第143話☆『捕食』
朝食を終えてレッカがポーを迎えに行くというので、俺達もついていくことにした。
1人歩きは一応避けた方がいいと思ったからだ。
「お前どうせ早くあの山猫に会いたいだけだろ」
奴がチャチャを入れてきたが無視だ無視。
パネラとエッボには戻るまで下宿にいるように伝えた。
「一日家の中にこもってると体が鈍っちまいそうだよー」
パネラが床でストレッチしながら言った。
エッボは椅子に座って目を閉じて瞑想している。
ほどほどにスペースのある部屋で良かった。
行きはほとんど喋らずに俺たちは歩いた。レッカは考え事をしていたようだ。
俺も昨夜の事を考えていた。
奴隷というのを映画や小説では知っていたが、さすがに身近に感じた事はなかった。
人権を奪って強制的に働かすのだから、酷いものだとは思っていたが、まさかあそこまでとは思ってなかった。
国や雇い主によって違いはあるようだが、それは扱いの基準に限度がないという事だ。
そして今、隣を歩く男の妹がそんな奴隷にされようとしている。
そんな不安を胸に抱えていては、とてもじゃないが落ち着いていられないだろう。
とにかく何とかしなくては。焦りだけが大きくなる。
だが、そんな暗い顔も、ポーと再会したら吹っ飛んでしまった。
ケージから出したポーはすぐにレッカの元に走り寄ってきて、頭をこすりつけた。
そのまん丸い頭の左側には大きなハゲが出来ていた。
ネイビー色の毛に、くっきりと濃いめのピンクの地肌が浮き上がって見える。
あのスプレマシーを使った時に、いったん生えそろった毛は、抜糸のためにまた剃られてしまったのだ。
女の子なのに可哀想に。
だけど耳を避けてカットしてあるので、なんだか丸みを帯びたハート型になっている。
さすがポー、ハゲも可愛いもんだ。
俺はレッカに甘えるポーを見下ろしながら、ついニヤニヤしてしまった。
1階の受付で会計を済ませると、レッカが軽くため息をつきながらポーの頭を撫でた。
俺にも聞こえたが、入院1日とはいえ大手術もあって、その額264,500エル(税込み)。
人間より従魔や使役獣にかかる治療費は、やはりどこも高いらしい。
そういえば猫を飼っている友人も、予防接種が馬鹿にならないとか言ってたな。
「あー、これもう着れないかなぁ……。気に入ってたのに」
ポーに預けておいて、ボロボロにされたベストを広げながら、レッカが悲しそうな顔をした。
**************
「ポーは明日外すよ」
おもむろにパネラが言った。
「昨日の今日だし、もしかするとまた狙われるかも知れない」
隣で手をもじもじさせているレッカを見て
「レッカだってポーを危険な目にもう会わせたくないでしょ?」
「うん、そりゃそうだけど……」
レッカはチラリと、ソファの横で床に手足を伸ばして転がるポーを見た。
俺はそのポーに猫用ブラシをかけていた。
これはブラシというより、猫の舌に似せて作った溝がのあるへらのようなもので、これでマッサージすると猫が気持ちいいという触れ込みだったのでネットで買ってみたのだ。
当たりだったらしく、ポーはゴロゴロ気持ちよさそうに喉を鳴らしながら、目を細めてすぐに横になった。
手を止めると咎めるように顔を上げるので一日中やらされそうな感じだ。
もう俺、猫の奴隷の気分だが、こんな奴隷ならいいや。
「でも、そうすると、玉を探す手が減っちゃうし……」
レッカが困ったように呟いた。
「俺がその分頑張るよ、ポーの分もさ」
俺は片手をポーに前脚で掴まれ舐められながら答えた。
「今、探知の練習してるんだ。結構上達したと思うよ」
それを聞いて奴がフッと笑った。
「でもお前たち、もし先に別の奴らが玉を見つけたらどうする気なんだ?」
奴がソファに座りながら、含みのある悪人面をして訊いてきた。
「もしそうなったら、出来る限り譲って貰えるように頼むよ。もちろん賞金分はこちらで立て替えてね」
考えていたのかすぐにパネラが答える。
「だけど相手がそれでも拒んだら? こういうイベントで1等になるってのは、ある意味名誉な事なんじゃないのか?
