第105話『グラウンドドラゴン』
まさしく絶壁という言葉が相応しい、カモシカも諦めるのじゃないかと思われるような90度の断崖を、2人は岩壁ギリギリに沿って落ちていく。
いや、跳んでる? 時折、何処にそんな足場があるのかわからないくらいの、小さな出っ張りを軽く蹴って、右左と軌道を変えながら降りていっているのだ。
みるみるうちに眼下に広がる濃い緑の中に消えて行った。
「行け、蒼也」
いつもの事だが、俺に拒否権とか息を整える時間とかはないんだな。
俺は空気のクッションをまわりにまとって飛び降りた。
ザラザラな砂色の岩肌をギリギリに見ながら、出来る限り上昇気流を作って減速を試みる。
だが、早く走る為に背中を押すのとは違って、落ちるエネルギーは凄まじい。
俺の能力じゃ体を支えるのは無理だ。2人がやったように左右に動いてなんとか速度を落とさないと。
ボコンと岩肌に50㎝くらいの岩の突起を作る。それを5,6m置きくらいに交互に作って足場にし、なんとか減速しながら降りる事が出来た。
地面に無事足をつけ、ふうっと一呼吸しようとした瞬間、俺のすぐ横で凄い衝撃が起きた。
奴が飛び降りてきたのだ。
恐らく一回も足場を使わずにストレートで。
下で待っていたアルがヒューッ! と口笛を吹いた。
「只者じゃないとは思ってたが、予想以上だ。あんたハンターだとしたらS以上だよな?」
アルが感心して訊いてきた。
「オレはただの傭兵だ」
それを聞いてセオドアが軽く肩をすくめる。
「日がそろそろ落ちかけてる。急いでくれ」
傾き始めた太陽を見て、またセオドアに背負われた先生が言った。
「ええと、奴らは――」
アルが辺りを仰ぎながら、風の匂いを嗅ぐ。
「「「あっちだ」」」
セオ、アル、奴の3人が同時に同じ方向を向いた。
なんかあらためて凄いな。
逆にベーシスの俺って、何も出来ないんだとすごく力の無さを感じる。
「じゃ、行くぞっ」
2人が再び走り出した。
俺もダッシュしようとして、急に体全体にキューッと軋みを感じて蹴躓いた。ギシギシとした痛みが全身に広がってくる。
マズいっ! もう筋肉痛が始まった。無茶しすぎたんだ。
俺は樹に両手をついて、前かがみの姿勢のまま動けなくなった。
数メートル先に行った奴が振り返る。
「さすがに今回は早かったな」
すぐに戻って来ると俺の頭に手を置いた。
柔らかい何かが流れて来て、体全体が解れていくのを感じる。筋肉痛も消えた。
顔を上げると先に行った2人の姿はもう見えない。すでに俺の探知範囲外まで行っているようだ。
体が元に戻ったので、走り出そうとした俺を奴がグイっと持ち上げた。
「へっ?」
そのまま体が回転したかと思ったら、奴の背中に乗せられた。
「少し、休ませる」
そう言うや、奴は俺を背負って猛ダッシュした。
ブッシュや樹々の生い茂る道なき森の中を、まるでバイクで疾走するように駆け抜ける。あのスターウォーズに、エアバイクで林の中をすっ飛ぶシーンがあったが、まさにそれを地でやってる感じだ。
「「「おっ」」」
すぐに追いついて来た俺たちに3人が振り返る。
「その調子だとおれ達のほうが、足手まといなようだな」
ヴァリアスの余裕がわかるのか、アルが速度を上げて言った。
「そちらのペースでいいぞ。どうせ最終的に追いつけばいいんだろ」
「さすが同族、頼もしいぜ」
ニーッと牙を見せてアルが笑った。
日が傾き、赤い色味が強くなってきた光が、樹々の間から差し込んで森の中を照らしていく。
ここでは太陽は西から登って東に沈む。ということは今 太陽の反対方向が、ラーケルのある方角だ。
まさか村長も俺たちが、今こんな事に巻き込まれてるなんて思ってもないだろうなあ。
地面は緩やかに傾斜したり、急にキツイ坂になったりしながら下に向かっていた。ここは山の中なのだ。
巣に急ぐツグミに似た茶色い鳥の群れが、‟キャッキャァッ、キャッ”と高い声を上げながら飛んでいく。
彼らは夜、比較的安全な村や町まで降りてくるのだ。
こっちに来て以来、朝方、森や山に帰っていく彼らの声をよく聞くようになった。
日中、町や村で彼らの姿を見ないのは、昼間は人間が彼らの敵となり得るからだ。都会じゃ雀を捕まえて食べたりしないが、こっちでは庶民の恰好のたんぱく源になってしまう。
露店や居酒屋で雀の姿焼きならぬ、ツグミもどきの丸ごと焼きは、結構見かける庶民の味らしい。
俺は頭までついてるその姿に、抵抗があって食えないのだが……。
そんな事を考えていたら、ふと俺の索敵に引っかかるモノがいた。
1,2……もう1体、3体いる。大きな4つ足……いや、8つ足か?――トカゲみたいな動物らしきモノがこちらに向かって勢いよく走って来るのを感じる。
同じ方向にとかではなく、明らかに俺たちに向かってきているようだから、肉食獣か?
