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めくるページにキミ

作者: 荒渠千峰

 



 子どものあいだは何でも経験することで自分の成長に(つな)がるなんて、大人はよく言います。何に対しても積極的になろうという価値観を押しつけているだけだと私はそう思っています。

 私は頭の中でたくさんの事を考えていても、それを口にすることはありません。

 おばあちゃんからはよく「おとなしい」と褒められます。けれど学校のみんなは「変わってる」「どんくさい」「暗い」「面白くない」と聞いたばかりで良くない単語を次々と私に浴びせます。

 本人たちには悪気(わるぎ)が無いのかもしれません。けれど私がそれを不快に思ってしまったら、嫌だなぁと感じてしまったら、自分の中でこれはイジメを受けているのではと考え込んでしまいます。

 本格的なイジメに変わった理由は、やっぱり私がみんなと上手にコミュニケーションが取れないからなのでしょう。

 誰がどんな理由で、なんて考えるだけ無駄だったのでしょう。

 私は、外で遊ぶことより部屋で本を読んだり編み物をしたりする方が好きです。ただ動いているだけで、将来のためになるとは思えないからです。

 こんな考えからでしょうか、みんなから逃げるように、それが当たり前のように私は図書室に入り(びた)るようになりました。

 それが私のこれからも送る学校生活のすべて。私、下平(しもひら)凛乃(りの)の人生です。






 今日も一日、何事もありませんように。

 そう心の中でビクビクしながら私はお昼休みの図書室にお邪魔しています。


「あ、これほしー」


 少し離れた席で見知らぬ生徒3人がファッション雑誌を見ながら楽しそうにおしゃべり。

 図書室の先生が考えた「本に興味が無い人達にも利用して欲しい」という立案のひとつ。

 文学だけではなく、漫画や雑誌も多く取り寄せてもっと多くの子どもたちに図書室を利用してほしいという運動。

 私はその計画に文句があるわけではありません。ただ、利用するならするだけのマナーや心構えをきちんとしてほしいのです。

 私語は慎む。図書室内では静かに!