探索者としても名が売れるしな」
奴が悪そうなニヤ笑いをしながら言った。本当にあんた生まれを間違えただろ。
「……もしそれで譲って貰えないなら」
パネラが一種の光を目に宿しながら、奴の方を見た。
「力づくでも奪うよ」
「ふーん、一応覚悟は出来てるんだな」
「ちょっと待った。それって強盗ってことか?!」
俺はちょっとびっくりして立ち上がった。
ポーが毛づくろいをされなくなって、不満げな顔をして首を上げる。
「覚悟は出来てるよ。どっちに転んだって、もうこの町にはいられないもの。町長様に盾突いちゃったんだからね。
だからもし、それもダメだったら、人質が奴隷商人に売られた後に商人を襲撃するつもりだよ。
他にも使用人の家族はいるからね」
本当に面白そうな顔をしながら、奴が軽く手を広げた。
「面白い。だけどそう上手くいけばいいけどな」
こいつ、他人事だと思いやがって。
奴が深くソファに座りなおして、また新しいビールを開けながら不吉な事を言った。
「度胸は認めるが、作戦がいろいろ穴だらけだな。
もし、もう傀儡にでもなってたらどうする?
助けたってもう人形になってるかもしれないんだぞ」
「また、あんたはなんてこと言うんだっ!」
皆だって薄々考えていたかもしれないが、そんな最悪な事考えたくないから黙っていたはずなのに。
こいつは本当にデリカシーがないな。
詰め寄ろうとした俺を、レッカが手を上げて止めた。
「いいんだよ、ソーヤ。だってその通りなんだから……」
そうして膝の上で手を握りながら、押し殺したように言った。
「それでもアメリを奴隷なんかにしたくないんだ……」
「まあ兄さんには言い返せないよ。あたい達の行動って、結構行き当たりばったりだもん」
パネラが両肩をすくめた。
「ホントはここまで事が大きくなるなんて、始めは思ってもみなかったからね。あの屋敷に交渉に行った時だって、押せばなんとかなるって思ってたんだから」
言いながら背もたれにもたれかかった。
「逃亡するにも、おいら達は亜人だろ? 他の国には行きづらいんだよね」
エッボも鼻の頭を掻いた。
「もしかして、事後の行先は決めてないの?」
「「うん」」 2人は同時に答えた。
「まっ、あたい達夫婦も、何度か死線はくぐってるからさ。どうせなら最後にパアッと暴れてやるよ。
しかも豪族様なら相手にとって不足なしだろ?」
隣のレッカを見ながら
「最後にヒュームの友人の手助けになれれば本望じゃん」
それにレッカが顔を上げた。
少しの間、奴を除く皆が顔を見回して、妙な空気が流れた。
が、そのうちパネラが笑い出した。
「ぷっ、なにみんな、そんな顔してんの。もう、辛気臭いっ!」
勢いよく前屈みに立ち上がったかと思うと、ばっと奴の飲みかけの缶ビールを取った。
「おいっ!」
堂々と腰に片手をやって立ったまま、パネラはそのまま500㎖缶を一気飲みした。
「はぁ~っ ラガー やっぱり旨ぁ~い!」
「てめぇー、飲みたいなら言いやがれ。人のを取るなっ」
「ごめんねー、兄さん。だけど急に飲みたくなることってあるでしょ?」
それほど悪いと思ってない感じで、パネラは手をひらひらさせた。
「もうここまで来たら悩んだってしょうがないよ。泣いても笑っても、どうせ明日一日で終わるんだからさ」
「そうだね。どうせおいら達ハンターは、何度も死にそうな目に会ったことあるんだから。
今更だよね」
エッボも丸めていた体を、ウンと起こした。
「蒼也、コイツらの分もビール出してやれ。また取られちゃかなわん」
朝から酒盛りかよと思ったが、パネラのおかげでなんかムードが一気に和んだ。
カバンから缶ビールを出しながら、ふと思い出した。
「あ、そうそう、レッカ、ポーにお肉あげるんだろ?」
「ああ、そうだった」
俺はショルダーバッグから、預かっていた肉を取り出してレッカに渡した。
