第133話☆『パーティ参加とセイレーンの歌姫』
すみません。今回もまとめられなくて
長くなってしまいました。
お時間のある時にどうか、お付き合いくださいませ。
とにかく馬鹿な若殿の話を聞いて、縮み上がったのは家臣たちだ。慌ててダンジョンに舞い戻った。残りの護衛とメイドたちは、泥だらけで喚き続けている御曹司をこのままにさせておけず、一度屋敷に戻る事となった。あとは家臣たちに任せるしかない。
風呂に入り、人心地したジェレミーは、今度はさっきの醜態が恥ずかしくなった。だから護衛やメイドたちに固く口封じをした。
とにかく無事に家宝の鈴が戻ってくれば事は済むのだ。
だが、途中何度かチャンスはあったのに、自分可愛さにそれを見過ごしてしまった彼に、運命の糸は厳しい状況を織り出した。
家臣たちが入ったあと、また蠕動があった。それはその時ダンジョンの門番をしていた獣人がしっかりと覚えている。それは一回目より少し長かった。
そうして3層にたどり着き、さっきの場所を探そうとして、家臣たちは愕然とした。地形がまるきり変わっていた。
しかも3層までだったはずの最下層に、あらたに下に通じる下りの道が出現していた。
ダンジョンが大きく深くなってしまったのだ。
もちろん家臣たちはそれこそ死にもの狂いで探したが、玉は見つからなかった。何しろ見つからないように隠蔽の術がかかっているのだ。そしてそれはイベント当日まで解かれない。
それにさっきのダンジョン踏破で、家臣たちはすでに疲弊していた。このまま残って続けていても2次災害になるのは目に見えていた。
そうしてすごすごと出直す為に屋敷に戻ってきたところに、主――ジゲー氏の怒号が響いた。
家宝を持ち出し事がバレたのだ。
「お前達が揃いも揃って何事かぁーっ!!」
すぐに新しく探索隊を編成してダンジョンに探しに行ったが、徒労に終わった。
3層辺りという検討はついていてもその範囲はとても広い。小さな極狭ダンジョンもあるそうだが、このアジーレは迷路と言われているだけあって、テーマパーク並みに広いのだそうだ。
しかも蠕動により地形も広さも変わっている。
もしかすると土中に埋もれてしまった可能性もある。そうなってしまっては、呪いで探知に引っかからない為にお手上げだ。
呪いを解けば簡単なのだが、目の前にあるわけでなく、さすがにどこにあるのか分からない物の術を解くことは出来ない。これは呪術のかけ方が違うせいでもあるし、怨念などによる真正の呪いとは本質が違うことでもある。
「ただその時ね、まず3層にいた大きな魔物たちは全て殺して腹を裂いたみたい。もしかすると獣たちが食べてしまっている可能性もあるからね。それでも見つからなかったから、こんなことになってるんだけどさ」
パネラが続けた。
「それってイベントの為に一掃したって聞いたけど」
確かあのドワーフの門番が言ってたな。
「そっ、表向きはね。だって初中級とはいえダンジョンに潜るんだから、ある程度の危険は当たり前じゃない? それを今更安全の為に駆除するなんておかしいもの」
「なるほどな。それで納得がいったが、その時の死骸はどうしたんだ? そのまま放りっぱなしか」
ヴァリアスが聞いた。
「う~ん、そこんとこは詳しく聞いてないけど、目的が目的だし、大量の獲物を持って出てきたとは、その時の門番から聞いてないから、おそらくそのまましてきたんだと思うよ」
「つまり、ただ皆殺しにしただけか」
その言葉に少し押し殺したような含みがあった。
パネラも前屈みの体をちょっと引いた。
「とにかくその事件から正式に封鎖宣言をするまで、祭りのための調整とかいう名目で、関係者以外立ち入り禁止にして、散々探し回ったけど埒が明かなくて、しょうがないのでイベントに賭ける事にしたっていうわけよ」