 ただでさえ息が詰まりそうなのに。


「ねぇ、それ面白いの?」

「ふぇっ」


 考え込んでいるうちにさっきの女の子3人組がファッション雑誌にも飽きたのか、私の方へ近づいて来たのです。


「あ、えっと」

「何これ! 文字ちっさ!」

「漢字ばっかり! ケータイ小説でもないし」


 すぐに興味を失ったのか、私の本を乱暴に扱ったあと机の上に置きます。


「おい、イジメはよくないぞー」


 私を囲んでいた女の子たちの後ろに1人、男の子が立っていました。


「ビックリしたぁ! 急に何?」

「図書室だから静かに来ただけだよ」

「え、ていうかイジメてないけど?」

「じゃあ分かった、あれだ。集団リンチとかいうやつだろ」


 男の子はヘラヘラと指さして笑いながら女の子たちを小馬鹿にします。


「違うって! もういい、行こ」


 怒っているのか恥ずかしいのか、言われた女の子は耳を赤くして図書室を出ていきました。


「ほら、静かになった」


 男の子は満足そうに言った。


「あ、あの」


 ありがとうございます。

 お礼を言おうと私は心の中で何度もこの言葉を繰り返します。だけど、


「まぁ、確かに難しそうな本読んでるな」


 私の本を不意に奪いパラパラとページをめくります。けれど乱暴に扱ったりはしません。そっと閉じると私に手渡してくれます。


「いつもここにいるの?」


 私はコクコクと頷きました。

 ふと、彼の喋り方がさっきと違う気がして首を傾げます。

 間の抜けた声から普通の話し方に、雰囲気が変わりました。


「子どもはバカ演じてる方が楽でいいんだよ」

「どうして?」


 私は頭で考えるよりも先に言葉が口から出たことに驚きを隠せませんでした。物心ついてから今までこんなことって無かったのに。

 純粋な問いかけ。


「なんだ、やっぱりちゃんと喋れるじゃん」


 そう言ってはにかむ彼の表情に胸が熱くなるのを感じました。


「あの、助けてくれてありがとう」


 誰かに優しくされたのって久しぶりで、どんな顔すればいいのか分かんない。

 だけど今の私には一言お礼を言うのが精一杯。

 いつもの自分ではないところを見られて恥ずかしくなった私はそのまま席を立って、足早に図書室から出て行くことしかできません。


「本を返しに来ただけなんだけどな」







「今からテストを行います。先週言っていた範囲の中から出るから勉強していればきちんと点数は取れまーす」


 先生の説明に周りの子たちは不満気な表情を見せます。

 私はテストが嫌い。

 前の席から配られてくるプリントに目を通し、開始の合図を待ちます。


「はじめ」


 それと同時にカリカリと鉛筆の音が教室の中に響き渡ります。

 この時間だけは安らげるのに……。


「終わった人から前に持ってきて、点数つけて返します」


 私が嫌いなのはこのシステム、先着順。

 どうして嫌いなのかというと。


「どうした下平、キョロキョロするとカンニングを疑われるぞー」


 先生が私の様子を見て変に思ったのでしょう。それに反応してほかの子たちもチラとこっちを見ます。それだけではありません。


「どうせもう終わったんだろ? 早く持ってきなさい」


 そう、先生は知っているのです。

 私がカンニングしないこと、そして誰よりも早くテストが終わること。

 拒否はできないので私は言われるがまま、席を立って前の方へ歩いていきます。足取りは重いです。

 この時間が1番のストレスです。目立ってしょうがない。


「ここ惜しいな、94点」


 普通ならテスト用紙を先生に渡して自分の席に戻り、あとでまとめて返されるのですが私の場合は別。

 私はどうやら速読(そくどく)が出来るようで、簡単に言えば文章を早く読む力が(すぐ)れているのだそうです。そのせいで問題を早く解いてしまい、普通に正解するというなんとも目立つことをやってしまいます。

 ちょっと前まではみんなも褒めてくれたり、羨ましがったりしていたのに今は鬱陶(うっとう)しそうにしています。

 そして先生は私の将来に期待をしているのか、みんながまだ問題を解いている中、私にだけ間違えたところの解説をしてくれるのです。

 正直、ありがた迷惑です。






「だったら遅く解けばいいのに」


 ハッとした私は、向かいに座る男の子の姿を見て首を傾げました。

 時計を見て気付きました。

 今は放課後。さっきのテストが終わってからの放課後。


「私、もしかして全部……」

「テストが嫌いってところからありがた迷惑だーってところまで聞いたかな」


 なんと、全部じゃないですか!

 そうじゃなくて、どうして彼は放課後もこの図書室に?

 たまらず手に持っていた本で顔を隠します。分厚い本なのですっぽり隠れます。


「なんかストレス抱えてたっぽいから話を聞いてただけ」


 そんな私を小馬鹿にしたように彼は鼻を鳴らします。


「な、なんで私……」

「自分がここまで人に何かを話すだなんて思いもしなかった?」


 まるで心を読まれている。そう思いました。

 彼は何者?