「面倒なのが来たな。ここはあいつらの縄張りか」
セオドアも気がついたらしい。
「あー、今は相手してる暇じゃねぇんだよな」とアル。
ランダムに立ち生える樹々の間から、並行して走るその姿が見えてきた。
乱立した樹の間をS字に避けながら姿勢を低くし、蛇のように素早く移動する様は、あの大カマキリを思い出させた。
それは大きな8本足のトカゲだった。
「伏竜だ」
奴が言った。
樹の陰では一見茶色に見えるが、西日を浴びた時の表面は緑や黄、青色の光を帯びる鱗で覆われていた。
鼻筋から左右の目にかけて短い刺状の突起が2列並び、頭から首を通り、背中から尾まで繋がっている。
その突起は大人の人差し指くらいで、艶のある緑色をして先の部分だけが青色をしていた。
顔はシャープというよりもやや幅広で、山椒魚を思い出させた。
だが、山椒魚と違うのはその口元から覗く牙が、クロコダイルの顎のように上下からはみ出している。目は深い青緑色のアーモンド形をしていた。
突然、その3体の伏竜たちの足元に赤紫色の閃光が走った。大トカゲたちがその場で飛び上がって
‟ ギャヴォッ ギャアッギャアッ ギャアァァ ”
高めの声を上げながら、少し戸惑う様子を見せた。
「サッサと失せろよ、今度はもっとデカいのお見舞いするぞ」
今の電撃はアルのようだ。
だが、また1体が太い舌を見せながら長めの声を上げると、他の2体も同じく叫びながら、再び走り出した。
「あらら、こりゃあ駄目だ。奴ら腹減ってるんだ。脅すくらいじゃ無理だね」
「しょうがねぇ、おれが相手するから先に行っててくれ」
「いや、お前たちこそ先に行け。ここはオレと蒼也で十分だ」
ヴァリアスが速度を緩めようとしたアルに言った。
「いいのか? あんた1人ならいいが――」
「コイツも足手まといにはならんぞ」
3人があらためて俺を見る。背中に負んぶ状態でマジマジ見られるのって、なんだか恥ずかしい。
「わかりました。すみませんがお願いします」
「じゃ、先で待ってるぜ」
「頼んだぞいっ」
3人がそのまま走っていくのを、一番外側を走っていた1体がそのまま追いかけようとする。
‟ ヴァッギャッッ!! ”
ヴァリアスが足元の岩を、サッカーボールみたいに蹴り飛ばしたのが後頭部にヒット! 伏竜がゴロゴロと坂をもんどり打っていった。
他の2体もすぐに俺たちのまわりに回り込んでくる。
「よし、蒼也やってみろ」
スルッと俺を地面に降ろすと奴が普通に言った。
――― はいっ ?!
今や2体の伏竜は俺達から10m園内にいる。その大きさはおおよそ尻尾まで入れたら5m以上だろう。警戒して口を少し開けて唸りながら、ゆっくりと俺達のまわりを回っているが、その気になればひと飛びでここまで跳んでこれるはずだ。
今だから分かるが、以前遭ったワニもどきのグレンダイルは、こいつに比べるとまだ容易い魔獣だったんだ。こいつらの立ち昇るオーラから俺は察した。
「おおい、毎回ふざけんのもいい加減にしろよ。俺にこんなのが相手出来るのかあ?!」
「いいから、やってみろ。出来るとこまででいいから」
てめえはいっつもそれだなっ! 少し休ませてくれるのかと思ってたら、ほんとにちょっぴりだった。
だけど、こいつがやらせるってことは、俺にも少し勝機があるって事なのか。
念のため解析。
《 解析 ――― 不能 》
やっぱり、無理か。魔力耐性がある証拠だ。そして俺の魔力が対抗するのには弱いって事だよな。こちらが強ければ解析も突破出来るはず。それを補うには技術や創意工夫だが―――。
俺の少ない経験と技術でカバーできるのかなあ。
とりあえず出来る限りオーラを押さえ気配を消す。
ザザッと後ろに、さっき岩を喰らって転がったもう1体が、戻ってきた。俺がそっちに振り返った途端、前にいた伏竜が動いた。
バクゥンッ! と俺のいた場所で勢いよくデカい口を閉じた大トカゲが、悔しがるようにバクバクと歯噛みした。そこへ脳天に落雷が落ちる。
俺は一番高い樹の枝に転移していた。さっきアルの電撃が効いたので、俺も電気攻撃をしてみたのだ。
が、脳天に落としたと思われた赤い光はパッと拡散するように消えた。やっぱり力が足りなくて無効化された。
あのハイオークみたいに直接ぶち込まなくちゃダメなのか。
なんて考えてる暇なんかなかった。
次の瞬間、俺の左右に2体の伏竜が、挟み撃ちするかのように現れていた。早いっ!
