第110話『目覚める聖女とトンデモ処刑の始まり』
今回もいろいろぶち込んでしまいました。
どうかお付き合いお願いしますです。
「何がご苦労さまだっ、この魚口が」
バッと立ち上がったヴァリアスが、水の使徒様のぶ厚い唇の両端を、左右に掴んで思い切り引っ張った。
ぐぐーっと魚の口が2倍に広がる。
「イダダダァーッ、何さらすんじゃあっ」
「もとはと言えば、お前がちゃんと管理しないから、余計なこと蒼也に吹き込まれちまったじゃねぇか。
手伝わなけりゃあ、言われなかった(運命の)選択肢だ。
ちゃんとこの落とし前はつけるんだろうなっ」
「そ、そんなの言いがかりだっ! 遅かれ早かれ誰かに言われとったわっ」
ええ、言いがかりです。
元はといえば、こいつが毎回、危険な目に合わせようとするのが原因だと思う。
「タイミングが問題なんだよ。横から流れを変えやがって、この魚頭うおあたまがっ」
「相変わらずメチャクチャだな。大体お前だってカルカロクレス(巨大鮫の一種)のモデルの一部じゃないか」
やっぱりそうなの?
「ナニィッ!! まだこの口が言うかっ」
「イダイッ、イダイッ!」
「待て待てっ! 魚同士でやめろっ」
俺はつい見てられなくて止めに入った。
「ア゛ッ?!」
「もう、何やってんだよ。いちいち暴力振るわないと話せないのかよ。
ヤクザよりタチ悪いぞ」
「そう、そうだ、確かにこんな事やってる場合じゃないんだよ」
魚の使徒は、頬のあたりをヒレで擦りながら言った。
3人でまた廊下に出ると礼拝堂を通った。
サウロが、女神像の足元にひれ伏すように眠っている。
「この男も水の資質を持たないながら、良き信者である」
リベロマーレ――― この間は慌ただしくて、ついお互い名乗らなかったが ――― 水の女神様の357番目の使徒とあらためて名乗った。
施療院の眠り姫の部屋に戻ると、イーファとコニ―がそれぞれ、椅子の背もたれに寄りかかっていた。
姿の見えないカスペルは厨房の壁に、寄りかかって座り込んでいるのを感じる。
あともう1人は、別の部屋のベッドでぐっすり眠っている小さな男の子。
もちろんナタリーもこの部屋で、変わらずに人形のように横たわっている。
その人形の頭のほうに、リベロマーレ様がしずしずとまわる。
両ヒレを枕につけると屈みこんだ。
こ、これはまさか、定番の起こし方か!?
起こされる方は問題なく美女だが、起こす方は王子様どころか魚100%なんだが。
俺がドキドキして見ていると、そのまま使徒は口を開けると―――
開いた口から、キラキラと光る水蒸気のような霧が降り注いだ。
それが彼女の顔にかかると、スッと皮膚に吸収されるように消えていった。
「これでよし」
「今日のところはこれまでだ。またあらためて来るから、宜しくな」
そう言うとまた卵型の光に包まれて、ゆっくりと消える光と共に、姿が見えなくなった。
あらためて眠っている3人の様子を見ると、イーファとコニ―はもとより、ベッドの姫も変わらず目覚める気配がない。
一体何しに来たんだろ?