今朝、ポーを迎えに行ったときに、快気祝いにお肉をあげようと、肉屋でゴブリンのブロック肉を買ってきたのだ。
これなら比較的安い肉なので、沢山買えるから。
本当は俺がもっと高くて美味しいのを買ってやろうと思ったのだが、レッカがスプレマシーの件もあって遠慮してきた。
俺もこの前まで小金持ちではなかったから、あまり奢ってもらうのは引け目を感じるのはわかる。
ここはあまり無理強いせずに引き下がっておいた。
ポーは匂いで肉とわかったらしく、サッと起き上がると『ミャアーミャー』鳴きながらレッカにすり寄ってきた。
「ちょっと待って、ポー。今あげるから」
肉を包んだ油紙を縛った紐をほどきながら、覗き込むポーを腕で抑えていた。
ふふ、実は今回は薬味(?)も用意してあるんだぞ、ポー。
ちょっと舐めてもらって、気に入りそうだったら肉にかけよう。
俺はバッグから通販で取り寄せた、マタタビ粉の袋を取り出した。
「これ俺の国の猫の嗜好品なんだ。食欲がない時とかに餌に少し混ぜてあげたり、何かのご褒美であげたりするもんなんだけど」
袋の口を切りながら俺は振り向いた。
「気に入ってもらえ―――」
ポーが宙を飛んでいた。
その姿はまさしく獲物に襲い掛かる黒豹のようだった。
喰われる。 一瞬頭をよぎった。
ぽすっとやや鈍い音を立てて、俺は床にひっくり返った。
後ろにエアバッグならぬ圧縮空気の層を作ったので、床に打ち付けられる衝撃はなかった。
ただ、さすがに爪は立てなかったが、中くらいのトラほどあるポーのボディアタックの衝撃のほうが凄かった。
しかもそのままひっくり返ったせいで、俺はマタタビまみれになってしまった。
「イタタタッ!」
ポーが俺の顔や頭・腕をヤスリのような舌で狂ったように舐めまわしてきた。やっぱり捕食されてる!
「ポーっ! ソォーン(棘)ダウン! ダメだよっ 棘引っ込めてっ」
レッカが慌ててポーに呼びかけた。
“ 山猫にマタタビをやるときは慎重に ”
一つ教訓になった。
ひと騒ぎが落ち着いて、俺はまた練習で外に行くことにした。
「お前たちは今日はここにいろ。あまり出歩かなければ、奴らも何か仕掛けてくることもないだろうから」
「兄さん達は―――って心配無用だよね」
もう3本めを飲んで良い気分になってきてるパネラが手を振った。
さすがドワーフ、女も酒好きなのか。
ドアを閉め、廊下に出たところでコッソリ聞いてみた。
『(なあ、本当に大丈夫なんだろうな? 俺たちがいない間に何かあったりしないか)』
『(妙なマネしなければ、奴らも強硬手段は明日までとらないだろう。それに――)』
と、部屋の方を振り返って
『(あの山猫と一緒に天使もいるし)』
『(えっ、まだ天使様いるのか?)』
『(従魔の観察していると言っただろ。お前がやったマタタビとか興味深そうだったぞ。一応、アイツらは従魔の飼い主だからな。
一緒にいる限り、悪意を持って近寄ってくる奴らをけん制くらいはしてくれるだろう)』
そうなんだ、それは一安心だ。
監視に悟られないように、俺たちは屋根裏の廊下で転移した。
**************
「本当に明日、アジーレに一般も入れるんですか?」
サイゼルは少し信じ難いといった調子を含んだ声を出した。
ここはジゲー家の秘書室、窓際の机に座ったベックマンを前に、現場監督は意を決して尋ねた。
「ああ、それは以前から決めていた事だろう。今更変更はできん。
知っての通りこの50周年記念は特別なものだ。普段入れない、入らない場所に入れるという祭りの特別感が必要なんだ」
「ですが……報告書はお読み頂けましたか?」
「もちろん読んだ。だが、それでもだ、やらねばならんのだ。
これは主の意向なのだ。我々は黙って言われた通りを遂行するのみだ」
「それはそうですが……」
「もちろん、現場の苦労は察している。何しろ予定以上というより、予想外の事が起こっているからな」