「それで妹さん達はその罰で売られそうという訳なんですか?」
「ええ、今回かかった費用を支払えといわれまして……」
レッカがうつむき加減に話す。
「それは表向きで、結局はただの怒りの矛先を向けたいだけなんだよ。そりゃ余計な出費かもしれないけど、ジゲー家の資産からしたらそれほど大した事ないはずだもの」とエッボ。
「あたい達もお金で解決するならって屋敷に行ったんだ。これでも多少は貯金ぐらいあるからさ。足りなきゃハンターの依頼でも多く受けりゃあ稼げるし」
豊満な胸に親指を立ててパネラが言った。
「ただジゲー氏は出てこなくて、代理の秘書が応対してきたんだけど」
それを聞いてレッカがますますうつむく。
「そういう問題ではございません」
抑揚のあまりない口調で中年の秘書は答えた。
「今回の件、まだ収まってはいないのですぞ。万が一このまま見つからなかったらどうするおつもりですか?」
「どうするって……」
高級な椅子にも関わらずレッカは尻の座りが悪いのを感じた。
「このイベントでもし見つからなかったら、罪人として起訴する予定です。家族の方もそのご覚悟をしておいて下さい」
罪人と言う言葉が冷たい響きをさせて耳に反響した。
「罪人って……まさかレッカさんも? 家族同罪になっちゃうんですか?」
「いや、さすがに今回の場合は家族には余波はいかないと思うけど、起訴されたらさ……」
エッボがパネラ越しにレッカを見やった。レッカは頭を下げたままだ。
「もし、罪人としてあげられたら、主のいう事を守らなかった(御曹司をダンジョンに入れた)罪と家宝を無くした罪……死刑は免れられないよ」
パネラが代わりに答えた。
「でもそれ、元々はその馬鹿のせいでしょ? なんで全部家来の人達のせいになるんですか」
もう俺も遠慮せずにジェレミー氏はバカ呼ばわりだ。
「そうなんだけど、ホントそうなんだけどさ、悔しいけど相手は豪族なんだよ」
本当に悔しそうにパネラが頭を掻いた。
「蒼也、だから言っただろ。権力者の言う事には従わなくちゃならないんだ。お前が悪いって言われたらそうなるんだよ。それが権力なんだからな」
「そんな、もうそれじゃ無茶苦茶じゃないか。そんな事してたら民衆はついてこなくなるぞ」
「ここまで無茶を言ってきたのは、さすがに珍しいんだよ。よっぽどジゲー氏も焦ってるんだろうね」
エッボも細い肩をすくめた。
そう、この場合、どんなに馬鹿息子がやらかしたとしても、ダンジョンに入るのを止めなかった家来が悪い事になってしまう。民主主義なんかへったくれもない、封建社会の悪しき身分制度だ。
そうしてそれがどんなに理不尽でおかしいとわかっていても、泣く泣く受け入れてしまうのが、こちらの人々の思想だ。
虐待をずっと受けていると、そうされるのが当たり前と思い込んでしまうのと似ている。
実際、家庭内とか小さなテリトリーではなく、国全体の規模なのだからその世界ではそれが当然ななのだ。
だが、その思想の中なりに、必死に抗おうとする者もいる。
「だからさ、あたい達がその家宝を見つけてやろうと思ってね」
ギュッと、パネラが目の前で右手で握りこぶしを作った。その手はふっくらしていたが、拳ダコが出来ていた。
「交渉したんだ。もしおいら達が見つけたら賞金なんか要らないから、その代わりアメリを自由にしてくれって」
エッボも少し興奮気味に前屈みになってきた。
「おいら達が必ず見つける。あてはあるって大見得切ったんだ。そうしたら奥からやっと当のジゲー氏が出て来て、『本当か? どうやって』って聞いてきた。だから『それは奥の手だから言えない』って言ってやったんだよ」
「え、そんな方法があるんですか?」
う~ん、とエッボは肩をすくめて天井のほうを見た。
えっまさかのハッタリっ?!