「じゃあ早く戻るぞ。あいつらが目を覚まさないうちに」
部屋に転移して戻ると、こちらの3人もまだそれぞれの態勢で寝入っていた。
毎晩人々を眠らせて、こっそり人生を入れ変える街、映画『ダークシティ』の中にでも迷い込んだ気分だ。
今回は何も変えてないように思うのだが。
そっと元の位置に座ると同時に、セオドアがピクっと動いた。
「……おや、ちょっと空気が変わったか……?」
セオドアがソファに座り直した。ふとテーブルのカップを見たが、アルが落としたカップは元通りにこぼれず立っている。
「ふぁああぁ~っ、さすがにちょっと疲れたわい……」
先生が大きな欠伸をした。
「えっ?」
アルがガバっと勢いよく起き上がった。
「お、おれ、今もしかして寝落ちしてた ??!」
「そうみたいだな。珍しいが……」とセオドア。
「かぁ~っ! なんたる醜態っ。これっくらいの酒で寝るなんてっ
ったく、恥ずかしい~」
顔を両手で覆いながら天井を仰いだ。
「アル、お前も若く見えるけど、もう年なんじゃないのか? 年だって俺と変わらないんだから」と先生。
「生まれた時からジジイのノームと一緒にすんなよ。おれ達アクールは、戦えなくなった時が老いの始まりなんだよ。
あ~……だけどちょっと自信無くすなぁ……」
凹むアルを見ながら、俺は心の中で謝った。
まさか強制的に眠らせたとは言えない。
「まだダメージが残ってるんだろ。体内魔石がすり減るくらいの負担がかかったんだ。
肝臓や腎上体(副腎)だって疲弊してるはずだ」
奴がしれっと説明する。
「あー、そうかもしれんな。体内を廻る魔力は戻ってるようだが、エネルギー分泌とかは下がってるようだし」
先生が2人をじーっと見ながら頷いた。
地球人と同じで、肝臓や副腎はホルモン分泌とかを司る臓器なのだが、彼ら独自のエネルギータンクにもなっている。
特に彼らのような長命種はベーシスと違って、内臓が異常に強いことが多い。
それが長命・体力の高さの秘密として、昔からベーシスに妬まれる要因にもなっているらしい。
昔は魔物同様、長命種から生き胆をとって、その力にあやかろうとした王様もいたという話が残っている。
まさしく熊の胆以上なのだ。
「ふーん、なら、しょうがないのかなあ……?」
アルがポリポリ顔を掻いた。
と、外で訪問を告げるノックの音がした。
パタパタと走る音とドアの開く音、サウロが応対している声がする。
「先生、男の子の親御さんが来られました」
「そうか、今日一晩は念のため預かったほうがいいから、俺が説明する」
先生とサウロが出て行って、少しの間 部屋が静かになった。
「―――ところであんた、何者なんだ? あの時、あんたもおれ達と同じくらい魔力を消耗したはずだ。おれ達以上の魔力持ちなのはわかるけど、その余裕がちょっと異常じゃないか?」
先生がいなくなって、おもむろに口を開いたのはアルだった。
疑うように目を細めてる。
セオドアもジッとヴァリアスを見た。
「お前らより年上ってだけだ。年季はいってるからな」
「んんーん、そういうもんかぁー? 確かに毎日、ディゴンの肝でも喰ってそうだけどさあ」
アルはまだ納得がいかなさそうだった。
それ俺です。最近1日1回になったけど。
いつの間にかセオドアが、艶のあるコバルトブルーの目で俺を見据えていた。
えっ、肝飲んでるのわかったのか?
「それにさ ――― いや、いいや、やめとこ。知らない方が良い事もあるもんな。実害がないならそれでいいや」
アルがわざとらしく首を振って、またカップに酒を注いだ。
それを見ながらサメが目を光らす。
「オレは何もしてないぞ」
「うん、うん、そういう事にしとこ。おれもまだ死にたくねえし」
妙な緊張感が出たところで先生が戻ってきた。
「俺の分まだあるかー」
