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古時紀  作者: 英 一輝
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~あるにんげんのものがたり

──作品に出てくる場所の名前、すべての登場人物、団体組織名はフィクションです。実在するものと一致していたら、それは稀有な偶然といえましょう──


●承前(その1)湖のほとりにて


 秋の午後──湖を渡って吹いてくる風が心地よい。…少し足を伸ばしてむこうまで行くか....いつもならばこの先の喫茶店でひと休みして帰るのだが、 ひさびさのツ―リングでこのまま帰るのはもったいない。そういえば、ここには5年前に一度来たことがある。妻との初めてのデ―トの時だった。古びてはいるがわりと立派な神社があって、願掛けをしていたら、どこからともなく老婆がやって来て、茶をごちそうになった。そのとき妻は、老婆の額にある赤いほくろが気になると言っていたっけ。自分はまったく気が付かなかったのだが──ペダルをこぎながらフトそんな事を思いだし、それで興味が湧いてきて、再びその神社を訪れてみようと思ったのだ──。


 5年前に比べていっそう緑が濃くなっているように思える。このあたりは自分たちが引っ越してきた頃から宅地開発が進んでいるのだが、不思議と湖のこちら側は開発の波が及んでいなくてほとんど手付かずのままだ。幹線道路から遠いという事もあるのだろうが、スグ背面が急傾斜の山だから住宅は建てにくいのだろう。──前に訪れた時には気が付かなかったのだが、鳥居の前に何かの模様が描かれた踏み石があった。これまで見たことのない絵柄で、何を描いたものかもわからない。よく見ると、鳥居も見慣れたものとどことなく違う感じがした。だからといって、こういった方面の詳しい知識を持たない自分には何が違うのかはさっぱりわからない…。


奇妙に曲がりくねった石段を息が切れるくらい昇りつめた所に、杉木立に囲まれた本殿があった。けれどもそれ以外には何もない。ただ、向かって左右に土饅頭のような盛り上がりがあるだけだ。社務所はおろか、あの時の老婆が住んでいたらしい離れすら見当たらない…もう引っ越してしまったのだろうか?──秋の空はいよいよ澄み切り、湖からやってくる風が汗をふき取っていく。ようやく仕事から解放されたせいなのか、気持がグンと大きくなってゆく感覚を覚える。


本殿前の賽銭箱を見ると、それほど古びているわけではなく、中には万札も混じっているようだった。箱の前の階段は木造ではなく、石畳が新品の大理石のように輝いているのが不思議だ。やはり参拝する人間がいるのだろう。本殿前に立つと、無意識に五円玉を財布から取りだして無造作に放り投げ、瞑目して妻と子供の健康を祈る。目を開けた途端、視界の隅に何か動くものをとらえ、思わず振り向いた──。


「よう来なすったナア」


…いつの間にか、見覚えのあるあの老婆が傍らに来ていた。あれから何年も経っているというのに、その風体は少しも変わっていない。妻が言っていた“額の赤いほくろ”などまったくなかった。


「サァさ、またお茶でも飲んでいきなされヤ」


そういって老婆は、社務所のような所へ案内した。本殿右手のちょうど木立に隠れていて目立たない場所にあったのだ。しかし以前の場所とは違うような気もした──。


 老婆がその場で立てたらしい抹茶をすすりながら、当時一緒に来た彼女と結婚した事、 子供の誕生、転勤そして帰郷、と四方山話にはずんだ。時折り目を細めて微笑むその顔は、遠くどこか懐かしい感じがした。その笑顔の合間に見せる、老人とは思えない目の輝きに一瞬果てしない深淵をのぞき込むような感じにしばしば襲われた。いつしか、部屋の中に夕暮れ時の冷気が忍び込んできていた…。


「では、そろそろお暇します」


外に出て、あいさつをしようと振り返った時、薄暗がりから赤い光が瞬間見えた。それは老婆の座っている場所にあったようだった。突然門灯がつき、薄闇が消えて老婆の姿がよく見えるようになった。何の変哲もない…。


「また、きなせイ」


鳥居をくぐって階段に足をおろした時、何か気になって本殿を振り返ってみたが、 特になにも変わったところはなかった。空を見上げると一番星が輝き始めていて、その傍らを一筋の光芒が流れていった。



 その夜眠りにつく前に、妻にきょうのことを話してみた。どうやら妻の実家は、あの神社と縁があるのだそうだ。といっても相当遠い親戚にあたるという程度らしいのだが。──ちょっと気になって、老婆の額にあったほくろの事を言うと、妻はなぜか押し黙ってしまった…。