「とにかくそれでジゲー氏の『出来るならやってみろ』っていう言質は取れたんだよ。さすがに紙には書いてくれなかったけどね」
「でもそれじゃ言葉だけですよね? もし無事に探し出しても、言ってないって言われたら……」
「だからね、ちゃんと保険は作ってあるんだ」
そう言うとエッボが自分のリュックから石鹸ぐらいの、透明な石を出してきた。
「記憶石か」
ヴァリアスが言った。
記憶石、以前ギトニャの宿屋で映画を見ている時に、奴が誤魔化して言ってたヤツか。
「そう、こっそりこいつに記憶させといたんだ。あとから言ってないとか言わせないためにね」
魔法使いのエッボは得意そうに言うと、テーブルの上に石を置くと、手をかざして魔力を注いだ。
テーブルの上に明るいベージュと白を基調とした室内が現れた。高級そうな革張りのソファにメタボな腹を突き出した、50代後半くらいの天辺の薄い金髪の男がふんぞり返っていた。横には背が高くネーモーに雰囲気の似た執事らしき男が立っている。
映像は40㎝四方くらいの立体映像で、画質は8mmフィルムよりはましだが、昔のモニタテレビの画像のようにどこか鮮やかさが足りない感じがした。
『本当にお前達が無事に見つけられたら、考えてやらないでもない』
ジゲー氏らしき太った男が言った。
『ここは絶対と言って貰えないと、やる気が湧かないよ。絶対にアメリを自由にするって言ってくれないと』
姿は写り込んでいないがパネラらしき声がする。
しばし沈黙があって
『わかった。本当にお前達が見つけてきたら、今回の件は無かったことにしてやる。使用人たちのお咎めは無しだ。これでいいか?』
サッとエッボがまた手をかざすと映像が消えた。
「と、こんなとこなんだけどね」
記憶石を手に取ろうとしたエッボに向かって、奴が冷ややかに言った。
「今、オレがその石を壊したらどうする気だ?」
ソファに反り返って上から見下ろすように3人を見据える。
またこいつは何を言いだすんだ。
「……これは、複製です。オリジナルは信用出来るところに隠してあります」
エッボがちょっと声を落として答えた。
「ふん、一応は考えてるんだな。まあそんな大切なもの持ち歩かないか」
奴が足を組みなおした。
3人がまた肩の力を抜く。
「で、どうでしょう。力を貸してもらえるんでしょうか?」
レッカがおずおずと聞いてきた。
途中から俺の気持ちは決まっていた。
「ええ、私で良ければ」
「やったっ」「よっしっ」エッボとパネラが声を上げた。レッカはそのまま頭を下げる。
「早速契約といきたいけどさ、まだちゃんとあんたの能力を確かめたわけじゃないからね。あたい達との相性もあるし」
パネラが俺の目を真っ直ぐ見てきた。
「明日時間あるかい? 出来たら近くのダンジョンに半日でいいから一緒に潜りたいんだけど」
お試しってことか。まあそうだよなぁ。それにこんな簡単に引き受けちゃったけど、今さらながらに責任を感じてきた。
「こちらは大丈夫です。ただその、責任重大っていうか……。私なんかが参加したところで勝算はあるんでしょうか?」
「うん、探索はね、何も探知能力だけじゃないからね。おいらの鼻もあるし、鼻はもう一匹いるからね」
「一匹?」
「紹介します」
そう言ってレッカがズボンのポケットから小さな笛を出すと、2回吹いた。それは高音で‟ピァァー、ピィアー”と聞こえた。
しばらくするとドアの外に何かがぶつかる音がした。今朝と同じだ。もしかして。
レッカがスッと立ち上がってドアを開けると、あの山猫がするりと入ってきた。
「紹介します。蔓山猫のポーです」
大猫は彼の体に身を擦りつけながら『ミャゴー』と鳴いた。
「今は首輪してるんですね」
俺は猫の太い首に付けられた、赤い太い首輪を見て言った。今朝は確か何も付けていなかったが。
「あっ、やっぱり今朝こちらにお邪魔してましたか。時々首輪を外しちゃうんです。触手が器用だから。部屋の中以外では外すなって言ってるんですけど」
そうか、そうだよなぁ。魔物がそこら辺普通に歩いてたら物騒だもんな。誰かの従魔って印付けとかないと……。ん、従魔?