それから少し他愛ない話をしていたが、落ち着いてくるとなんだかドッと疲れが出てきた。
「すいません、なんだか疲れちゃって……。先に寝かせてもらいます」
「そうか、まあ今日は色々あったからな。明日もあるからゆっくり休んでろよ」
と、奴がまさしく他人事のように言った。
今日もだろが。
「そうだな、俺も確かに疲れたわい。少し仮眠してくるかなあ」
先生も立ち上がりながら
「アルとセオはどうする? 宿に帰らねぇなら、奥の部屋使ってくれ。いつもサウロが掃除してあるから綺麗なハズだぞ」
「ん~、そうだなぁ、今夜は魔素を浴びて寝たいから、中庭で寝ようかなあー。
ここは土地もいいし、セオだって、月の光を浴びた方がいいんじゃないのか?」
アルがまた缶ビールを飲みながら、相棒に話しかけた。
「わたしはワーウルフ(狼人間)じゃないぞ」
「別に庭使ってもいいが、ベッド動かすのか。まあ空間収納使えば造作もないか」と先生。
「いや、いいよ。防水布持ってきたし、もうこのまま中庭行かねえ?」
俺が部屋に戻って窓を開けると、3人が湧き水の出る女神像の前で、シートを敷いて酒盛りをし直していた。
なんだか罰当たりだな。
セオドアは飲んでないようだが、2人につき合っている。
何かアルが笑いながら喋っているようだが、声どころか音が聞こえない。一応気を使って遮音はしているようだ。
今日は本当に色々あり過ぎた。
なんかここにいると夕方の出来事が嘘のように感じるが、あの時の嗅いだ匂いや殺気だった空気の記憶は生々しくて、なかなか頭から消すことが出来ない。
悪い夢見たらやだなぁ。そんな事を思いながら着替えていたら、窓を叩く音がした。
振り返ると奴が窓の外に立っていた。
「なんだよ、覗きかよ」
「嫌なら閉めとけよ。それと今日は神経けっこう消耗したろ。これ枕元に置いておけ」
何か黄色い液体の入っている小瓶を渡してきた。
「さっきの目覚め香で思い出したんだ。ナジャが以前持ってきただろ」
ああ、あの安ぎのハーブ。小瓶から例の、柑橘系の実がなる森のような香りがした。
確かにあの臭気の記憶を入れ替えてくれそうだ。
『(ったく、あの魚がいい加減な処理するから、アイツらに変な勘繰りもたれちまった。タイミングを考えろってんだ)』
奴が2人に聞かれないように、テレパシーで話しかけてきた。
『(ああ、そういえばなんか疑ってたね。それにしても、コボルトってもっと低級な魔物のイメージがあったから、意外だったけど)』
『(前にも言ったが、コボルトはここじゃ魔族だ。お前んとこじゃ、多分ワーウルフとゴッチャになってるんだろうな。
こちらのイメージで言うなら、地球の反対勢力の幹部『マルコキアス』に少し近いかもしれんな)』
『マルコキアス』 ソロモンの72の悪魔の1柱。翼を持つ狼の姿をしているという。
そういえば質問には誠実に答えてくれるという、ちょっと知的なイメージもある悪魔だった。
『(そんなに強いのか? なんだかドラゴン並みに強そうだな)』
『(ピンキリだけどな。魔族の中には天使ランクの強さの奴も生まれる。
そういう奴が魔王になるんだ)』
チラッと後ろを見て
「じゃ、先に寝てろ。オレはもう少し奴らと飲んでるから」
「それなら1つ頼みがあるんだが」
「なんだ?」
「これ直してくれ」
俺は袖の切れた長袖のカットソーを出した。
疲れたせいか、それともアロマのおかげか、はたまた土地が良いせいか、夢も見ずにぐっすり眠れた。
ひと眠り出来たおかげで、昨日のあの落ち着かない気分はだいぶ薄れていた。
見回しても奴は部屋の中にいなかった。時計を見ると6時過ぎだ。
もう皆起きて活動しているだろう。
朝食は6時半と決まっているから、俺は顔を洗って着替えることにした。