そう言いながらベックマンは、ファイルの間に挟んだ報告書をあらためて引っ張り出した。
4日前からダンジョンで頻繁に、小規模だが蠕動が起こっている。体に感じられる微かな振動があるくらいで、恐れるほどの揺れではないが、問題は回数だ。
わかっているだけでも4日前に36回、3日前に54回、2日前は73回、そして昨日は107回の揺れがあった。
おそらく準備の為のために、幾度となく潜らせている土使い達から漏れる生命エネルギーに反応しているのであろう。
本来は300グループ総数1,500人まで限定だった宝探しが、今や1,283グループ、登録人数は5,384人に膨れ上がっている。
エントランスホールまでとはいえ、不特定多数の一般人までを入れたらおそらく総数1万人をいくかもしれない。
今でもこんな状態なのだから、当日どれだけのエネルギーをダンジョンが吸収するかわからない。
もしそれが抑えきれなかったら―――。
しかし別の見解もある。
「確かに心配な事も多いが、こうして小出しに動くのは大蠕動の抑止になるのじゃなかったか?」
エネルギーを溜まりに溜めて一度に放出するより、こうして小出しに吐き出した方が爆発的な動きをしなくなるという説がある。
だからこうして何日か前から少しづつ、準備をかねてわざと人手を多めに使っているのだ。
断食の後にお粥で少しづつ胃を慣らすように、いきなり大勢のエネルギーにダンジョンが、胃をひっくり返して暴れないように。
「はい、確かにそれはそうなんですが、こう回数が多いと恐れる者も出てきまして」
現場監督主任は薄くなった頭をさすった。
「エントランスホールと、ホール手前の内部の装飾の為に雇った人足の中に、作業中途で逃げ出す者がいるようなのです。
異常な回数の揺れに恐れをなしたのだろうと思われますが」
「それは先に手付金とかを渡してないか?
始めから前金だけ貰って持ち逃げする気だったのでは」
「それはあまり考えづらいかと。雇う時にギルドを通しておりますし、このジゲー家の依頼をそんな簡単に足蹴にする事は、信用問題になりますから。
やはり恐れあっての事かと思います。
何しろ昨日は、班長でさえ逃亡した次第ですから」
「班長が? けしからん奴だな。そいつは解雇したのだろうな」
「はい、もちろんそのつもりですが、職務放棄による罰則を恐れたのか、家には戻ってきておりませんで、まだ本人と連絡がついておりません」
「フン、どいつもこいつも、足を引っ張りおって」
ベックマンがいかにも憤慨したという感じで、報告書をファイルに勢いよく音を立てて挟んだ。
「とにかくダンジョンの蠕動は緩やかに抑えていくように。
土使いがまだ足りないなら、ギリギリまで募集を募ってくれ。
当日でもだ。予算の増加は多少は目をつむる。
まずはこのイベントを成功させる事が最優先だ」
かしこまりましたと、監督官サイゼルはそのでっぷりした体躯には似合わず、少し肩を落とし気味に部屋を出て行った。
ベックマンはしばらく他の書類を見比べたりしていたが、おもむろに書類を机に落とすと分厚い背もたれに寄りかかった。
手前の開いた窓からは、気持ちいい日差しが差し込んで、部屋の中を明るく照らしている。
占い師によると明日も快晴らしく、雨の心配もないようだ。おかげで風使いによる雨雲の回避などはしなくてもすむようだ。
まず天気は明日の閉会式に相応しい。
ベックマンは小さく呟いた。
「あちらの方は特に何事もないのだろうか」
昨日、影の報告で例の亜人どものグループの飼っている山猫が、どうやら死ななかったという事を聞いた。
かなりの重症を負ったようで、さすがに昨日は出歩く事はなかったようだが。
まあ余計なマネをしてこないならそれでいい。
ただ1つ気になるのは、あちらに加担している者に、SSランクのハンターがいるらしいという事だ。