「レッカさんってテイマーなんですか?」
確か奴は彼をアサシン系って言ってたよな。
「いえ、僕にその能力はないんですけど、彼女は赤ん坊の頃、山で親と逸れていたのを拾ったんです。それ以来飼っていて。ただ、見かけ通りよく食べるんで、食堂の手伝いして余った骨付きの肉とか貰ってるんですよ。彼女の食費が大変で」
そう言いながらも山猫の大きな頭を優しく撫でた。
あっ俺も触りたい。
と、山猫は俺の気持ちを読んだように、『ミャウゥ』と鳴くと俺のほうにすたすたとやって来た。
もう一鳴きしながら、俺の足に太い前足を乗せてくる。
重いっ! だけど足にあたる肉球の感じがなんか良いっ。
そうして俺の顔をスンスン嗅いできた。
「ポー、ソォーンダウン」レッカが言った。
同時に肉厚な舌が俺の頬を舐めだした。あれっ痛くない。
知っての通り、猫科の舌はザラついている。あのジョシーだってかなり痛いほどザラザラしていた。だけどこのポーのは、犬のように滑らかな舌触りだ。唾液は凄いが。
「不思議だ。猫なのに舌が痛くない」
俺は口を手で覆いながら言った。
「ええ、ソォーン(刺)を伏せさせたんです。さすがに山猫級のは引っ搔き傷になりますからね」
「そんな事出来るんですか」
「そういや教えてなかったな。こっちじゃそういうのが出来るんだよ。獣人だってそうだぞ。子供の弱い肌などへの愛情表現の時に、相手を傷つけないためにな」
奴が説明した。
おお、そうか。確かにもしもそのまま獣人とキスしたら、俺の舌は血だらけになっちまうよな。
ちょっとダリアの顔が想い浮かんだ。
飼い猫なら大丈夫だろう。俺はその大きな体を撫でてみた。思った以上のフカフカだ。短毛のネイビー色の毛皮は天然のベルベットのような気持ちいい肌ざわりで、当たり前だが温かった。
ポーはそのまま腰の触手を俺の体に巻き付けてきながら、デカい真ん丸い頭を擦りつけてきた。
すっごく可愛い! 癒される。
そのまま撫でているとうっすらと猫の意識が俺の頭に入って来た。
【~~にく~~お肉~ちょうだい~ 美味しい食べ物 ~~食べたいなぁ~】
もちろん言葉で聞こえたわけじゃないが、こんな感じに聞こえたように感じた。
「おー、そうか。お腹空いてるのか。ちょっと待っててね」
俺はついそのまま空間から出しそうになって手を止めた。
「ヴァリアス、悪いけどハンガーラックにかかってるバッグ取ってくんない。俺、今動けないから」
いま俺は猫で忙しいんだ。立ち上がったりすることが出来ないのだ。
「おいっ、なに、お前がテイムされてるんだよ?!」
奴が呆れた顔をしたが、それがどうしたってんだ。可愛いは正義なんだよ。俺にとっての絶対権力者みたいなもんだ。
「ったくしょうがねぇな」
ボンと俺の横にバッグが飛んできた。奴が何かで放り投げたようだ。
「闇系の使い手……」
見ていたらしいエッボが呟いた。
「ええと、人間が食べるような物でも大丈夫ですか? 食べさせちゃいけないものとかは」
「全然大丈夫ですよ。体もこの通り大きいし、少しぐらい腐った物で平気です」
いや、そんな腐ったもんなんか食べさせないけど……辛い物はやめとくか。
以前の猫缶は赤猫亭にあげてきちゃったんだよな。うちは猫飼ってないし。ああ、これでいいか。
俺は紙皿を出して、1つのタッパーを取り出した。