「俺は2組の近藤(こんどう)。君は3組の下平だろ」

「近藤……くん」


 知らない。

 私が他の生徒のことにまったく関心が無いだけなのかもしれないけれど。


「同じクラスになったことあるんだけどなぁ」


 苦笑いしながら近藤くんは頭の後ろをかく。


「ま、いいよ。これからは忘れなければ」


 私の手を握って振る近藤くん。助けてもらってなんだけれど、彼はどうして私と関わりたがるのだろう。

 そういえば私、気になっていることがたくさんあるんだった。


「近藤くんは、さ」

「なに?」

「どうして、またここに?」


 私はこれまで図書室に足しげく通っている。学校の本を借りすぎて学内掲示板の「図書室だより」ランキング首位をキープしているくらいに。

 でもこれまで彼のような生徒を見かけた事はこれまでない。


「友だちとお喋りしたいからってのは理由にならないかな」


 まただ。

 心臓の音が近くなる。近藤くんの声すら雑音に感じるほど鼓動が大きくなってしまう。


「近藤くん。あなたは――――、」


 雑学と呼べる知識ならたくさん持っている。私から彼に言おうとしている言葉を、本で得た知識で手探りながら口をパクパクと動かす。


「わ、私には……その、関わるべきじゃない、です」


 あれ、違う。


「め、迷惑です」


 そうじゃない、言いたいことはそうじゃないのに。


「そっか」


 近藤くんの声は、か細かった。

 ダメだ、まともに顔を見れない。

 違う、私が伝えたかった気持ちと、口から出た言葉が違う。


「ち、違くて……あ、えと、その」


 頭の中でたくさんの言葉がグルグル渦巻いている。目元が熱くて、痛くて。


「ごめんなさい!」


 また私は逃げてしまう。その場に居たくなくて。居る資格がなくて。

 本当は嬉しいのに。もっとお話したいのに。

 私には、無理だ。








 私は臆病です。

 傷つくこと、傷つけることが怖くて何も出来ない臆病な生き物です。

 だから私なりに考えました。私の言葉や態度でいつかは彼を傷つけてしまうのなら、仲良くなる前で良かったじゃないか、と。

 それからしばらく近藤くんの事は避けました。

 謝りたいのに、自分から関わるのが怖くて。何もできません。


「最近、本の内容が頭に入らないや」


 彼の事ばかり考えている私は、家でも学校でもボーッとする時間が増えました。学校ではだいたい1人で過ごしているので誰も私の悩みには気づきません。

 今日も謝れなかった。

 布団の中で後悔しながら眠りにつこうとすると、部屋のドアをノックする音がしました。


「凛乃、今ちょっといいかい?」

「おばあちゃん?」


 珍しい。

 こんな時間におばあちゃんが私の部屋に訪ねてくるなんて。いつもは私より先に寝ちゃうのに。


「どうしたの?」


 私は布団から出られません。きっと、最近の悩みについてだから。


「そのままでいいよ」


 枕元まで来たおばあちゃんは正座して私の頭を撫でた。


「何があったのか、ばあちゃん話せるかい?」


 私は言葉に詰まった。深呼吸してからゆっくりと頭の中に浮かんだ文字を音にする。


「人を傷つけた……」

「そうかいそうかい」


 おばあちゃんはそんな私に嫌な顔ひとつせず何度も頷きます。


「私、最低だ」

「そうだねぇ、今のままならねぇ」


 おばあちゃんは悩んだように数秒、低い声をあげた後に突然立ち上がりました。


「ちょっといいかい?」


 そして、部屋を出ていくと少しして戻ってきました。


「ん? おばあちゃん、その本」


 手に持ったやや古びた本。見覚えがあるようでないような……。


「凛乃の好きなもんで教えてあげようと思うてな」


 まるで幼い頃に絵本を読んでくれたお母さんみたいに。優しくて暖かい。

 私には勿体ない。


「これは何年前だったか、凛乃が……そうそうこのページじゃ。ここを破いたことがあっての」

「そう、だったんだ」


 おばあちゃんが開いたページには確かに破けたあとが、セロハンテープで不恰好(ぶかっこう)に治してある。


「これを治したのも、凛乃だった」

「そうなの?」


 全く覚えていないということは、かなり小さい頃の話だったのでしょうか。


「泣いて謝りながらこの本を持ってきたときに、この子はなんて優しい子なんだと思ってねぇ」

「え」

「正直で、ちゃんと読める状態にしての」


 私は驚きのあまり、言葉を失いました。

 おばあちゃんは手にした本の1ページを破ったのです。


「凛乃が傷をつけた人は、今こんな状態じゃないかね?」


 私は、息を呑む。


「この本はひとつの人生なんよ。破かれたら価値がグッと下がる。確かに抜けたページを飛ばせば読めはするが、もしここが大事な部分だったら? 無くしてしまったら取り返しがつかなくなるやもしれん」