「──たしか、ぼくらの最初のデ―トの日に君がひどく気にしていたんだぞ」


…そんなことは覚えていない、と妻はいう。さらに問いただそうと開いたわたしの口は、妻の熱く湿った唇にふさがれてしまった──。



──以来その日のことは、日常の忙しさにかまけて一旦忘れかけていた。それが仕事帰りにフト立ち寄った書店で目にした雑誌をきっかけに、またぞろ興味が湧いてきた。


昨今は神社が一種のブームになっているらしい。グルメ探訪と同じような感覚で全国の神社を巡るのが若い女性に人気だという。まるでスタンプラリーのように、訪ねた神社でもらえる御朱印を集めるのがいいらしい。それに目をつけて、若い世代が神職を務めるようになったいまどきの神社ではいまこそ観光客を呼び込んで神社興し!とばかりに、俗に言うキャラクター戦略を活用することも辞さなくなったらしい。戦国武将がイケメンに描かれた二次元キャラクター化されてオンラインゲームになったように、日本の神々も今では皆イケメンなゲームの登場人物になってきている。だからこんな地方の書店でも、オーソドックスな神社観光案内的な内容の雑誌に加えて、アニメやゲーム雑誌のような体裁をした神社ガイドブックや情報誌、日本の神々がキャラクターとなったマンガや小説が一つの書架を占拠しているほどだ。近々、古事記をモチーフにしたアニメ映画が公開されるらしく、ポスターや関連グッズが書店の入り口に堂々と展示されているのだ。


──そんな巷の動向とは裏腹に、わたしの身近では神社に関心を持つものは一人もおらず、ワイドショーなどで取り上げられていてもそれで話題にのぼることもない。朝のワイドショーを欠かさず見ている妻も、そちらの方にはまったく関心がないようで──というよりは、どこか話題にするのを避けているのではないかと感じることがある──。


あまり深く考えずに無難に、わりとまじめに編集された神社の解説系雑誌を一冊買ってきたのだが、それで水を向けても彼女は一切話にのってこない。結婚前のデートでは神社仏閣をデートコースにすることを好んでいたのだが、結婚後はほとんど行っていないし、行きたいといわれたこともない。今回自分が例の神社に立ち寄ったのも、近所の探索程度のまったくの気まぐれだったのだ。もしそこに彼女がいたら頑として行こうとはしなかったのではないか──そんなふうに思えるほどである。


翻って自分はあの日以来、熱中するというほどではないがたしかに気にはなっていた──べつだん信仰心が芽生えたとか、ただトレンドに遅れまいとしている、などというのではなく。昼間はすっかり忘れているのだが、夜中にフト目を覚ました時に、なにかこう、腹のソコからむずむずとした感じ、なぜかあの場所へ行きたくなる、そんな感覚がするのである。


…それからというものほぼ毎週末、あの湖のほとりにひっそりと佇む神社に"参拝"するようになった。時には家族サービスを兼ねて、妻や子どもを連れて行くこともあった。そのときには老婆が姿を現して何くれと世話を焼いてくれるようになった。幼い頃に母親をなくしている妻にとって、そんな老婆の姿は実の母親のように思えるらしい。わたしはよもやま話のついでに老婆から参拝の作法や神社の由来を教えられるようになり、いつの間にか子どもも自然に手を合わせるようになっていった──。



 秋がいよいよ深まり境内に枯れ葉が目立つようになってきた頃、神社で神楽舞が奉納されることになった。先代神主が逝去して以来久しく行われていなかったのだが、この町も近郊都市からの転入が増えて自治会の行事としても成り立つとして再開されることになったのである。その時にはあの老婆が踊るという──老婆は巫女だったのだ。

 

雪を降らせるような黒っぽい雲が山の頂きにかかるようになった晩秋、神楽舞奉納の日を迎えた。朝方、秋には珍しく激しい雷雨となったが、午後にはきれいに晴れ上がって二重の虹までもがかかり、何とも清しい気分になった。わたしは舞を見るのはもちろん、こういう行事に参加する事も初めてだった。なぜか遠足前日の子供のような浮き浮きとした気分だ。


ここでの神楽舞は夜に行われる。まだ日が落ちる前に、妻と子どもを伴って神社へ入った。境内で開かれた縁日の有様にひさびさに子供の頃を思い出しながらその時を待った──。


まだ山の彼方に闇を通過した光が残像を描いている内に、かがり火がともされた。その数、八ツ。この神社の名前は「八ヶ所神社」である。何でも京都の八坂神社とも関係があるらしいが、この手のことに疎いわたしにはよくわからない。


──いよいよ闇が主宰と化した時、本殿正面の扉が重々しく開かれ、御神体が顕われた。普段はまったく見られないものである。わたしもこういうものは初めて見た。それは一枚の鏡だった。縁がまるで大日如来像の光背のような火炎様を呈している。かがり火と本殿内の松明とが微妙にその縁を彩っている。本殿内が深紅色に塗られているので、鏡自体が炎上しているかのように見える。御神体鏡の左右には正三角錐が二つ置かれていた。奥にもあるようだから、計四つあることになる。陶磁器のようにも青銅にも見える。表面に見た事のない紋様が彫られていて、これもまた炎に縁取られて色彩が躍動している。さらに、鏡の真上に水晶球がつり下げられていた。炎、鏡、三角錐、そして水晶球。聞きかじった神社知識から察すると、これが御神体とは何とも奇妙なことではないのか。

 

舞は本殿正面の“庭場”で披露されることになっていた。わたしたちは円形をした“庭場”を取り囲むようにして設けられた桟敷席についた。わたしはそうしようとおもうでもなく、正面一番前列に座を据えた。


        ドンドンドン

 

  ドンドンドン      ドンドンドン

 

          ドン!