あ奴らが契約した探知能力者の仲間らしい。
これはハンターギルドにいる配下の者からの報告だ。
SS ――― 本当に実在していたのか。伝説だとばかり思っていたが。
聞けば希少種のアクール人だという。
直接見た事はないが、アクール人は魔族にも匹敵する力を持つという話を聞いたことがある。
ギルドが認めたのだから間違いないのだろうが、そんな奴がよりによって、敵側にまわるとは……。
「まったく……悪い事というのは重なるものだな」
背もたれに押し付けていた背中から、力を抜くように息を1つ吐いた。
「お疲れのようですね」
すぐ横から声がして。ベックマンは左に振り返った。
そこには自分の椅子に座った影が床に落ちている。
声はそのあたりから聞こえてきた。
「無理もない事と思われます。ただでさえ祭りの指揮にくわえて、例の件もありますから」
昨日とは違う声だが、ベックマンは気にしなかった。
「少し考えていただけだ。そちらは今のところ変わりないのか」
「ええ、今日は今のところ皆な大人しく、宿にいるようです。
ただ、昨日から変わらず、宿の結界が強くて部下達が入ることはおろか、中を伺うことも出来ないようですが」
「やはり例のSSの力か」
ベックマンは胃の奥がじわっと熱くなるのを感じた。
喉から苦い胃液がこみ上げてくる。
「そのようです。さすがはSS。
昨日うちのジルシャーが見事に隠蔽を見破られました。殺されなかったのは奇跡でしたが、恐らくこれ以上余計な事をするなという、警告だと思われます」
「そんな奴相手に、勝てる見込みはあるのか?」
秘書は右手で胃を擦りながら、少し弱気になっている自分に気が付いた。
「正面からは無理でしょうね」
影が答えた。
「ただ知っての通り、戦いは力だけではなく相性も重要です。火と水、闇と光、風と土のように相克をなすもので、不利にも優位にも働きますから」
「ほう、じゃあ勝つ見込みはあるのだな」
「相手だって1人の人間です。だが我々は大勢いる。要はやり方次第です」
ベックマンが動いていないのに、その影がユラユラ揺れている。
「わかった。とにかくそちらはお前に任せる。いつも済まないが」
「いいんですよ。これがわたしの仕事、存在価値ですから、兄さん」
揺れが収まってただの影に戻った。
**************
「前にダンジョンは、一種の生物のようなモノだと言ったろ」
俺たちはまたメカトロダンジョンの5層に来ていた。
奴は少し先を雑木林沿いに歩きながら
「このダンジョンも今大人しくしているように見えるが、一部ではたびたび蠕動を起こしているんだ」
「一区画だけで地震を起こしているってことか?」
「人間どもは蠕動を地震のようなものと単純に思っているが、これは一種の新陳代謝みたいなものでもあるんだ。
表面だけでなく、地殻の中を変えたり、空気を流動させても動きが出るから揺れが発生する。
生物の細胞が日々変化するように、ダンジョンも変化を繰り返してるってことだ」
「それじゃ揺れててもあんまり気にしなくても良いんだな」
クジラの腹の中のピノキオの気分だな。
「恐れすぎて萎縮しすぎるのは良くないが、ナメてかかっても危険だということだ」
奴が振り返りながら言った。
「人間どもはダンジョンが大きく動かなければ大丈夫と思っているようだが、そんな単純なモノじゃない。
思念が絡み合った別空間なんだぞ。
ただ動くだけじゃなく、自己を保存維持していくために、捕食行為をすることもあるんだ。
あの『ペサディリア』のようにな」
「でもそれをさせない為に、イベントに地(土)の使いを雇うんだろ?」
フッと奴が鼻で笑った。
「一口に捕食と言っても色々あるんだよ。考える脳がなくても意思がある。自然にどうあるべきか、状況に応じて対応を変えるんだ。食虫植物が餌を得るために、獲物を甘い匂いで誘き寄せたり、奥に入ってから蓋を閉じるようにな。