「ジョーズ使用だから骨付きだけど、鳥の骨じゃないから大丈夫かな」
「おいっ、それオレの分のじゃないのか?」
ヴァリアスが気がついたが、もう皿に出した骨巻きベーコンに猫がかぶりついてしまった。
「ええ、すいません。なんだか高そうな料理を頂いちゃって。朝ちゃんと食べさせてるんですけど、餌をくれそうな人にすぐねだるんです」
レッカが申し訳なさそうに言った。
猫が食べながら喋るような妙な鳴き方をし始めた。良かったどうやら美味しいらしい。
「良かった。気に入って貰えて。骨は無理に食べなくていいからね。後で奴に食べさすから」
「あ゛あ゛っ?!」
奴がガチガチ歯を鳴らした。
3人が腰を浮かした。
「そろそろおいら達行かないと」
「じゃあ詳しいことはまた明日ね」
「すいません。ポー、食べ終わったらすぐ部屋に帰って来るんだよ」
そそくさと3人は出て行った。
「もう、猫相手に大人げないぞ」
俺は大猫の横に座って、そのガツガツ食べている様を眺めていた。山猫のくせに耳が折れてるとか反則ワザだよな。
「お前こそすぐに情にほだされてるじゃないか」
「だって、あそこまで聞いちゃったらさ、手を貸さない訳にいかないじゃないか。それにこれも何かの縁だし」
「その縁ってのがクセモノなんだよなぁ……」
「それに今、ほとんど魔物は一掃されてていないんだろ? ひとまず安心じゃないか」
「お前、もう少し考えろよ。魔物がいなくても増えるモノがあるだろ」
「迷路が広くなって、トラップとか……? あ、食べ終わった?」
ポーが顔を上げて口のまわりを舌で舐めながら、大きな前足で顔を拭いた。皿の上にはきっちり、3本の牛の大腿骨だけが残った。
「てめぇも肉食獣なんだから骨まで全部喰えっ」
ヴァリアスの声にポーが、サッと頭を低くして背中を丸める。
「やめろよ。猫相手に。もうこれだからサメは短気でヤダよなぁ」
「お前には今度、水族館でちゃんと魚類と他の区別ができるようにしてやる」
「イダダダッ! やめろよ、頭掴むなっ」
『シャーッ!』
その後ハンターギルドに行ってファクシミリーで、やっと村長に居場所を送信する事が出来た。
本当はファクシミリーのある所なら、郵便局などで電報のように打つことが出来るそうなのだが、ギルド以外の係に内容を見られるのも嫌なので、念のためここに来たのだ。
渡された送信用紙に、町の名や下宿名・滞在予定などや簡単に近況を書いて、送信料と共に係に渡す。
一応ラーケル村のファクシミリーの番号は聞いてきたが、駐在所とはいえ同じギルド、村の名前ですぐに送信先がわかったようだ。
ちなみにB5くらいの用紙1枚で料金は450エルだった。距離によって違うらしいが、これって手間賃も入っているせいなのだろうか。日本じゃコンビニでも国内なら5,60円ぐらいのはず。やっぱりこっちの通信料は高いようだ。
ギルドを出てまた昨日と同じ、丘に行って訓練を続けた。
丘に行く途中、またアジーレ・ダンジョンの横を通ると、ドワーフのおっさんが4人のパーティに封鎖の事を説明していた。門番も大変だな。
上は急遽決まった事を伝えるだけで、いつもクレーム対応に追われるのは下の者だ。つい、以前いた会社を思い出した。
町には3時の鐘が鳴る頃、戻ってきた。今日こそ最後のチャンス、絶対に外せないのだ。