 


太鼓の音を合図に、円を四等分するように席の間に設けられた花道を通って、舞手達がすり足でゆっくり無言のまま近づいて来た。手指が様々な形を組んでいる。各道に二人。計八人の舞手だ。どうやら神社の名前どおり、この聖域は「八」が支配数らしい…八人が八方を向いて立った。

 

──太鼓の音が止みしんとした静寂が支配する中、忽然と舞主たる老婆が本殿右手廊下から現れた。髷を結い、手に扇あるいは杓のようなものを構え、静かに滑るような足取りで歩みを進める。そして本殿から前庭へと階段を下りていった。庭場の中心は一段盛り上げられた円舞台となっていて、巫女の老婆はそこで舞う。老婆はたった今、巫女から火神女ひみこへと変容した。



ドドン!


──腹にズシンと響く太鼓の音(打ち手を探したのだが、暗闇に紛れているのか見当たらない)が合図だったのか、八方を向いて不動の姿勢を取っていた八人衆がにわかに動き始めた。と同時に、これも出処が見えない高い笛の音が聞こえてきた。どこの神社でもよく聴く雅楽のような音ではなく、口笛のようでもあるが、もっと太く何重にも重ねられたような厚みがある。これまでに聞いたことのない音色だった。それは音楽というより風の音のようでもあり、高くなったり低くなったり時には鳥の鳴き声のようにも聞こえた──その静妙なる笛の音に合わせて八人衆が舞う。後から聞いた話では、これは神が降臨する前にその場(地)を浄める儀式だという。八人衆は円を描いて、すり足できわめてゆっくりと歩を進める。一歩進める毎に両腕両足を左右に広げ、その地を踏み固めるように、いわゆる“地団駄を踏む”のに似た動作を行っている。


…それが一周すると場面が変わり、互いに向き合った衆同士が、まるで糸を撚り合わせるようにそれぞれが中央に向かって交差して戻るというなんとも不思議な動きをしている。

それが一通り終わると、一同は天を仰いで一礼した。


ドン!


再びどこからか太鼓が打ち鳴らされ、八衆全員が後ろずさりで闇の中に消え去っていった…。


          


風一つなく、篝火が静かにはためく中、会場の静寂はもはや人の気配をまったく感じられないほどまで高まっていた──いや、そのかわり圧倒的ななにかが、しびれるような張り詰めた空気感が次第に広がり始めてきているのを感じる…。


場を浄めるという一連の儀式が終わり、これからいよいよ神楽本舞が始まるようである。わたしは胃の縁が縮むような緊張感の高まりを覚えていた──


ドン

 

ドン


ドドン


ドン!


地の浄めの間中、中央に瞑目して身じろぎもしないで立っていた“老婆=火神女”が、おもむろに両手を広げた。両手には扇子を持っている。笛の音がさらに数を増したかのような分厚い響きをもってこの場を満たしていった。両手に捧げ持つ扇子がその音を受け止めているかのように、扇子の動きに合わせて笛の音色が旋律が次々と変化していくのだ。


ふと気がつくと、あの八人衆がどこからともなく現れていた。中央で舞う火神女の動きに合わせて、周囲の八人衆もまた様々な旋律を舞う。衆それぞれが独自の動きをとっているが、全体としては見事な統一感を形作っている──いったい何を表現しているのだろう?まるで中央の主神が八色神に命令を送り、八体の神々がそれぞれの役目を果たしている――そんな有様が思い浮かんだ。また、ある種の交響曲を「見て」いるかのような印象も受けた。


ふつうの神社での儀式で聞かれる雅楽に似たような華やかな音楽は、ここの神楽舞には一切ない。太鼓はリズムを打つというより、場面の転換を示す合図のようだ。わたしの耳には、火神女が時折発する言霊と呼ばれる「声」と口笛が聞こえるだけだ。そう、笛の音の合間に火神女は、「オオオオ──オーゥ」と腹の底から響かせる神呼びの声を発している。

今ここには近隣住民を含めてかなりの観客が集まっているはずなのだが、さっきからまったく人の気を感じない。木立がざわめく音すら聞こえない。わたしは、深い森の奥で一人、フルオ―ケストラの演奏を聞いているような感覚を覚えた。舞が進むうちにわたしは閉ざされた霊妙な場の中にあって、次第に酩酊状態に陥っていくようだった──



舞がそのクライマックスを迎えようとした時、突然額の内側に煌めく光が発したのを感じた、そしてわたしの頭の奥に熱い塊が生じるのも感じた。それはどんどん大きくなって、頭から首へ、胸へと広がっていく。熱が全身に拡がったと思った瞬間、火神女の視線とわたしの目が一致した。あっ、と思う間もなく、わたしの体が火神女に向かって勢いよく向かっていった――いや、体はどこも動いていない。世界がわたしに向かって突進してきている!


あわや火神女と激突かと思ったが、何の抵抗もなく通り抜け、わたしはそのまま“御神体”へ突入していった──


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