肉食獣は群れを狙わず、逸れた個体を狙う方が効率のいいことを本能で知っている。
まあお前はわからなくても仕方ない。
だけど他の奴らは笑えんな。しかもダンジョン管理者のくせに」
そう言われるとなんだかまた不安が出てくるが、今はそれより宝探しに集中だな。
それに敵らしき存在も無視出来ない。
昨夜ヨエルに聞いた、隠蔽している者を察知するやり方は必要だろう。
それにダンジョンでエッボがやったように、敵味方が混ざっても味方には影響がないという魔法のやり方。
俺のような『火は敵味方関係なく焼きつくす』という固定観念を取っ払ったイメージ魔法らしいが、これもチーム戦なら必要なのじゃないだろうか。
「なあ、時間もないし両方やってたら、両方習得出来ないんじゃないのか? だったらどっちを優先してやった方がいい?」
「どっちみち納得いくほどモノにするには時間がねぇだろ。ただどちらが明日必要かといったら、まあ探知の方だろうな。
まずは敵の存在を知ることの方が重要だから」
「そうか、じゃあやっぱり探知を重点的にやろう。本当はあんたが普通の隠蔽で隠れてくれたほうがいいんだが出来るか?」
こいつは目の前に姿を現わしているのに、気配を全く感じさせない時もあるのだ。
こんなに存在感アリアリなのに。
「わざと存在感を出すぐらい出来るが、それより別のもので代用した方がいいだろ」
と軽く辺りを見回しながら
「ちょうど良いのがいる。お前の探知範囲にいるから確認してみろ」
また奴の悪そうなニヤつき顔に、俺は少し不安を覚えたがとりあえずやってみることにした。
ざっと辺りに探知を巡らしながら、空気の流れを同時に感じるようにする。
これが意外と小難しい。
両手を同時にバラバラの方向に動かすより、同じ方向に動かすのは全然楽だが、違う感覚で似ているような動作をすると、片方に意識が引っ張られてしまうのだ。
脳が同じ動作で混同してしまうらしい。
いや、これ一夜漬け無理じゃねえか?
でもやらなくちゃなんないし。
仕方ないので、探知と空気の流れを感じるのを交互にすることにした。
なるべく前の余韻が残っているうちに、フラッシュの点滅のように早く入れ替える。
その差の違和感がわかるように。
「くぅ~っ、疲れるな、これ」
俺は目を使ってないのに、眉間を軽く揉んだ。
「そのうち慣れてくる。同時に出来るようになればもっと楽になるぞ」
大体、空気を流れを読める範囲は探知より狭い。
全方向じゃなくて、一方方向ずつに切り替えてみた。
しばらくやっていて違和感を感じた。
それは60mくらい先の雑木林の中にいた。
沢山の樹々が無造作に生えそそり立つ中、3本の樹がお互いを支えるように、斜めにかしいで立っていた。
だが、探知では3本しか確認できないのに、空気は4本分の障害物を感じ取っていた。
探知で見ると右端の4本めがほぼ感じられない。なのに空気はそこにあるものを避けて通っていく。
風の流れからすると、確かに枝はほとんどなく、葉も付けていないようだ。
何かが隠蔽能力で隠れている。
この風の流れだとちょっと分かりづらいな。少し空気の流れを操作しようかと思っていたら風向きが変わった。
その風がソレを全体包んで抜けていく。
やっぱりこれはあいつか。
俺がそいつの正体を思いついた途端、そいつも首をゆっくりと動かした。
「レッドアイマンティスか」
風に包まれたそのシルエットは、あのカマキリと同じだった。
「そうだ。隠蔽が得意な奴らだ」
そいつはゆっくりと樹から離れると、地面に伏してやがて樹々や茂みの間を動き始めた。
「なんか、こっちに向かってきてないか?」
始めゆっくりだったのが段々速度を上げてきた。
スピードが上がっているのに蛇が草地をすべるように、ほとんど地面の草や茂みを揺るがさない。
これは単なる探知ではわからないだろう。
いや、待てっ 気づかれてるっ!