 おばあちゃんは本をそっと閉じて表紙をなでる。


「それを失くす前に凛乃が治してくれて、ほかの人には理解できない、あたしにとってより大切な本になった」


 そう言うとおばあちゃんは立ち上がり、部屋のドアを開ける。


「ちと難しかったかねぇ」


 無邪気に笑いながらドアをそっと閉めた。

 私は本を読むように、物語のように誰かの心を読めるようになりたいと思ったことがあったのを思い出しました。

 もしそうなら私は傷つかずに、そして誰も傷つけず、不幸になることもない。





 けど、変わろうと決めました。





 私は彼のことを純粋に知りたいと思いました。そして変わるためには、ここからもう一歩だけ、踏み出さなければなりません。

 どうして私なんかに関わってきたのか、助けてくれたのか。どうして私は簡単に彼に心を許せたのか、その答えを今から探すのです。


「え、近藤くん? 今グラウンドじゃないかな?」

「そうなんだ、ありがとう」


 昼休みは外で遊ぶアウトドアなタイプ。


「ねぇ。あれって下平さんだよね?」

「うん、なんかいつもと雰囲気ちがーう」


 心の中ではドキドキしてる。別のクラスを訪ねることなんて今までやったことないから。気味悪がられたりしないか不安になっていて今もその気持ちはあります。


「落ち着け私、落ち着け」


 無理をしてるのは誰が見ても明らかで、すれ違う人は好奇(こうき)の目を向けてくるのです。それに耐えられず私はまた図書室に逃げ込んでしまいました。


「あとちょっとなのに」


 本当はまだまだなんですが、そこはポジティブになろうと決意。

 机に伏せて、どうにか心を落ち着かせようと試みます。


「顔上げて」

「え」


 顔を上げると、そこには近藤くんがいてなぜか距離が近い。

 そして私の涙を(ぬぐ)ったのです。


「私、あの」

「分かってる」


 そして彼は、私の頭を撫でます。


「焦らないで、ゆっくりでいい」

「すー、はー」


 なんでだろう、落ち着く。

 やっぱり近藤くんは不思議な人です。


「ごめんなさい」


 私は深々と頭を下げました。

 まだ許されてもいないのに、これだけで心が軽くなった気がしたのは胸のつっかえが取れたからかな。

 許されたいなんて思ってもいないのかも。


「うん」

「本当は、私なんかに良くしてくれる必要なんてないのに」

「何言ってるんだ」


 今まで聞いたことがない強い口調で彼は否定した。


「これだけやっても分からないのならもう少しだけ、俺も素直になろうか」


 怖い。何を言われるか、分からない。嫌な言葉を言われるのかな。でも、傷つけたから仕方ないよね、自業自得だよね。


「下平凛乃さん、あなたのことが好きです」

「は、い」


 私は言葉に詰まる。

 窓から吹く風が見開かれた資料本のページをパラパラとめくる。

 紙の擦れる音が私の鼓動を加速させていくよう。

 どうしてこんなにも素敵な音が聞こえるのだろうか。


「どうして」

「こんなこと言うとガッカリさせるかもしれないんだけれど、大人っぽいなって思ってたんだ」


 恥ずかしそうに、私から顔を逸らした近藤くんは(ひたい)を押さえる。


「いつも落ち着いていて、頭も良いからさ。他の子と比べようがない。それに前髪でよく顔隠れてるけど、かわいい」


 めくられている。


「わ、私なんかのどこがっ」


 私の心の中のページが。


「そんな事言うなよ、俺は本気だ!」


 鼓動が。


「いきなり言われたって、信じられないし」


 早くなる。


「なんだよ、このわからず屋!」


 説明文すら読ませてくれない彼に。


「問題は、はやく解けるもん!」


 (かぎ)カッコの中だけを引き出される。


「俺のことがイヤなら、正直に言えよ」

「イヤだなんて」


 思うはずが、ありません。


「イヤじゃないけど、怖いの」

「怖いって?」


 ようやく、二人とも落ち着きを取り戻します。

 いつもは静かな私が立ち上がり声を荒らげている姿を遠くで見ていた図書室の先生が顔をしかめています。注意してこないのは、きっと先生の優しさなのでしょう。


「あなたと話すとき、無意識というか自分じゃないみたいな」


 気がついたらそこにあなたがいて、私は口を開いている。


「普通に話すときってみんな意識とかしてないと思うけど? それに、意識しないのが本当の自分でしょ」

「でも、それで自分が誰かを傷つけたら」


 相手の気持ちを考えていても傷つけることだってあるのに。それなら、いっそ言葉なんてない方が。


「自分がされたみたいに?」

「っ」


 図星。

 たとえ意識していてもしていなくても、言葉は人を傷つけます。

 私は傷をつけられました。何気ないはずなのに。

 でも本は、私を傷つけません。

 知識を与えてくれます。


「俺は下平に否定されたとき、つらかった」


 その一言は、私の心を重苦しく締め付けます。


「でも俺には、下平のほうが傷ついたことも知ってる。ずっと落ち込んでたのも」

「なんで、それを」


 近藤くんとはしばらく会ってなかったのに。


「誰も自分のことなんか見てるはずがない。そう思い込むことで下平自身が周りを見てないんだよ」


 私は、私自身を閉じ込めている?