今日もかなり汚れた。もう陸上自衛隊の野外訓練並みだ。なんだか特に今日はきつかった。もしかして食い物の件で恨んでるんじゃないのか。
一応女将さんに断って、また大盥を借りる。今度はがっちり360度10m以内を探知し続けることにした。
これくらいならさほど気負いしなくても、ある程度長く出し続けている事が出来るようになってきた。もちろん他の魔法と併用しながらでもだ。
「どうせならもう少し距離を伸ばした方がいいんだが」
いきなり奴が衝立の上から顔を出した。
「馬鹿ァッヴァリーッ!! 風呂とトイレは覗くなって言っただろっ! 話すならテレパシーでして来いよぉっ」
「おう、そいつは済まなかったな。ただ誰かさんもオレが言った事を忘れてるようなんで、全部忘れてるのかと思ってたよ」
クソぅ! こいつは探知に引っかからねぇし。絶対にサメ呼ばわりしたこと根に持ってるだろ。
4時過ぎに人混みをぬいながら、早めにパレードの通るマルタ通りを目指す。
マルタ通りのある南区とこちらの北区は、どうやらそれぞれ新旧市街地のようで、赤レンガ通りを境に町の様相が一変してくる。
下宿のある南区の旧市街に対し、マルタ通りは新市街地だ。だから通りの石畳も比較的まだ凹みが激しくないし、建物の壁の色も南と違って鮮やかなのが多い。建物自体もほぼレンガか石造りで、木製なのは馬小屋ぐらいだ。
もちろんこれは下町かそうでないかの違いもあるようだが。
歩きながらまた紙吹雪を探知する。
奴が練習になるからやっておけというのだ。まあ確かにこれから探知を頑張らなくちゃいけないからな。
ホンのたまに3等を感じとる事が出来るのだが、1等、2等が全然見つからない。本当に入っているのかと思うほどだ。奴に言うと確かに少ないが、あるにはあるという。うぬぅ、俺の精度がまだまだ浅いという事か。
そうこうしているうちにマルタ通りまでやって来てしまった。ここまで探知しながらの移動なので昨日よりも遅く、40分近くかかってしまった。時刻ももう5時だ。
ずっと沢山の人の思念の中を探知し続けていたので、なんだか頭が痺れてきた。早めに夕食をとるために空いている食堂を探す。
さすがにまだ5時のせいか、食堂も満員ではないところがいくつかあった。1本裏手の通りに、緑の壁に赤と白の看板の、ちょっとイタリア風を思わせる食堂を見つけてそこに入る。
お勧めのメニューも『アリーナン』という小麦粉と水で練って麺にした物を、スープで食べるものが売りで、見かけはなんだかタンメンに似ていたが、味はやはり洋風だった。こちらのパスタのようなもののようだ。
人心地ついて眠気に襲われるのを必死で我慢しながら待っていると、やっと閉門の鐘が鳴った。
探知してもまだパレードらしきものは来ていない。
よっしゃ、今度こそっと店を出て、さっきより人が増えているのに驚いた。なんだか昼よりも人の数が増している。これはもう大晦日の夕方くらいの多さではないだろうか。
マルタ通りはすぐそこに見えるのだが、混みあってて真っ直ぐにいけない。しかも身長170㎝そこそこの俺に対して、女はともかく野郎どもは皆一応に背が高い。
こう沢山の長身系の奴らの中にいると、まるで自分が小人のような錯覚に陥ってくる。