「なに、なんでこんなに離れてるのにわかったんだ」
「匂いだよ。お前の服や髪にあのマタタビがまだほんの少し残ってるんだ。カマキリに利くわけじゃないが、初めて嗅ぐ匂いに興味を惹かれたんだろう」
「なんだとっ! 早く言えよな、そういうことは」
俺は自分の髪や服についたマタタビ粉を、風で飛ばそうとした。
「注意を怠るな。もう奴は捕食モードに入っているぞ」
そう言われてまた空気を感知すると、すでに相手は雑木林を抜けて俺たちと20mくらい先の草むらに出てきたらしかった。
「なにっ、よく見えないぞ?!」
前のカマキリは探知出来なかったとはいえ、視覚でとらえる事は出来た。
なのにこいつは、無重力で浮かんだ透明な水のような塊にしか見えない。
まさしく姿を隠したプレデターだ。
「個体差があるんだ。こいつは隠蔽能力の高い個体みたいだな。今回の練習にはちょうどいい」
いつの間にかこちらも姿を消した奴の声だけが側でする。
「いきなり戦闘かよ。まだ探すだけで良いじゃないかよっ」
俺は時間を稼ごうと、そのブヨブヨとした空間に向かって氷の矢を発射した。
が、その氷柱はそいつに接触するギリギリのところで、粉雪のように飛散した。
やべっ!!
一気にそいつが2mくらいまでに跳んできた瞬間、俺は転移した。
「くそっ、なんだ、氷や水がきかねぇ」
俺は100mくらい離れた大岩の上にかがんでいた。ここはさっき通ってきた所で、とっさに頭に浮かんだのだ。
「個体差があると言っただろ。以前の奴は水の耐性が弱かったが、同じ種だって皆同じ耐性とは限らん。
お前たち人間だって酒に強い奴と弱い奴がいるようにな」
「だからそういうのは先に言えって!」
「身をもって学んだことの方が、頭に残るだろ。それに時間がないんだから、実戦に勝る訓練はないぞ。隠蔽体との戦闘もできるから良かったじゃないか」
「だからってなんでいっつも、いきなりなんだよっ! 前触れぐらい入れろよ」
「戦いに事前の断りなんかあるかっ。ほとんどが突然起きるものだ。そんな事より集中しなくていいのか?
もうアイツはマタタビじゃなくて、お前の匂いを覚えたようだぞ」
再び空気の感知を、先ほどまでいた方角に向けると、雑木林の上あたりに風を避ける透明体を感じた。
そいつもこっちに気が付いたようだ。一気に加速してきた。
「このくそっ、クソヴァリーっ!!」
俺はファルシオンを引き抜いた。
**************
俺がカマキリと出会うおよそ19時間前、アジーレ・ダンジョンの1層で、班長のラーシュは内部装飾の点検をしていた。
もうすでにイベントは明日だというのに、飾り付けが終わっていない。
予定ならすでに取り付けを終えて、あとは動作確認だけのはずだったというのに、まだ6分の1の取り付けが残っている。
これは今日は徹夜コースかもしれん。
イルミネーションの配置を確認しながら、ラーシュはため息をついた。
原因の1つは作業を開始したのが遅かったせいだ。
本来ならもっと早くから行う作業だったはずなのに、急にダンジョンの奥を点検するとかなんとかで入れさせてもらえなかったのだ。
確かに魔物を一掃したために起こった中規模蠕動のおかげで、中の迷路が大きく変わってしまった。
層も新しく出来たようだ。
だが、ホール手前の1層くらい、別に作業していても良いじゃないか。何か隠したい事でもあるのかとつい疑ってしまう。
魔物がいないのでそちらの警戒はなくなったが、最近頻繁にあるこの小さな揺れは、正直気持ちいいものではない。
そのせいで雇った人足たちの中には、途中で怖くなったのか、いつの間にか逃げてしまう者が続出している。これでは計画通りに作業がなかなか進まない。
これが作業遅れの2つめの原因だ。
とはいえ、もちろん手抜きは許されない。
何しろこの町の創立50周年記念の最終日に相応しい大イベントだ。この町がここまで大きくなったのも、ダンジョンがあったからと言ってもいいくらいだ。
それを明日、感謝の意味も込めて盛大に祝うのだ。
聞くところによると時間があれば、領主様もお見えになるかもしれないという。
1つも抜かりがあってはいけないのだ。
「すいません、班長。ここの光石の配置はこれでいいですか?」
1人の人足がラーシュに確認を求めてきた。
見に行くと、岩壁から斜めにヒレのような壁が突き出ている部分だ。
平面の図面だと配置が分かりづらい。
「大体はいいが、正面からだけ見た時より、こうして回り込んで見ていく時に、均等に見えるように配置してくれ」
ラーシュが人足に細かく位置を指摘していると、手前の方から
「おーい、ちょっとこの岩を動かしたいんだが、誰か手ぇ貸してくれー」
1人の男が皆に声をかけた。
まわりを見ると近くにいるは、手が離せない細かい作業をしていたり、高い位置にロープで吊られていたりしている。
「よし、お前行ってやれ」
ラーシュは作業員をそちらに行かせると、待っている間その岩壁に隠れるようにかがんで、自分で光石の位置を直してみた。
3つ目を直そうと手を伸ばした途端、ヒレのような壁がぷわっと横に広がったように見えた。
まだ蠕動か?