枝を蹴るように転移。 ツッ と、上着の裾をかすった感覚があった。
先ほどの樹から20mくらい離れた枝に跳ぶ。
が、すぐに俺の目の前に1体が口を開けた。早すぎるっ。転移っ。
今度は咄嗟に見えた一番遠い樹の天辺に跳んだ。さすがに次の瞬間に横にはいなかったが、今度は俺が奴らを見失った。どこだ? 索敵―――。
斜め右60mくらい先に2体、もう1体は後ろ側40mくらい……だっっっ!?
もうすぐ後ろにいたっ! こいつら翼ないけど飛べるんじゃないのかっ ?!
咄嗟に身をひねって大きな口と振られた尾を避けながら、転移する。本能的に転移だけでは避けきれないと感じたからだ。
転移は瞬時のイメージがあるが、発動するまでにほんのちょっとのタイムラグがある。たぶん1秒にもみたないかもしれないが、それだけあれば相手は十分に口を閉じる事が出来る。
僅かな差が命取りになるのは言うまでもない。
「イテッ!」
転移先に出現した瞬間に左腕に痛みが走る。
さっき避けた時に、あの大トカゲの尾の刺が当たったんだ。
見るとカットソーの肘の辺りがパクリ切れている。そこに吹き出た自分の赤い血と、なにか青いモノが混じっている。何だコレ……。
それはみるみるうちに、青い煙になって空中に霧散した。
「それは神経毒だ」
すぐ右側で見えない奴の声がする。
「通常10秒もしないうちに四肢が痙攣、マヒを起こし、20秒で呼吸困難、30秒で肺や心臓機能が停止する猛毒だ。さすがに命にかかわるクラスの毒からは、護符が守るようになっているからな」
じゃあ護符を付けてなければ、今ので俺はアウトだったのか。
袖は治らないが、もう血はすでに止まり、治りつつある傷口につい目をやった。
「油断するな、来るぞ」
ハッと索敵に意識を向けると、2体が樹々の間の地面を、まるでスムーズに動くジェットコースターのような勢いで走ってきていた。
「執拗過ぎるっ、何だってんだっ」
「言っただろ。腹が減ってるんだ。たぶん休眠明けだな。目覚めて一番初めにお前達の匂いを嗅いだんだろうよ。今はお前の匂いを感じ取ってるから、気配を消したくらいじゃ無理だな」
また俺が登っている樹上まで、1体が一気にジャンプしてきた。
後ろ足だけでなく、尾を瞬時に螺旋状に巻き、バネのようにして何十メートルも跳ぶんだ。
「このっ……」
今度は転移せずに、咄嗟に屈むと俺はファルシオンをその土色の胸に叩きつけた。
頭上でガァッツンと金属音のような牙がぶつかる音がする。
ガリリリーッ と岩というより、ザラザラした表面の鉄鋼版に刃物を切りつけたような手応え。全く切れる気がしない。掌がグリップで擦りむける。
が、刃物がすこし首の辺りまで押し滑った際、一瞬ビクンと伏竜が身を固くした。
それはオーラでもわかった。何か凄く不愉快というか、触られたくない部分を掴まれたような感覚を、その接触したオーラから感じた。
その隙を利用して、思い切り遠くに転移できた。移動できたのは100mくらい離れた樹の根元だ。
もう何度かの転移のせいで、頭の奥がジンジンしてきている。連発のし過ぎはまだ俺には重荷だ。
疲れるとすぐに転移するまでに時間がかかるようになってくる。
このタイムラグは命取りになる。それに同じ連続でも、落ち着いてしっかりと目的位置を定めて跳ぶのと、咄嗟に反射的に跳ぶのとではかかる負担がずい分と違う。
また樹上の枝を飛び移る移動も、速度的に空中で奴らの格好の餌食になる可能性大だ。
走った方が早い。俺はその場をダッシュした。
走りながらさっきの手応えを考えた。
喉の内側に刺さった魚の小骨が取れずにムズムズするような、ヘソをグリグリを触られるような嫌な感覚に似ているだろうか。(* 作者注:外反母趾を持っている人なら、あの出っ張りを人に触られる感じ)
あの時の手応え―――何か引っかかった。首元……。
あ……。
「ヴァリアス! 伏竜ってのはドラゴンの一種だよなっ」
俺は木立の中を走りながら言った。