窓の外を見ると、昨日と同じく中庭にシートが敷かれたまま、ミノムシのように丸まった毛布が転がっていた。
あれ……。まだ寝てるのかな。
もう辺りはすっかり明るくなっていたが、ちょうど樹の伸びた枝の陰になっていたので、どちらかわからない。
どうせ顔を洗いにいくので中庭に出た。
「お早うございます」
急に声をかけられて俺はちょっと慌てた。
「あ、お、おはようございますっ」
誰もいないと思っていたら、樹の陰にセオドアが寄りかかっていた。
気配も感じなかった。
ということはこっちの毛布に丸まってるのは、アルのほうか。
「すいませんが、そいつはほっといて下さい。朝に弱いんでね。
起きる時は勝手に起きますから」
それって、俺みたいに低血圧じゃないよね。
もうなんだかこの人間臭さが、昨日のあの悪魔のような所業をした奴と同じ人物なのか、俺の頭の中でマッチングしないんだが。
冷たい井戸水で顔を洗ったあと、湧き水を飲むのがここでの日課になっている。
井戸水も自然水として美味いのだが、この湧き水を飲んでしまったら、もうこの水しか飲みたくなくなってしまうほどだ。
まさか中毒性があるわけじゃあるまいが。
「わたし達は闘吏の仕事が無い時は、普段夜警をやってるんですよ。夜目も利くし、朝寝出来るからちょうどいいでしょ。
ただ、午前中に闘刑しごとがある場合だけ、こいつを起こすのが大変ですけどね」
そう言って毛布をめくった。ピクリともせずにアルが眠っている。
「こうやっても全く動じないんですよ」
頭が浮くほど耳を引っ張って見せたが、確かに全く起きる気配がない。
いや、普通にヒドい事してないか。
「ただし、口だけは気を付けた方がいい、こうして」
スッと出した短剣の柄の部分で、口元を突いてみせた。
ガッチンッ といきなり鋭い歯が柄に噛みついた。
しばらくガチガチやっていたが、そのまま口から外すと、何事もなかったように元通りになった。
「下手に指なんかで悪さしたら、噛みちぎられますよ。本人は寝てるから覚えてないし」
あいつの血統恐るべし。
っていうか、あんた、相方にどんなイタズラしてるんだよ。
この人もよくわからん。
そのままセオドアが、防水布の上に座ったので、俺もつられて横に座った。
「そういえば転移魔法は亜空間を操るので、時間を止めたりする能力を持つ者もいると聞きますが、あなたはどうなんですか?」
話題を変えてきた。
「え、そうなんですか? 転移は最近できたばっかりで、まだ移動しかできないですけど」
ちょっと俺の顔をジッと見ていたが
「…………いや、失礼しました。わたしもやっぱり疲れてたんですね。こいつが昨日、寝たのにも気がつかなかったくらいですから」
と、後ろで眠りこけているアルを指さした。
「まあ *『寝ている竜を起こすな』といいますから。わたし達もそのつもりですよ」
( *‟触らぬ神に祟りなし”的なこちらの諺)
やっぱり昨日の異変に気が付いていたんだ。それを俺達がいや、あいつがやったと思ってる。
確かに関わってるから、間違いじゃないけど……。
それをもう詮索しないってことを、俺を通して言ってるんだ。
「ええと、よくわからないけど、わかりました。多分というか、奴もそんな変なマネはしないと思います」
「それは良かった。有難うございます。
なんとなくあなたが歯止めになってるのは、わかりますから」
「歯止めって……」
軽く溜息をついてセオドアが肩をすくめてみせた。
「人種でくくるのは好きじゃないですが、アクール人は自由奔放な者が多いですからね。誰かが手綱を締めないと。
まあ、わたしの場合、こいつしかわたしの力について来れなかったんでね。
もう腐れ縁で――」
急にセオドアが後ろに振り返った。
一瞬遅れて、後ろで熟睡していたはずのアルも飛び起きる。
ナニっ なに ?