そう思った瞬間、辺りが真っ暗になった。
ほんのたまにダンジョンの内部の光が、停電のように消える事がある。通常それは長くは続かない。
この時もそう思った。
だが、これは内部の光が消えたのではなかった。
手を伸ばして自分が岩の壁に閉じ込められたのを知った。
壁を破ろうとした瞬間、また揺れが起こって足元に穴が開いた。
穴に落ちながら、岩壁を操作しようとしたが、一緒にサラサラと流れる砂は水のように捉えどころなく、そのまま砂の川を下へ下へと流されてしまった。
何秒間か流されて落ちた先は、広いホールだと見えなくても感じられた。頭上の落ちてきた穴は、砂が落ちなくなると同時に閉じたようだ。
ダンジョンのかなり奥のほうなのか、やたらに魔素が濃い。
しかも妙に甘ったるい匂いがこもっている。
何かいる気配に彼は身構えつつ、カーゴパンツから携帯式のカンテラを取り出した。
人間の男たちがいた。
ある者は足を投げ出して座り込み、ある者は横に寝そべり、またある者は岩にもたれかかっていた。
カンテラの灯りに浮かび上がった手前の男の顔を見て、ラーシュは驚いた。
「お前、一昨日いなくなった―――」
揺さぶったが、薄目を開けているだけで何の反応もない。
まわりを見回すと、他の者も生きているのか死んでいるのか、ピクリとも動かない。
ゾッとしたラーシュはあらためて、岩壁を操作しようとした時に後ろで何かが動く気配がした。
振り返って今度こそ、驚愕のあまり操作を忘れた。
「なっ、なんでこんなとこに、こんなヤツ が ぃる……」
そこで意識が消えた。
強い魔薬を含んだ空気が濃密に辺りに漂っていた。
ここまで読んで頂き有難うございます。
役者もそろったし、やっと次回ダンジョン行けそうです。
これで盛り上がらなかったら本当にどうしよう(汗)
最近ホントに思うのは、なんでこんなに長くなっちゃんたんだろという感じ。
当初はここまで長くするつもりはなかったんですが……。
第一章で一度完結させておけば良かったかとかも思いましたが
奴らがそれをさせてくれないんです。たぶんそうすると私が手を止めちゃうから。
もう頭の中で勝手に動き回ってくれてる。
仕方ないので最後まで奴らに付き合うのみです。
**********************
最近、ちょっと寝不足気味で日中ぼーっとして、頭が働きません。
例の肩から上腕の痛みで目が覚めてしまうのです。もう年は取りたくないな~。
湿布も鎮痛剤もなんか効きが中途半端だし、痛まない状態って立って手を下げてる体勢。
もう立って寝るしかないんか?
今はしょうがないので、浅い眠りをカバーするために、寝る時間を長めにしてます。
そんなこんなで寝てばかりではボケてしまいそうだ。
で、久々にやったPCのソリティア。ハマってしまった。
PCを開くとまずソリティア、ソリティア、ソリティア……。
いや、このせいで更新が遅れるわけではございませんよぉ。多分……。