「これは前が見えないなぁ。前にも簡単に行けなさそうだし」
「オレが肩車してやろうか?」
奴がニヤニヤしながら言う。
「絶対にノーサンキューだっ! ったく、子供じゃないんだぞ」
ふと見ると周りの建物の2階以上の窓から通りを見下ろす人や、その家の住人なのか、屋根の上に腰を下ろしている者がいた。
一瞬上がらせてもらいたくなったが、さすがにそれは出来かねる。
これは探知でしか視れないのかなぁ。いや、最悪もしも護符とかで防御してあったら、探知でも視れないかもしれない。
そんな不安が頭に浮かんでいたら、誰かに肩を叩かれた。
振り返ると犬のお巡りさんならぬ、犬の仮面を付けた昨日の警吏がいた。
「やあ、間に合ったね。今日はこれからだよ」
仮面の警吏はマルタ通りの右の方を指さした。あちら側から来るという事だろう。
「あ、昨日は有難うございました。でもまた出遅れたみたいで……。凄い人でなかなか前に行けなくて」
「ああ、じゃあちょっとついて来て」
そう言って警吏は人壁の方に歩いていった。
「はい、ちょっと通して」
警吏は人混みを手で掻き分けて入っていった。振り返った人々も相手が警吏なので、すんなり道を譲る。俺たちは後ろにピッタリとくっついて進んでいった。
おかげでほどなく俺たちは人壁の真ん前に出る事が出来た。
パレードが始まる通りはポッカリ人払いがしてあって、人の壁の前には警吏や腕章を付けた護衛達が間隔をおいて立っていた。
右側には建物の間から川と橋が視えた。あの橋を渡って来るのだろうか。それとも建物の陰から来るのだろうか。
「有難うございますっ。おかげで前に来れました。でもどうしてこんなに親切にしてくれるんですか?」
観光客に優しいのだろうか。
「昨日かなりガッカリしてたしね。それに同族のよしみもあるし」
と、警吏は奴の方を見た。
「え、これでも獣人とは区別つくんですか?」
一応目しか出させてないけど。
「そりゃ同族はなんとなく、勘でわかるよ。それに手が違うし」
あっ! そうか。獣人は手の甲や指まで毛に覆われてるから、その違いか。
「ヴァリアス、あんた、これからは手袋しろ。でなけりゃ毛ぇ生やせ」
「夏なのになんでだよっ?」
「もう、鱗でもいいから」
「あ゛?!」
「ほら来るぞ」
そう言われて俺は右に首を回した。
川面から濃い霧が立ち昇ってきた。その霧はどんどんと厚い層を作り、橋の上を覆っていった。
するうちにホルンのような高らかな音が鳴り響いた。
霧の中に何かの影が映る。
それはゆっくり濃霧の中から姿を現した。
始めに現れたのは8頭の巨大な馬だった。
大きさは普通の荷馬車馬の1.5倍はあるだろう。みな白地に所々水色に艶めく肌をしている。
いや、下半身にかけてその皮膚はハッキリと鱗模様になっていった。後ろ足は完全に鱗に覆われている。たなびくアクアマリンの鬣の中に背びれが見える。濃霧が体のまわりを覆っているため見えたり、隠れたりだが、明らかに普通の馬ではない。
「ケルピアンだな」
ヴァリアスが言った。
「ケルピー(水棲馬)と地上馬のミックスだ。地上は元より水中でも何時間も行動できる両生類だよ。比較的珍しい種なのによく8頭も集めたもんだ」
「ジゲー家の力だね。今回の歌姫だってよく出演してもらえたぐらいだし」
警吏の男が言った。
その歌姫は?
