが魔薬の素だ」
セバスさんの声に現実に戻った気がした。
振り返ると4人が、樹々の間に生えていたヒマワリのように背の高い、1本の花を囲むように立っていた。
ベンジャミンのようにねじれた茎の上に、ラッパのような裾広がりの、巨大な紅い5枚の花びらを広げているその花から、金色の粉をつけた雄しべのような管が数本突き出している。
「見てみたまえ、この金色の花粉を。これはもちろん雌しべに受粉させて子孫繁栄の為に種子を作る為だが、それ以外の役割があるのだよ」
そう言いながらセバスさんはリュックから小瓶を取り出すと、その雄しべを切り取って中に入れた。
「こんな忌々しい花、燃やしちまった方がいいよ」
エッボが鼻を押さえながら言った。
「いや、こうして雄しべを切っておけば、また生えるまで無害だよ。やたらに一掃するのはあまり好ましい事じゃない」
「わかった。じゃあ、雄しべだけ燃やせばいいんだね」
また匂い袋にエッボが鼻を突っ込んだ。
「ピラズモゥスという植物だ」
俺が花を覗き込んでいると奴が隣に来て言った。
「本来は大樹の下に生える日陰の花だよ。光合成で栄養を取りづらいから、もっぱら土壌からの栄養を摂取するのを主としてるんだ」
そう言われると確かに葉が1枚もない。その代わり根っこが、まわりの樹のように太く盛り上がって地面に食い込むように伸びていた。
「ただそのままだと、他の樹々たちに栄養を取られて干上がるばかりなので、その足元に獲物をおびき寄せるんだよ。動物にとって麻薬と同じ作用がある、その金の花粉でな。
そして根本で動けなくなるようにする。
その根が長く触れているモノにその触手を伸ばして、腐るより早く直接栄養を摂取するんだ。
一種の食肉植物だな」
俺は今にも巻きつかれそうな気がして、根っこから足をどかした。
「幸いこっちまでは根を伸ばしてないようだな」
近くの樹に寄りかかっていた男のまわりを、セバスさんが確認した。
「これ何? 宝じゃなさそうだけど」
レッカが垣根の葉の中から長い棒のようなモノを引っ張り出した。象牙色をしたそれには沢山の穴が開いてる。
「あら、それ地笛じゃない?」
パネラがそれを受け取る。
「地笛ってさっきの、連絡に使うって言ってたヤツ?」
「うん、色んな形があるんだけど、こうやって岩や地面に突き立てて鳴らすの。笛っていうけど直接吹くわけじゃないのよ。魔力を使って振動させて、地面に共鳴させて音を出すの」
その長い棒には丸い小さな穴が規則的に開いてはいるが、確かに口をつける部分らしき他の穴は無かった。
「でも係の人の笛じゃないよね? こんなとこにあるなんて変だもの。誰か探索者の土使いのかしら」
「いや、こりゃあ多分、このイベントの係の物のようだ」
横から見に来たセバスさんが神妙な顔をした。
「ほら、ここにジゲー家の紋章と整理番号が振ってある」
そう指さす棒の先の方に小さく、山のような▲と斧、ポプラのような葉をつけた蔓がまわりを囲んだ柄が刻み込まれている。その隣にこれまた小さく『D16』と薄く書かれていた。
「だったらなんでこんなとこに?」
口に出したが、皆が同じ事を考えたようだ。
ただ、俺はまだダンジョンの怖さを知識でしか知らないから、この時は皆が違う恐怖を考えていたとはわからなかったが。
「やっぱり出来るだけ早く、ここを出た方がいいようだな」
セバスさんが声を落として言った。
「でもっ! 1等を探さないとっ」
レッカが大声を出した。
「何言っとるっ! 300万は大金だが、それと命とどっちが大切だっ」
事情を知らないセバスさんがレッカに叱咤したが、レッカも食い下がった。
「……それでも必要なんですよぉ。1等の珠がぁ……」
その様子にセバスさんも何か感じ取ったようだ。
「……なんだか事情があるようだが…………。
だが、生きて出られなければ、全て意味が無くなるんじゃないのか?」
「でも……だって……」
レッカが唇を噛んだまま押し黙った。
「ウジウジここで考えててもしょうがねぇだろうが。
いっそのこと上で見張って、珠持ってきた奴から奪った方が楽で安全なんじゃねぇのか?
要は手に入ればいいんだろ」
ヴァリアスの奴が急に横から口を出した。
もう神様の言う助言じゃない。
「うん、そうね。こんな状況だから他の奴が見つけられるかわからないけど、その方がリスクが低くて確実かも」
パネラが強盗作戦に賛同した。
「そうだな。もし最終的に見つからなかったら、またジゲー家が何か動いてくるだろし、そしたらそこを狙おう!」
行き当たりばったり夫婦は、すぐに頭を切り替えたようだ。
「なんだか、穏やかな話じゃないようだな。まあダンジョンはある程度無法地帯だから、ワッシは聞かなかったことにするよ」
セバスさんがワシワシ、髭を掻いた。
「ありがと、セバスさん。よっし、じゃあとにかく出るよ、レッカ!」
パネラに力強く背中を叩かれて、レッカがせき込んだ。
「よしっ、じゃあ皆、これを靴の中に入れるんだ」
そう言うとセバスさんが、リュックの中から麻袋を取り出した。
中には黒っぽい土が入っている。
「別のとこのダンジョンの土ね」
土に触れてパネラが言った。
「ああ、ある火山層に出来たダンジョンの土だよ。こことは地質がまるっきり違うだろ?