「彼女が目を覚ます」
施療院の方を見ながらセオドアが言った。
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気がつくとナタリッシアは灰色の霧の中にいた。
ただ茫然と彼女は霧の中に立っていた。
足元も濃い霧のせいで全く見えない。
足の裏があたっているモノも、土なのか、草なのか、岩なのか、はたまた砂なのか、感触が伝わってこない。
分からないと言えば何故自分がここにこうしているのか。
今まで何をしていたのか。
自分は何者なのか…………全てわからないことだらけ。
でもそんな事は大して気にならない。別に考えようという気が起きないからだ。
何か考えるさえ面倒。
それにうっすらと、何か怖い事が会ったような気がする。
それが何かは覚えていないけど、ここから出ないほうがいい気がする。
ここにいればその怖いモノに会わないですみそう……。
どのくらい時間が過ぎたのか。
……さっきから、時折誰かが誰かを呼んでいるような気がするけど、あれはなんだろう。
探しにいってみようかとふとよぎったけど、そんな気も一瞬で消えた。
もういい、ここでこうして漂うように、ずっと何も考えずにいることが楽だ。
そのほうが気持ちいいし。
そのままユラユラと風に揺れる草原の草のように立っていた。
またしばらくして……
どこかで水が湧き出るような、流れるような音がする。
なんだろ。何か気になる音。
心の奥で微かに共鳴するような…………。
ナタリッシアは何も見えない霧の中、水音のするほうにおずおずと足を進めはじめた。
部屋に入るとベッドの前に座っていた先生が振り返った。
「ハル、彼女が」
「うむ、意識が浮上してきてる」
確かに彼女の気を感じる。
2人はずーっと、探知の触手を出しっぱなしにしてたんだ。
奴が以前言ってたみたいに、寝てても出しっぱなしに。
彼女の瞼がピクピク動いている。金色の長い睫毛が微かに揺れる。
「お嬢~っ!!」
抱きつこうとしたアルを先生が止めた。
「ばっかもん。驚いて引っ込んじまうだろっ」
「どさくさに抜け駆けするな」
セオドアにも軽く頭を叩かれて、アルは大人しくベッドの側にしゃがんだ。
ゆっくりと瞼が開くと、宝石のような瞳が現れた。
そのまま天井を見ていたが、くるりとこちらに動くと瞳に光が宿った。
「先生っ!」
ガバっと彼女は弾かれたようにベッドに起き上がると、先生に抱きついた。
「せんせいっ、……ぜんゼ~ィ~!! ――― っ怖かったよぉ~っ うぅ~っ」
彼女は抱きついたまま泣き出した。
先生はちょっとどうしていいのか戸惑ったようだが、背中を優しく叩いてあげながら
「わかった、わかった。もう大丈夫だから、大丈夫だから――」
泣きじゃくる子供に戻ったような聖女を、先生は頭を撫でていた。
「お嬢~……くそぅ~ おれもあと80年年取ってりゃおれだって……」
ベッドの縁に掴みながら、下からアルが小さく主張していた。
とりあえず良かった。俺は肩の力を抜いて後ろに一歩下がった。
すると後ろに立っている奴にぶつかった。
「あんた何処行ってたんだ?」
「あの魚に一発ヤキ入れてきた」
「えっ!?」
「冗談だ。別件をちょっと調べにいってきた」
あんたが言うと冗談に聞こえないんだよ。そう言いながら本当にやってないか。
食堂に行って、朝食の用意をしていた4人に、彼女が目覚めた事を教えると、皆すっ飛んでいった。
俺達だけになった食堂であらためて奴が言ってきた。
「あとはマーレの奴が何とかするから、オレ達の役目はここまでだ。
ただ、あいつが助けるのは水の信者だけだからな。
こっちはこっちでやってやらないと」
「?」
その意味は後になって分かった。
ナタリーは念のため、今日1日は勤めを休んで、ベッドで過ごさせることにした。
患者がいない時は、先生が横に来るのがなんだか嬉しそうだった。
自分が助けた子供が、無事に親元に帰っていった事も安心したようだ。
大変な目に遭ったが、これが良いきっかけになったかもしれない。
頑張れ、ナタリー。
俺は心の中で応援した。
口に出したら、アル達に怒られそうだったから。
昨日の件が夢だったかのように、普通に一日が終わろうとしていた。