「ああ、そうだ。飛べないが、実力はワイバーンとさほど変わらない。個体によってはワイバーンより厄介な場合もある」
見えないが、ハッキリと右側にいるのがわかる。
「ワイバーンよりって、そんな大変な奴なのかよっ! いや、文句は後だっ。っていう事は “逆燐“ っていうのはやっぱあるのか? それって急所なのか」
「急所とは限らないが、他の鱗に比べて向きが違うから、弱いことは弱い部分だな」
そうか、目を狙うよりも顎下ならまだリスクは低いはず(?)。あとはなんとか下に潜り込めればだが。
俺は走りながら手袋を出した。
2体が追い付いてきたのを感じる。転移はギリまで取っておきたい。
俺がこんなランクの魔物とやり合えるのは、ひとえにこの転移能力のおかげだ。この特異な能力のせいでなんとか対抗出来ている。
一種の切り札だ。だからいざという時、素早く出来るように力を取っておかねば。
近くの一番近い樹にジャンプして飛び移ると、風の力を借りながら上まで勢いよく登った。
背中に気配を感じ、咄嗟に樹の後ろ側に回る。
ドコォン! と大トカゲのアゴが樹を揺らす。
その無防備なアゴの一点を狙ってファルシオンを突き立てようとした。
ヤベッ!!
もう1体が俺のすぐ後ろにきていた。すんでのところで幹を思い切り蹴って、デカい口をかわした。
奴らはジャンプ力はあるが、飛べないので、そのまま落ちていく。俺はそのまま隣の樹に飛び移る。
と、1体が落ち切らずに途中の幹に、後ろ足でしがみ付いたと見えた瞬間、樹をしならして跳躍してきた。
俺はまだ枝に足をつけるかつけないかの、空中だった。
目の前に並んだ牙と青紫色の舌が見える。
転移するよりつい、反射的に体をのけ反らせてしまった。
この足場の無い空中で。
ブワァンッ と、俺の顔すれすれに茶緑色の鱗が通り過ぎる。
咄嗟に風魔法を使ったらしい。俺の体は後方に素早く押されてそっくり返った。
そうだ、相手に通用しなくても、自分自身になら魔法を使う事が出来る。
そのまま強く追い風を使って、斜め下に滑空しながら別の樹に飛び移る。そしてすぐにあたりを見回し、出来る限り枝の多い、幹の太い樹に転移。
下から枝をバキバキ折り破って、登ってきた大トカゲに折れた枝や葉を、思い切り風で打ち付ける。風魔法は接触すると消えてしまうが、枝や葉は消えない。多少は目隠しになるはず。
奴の顔の前に緑のカーテンが出来た瞬間、下に向かって風を使い、勢いよく下に滑り込んだ。
即、下の枝に足を踏ん張ると、思い切り両手でグリップの腹と尻を押さえて、探知した顎下の1点へ突き立てた。
バッキンッッ ! ファルシオンが折れたっ !!
奴が落下しない。下4本の足がしっかり幹を掴んでいる。
横に避けようとしたが間に合わないっ―――
ゴッオッリィンン !! 凄い手応えが俺の手に響いた。折れたファルシオンがなぜか根元まで、大トカゲの顎に刺さっていた。
俺の顔に青紫色の液体が飛び散った。うわぁ、口に入っちゃった。鉄、というより石の味のそれだ。
手にもドクドクと生暖かいそれが流れて来た。
折れた剣の断面の先が、僅かに頭から突き出ている。
グリッと俺の意思に反して、剣が回転して俺の手も動く。それに合わせて大トカゲがビクンと体を震わせた。
あっ! そうだったっ。すぐに全魔力を込めて剣に電気を流した。自分も感電するんじゃないかと思われるようなスパークが飛ぶ。
大トカゲもとい伏竜の体がブルブル震える。
効いている!
手を離すとゆっくりとのけ反った大トカゲの体が、幹から離れ、枝を突き破りながら落下していった。
ここまで読んで頂きありがとうございます!
戦闘ばっかじゃなくて、話進めなくちゃいけないのですが、
今回はちょっと、戦いが多い回なのです……。
ちょっと鬱気味で、モチベーションの乱高下が激しいのでちょっと動きが欲しくて……。
でも、誰かがアクセス―――読みに来てくれてる手応えが、少しでも感じられるのが
今の私の原動力。 有難いことです。