まあ気休め程度だが、多少の効果はある。
さあ、ズボンや上着のポケットにも入れて。出来れば顔や髪、体全体にすり込んで」
3人は言われなくても、土を手に取ると、服だけでなく頭や顔にまで擦りつけている。急に崖を滑落したみたいに泥だらけになった。
「早く君もっ」
土袋を目の前に出されたが、そう言われても急に泥を被るのに抵抗があった。
途端に頭から土をドサドサかけられた。奴がかけてきたんだ。
「ペッ、クソッ、口の中に少し入っちまったじゃないかっ」
「さっさとやらんからだ。みんな待ってるぞ」
「あんたももちろん、やるんだろうなぁ」
「オレは必要ない」
そう言いながら俺の顔や頭をゴシゴシこすってきた。このバカザメーっ!
「この人たちはどうします?」
ちょっとげんなりした気分になりながら、俺は男達が気になって訊いてみた。
「それは……申し訳ないが、置いていくしかないな。ワッシらだけでも危ないのに、連れてはいけん。
上に戻ったら救援を呼ぶしかないだろうな」
「えっ このままにするんですか」
「蒼也、コイツらは探索者なんだろ。危険を承知でここに入ってきてるんだ。まずは自分たちの事を優先しろ」
でも、遭難しかけてる人をそのままにしておくのは……。
「気休めかもしれんが、今この状態ならそんなにすぐには命は取られないだろう」
パネラとエッボも頷いた。
「だが念のために地上に連絡しておこうか」
そうセバスさんは地笛を地面に突き立てると、縦笛のように穴に指を交互に置いた。
さっきも聞いた高い音が、ある一定のリズムで地面を伝って鳴り響いた。
「さあ急ごう」
そのまま地笛を杖にように持ちながら、セバスさんが来た道を戻り始めた。
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「なあに、この音?」
アーダが金色の髪をかき上げて、耳に手を当てた。
「地笛だよ。内容からすると救難信号かな。誰か下でヘマしたんだよ」
「ドジねぇ~。それで助け求めてるの? 恥ずかしい~」
エンマが小馬鹿にして口を突き出すのを、慌ててベニートが口を押さえる。
「シッ! こんなとこでそんな事言うなよ、エマ!」
そう言われてエンマもハッとしてあたりを見る。
ここはアジーレ2層、階段を降り切った底面で、5人は下に向かう穴に向かって移動中だった。
各階段や足場には、係や探索者たちが少なからずウロウロしていた。その中をいかにも観光客の姿をした4人は目立っていたのである。
「ごめんねぇ~。あたしダンジョン初めてだから~」
全然悪びれないエンマの言葉に、近くにいた探索者達は、ギロッと一瞥するだけにとどめた。今はそんな馬鹿なお嬢に構ってる暇はないのである。
「だけどあんたは行かなくていいの? ベニート」
「いいんだよ、おれは副監督なんだから。誰かが行くよ、ほらっ」
そう言った方を見ると探索者の中から、2人の係が足早に階段を上がると1つの穴に入っていった。
「って、いう事はあそこが3層への入り口か?」とジェレミー。
「そのようだね」
「え~~、あたしあんな高いとこまで、また上るの やーよ」
「あたしも~ 足が痛くなっちゃう」
「大丈夫さ。この底面にもちゃんと下に続く穴はあるから」
「じゃあさっさと行こうよ。確か3層は個室になってるんだろ?」
アランがエンマの腰に手をやったのを、彼女は軽く手を払って
「やーね、あたしはそんなお安くないわよー」
エンマは見た目によらず、最後の線だけは身持ちが堅かった。
おかげでアランとベニートはいつもギリギリのところでお預けを食っている。
だが、今日ならチャンスはある。
ベニートはほくそ笑んだ。
皆はダンジョン慣れしていないから、あまり気にしてないようだが、ダンジョンには通常より魔素が濃い。
知らず知らずに処理しきれないほどの魔素を吸い込んで、意識がもうろうとしたり、幻覚を見たりするのがダンジョン酔いだ。気分が妙にハイになったりする事もある。
最近このアジーレ内の魔素が濃くなってきているのは、係として聞いている。だから係は皆、あらかじめ持続性の酔い止め―――毒消しを飲んでいる。もちろんベニートも。
エンマが酔ったなら介抱するふりをして、別室に連れて行けばいい。何か言われても記憶障害とかで誤魔化せる。
もちろん他の奴らも。
「ナニ1人で笑ってるの? 気持ち悪い~」
エンマがベニートに可愛い眉を寄せて覗き込んできた。
「いや、何でもない。じゃ、行こうか」
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「なあ、この土を付けるのってどんな意味があるんだ?」
もと来た道を足早に戻りながら、俺は奴に訊いた。
「ダンジョンには意思があると前に言っただろ? それぞれの独立した意思で、その場を自分好みに作り上げてるモノの1つが土だ。
地質が違うという事は、好みじゃないって事だよ。それがさらに意思の断片のある、他所のダンジョンの土なんか、自分の思考に他人の思考が入り込んでくるようなもんだ」
「つまり他のダンジョンの土を嫌がるって事か。で、それにどういう効果があるんだ?