馬に続いて濃霧の塊から荷台の先端が見えてきた。大きな船の形をしているらしく、舳先には大きな角笛を吹く下半身が魚の男の人魚象がついていた。魔物図鑑で見た魔族『トリトーン』だ。
もちろんこいつが先程のホルンを吹いているわけではなく、船に乗っている楽師たちだ。
船の中央にはまだ濃霧が10m以上の高さでまとわりつき、塔のような何かを隠していた。その左右に楽師たちがホルンを高らかに吹いている。
やがてそれが止むと同時に、高く立ち込めていた霧が薄れて、隠れていたものが姿を現した。
それは巨大な蕾のような形をした水槽だった。縁ギリギリまで水が満たされた中には、すでに4人の女が泳いでいた。
セイレーンのように深いダークグリーンの長い髪をくゆらし、あの長いヒレの代わりに薄水色の布を巻くように身につけていた。
そうしてその水の精たちがゆっくりと優美に回転しながら泳ぐ、その水槽の縁に彼女がいた。
「ベラッ、ベラァ!」
「ベラーッ」
「ベランジェールゥ!」
あちこちから声が上がる。
水槽の縁に座って、微笑みながら集まった人々に右手を振る彼女は、淡い金髪を長く垂らしていた。ちょっと気だるげな瞳には、コバルトブルーに金と赤の指し色が入り、まるで宝石のような光を映していた。
パール色の薄衣をまとった彼女は、他の豊満なセイレーン達に比べると、とても華奢に見えた。
ホルンを止めた楽師たちの1人が、今度は大きな2連装のハープを弾き出した。水を打ったようにまわりが静かになる。
同時にベラと言われた歌姫が、音もたてずに水中にするりと入っていった。
それは聞いたこともないような音色だった。
それは雲の切れ目から差し込んできた月の明りのように優しく、風のない夜のさざ波のように穏やかに始まった。
女性の声として高いのだが、ボーイソプラノのようにどこか瑞々しく、甘いのに嫌味にならずに、どこかそのまま溶け込むように流れてくる。
俺はオペラや声楽は疎いが、これはまた格別だと思った。天上の声とはこういう事なのかもしれない。
とにかく単純に美しい声という、形容詞だけで片付けるのはもったいないと思った。
まわりのセイレーン達も時折コーラスとして綺麗な声を発する。みんな水中で歌っているのに、ぶれる事なく、鮮明に、いや、より体に直接響いてくるように感じられるのだ。
どうやってるんだろう?
彼女たちは本当に人魚のように一度も水面に上がらず、そのまま水中で歌い続ける。その魅惑的な唇から時折気泡がもれると、水中に模様を描くように上がっていく。
それは水面で消えずにそのまま、空中に浮かび上がっていくと、途中で弾けて音を出した。
リフレイン――― それは彼女の発した声が入った水玉だった。
弾けて散る際に、一小節分の声を発して消えていく。それが歌と丁度良く合ってリフレイン効果をもたらしていた。それが女神の声を相乗し、さらなる天の音楽へと昇華していった。
ボーっと一曲は聞き入ってしまった。ハッと気がつくと周りから嵐のような手を叩く音や、彼女の名を呼ぶ声に包まれていた。
パレードはゆっくりと進み、すでに俺たちの前を通り過ぎていくところだった。
少しの間を置いて再び2曲めが始まる頃に、俺はふと気が付いた。
「あれ、あの歌姫、どこかで見た事がある」
初めて見る人なのに、確かに見た事がある。どこでだっけ。
「彼女はこの国の5本の指に入る歌姫であり、大女優ベランジェールだからね。直接見なくてもポスターか何かで見たんじゃないのかい」
警吏が隣で言った。
ああ、思い出した。
前にポルクルの部屋に貼ってあったポスターだ。昔の映画女優のようだと思っていたが、あれは彼女だったのか。
となるとポルクルも一度は生で彼女を見て、歌を聞いた事があるのだろうか。
今度会ったら今日の事を教えてやろう。羨ましがるかな。
俺は再び流れてきた歌に心をゆだねながら、他の人々達同様この祭りを大いに楽しんだ。
この時、奴以外の何人が薄々気がついていたのだろう。
この素晴らしく豊かで楽しい記念祭が、最後に恐ろしい惨事で幕を閉じることになるのを。
ここまで読んで頂き有難うございます!
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以前も書きましたが、最近肩こりと腕の痛みが酷いのです。
夜寝返りするのも辛いほど。痛みで起きてしまう(泣)
おかげで毎日寝不足。……。
どうも家出のパソコン作業が悪化させているらしい。
確かに会社であれだけパソコンと電話やってても、それほどじゃなかったけど
家で少しでも続けると、肩がバキバキになってしまう。
まず机と椅子の高さが合ってないみたい。
なんとかクッションを置いたりして、高さ調節してるけど、それも限界が……。
本気で昇降機能付きのビジネスチェア購入を考えている現在……。