「本当の下平凛乃は今、どんな気持ち?」


 何を言おうかなんて考える時間はいりません。


「その涙はどんな意味?」


 気持ちが答えを知っています。


「うれしい……っ!」


 相手の言葉が、気持ちがちゃんと聞こえてきます。彼のキレイな声が私の中に響きます。

 私は、彼に気づかされたこの気持ちを無くさないように、これから大変な日々を過ごすのでしょう。

 そして私にはひとつの目標、というより知りたいことができました。どんな本にも()っていません。

 彼、近藤(こんどう)くんの事です。

 私に告白してくれた彼の下の名前すら、恥ずかしながらまだ知らないのです。

 だから、これからたくさん教えてもらおうと思います。

 彼自身のこと、彼に対する私の気持ちのこととか。














 昼休みになると仲良しの友だちと外でサッカーをして遊んでいる。

 たまには他のことをやりたい気持ちもあったけれど、空気を読んで楽しそうにする。

 訳の分からないことを言って仲間はずれにされた友だちもいた。

 あんな風になりたくなかった。

 家では勉強、学校では遊びでいろんな人の顔色をうかがう日。

 席替えで隣になった女の子。


「よろしくー」

「よろしくね」


 あ、頭のいい女の子だ。

 いつも静かに本を読んでばかりいる子だったけど、笑顔で答えた彼女は明るい感じがした。


「なに読んでるの?」

「えっと、難しい本?」


 そう言って、彼女は自分が読んでいたページに(しおり)を挟んで貸してくれた。

 マンガ本は読むけど、文字だけなのは読んだことがなかった。

 オマケに知らない漢字もある。けど、面白そうだった。

 マンガを読んでばかりいると母さんに怒られるけれど、小説ならどうだろう。

 それに借り物なら没収されることもない。


「読み終わったら貸してくれない?」


 そうお願いすると、彼女は意外そうな顔をした。文学に興味を持っているようには見えなかったからだろう。

 彼女からすれば俺は外ではしゃぐ元気な少年。

 普通ならば知らない人に物は貸さない。


「わたし、一度読み終わってるからいいよ」

「え、あ、ありがとう」


 あっさりと貸してくれた。


「難しかったら、もう少し字が少ない本もあるから」


 彼女は嬉しそうに微笑(ほほえ)んだ。

 気持ちが楽になった気がした。

 女の子って近寄りがたい感じがあったけれど、彼女はきっと自然体なんだ。

 自分のやりたいことを出来ている。周りと違うことを自覚している。そのうえで、笑える。


「少し時間が掛かるかもだけど、ちゃんと読むから」


 家に帰ってからテレビを見る時間を削ってでも読んでしまおうと思っていた。

 あの笑顔をまた見たいと思ったから。ついでに本の内容が面白かったら一石二鳥。親にも注意されないからさらにお得。

 読めない部分はインターネットで調べれば意味が分かるし、国語の勉強にもなる。

 さらに学校で彼女に分からない単語とか、セリフの言い回しの意味とか、俺にも分かるように説明してくれる。

 彼女とも仲良くなれて本を読むことがこんなにも効率いいのか、と関心した。

 そして1週間くらいでようやく読み終わったからあの子に本を返そうと思って、いつもより早く登校した。


「頭がいいからって私たちのことバカにしてるんでしょ、あの子」


 女の子の笑い声が廊下から聞こえた。

 教室をのぞくと女の子が数人、俺の席の近くに集まっていた。


「地味なくせに冬司(とうじ)に馴れ馴れしく」


 頭の中が真っ白になった。

 あの女子たちは何を言っている? 彼女の机に何をしている?