まさか中に入ってられると気持ち悪いからって、ペッと吐き出してくれるとか?」
「そこまでするなら、始めからセバスの奴がここに入れないだろ。
ヒントはダンジョンの種類が、『迷路』『フィールド』『トラップ』やそれらの混合型以外にもまだあるってことだよ。
まあもうすぐわかるさ」
このヤロウはー、いつも思わせぶりに言いやがって、絶対楽しんでるだろー。
ここまで戻ってくる間に、他に5,6人の探索者の気配を感じた。皆、さっきの男達同様ぼーっと座っているか、横になったまま動かない状態だった。
来るときは地面にも触手を伸ばしていたが、もうここに宝がないとわかったので、もっぱら前後左右に伸ばしたので感知出来たのだ。
奥にはもっといるのかもしれない。だが今は助けている暇が、いや、力がないのだ。
それがどうにももどかしい。
と、やっと 前方に例の黒い扉が見えてきた。
「良かったっ! ここまで妨害されなくて」
パネラが声を上げて扉に走り寄った。
その時、またあの甲高く長く、また重低音に低い音があたりにこだまするように聞こえてきた。更に大きく、しかもダンジョン全体を響くように聞こえてくる。
「とうとう始まったか」
隣で奴があたりに銀色の視線を動かした。
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「なんでちゃんと確認しなかったんだっ!」
「……すみません。ただ……そんな時に、入ってはいけないと思いまして…………」
メイドが半泣きで同じことを答えるのを、苦々しそうに見ながら老いた執事は更に口を開けようとした。
「待ちなさい。もうその辺にしておけ。確かにこれでは入りづらいだろう。
大体お前だって一回は躊躇したのだろう?」
ベックマンは執事を軽く諭した。
「そ、それはそうですが……、もう少し早くこのメイドが連絡してくれれば、発見も早かったかと」
「だからもういい。とにかくいないのは事実なのだから、メイドを追い詰めるより、ジェレミー様を追ってくれ」
泣きべそ顔のメイドを手で軽く振って下がらせると、秘書のベックマンはベッドの上に置かれてあった翡翠のような記憶石を手に取った。
ここはジゲー家の一室、次男ジェレミーの寝室だ。
昼近くになっても食堂に顔を出さないのはよくある事だが、さすがに途中で喉ぐらい乾くだろう。
部屋に入らない場合でも、ドアの前に軽食とお茶、ワインを置いたカートは置いておく。するといつの間にかちゃんと空になっているのだ。いつもなら。
だが、今日は昼近くだというのに、全然手を付けた痕跡がなかった。
しかし中から微かに声はする。
冷えてしまった食事を昼用に変えようとカートを下げていたところ、執事に聞かれたメイドの話で事が露見した。
そんなご令嬢は昨日どころか一昨日でさえ、この屋敷に来た覚えがない。
そこで躊躇しながらも部屋を開けた結果、ジェレミーが失踪したことがわかったのである。
「全く、こんな破廉恥なモノを使われて……」
軽く魔力流すことで始動停止できるようになっている、その石には男女の睦言が記憶されていた。しかも一通り終わるとリピートされるように設定までされていた。
こんな手を使ってまで、お供を撒いてどこに行かれたのやら。
悪いが今はそれどころではないのだよ。
この記念祭があと半日で終わる。無事に閉会式まで持っていかなくてはいけないのだ。
大体、屋敷の中のことは執事の責任だ。ジェレミー様の探索は執事にやってもらおう。
秘書はまた胸の下を擦った。
その時、廊下を慌ただしく走る音がしてきた。
「なんだっ、廊下を走るとは」
だが、息せき切ってベックマンの前に現われた男は、叱咤を受ける前に大声を上げた。
「ベッ、ベックマンさんっ! エライことがっ!
アジーレがっ―――エ、エントランスホールが抜けましたぁっ!! 」
そう言って男はせき込んだ。
「なんだってっ!? そりゃ、どのくらいだっ? 怪我人はいるのかっ」
「ホ、ほぼホォール全体ですっ」
「なっ!!」
だが、次の言葉にこそベックマンは、声をすぐに出せなくなった。
「しかもぉ、―――がぁ、飛び出してきたんです !!」
それはこの辺りにいるはずのない、いてはいけない魔物の名前だった。
ここまで読んで頂き有難うございます!
次回 第153話 仮『ダンジョン’Sハンターと魔法人形』予定です。
どうかよろしくお願いします。