アル達も警監視局(こちらでの警察署)から夕方には戻ってきた。
「もし闘刑を望むなら、ウチに来いって言ってきてやったぜ」とアル。
「まあ多分それは無いと思いますけどね。あとは裁判でどうなるか」
セオドアが軽く肩を竦めた。
なんでも裁判に当事者として、出なくてはいけないので、あと数日はこの町にいるそうだ。日本のように何か月もかかる裁判と違ってとても速いが、それでもアルは面倒くさがっていた。
「あれ? 私達も当事者として出なくていいんですか?」
念のため訊いてみた。
「本来はそうなんですけど、嫌でしょう? だから除外してもらいました。調書も取ってあるし、相手の方も、こちら側の証人が減るので文句はないようでしたけど」
良かった。
俺、日本でもそんなものに出た事ないのに、こんな異国でなんか到底無理なところだった。
セオドアが気の利く人で良かった。
珍しい事じゃないのかもしれないけど、どうも日頃ガサツで気遣いのない奴とくっ付いてると、そういう有難みが身に染みる。
そう、ヴァリアスはデリカシーというモノを、どっかに忘れてきたような奴だから、いつも冷や冷やさせられる。
この夜も俺はぶっ飛びそうになった。
夕食の後、また先生の執務室で酒盛りとなった。
今夜はイーファやコニー、カスペルも一緒だ。
これだけの人数になると、狭小居酒屋のように窮屈なのだが、誰も食堂に行こうとは言わなかった。
その代わり、先生の執務机は窓際にどかされたが。
みんな昨日と打って変わって、安心した事もあり酒が進んだ。
セオドアも今夜は酒を飲んだ。
やはり酒には強いようで、ビールではないが、チェリーブランデーをストレートで飲んでいた。
俺はこちらで初めて蜂蜜酒というのを飲んでみた。
度数が強かったので、ジンジャーを入れて湧き水で割ってみたのだが、ほんのり甘くて飲みやすい。
アルが懐かしいと言っていた。
蜂蜜酒をミルクで割ったモノか、またはストレートを、アクール人はミルク代わりに赤ん坊に飲ませるという。
赤ん坊からかよ。そりゃ酒好きにもなるわな。
でもカスペルも子供の頃、風邪をひいた時に飲んだことがあるというから、こちらじゃそれほど珍しくもないのだろうか。
だいぶ酒もまわった頃、俺は昨日訊き損ねた事を聞いてみた。
「そういえば2人はどうしてハンター辞めちゃったんですか? まだまだ出来そうなのに」
「あー、そりゃ今でも出来るよ。だけどさ、将来の事考えてねー」とアル。
「お前が言うな、何も考えてないくせに。
こいつはこのまま、体が動かなくなるまでハンターを続ける気だったから、老後をどうするか考えてなかったんですよ」
と、セオドアがアルの頭を突っついた。
「いくら長命種だって限度ってものがあるでしょう。
力ばっかりで、何か商才があるわけじゃない我々なんか、老いて弱ったら、そこら辺の獣と一緒で朽ち果てるだけですよ。
だから役人になったんです。官吏は保険や年金が充実してるから」
おお、そうですよね。やっぱ老後の手配はしとかないとね。
セオドアは年とってもなんとかなりそうだが、アルは行き当たりばったりっぽいからなあ。
「それではじめは警吏になろうとしたんですけど、こいつがダメで」
ジロっと横眼で相棒を見る。
「いや、おれだってちゃんと実技も筆記も受かったんだよ。試験は十分通ったんだから」
アルが慌てて弁解する。
「ほら、こいつ馬に乗れないから」
あぁ~っと、イーファ達から納得の声が出る。
「別に乗らなくてもいいじゃねぇかなぁー。
だけどそうしたら試験官の奴が、だったら『闘吏』にならないかって勧めてきたんだよ。
警吏より危険手当が良いって言うし、戦って金貰えるならいいかなぁと」
「闘吏が少ないからだよ。
殉職したり退職する者も少なからずいるのに、成り手が減ってきているから」
「確かにあの試験官の奴、おれが警吏になれないってわかった途端、ゴリゴリ押してきたからな。
もう始めっから勧める気、満々のオーラだったし」
ちょっと口を尖らせた。
「まあでも、年金が高いのも確かだったし、結果良しって事かな」
「そうだよねー。聖職者も、後ろ盾に聖堂参事会があるからね。暮らしは最低限保証されてるよ。
ここはカツカツだけどね」とカスペル。
「どこがカツカツだよっ!