 俺は教室に入ることはせず、グラウンドでサッカーボールを蹴って時間を潰した。

 何かの見間違いだろう。

 登校してくる生徒も増えてきて、俺がサッカーしてるのを見かけた友だちが集まってきたので時間ギリギリまで遊んだ。


「おはよう」


 教室に入るといつも通り、隣の席に彼女はいた。

 なんだ、あの女子たちは何もしていなかったじゃないか。


「お、おは……よう」


 いつも見ていた笑顔がなかった。

 おかしいな?

 でも、俺が読み終えたこの本を返して感想を言えばきっと笑顔が見られる。

 そう思ってランドセルを机の上に置いてから、あることに気づく。

 彼女の服の(すそ)が、黒かったのだ。


「えっと、その」


 俺は言葉を失った。


「ごめんなさい」


 彼女は口元を抑えて早足で教室を出て行った。

 もうすぐ先生も来るのに、出て行った理由は明白。

 俺は彼女から笑顔を奪ってしまったのだ。

 少し前から様子がおかしいと感じていた俺は、今日まで気づけなかったんだ。

 彼女は少し変わった生徒からイジメの被害者になった。


「俺のせいだ」


 そして俺は、巻き込まれるのを恐れて彼女と関わることをやめてしまった。

 誰にでも気をつかって、自分を押し殺してきた俺は彼女の心を壊した。

 軽い気持ちで関わるべきじゃなかったのだろうか。

 そして、考えが浅はかだった。俺さえ関わらなければイジメもすぐに収まるだろうと思っていた。嫌がらせそのものはすぐに無くなったけれど、結果彼女はクラスから孤立した。

 結局、借りた本を返せないまま学年は上がりクラスも別になってしまった。

 隣のクラスを見るたびに、心がズキズキと傷んだ。

 木漏れ日を(さえぎ)るカーテンがユラユラとなびく、そのすぐ側の席で本を読む彼女。

 昼休みと放課後は決まってある場所へと移動をする。


「また図書室か」

「ん、冬司なんか言った?」

「いや、なんでも」


 今日は、今日こそはきちんと会って謝ろう。

 本を返そう。

 そして、この気持ちを伝えよう。

 普段は行くことのない図書室へと俺は足を運んだ。


「失礼します」


 入ったところは受付のカウンターになっていて図書室の先生がこちらに笑顔を向ける。

 一度、頭を下げると奥へと歩む。


「これ超いいー!」

「こっちの方がイケてなーい?」

「あ、これほしー」


 彼女を見つける前に3人組の女子が視界に入る。

 あの3人って確か、あの時の。

 そしてさらにその奥の席で本を読む1人の女の子。

 やっと見つけた。

 声を掛けようと思い近づく。


「ねぇ、それ面白いの?」

「ふぇっ」


 あの3人組に先を越された。

 早朝の廊下での出来事を思い出した。


「何これ! 文字ちっさ!」

「漢字ばっかり! ケータイ小説でもないし」


 あの時は関わりたくなくて、気のせいだと逃げた。けど、俺が目の前の女の子を不幸にしたのなら自分がその罪を(つぐな)うべきだ。


「おい、イジメはよくないぞー」


 いつものように、何も気づかなかったフリして声を掛けた。


「ビックリしたぁ! 急に何?」


 俺の姿を見てみんな驚いた。けれど彼女たちの表情はすぐに変わる。


「図書室だから静かに来ただけだよ」


 何も知らない、明るい少年を俺は演じる。彼女たちには今までそう映ってきたのだから。


「え、ていうかイジメてないけど?」


 イジメ。

 その言葉を聞いて思い当たることがあるのだろう、顔がひきつってる。


「じゃあ分かった、あれだ。集団リンチとかいうやつだろ」


 ヘラヘラと指さして笑いながらも俺は彼女たちに一歩近づいて、あの子に聞こえないくらいの小さな声で言った。


「お前らがその子にしたこと、知ってっからな」


 怒りのこもった一言に3人組は小さい悲鳴を漏らした。


「違うって! もういい、行こ」


 またこの子に何かしたら今度は証拠を抑えて学校側に報告してやる。

 もちろん、彼女がそれを望まなければ他の方法を探る。大丈夫、俺には彼女がきっかけをくれた知識がある。


「ほら、静かになった」


 だから本当の君を、取り戻そう。







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