って、本当の事だからしょうがねえかあ。ガァッハハハッ!」
先生が大口を開けて笑った。
「アルディン、お前なんで馬が苦手なんだ?」
奴がスルっと入ってくるように訊いてきた。
「え……それは昔、ガキの頃に噛まれたことあったんだよ。それ以来苦手になっちまって」
「うん、うん、あるよね。僕もドードーに蹴られた事があって、それ以来ドードーは苦手だよ」
イーファが腹を押さえて渋顔を作る。
「ベーシスならまだしも、馬なんかどうって事ないだろ。何がそんなに怖いんだ?」
奴がさらに突っ込んで訊いた。
「別に、怖い訳じゃないよ。ただ苦手なだけだ」
新しい缶ビールを開けると勢いよくあおる。
「ガキの頃とはいえ、アクール人がやられるなんて、ただの馬じゃないんだろ?」
見透かすようにさらに奴が言う。
「う、うん、大きな馬だったよ。ガキの頃で種類まではわからなかったけど、魔物だったのは確かだな……」
なんだか少し目が落ち着かない。
「そうだろな。だけどただ噛まれたわけじゃあるまい?」
「ああそうか、それっくらいじゃ、こいつがそこまで嫌がる訳ないか。
散々蹴られるか痛い目みたんだな」
先生も新しい缶ビールを開けた。
だが、追い打ちをかけるように奴が、恐ろしい事を言った。
「違うな。痛い目じゃなくて恐ろしい目にあったんだ。噛みつかれたんじゃなくて、本当は襲われたんだろ?」
「――― ッ!!! ――― 」
「「「「「?!!!」」」」」
「ブファッ!!」
先生が思い切り、ビールを毒霧のように吹いた。
「わあっ きったねぇっ!」
カスペルとコニ―がビックリして立ち上がる。
いや、それより、えっ? ナニ、どういう事だって ?!
アルは言い返さなかった。
右手に缶ビールを持ったまま、左手で口を押えていた。
目はテーブルの一点に据えられていたが、そこを見ているわけではないようだった。
「すいません、ちょっとその件は……これぐらいにしてやってください」
セオドアが慌てて身を乗り出して、奴に言ってきた。
「いや、良い機会だからハッキリさせといたほうが良い。そうしないとコイツは一生、そんな勘違いを背負って生きてくことになるぞ」
先生が激しく咳き込む中、なんだか急に早いリズムを刻む音が聞こえてきた。
アルの動悸だ。
早くなってるんだ。
普段なら消しておく音が無防備になってきている。
「おい、なんだかわからないけど、止めとけよ。辛そうじゃないかっ」
「トラウマを祓う時は、痛みぐらいあるさ。それを越えなきゃ治らないからな。
あと、その馬の種類を当ててみようか」
アルの目が動いた。
「十中八九、ユニコーンだろ?」
「―― なんでぇ……わかった? あんた過去見ができるのか……?!」
「エエッ?!! ユニコーンってあの神聖な馬の ??」
奴が俺の方に振り向くと
「お前のとこじゃペガサスのように神聖視されてるみたいだが、こっちじゃただの魔物だよ。
バイコーンと一対の。
嗜好が正反対ってだけだ」
そうなのかあ。いや、待て待てっ。
この流れ、話の内容だと、ヤバいことを皆の前でぶちまけてないかっ ?!!
アルがまた下を向いている。
その眼の色は、昨日の時のようにピンク色になってしまっていた。
おおいっ、もう彼のMPはゼロだよ。
あんた、同族というか子孫というか、眷属に何してくれちゃってるんだよ。
アルの公開処刑が始まった。
ここまで読んで頂き有難うございます。
なんだか変な話の流れになってしまいましたが(汗)
次回はちゃんとアルの『トンデモナイ勘違い』によるトラウマを解消します。
すいません、グロはありますが、危ない事はありません(?!)
どうか次回もよろしくお願いしますです。
********
映画『ダークシティ』は、目覚めたら記憶喪失で、隣に知らない女が死んでて、という
出だしのホラーサスペンスかと思いきやSFだったというちょい昔の映画です。
毎晩同じ時間になると皆が一斉に眠りこけて、謎の黒服の男達が人々の記憶を変え、
それにともなって街自身も変わっていくという奇妙な現象から、イレギュラーにこぼれ落ちてしまった主人公が、その謎を突き止めていく話。
前半のムードが好きなんです。街がニョキニョキ変わっていくところとか。
あとキーファー・サザーランドが、『24 -TWENTY FOUR-』と同じ人かと思うような
ヨタヨタの博士役で出ています。




